「葬儀」に意味はあるのか? 「私らしさ」と弔いの行方
生き方における「私らしさ」が称揚される社会では、死後にも「その人らしさ」が希求される。組織的な顕彰として行われる国葬ですら、いまやその潮流に近づきつつあるようだ。縮小化しつつも「らしさ」を求める個人レベルの葬儀と、肥大化しつつも同じく亡き人の「らしさ」を追求する国葬。現代人はどのように、死者との共同性を設計するべきだろうか。日本の葬送儀礼の研究者と、葬儀の変遷をたどり、考えうるプロトコルを探る。
1967年10月31日、日本武道館で行われた吉田茂元首相の国葬(Photo by Bettmann/Getty Images)
自分が死んだらどんな葬式を挙げてほしいか、考えたことはあるだろうか。自由にこうした想像ができるのは、現代の私たちがイエなどの規範と抑圧から解放されつつあるからだ。しかしそれは他者と共有できる拠りどころのなさと裏表の関係であり、「人に迷惑をかけるな/かけたくない」という自己責任論とも隣り合っている。
こうした“誰かの死と社会”という普遍的な問題を考えるべく、葬儀の変容と死生観を研究する国立歴史民俗博物館の山田慎也教授に話を聞いた。すると、個人の葬儀と組織的な「国葬」や「社葬」との意外な共通点──他者の死に際し、葬儀に意義を付託すべく試行錯誤してきた日本社会の姿が浮かびあがってきた。そこから未来の葬儀の役割もまた、見えてくるだろうか。
interview by Saki Kudo/ Kei Wakabayashi/ Fumihisa Miyata
text by Saki Kudo/ Fumihisa Miyata
山田 慎也|Shinya Yamada 民俗学者。国立歴史民俗博物館民俗研究系教授、同館副館長。1968年、千葉県生まれ。慶應義塾大学大学院社会学研究科社会学専攻博士課程単位取得退学。博士(社会学)。主著に『現代日本の死と葬儀:葬祭業の展開と死生観の変容』、共編著に『無縁社会の葬儀と墓:死者との過去・現在・未来』『変容する死の文化:現代東アジアの葬送と墓制』など。
「私らしさ」へ収斂する国葬
誰かが死ぬと、残された人は悲しみ、嘆きます。それを乗り越えるためのものが葬儀、すなわち葬送儀礼です。こと日本においては──細かな議論や変遷はあるのですが、ひとまず端的に述べますと──仏教、つまり宗教的な意味付けに加え、家制度と祖先祭祀が結びつくかたちで葬儀が行われてきました。しかし、戦後の都市部の核家族には葬儀に関わる地域の縁者が少ない。旧来の葬儀は、成立しづらくなります。
なんとか家に根ざした葬儀を続けるも、葬具などの手配はできなくなっていくので葬儀社が補完する……というかたちが一般化します。1990年代以降には、社会の個人化・少子化と共に、現代の葬儀や墓に伴う「無縁」の問題も生まれ、葬儀はどんどん簡略化・小規模化しました。
一方で、血縁者以外の組織が葬儀に関わる例の一つが、社葬、つまり会社が葬儀を主催するものです。後ほど詳しく言及しますが、明治以降、会社などの組織・団体が葬儀を実施することが増えました。
そしてもうひとつ、血縁者以外が主に関わる葬儀のかたちが、最近日本でも議論を呼んだ「国葬」なのです。国葬は個人の葬儀とは異なり、基本的には死者の顕彰のために行われる性質のものです。
2022年9月19日、エリザベス女王の国葬に際し、人びとは沿道や公園を献花で埋め尽くした。写真は、埋葬式が行われたウィンザー城のセントジョージ礼拝堂に至る道(Photo by WPA Pool/Getty Images)
例えば、先日イギリスのエリザベス女王の国葬が行われました。これはイギリス国教会方式で行われましたが、一方日本の安倍元首相の国葬儀は無宗教形式とされ、生花祭壇や8分間の故人の動画の映写などが組み込まれました。宗教性よりも「私らしさ」を押し出す様子は、ある意味個人の葬儀に近い流れではないかと私は考えています。
このように、個人化する葬儀と組織的な葬儀、ふたつの表現が近づいているという状況にはどのような背景があるのか。日本における葬送儀礼の成り立ちから振り返って考えてみたいと思います。
他の誰かの死、いずれ訪れる私の死
そもそも葬儀という行為の発端は、人間が、自己の死の経験からではなく、他者の死を経験することによって「人はいずれ死ぬ、ということは自分もいずれ死ぬのだ」と認識したことと、言語的なコミュニケーションによる抽象的思考ができるようになったことにあります。これは人間と動物の大きな違いでもあります。
人の死を目の当たりにすることと、それが自分ごとになるということ、このふたつの経験のあいだには、いささか乖離があるように思われるかもしれません。しかし、長らく人間は多死社会を生きてきました。近年、感染症の恐怖を改めて私たちは味わっていますが、それでもかつての多死社会と、現代の我々の日常は異なる。若い年代の人も含めて、死の恐怖というものは常にあったことを考えてみれば、他人の死が自分ごとになるのは、そう不思議なことではないでしょう。
死の理解は、常に他者を通じてしか起こりえない。つまるところ、死という概念を認識するには、他者の存在があって社会が成立している状況、つまり他者との「共同性」が求められるのです。
他者の死を認識することと、その際に不安や悲しみを抱くことは不可分ではありますが、葬儀という行いは、腐敗していく遺体に物理的に対処する過程を通してそれらを乗り越えるための性質をもっています。
こと日本の葬儀は、まさに「繰り返しの確認」(波平恵美子氏)です。遺体を横たえ、通夜や出棺で何度もその顔を見る。火葬場で骨になって出てきたら、あきらめと共に改めて遺骨を拾う。そうした遺体の変化を確認するプロセスが、葬儀の中心にあるのです。
人間が生きているあいだは、肉体と人格が不可分です。例えば山田慎也というひとりの人間はこの身体をもって話し、行動し、人格と一体化しています。ところが、死んでしまった後は、その関係性が変わる。肉体こそ無いけれども、遺体を取り扱う葬儀という行為を通じ、人びとの記憶や霊魂のようなかたちで「あの世にいる」「どこかにいる」という認識に変わるのです。
もちろん霊魂という存在自体は現代社会において否定されていますが、それにもかかわらず私たちは、誰かの死後なお遺影や墓に語りかけることがありますよね。このように、生きている人は遺体の取り扱いを通じて悲嘆を乗り越え、死者は生きている人に対して何らかの影響を及ぼす存在になっていく。葬儀とは、社会のなかで死者と新たな関係を取り結ぶための行いだと考えることができます。
2022年9月19日、ウェストミンスター寺院近くのホース・ガーズ・アベニューで弔意を表す人びと(Photo by David Davies - WPA Pool/Getty Images)
葬儀は遠くなりにけり?
他者との共同性のもとで死者と新たな関係を取り結ぶ際、そこに宗教が絡むことで死の問題に意味を付与されるということは、世界中さまざまな社会で見受けられます。例えばキリスト教では、人は亡くなった後で最後の審判を受けるという終末論的な意味付けがなされる。あるいは仏教では、極楽浄土や地獄のように死者の世界を想定して、現世の倫理を問うような意味付けがなされます。
日本社会においては、仏教的な死者儀礼と、先祖をまつり加護を祈る祖先祭祀とが融合し、死生観に大きな影響を及ぼしてきた長い歴史があります。
特に、戦国末から江戸時代にかけて庶民のあいだにもイエ意識が広まり、イエという個人の生命を超越した組織体を連続させようとする価値観が浸透し、家の源流となる先祖に対する崇拝が生まれました。ちょうどそこへ、キリスト教への対抗策として徳川幕府が始めた「寺請制度」という仏教統制が重なります。年忌法要、つまり仏教における死者儀礼を徹底して行うべし、という意図の政策です。それが先の祖先祭祀と結びつきイエは社会制度として浸透し、さらに明治時代になると、家督相続という法制度によってイエの法的なシステムが強化されてきたわけです。
明治期の葬列を描いた「功道居士葬送図」(国立歴史民俗博物館所蔵)
しかし、戦後の高度経済成長期には、そのシステムからの離脱が起こります。イエの封建性・抑圧性からの解放ともいえるでしょうか。多くの人が都市に出て、給与所得者になって、新たな家庭をつくって核家族になりました。ところが葬儀に関しては、従来のシステムが維持されます。
都市部の核家族には地域ぐるみの支援がない代わりに、勤め先との関係、すなわち社縁によって故人の会社の関係者などが葬式に参列し、時には式の差配もするようになりました。ただ、会社の人間が伝統的な(イエの)儀礼を行なうための葬具を準備することはできません。そこで葬儀社にそれらを依頼するわけです。少なくともバブル期までは、経済成長による豊かさがそうした外部補完を可能にしていました。
このような葬儀と墓の維持によって、何とかかたちだけはイエの存続が可能となっていました。ただ、1970年代の第2次ベビーブーム以降は少子化により家の後継者が途絶え始め、下の世代は親族も減って葬式の参列者も少なくなる。そしてとうとう90年代以降には、そのひずみが明確になり、墓の維持も困難になりました。
バブル崩壊とグローバル経済により終身雇用も危ぶまれる社会では自分の老後さえ不安なのだから、お墓や葬儀のことまで手が回らない。また非正規雇用が増加するなかで、知人の親や、顔も知らない人の葬式に出ることが負担になり、社縁による葬式への参列も下火になります。
そうして祖先祭祀の連続性も途切れ、関係者に告知しない「密葬」や血縁者に限る「家族葬」ということばも生まれていく。葬儀の小規模化と、「子どもや親類に迷惑をかけたくない」という個人化が、自己責任論も伴いつつ急速に進んだのが現代の状況であるといえます。
社葬は、国葬を模倣することから
基本的にどの社会でも葬儀は家族、すなわち血縁者が担ってきた歴史がありますが、血縁者以外の組織が積極的に葬儀に関わるようになった事例として、社葬と共に挙げられるのが国葬です。イギリスのエリザベス女王の国葬でも日本の安倍元首相の国葬儀でもそうでしたが、軍隊(日本の場合は自衛隊)が参加していましたね。歴史的に、国葬は対外戦争の功績者、戦死者を称えるセレモニーであり、国家が死者を悼む共同体として機能するために行われてきたものです。だからこそ、国を挙げて死者を顕彰するという振る舞いのために国家の実力部隊が関与する必要があるわけです。こうした、死者を称える儀式を通じて国家を共同体たらしめるという発想が近代日本にももち込まれ、岩倉具視の国葬を皮切りに戦前まで行われるようになりました
上:2022年9月19日、エリザベス女王の棺を運ぶ8人の近衛兵(Photo by Christopher Furlong/Getty Images)
下:2022年9月27日、安倍元首相の国葬には1,000人を超える自衛隊員が参加した(Photo by EPA / Franck Robichon / Pool/Anadolu Agency via Getty Images)
こうした流れのなか、明治の終わりごろになると社葬ということばが生まれてきます。国葬の「国に貢献した人を称える儀式」という発想が、「組織に貢献した人を称える儀式」という考え方にパラレルにシフトしたのが社葬です。
戦前においては、誰か組織の代表者が亡くなると、費用を負担する、人的な支援をするといった具合に、会社組織や学校組織が主導して功績を称える式を行いました。戦後、昭和40年(1965年)ごろは高度経済成長期に創業した会社の代表者が亡くなり始めた時期で、より社葬が発達していきます。
また、社葬の成立を捉える上でもうひとつ重要なのが、組織の永続性、いわゆる「ゴーイング・コンサーン」の考え方です。
実は、社葬に踏み出した企業というのは、明治にできた新しい業種──例えば銀行や新聞社などが比較的多い。江戸時代から続く商家の御店(おたな)、例えば三井や住友などでは、当主が隠居して亡くなっても御店は続くという共通認識がありました。だから社葬なんて行う必要はないのです。ところが、新しくできた業種の会社は、トップが亡くなるとそれがそのまま組織の危機になります。だから、きちんとお葬式をやってイエに擬制させることで、当主が死んでも会社は問題なく続くのだと思ってもらうんですね。
三菱がその典型的な例です。たしかに、創業者の岩崎彌太郎が死んだときにはまだ社葬ということばはありませんでした。しかし彌太郎の死亡広告を出す際に、跡を継ぐ彌之助の名前で「社長の任相続仕り候」、すなわち「社長の任を相続して、業務には影響を与えません」という宣言を必死でしたわけです。しかも喪主としては遺族代表でもある岩崎久彌の名前を出すことで、葬儀を行う主体としてのイエを連想させた。こうした考え方を元に社葬が行われるようになり、だんだんと故人の顕彰の側面が強くなってきて、戦後はむしろそちらの要素が大きくなったのです。
誰が先に焼香をするか、それが問題だ
イエ単位の葬儀の場合、当主や先代が亡くなるということは、親族の関係性の均衡が崩れてしまうことにつながりかねません。そのような時に何が重要かというと、例えば葬列の順番とか、焼香の順番です。葬列というのは単に参加するだけではなく、誰が何をもって並び何番目に焼香するかが肝で、それがそのまま今後の序列になるわけです。結婚式の席次と同じですね。それまでなんとなく同じ立場で扱われていたAさんとBさんの序列が、葬列や焼香という場の下で明らかになってしまう。
ですから、葬儀というのは実はトラブル発生の場でもあり、ひいては社会関係の再編成の場であったということなのです。故人の社会的役割を再分配して新たな関係性を取り結ぶ場が親族を中心につくられていたのが、伝統的なイエ社会といえるでしょう。国葬でも社葬でも、所与としてのかたちではなく、そこに政治性が絡んでくる。
日本の葬式においては、そうしためんどうくささを避ける過程で告別式という形式が広まったんです。告別式は戦前の都市部の中間層以上の階層で広まった葬儀形態ですけれども、「もう葬列もやめて、ただ同じ場所に集まってやりましょう」と。そうすれば多くの参列者を捌ける上、序列が明確になることを避けられますから。
関連して、一時社葬で流行ったのが、ドーム社葬です。ある中小企業の社長の場合、ドームを会場にしてたくさんの参列者を呼ぶ。会場が小さく順番が後ろだったがために、お焼香まで外で雨のなか並んでいたとか、そういう序列ができるのを嫌ったということですね。
「故人らしさ」のキャンバスとなる生花祭壇
弔問客を迎える側の形式については、序列化とその解体以外にも触れるべきところがあります。国葬を例に上げると、先日の安倍元首相の国葬儀は「無宗教形式」とされましたが、無宗教というのは、なんでもありで拠りどころがありませんよね。そこで、無宗教形式での団体葬には自由にデザインができる生花祭壇がしばしば採用されてきました。つまり、生花祭壇は、故人の功績やパーソナリティや思いを描き出すキャンバスとして使われてきたんです。
2022年9月27日、安倍元首相の国葬にて日本武道館に設置された生花祭壇(Photo by Takashi Aoyama/Getty Images)
戦前の国葬は、すべて神道に基づく神葬祭形式でした。ところが、戦後初めての国葬とされる吉田茂の国葬儀のときには、政教分離の原則に基づく必要がありました。実は吉田は死の間際の土壇場でクリスチャンになったのですが、国葬としてキリスト教式を採用するのはできないという話になり、そこから「無宗教」形式の国葬が生まれたんですね。
そこで当時無宗教形式のモデルとして参照されたのが、戦没者追悼式の標柱を取り巻く生花です。吉田の国葬では、国家の葬式であることを表すため生花で日の丸が大きく描かれていました。とはいえ、日の丸との関連性を積極的に謳っていたというわけではありません。
故人の意図を乗せるキャンバスのような位置付けの生花祭壇はそこから発展し、特に団体葬が一般化・無宗教化する80年代において積極的に使われるようになります。加えて、功績や思い出を振り返る動画を流したりして、故人の「私らしさ」を補填する。それは現代において個人の葬式を取り巻く、宗教性よりもむしろ故人らしさや個性のようなものを優先する、という流れに沿ったやり方だと見ることができます。
個性の表出にとどまらない葬儀の模索
従来の、高度経済成長期に全国に普及した告別式を中心とした葬儀形態が縮小化・個人化によって廃れていくなかで、故人らしさを重要視する価値観が台頭してくる。それには、従来の宗教的な信仰が必要なくなったという要因も大きいと考えられます。もともと日本の宗教は、多くは儀礼、すなわち行為を前提としていました。いまでも墓参りという行為はたいへん象徴的に行われますけれども、じゃあ「信仰がありますか?」と聞くと、多くの人は否定するでしょう。
要するに、宗教の枠組みで問われると、私たちは信仰という内面的な観念で考えてしまうんですよね。そこで、「信仰心がないから無宗教だ」という言い方をしてしまう、そうしたズレのようなものが、「私らしさ」の重視に帰結していく。先の団体葬にしても、故人が死後どのようになるのかという問題についてはほとんど関心がない。現世において故人がどれだけのことをしたのかという貢献に対する、記憶をベースにした顕彰なのです。
現在の葬儀を取り巻く状況では、そうした故人に対する記憶を元にした思いを表現する形式はさまざまに発達しています。故人らしい葬儀、故人らしい祭壇、もしくはそれらにはお金をかけず故人の思い出の品をつくる、などといったように。動画メディアやSNSの発展・浸透が、そうした事態にさらに拍車をかけるかもしれません。
スマートフォンで見る、エリザベス女王の国葬の配信(Photo by Mike Kemp/In Pictures via Getty Images)
しかし、それでも今後なお課題になってくるのが、誰もがいずれそうなる、避けられない存在としての「遺体」と私たちがどう向き合うのか、ということでしょう。多くの人びとと共有できた宗教観にかわるものは、もうない。もはや、この行為さえやればとか、昔の方法に戻れば万事解決ということもない。遺体を前に、個々人が多様な死生観をもつなかで、それをどう認め合い、互いに認識していくのかを考えなければならない。そうした認識のすり合わせが行われないと、もはや葬送儀礼の場、すなわち悲しみを乗り越え死者と新たな関係を結ぶ場そのものが成り立たない、ということになってしまうでしょう。
生者と死者の共同性のためのプロトコルを
どうしても現在は死にゆく本人の意思というものが尊重される傾向にありますけれども、取り沙汰されるべきは当人の思いだけではないんです。これは医療における自己決定の議論の延長線上にもある話ですし、死別の悲しみを乗り越えていくグリーフワークにも関連した話です。
実際に、私の母が急に倒れて危篤状態になったときに、お医者さんから「もう(延命は)いいんじゃないですか?」と、看取りを勧められるという出来事がありました。しかしこちらとしてはそんなにすぐに家族の死を受け入れられない。
この10年ぐらいで、日本の社会はお金がかかる終末期医療の費用を削減する方向へシフトしてきています。ただ、もし仮に母が「延命は必要ない」というような遺言を残していたとしても、個人の死を取り巻く問題は、残される人びととの関係性の問題でもあるのです。死にゆく当事者の自己責任論だけでは、語ることができない。
葬儀の話に戻すと、たとえ故人が「私はみんなに迷惑をかけたくないから葬儀は一切しなくていいよ」と言っていたとしても、残された側がすんなり納得するかといえば、必ずしもそうではない。やはり故人に対する思いがあるから、何らかのかたちで寄り添いたい。しかし故人が遺言で指示したから何もできない。それで結局どうにもうまく死を受け止められない、というようなこともあるわけです。
ですから、これからの共同性を考えるにあたって、死にゆく本人と残された側がそれぞれの思いを共有し積極的に関わっていくことで、社会的なつながりを可視化する過程に意識して取り組む必要があります。
これまでは、難しく考えなくてもとりあえず人が死んだら葬式はこうやるんだという慣習があったから、封建的な側面があったとしても楽だったことには違いありません。だけども、それでは納得できない人たちが増えた現在においては、当事者が、故人と残される人びとにとって何が最適なのかをその都度考えなければいけない。
しかし、死について考えるのは悲しいこと、嫌なことでもありますから、むしろ熟慮しない方向のまま何もしないといった、ある意味では不幸な状況も生まれつつある。そこにあえて目を向けて、生者と死者の共同性を構築するための儀式のプロトコルのようなものを考えていかなくてはいけないのだと思います。そのプロトコルのなかに、死の悲嘆を乗り越えるグリーフワークも、新たなかたちで組み込まれていくのではないでしょうか。
次週11月15日は、民俗学者・畑中章宏さんによる、レベッカ・ソルニット最新刊『オーウェルの薔薇』のレビューを『WORKSIGHT 17号 植物倫理 Plants/Ethics』より転載してお届けします。お楽しみに。