チェルノブイリと豚の塩漬け:ウクライナのある若き夫婦の追憶【WORKSIGHT ARCHIVES#11】
隔週木曜日に過去のプリント版『WORKSIGHT』に掲載された必読記事を配信中──。写真家の小原一真がウクライナの旅で出会ったパーシャとナレシュカ。チェルノブイリ原発事故の避難者のためにつくられた街、スラブチチで生まれ育った彼らと寝食をともにし、その人生を追った日々を振り返る。(2024年5月15日発行)
世界14カ国から届いた、〈料理×場所〉を切り口とする23のエッセイを収録した『WORKSIGHT[ワークサイト]23号 料理と場所 Plates & Places』。今回はその中から、現在、立命館大学国際平和ミュージアムにて写真展「Unreel-Fragments of Human Condition」を開催中の写真家・小原一真氏のエッセイを公開する。
チェルノブイリ原発事故の避難者のためにつくられた街・スラブチチで小原氏が出会った、パーシャとナレシュカ。豚の背脂を塩漬けにした伝統料理「サーロ」を囲んだ宴、アルメニアの郷土料理が並ぶふたりの結婚式──彼らと過ごした日々を、食卓の記憶とともに振り返る。
2024年5月15日発行、プリント版『WORKSIGHT[ワークサイト]23号 料理と場所 Plates & Places』より転載。
小原一真|Kazuma Obara 写真家。ロンドン芸術大学フォトジャーナリズム修士課程を修了。原子力、戦争、ロマなどの社会問題を独自の手法でビジュアル化する。『Reset』(2012/Lars Müller Publishers)、『Silent Histories』(2015/RM)、チェルノブイリの被曝の問題を扱った『Exposure』(2017/RM)といった写真集が米TIME誌、英Telegraph紙等で年間Best Photobookに選ばれたほか、国際的な受賞も多数。現在、立命館大学国際平和ミュージアムにて写真展「Unreel-Fragments of Human Condition」を開催中。(7月11日まで)
パーシャとナレシュカ
料理|サーロ
場所|スラブチチ(ウクライナ)
Text and Photographs by Kazuma Obara
ウクライナの首都キーウから北へ直線距離で約100キロ、チェルノブイリ原子力発電所から東方に約50キロの地点に広大な針葉樹林を切り開いて造られた街がある。古代スラブ語でドニプロ川を意味するスラブチチと名付けられたその街は、ベラルーシとウクライナを隔てるドニプロ川を西に望む。白樺の木々に囲まれた美しく、そして、新しいウクライナの街である。
1986年4月、世界最大の原子力災害と呼ばれるチェルノブイリ原子力発電所事故が起きた。原発に隣接したプリピャチ市をはじめとする放射能汚染地域の住人は避難を強いられ、原発関連の仕事に従事していたプリピャチ市民は事故後リクビダートル(清掃人)と呼ばれる収束作業従事者として働いた。1986年の暮れ、当時のソ連政府は、事故の収束と原発の運転(事故を起こした4号機を除き発電を継続)のために同市の住人たちの避難先となる街の建設を発表した。
街の建設には、旧ソ連邦の各地から集まった土木・建設業者たちが、自国から資材を持ち寄り、住居の建設にゼロから取り掛かった。アルメニア、アゼルバイジャン、エストニア、ジョージア、ラトビア、リトアニア、ロシア、ウクライナが参加し、8つの地区にそれぞれの建築様式で建てられたアパートメントが並んだ。現在も地区や通りの名前に、建設に関わった地域の名前が残されている。街が完成した1988年には、避難住民だけでなく、建設に携わった多くの人びとが定住を決め、さまざまな共和国の出身者で構成される多国籍の街が生まれた。
原発事故後にこの街で生まれ育った、パーシャとナレシュカに出会ったのは2015年3月のことだった。
パーシャの両親はプリピャチ市から避難し、ナレシュカの両親は街の建設のためにアルメニアからこの地を訪れ、定住を決めた。それぞれの子どもたちは若き作業員としてチェルノブイリ原発で廃炉作業に従事していた。当時、わたしはロンドンにあるフォトジャーナリズム修士課程で原発事故の長期的影響の視覚化を研究しており、そのためのフィールドワークでこの街を訪れていた。同世代のわたしたちはすぐに意気投合し、わたしが論文を書き終える1年間、ほぼ毎月ウクライナを訪れては、パーシャの実家で寝泊まりし、ふたりが結婚してからは、新居に寝袋を敷いて寝食を共にした。
4月のある晩、近所の人びとが集まり、酒盛りが始まった。10畳ほどのリビングの長テーブルに8人の男が集い、宴はウォトカの乾杯から始まった。
「健康のために!」と互いが視線を交わし合い、一気に飲み干す。「サーロ」という食べ物を知ったのは、この時であった。ウクライナのナショナルフードとまで言われるサーロとは、豚の背脂を塩漬けにしたものである。背脂の塊は一般的なスーパーで購入することが可能で、家庭で塩漬けにすることもあれば、スモークにしたり油で揚げたりと、さまざまなアレンジがなされる。冷暗所に置いておけば1年以上保存が可能ということで、歴史的に保存食としても重宝されてきた。分厚い脂肪の塊を2〜3ミリにスライスして、ウォトカのあてにすることもあれば、ライ麦パンやニンニク、玉ねぎと合わせて食べることもある。ウォトカとの相性は抜群で、焼けるようなアルコールの後に脂身が舌の上でとろける感覚を一度知ってしまったら、サーロは欠かせないものとなる。ウクライナ人のサーロ好きは、隣国からジョークのネタにされるほどで、国内のニュースサイトには、サーロの摂取量をどれくらい抑えれば健康でいられるかという冗談とも思えるような記事が掲載される。ウクライナの西部の都市リヴィウにはサーロ博物館なるものまで存在する。
栄養価が高く、保存食であるサーロは、戦争の歴史とも切り離せない。コサック隊が戦いで常備していたり、また、オスマン帝国やクリミア・ハン国などのイスラム教徒との戦争では、農民たちがサーロで飢餓を凌いだりしたという。イスラム教徒の侵略者たちは豚肉を略奪することはなかった。また、後に読んだアメリカの学術誌には、2004年にウクライナで起きたオレンジ革命(大統領選挙の不正に対する抗議活動)で、極寒のなか、政府軍の弾圧に耐え抜く人びとが共通に食べていたものがサーロだったという聞き取りが記述されていた。サーロは非常食というだけでなく、革命の共通のシンボルとして市民の間で共有された、と。2014年、ウクライナ東部ドネツクへとロシア軍が侵攻した年、当時、人気コメディアンとして活動していたゼレンスキーは、自らが登場するミュージックビデオでサーロについて歌った。
「ウクライナはまだ死んでいない/サーロがある限り」
わたしがパーシャとナレシュカに出会ってから半年後にふたりは結婚した。式場のテーブルの上には、アルメニアとウクライナの郷土料理が並ぶ。世界最古のキリスト教国であり、世界最古の料理のひとつとされるアルメニア料理。豊かな歴史と文化をもったアルメニアであるが、19世紀から20世紀初頭に行われたオスマン帝国によるアルメニア人の大量虐殺によって多くの国民が国外への離散を強いられた。その後も続く不安定な国情は、より弱い立場の人びとに移動を強いてきた。いま、ここにアルメニア料理が並んでいることもまたそういった歴史の積み重ねのひとつの帰結のはずである。
祝宴が始まるとナレシュカの父親がパーシャの親族とウォトカを交わし、サーロをつまんだ。パーシャの父親もホロヴァッツと呼ばれる豚肉を串に刺したバーベキュー料理を頬張り、アルメニアのブランデーを飲み交わした。さまざまな苦難に耐えてきたそれぞれの料理が、祝いの味として交差し、新しい世代の舌に喜びとして刻まれていった。
2022年2月下旬、ベラルーシからキーウに向かって南に侵攻したロシア軍は、チェルノブイリ原発及びスラブチチ市を占拠した。音信不通になっていたナレシュカから占領2週間後にメッセージが届いた。
「ロシア軍が水道もガスも物流も遮断してしまったので、いま、少ない食料を外で火をおこして料理している」
その1週間後、ナレシュカと7歳の娘はロシア軍の目をかいくぐり、ドイツまで逃げた。夫のパーシャはいま、兵士として最前線にいる。
※『WORKSIGHT[ワークサイト]23号 料理と場所 Plates & Places』(2024年5月15日発行)より転載。
【WORKSIGHT SURVEY #64】
Q:食卓の記憶とともに思い出す友人はいますか?
小原さんと、パーシャとナレシュカの記憶は、地域や民族の歴史が刻まれた料理で彩られていました。あなたには、食卓の記憶とともに思い出す友人はいますか。それはどのような料理でしたか。みなさんのご意見をぜひお聞かせください。
【WORKSIGHT SURVEY #61】アンケート結果
IP先進国とその"消費者"たち:中山淳雄と考えるクリエイターエコノミーの現在地【WORKSIGHT ARCHIVES#10】(5月14日配信)
Q:自分の消費には「クリエイター」的な側面があると思う??
【はい】本業はテレビ局プロデューサーそして大学教員であるので、どうプロデュース・プロモーション展開するか?自然に考えてしまうので…
【はい】色々な人の本棚を眺めるのが好きで、自分がただ集めただけの本棚(本)も、結果的に自分の内面が滲み出た無意識の編集による非常に面白いものになっているような気がします。個人が集めたものや好きなものをただ公開するだけで他人からすると興味深い「クリエイター」的なものになるのかもしれないですね
【いいえ】消費のみ、 使ってみての感想を述べる程度
『WORKSIGHT[ワークサイト]23号 料理と場所 Plates & Places』
photograph by Hironori Kim
どんなに世界が情報化されようと、どんなにグローバリゼーションが進もうと、その時、その場所でしか味わうことのできない"料理"。ラジカルなまでにローカルで、フィジカルで、多元的な食の世界は、自律分散社会の最もダイナミックな実践の場と見なすことができるだろう。世界14カ国から届いた〈料理×場所〉を切り口とする23のエッセイと、国や時代を超えて食の世界を旅する33冊のブックガイドから、日々更新されていく人びとの営みとしての料理に迫る。WORKSIGHT史上、最も"お腹がすく"特集だ。
【目次】
◉エッセイ
#1「サフラジストの台所」山下正太郎
#2「縁側にて」関口涼子
#3「バーガー進化論」ジェイ・リー/ブルックス・ヘッドリー
#4「ハイジのスープ」イスクラ
#5「素晴らしき早餐」門司紀子
#6「トリパス公園の誘惑」岩間香純
#7「パレスチナ、大地の味」サミ・タミミ
#8「砂漠のワイルドスタイル」鷹鳥屋明
#9「ふたりの脱北者」周永河
#10「マニプールの豚」佐々木美佳
#11「ディストピアの味わい」The Water Museum
#12「塀の中の懲りないレシピ」シューリ・ング
#13「慎んで祖業を墜すことなかれ」矢代真也
#14「アジアンサイケ空想」Ardneks
#15「アメイジング・オリエンタル」Go Kurosawa
#16「旅のルーティン」合田真
#17「タコスと経営」溝渕由樹
#18「摩天楼ジャパレス戦記」佐久間裕美子
#19「石炭を舐める」吉田勝信
#20「パーシャとナレシュカ」小原一真
#21「エベレストのジャガイモ」古川不可知
#22「火光三昧の現場へ」野平宗弘
#23「収容所とただのピザ」今日マチ子
◉ブックガイド
料理本で旅する 未知の世界へと誘う33 冊のクックブック
【書籍情報】
書名:『WORKSIGHT[ワークサイト]23号 料理と場所 Plates & Places』
編集:WORKSIGHT編集部(ヨコク研究所+黒鳥社)
ISBN:978-4-7615-0930-9
アートディレクション:藤田裕美
発行日:2024年5月15日(水)
発行:コクヨ株式会社
発売:株式会社学芸出版社
判型:A5変型/128頁
定価:1800円+税







