生きづらさの処方箋はだれがつくるのか:アート作品『孤独省』が語りかけるもの
イギリスで世界初の「孤独担当大臣」が誕生してから約8年。日本でも引きこもりや孤独死など、孤独は長らく深刻な社会問題となっている。イタリア人アーティストのレベッカ・モッチャさんは、2021年から約4年間にわたり、世界の各都市をめぐりながら、孤独という感情の来歴とありようをリサーチしてきた。孤独はどのように生み出され、政治はそれを解決できたのか。
レベッカ・モッチャ『Cold As You Are』、第15回光州ビエンナーレ イタリア館(2024年)展示風景。孤独に関するリサーチで遭遇した場所・身体・状況をサーモグラフィーを使って表現した「感情的」ルポルタージュ
photograph courtesy of the Rebecca Moccia and Gwangju Biennale Foundation and Mazzoleni
photograph by Parker McComb
2018年、イギリスに世界初の「孤独担当大臣」が誕生したことは記憶に新しい。個人の感情であるはずの「孤独」に、国家が公的な課題として向き合い始めたこの出来事は、世界中の人びとに驚きを与えた。一方、日本社会を取り巻く「孤独」も、決して他人事ではない。引きこもり、高齢者の孤独死、若者の社会的孤立──。これらのことばは、もはや特別なものではなく、日々のニュースのなかでよく見聞きするものになっている。2021年には「孤独・孤立対策担当大臣」が新設され、2024年の法施工を経て、現在は内閣府に「孤独・孤立対策推進室」が設置されている。
「孤独」という感情に向き合い、社会との関係を解き明かそうとしてきたアーティストがいる。イタリアの現代アーティスト・レベッカ・モッチャさんだ。イギリスの孤独担当大臣の設立に着想を得て、2021年から4年にわたるリサーチプロジェクト『Ministry of Loneliness』(孤独省)を始動。イギリス・アメリカ・日本・韓国をめぐり、孤独という感情がどのように社会や制度のなかで形づくられているのかをフィールドワークを通じて探り、作品として発表し続けてきた。孤独はいつから社会問題になったのか。また、わたしたちはどう向き合うべきなのか。感情と都市を見つめ続けてきたモッチャさんに、話を聞いた。
interview by Yasutomo Asaki, Sayo Kubota
text by Yasutomo Asaki
photographs courtesy of Rebecca Moccia
レベッカ・モッチャ Rebecca Moccia 現代アーティスト。1992年ナポリ生まれ。ミラノ在住。インスタレーション・映像・写真・陶磁器・タペストリーなど多様な作品を制作。感情と社会・政治構造の関係を軸に、長期リサーチに基づく作品群を発表している。2021年から2025年に取り組んだ連作プロジェクト『Ministry of Loneliness』ではイギリス・アメリカ・日本・韓国でリサーチを実施。第15回光州ビエンナーレ(2024年)でイタリア館を代表した。現在は郷愁(Nostalgia)をテーマとした新プロジェクトを進行中。www.rebeccamoccia.it
感情の作られ方を解き明かす
──モッチャさんのポートフォリオを拝見して、これまで感情をモチーフに作品を発表されてきたと知りました。日本では作品に触れる機会がまだないのですが、始めに、これまでの取り組みについて具体的に教えていただけますか。
わたしはこれまで一貫して「感情」、厳密に言うと「知覚の状態」や「感情の状態」をモチーフにリサーチや表現をしてきました。感情がいかに形成されるのか。わたしたちが生きる場所・空間・時間はどのようなプロセスで感情をつくり出し、逆に感情が空間にどのような影響を与えるのか。その問いを軸に、インスタレーションから映像、写真まで、メディアを横断して作品を制作しています。表現手法としては光や温度といった「形のない要素」も多く取り入れています。
今回関心をもっていただいた『Ministry of Loneliness』(孤独省)は、「孤独」という感情をテーマにした、イギリス・アメリカ・日本・韓国の各都市で行ったフィールドワークに基づく連作プロジェクトです。
議会資料から科学論文、文学や証言を組み合わせた映像作品『Ministries of Loneliness』(2023–2025)や、調査中に遭遇した場所・身体・状況をサーモグラフィーを使って表現した感情的なルポルタージュ『Cold As You Are』(2022–2024)、「孤独指標」を用いた公開ワークショップで制作した陶芸作品『Loneliness Scales』(2023–2024)などを発表してきました。日本でも、名古屋の南山大学でレジデンスに参加しました。
──『Ministry of Loneliness』では、どうして「孤独」に注目したのでしょうか。
アートは常に感情と密接に結びついてきました。しかしわたしの興味は、感情を単に「安らかなもの」として扱うことではありません。ネガティブとされる感情や、「感情的な違和感や苦痛」を扱うことに興味があるのです。それらは現代社会において通常は脇に追いやられたり隠されたりしているものだからです。「孤独」もそのひとつです。
写真1, 3:レベッカ・モッチャ『Ministries of Loneliness』、第15回光州ビエンナーレ イタリア館(2024年)展示風景。透明で波立つ仕切りに画像が投影されている。感情を雰囲気というかたちで空間にもち込むことを試みた
photograph courtesy of the Rebecca Moccia and Gwangju Biennale Foundation
photograph by Parker McComb
写真2:レベッカ・モッチャ『Ministries of Loneliness』、ビデオ・スチル(2023年)
photograph courtesy of the Rebecca Moccia and Careof Milano
写真4:レベッカ・モッチャ『Cold As You Are』、ミラノ現代美術館(ICA Milano)での展示風景(2023年)
photograph courtesy of the Rebecca Moccia and Mazzoleni
写真5: レベッカ・モッチャ『Loneliness Scales』、ミラノ現代美術館(ICA Milano)での展示風景(2023年)。孤独の尺度を測るスコアシートを模した陶器作品。ワークショップで使われたスコアシートは、UCLA Loneliness Scaleなど複数の調査票を組み合わせて、独自に作成したもの。「気分が落ち込むことはよくありますか?」「どのくらい人に話を聞いてもらえていると感じますか」などの質問項目が並ぶ
photograph courtesy of the Rebecca Moccia and Mazzoleni
photograph by Diego Mayon
写真6:レベッカ・モッチャ『Nostalgism』、ダブリンTemple Bar Gallery + Studiosでの展示風景(2026年)
photograph by Ros Kavanagh
孤独の誕生と発見
──ここからは『Ministry of Loneliness』の作品について詳しいお話を伺えたらと思います。どのようなきっかけでこの作品に着手したのでしょうか。
この作品はコロナ禍のロックダウン中に着想を得ました。多くの人が「孤立」という身体的な経験をしていた時期です。家にいたとき、ラジオでイギリスの「孤独担当大臣」が、市民の孤独対策のための予算やリソースについて発表しているのを聞いたことがきっかけでした。
「孤独省」ということばを耳にしたとき、それが当時の社会状況を象徴するメタファーのように感じられました。というのも、当時わたしたちが直面していた孤独は、「ロックダウンという政治的決定によって強いられた孤独」だったからです。
わたしたちはつい、「感情とは、自分の内側から湧き出てくるものだ」と考えがちです。特に西洋の思想ではそう捉えられてきました。しかし、わたしはそうは思っていません。「感情とは、自身と外側の空間や現実との相互作用のなかで形成されるもの」だと考えています。
──当時は、ロックダウンという国や都市の意思決定に加えて、なんとなく外出してはいけないという、世の中の雰囲気もあったように思います。
そうですね。政治的な意思決定や、それに関する報道や言説に対して、わたしたちは受け入れたり受け入れなかったりします。そこで形成される雰囲気とは「空間に漂う情動的な性質」であり、即時的かつ身体的に知覚されるものです。雰囲気はわたしたちと環境のどちらか一方に完全に属するのではなく、その中間に位置しています。感情は決して個人の内面だけに閉じたものではないのです。この相互作用は「雰囲気の理論」(teoria delle atmosfere)と呼ばれ、現象学や美学の分野で研究が行われてきました。(Gernot Böhme『The Aesthetics of Atmospheres』、Tonino Griffero『Places, Affordances, Atmospheres: A Pathic Aesthetics』、Giuliana Bruno『Atmospheres of Projection: Environmentality in Art and Screen Media』)
ロックダウン期間中のカフェの様子(ミラノ)。イタリアでは新型コロナウイルスの感染拡大に対応するため、2020年3月に欧州で初めて全国的なロックダウンが行われた。政府は感染リスクに応じて州を赤(最も厳しい制限)・オレンジ・黄・白(制限なし)の4色に分類し、地域ごとにロックダウンや夜間外出禁止などの対策を柔軟に変更するシステムを導入した
photograph by Eugenio Marongiu/ Getty Images
その時の政治や社会制度によって雰囲気が醸成され、個人の感情が生まれる。「ロックダウンという政治的決定によって強いられた孤独」に象徴されるように、孤独という感情もまた歴史的な現象といえます。実は、英語の「孤独」(loneliness)という表現は、資本主義が誕生してからできたことばであり、それ以前には存在しませんでした。
──「孤独」(loneliness)は意外と最近のことばなのですね。それまでの時代、人びとは孤独ではなかった、ということでしょうか。
英語の「孤独」(loneliness)が、苦しみや孤立感を表すことばとして広く使われるようになったのは、産業革命期の1800年以降のことでした。1800年より前は別の表現が多く使われていました。それがいまでも使われる「孤立」(solitude)ということばです。「孤立」(solitude)は苦痛や喪失を指すものではありません。単に「ひとりでいる」という物理的な状態を指すことばであり、基本的にはネガティブな意味を含みませんでした。一方、1800年以降、「孤独」(loneliness)ということばは、まさに苦しみを表すために使われるようになったのです。
産業革命前、孤立しているという状態は、神と向き合う信仰の時間などが想起され、特に問題視されることではありませんでした。その後産業革命により、都市型の流動性の高い社会に移行したことで、独居世帯が誕生します。さらに中流階級における市民社会の発展のなかで、社交性や共感性が重要視されるようになったことで、次第に「孤立している」という状態は、ネガティブなものと考えられるようになりました。
「ディントンの隠者」(The Dinton Hermit)。17世紀、バッキンガムシャーのディントン村の洞窟で暮らしていたジョン・ビッグという人物。チャールズ1世に死刑執行を下した裁判官の助手を務めていたビッグは、自責の念から隠者となったという。当時、社会との関係を絶って孤立して暮らすことは、精神修養と受け止められた
photogtaph by The Print Collector/Getty Images
このことが示しているのは、近代、さらに言えば資本主義という経済システムが孤独と密接に結びついているということです。わたしたちは感情を、いつの時代も同じ形で存在してきたものだと思いがちですが、感情も時代とともにつくられ、変化していくものなのです。
資本主義というシステムそのものが、わたしたちを孤独にしておきたいという一面をもっています。わたしたちが孤独であればあるほど、コミュニティとしての生活は遠のき、より簡単に搾取され、無力化されてしまう。資本主義システムにとっては、孤独は「問題」ではなく「システムの正しい機能」だったとも言えます。
──孤独が経済システムや政治によって生まれた、という経緯を踏まえると、「孤独担当省」のように 国家が感情を政策課題として扱うことは、どのような意味があるのでしょうか。
「孤独担当省」に関して最も興味深い点は、孤独を「プライベートな問題」とせず、「政治的な問題」として発見したことにあると思います。つまり、もはや個人の問題ではなく、公的機関が認めるべき問題であるという認識の変革が起こったのです。これに関しては間違いなく功績と言えるでしょう。
しかし、イギリスに限らず、各国に設置されたこれらの省が実際に何をしたかという実効性のレベルで言えば、何も改善していないと思います。それは構造的な矛盾があるからです。先ほども言ったように、孤独を助長するような制度のなかで「孤独のための省」があるというのは、自己矛盾していますよね。
ひとりになるための建築
── 各国を回ってリサーチされるなかで、国や地域によって孤独のあり方に違いはあると感じましたか。
間違いなくあります。まず日本においては、建築的な空間のなかに「孤独の状態」が顕著に現れていると感じました。なかでも印象的だったのが「ひとりになるための建築」があるということです。他の地域では、孤独という状態はもっと隠されています。しかし日本では物理的な空間のなかに、それがはっきりと存在しています。
例えばカラオケルームや、ひとりで食事ができる飲食店もそうです。ヨーロッパやアメリカ、韓国では、飲食店にひとり用のテーブルがあることは大変稀です。あとは漫画喫茶もそうですね。ヨーロッパで漫画を読みたければ図書館で他の人たちと同じ空間で読みますが、日本ではひとり用の閉ざされた空間があって、そこでひとりの時間を過ごすことができます。空間のつくられ方そのものに、孤独の差異がこれほど明確に現れている。それは他の国とは大きく違う点でした。
一方、アメリカで非常に衝撃を受けたのは、空間の違いではなく、孤独が商品化されていることでした。レンタルフレンド、プロの抱きしめ屋、お金を払わなければ入れないコリビングやコワーキングスペース——。孤独をマネタイズするサービスが溢れているのです。この現象から利益を得る人びとが数多く存在することに、衝撃を受けました。
── 韓国の孤独にも特徴があるのでしょうか。
そうですね。韓国の若者が孤独をどう感じているかを理解するため、ソウル芸術大学(Seoul Institute of the Arts)の学生たちと2週間のワークショップを行いました。韓国には非常に強い競争圧力があり、あらゆるチャンスがソウルに集中しているため、キャリアを築こうとする人びとのほとんどはソウルを目指します。そこから、韓国特有の3つの孤独の形が見えてきたんです。
ひとつ目は、大都市への移動がもたらす「どこにも属していない」という感覚や喪失感です。田舎を離れてソウルに来た人たちが感じる、根を失ったような孤立感です。
ふたつ目は、「社会的な外見」の問題です。結婚相談所についての調査も行いました。収入や役職などの社会的なステータスが社会の極めて重要な基盤になっていて、それが激しい競争や孤独を生み、本来の自分ではない何かに適応しなければならない状況をつくり出しています。
そして3つ目は、共同体意識との葛藤です。韓国では「わたしたち/우리(ウリ)」ということばがよく使われるように、文化的に集団としての側面が強いのです。しかし近年の急速な近代化・西洋化を経て、現在の社会構造は大きく変わりました。集団の幸福を重んじる文化と、資本主義的な競争原理との間に、激しいコントラストがある。かつて存在していた社会的なネットワークや、人びとを支える仕組みが壊されてしまった側面もあるかもしれません。
世界初のカプセルホテルは、1979年に大阪で開業した「カプセル・イン大阪」とされている。サウナのフロアで雑魚寝をしていた客がしっかり睡眠できるように、という要望でミニマムサイズの個室という形態が生まれた
photograph by lifehouseimage/ Getty Images
── 日本には「引きこもり」や「孤独死」といった、孤独にまつわる独特のことばがあります。こうした現象は日本特有のものとして考えてよいのでしょうか。
社会生活から退却しようとする傾向については多くの心理学的研究があり、「引きこもり」という現象はいま、日本以外の国でも広がり、現在進行系の問題になっています。
イタリアでも南部で、引きこもりに類似したケースが報告されています。研究者たちが指摘しているのは、日本とイタリア南部の家族構造の類似性です。どちらも母親と子どもの間に強い密着した絆があり、子どもが成人しても家を離れにくい傾向がある。その構造が、社会的な孤立を外に向けた攻撃ではなく、自室への引きこもりという形で表出させるのではないかと言われています。
引きこもりはすでにイタリアだけでなく韓国、中国、スペインにも広がっており、産業化が進む社会に共通して現れる現象であるとわたしは考えています。資本主義という経済モデルが、各地に孤独の形を輸出していると言えるかもしれません。
孤独への処方箋は、誰がつくるのか
── ベルリン、パリ、韓国など各地に、人が集まりはするが交流はせずに、それぞれが音を聴くだけというリスニングスペースが注目されています。また、特定の空間に限定せず、ただ集まって本を読んだり音楽を聞いたりするだけのイベントも増えているようです。こうした「ひとりでいることをポジティブに捉える」動きについてはどう考えていますか。
わたしは、物理的に誰かと同じ空間にいるならば、それを「孤独な状態」とは考えていません。たとえ直接やり取りをしなくても「空間を共有している」ということになりますよね。やがてそこから無理のない形で自然な社会的交流が生まれることもありますし、こうしたプロジェクトは、わたしたちがひとりで過ごすことや自分の空間に閉じこもることに慣れすぎている状況から生まれた、新しい試みなのではないかと思います。
何かを強制されることが嫌で引きこもってしまう内気なひとも、そうした場所なら自分が受け入れられていると感じて、喜んで行くかもしれない。それは恥ずかしさを克服する助けにもなります。展覧会に行くのも同じです。他の人と一緒にいて、同じものを見ていても、必ずしも交流をする必要はない。けれど、「同じ空間に一緒にいる」という事実だけで、自分たちが共にいるという感覚を形づくってくれているはずです。
── 「共にいる」という感覚は、いまではとても重要なことなのかもしれません。
そうですね。そしてもうひとつ付け加えるならば、孤独というものは、社会の産物でありながら、同時に「社会的な恥」(スティグマ)として扱われています。
というのも、SNSでは「社交的で、前向きで、友達がたくさんいなければならない」という勝者のイメージが押し付けられていますよね。こうした交流を強要しない場は、「社交的でなければならない」という完璧主義のプレッシャーから人びとを解放してくれます。「ひとりでいてもいいんだ」ということを認めてくれる。この「受容」がとても重要なのだと思います。
わたしは読書会やリスニングスペースは、人びとによるボトムアップの動きだと捉えています。国家が「孤独省」をつくるような上からの仕組みとは別に、これはコミュニティが自分たちのニーズに応えて、自然につくり出してきたものなのではないでしょうか。
韓国・ソウルの清渓川(チョンゲチョン)沿いに設置された「ソウル野外図書館」の様子。ソウル図書館が運営している。椅子のそばにはオリジナルの本箱が置いてあり、ひとりで読書にふける人や、友人と話す人、音楽を演奏する人などがみられる
photograph by Kichul Shin/NurPhoto via Getty Images
生きづらさの歴史
── 現在取り組んでいるテーマは「郷愁」(Nostalgia)ということですが、孤独の次にこのテーマを選んだのはなぜなのでしょうか。
将来的には「現代における感情的な生きづらさ」に関するリサーチをまとめて、ひとつの連続したプロジェクトにしていきたいと思っています。そのなかで郷愁もまた現代社会で誤解されたり、都合よく利用されたりしている感情のひとつと考えています。
「郷愁」(Nostalgia)ということばも、実は17世紀に生まれた比較的新しい概念です。もともとは、故郷を離れ大都市へ移動したり、戦争に駆り出されたりした兵士や農民、労働者たちが抱いた感情として記述されてきました。産業化が始まり、近代国家やナショナリズムが台頭していった時期です。
郷愁は孤独と同じように、資本主義の発展が生み出した喪失の感情のひとつだと考えています。土地とのつながり・慣れ親しんだコミュニティ・家族や隣人との日常的な関わり──。人びとが大都市へ移動し、産業化された社会に組み込まれていく過程で、こうしたものが少しずつ失われていった。郷愁とは、その喪失への痛みなのです。
──日本では、郷愁は「懐かしさ」のような意味が強いかもしれません。ネガティブな感情なのでしょうか。
それは興味深いですね。ただ、懐かしさは同時に、「何が失われたのか」を教えてくれる感情でもあります。何かを懐かしむということは、裏を返せば、その何かがいまはもう存在しないということですよね。郷愁をたどっていくと、資本主義の発展のなかで何が壊され、何が奪われてきたのかが見えてくる。社会を批評するための、ひとつの手がかりになります。わたしはこうして時代とともにロマンチックに語られてきた、両義的なものに興味があるのです。
第二次世界大戦後の1945年7月13日、占領下のドイツ・バンベルクの鉄道操車場で、ザール地方の自宅へ戻る列車を待つドイツ民間人たちの様子。米軍は炭鉱労働者、農民、その他の必要不可欠な労働者3000人の輸送を許可したが、それ以上の多くの人びとが帰郷できることを期待し、駅に集まった
photograph by Bettmann/ Getty Images
──モッチャさんの作品制作のプロセスは社会的事象を分析する研究者の仕事にも似ていますね。社会学や心理学などの研究者の役割やアプローチとは、どのような違いがあるのでしょうか。
わたしは自分の活動を、科学的リサーチとは異なり、創造的なプロセスと「身体化された知」(embodied knowledge)に基づいた「アーティスティック・リサーチ」であると考えています。科学を扱う研究者は論理的なアプローチで事象を理解し、知識を生産しますが、アーティストは「感受性」を使う、つまり五感を通して感情等の事象を理解します。重要な社会問題に、論理ではなく感情のアプローチで向き合うのです。社会課題を感情のレベルで理解することは、人びとが自分自身の人生をよりよく理解したり、自分が認められていると感じたりするために役立つはずです。
わたし自身、現在はナポリで博士課程の研究員も務めていますが、わたしのリサーチに、提示すべき「数値データ」があるわけではありません。感情的なアプローチでは、わたしとリサーチ対象との間に生まれる、肌で感じた関係性に基づいて、出会った経験や感覚、感情を、そのまま作品として表現していくのです。それがわたしのリサーチのプロセスの特徴といえるかもしれません。
── 感受性を使ったアプローチだからこそ、揺らぎ続ける感情と社会の歴史をたどることができるのでしょうか。
そうかもしれません。わたしたちはつい感情を、昔から揺らぎなく存在するものだと思いがちです。しかしさまざまな地域や歴史をたどると、それがまったくの誤解だとわかる。先ほど英語の「孤独」(loneliness)の歴史の話をしましたが、イタリア語ではもっと違う来歴があります。
14世紀に書かれたボッカッチョの『デカメロン』に「Nelle solitudini de’ diserti di Tebaida andati se n’erano」(彼らはテーバイドの砂漠の人里離れた場所へと去っていった)という一節があります。ここで使われている「solitudini」(イタリア語で孤独を意味する単語「solitudine」の複数形)は、人が孤立している状況や、孤独な感情を意味しているのではなく、「人けのない場所や荒野・僻地」を指しています。孤独はもともと空間的な概念だったのです。だから複数形も自然に生まれてくる。「孤独たち」ではなく「孤絶したいくつかの場所」なのです。
孤独の捉え方は多様で複数的なものです。それをひとつの平坦な概念にまとめてしまうことは避けたいと思っています。わたしはもしかすると、その「中間」にある何かを、ずっと作品にしようとしてきたのかもしれません。
【WORKSIGHT SURVEY #75】
Q. 政府にもっと孤独に対する対策をしてほしいと思いますか?
インタビューのなかで、「孤独担当大臣」の誕生が、政府が孤独をプライベートな問題とせず、政治的な問題として捉えるようになった象徴的な事象として語られています。日本にも「孤独・孤立対策推進室」がありますが、あなたは政府にもっと孤独に対する対策をしてほしいと思いますか?なぜそう感じますか。ぜひご意見をお聞かせください。
【WORKSIGHT SURVEY #74】アンケート結果
逢魔が時のバックルームズ:リミナルスペースの民俗学【島村恭則 寄稿】(7月14日配信)
Q. リミナルな場所や存在には、強く惹かれる?
【はい】怖いもの見たさと賑わいの後の感傷に浸りたいから
【はい】そうした場所は、Be HERE NOW に近づけてくれるからではないか。五感をとぎすませ、人間本来の動物的な感覚。脳の妄想、お花畑にいる現代人にとって健康をとりもどす場所だからだろう
【はい】私自身かつて伝統芸能にかかわることでリミナルな存在として生きてきました。リミナルな場所は懐かしさを覚え親近感があるのです
【はい】安定的な場しかない事の方が怖い
【いいえ】安定側の人間なのでリミナルな場所には惹かれないが、リミナルな存在には惹かれる。カレらからしか得られない話があるから
次週8月4日は、人口600人が住む島唯一のコンビニ「ノコマート」の共同経営者の本田康太郎さん、浅羽雄一さん、物流を担う山崎製パンの加藤一直さんへのインタビューを配信。行政でも大資本でもなく、島に暮らす当事者の手で生活インフラを立て直すことはできるか。人口減少社会における生活インフラの現在地を見つめます。お楽しみに。
【イベント情報】
『WORKSIGHT[ワークサイト]30号 新しい中世 The New Middle Ages』刊行記念
武邑光裕・山下正太郎・若林恵トークイベント
「ウンベルト・エーコとパランティア?現代は中世化しているのか」
7月31日(金)、今号に寄稿いただいたメディア美学者・武邑光裕さんをゲストに迎えて、東京・表参道「青山ブックセンター本店」にてトークイベントを開催します。
作家で記号論学者のウンベルト・エーコは、1970年代に現代社会が「新しい中世」へ向かうと書き残した──神学とアルゴリズム、修道院とプラットフォーム、写本とデータベース、エーコとパランティア? 武邑光裕さん、WORKSIGHT編集長・山下正太郎とコンテンツディレクター・若林恵が、エーコの予言を手がかりに断片化した世界の地図を描き直します。
【イベント概要】
日時 2026年7月31日(金)19:00〜20:30
会場 青山ブックセンター本店・大教室
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-53-67 コスモス青山ガーデンフロア地下2階
https://aoyamabc.jp/pages/store-info
https://maps.app.goo.gl/GfWZYNobQLcZYf2s8
参加費 1,650円(税込)
定員 100名
【イベント情報】
プリント版『WORKSIGHT』バックナンバーフェア開催中!
プリント版・30号の刊行を記念して、都内を中心に一部の書店でバックナンバーフェアを開催中。各店で開催されるフェアでは、最新号を中心に、2022年7月のリニューアル以降に刊行したプリント版や関連書籍が並びます。対象店舗では、ご購入の方には「WORKSIGHTオリジナル測量野帳」を進呈。ぜひ足をお運びください。
【新刊案内】
『WORKSIGHT[ワークサイト]30号 新しい中世 The New Middle Ages』
photographs by Hironori Kim
cover Illustration by Natsujikei Miyazaki
帝国、教会、荘園、騎士団、ギルド、修道院……。中世とは、複雑怪奇な権威のネットワークが幾重にも絡み合った時代だった。アルゴリズムに導かれ、プラットフォームの中で群れ、炎上によって見知らぬ誰かを裁くいま、わたしたちはすでに「新しい中世」を生きているのかもしれない。かつて中世の再来を予言したウンベルト・エーコ、 心理占星術研究家・鏡リュウジや現代魔女・円香、中世ゲーム研究、政治学者が読み解く「中世という過渡期」を経た、現在の地政学「それ以降の世界」まで。中世のレンズを通して現代を再解釈する。
【目次】
◉ギャラリー
現代は中世である
◉巻頭言
世界はふたたび中世になる
文=山下正太郎(本誌編集長)
◉ウンベルト・エーコと新しい中世
文=武邑光裕
◉対談
鏡リュウジ(心理占星術研究家)+畑中章宏(民俗学者)
スターゲイザーたちの「合理的」な世界
◉わたしは魔女である
円香が語る「現代魔女」という行き方
◉中世の騎士、東京に集う
ドキュメント「戦え、騎士のように」/証言「騎士たちの理由」/インタビュー「中世剣術のリアリティを、現代で共有したい」
◉ゲームはなぜ中世を必要とするのか
中世ゲーム研究の第一人者、かく語りき
◉コンテンツガイド
中世の回廊
◉「新しい中世」以降の世界
政治学者・田中明彦の予言から読む現代の地政学
【書籍情報】
書名:『WORKSIGHT[ワークサイト]30号 新しい中世 The New Middle Ages』
編集:WORKSIGHT編集部(コクヨ ヨコク研究所+黒鳥社)
ISBN:978-4-7615-0938-5
アートディレクション:藤田裕美(FUJITA LLC)
発行日:2026年7月2日(木)
発行:コクヨ株式会社
発売:株式会社学芸出版社
判型:A5変型/128頁定価:1800円+税
















