アジアが集い、創造する「道場」:山形と東京、ドキュメンタリストの虎の穴
豪雪地帯の温泉郷で2018年以来、アジアのクリエイターが集い、語り合い、再び世界へ羽ばたいていったという稀有な場、その名も「山形ドキュメンタリー道場」。活動内容をお披露目するイベントが、この2025年の初夏、東京で開催される。成果を性急に求める社会から距離を置き、制作者が思考を熟成させ、越境的なつながりを形成してきたプログラムは、ドキュメンタリー映画という枠を超えて、わたしたちを刺激する。
2025年の「山形ドキュメンタリー道場7」の一場面。肘折温泉の公共浴場「上の湯」、その2階にある畳の広間では毎夜、映画上映と講師(メンター)によるレクチャーが行われた
山形は1989年の第1回以来、現在まで続く「山形国際ドキュメンタリー映画祭」の功績によって「アジア・ドキュメンタリーの聖地」と呼ばれる。その伝統を引き継ぎつつ、完成された映画を発表/鑑賞する場としての映画祭ではなく、クリエイターたちが制作過程の只中で大きな刺激を与え合える場として、2018年から「山形ドキュメンタリー道場」は開催されてきた。オフィシャルの説明には、こうある。「新作に取り組む映像作家たちが長期滞在し、国際交流を通して思考を深めるアーティスト・イン・レジデンス(AIR)事業です。ドキュメンタリー映画にとって、撮影後の映像素材をどのように編集するかが、作品の方向を定める決定的なプロセスです」
そんな取り組みを東京で紹介するイベントが、2025年6月7日から13日にかけて「山形ドキュメンタリー道場in東京2025初夏篇」として催される。「クリエイティブ・ドキュメンタリーの新しいコレクティブ」が刻んできた7年間の軌跡を振り返り、さらなる議論を醸成する場であると同時に、“一見さん”にもうってつけの機会だ。かつて道場に参加し、今回東京にやってくる作家たちの顔ぶれも華やか。晩年の坂本龍一が惚れこみ、自身が審査員長を務めた大島渚賞を授けた、『セノーテ』や現在公開中の『Underground アンダーグラウンド』などで知られる小田香(NHKで撮影された坂本生前最後のピアノコンサート『Ryuichi Sakamoto | Opus』のカメラにも参加)。東日本大震災後の陸前高田が舞台の『息の跡』や、恵比寿映像祭2025で上映された最新中編『春、阿賀の岸辺にて』などが高い評価を受ける小森はるか。日本ではじめて刑務所内にカメラを入れた話題作『プリズン・サークル』の坂上香や、近年のドキュメンタリー映画では異例のヒット作となった『どうすればよかったか?』の藤野知明。台湾、フィリピン、インドネシアからも気鋭の作家たちが集結する。
とはいえ、国内外に多くあるアーティスト・イン・レジデンスとは、いったい何が違うのだろうか。主催するドキュメンタリー・ドリームセンター代表の藤岡朝子氏に話を聞くと、意外な話がぽろぽろと飛び出した。やはりこの道場は、現代の創造性においてオルタナティブを模索する、厳しくも心地よい“虎の穴”であるようだ。
photographs courtesy of Yamagata Documentary Dojo
interview and text by Fumihisa Miyata
藤岡朝子|Asako Fujioka 山形国際ドキュメンタリー映画祭副理事長。ドキュメンタリー・ドリームセンター代表として、2018年、「山形ドキュメンタリー道場」を始める。幼少期より13年間アメリカとドイツで育つ。1993年より山形国際ドキュメンタリー映画祭のスタッフとなり、2003年まで同映画祭で「アジア百花繚乱」「アジア千波万波」プログラムのコーディネーターを務める。ベルリン映画祭などで日本映画を海外に紹介する事業に携わる一方、国内でもアジアのドキュメンタリー映画の上映・制作支援・普及のために活動している。
“加速するアジア”から遠く離れて
──アジアに焦点を当てた創造的なコレクティブという点で、ドキュメンタリー映画の枠に収まらない面白さがあるのでは……という予感のもとにお話をうかがうのですが、そもそも「山形ドキュメンタリー道場」とはどんな取り組みなのでしょうか。
1989年から開催されていて、わたしも1993年からスタッフとしてかかわってきている「山形国際ドキュメンタリー映画祭」は、アジアのドキュメンタリー映画の歩みに伴走し、ありがたいことにその成長に貢献してきたとおっしゃっていただけるものになっています。わたしが2003年までコーディネーターを務めた、アジアの新進映像作家を紹介する「アジア百花繚乱」「アジア千波万波」プログラム──「アジア千波万波」プログラムは現在も続いています──を通して、個人的にもアジアの若手のつくり手たちと付き合う機会がどんどん増えていきました。
──ドキュメンタリー映画の巨匠・小川紳介も創設に携わった「山形国際ドキュメンタリー映画祭」は、以前にWORKSIGHTでも取り上げた佐藤真や、タイのアピチャッポン・ウィーラセタクン、中国のワン・ビンなど、その後に国際的な評価を受ける面々にいち早くスポットライトを当ててきました。そのなかでも藤岡さんは、アジアの新進クリエイターたちを取り上げるプログラムを通じて、若い才能との結びつきが増えたわけですね。
はい。そうするうちに海外の映画祭やコンペティションの審査員などに呼ばれるようになっていったのですが、度々感じたのは「素材はいいんだけれども、完成された作品は、なんだか急かされてまとめられたり終わらせられていたりするような気がする」ということでした。イメージとしては、映画祭の出品を急がされたり、そのなかでプロデューサーから要請されたりして、ある程度短い上映時間に収めるために無理にまとめたな、というような印象を受ける映画があるということですね。あるいは何年間も撮影対象に密着したのに、その年月の間を時系列に沿って単純にバサバサとカットしてつないだな、とか。
──せっかくの素材が、映画がつくられる環境自体のために活かされきっていない、と。
そうですね。とにかく、完成を急いでしまっている。なんでだろうと想像してみたところ、おそらくは日本も含めたアジアのつくり手たちは、制作の場面のみならず、日常生活のレベルで加速度的に忙しくなってしまっていることが影響しているのではないか、と感じました。特にアジア各地の都会では経済発展のスピードが異様に速い。そうした流れのなかでドキュメンタリー映画もつくられていて、「これを完成させてすぐに次に取り掛からなきゃ」と焦っているように思えた。だったら、立ち止まって考えながら映画をつくる、そんな場を設けられればいいのではないか、と。
一方で、映画祭を通じてわたしが山形という土地のことが大好きになっていたんですね。これは運営に携わっている人間の特権かもしれないのですが、観客の皆さんが来てくださる期間よりももっと長く、そして何度も山形に身を置いて、深呼吸できるような環境に惚れこんでいきました。つくり手の人たちが必要としているものを、山形という素晴らしい環境のもとで体験してほしい、という思いを結実させていったのが「山形ドキュメンタリー道場」という事業なんです。
上:山形ドキュメンタリー道場は蔵王温泉で当初開催され、その後に大蔵村・肘折温泉に移り、現在まで継続されている。カルデラ(火山活動によって形成された凹地)に位置する肘折温泉に、主に観光がオフシーズンとなる雪深い2月、アジアのドキュメンタリストたちが集う 下:「山形ドキュメンタリー道場in東京2025初夏篇」の予告映像。過去に参加した監督たちのコメントにも熱気がこもっている
最終日に成果を求めない
──約4週間にわたる長期参加者と、4日間滞在という短期参加者が、講師(メンター)たちとともに大蔵村・肘折温泉に滞在するのが基本のようですね。参加者がフッテージやラフカットを上映してプレゼンテーションを行い、意見を交換し合う「乱稽古」なるプログラムが名物だそうですが、全日程の冒頭に行うのだとか……?
いわば、ショック療法のようなものですかね(笑)。それは半分冗談としても、世の多くのアーティスト・イン・レジデンスやワークショップは、その期間を通じてだんだんと積み上げて完成させた成果を最終日に発表してください、というかたちをとっているものが多いのではないでしょうか。すると、例えばこの山形ドキュメンタリー道場の長期滞在者であれば、4週間の滞在のピークが最後の日、ということになる。その日までに完成を目指すとなると、先ほど触れたような、締め切りに追われ、ひたすら緊張感のなかで作品のかたちをひとまず整えていく日常生活と同じじゃないですか。
──たしかに、言われてみればそうですね。
そうではなく、この道場では、映画が完成するまでひたすら持続していく、自身の制作をめぐる本質的な変化というものを、期間中に経験してほしいと願っているんです。この形式はわたしが思いついたものではなくて、さまざまなワークショップを手がけていることで有名なサンダンス映画祭のラボのメンバーとミーティングする機会があったときにアドバイスをされたものなんです。あたためていた道場のアイデアについてわたしが相談すると、「つくり手たちが日程の最後にプレゼンするのではなくて、最初にプレゼンしたら?」と言ってくださる人がいて、「なるほど!」と。
──YouTubeで公開されている道場の記録映像を見ると、和気あいあいとした「乱稽古」の場で、しかし他の参加者や講師から手厳しい意見が飛んでいるシーンもあることがわかります。その後、長期滞在者の方々は、どう過ごすんですか?
実はそこからの3週間程は、各々で作品と向き合うということに重きを置いて、そこまで明確なプログラムを組んでいないのです。それでも滞在するメンバー同士の関係性は、ものすごく深まっていくんですよ。今年2025年2月に開催した「山形ドキュメンタリー道場7」では、毎晩のようにお互いがつくった映画や、他の映画を上映して、議論が続けられていました。例えば、ベトナムから監督のファム・ティ・ハオさんとプロデューサーのトリン・ディン・レ・ミンさんというおふたりが参加してくださっていたのですが、自分たちが手がけたわけではない、30年前のベトナムの娯楽映画をみんなで見ました。それはベトナムの歴史のなかですごく大事な映画だということで、ベトナムの近現代史をめぐって参加者たちで話し合っていましたね。
──自然発生的に、議論の場が形成されていく、と。
いま、監督とプロデューサーが参加していたといいましたが、実は監督たちには、できれば普段一緒に映画をつくっている人たちと連れ立って参加してほしい、と伝えているんです。なかなかそうはならないケースも多いのですが、例えばインドネシアから参加した監督・プロデューサー・映画編集者の3人組は、滞在中に喧嘩する場面も多く、ときには顔も見たくないというような空気が流れていました(笑)。でも終わってみれば、そうやって本気で話し合えた期間が、とても大事だったようなんですね。普段彼らがいるジャカルタはそれこそスピーディな時間が流れる大都会で、お互いに行き来するのも大変だから、ミーティングしたり一緒に作業したりするときはとにかく効率が重視されてしまう。だからこそ、本音でぶつかり合えたのはよかった、と。
──いつも協働している人とも、異なる時間を過ごす場であるわけですね。
そうした自由な期間のなかでわたしが主にやることといえば、村民の皆さんとの交流の場を設けることです。例えば、今年の参加者はヨガが得意だから、村の方々に呼びかけてヨガ教室をやってみる、ということもありました(笑)。旅館の方々が、外国人観光客とのやりとりに困るという話を聞けば、簡単な英会話教室を開いてみる。韓国のキム・ソンさんという監督が滞在したときは、水墨画が得意だというので、紙と墨を用意して水墨画教室を開いたこともありました。村の皆さんは、青年団の方々を中心に、外との交流や新しい取り組みに対してとても積極的でいらっしゃるので、「今年はどんな人たちが来るんだろうか」と楽しみにしてくださっている空気を感じます。
──そうした時間すべてを通じて、映画のつくり手たちが、通常求められている成果とはまた異なる、プロセス自体を成果として得ていく場とでもいえるでしょうか。
もちろんわたしたちも、道場が終わってしばらくしてから、山形市や東京などで改めて場を設けて、成果の発表会は開催するんです。でもそのときも、4週間の滞在がどうだったか、ということについて喋ってもらう。やっぱり完成品を発表してもらうわけではないし、滞在した土地の美しい映像を撮ってもらって外部に発信し、観光誘致に貢献するというようなレジデンシーの建て付けになっているわけでもありません。ソーシャルメディアでの注目度によって評価するということもありませんし、むしろそうしたことと切り離された環境で、深く自他のなかに潜っていってほしいというレジデンス・プログラムなんです。
上:乱稽古の恒例行事になっているという振り返りのワンシーン(中央が前述の小田香) 下:2024年「山形ドキュメンタリー道場6」の記録映像。乱稽古などとともに、これも例年希望者が参加するという「かんじき」を履いての雪中散歩の様子などが垣間見える。「みんなずっと頭を使っているので、童心にかえって解放される瞬間ですね」とは藤岡の弁。ちなみにこの記録映像も、毎回異なるドキュメンタリストに依頼し、作家独自の視点を活かしてもらっているとのこと
「個人」による創造の現在地
──なぜアジアなのか、なぜドキュメンタリーなのかという問いにも改めて関わるところだと思うのですが、実際に作家たちと道場の期間を過ごすことで、何か感じられることはありますか。
道場は、日本も含めたアジアのつくり手たちを応援したいという気持ちで取り組んでいるのですが、山形ドキュメンタリー映画祭も含めてこの30年ほどアジアの作家たちと付き合うなかで、そのエネルギッシュな行動力を日本のつくり手たちは学んでいったらいいのではないか、とずっと思ってきています。
──といいますと?
政治や社会の状況などさまざまな背景があるのですが、日本以外のアジアの作家たちは、ドキュメンタリー映画をつくっても国内で上映機会をなかなか設けることができないというケースも多い。国によっては表現や集会の自由の問題、経済の問題など、いろいろな制限がかかってしまいかねないわけです。
──そこで作家たちは行動する、と。
だからこそアジアのつくり手たちは、自分たちの観客を積極的に探しにもいきますし、世界中のいろんな映画を見て、情報収集もしながら、こんなつくり方や広げ方があるのだということを貪欲にリサーチしていくんです。そうした人たちと、日本の作家たちが、ことばも自由に通じ合えない状況下で一生懸命コミュニケーションをとりながら、よい化学反応を起こしていくことはできるはず。今年2025年2月の道場でも、日本の監督とベトナム人の映画編集者の方が出会って意気投合して、道場終了後にすぐ監督がハノイへ飛んで共同作業する、という例がありました。
──なるほど。藤岡さんがアジアに関わり始めた1990年代前半と、2025年の現在では、アジアと日本をめぐる位相自体が相当に変わっている気もしますが、いかがですか。
それこそわたしがアジア映画に関わるようになった1993年頃は、薄くなったとはいえそれでもまだ、かつての戦争の影が差していたように思います。日本人の戦争責任が常に頭の片隅にあって、アジアに対しても強い思いをもっている方々が、アジアのドキュメンタリー映画を見に来ていました。そうした肌感覚は、韓流ブームあたりから、かなりポップなものへと変わっていった気がします。
一方でアジアの作家たち自身も、何かを告発するというよりは、自分たちが生きている世界を、個人視点かつフラットな手つきで発信するという例が増えてきているように感じますね。「わたしの物語です」として提示されるものが、必ずしも大文字の歴史や社会を背負っていない。むしろ、個人的であればあるほど普遍性をもちうるというのがパーソナルなドキュメンタリーの魅力でもあると思いますので、一概に言えないところではありますね。
──ちなみに道場の記録映像を見ていると、普段は個人で制作しているからこんなに他人と意見交換ができる場は貴重でよかった……といった旨の発言をされている方が多くいるのに驚きました。一方で、かつては主に集団制作されていたドキュメンタリー映画が、デバイスの発展やセルフ・ドキュメンタリーの興隆によって個人化していった流れは、実は音楽といった多ジャンルも含めて今日的な状況であるようにも感じます。
これも難しいところではあります。もちろんテレビ・ドキュメンタリーや、そのなかでも調査報道といったような映像は、集団制作であるからこそ到達できる地点がありますよね。ただ、プロデューサー主導のテレビの企画で、ディレクターはAさんでもBさんでも代替可能、という場合もあるでしょう。山形ドキュメンタリー道場が味方しているのは、やはり他の誰にも代わることができないような、その作家個人の作品です。他の人にはできない視点が現実を切り取り、新しい表現に昇華している映画を応援したい。その上で、時代の流れとして他の人と切り離されつつあるつくり手を、広くアジアという、容易にことばが通じない場に投げ込むということを目指している、ともいえるかもしれません。
東京で何が起こるか?
──そうした山形ドキュメンタリー道場の活動内容を、広くお披露目する場としてのイベントを、この初夏に東京で開催します(於専修大学 神田キャンパス/ユーロスペース)。秋にも開催されることが現時点で予告されていますが、なぜ東京なのでしょうか。
これまで道場での経験を通じて制作・発表されてきた作品たちを、ひとつの連なりのもとでお見せしたい、ということはありました。ドキュメンタリー映画や作家たちを育む場として山形があるのだとすれば、東京には、世界に発信していくための窓口としての都市という側面はやはりあると思います。
もうひとつ、ひとまず今回の初夏篇の理由としては、かつて道場に参加した台湾のルオ・イシャン(羅苡珊)監督の長編映画で、わたしが共同プロデューサーを務めている『雪解けのあと』が、同じタイミングで公開されるんですね。監督を東京に招きつつ、道場の軌跡を振り返ることはできないかと考えたのが、「山形ドキュメンタリー道場in東京2025初夏篇」です。今回の収穫を踏まえながら、秋も開催する予定です。
『雪解けのあと』予告編。2017年にネパール山岳地帯の遭難事故で親友をなくしたルオ・イシャン監督による、2024年製作作品。インディペンデント・ドキュメンタリーであるにもかかわらず、中華圏を代表する映画賞の金馬奨にノミネートされた。2025年6月14日より東京・ユーロスペースほか全国で順次ロードショー。監督は「山形ドキュメンタリー道場in東京」では6月7日、本作の前身となった短編『それから』の上映時に登壇する
──スケジュールの初日とはいかないまでも、乱稽古も開催されるようですね。
観客の皆さんには、オブザーバーとして乱稽古を観察いただくというかたちになっています。もちろん乱稽古自体、山形で開催していたようには、なかなかいかないかもしれません。わざわざ雪深い山形の温泉地まで移動して取り組んでいたものと、東京の都心に集って話すものでは、やはり心持ちが異なるとは思いますから。でも、アジアのドキュメンタリー作家たちが居合わせることでの、日本映画のなかだけではなかなか生み出されない緊張感や、同時通訳も介しながらフラットな意見交換がされていく様子は、きっと刺激的なのではないかと思っているところです。
──ここまでのお話を踏まえても、ドキュメンタリー映画に限らない、アジアの創造性をめぐるさまざまな関心のもと、覗いてみることができるイベントだという気はします。
各監督の作品上映とトークの場でも、「道場での体験はどうだったか」ということに重きを置いた話を展開していければと思っているんです。決して道場が素晴らしいなどという宣伝文句を言ってほしいということではなく、毎日を自転車操業のようにあくせくしながら過ごしているわたしたちにとって、何か今後のヒントになるようなことばが聞けるような気がしているんですよね。惰性で進んでいくのではない、意識を切り替えるための転換点といいますか、ひとつのブレイクスルーに到達するために必要な時間にまつわる手がかりを、いろんなトークのなかから聞き取っていただけるのではないでしょうか。
【WORKSIGHT SURVEY #5】
Q:アジア各地で、創作や表現における新しいつながりが広がっていると感じますか?
藤岡朝子さんは、上映機会が限られていても、自ら観客を探し、世界とつながろうとするアジアの作家たちの行動力に強い刺激を受けてきたと語ります。あなたは、アジアで制作された作品に触れる機会や、アジア圏内で表現をめぐる交流が増えていると感じますか? 意見や感想を、リンク先のGoogleフォームにぜひご記入ください。
次週6月10日は、近年にわかに議論の的となっているモニュメントについて、彫刻家・評論家の小田原のどかさんと一緒に考えます。BLM運動のなかで引き倒され、倒されたままに美術館で展示されることになったイギリス・ブリストルのコルストン像などの事例は、何を示唆するのか。翻って日本国内では、渋谷駅前にあったモヤイ像はひっそりと移転され……。モニュメントや彫像の現在地、そこから見えてくるわたしたちの可変的な記憶の姿について議論します。お楽しみに。
【新刊案内】
photograph by Hironori Kim
書籍『WORKSIGHT[ワークサイト]27号 消費者とは Are We Consumers?』
消費者という存在は、歴史のなかでいかに形づくられ、現代においてどのような意味合いを帯びているのか。今号では、マーケティングリサーチ分野においてアジア全域で確固たる実績をもつ老舗企業・インテージを共同編集として迎え、消費の現在地を見つめ直す。
◉巻頭座談会 消費者がわからない
対談:野田淳(インテージ)× 山下正太郎(本誌編集長)
◉消費者とは誰か
満薗勇とたどる「消費者・生活者・お客様」の変遷
◉調査という罠
ラザースフェルドが社会調査に残した問い
◉あなたは消費者?
インテージ × WORKSIGHTによる大規模アンケート調査
アンケート調査を終えて「自己像、その理想と現実」
◉消費者がクリエイターになる
クリエイターエコノミー/ファンダム、参加する消費者の時代
◉レコードを万引きする
若者はいつから「消費者」なのか
◉パルコと山口はるみの時代
消費文化の到来を告げたHarumi Gals
Harumi Galsというオキシモロン
◉まちの診断術
北沢恒彦と住民が「テクった」京都の商店街
◉コンシューマーズ・ブックガイド
消費する我々の痕跡をたどる
◉世代、あるいは生産と消費が分離した世界のゆくえ
ティム・インゴルドは語る
書名:『WORKSIGHT[ワークサイト]27号 消費者とは Are We Consumers?』
編集:WORKSIGHT編集部(ヨコク研究所+黒鳥社)
ISBN:978-4-7615-0934-7
アートディレクション:藤田裕美(FUJITA LLC)
発行日:2025年5月14日(水)
発行:コクヨ株式会社
発売:株式会社学芸出版社
判型:A5変型/128頁
定価:1800円+税