ソウル、詩の生態系の現場より:ユ・ヒギョンによる韓国現代詩ガイド
詩という営みは、改めて驚くべきものだ。詩を書き、読むという行為は、私たちの閉塞的で均質化した、正しい意味に囲まれた世界に、別の想像力へと導く穴を、そっとうがつ。詩を読むのみならず、自ら書く人が大勢いるという韓国では、歴史的な厚みを伴う文壇とその権威への反作用というダイナミズムのもと、詩作を取り巻く生態系が広がり、脈動しているようだ。詩集専門書店を営む詩人に、ガイド役として取材を申し込んだ。
ⓒwitncynical
茨木のり子『韓国現代詩選』(1990年)の新版が2022年になって亜紀書房から刊行されたことなどが象徴するように、日本においても韓国の現代詩に関心が集まり始めている。こうして日本で韓国詩が紹介されるとき、「韓国の人々は詩が好きで、日常的に触れる機会も多く、詩人や詩集が身近な存在である」というイメージがしばしば語られる。では、実際の韓国の詩の現場からは、詩を取り巻く状況がどのように見えているのだろうか。あるいは、詩の執筆や読書を通して、人びとはお互い、どのような接点をもっているのだろうか。2016年より詩集の専門書店「wit n cynical(ウィットンシニカル)」を韓国・ソウルに構え、自ら詩人としても活動するユ・ヒギョン氏に、リモートでインタビューを行った。
interview and text by Saki Kudo / Fumihisa Miyata
interpretation and cooperation by Nagi Yoshikawa
ユ・ヒギョン|Yoo Hee-kyung 1980年、韓国・ソウル生まれ。詩人、詩集専門店「wit n cynical」店主。ソウル芸術大学文芸創作科、韓国芸術総合学校演劇院劇作科で学んだ後、2008年に「朝鮮日報」の新春文芸に当選し、登壇(文壇デビュー)。現在までに『今朝の言葉』などの詩集を手がける。2016年に「wit n cynical」をソウルにオープン。同店は、韓国の現代詩シーンの重要なスポットになっている。
万単位で売れていく詩集
──インタビューをご快諾いただき、ありがとうございます。
最近、『BRUTUS』を見たという日本の若い人たちも、私の書店を訪ねてきてくれました。韓国の文化が、日本をはじめいろんな国で興味をもたれていると感じています。韓国の詩の生態系は非常に複雑で、一言では語れませんが、私なりの見解をお話ししようと思います。
──ぜひお願いします。
韓国では文壇にデビューすることを「登壇」と言うんですが、まずそれを理解する必要があるかと思います。
──「登壇」ですか。
はい。小説家も詩人も、認められるための手続きがあり、そこでプロとアマチュアがはっきり区別されるんです。伝統のある新聞の文芸賞などに入選することで「登壇」が果たされ、プロになることができます。入選の基準はもちろん文学的な評価、文学性があるかどうかといったことによるわけですが、プロになった後に純文学を目指す人もいれば、大衆文学を目指す人もいます。ユン・ドンジュ(尹東柱)やキム・ソウォル(金素月)、ペク・ソク(白石)というような、学校の教科書で何回も反復して習っているような詩人に関してはみんなよく知っていますし、純文学のなかでも人気のある詩人と言えると思います。
──ユ・ヒギョンさんご自身も純文学の詩人なのですか?
この「wit n cynical」は当然純粋芸術としての詩を目指している書店であり、自分もそういう分野の詩人です。
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──では、「大衆文学としての詩」はどのように受容されているのでしょうか?
例えば地下鉄の駅だとかビルの壁に詩が書かれていたりしますし、ソウルのランドマークである教保生命ビルには、詩やさまざまな本から採られた名言などを大きな字で掲載するための看板があります。こうしたかたちで詩が愛されているケースもありますね(編注:ソウル都心部光化門にある教保生命ビルには市民に勇気や希望を与えるメッセージを掲げるための看板が設置されており、1991年から季節ごとに様々な言葉を掲載している。文案は各界の名士で構成された選定委員会がさまざまな書籍から名言などを採択して決めるが、詩を引用することが多い。同ビルの地下には韓国を代表する大手書店、教保文庫本店が入っている)。
——看板という広告媒体によって掲示される詩というものを、ユ・ヒギョンさんご自身はどう捉えているのですか?
教保文庫の看板のメッセージは詩の作品から採られることも多く、絶大な人気があるナ・テジュさんの詩なども使われていました。あの看板には掲載する文を決める選定委員会があって、文学性だけではなく、委員会がどういう意図を伝えたいかという視点でも評価されますから、さまざまな詩が採用されます。私の母は、私の詩があの看板に出るのをいまかいまかと待ちわびています(笑)。ただ、こうした場で詩が使われるからといって、韓国において一般的に詩は人気がある、とは言えないと考えています。
──どういうことでしょうか。
純文学としての詩集の販売部数でいうと、デビューしてすぐの詩人だと初版1,500部ぐらいです。少し人気のある人だと、3~4刷出て大体1万部弱ぐらいですね。ある程度人気があれば1~2万部ぐらい売れますが、そのレベルの詩人はだいたい100人ほどはいるかと思います。さらにその人気のある作家のなかの10パーセント、大体10人ぐらいの詩集は、3~4万部は売れます。
——3~4万部!
だいたい10年に1度は、10万部ぐらい売れる特大ヒットの詩集が出ます。そういう詩人はテレビなんかにもよく出て、道を歩いていたらみんな顔を知っているという感じですけれども、そういう人はいまの時点で2〜3人じゃないでしょうか。私は詳しくは知りませんが、大衆的な詩集はもう少し売れるのかもしれません。
──日本の状況からすると、ちょっと信じられない数字です。それでも「韓国において一般的に詩は人気がある、とは言えない」のですか?
韓国の人口約4,500万人のうち、純文学の詩集を買うのは4万人ぐらいと考えれば、まだ詩がそこまで世間一般に浸透しきった存在だとは言えないのではないでしょうか? ……とはいえ、おっしゃるように韓国でずっと詩集が売れ続けているという状況に関しては、日本だけではなく、アメリカとかヨーロッパの人たちも不思議に思っているみたいですね。
──韓国で詩集がそれほどまでに売れている、そこにはどんな読み手の下支えがあるのでしょうか。
それを判断する確かな根拠がないため難しいんですけれども、感触としては、一般の読者が6~7割、自ら詩を書いている人たち、登壇したい人たちが3〜4割ぐらいではないでしょうか。詩を書いている人は不思議なことに、あまり詩集を読まないんです。韓国にある文芸創作科の学生がみんな詩集を買ってくれるだけでも、うちはだいぶ助かるんですけどね(笑)。
──だとするとなおさら不思議なんですけれども、その7割ほどいる純粋な読者は、韓国の社会に生きるなかで、どのような期待をもって詩的な言語に手を伸ばしているのでしょうか。
いまは詩を愛好するという行為に対して、洗練されていて、普通ではない、ちょっと特別なイメージがあるのでしょう。プロの詩人というのは才能が認められた人たちであり、尊敬される仕事でもあります。最近韓国でも『SLAM DUNK』が人気ですが、井上雄彦が詩人になったら、すごく人気が出ると思います(笑)。韓国では、そういった「才能をもった」人が詩人になっている、というようなイメージがありますね。
「制度」の内と外で
──話は戻りますが、先ほどの「登壇」というプロの登竜門となる制度について、もうすこし詳しく伺えますか。
登壇制度というのはある種の権威を与える仕組みで、大きくふたつに分けられます。ひとつは、大手新聞各社が毎年1月1日に発表する「新春文芸」という賞です。一般の人が応募した作品のなかから選ぶもので、詩だけではなく小説などさまざまな部門があります。加えて、こちらは1月ではありませんが、主要な文芸誌が新人賞を設けており、それに詩を応募して選ばれると、詩人と呼ばれます。小説家や評論家も同様です。いま日本で紹介されている韓国の小説家や詩人も、ほとんどがこうした登壇制度を経てデビューした作家です。
──「wit n cynical」では、登壇をしていないアマチュアの作家の詩集も紹介しているのですか?
登壇していない作家の詩集は、その多くが独立系の出版社から出されますが、うちでは扱っていないんです。なぜかと言いますと、韓国国内では毎年膨大な数の詩集が出るのですが、店舗の空間が小さくて自費出版で出している詩集までは並べられないんです。そのために、登壇した人の詩集に限定しています。日本で俳句や短歌をやっている人が多いのと同じぐらい、韓国ではたくさんの人が現代詩を書いているんです。
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──すごいですね。そこまで韓国で詩作が発展した文化的な背景について、改めてお聞かせいただけますか。
まず韓国人の特性としまして、何でも自分でやるのが好きなんです。歌でも聴くより歌うほうが好き。詩も、読むより書くほうが好きです。基本的にはノリがいいのだと思います。社会的な背景としては、第一に、学校の教科書で詩を非常に重要なものとして扱っているということが挙げられます。古い植民地時代の詩や、独裁政権の時の抵抗詩、民主化運動の詩なども熱心に教えていますね。
──なるほど。他の理由もあるんですか。
登壇制度も大きく影響しています。閉鎖的な制度である分、専門性を保つことができますし、先輩の詩人が後輩の詩人を選ぶので系譜のようなものができます。また文学性の高い詩集は、人気のある文芸誌が新人を選んで、その人の詩集をその出版社が出すという構図によっても生みだされています。
──ある種の質が保たれるのですね。
韓国では歴史的に、ドラマチックな出来事が多かったために、多くの詩人が進歩的な性質をもっており、そうした詩人が同世代の人たちから熱烈な支持を受けることがよくあります。そして、世代の間で葛藤があり、文学的な論争がよく起こります。世代ごとに代表的な詩人がいて、下の世代がそれをひっくり返す、ということが繰り返されています。
──登壇制度を中心にしつつ、詩壇における潮流の転回があると。
登壇制度の良い点ばかり挙げましたけれども、悪い点にも触れますね。先ほども閉鎖的だと言いましたが、どうしても業界が排他的になり、上の世代が権力をもってしまいがちです。加えて、専門性が深まるということは、だんだんと作品が難解になってくるということでもあります。
──そうした弊害は確かにありそうです。
最近は、権威的な団体に所属することを嫌う若い非登壇詩人たちが、独自に詩集を出すというような動きもあります。しかし、こうした非登壇詩人も自費出版ではなく、あくまで有名な出版社から詩集を出せるように努力しています。
──非登壇詩人にとっても、有名出版社からのデビューは目指すところなのですか。
そうです。制度の外に出ようとしているというよりは、その制度のなかにいる人たちから自分の実力を認めてもらおうとしている、というほうが近いと思います。
──なるほど。
韓国では「制度圏」ということばを使うんですけれども、制度圏のなかにいるというのは、有名な大手の出版社から詩集が出ていることを意味します。2016、17年頃に、文壇の性暴力を告発したり、文壇の権力に反発したりするようなハッシュタグ運動が若い人を中心に広まりました。「非登壇詩人」という変わった呼称はその時にできたのですが、制度圏のなかにいないと認められないという構造はいまでもやはり続いています。フェミニズムと、登壇制度に関わる文壇の権力、それが2018年以降の韓国文学の大きな問題になっていると言えますね。
韓国で注目を集める詩人たち
──純文学的な枠組みでは、韓国国内ではどんな詩人に人気が集まっているんでしょうか。
チン・ウニョンさんは最近すごく注目されていますね。セウォル号や梨泰院の事件がありましたけれども、そうした題材を抒情的に表現した詩を発表しています(編注:セウォル号事件に関する複数の小説家・詩人・学者たちのテキストが並ぶ『目の眩んだ者たちの国家』〔矢島暁子訳、新泉社、2018年〕に参加している)。シム・ボソンさんという詩人は、新しい世代の始まりを感じる表現で人気がある作家で、付け加えると、とてもハンサムです(笑)。そういうことが人気に影響することはやはりあります。また、パク・ジュンさんという男性作家の詩集の発行部数は最近10万部を超えましたし、オ・ウンさんという詩人は、YouTubeやポッドキャストなどさまざまなメディアに登場していて、話が面白いこともあって人気のある作家です。
LTI Korea(韓国文学翻訳院)のYouTubeチャンネルにおける、セウォル号事件を踏まえたチン・ウニョンの詩「あの日から」の朗読動画。2022年、新刊詩集『私は古い町のようにおまえを愛し』が韓国内でベストセラーになったことは、日本でも報道された。
2019年から開催されているイベント「K-BOOKフェスティバル」の2021年開催時(オンライン)、新作邦訳本を手がけているという翻訳者の趙倫子・姜信子と語りあうパク・ジュン。
朗らかなパーソナリティーとしての立ち位置も確立しているオ・ウン(左)。この動画では、日本でも刊行された『日刊イ・スラ:私たちのあいだの話』(原田里美・宮里綾羽訳、朝日出版社、2021年)で知られるエッセイスト、イ・スラを招いてトークしている。また日本でも『菜食主義者』(きむ ふな訳、クオン、2011年)などで人気の小説家ハン・ガンを招いたポッドキャストはこちらで聴ける。オ・ウンの詩集『僕には名前があった』(吉川凪訳)が、クオンから2023年4月30日に刊行予定。
また、ファン・インチャンさんという男性の詩人にはすごく熱心なファンがいますし、女性詩人ですとアン・ヒヨンさん、イ・ジェニさんが人気です。こうした詩人が朗読会をすると、50人とか60人のキャパシティの会場なら一瞬にして売り切れてしまいます。うちで開催したときもそうでした(編注:日本では2023年2月、ファン・インチャンが文章を手がけた絵本『ぼくって、ステキ?』〔イ・ミョンエ絵、おおたけきよみ訳、光村教育図書〕が刊行された。 アン・ヒヨンに関しては『詩と思想』2022年3月号が紹介している)。
先述のLTI KoreaのYouTubeチャンネルにおけるファン・インチャンのインタビュー動画。
日本の詩人では、茨木のり子さんが人気があります。最果タヒさんの詩集も最近翻訳されて、すごく注目されていますね。ウン・ヒギョンさんという女性小説家が、翻訳家の斎藤真理子さんの韓国語詩「吹雪」のなかの「たった一つの雪片」ということばから連想して小説集『他のすべての雪片ととてもよく似たたった一つの雪片』(2014年)のタイトルをつけたというので、斎藤さんの2018年刊行の詩集『たった一つの雪片』(編注:1993年の韓国語詩集『入国』に新作を追加して別の出版社から新たに刊行したもの)がまた有名になるということもありました。また、西一知(にし かずとも)さんとか一色真理(いっしき まこと)さんなどの作家も韓国で詩集が出ています。西さんの詩論は、韓国の若い世代の読者に大きく影響を与えています。私やそれよりちょっと下の世代は日本文化の洗礼を受けていますから、みんな日本とは積極的に交流したがっています。自分の詩が訳されてほしい言語のトップに挙がるのが日本語です。
コーヒー店の片隅から
──朗読会の開催というお話もありましたけれど、そもそもユ・ヒギョンさんが「wit n cynical」という詩集専門書店を立ち上げられた経緯は?
2016年に始めた店で、現在1,700ぐらいの詩集を扱っています。以前は、出版社の「文学と知性社」で編集者として働いていました。29歳で入社した翌年に登壇して詩人になり、その後に他の出版社も合わせて計9年間編集者として勤めたのですが、ある時左目を失明し、手術を繰り返すことになりました。身体を壊し、これからは自分のしたいことをしようと思うようになり、書店をやるということを考え始めたのです。実はちょうどその頃、突然、小規模の書店がたくさん潰れだしました。その背景には図書定価制があります。簡単に言うと、本の価格を10パーセント以上割引できなくなる制度です(編注:図書定価制は、韓国における図書の再販売価格維持制度〔再販制度〕。この対象図書の拡大、割引率の縮小等を主目的とし、定価割引を新刊・旧刊ともに10%以内に留める出版文化産業振興法が2014年5月に改正され、同年11月21日に施行された)。
──書店のことを考え始めた時期に、書店が潰れていったんですね。
書店でもネットでも価格が同じなら当然ネットで買おうと考える人が増え、小さな書店がたくさん潰れました。他方で私自身は編集の仕事をしていたこともあり、詩集がどの程度売れるかは概ねわかっていたのですが、日本ではいざ知らず、韓国では編集者の給料は決して良くないため、資金もあまりなかったんです。でもある人が「詩集専門店をやるんだったら場所を貸してあげる」と言ってくれて、梨花(イファ)女子大学の近くのコーヒー屋の片隅を借りて本屋を始めました。それが意外に反響を呼びまして、始めて5カ月ほど経った頃には、韓国の主要メディアのほとんどがインタビューに来るほど注目されました。
──すごいですね。
しかし、やがてジェントリフィケーションによって不動産の価格が急上昇したために、コーヒー屋の物件を出ることになりました。現在の店は大学路(テハンノ)に移転しています。1階には韓国で一番古い東洋書林(トンヤンソリム)という別の本屋さんがあり、うちは2階です。同じ建物の1階と2階に別の本屋があるわけですけれども、1階の東洋書林では詩集は売らないので、互いにシナジー効果があるという訳です。
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──お店では詩作のワークショップも行われているとお聞きしました。
先ほど登壇制度のことをお話ししましたけれども、いまではそれがほとんど入試のようなものになってしまっています。だから、登壇を目指す人は現役の詩人に詩を習いたいと考えるんです。大学の文芸創作科を卒業できなかった人は、体系的に詩について学ぶことができず、詩を書く仲間も詩の先生もいないので、そういう指導を求めているのだと思います。ですから、逆に言うと登壇を目指していない人というのはほとんど来ないですね。私は自分では教えず、他の詩人がうちの書店に来てワークショップをやるという形式をとっています。
──塾のような位置づけということでしょうか。
あくまで「塾ではない」と言いたいところなのですけど、そうもいきませんね。最初は純粋に詩を読んだり書いたりして楽しむ人たちのために、と思って始めたんですが、だんだん参加者からの指導への要望が強くなってきて……それをむげにもできませんから。内容の純粋さを守るために、最近は詩の創作よりも詩を読むほうの授業を増やすようにしています。
──それは、朗読会とはまた別のものですか?
読む授業というのは、朗読ではなくて、詩を解釈し鑑賞するための授業です。韓国の詩は非常に難しいものが多いので、そうした内容をやるようにしています。
──ワークショップや朗読会を行った後に、その後その人たちが一緒に何かつくったり、あるいは朗読会に来られた方がワークショップに参加してつくる側になったり、というような展開はありますか。
きっとあるのでしょうが、そんなに目立った動きはありません。いま、詩の読者、特に若い人たちは集団をつくることにちょっと抵抗があるようです。
──それは、登壇制度と同じく、組織になることによって、そこに権力とか覇権的なものが生まれてしまうからという意識が強いからということなんでしょうか。
いえ、ただ自分で自由にやりたいからじゃないでしょうか(笑)。
──ユ・ヒギョンさんご自身に、詩人として一緒に活動されるような仲間はいらっしゃるんですか?
〈作乱(チャン ナン)〉という詩のグループに属しています。さっき挙げたオ・ウンさんという詩人も同じグループにいます。しかし詩を書くことに関して志を同じくするというのはあまり意味がないと思います。詩は各自、個人で書くもので、自分の詩は自分が責任をもつと思っています。集団をつくるということではなくとも、みんなお互いによく知っているし、親しく付き合っています。なので朗読会をやってくれとか、詩集にサインしてくれとか私が頼んだら、みんな喜んでやってくれます。みんなよく遊びに来ますし、いまも私の横にソ・ユジョンさんという文芸評論家がいて、文章を書いています(編注:2018年、『朝鮮日報』新春文芸文芸評論部門で「<間>を旅するヒッチハイカー:イ・ジェニの詩を読む」が当選し批評活動を開始。主な評論に「今、<私たち>の名で構築される空間」など。女性詩人の作品についての評論を中心に活発に活動し、イ・ミンハ、キム・ボクヒ、イ・ヘミ、キム・リユン、チェ・ジウンなどの詩集に解説を寄せている。エッセイ集『三本の針』がある)。
──あら! ソ・ユジョンさん、こんにちは。
いま彼女は原稿の締め切りに間に合うよう、頑張っているところです(笑) 。
──ソ・ユジョンさんはユ・ヒギョンさんのお店に作業しに来られているんですか?
書店のスペースとは別に、朗読会やワークショップをするような空間があるんです。いま私たちがいるのもそのスペースですね。作業机を片付けて、ここで朗読会などをします。
巨万の富を得ない表現形式
──とても親密さを感じる空間ですね。お話を戻しますが、詩を愛好する人たちにとっての詩の感覚というのが、上の世代と20〜30代の層とではどのように異なっているのかについても伺ってみたいのですが。
日本での詩人のイメージと言えば、貧しくて、酒とタバコをやっている、というようなものではありませんか? 韓国でも、上の世代は詩人に対してそういうイメージをもっていました。現在は違いますが……いま、横にいる評論家にかつての詩人に対するイメージを聞いたところ、「面白くない人」だそうです(笑)。
──そうですか(笑)。上の世代へのそうした重苦しいイメージには、例えば植民地主義時代から独裁政権時代までの、ある種歴史的な文脈とそれによる強い連帯共関係があるのではないか、とも想像します。そこから離れた層が生まれつつある、ということでしょうか。
さっき名前を出したオ・ウンさんの詩は、言語遊戯を含む、ちょっと軽い感じのユーモラスな表現で現代人の心情を表現したり、あるいは現代社会を批判したりするのが特徴です。また、性的少数者の問題を扱う詩人もいます。いまは、上の世代が対峙していたようにはっきりとした闘争の相手がいるわけではなく、世界のいろんなところに目に見えない壁があるようです。息苦しさを感じながらも、その社会のなかで小さな美しさを見つけるような詩が、若い人たちに響いているのではないかと思います。また、2021年前後にはフェミニズムの詩集がすごく流行りましたが、これもどちらかというと若い詩人が同世代をリードしているような様子でした。
──社会的なイシューが、「詩」という形式で表現されることには、どんな意義があると思われますか。
私はあくまで詩に限定して語っただけで、そういうテーマは小説や評論でも活発に扱われています。詩の特徴を言うとすれば、純文学としての詩は非大衆的なジャンルであり、テキストに関する理解力の高い人たちが読むので、政治的あるいは社会的な問題に対してより敏感な反応が見受けられる、ということは言えると思います。改めて強調しますが、私が述べてきたのは、すべて詩の生態系のなかでの話です。詩を読む人というのは全体からすると少数には違いないし、一般的だとはちょっと言えない。1万部売れるのは驚きだとおっしゃいましたけれども、やはり小説なんかに比べるとはるかに少ないのは確かです。詩が一般的に人気なジャンルであったら、私はお金持ちになっていたはずです。詩集専門書店も、ちゃんと調べたわけではないからわかりませんが、他にもあると聞いたこともありませんし……(笑)。
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──逆に言うと、詩がもし覇権的な人気を得ると、いまユ・ヒギョンさんがおっしゃったような、読者層が制限されている状況によって担保されている読解の質のようなものが失われてしまうかもしれない、ということですね。
そうですね。そうなったらこれまでの上質な読者層は消えて、私は巨万の富を得ると思います(笑)。
──なるほど、望ましい状況かどうか、悩ましいですね(笑)。
ちなみに2022年は、韓国では猛暑の影響か夏のイメージの詩集がたくさん出て、よく売れていました。正確な理由はわかりませんが、どうもそれらは新海誠作品のような青春の夏のイメージで、私たちの世代とは違い、それを理想郷のようなものとして見ているように思われます。70年代のコカ・コーラの宣伝にいまの人たちが郷愁を感じるような向きも、これに近いのではないでしょうか。こうした空気に敏感な詩人が、社会の雰囲気に反応して詩を書いて、読む人がまたそれに共感して詩集が売れる、というのが基本的な構造ではないでしょうか。
──日本語では近ごろ「エモい」ということばが使われますが、デジタルでありつつレトロであることへの親密な感覚は、日本の若い世代にも見受けられます。同時代性を感じますね。
……ちょっと待ってください。いま横にいるソ・ユジョンがまた「それには同意できない」という顔をしていますから、先ほど言ったことは私の個人的な考えであるということをいま一度強調しておきます。この取材が終わったら、私たちはこの件について長いディスカッションをすると思います(笑)。
次週4月18日は、詩人の大崎清夏さんによる「ハンセン病文学の新生面 『いのちの芽』の詩人たち」展にかんする特別寄稿をお届けします。国立ハンセン病資料館で開催中の同展は、自らの境遇を「変革可能な未来」ととらえ、療養所で詩作をつづけた詩人たちの作品を紹介しています。その作品世界、一言一句は、いまを生きる詩人にどのように届いたのでしょうか。今週とあわせ、2週連続で「詩」のことばと向き合います。お楽しみに。