洗いざらしのコミュニティ:コインランドリーは公共の夢を見る【前編】
公衆浴場の脇の小さなランドリーから、ロードサイドの新しく大規模なランドリーまで──コインランドリーは、人によっては日々利用したり、よく横を通ったりしている場所であるにもかかわらず、積極的に語られることは少なかった。そんな洗濯の空間にはかねてより、草の根の「コミュニティ」の場としての期待が、ひっそりと寄せられてきた。公共の夢が今日も、洗濯機のなかでゆっくり回っている。
この記事は、編集部員のひとりが熱心な、そして長年のコインランドリーユーザーであり、国内外のランドリーを使いながらその可能性について思いを巡らせつづけてきたことに、端を発する。ただ、実際に企画として進めようとすると、途端に壁にぶつかった。あまりにも、資料が少ないのだ。
コインランドリーがこれまで総合的に(ビジネスとしての側面とは別に)、正面から語られる機会は、非常に少なかったようだ。後述するわずかな資料を除き、その歴史をきちんとまとめているようなものも、ほとんど見当たらない。手がかりの乏しさに、半ば天を仰ぐような状況だった。
こんなにも日常生活のあちこちでコインランドリーを見かけるのに、なぜか大っぴらに語られることは珍しいのである。あまりに当然の存在だからこそ、見過ごされているのかもしれない。しかし、洗濯に集うユーザーから広がる「コミュニティ」の拠点としての期待もまた、一部では語られつづけてきた。それはまるで、既存の公共の外、あるいは裏側で語られる、公共の夢といえるだろう。
手がかりが少ないならば、コインランドリーを運営する当事者たちに、生の声を聞きながら考えを深めていこう。そう思いを新たにした私たちは、2名にインタビューを申し込んだ。
ひとりは、株式会社エムアイエス代表取締役・三原淳氏。2000年の起業以降、環境配慮型エコランドリー〈mammaciao(マンマチャオ)〉のフランチャイズ展開を進める、コインランドリー界の生き字引だ。
もうひとりは、元株式会社OKULAB代表取締役Co-Founderの永松修平氏だ。2016年の創業から〈Baluko Laundry Place〉をフランチャイズ展開。スタイリッシュな内装、店舗によってはカフェを併設するなど、ランドリーのイメージを刷新してきたひとりである。
ときに対照的、ときにシンクロする両者の声を聞きながら見えてきたのは、茫然とした手がかりの少なさこそが、もしかしたらコインランドリーの面白さなのではないか、ということだった。語られぬままに広がる店舗やユーザー。しかし捉え直せば、そこではたしかに自生的なコミュニケーションが生まれているようにも感じられたのである。
photographs by Kaori Nishida
interviewed by Shota Furuya / Kaho Torishima
text by Fumihisa Miyata
40年前に夢想された、コミュニティ・ランドリー
まずは、どれだけコインランドリーが私たちの日常に溶け込んでいるのか、日本社会に限定したものとなるが、数字で確認しておこう。
厚生労働省「コインオペレーションクリーニング営業施設に関する調査」(平成25〔2013〕年度)によれば、同年度の施設数は16,693。平成8(1996)年度の10,228という数字からは、1.5倍超の増加となる。業界の情報誌「ランドリービジネスマガジン」はバックナンバーがすべてオンラインで公開されているが、2021年秋号(vol.15)に掲載されている媒体独自の予測値によれば、2019年度の国内コインランドリー施設数は21,500程度とされている。
日常の片隅に、コインランドリーは息づいている(写真提供:エムアイエス)
これだけの数の空間が各地域に生まれていれば、コミュニケーションの場としての利用も考えられていくというのは、不思議なことではない。しかもそれは、現在に限った話ではないのだ。たとえば、いまから40年以上前にも、ランドリーの新たな活用を提唱している人物がいた。
今回、手がかりとすることができた数少ない資料のひとつに、『コインランドリーの歴史 1991年版』(全国コインランドリー連合会 編)がある。そのなかに、1981年に建築家・宮脇檀がしたためた文章が転載されている。
宮脇といえば、その2年前の1979年には日本建築学会賞作品賞を受賞し、街並みやコミュニティに関しても考察と実践を進めた建築家である。その宮脇が、ソニートレーディング発行の『コミュニティ・ランドリーガイドブック』なる書籍に寄せた文章が、『コインランドリーの歴史』にも収録されているのだ。やや長文、かつ再引用となるが、見てみよう。
“コミュニティ''という新語がある。(引用者略)人が集まって住むには、集まって住む事のメリットをフルに活用しなければ意味がないのに、どうも日本人はまだまだそういった機会を利用する方法を知らない。例えば、近くへのちょっとしたショッピングの時や、子供たちの遊び場で、保育園への送り迎えの間にもその可能性が秘められている。新しく発生しているコミュニティ・ランドリーも、若者たちがただ白けて座っている場ではなく、アメリカ並みの情報交換やコミュニケーションの場として一種の風俗化することが充分考えられる。
夫婦共稼ぎ、省エネルギー、時間の有効利用の時代に入ってきているのだから、単に物を洗い干す場としてではない生活の重要な場にしたいものだし、そうした場づくりの方法はありそうだ
駐車場で待つのはもったいない
宮脇のことばは2022年の現在においても十分にリアリティをもつものであり、実際にそうしたコミュニティとしての活用にトライしてきたのが、OKULABの元共同代表・永松氏だ。
取材が行われたのは、2022年9月時点で180店舗を超す〈Baluko Laundry Place〉のフラグシップ店である、〈Baluko Laundry Place 代々木上原〉。日当たりのいい店内には、洗濯をしているあいだにコーヒーや軽食を楽しめるカフェも併設され、ドッグリードも用意されている。永松氏が追求する、こうしたフレッシュなコインランドリーの姿は、「ユーザー目線」から生まれたものなのだという。
カフェが併設された〈Baluko Laundry Place代々木上原〉の店内で、談笑する永松氏。元家電メーカーのエンジニアでもある。
「いままでコインランドリーを使っていないかった層の方々に、ランドリーの良さに気づいてもらいたい、『自分も使いたい』と思ってもらいたかったんですよね。そのためには居心地や使い勝手の良さ、設備のクオリティなどをしっかり担保したい。そういうコインランドリーこそ、自分は使いたいと感じていました。
従来なら、洗濯・乾燥を始めたら、終わるまでその場でじっと待つか、他のどこかへ行く、あるいは駐車場がある店だったら車のなかで待つ、ぐらいしか選択肢がなかった。それって、もったいない時間の使い方だなと思うんです。30分でも1時間でも、まとまって空く時間って日常生活でなかなかなくて、貴重ですよね。そんな空き時間を、単なる待ち時間ではなく、ポジティブなものにできたらいいなと思って〈Baluko Laundry Place〉を始めたんです」
こうしたコインランドリーの“拡張”は、日本国内に限った話ではない。たとえば、ノルウェーにある〈Café Laundromat〉には、ランドリーとカフェのみならず、図書館が併設されている。ベルギーの〈WASBAR〉では、レストランと床屋がユーザーの憩いの場となっている。
〈Café Laundromat〉Webサイトより。落ち着いた空間で読書ができそうだ。
〈WASBAR〉オフィシャルの紹介映像。レストランで食事を楽しみ、床屋でくつろぐ様子が見て取れる。
日本では難度が高い?
こうしたコインランドリーの可能性に関して、エムアイエスの三原氏も、一定の理解を示す。創業20年以上の歴史を経て、〈マンマチャオ〉はいまや、全国で500店舗以上を数える。街の隅々に息づいたランドリー・チェーンを率いる三原氏は、「初めてで使い方がわからず、まごまごしている人に、『こうやってやるんだよ』と教えてくれるご年配の女性は、よく見かけます」と笑顔で話す。
日が差し込む〈マンマチャオ〉の店内。三原氏は、現在のコインランドリー界を築いた主要人物のひとりである(写真上のみ、エムアイエス提供)
長期にわたって国内外のコインランドリー界を見つめてきた三原氏。「アメリカのコインランドリーで、ビックリする例を見たことがあります」という。
「いまはもうなくなってしまったチェーンなんですが、ど真ん中に大きなコインランドリーがドンと構えた左右に、ケンタッキーとスターバックスがある。そんな構図で店舗を構えていたんです。つまり、小さな産業に見えるランドリーのほうが、むしろメインの立場として場所をおさえ、『ここで展開するけれど、一緒にやる?』という感じでケンタッキーとスタバを呼んだ、ということだったんですね」
アメリカでの、目を見張る光景。ただ、三原氏はコインランドリーのことを知悉するがゆえに、日本でのむやみな“拡張”には慎重な意見をもっている。
「アメリカでは洗濯機が50台、乾燥機100台というような巨大な店舗が普通です。それに比べて日本のランドリーは面積が限られがちなので、たくさんの人が集まってしまったらどうしても混みあって、洗濯をしたいという本来の目的をもった人の邪魔になってしまう──そんな状況が生まれる場合もあるだろうと思います。
また、日本のランドリーはほとんど副業のオーナーの方々の手によるものです。ですから、洗濯とは関係がない、何が目的なのかわかりづらい人を手放しでは歓迎できない、そんな心持ちは当然あるわけです。カフェなども、単にランドリー目的ではない方にきてもらえる可能性は広がる一方で、人件費の問題や衛生管理の手間など、大変な側面もありますよね」
ランドリーをランドリー以上のものにする試みは、こうした困難と隣り合わせであるということは、冷静な指摘として非常に重要なものとなる。
ではこうした困難を踏まえてなお、カフェ以外に、どんな試みが広がりつつあるのだろうか。OKULABの取り組みを、ふたつ取り上げる。
地域の拠点に組み込まれるランドリー
ひとつは2022年3月、神奈川県愛甲郡愛川町にオープンした〈春日台センターセンター〉だ。これは誤記ではない。昭和40年代から平成末にかけて同地で愛されたスーパーマーケット〈春日台センター〉を、再び町のよりどころ=「センター」に置く取り組みとして、社会福祉法人愛川舜寿会が運営を担う地域共生文化拠点だ。
高齢福祉サービス、障害福祉サービスが受けられるほか、人びとの学び舎となる「寺小屋」や、なんでもない場所を標榜する「コモンズルーム」などが設置された施設内において、OKULABは「洗濯文化研究所」(コインランドリーと洗濯代行サービス)をプロデュースしている。永松氏は語る。
「洗濯代行の作業は、障がい者のある方にも担っていただいています。建築家・金野千恵さんが設計した建物がとても開放的で、子どもたちが学校の帰りに歩いて通っていったり、地域の方が集ったりする場所になりつつあります。そのなかにコインランドリーもある。たまたま私が現地にいた日、近くに住む、パートナーの方が亡くなられておひとりのおばあさんがいらっしゃいました。その方が、こんな集まれる場所ができて嬉しい、と話しかけてくださいました。そうした方も、ここに来ていただければ、話し相手がいるんですよね」
〈春日台センターセンター〉Webサイトより。「洗濯文化研究所」の文字とランドリーが見える。
2023年5月頃の完成を予定しているのは、北海道の北東部に位置する、小清水町の新庁舎だ。OKULABが関わるのは、その1階の一角にあるランドリーである。「全ての町民に開かれた1F」と謳われ、中央にストリートが設置される建物のなかで、ランドリーも町民の居所のひとつとなる。
小清水町Webサイトで公開されている「小清水町防災拠点型複合庁舎建設実施設計(概要版)」のうち、「(1)計画概要、平面計画」より1Fの平面計画、および「(5)イメージパース」よりコミュニティスペースのイメージ 。新庁舎の中央西側にランドリーが設置される。
「防災拠点型複合庁舎」と銘打たれているように、ランドリーと「防災」も結びついていく。「普段から行かない場所が防災拠点になっていても、いざというときにどこにあるかわからないですよね。洗濯もできれば防災拠点にもなる、ということは重要だと思います。災害のときに、実は洗濯というのは困るポイントなんです」という永松氏のことばは、2022年9月、台風被災により静岡市内で断水が発生した際、稼働しているコインランドリーのツイートまとめがシェアされていたことでもよくわかる。
「フェーズフリーという考え方があります。日常と、災害などの非常時というふたつのフェーズをフリーにするという意味で、身のまわりに普段からあるモノやサービスを、非常時にも役立てられるようにするんです。日頃からランドリーに来ていただくことが、被災時の安心にもつながっていくんですね」
コインランドリーの日常こそが、可能性なのだ。永松氏はいわゆる公共空間のなかにランドリーをビルトインする試みに挑戦しているが、それはそもそもランドリーのなかに公共の種が埋まっているからこそなのだろう。
知らぬ間に時計の電池が交換されている場
エムアイエスの三原氏も、「実は、オーナーさん同士のつながりというものはすごく深いんですよ。私が知らないところも含めてかなりネットワークがつながっていることがあります。たとえば新人のオーナーさんが別の系列店のオーナーさんに、お店のインスタグラム経由でコンタクトをとって、わからないことを教えてもらうということもあるようです」という。「本部としての立場はないんですけどね……(笑)」と相好を崩す三原氏だが、この自然に広がりゆくネットワークもまた、コインランドリーに元来根付く公共性なのだろう。
冒頭に、コインランドリーの世界には、手がかりが少ないと述べた。ネガティブなようでいて、それはポジティブなあり方なのかもしれない。表面化しないネットワークや関係性が、ランドリーをランドリーたらしめている。三原氏のことばは印象的だった。
「私の母親も、十何年とコインランドリーの店舗を続けているんですけど、店に置いてある時計の電池が、いつの間にか新しくなっていたことがあったんですよね。知らないうちに、お客さんの誰かが替えてくださったんです。あと、その店には箒(ほうき)と塵取りが置いてあるんですが、監視カメラの映像を見ていると、1日に3回ほど、掃除をしてくれている人がいるんです。しかもひとりの人じゃなくて、3人の方がバラバラの時間に、場内を掃いてくださっている。自分の場として認識してもらえているんでしょうね。昔はテレビを置いている店舗も多かったんですが、気づけばリモコンの電池が交換されていた、ということもよくありましたね」
さて、すこし立ち止まって考えてみよう。ここまで語ってきたようなコインランドリーの性質は、どんな歴史的な経緯によって形成されてきたのだろう? 実はまだ、コインランドリーの産業史には、ほとんど触れていない。私たちは後編で、わずかな手がかりと経営者たちの声をもとに、コインランドリーの歩みをたどっていくことになる。
次週11月29日は「“津々浦々”に至る産業史:コインランドリーは公共の夢を見る【後編】」をお届けします。コインランドリーの歴史をたどりながら、その広がりゆくネットワークに秘められた公共性を考えます。