身近な問いから探った「葬儀」と「コインランドリー」のゆくえ【編集部の声 #4】
2022年も残りわずか。これまで取り上げてきたさまざまなテーマのなかから、今回は「葬送儀礼」「コインランドリー」記事の編集・執筆担当者による取材後記をお届けします。
WORKSIGHT編集部が感じたこと、記事に込めた想い、入りきらなかった情報などを自由に書き綴る【編集部の声】。第4回では、11月に配信したニュースレター「『葬儀』に意味はあるのか? 『私らしさ』と弔いの行方」「コインランドリーは公共の夢を見る」の編集・執筆担当者による取材後記をお届けします。本編と併せて、ぜひご一読を。
Photo by WPA Pool/Getty Images
「個人」は「故人」になれるのか|工藤沙希
【担当記事】「葬儀」に意味はあるのか? 「私らしさ」と弔いの行方
2022年11月8日に配信した葬送儀礼についてのニュースレター。国立歴史民俗博物館の山田慎也先生への取材は、共同体としてのイエや宗教や会社組織が求心力を失い、個人主義的な価値観が生き方から死に方までを覆い尽くそうとするなかで、私たちは儀礼を通じてどのように相互の関係性を編み直すことができるのか、という問いに端を発している。
言い換えると、これは「死」や「儀礼」を取り巻く自律協働とはどのようなものか、という投げかけでもある。こうした関心をもとに、葬儀の変容と死生観を研究されている山田先生へのインタビューを画策していた。
そんな矢先の7月8日に、安倍元首相の銃撃事件が起こった。国内ではにわかに「国葬」の是非を問う議論が紛糾し、さらに2ヵ月後となる9月8日にはイギリスでエリザベス女王が死去したことで世論はますます熱を帯びた。これらの事象を踏まえて、国を挙げての葬儀のありようや儀礼としての位置づけについての話題を新たに加えることになった、というのが今回の取材に至るまでの経緯だ。
山田先生への取材を翌週に控えていた週末、私は国立歴史民俗博物館の最寄り駅・京成佐倉駅を出て、千葉県を東西に横断する国道296号脇のひっそりとした歩道を歩いていた。葬送儀礼についての取材の事前調査という頭のモードのせいか、道すがら葬儀場の建物がちらほらと目についた。
京成本線「京成佐倉駅」南口。国立歴史民俗博物館までは国道296号線沿いを歩いて約15分。(photograph by Saki Kudo)
改めて観察すると、斎場やセレモニーホールなどと呼ばれる建築物の素朴な外観からは神秘性も死の気配も感じられず、建具や外壁の仕上げはビジネスホテルや建売住宅のようでもある。周囲の住宅街の空気に馴染むように擬態している様子は、「死」を日常から覆い隠しているようにも感じられた。図らずも「歴博」での民俗史の展示にたどり着くまでの道中で、「死」を取り巻く共同性が生まれる会場を遠巻きに眺め、先んじて現代の葬儀のあり方に思いを馳せることとなった。
写真上:博全社 佐倉儀式殿・写真下:ウィズモア佐倉(photographs by Saki Kudo)
そのような体験も経て臨んだ取材で伺ったお話は、社会制度としてのイエと祖先祭祀との結びつき、国葬の模倣としての社葬の成り立ちなど、葬儀の変遷という視点だけで見ても大変興味深いものだった。だが会話を進めるなかで、時折小さな戸惑いも生じた。山田先生が発する「こじん」という言葉が「故人」とも「個人」とも解釈でき、しばしば判断に迷う場面があったのだ。後から落ち着いて文字起こし原稿を読み返すとほとんどが「故人」の文脈であることがわかったが、しかし、これはあながちまったく的はずれな引っ掛かりでもないように感じている。
たとえ故人が「私はみんなに迷惑をかけたくないから葬儀は一切しなくていいよ」と言っていたとしても、残された側がすんなり納得するかといえば、必ずしもそうではない。
と、記事の結びで山田先生が述べたようなことが往々にしてあるのだ。「故人」の死を取り巻く問題は、当事者「個人」の意思だけでは完結しない。これこそが今回伺ったお話の核心ともいえる部分であり、個人の意思と自由が称揚される世界にいながら、私たちが生者として、また未来の死者(故人)として互いの干渉を諦めてはならない理由のひとつでもあるのだろう。
生者と死者の共同性をつなぎとめるための第一歩として、まずは次の帰省の折に、私に心配をかけまいとする父母からしきりに話題を振られる永代供養墓について、改めて対話をしてみることから始めようかと考えている。
工藤沙希|Saki Kudo
コクヨ株式会社 ヨコク研究所/ワークスタイル研究所/WORKSIGHT編集員
9月半ばに行われたオンライン取材。左上は山田慎也先生。葬儀に関するスペシャリストで、投げかけた質問に何でも答えてくださりインタビュー時間があっという間に感じた。「葬儀」にはまだまだ面白いテーマが潜んでいそう。WORKSIGHT編集部からは、執筆を務めた工藤沙希(右上)・フリー編集者の宮田文久(左下)に加えて、WORKSIGHTコンテンツディレクターの若林恵(右下)も取材に参加。
Photo Courtesy of OKULAB
コインランドリーの“雑草的”公共性|古屋将太
長年コインランドリーを使い続けるなかで「コインランドリーにはいろいろな人が集まる」という当たり前のことに気づいた。そして「人が集まるということは、そこにコミュニティが形成される可能性があるのではないか?」と漠然と感じていた。
10年ほど前にデンマークに留学していたときも、毎週洗濯物を背負って近所のコインランドリーに通っていた。洗濯物をランドリーに放り込み、洗剤を買って投入し、コントロールマシーンにコインを入れ、スタートボタンを押す。30〜40分、窓際に座って文献や論文を読みながら、のんびり洗濯が終わるのを待つ。洗濯が終わったら素早く乾燥機に移して、もう30〜40分。コインランドリーには、リラックスしつつ集中できるまとまった時間がある。
ある日、使い方がわからず戸惑っていた高齢の女性に、使い方を教えてあげたところ、「ありがとう。私も若いときはよくコインランドリーを使っていたのよ。あなた学生?日本人?友達はできた?」と雑談したことをよく覚えている。コインランドリーには、見知らぬ人同士が交わすコミュニケーションがある。
今回、WORKSIGHT編集部に加わり、コインランドリーの可能性と限界を探求する機会を得たものの、本編冒頭で触れた通り、コインランドリーについて体系的に調査・考察した資料はほとんど見つからなかった。過去のアメリカでのビジネスモデルの経済分析やシカゴ学派的な参与観察、1980年代に行われた公衆衛生の観点からのいくつかの調査などが断片的に見つかったが、コインランドリーの全体像をつかむことは難しい。
学術的にほぼ手つかずのブルーオーシャンな対象を発見したという意味ではポジティブな側面もあったが、手がかりがないことには記事にしようがない。ということで、コインランドリー業界で活躍するおふたりにインタビューすることに。
株式会社エムアイエス代表取締役・三原淳氏へのインタビューでは、日本のコインランドリーの特徴(メーカーとフランチャイズの連携、副業オーナー、空間的な狭さ等)をアメリカとの対比で教えていただいた。たしかに日本のコインランドリーは狭い。(余談だが、90年代に三原氏が単身アメリカ・オハイオ州へビジネス契約の交渉に赴いた起業時のエピソードが大変興味深かった)
〈マンマチャオ〉店内(Photo Courtesy of エムアイエス)
元株式会社OKULAB代表取締役Co-Founderの永松修平氏へのインタビューでは、業務用洗濯機の卸売りというメーカー主導の起源から、フランチャイズによるサービスビジネス化、さらにユーザー目線での空間づくりへと至る業界の変遷について教えていただいた。コインランドリーに潜在的に宿る公共性を活かすには、行政も含むさまざまなステークホルダーを巻き込み、試行錯誤しながら実践を積み重ねていくことがカギとなるだろう。
渋谷区にある〈Baluko Laundry Place代々木上原〉入り口。大きく設けられたガラス窓のおかげで、店内は明るくオープンな空間になっている。取材担当はWORKSIGHT編集部の古屋将太・鳥嶋夏歩。(photograph by Shota Furuya)
今回のリサーチを通じて、コインランドリーの可能性と限界に関する理解を進めることができたかどうかは定かではない。しかし、かつて1981年に建築家・宮脇檀が仮託した、コミュニティとしてのコインランドリーの公共性を、一連のリサーチを経て改めて概念的に整理するならば、「雑草的公共性」と呼ぶことができるのかもしれない。おおまかには以下の3つの特徴があると考えられる。
1. 非設計的・自生的
雑草が自生するように、その場で生じる人びとのコミュニケーションをあらかじめ設計することは不可能であり、知らず知らずの内にコミュニケーションが発生し、ときには繰り返され、一定の秩序を形成してしまう。
2. 微視的
雑草が見過ごされるように、その場には、たしかに存在するのだが、積極的に意識して見ない限り、容易に見過ごされてしまうほど微かなコミュニケーションや社会的秩序が形成されている。
3. 非ヒエラルキー性
雑草同士が競い合って序列をつけることないように、人びとは等しく同じ目的を達成するために集っているに過ぎず、その場に内在的なヒエラルキーは生じない。
本編でしばしばコインランドリーが植物的な比喩で語られていたことに気づいた方がいるかもしれない。まさに捉えどころのない、コインランドリーの雑草的公共性が滲み出てしまったのだろう。
最後に、コインランドリーについて考え続けた約半年間の最大の発見は、雑談でコインランドリーの話題を振ると、思いのほか盛り上がるということだ。洗濯は誰もが日常的に行う。つまり誰もが直接・間接的に、コインランドリーのステークホルダーなのである。
WORKSIGHT読者の皆さまには、ぜひ近所のコインランドリーで洗濯・乾燥を待ちながら、雑草的公共性に思いを馳せてもらいたい。
長年のコインランドリーユーザーである古屋。国内外のランドリーを使いながら、その可能性について思いを巡らせ続けてきた。写真上はデンマーク留学中に愛用していたコインランドリー。写真下は仕事で訪れていたベルリンにて、コインランドリーに隣接されたカフェスペースでの1枚。空き時間においしいコーヒーや食事を楽しむことができる。(photographs by Shota Furuya)
付録:コインランドリーを快適に使うためのTips
コインランドリーユーザーにはお馴染みかもしれないが、コインランドリーをみんなで気持ちよく使うためのTipsを紹介しておこう。
1. 混雑時間を避ける
せっかく重い洗濯物をもってきたのに、すべての洗濯機が使用中で、いつまで待てばいいのかわからない状況は苦痛以外のなにものでもない。最近はインターネットや専用アプリで稼働状況を見ることができるコインランドリーもあるので、できるだけ混雑時間を避けて使うのがいいだろう。週末や休日の日中は混雑しがち。
2. 洗濯・乾燥が終わったらすぐに取りに行く
Tips 1 にも重なるが、洗濯機・乾燥機の台数が限られているなかで、洗濯・乾燥が終わっているにもかかわらず、いつまでも回収されない状況もまた、次の利用を待っているユーザーのストレスを高める。洗濯・乾燥をセットしたら、必ずスマホにタイマーをセットして、終わったらすぐに取りに行こう。
3. コインランドリーユーザー以外は両替機を使わないで
コインランドリーには両替機があるが、コイン切れで両替できないことがよくある。この原因を独自に調査したところ、近隣のお店の人がほぼ日常的に紙幣を両替していることが観察された。電子マネーやクレジットカードに対応するランドリーが増えつつあるが、コインランドリーの両替機はやはりコインランドリーユーザーのためのものなので、ランドリーを使わない両替常習者は自重願いたい。
古屋将太|Shota Furuya
特定非営利活動法人環境エネルギー政策研究所 研究員/上智大学法学部 非常勤講師/WORKSIGHT 編集員
快く取材を受けてくださった国立歴史民俗博物館の山田慎也先生、株式会社エムアイエス代表取締役・三原淳さん、元株式会社OKULAB代表取締役Co-Founderの永松修平さんに心からお礼申し上げます。ありがとうございました。 まだお読みでない方はぜひご一読ください。
◉「葬儀」に意味はあるのか? 「私らしさ」と弔いの行方(11月8日配信)