記憶の可変装置としてのモニュメント:小田原のどかと考える、BLM運動からモヤイ像まで
公共空間に堂々と、あるいはひっそりと佇む彫像やモニュメント。日々の風景の一部として見過ごされがちだが、実はそれらは、歴史的な記憶、そして共同体の価値観の変化を可視化する装置でもある。彫刻家・評論家として活動する小田原のどかさんに、日本や世界の事例を交えながら、モニュメントの可能性とその行く末について多角的に語ってもらった。
イギリス・ブリストルにて、BLM運動の抗議者らによって海に沈められた奴隷商人エドワード・コルストンの銅像が、海から引き上げられる様子 photograph by Andrew Lloyd/Getty Images
近年、アメリカをはじめとする世界各地でBlack Lives Matter(BLM)運動が広がったことを皮切りに、植民地主義や人種差別に関わる歴史的人物の像が次々に引き倒された。イギリス・ブリストルでは、奴隷商人エドワード・コルストンの銅像が市民の手によって海に投げ込まれ、アメリカでは南北戦争時代の南軍将軍たちのモニュメントが白い布で覆われたり撤去されたりした。これらの出来事は、モニュメントが静的なものではなく、社会のなかで人びとの声によって揺れ動く「記憶の場」であることを浮き彫りにしている。
モニュメントはかつて、「記憶を固定する装置」として、国家や地域の正史を語る役割を担ってきた。しかしいま、それはむしろ「記憶の可変装置」として、記憶の共有や継承に加え、対立、抹消、再解釈の現場として立ち現れているのではないだろうか。公共空間に設置されているという事実そのものが、そこに誰の声が含まれ、そこから誰の声が排除されているのかという問いを呼び起こす。
では、日本においてはどうか。ハチ公像やモヤイ像など都市のランドマーク的存在から、街の片隅に置かれた銅像や森のなかの野仏まで、明確なメッセージをもつ像もあれば、その意味や背景が見えにくい像もある。これらは誰の記憶を、どのように記録しているのだろうか。どのような時代背景や社会的緊張が刻まれているのか。あるいは、モニュメントの撤去や移設が行われるとき、十分な検討や市民との合意形成が行われているだろうか。モニュメントをめぐる議論の曖昧さや沈黙は、わたしたちの社会の無意識や葛藤を映し出しているかもしれない。
こうした問いを手がかりに、彫刻家であり評論家である小田原のどかさんに話を聞いた。人びとの怒りや悲しみの対象となる像、歴史のなかに埋もれた像、そして人びとが自らの手で立ち上げる新たな記憶のかたち。変わりゆく記憶と社会の関係を、モニュメントを通して見つめ直す。
interview by Makoto Okajima, Fumihisa Miyata, Hidehiko Ebi
text by Makoto Okajima
小田原のどか|Nodoka Odawara 彫刻家、評論家、出版社代表。1985年宮城県生まれ。多摩美術大学彫刻学科卒業後、東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻にて修士号、筑波大学大学院人間総合科学研究科にて芸術学博士号取得。横浜国立大学教員。著書に『モニュメント原論:思想的課題としての彫刻』(青土社、2023年)、『近代を彫刻/超克する』(講談社、2021)。主な展覧会に「近代を彫刻/超克する 津奈木・水俣編」(個展、つなぎ美術館、2024年)、「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?——国立西洋美術館65年目の自問 現代美術家たちへの問いかけ」(グループ展、国立西洋美術館、2024年)など。 www.odawaranodoka.com
モニュメントが議論の対象になる時代
──近年、世界各地で植民地主義や戦争責任を象徴する像が撤去されたり、公共空間に立つ女性像の表現をめぐる論争が起こったりと、モニュメントや彫像が社会的な議論の対象となる場面が増えています。こうした状況を小田原さんはどのように捉えていらっしゃいますか?
ちょうどWORKSIGHTからインタビューの依頼をいただいた頃、他にもいくつかインタビューやテレビ出演の依頼が同時に舞い込んで、「何かのタイミングなのかな?」と思っていたところでした。今年が終戦80周年ということもあり、平和のモニュメントをめぐる議論、あるいは公共空間における女性の裸体像の扱いなど、依頼されるテーマもさまざまで。メディアのなかには、こうした話題を少し論争的に扱うことで視聴者の関心を引きたいという思惑もあるかもしれませんが、わたし自身は、そうした切り口では前向きな議論にならないのではと感じています。モニュメントをめぐる問題に対しては、その全体を無理に賦活するよりは、いま何が起きていて、何が模索されているのかを一つひとつ丁寧に見ていくことのほうが重要だと思っています。
──彫刻家として、作品をつくる立場からはいかがでしょうか?たとえば、2024年の国立西洋美術館でのグループ展「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?——国立西洋美術館65年目の自問 現代美術家たちへの問いかけ」では、小田原さんがロダンの彫刻を横倒しにして展示されていたのが印象的でした。
国立西洋美術館での展示では、同館に所蔵されているロダンの《青銅時代》と《考える人》を横倒しにすることで、美術史における「正しい見方」や「正しい鑑賞位置」といったものを揺さぶってみたいという思いがありました。そこに関東大震災で壊れたロダンの彫刻の記憶や、世界各地で繰り返されてきたモニュメントの引き倒しなどの歴史を重ね合わせながら、彫刻の物理的な「転倒」と思想の「転向」といった複数の意味を含ませています。会期中には、多くの反響や感想をいただきました。
ちなみに、美術館に対して「ロダンの像の裏側が見えるかたちで横倒しに展示したい」と伝えたところ、作品をそのまま転がしておくわけにはいかないということもありまして。そこで、横倒しの状態でも安定するように、背中や足元にどう台座を設けるかという話になった際、後述するイギリス・ブリストルの美術館で展示されたコルストン像の事例を参考にしてもらいました。
写真上:「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?——国立西洋美術館65年目の自問 現代美術家たちへの問いかけ」の展示風景より、小田原さんのインスタレーション 写真下:横倒しになったロダンの彫刻は、鑑賞者が普段は見ることのできないアングルから覗き込むことができた 撮影:©︎上野則宏、提供:国立西洋美術館
破壊・撤去の「その後」
──さらに具体的な事例に立ち入っていく前に、改めて「モニュメントとは何か」という定義について教えてください。
モニュメントの定義にはさまざまなものがありますが、わたしがよく引くのは、オーストリアの美術史家アロイス・リーグルの定義です。
〔モニュメントとはその根源的な意味において〕個々の人間の行為や運命(ないしはその種の複数の行為の複合体)を後世の人々の意識の中に常に現在的に生き生きと保っておくようにと、何らかの目的のために設置された、人間の手で作った作品のこと
アロイス・リーグル『近代のモニュメント崇拝、その本質と成立』(1903年)
ここで重要なのは、「人は必ず死ぬ」ということです。人が永遠に生きる存在であれば、モニュメントをつくる必要はありません。けれども人間の命は有限です。だからこそ、そのコミュニティのなかで起こった出来事や人物、あるいはごく私的な記憶を、誰かがそこに「いた」という不在の印として次の誰かに残したいという思いが生まれます。そうした素朴な感情や欲望から、モニュメントは始まっているのだと思います。実際、「monument」という語はラテン語で「気づかせる」「想起させる」といった意味をもつことばに由来しており、何かを忘れることへの警告や、記憶を呼び起こす行為に深く関わっています。
────モニュメントというと、政治や権力との結びつきが強いイメージがありましたが、そもそもは人びとの記憶や思いから始まるものだったのですね。そうした原初的な感情が、なぜ政治性を帯びていくのでしょうか?
もっとも、そうした記憶装置としての機能は、非常に利用されやすい面があると思います。歴史を通じて、為政者が巨大なモニュメントを建て、それを政治的に利用するということが繰り返されてきました。時にはそれが壊され、また別のものが建てられる。そうした変遷がモニュメントの歴史のなかで常に起こっています。
さらに、モニュメントの多くが「人のかたち」をしていることは、識字の問題とも関わっていると思います。文字が誰にでも読める時代になったのは比較的最近のことですし、モニュメントは文字を介さずにメッセージを伝えられるメディアでもありました。その対象が「あなたたちが手本にすべき人である」「素晴らしいと思うべき歴史である」ということを、視覚的なイメージによって伝えることができる装置でもあるのです。
──モニュメントは古代から情報や記憶を伝える手段とされてきましたが、今日の社会や都市空間との関係のなかで、その役割はどのように変容してきた/していないと思われますか?
どうでしょうね。例えば大プリニウスは『博物誌』のなかで、絵画の起源について、旅立つ恋人の姿を忘れないように、壁にその影をなぞって輪郭を描いた、ということを書いています。ロマンチックな部分が注目されることも多い逸話ですが、これは、そこに「誰かがいたけれどもういない」、あるいは「また戻ってくるかもしれない」といった感情や認知と深く関わっている話だと思います。こうした話に表れているのは、やはり「人間という存在は不変ではない」ということです。わたしたち人間は常に変わっていくし、社会も変わっていく。そのなかで、わたしたちの手でつくられたモノも変化し続けますし、それに対する評価や解釈もまた変わっていきます。
だからこそ、モニュメントを何か「とどめておくもの」として固定的に扱うのではなく、それが建てられ、拒絶され、撤去され、引き倒される──そうした一連のプロセスそのものを、わたしたちの社会や都市空間がどう変わっていけるかという、前向きな変化の徴(しるし)として捉えることができるのではないかと思っています。もちろん、その変化の只中にある人びとにとっては、それを客観的に見ることは簡単ではないかもしれませんが。
──近年でもBLM運動を契機に、さまざまな彫像が破壊・撤去される事例が見られます。小田原さんはこうした抗議行動をどのように受け止めていますか?
わたしが最初にモニュメントの引き倒しに関心をもったのは、BLM運動が世界的に報道されるようになる少し前、2017年の夏のことでした。アメリカ・バージニア州シャーロッツビルで、ロバート・E・リー将軍の像を撤去するという議会決定に抗議するかたちで、白人至上主義団体が「ユナイト・ザ・ライト・ラリー」という集会を開催したのです。小さな町に全米から集結した参加者が、銃火器や松明を手に行進するという、大変緊迫した状況でした。
そして、対抗する市民グループとの激しい衝突のなかで、右派の参加者が車で市民を轢き、女性1人が亡くなるという痛ましい事件が起こりました。その亡くなった女性が、たまたまわたしと同い年だったんです。彫刻の撤去をめぐってこれほど大きな衝突が起き、そこに駆けつけた自分と同い年の女性が命を落とすということに、非常に強く心を揺さぶられました。そこから、自分とは直接関係のないはずの問題が、どこか「我がこと」のように感じられるようになり、以後、モニュメントに関するニュースを追うようになりました。
──そうだったんですね。まさに「我がこと」として引き受けるとき、こうしたモニュメントの引き倒しや破壊は社会の重要な「声」の象徴として受け取ることができる一方で、報道の熱が冷めた後に記憶文化の対立を持続させることの難しさも感じさせるのではないかと思います。引き倒しや破壊の「その後」に、わたしたちはどう向き合っていくことができると思いますか?
例えばイギリス・ブリストルのコルストン像の事例はとても示唆的でした。ブリストルに立っていた18世紀の奴隷商人エドワード・コルストンの像は、2020年のBLM運動中に抗議者たちによって引き倒され、港に沈められました。その後、海から引き上げられ、ブリストル市立博物館「M Shed」で2021年に開催された「The Colston Statue: What next?」という展覧会で展示されました。さらに2024年には、同美術館で永久展示されることが決まりました。
──コルストン像が倒れたまま、ペンキで落書きされたままの状態で展示されているのですね。
引き倒されたときに書かれたメッセージを洗い流して元の状態に戻すのではなく、そのまま残し、倒された姿勢のまま展示するという選択には、大きな意味があると感じました。何かを完全に消し去るのではなく、「どのように上書きされた痕跡自体を可視化していくか」ということが重要だと思います。もちろん、保存や修復の専門的な立場から見れば、そう単純な問題ではなく、軽々しく語れることではないのですが。
もうひとつ興味深い点として、コルストン像の今後の扱いを決めるために、展示会場やオンラインで市民を対象としたアンケート調査が実施されたことが挙げられます。アンケートでは実に80%の市民が、コルストン像が今後も美術館に展示されることに賛成したといいます。
── 展覧会というフォーマットを通して、市民の意見を取り込みながら決定が下されていったプロセスが印象的ですね。
はい。常設展示に至るまでの経緯も興味深かったのですが、あの像を直接倒した4人の裁判にも注目していました。彼らは公有財産の損壊で起訴されましたが、最終的には無罪となりました。行為そのものは破壊的で、像には損傷もありましたが、像の存在自体が人種差別的な象徴であることを鑑みての判断でした。彫像の引き倒しという出来事を通して、社会がどう議論し、どんな価値観を共有していくかを考えること自体が、とても興味深いと思いました。
写真上:ブリストル市立博物館で展覧会「The Colston Statue: What next?」では、コルストン像はペンキで汚されたまま横倒しで展示された 写真下:コルストン像のほかに、抗議デモ当日に人びとが掲げたプラカードなども展示。さらにコルストンの経歴やブリストルの奴隷貿易の歴史、そして今回の抗議行動についての詳細な説明も photographs by Polly Thomas/Getty Images
モヤッとするモヤイ像の移設
── 翻って日本の事例を見てみると、忠犬ハチ公像を手がけた彫刻家の展示がわざわざ「黙然たる反骨 安藤照:没後・戦後80年 忠犬ハチ公像をつくった彫刻家」(2025年6月21日~8月17日、於渋谷区立松濤美術館)と題されるほどに、あまりに日常に馴染んでいるようにも感じます。だからこそなのか、モニュメントの撤去や移設についての議論も十分に交わされないまま、「いつの間にか姿を消していた」といった事例もあり、例えば昨年末、渋谷駅前のモヤイ像がビルの裏手の目立たない場所にいつの間にか移設されていて、ちょっとモヤッとしてしまいました……。
都市の再開発や景観を考えるなかで、モヤイ像があそこにあのまま存在するのは難しかったのかなとか、いろいろな事情が想像されますよね。ただ、いまおっしゃったような日本のモニュメントに対する「モヤッと感」というのはよくわかります。過去の事例を見ても、日比谷焼き討ち事件による伊藤博文の銅像の市中引き回しや、早稲田大学の大隈綾子像や立命館大学のわだつみ像などの破壊といった出来事はありました。しかしこうした事例の多くは、その後ほぼ完全に修復されていて、事件としての記憶が国内であまり語られていません。もちろん後述するように、廃仏毀釈によって破壊された野仏が、壊された過去がわかる状態で修復されている事例もありますが。
渋谷駅西口の整備に伴い、国道246号に面した「渋谷フクラス」西側の広場に移設されたモヤイ像。東京都への新島村移管100周年を迎えた昭和55年に渋谷駅西口に設置され、渋谷のシンボル「忠犬ハチ公像」と並んで待ち合わせ場所として長年親しまれていた photograph by Fumihisa Miyata
──モヤイ像に関して言えば、新島村の東京都への移管100周年を記念して建てられたという意味では、実は政治的な意味をもっています。それが誰にも意識されないまま、ひっそりと移設されているという事態に、なんだか自分たちの社会のあり方について考えさせられます。
確かに日本社会の白黒つけない感じが、モヤイ像の一件にも滲み出ているような気もしますよね。日本が明治以降どのように民主化したかを考えても、革命といったプロセスを経たわけではなく、独裁政権に対して市民が明確にNOを突きつけた経験があるわけでもない。そう考えると、「市民」という概念を自分ごととして捉えるのが難しい状況にあるのかもしれません。それが悪いとか成熟していないというわけでなく、ある意味では幸運かもしれないとも思いはしますが、ただそういうなかで、一度築き上げられたものをしっかり見つめ直すことがあまりできていないのが、日本の近現代史なんじゃないかとも感じています。だからこそ、モニュメントを通してこの違和感について考えることが、実はその感覚が社会のさまざまな場所に偏在しているということへの気づきにもつながるような気がします。
── モニュメントをめぐる「モヤッとした」扱い方は、どこか日本における「公共」の感覚の曖昧さとつながっているのかもしれませんね。
「公共」ということばは英語の「public」の翻訳語としてよく使われますが、日本では単にそれをなぞったことばではない、ということがあります。例えば「公共」「公平」といったことばでは気づきにくいですが、「公人」となると、やはり「公=おおやけ」という漢字が天皇制との結びつきを強く感じさせます。つまり「公共」という概念には、日本独自の文脈が折り重なっている。言語文化教育学者の森住衛氏は、英語の「public」が「受け手」に着目するのに対して、日本語の「公共」は「送り手」に着目しているから「公」という字になるのだと指摘しています。そういう意味でも、「公共」を考えるときには、日本独自の文脈を無視できないなと思います。
──なるほど。日本の「公共」の今後を考える上で、他にも小田原さんが重要だと思う、日本のモニュメントの撤去をめぐる事例や議論はありますか?
わたしが大きな衝撃を受けたのは、長崎の「母子像」の事例でした。1996年に長崎市の平和公園への巨大な母子像の設置が、住民への事前の合意形成がないまま、当時のトップダウンで決められると、住民たちによる大きな反対運動が起こりました。その撤去を求めて最高裁まで争ったものの、結局、いったん建てられたものを撤去するのは極めて困難ということで、いまも公園の片隅に設置されています。彫刻やモニュメントというものが、それだけ市民の人たちに強い怒りをもって拒絶されることがあるということに驚きました。
最近では、北海道札幌市にあった「北海道百年記念塔」の解体が記憶に新しいです。北海道開道からの百年を記念し、百年以前──つまり先住民族であるアイヌの人びとを──不可視化しかねない高さ100メートルの巨大な塔が撤去され、昨年には、跡地に建てられる新モニュメントのデザインコンペが北海道主催で行われました。そもそもなぜこのモニュメントが撤去されなければいけなかったのか、その議論が十分に尽くされていないと思いますし、その後に何を建てるのかについての議論をどのように進めるかも重要な点です。現在、わたしは先住民と非先住民からなるグループに関わっていて、このモニュメントをめぐる議論や発信もそこで行っています。
写真上:長崎市の被曝50周年記念事業碑として1996年に母子像の建設が突如公表され、住民からの大きな反対運動が起きた。特に、この母子像の設置が「原子爆弾落下中心地碑」を撤去した上でなされることが疑問視された photograph by Diane Levit/Design Pics Editorial/Universal Images Group via Getty Images 写真下:北海道札幌市厚別区の野幌森林公園に位置していた北海道百年記念塔。2023年8月に解体が終了した photograph by t-konno, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
変化の只中に置き直す
──ここまではモニュメントの破壊・撤去に注目してきましたが、むしろ新たにつくられていくモニュメントについて、注目されている試みなどはありますか?
わたしが重要な参照点として見ているのが、アーティストの川俣正さんが2017年から仙台市で取り組んでいる「仙台インプログレス」というプロジェクトです。これはせんだいメディアテークという文化施設が主催する長期的な取り組みで、津波で大きな被害を受けた仙台市沿岸部において、地域の人びととの対話を重ねながら、船や橋、木道、井戸などを少しずつつくり上げていくもので、それらはモニュメンタルな性質を帯びています。わたし自身、仙台の出身ということもあって、3年ほど前からこのプロジェクトに関わるようになり、現地を訪れたり文章を書いたりしています。
例えば、ある地域には運河が流れていて、津波で流されてしまった橋を「もう一度架けたい」という住民の声を受けて、堅牢な橋を架け直すことは費用面でも法律面でも難しいことがわかると、渡し船を試したり単管パイプとゴムボートを使って仮設の船橋をつくったりしました。それは恒久的な建築物ではなく、むしろ地域に託していくというか、地域の人たちが必要なときに自分たちでも再現できるようなかたちになっています。川俣さんがつくっているのは、目に見える「もの」というよりも、むしろ「アイデア」や「それを実現できる」という励ましなんじゃないかと思うんです。印象的だったのは、昨年の夏に行われた、地域の人たちとこれまでの活動を振り返る報告会で、川俣さんが「真面目にやりすぎた」と言っていたことです(笑)。いろんな責任や建築基準法などに寄り添ってやってきたけれど、むしろアートだからこその可能性をもっと追求する道もあったかもしれない、と。
写真上:2022年につくられた《みんなの橋(テンポラリー)》 写真下:2019年につくられた《みんなの木道》 撮影:小田原のどか
──そうした地域との合意形成のプロセスや、方向性のせめぎ合いも興味深いです。
もちろんその背景には、川俣さんを招いたせんだいメディアテークの方々の長期的な視点があります。1年や2年では解決できない地域の格差や、隣り合う地区ごとにまったく異なる状況のなかで、どう関わり続けるか。そのためには10年、15年、あるいは20年という単位で取り組むことが必要で、そこに川俣さんがこれまで培ってきたような手法が、いろんなかたちでうまく作用しているのだと思います。
その「作用」というのは、限られた地域のなかでの実践的な意味だけでなく、他の場所でも応用可能な方法として共有されていく。そこに残るのは不動の「かたち」ではなく、「合意形成のあり方」や「関係性のつくり方」といったものなんですね。プロジェクトの終わりが誰にもわからないということも含めて、すごく参考になるし、未来のモニュメントを考える上での重要な先行事例になるのではないかと感じています。
──《仙台インプログレス》のように、喪失を経験した場所に改めて何かを“置き直す”という行為は、モニュメントのあり方を考える上でとても示唆的だと感じました。
ほかにわたしが関心をもっているのが、廃仏毀釈の影響を受けたお地蔵さんや石仏の事例です。地域によって細かな違いはあるのですが、自分たちの手で1回破壊したり、否定したりした仏像が、完全には修復されないまま、でもその痕跡がわかるようなかたちで置き直されている例が、日本中のいろいろな場所で確認できます。野仏ですから直すお金もないでしょうし、「壊れたままにしておくのも忍びない」という地域の方々の気持ちも反映されているのだと思います。完全には修復していないんですけど、何があったかわかるようにしているというのがとても興味深いですね。
──こうした野仏は、人びとの注目を集めるものというより、誰にも気づかれずにひっそりと存在しているように感じます。そうした、記録や語りの外に置かれたような像に対して、小田原さんはどのような可能性を感じていらっしゃいますか?
例えば野仏や磨崖仏などは、そもそも作者が誰かということがあまり重視されていませんし、風化することや壊されることさえ見越してつくられている側面があると思います。そういうものを見ると、やっぱり「永遠にその場に残ること」自体がそれほど重要ではないということを感じます。むしろ、「永遠にそこに在り続けること」を前提にすることで、後の世代に過剰な負担を残す可能性もあるし、それを何としても成し遂げようということ自体にいろんな歪みがあるのかもしれない。
一方で、美術史では作者と作品を結びつけることが重要ですし、ミュージアムのような近代的な制度は「恒久性」や「普遍性」の発想から出てきたものですよね。でも、道端にぽつんと残された像や、道祖神のような存在に目を向けると、近代が前提にしている永遠・不変で終わらない歴史というようなもの自体に、少し疑問をもつことになっていく。そういうヒントが、モニュメントのかたちをしてさまざまな場所にあるのかなと思ってます。
──お話を伺っていて、モニュメントは記憶をとどめるもののようでいて、むしろ変わりゆく記憶にわたしたちを向き合わせる存在でもあるように感じました。
変わっていくというのは、やっぱりどこかで怖さを伴うことですし、時には恥ずかしさのような感情もあると思います。でも、それはもうそういうものなのだと思うんです。そして、人びとがこれまでどれだけ変わってきたかということの現れとして、モニュメントが引き倒されたり、置き換えられたりする現象が起きている。それを単純に「破壊」や「否定」として一括りにするのではなく、個々の事例を丁寧に見ていくことが必要だと思います。
記憶についても同じで、それを語るのが誰なのか、記憶を継承することが叶わなかったコミュニティ、あるいは継承を断つことを強いた人々など、複雑な背景があります。そうした多様な関係性が絡み合っていて、一元化できない多層的な意味を持っているのが、モニュメントなのだと思います。
福島県南相馬市にある野仏 撮影:小田原のどか
【WORKSIGHT SURVEY #6】
Q:日本のモニュメントを見て「なぜここに?」と感じたことはありますか?
小田原のどかさんは、渋谷駅前のモヤイ像が人知れず移設された出来事に触れ、日本ではモニュメントがいつの間にか姿を変えても、議論や記憶の共有がなされにくい現実を指摘します。あなたは、日本の街角にある彫像やモニュメントを見て、「なぜここに?」と立ち止まったことはありますか?意見や感想を、リンク先のGoogleフォームにぜひご記入ください。
次週6月10日は、近年注目を集めてきた「空想地図」の、一味異なる側面にスポットライトを当てます。この世に存在しない土地を描いた地図が、なぜ地図らしく見えるのか? わたしたちが地図を地図として認識するポイントはどこに存在しているのか? インタビューのお相手は、自らも空想地図を描いたり、複数人で空想地図を描き継いたりといった実践を積み重ねつつ、その営みを相対化している若手研究者。語らいを通じて、マッピングされた新たな問いとは。お楽しみに。
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満薗勇とたどる「消費者・生活者・お客様」の変遷
◉調査という罠
ラザースフェルドが社会調査に残した問い
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アンケート調査を終えて「自己像、その理想と現実」
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◉パルコと山口はるみの時代
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Harumi Galsというオキシモロン
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消費する我々の痕跡をたどる
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書名:『WORKSIGHT[ワークサイト]27号 消費者とは Are We Consumers?』
編集:WORKSIGHT編集部(ヨコク研究所+黒鳥社)
ISBN:978-4-7615-0934-7
アートディレクション:藤田裕美(FUJITA LLC)
発行日:2025年5月14日(水)
発行:コクヨ株式会社
発売:株式会社学芸出版社
判型:A5変型/128頁
定価:1800円+税