開かれた収蔵庫と新自由主義の罠:世界が注目する美術館「DEPOT」の挑戦【WORKSIGHT20号「記憶と認知症」より】
オランダのロッテルダムに、来場者が美術館の「収蔵庫」を鑑賞できる施設がある。この透明性の高い展示方法の背景には、アートをめぐる経済事情と公共美術館が担う役割の変化があった──。プリント版最新号『WORKSIGHT[ワークサイト]20号 記憶と認知症 Memory/Dementia』より、本誌編集長・山下正太郎による現地取材記を転載してお届けする。
2021年11月、オランダのロッテルダムで「見せる収蔵庫」としてオープンしたデポ・ボイマンス・ファン・ベーニンゲン、通称「DEPOT」(以下「デポ」)。本館にあたる市立美術館、ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館の約15万点のコレクションを収蔵すると同時に、その空間を一般公開している、世界に類をみない美術施設だ。
この斬新な取り組みは、人びとに“キュレーション”が存在しない新たな美術体験を提供するだけでなく、倉庫で眠ったままになっているコレクションを有効活用しながら、美術品の修復・保管・維持といった裏側の仕事に光を当てるという、美術館の効率化と透明化も促進している。
このようなモデルチェンジの裏側には、公共美術館が抱える深刻な事情があるという。美術界の金融化、グローバル化がもたらしたアートマーケットの高騰による運営の厳しさ。一方で、外部の援助を受けることは市立美術館としての公共性を脅かすことにもなりうる。
その土地の歴史や集合的記憶を伝えてきた公共美術館の役割は、今後どのように変わっていくのだろうか。デポの広報担当のフィンセント・カーディナールさんが、デポのビジネスモデルの変革の舞台裏について、包み隠さず教えてくれた。『WORKSIGHT[ワークサイト]20号 記憶と認知症 Memory/Dementia』の巻頭特集「記憶をめぐる旅の省察」より、一部を抜粋してお届けする。
text by Shotaro Yamashita(WORKSIGHT)
photographs by Shinji Otani
美術館と市場原理
認知症をめぐる問題の大きさにうなだれながら、再びロッテルダムの街を歩いていると、それは突如異物として立ち現れる。異色の収蔵庫/美術館「デポ・ボイマンス・ファン・ベーニンゲン」、通称「デポ」である。
「デポ」は、フランドル絵画の名匠ヒエロニムス・ボスやピーテル・ブリューゲルなどの名画から現代美術まで、世界に名だたるコレクションを誇る「ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館」の膨大なコレクションの収蔵庫であり、同時に、それが一般公開され展示空間となっているという意味では、美術館の新館としても位置づけることもできる、世界に類を見ないユニークなアートコンプレックスだ。
窯か鉢かを象ったかのような特徴的な建築は、地元ロッテルダムを本拠地とするMVRDVが担当している。わたしが建築学生だった20年ほど前にはすでに建築界のスターだった彼らは、オランダの高齢者住宅に「オクラホマ」という名前をつけたり、異なるファサードを即物的に積み上げたりと、真面目なのか不真面目なのかどう受け取っていいのかわからない作品で知られるが、その軽やかでシュールな手つきは、現代社会の課題を鋭く浮き上がらせるものでもあった。
今回もデポを設計するにあたって、「IKEAの店舗でたまたま手に取った器にヒントを得た」という謎めいたコメントをもって、わたしたちを攪乱する。とぼけた建築的意匠とは裏腹に、それが包み込む内情はいたって複雑で、公共美術館の現在地を伝えている。
記憶と認知症をめぐる旅において、美術館を訪ねるのはやや意外に思われるかもしれないが、公共美術館というものが市民の「集合的記憶」を司る機関であると考えれば、必ずしもとんちんかんな話でもない(はずだ)。個人の記憶の問題と、社会、国家もしくは市民共同体の記憶の問題は、相互に絡み合いながら、互いに影響を与えていく。
デポでわたしたちを案内してくれたのはPRを担当するフィンセント・カーディナールさんだ。一見するとビジネスライクなやり手に見え、最初は手短に取材を切り上げたい様子がありありだったが、話が盛り上がってくると、時間を忘れて話し続ける、実は気のいい人物なのだった。まずは、コレクションの収蔵庫を展示空間にしてしまうという、あっと驚くアイデアが、どこから生まれたのかを尋ねてみた。
市立の公共美術館において、これだけの規模の収蔵庫をオープンにする美術館は、世界を見渡しても先行例がありませんでした。PRという観点から見ても、このアイデアは斬新で、多くの来場者を惹きつけることは明白でしたし、ロッテルダム市のマーケティングにも使えるので市政府も大いに乗り気でした。とはいえ、それが美術館を公開するというアイデアの契機になったわけではありません。
最大の理由として、まずは、公立の美術館として、膨大な美術コレクションを保持するためにいったいどれだけの設備や労力が必要かを人びとに知ってもらう必要があったということがあります。当館のコレクションの大部分はロッテルダム市が所有しており、それは、実質的にはロッテルダム市民がこのコレクションの所有者であることを意味しますので、所有者に対する説明責任として、まずはこの建物の収蔵庫の実際を見てもらうことが、最大の使命でした。みなさんに見ていただく、という部分については、現在、年間最大約30万人の来館者を目指しています。
計画の初期段階では、絵画の修復などに携わるスタッフが、衆人環視のもとでは集中できないといった理由で反対するのではないかと恐れていましたが、実際にはこのアイデアを気に入ってくれて、自分たちの仕事を多くの方に見ていただけることを意気に感じてくれているようです。
彼らのプライオリティは、絵画をできるだけ精密に修復し、保存することです。美術館のなかにあって、裏方として匿名で働く彼ら・彼女らの仕事に光が当たることは、素晴らしいことだと思いますし、実際、観客からしても、それは非常に魅力的なコンテンツなのです。
と、ここまでは、ある意味当然な、きれいな回答だが、話が興味深くなってくるのは、実は、ここからだ。フィンセントさんは、現在、公立の美術館が直面している問題を、こう早口でまくし立てる。
おそらくこれは、全世界的な動向だと思いますが、少なくともヨーロッパでは1980年代以降、美術市場が爆発的に拡大し、美術品の価格が高騰したことによって、昔ながらの公立美術館のほとんどが、新しい美術品を見つけて購入することができなくなっています。特に絵画、彫刻、写真など人気のあるジャンルの作品は、少なくともこれまでの3倍以上の価格でしか手に入れることができなくなっています。公立美術館には、もはや手が出せないのです。ですからわたしたちは、市の財政とは別に、常に外部からの支援を必要としています。
こうした状況は、わたしたちが収蔵庫をオープンにしたことと、実は深く関わっています。当館は最近、著名な絵画を2点購入したのですが、どちらも外部の関係者の援助を得て、ようやく購入できたものです。美術館が展覧会の収入だけで美術作品を購入できる時代は、とっくに終わっています。
ただ、作品取得の資金を調達するために外部の援助に頼ることになりますと、当然、支援者は支援した分の何らかの見返りを求めることとなります。かつては、支援者の名前を書いたプレートを作品の脇に掲出しておくことで対応してきましたが、現在わたしたちが資金調達のために会うことになる相手は、慈善の精神に溢れた富裕な個人ばかりではなく、財団や企業、コンソーシアムなど、支援の目的や動機が多様な組織や機関だったりします。
こうした多様な出資者を満足させるためには、まずデポのようなしっかりとした収蔵庫が必要となりますし、それを大切に保管するためのノウハウも必要です。作品への融資を引き出すための、これは最低条件です。また、デポのなかには、展示のためのホワイトスペースが用意されていますが、それはこうした支援者=出資者たちが、自らが出資した作品を展示するために用意されたものなのです。要は、出資を受けることと引き換えに、個人や企業の美術コレクションを預かり、展示するサービスを始めたということでもあるのです。実際、デポの建設が進んでいる最中、わたしたちは出資してくれそうな、たくさんの人や組織の元へと出向きましたが、そこでのセールストークは、「御社のコレクションを保管するために、公正な価格のスペースを提供します」というものでした。
広報担当のフィンセント・カーディナールさん。館内を案内しながら、デポのビジネスモデルの変革の舞台裏を熱を込めて語ってくれた
集合的記憶の地盤
なるほど。公立美術館は、一種のサービス付きの倉庫業者でもあるということだ。このビジネスモデルの変更は、背に腹は代えられない転換だとはいえ、これは美術館の「公共性」を根幹から揺るがす、重大な問題かもしれない。
美術館として、言うまでもなくこれは大きな転換です。これまで長年当館に勤務してきたスタッフには、保存修復に携わる職員からレストランのスタッフにいたるまで、この機会に全員再教育を行いました。なぜなら、ここは美術館として、最も現代的で最新の保存技術やサービスを提供しなくてはならないからです。
また、デポのオープンを機に、わたしたちが収蔵しているコレクションをグローバルに巡回させることを専任とする新たな部門も設置しました。この部門は、わたしたちのコレクションのなかから有名な作品を集め、世界中で巡回できるような大規模展覧会を企画することを目的としています。さらに、それと連動して、美術品の輸送に熟知している人を新たに雇用しました。このようにビジネスをグローバル化していくなかで、この建物は、わたしたちのコレクションのショーケース、もしくはショッピングウィンドウとして新たな役割を担うことになるのです。実際、世界中の美術館などから、わたしたちのコレクションを貸してくれないか、という依頼は増えています。
こうした試みは、美術館の資産をもっと効率よく運用するということを意味しています。考えてもみてください、これまでの美術館は、どんなに立派なコレクションをもっていたとしても、そのうち90~95%の作品は常に休眠状態にあったのが実情です。わたしたちの美術館の本館にあたるボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館では、中世ヨーロッパ美術から現代美術にいたるまで、実に15万2,000点の収蔵品を擁していますが、大規模な展覧会を開催したとしても、そこで展示できるのはせいぜい300点くらいです。美術品を保存しつつ、より多くの作品を、どうやったら収蔵庫の外へと出すことができるのか、新旧スタッフが現在この課題に取り組んでいます。
建物中央の吹き抜け部分。「透明性」は建築デザインにおいてもひとつの基軸だ。見上げても見下ろしても、名品アートが顔を覗かせている
ただ、先ほどお伝えした通り、こうやって事業をグローバル化し、効率化していくことの背景には、より広く出資者を募らなくてはならないという状況があります。新たな出資者の開拓は必須ですが、そうやって間口を広げていけばいくほど、美術館としての自律性が損なわれてしまうリスクも増大します。
現在、本館の建物にあたるボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館は改修工事中なのですが、実は長らく工事が止まってしまっています。その理由は、デポの大口の出資者が、本館の改修プロジェクトにも出資したいと言ってきたことにあります。その人物は、出資の条件として、美術館の理事会の議席をふたつ要求してきたのです。わたしたちは、そこまではできないと断りましたが、これは難しい判断ですし、このような緊迫した綱引きがずっと続いています。
民間企業や個人のコレクションを預かるようなことになると、言うまでもなく、美術館の「公共性」は揺らいでしまいます。そのため、わたしたちはどこで線引きをするのかを規定した、かなり拘束力の強いガイダンスを設けていますし、美術品を預かるにあたっても、その美術品の来歴を、出資者の経歴や政治的な傾向などを含め事細かに検証した上で、基準を満たすことができなければ、申し出をお断りしています。
いずれにせよ、これは難しい問題です。近年、美術館はアート作品の来歴やその政治的な背景をめぐって、強いアクションを起こすようになっています。例えば、植民地時代に半ば略奪されるようにして欧州にもち込まれた作品はコレクションから外し、オリジンとなる国に返却するといったことが盛んになっていますが、本館は、フロントランナーとしてその潮流を推進してきたという自負もありますので、そうした観点からも、どんなにお金を積まれたからといって、政治的に不適切と考えられるコレクションや作品をお預かりするわけにはいきません。
自治体、企業、多種多様なファンドや財団などが関わる現代の美術館は、その意味で、極めて難しいバランスの上に成り立っています。デポについても、建物を所有しているのは40%が民間の財団、60%がロッテルダム市で、美術館は建物を間借りして運営している格好です。とはいえ、この建物自体が、美術品収蔵庫として使うことに最適化されていますので、わたしたちが出ていってしまったら、おそらく建物の価値を維持するのは困難でしょう。その意味でも、緊張した関係性のなかで、いまのところ、財政的にも政治的にも安定した状態はつくれているかと思います。
公共の美術館の所有者は、先ほどもお話しした通り、本来的には市民であるはずです。そこは、いわば市民の集合的記憶の保管庫でもありますので、美術館はもとより、外部からの政治的、もしくは経済的な圧力によって、その集合的記憶が歪められてしまうことはあってはなりません。しかし、あらゆるものが政治化していく社会環境にあっては、何を収蔵し、どのような文脈においてキュレートし展示を行うのか、そのひとつひとつの選択が恣意性を帯び、政治的なものとなってしまいます。
わたしたちデポでは、作品を展示する際にも、コンテクストを明示したり作品を説明したりすることを避けています。できるだけ情報を剥いだ上で展示するのですが、それは観客のみなさんに、ここから何をもち帰ることができるのか、銘々に考えてもらいたいからです。世の中がこれだけ流動化し、アートというものをめぐる捉え方や考え方が変わってきてしまいますと、長い目で見てどの作品が市民にとって重要であり続け、どれがそうでないのかを予測することはとても困難です。であればこそ、デポの存在は重要です。ここは市民にとって大事なストーリーを上から提示する場所でありません。むしろ、大文字の物語からこぼれ落ちてしまうものを、市民が自ら埋めていくための場所なのです。デポは、ミュージカルのような完成された体験を提供する場所ではないのです。作品の意味を方向づけしてしまうような説明を付けず、自分たちで意味を決めてもらうようにしているのは、だからなのです。
デポではサイズや素材、保管温度などによって作品の保管場所が分類される。ルネサンス期の超名作から現代アートまでを大胆に混ぜ合わせたり、作品の展示履歴が貼られている絵画の裏面も見せてくれたりと展示もユニークだ
フィンセントさんが語るデポのリアルな話には、さまざまな観点から学ぶことは多いが、かつて美術館自身が紡いできた大文字のコンテクストが消失したいま、美術館が、意味を紡ぐ主体を利用者に託し、知のプラットフォームとして自身を再構成しようとしている姿は、とりわけ示唆に富む。こうした変革が、内発的な理由からではなく、経済の圧力によって促進されているのは皮肉な成り行きではあるが、デポはその現実から目を背けず、落としどころを探ろうと真摯に対応する。
そしてわたしたちはそこから、美術作品が担っている「意味」と、その伝達のあり方についても考えさせられることとなる。それは、広く解釈するならコミュニケーションの問題であり、ここでわたしは、ホーグワイクでの認知症をもった方との対話になっていない対話を思い出す。わたしたちは美術作品というものを、人の「非共通性」において、見つめ直すことが必要なのかもしれない。
社会基盤として「アーカイブ」というものの意義を読み解く『アーカイブの思想:言葉を知に変える仕組み』という本の一節と、デポの取り組みは通じ合っているように感じたが、どうだろうか。「言語」「言葉」「書物」の語を「美術作品」に置き換えながら、読んでみていただきたい。
「昔から『読書百遍、意自ずから通ず』と言われていますが、これは中国の三国時代に書かれた『三国志 魏志董遇伝』という本に出てくる言葉です。読んだり聞いたりすることで理解されるということは、書物そのものが知を運ぶ力をもっており、読み取れないのは読み手の問題ということになります。これが前提としているのは、言葉はそのまま伝わるものだということであり、『言語の透明性』と言われるものです。しかしながら、言葉が実は伝わらないことは、私たちが日常のなかでいろんなやりとりをしているときに感じていることでしょう。それは書物であっても同じことです。言語論的転回という用語を取り入れて語り始めてしまった以上、書物においても、書き手はそこに一定の文字を書き付けることによって一つの世界を構築し、他方、読み手はそれらの文字列を読み取る行為によって自分の世界を構築するわけで、両者が一致することはまずないということになります。『意』というものが最初から存在することはないことを前提にしています。これは現在の読書論の基本的立場です」(根本彰『アーカイブの思想:言葉を知に変える仕組み』p.29)
取材を終えて立ち寄ったロッテルダム中央駅近くの広東料理屋も18時過ぎにはほぼ満席になっていた。夏の日の長さに反してオランダの夜は実に早い。21時には街は閑散としてしまう。何事も効率を重んじる、長年かけて培ってきた彼らの習慣や記憶がそこに反映されているのだろうか。ルーツはスリナムだろうか、中南米系のオランダ人の大家族が祖母の誕生日を賑やかに祝っている。中国系のスタッフがケーキを、その大テーブルへと運んでいくと、オランダ語で歌われる聞き慣れない「ハッピーバースデー」が店中に響いた。
(つづきは本誌へ☞『WORKSIGHT[ワークサイト]20号 記憶と認知症 Memory/Dementia』)
ロッテルダムの街を一望できるデポの屋上庭園
デポ・ボイマンス・ファン・ベーニンゲン︱Depot Boijmans Van Beuningen
2021年11月、アートの「見せる収蔵庫」としてロッテルダムにオープン。本館にあたるボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館が大規模改修のため長期閉鎖されるにあたり新築された。ボスからバスキアまで、世界の名だたる美術品15万点以上を擁する保管庫を一般来訪者が観覧することができる。
倉庫に待機させられている作品の公開や、美術史・社会史的なコンテクストに即した従来のキュレーションからの解放、裏方であった美術スタッフの仕事の可視化などはそれ自体が新たな取り組みとして注目を集めている。しかしこの効率化や透明化が、美術界の金融化やアートマーケットの高騰による要請を受けた結果であることは本文で指摘されている通りだ。
デポで実験されたビジネスモデルの変革は、市立美術館が担っていた公的な役割や、今後の美術館のありようを問う大きな試金石となっている。
・住所:Museumpark 24, 3015 CX Rotterdam, オランダ
・開館時間:11:00〜17:00
・休館日:月曜
https://www.boijmans.nl/en/depot
山下正太郎|Shotaro Yamashita 本誌編集長/コクヨ ヨコク研究所・ワークスタイル研究所 所長。2011 年『WORKSIGHT』創刊。同年、未来の働き方を考える研究機関「WORKSIGHT LAB.」(現ワークスタイル研究所)を立ち上げる。2019年より、京都工芸繊維大学 特任准教授を兼任。2022年、未来社会のオルタナティブを研究/実践するリサーチ&デザインラボ「ヨコク研究所」を設立。
Photo by Hiroyuki Takenouchi
『WORKSIGHT[ワークサイト]20号 記憶と認知症 Memory/Dementia』は、全国書店および各ECサイトで販売中です。書籍の詳細は8月24日(木)配信の特別ニュースレターをご覧ください。
【目次】
◉記憶をめぐる旅の省察
文=山下正太郎(WORKSIGHT編集長)
・ザ・ホーグワイク|認知症居住者が自律協働する「町」
・マフトルド・ヒューバー|ポジティブヘルスという新たな「健康」指標
・エミール|ケアの技法を学生に授けるスタートアップ
・デポ・ボイマンス・ファン・ベーニンゲン|アート・収蔵庫・市民の記憶
・ヴィラージュ・ランデ・アルツハイマー|認知ケアを社会に開くために
・サントル・ド・ジュール・ラダマン|セーヌに浮かぶ開かれたデイケアセンター
◉記憶・知識・位置情報
桑木野幸司・ルネサンス期の「記憶術」が教えること
◉記憶をめぐる本棚
◉内戦の記憶・時空を超える音楽
ベイルートの音楽家・建築史家が描く「ホテルの戦い」
【書籍詳細】
書名:『WORKSIGHT[ワークサイト]20号 記憶と認知症 Memory/Dementia』
編集:WORKSIGHT編集部
ISBN:978-4-7615-0926-2
アートディレクション:藤田裕美
発行日:2023年8月25日(金)
発行:コクヨ
発売:学芸出版社
判型:A5変型/128頁
定価:1800円+税