詩に身を委ね、ことばに出会う:山下編集長による詩のことばの再発見【WORKSIGHT最新号『詩のことば』より】
詩のことばは、日常の世界を一変させる可能性を秘めている。わたしたちの意志、世界、審美眼、生活にゆらぎを加え新しい世界を目の前に差し出す、詩とはいったい何なのか。本特集にあたり編集長・山下正太郎が再発見した、いま「詩のことば」をとり戻す意義とは──
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10月20日(金)にプリント版最新号『WORKSIGHT[ワークサイト]21号 詩のことば Words of Poetry』を刊行したWORKSIGHT。本日の特別ニュースレターでは、本誌より編集長・山下正太郎による巻頭言「詩を失った世界に希望はやってこない」を転載してお届けします。いま、わたしたちが詩を書くこと、読むことから遠のいてしまっているのはなぜか。そして詩のことばが浮かび上がらせるものは何か。書籍をお手に取る前に、ぜひご一読ください。
巻頭言・詩のことば
詩を失った世界に希望はやってこない
text by Shotaro Yamashita(WORKSIGHT)
意志
子どもをもった。いや正確には「投げ込まれた」というほうがしっくりくる。待ちわびて周到に準備をしていたのにもかかわらずである。突然現れたこの子を通じてわたしの世界がぐるぐると動き出したのだ。生まれてまだいく日も経っていないこの子の世界には当然ながらまだ言葉が存在していない。つまり意味が存在しておらず、言葉を発する前の思考やためらいや常識がそこには一切ない。わたしとの間に何の了解事も当然存在しない。しかし身体を世界に投げ出して何かを掴もうとしていることは伝わってくる。手をまわし、足をばたつかせ、腹のそこから泣いてみる。そこにはある種のシコウ(志向/試行/嗜好/思考)が存在している。ずっとこうしたやりとりを続けるうちに、40年以上生きてきたなかで身に付けていた鎧のようなものがどさっと落ちたような気がするのだ。
子どもを職業に例えるならそれは詩人だろう。何かに属するでもなく、常識にしばられず、世界をながめ、みずみずしい言葉でもって新しい世界を浮かび上がらせる。ちまたの子どもを見てそんなことを心配しないように、詩人の存在はいったいどうやって食べているのか想像させない軽やかさがあるし、実際にすぐに思い浮かぶ詩人の顔もじつにひょうひょうとした笑顔を携えている。詩人が生業とする、詩を読むこととはいったい何なのだろうか。詩人の石垣りんはこう述べている。
そういう人たちの書いたものを読んでいつも感じるのは、詩は詩的なことを書くものだ、と思っているらしいこと。たとえば詩を見て虹を感じた、とします。詩は虹のように美しい、さて私も詩を書こう、詩は虹を書くことだ、と考えてしまう。どうもそうではないらしいのです。虹を書くのは大変です。虹をさし示している指、それがどうやら詩であるらしいということ。
詩は赤子の動かす身体や声のようにどうやら理屈に先行するらしい。世界に身を投げ込む意志に詩が宿るのである。
世界
虹をさす指をもう少しかみ砕いてみたい。歌人の俵万智は歌をつくるということについて「自分の心が感じたことを味わい直すということ」と語る。味わい直すと言っても、それは当然過去にあったことを反芻することではなく、言葉を使って状況を再構築し、新たに理解し直すと考えるのが妥当だろう。つくり手だけでなく読み手にしたってそうだ。たとえ見たことも聞いたこともないようなことであっても、歌や詩を通じて自分のなかに新しい情景や感覚が紡がれていく。
人間が言葉を理解するということに関して、認知科学の領域で重要とされる概念に「記号接地」というものがある。もし子どもが本当に言葉の意味をアプリオリに学べる能力があるとしたら、原理的には辞書を渡せば済むはずである。しかし実際にはそれがただのインクの染みにしかならないのは、言葉の意味の理解には、言葉と現実の世界がつながれている必要があるからだ。具体的には身体性と関連の深いオノマトペなどをその足掛かりとして意味と実体をつなげていくという主張である。
しかし言語理解と詩との関係を考えるとき、記号接地はどうも腑に落ちないところがある。例えば一編の詩のなかで鮮烈な言葉に出会うとき、接地と呼ぶような強固な足場から意味が立ち上がるというよりも、これまで描いていた世界からずるりと引きはがされ、どこか知らない場所にふわりと置き直されるような感覚なのだ。決して言葉の意味が先にあるのではない。言葉によってわたしたちが方々に弾かれていく。
哲学者ウィトゲンシュタインに大きな影響を与えた文筆家カール・クラウスは、言語の役割には「伝達」と「形成」のふたつがあると言う。前者は記号接地の概念はじめ多くの学説が言葉の本質的な意味性を主張するのに対して、後者は言葉が置かれることで意味が後から立ち上がるさまを指す。そう考えると、詩の多くが短い細切れの文章で、さながら飛び石のように紙に配置されるのも「形成」という観点に立つと腑に落ちる。わたしたちは言葉同士の響き合う余白に新しい意味を読み取っていく。昨今のChatGPTのような、一種荒唐無稽と思われる言語であっても、ぽんとそこに置かれることでわたしたちに新たな意味を表出させるという点においては、詩と本質的な違いはない。
美
詩は日常の世界を一変させうる。そしてときにわたしたちの生き方を左右する。運が悪ければ人生を棒にふることもある。幸い、大抵の優れた詩人は人びとを連帯させ、真実をあばき出す。ゆえにそれは為政者や経営者といった権力をもつ者たちに疎まれることにもなる。言葉の意味を固定することを良しとせず、ゆらぎを加え、秩序をくずそうとする。ソ連を追われ亡命者として詩を書き続けたヨシフ・ブロツキイは、ノーベル文学賞受賞記念の講演でこう述べている。
芸術全般、特に文学、そしてとりわけ詩は人間に一対一で話しかけ、仲介者ぬきで人間と直接の関係を結びます。だからこそ芸術全般、特に文学、そしてとりわけ詩は、全人類の幸福を熱烈に擁護する者や、大衆の支配者、歴史的必然の宣伝者たちに嫌われるのです。なぜならば、芸術が通り過ぎ、詩が読まれた後に、彼らは期待していた合意と一致の代わりに冷淡と不一致を、そして行動への決意の代わりに無頓着と嫌悪を見出すからです。
詩は権力になぜ肉薄することができるのだろうか。ブロツキイは加えて詩や文学の力をこう語る。
新しい美的現実はどのようなものであれ、倫理的現実を人間のためにより明確にしてくれます。なぜなら、美学こそは倫理の母だからです。「良い」とか「悪い」といった概念は、何よりもまず審美的な概念であって、「善」や「悪」の範疇に先行しています。倫理において「すべてが許されている」わけではないのは、まさに美学において「すべてが許されている」わけではないからであり、スペクトルの色の数が限られているからです。まだ何もわからない赤ん坊が、泣きながら見知らぬ人を押し退けたり、あるいは逆に見知らぬ人のほうに手を伸ばしたりするとき、この赤ん坊はそうすることによって、審美的な選択を本能的にしているのです。この選択は道徳的なものではありません。
審美的な選択は常に個人的なものであり、審美的な体験は常に私的な体験です。
あらゆる言説や監視の目に囲まれる今日、わたしたち自身の言葉はいかに私的だと考えたとしても、おびただしい数の言説に知らず知らずのうちにまとわりつかれている。政治家や経営者のみならず、ソーシャルメディアにあふれる言葉も含まれるだろう。そして詩はわたしたちをひとりの個人に還元する。であるからこそ、他者の言葉に差異や違和感をおぼえ、そこにコミュニケーションの余地を見いだすことにつながる。ひいては新しい世界をつくることができるのである。
生活
詩がわたしたちを個人へと還元するならば、それは詩人だけのもち物であってはならないだろう。短歌や俳句がたしなみであった時代までさかのぼらなくとも、かつて詩は人びとの身近に存在していた。詩人の真壁仁が編纂した『詩の中にめざめる日本』は、戦後の労働組合の機関誌やサークルの雑誌、自費出版の詩集に載せられた民衆たちの詩を収録している。戦後の民衆には自分自身の名で言葉を刻む理由があったのだ。
これらの詩をとおして日本は何にめざめたのか。そう反問されるにちがいない。ひとくちに民主主義にめざめたと書いたが、そんな単純ないいかたではすまないものがたしかにある。人間にめざめた。権利にめざめた。愛にめざめた。罪にめざめた。あたらしい価値にめざめた。存在の不安にめざめた。不合理や不条理にめざめた。そして、独立と平和にめざめた。いろいろにそれはいうことができる。民衆は政治的社会的な現実にも世界の歴史のうごきにも目をふさいできたのではなかった。それどころか、しっかりと見つめ、するどく耳をそばだて、からだで反応を示してもきた。
つづられるゆたかな言葉は決して文学的な創作活動を通じて生まれたわけではない。日々、働くなかで、自然と対峙するなかで生まれてきたのだ。しかし今日わたしたちの周りから詩の世界はずいぶんと遠のいているように思う。言葉はなぜ奪われたのだろうか。
つくり手と同時に、受け手が民衆のなかに共存していた未分化の時代が過去にはあった。分業による生産の発達に照応して創造の作業の専門化がすすむにつれ、民衆はもっぱら受け手にまわされ量としてあつかわれる。大衆を消費者として組織することで文化創造も企業となる。民衆のなかのつくり手はしだいに萎縮し、工作のわざもほろんでいった。民衆が沈黙したのはいつのときも、外部の力におさえられたからである。
こうして現代は待つことを許さなくなった。時間、空間など、ひとたびすき間が空けば、そこにわたしたちのアテンションを奪うものがするりと忍び込んでくる。ことさら自分の意思や自由な行動が強調される時代にあって、抗いようのないものや変化についてじっと待ち構えることができなくなっている。すべては自分の責任のもとにすぐに解決されることを命令されているのだ。詩の言葉は問題を解決しない。むしろ問題を味わい、ピントをずらすことで、ときに連帯し、ときに抗わずに逃げるための術なのだ。
希望
正直に言えば、この特集を組む前にまったく詩には興味も知識もなかった。どう接すればいいかわからなかったのだ。しかし、いまはそもそも接し方を学ぶようなものではないと思うようになってきた。意気込んで読み解こうとしてもするりとかわされてしまう。意気込む頭を少しだけ解剖すれば、そこにはこれまで携えてきた知識の澱のようなものしか存在していない。詩はむしろ空っぽの状態で自分のなかを通り過ぎさせるくらいがちょうどいい。言葉に出会うのを待つしかない。ずいぶん悠長な話である。しかしもしこの世から詩が失われているとしたら、それはわたしたちがこの世界をみずから深い闇でおおってしまっているからに他ならない。新しい可能性を見つめる目を奪われ、過去の経験則だけで生きる世界だ。そんな詩を失った動かない世界に希望はきっとやってこない。
山下正太郎|Shotaro Yamashita 本誌編集長/コクヨ ヨコク研究所・ワークスタイル研究所 所長。2011 年『WORKSIGHT』創刊。同年、未来の働き方を考える研究機関「WORKSIGHT LAB.」(現ワークスタイル研究所)を立ち上げる。2019年より、京都工芸繊維大学 特任准教授を兼任。2022年、未来社会のオルタナティブを研究/実践するリサーチ&デザインラボ「ヨコク研究所」を設立。
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『WORKSIGHT[ワークサイト]21号 詩のことば Words of Poetry』は、全国書店および各ECサイトで販売中です。書籍の詳細は10月19日(木)配信の特別ニュースレターをご覧ください。
【目次】
◉巻頭言
詩を失った世界に希望はやってこない
文=山下正太郎(WORKSIGHT編集長)
◉花も星も、沈みゆく船も、人ひとりの苦痛も
韓国詩壇の第一人者、チン・ウニョンが語る「詩の力」
◉ソウル、詩の生態系の現場より
ユ・ヒギョンによる韓国現代詩ガイド
◉そこがことばの国だから
韓国カルチャーはなぜ詩が好きなのか
語り手=原田里美
◉ベンガルに降る雨、土地の歌
佐々木美佳 詩聖タゴールをめぐるスケッチ
◉「言葉」という言葉も
大崎清夏 詩と随筆
◉ふたつの生活詩
石垣りんと吉岡実のことば
文=畑中章宏
◉紙の詩学
建築家・詩人、浅野言朗から見た詩集
◉詩人は翻訳する・編集する・読解する
ことばと世界を探究する77冊
◉しっくりくることばを探して
古田徹也との対話・ウィトゲンシュタインと詩の理解
【書籍詳細】
書名:『WORKSIGHT[ワークサイト]21号 詩のことば Words of Poetry』
編集:WORKSIGHT編集部(ヨコク研究所+黒鳥社)
ISBN:978-4-7615-0928-6
アートディレクション:藤田裕美
発行日:2023年10月20日(金)
発行:コクヨ
発売:学芸出版社
判型:A5変型/128頁
定価:1800円+税
【イベントのご案内】
Photo by Hiroyuki Takenouchi
トークセッション「『しっくりくる言葉』をさがして」
プリント版最新号「詩のことば Words of Poetry」の刊行を記念して、哲学者の古田徹也さんと、WORKSIGHTコンテンツ・ディレクターの若林恵によるトークイベントを六本木 蔦屋書店で開催します。
「詩のことはよく分かりません」と主張する詩になじみの少ない人と、「理解しようとしなくていいんだ」と説明する詩が好きな人。両者の議論はなぜ平行線をたどってしまうのか。本誌巻末には、そのやりとりの混乱やすれ違いに対し、ルートウィヒ・ウィトゲンシュタインやカール・クラウスの言語論から解き明かす古田さんのインタビューを収録しています。
イベントでは、ウィトゲンシュタインの洞察をもとに、「しっくりくる/しっくりこない」言葉についてのお話から、ゲーテ、吉岡実、そしてChat GPTまでトークを繰り広げながら、「詩のことば」の秘密に迫ります。
詩を読むのがきっと楽しくなる。詩になじみの薄い方はもちろん、詩が好きな方はお気に入りの詩集を片手に、ぜひお越しください。
【イベント概要】
■日時:
2023年11月1日(水)19:00〜21:00
■会場:
六本木 蔦屋書店SHARELOUNGE内 イベントスペース
東京都港区六本木6丁目11−1 六本木ヒルズ けやき坂通り
■出演:
古田徹也(東京大学准教授)
若林恵(黒鳥社)
■チケット(税込価格):
①書籍+会場参加チケット:3,480円
②会場参加チケット:1,500円
③書籍+オンラインチケット:2,980円
④オンラインチケット:1,000円