スケートボードの「声」をめぐる小史:文化史家イアン・ボーデンのまなざし
「スケートボーディング」という営みを通じて都市論・建築論に新風を吹き込んだ英国の文化史家イアン・ボーデン。スケーターたちの運動のなかに言語化されない「声」を聴き取る、80年代から始まった探究は、いかに始まり、2023年の現在、どこにたどり着いたのか。プリント版『WORKSIGHT[ワークサイト]19号 フィールドノート 声をきく・書きとめる Field Note』より転載してお届けする。
宙を舞うイアン・ボーデン。Photograph by Andy Turner
photographs courtesy of Iain Borden
interview by Kei Wakabayashi/Fumihisa Miyata
text and translation by Sogo Hiraiwa
イアン・ボーデン|Iain Borden 1962年、英オックスフォード生まれ。文化史家。ロンドン大学バートレット校 建築・都市文化学科教授、教育副部長。建築や都市、公共空間に関する学術論文を数多く執筆。スケートボード歴45年のスケーターでもあり、行政やNPO団体、デベロッパー、メディアにスケートボード文化やスケートパークに関する助言も行っている。著作に『スケートボーディング、空間、都市:身体と建築』(新曜社、2006年)、『スケートボーディング全史』(晶文社、2024年刊行予定)がある。
建築史に対する疑問
これまでわたしは博士論文から2019年刊行の『スケートボーディング全史』まで、繰り返しスケートボードについて書いてきました。スケートボードを研究するようになったのには、わたし自身15歳から滑り始め、イギリス中のスケートパークを回るほどスケートボードにのめり込んだティーンエイジャーだったことに加え、大まかな理由がふたつあります。
ひとつは80年代半ば、ロンドンで修士号を取得した際にイギリスにおける「家事協同組合」の実験に関する論文を書いたこと。家事協同組合というのは中流階級が寝食をともにし、使用人を共有するホテルのような施設なのですが、とても興味深いジェンダーや階級の問題がありました。論文を書くにあたり、建築家からデザイン、設計図までその施設に関するあらゆることを調べました。しかし、建物が完成したあと入居者たちがどのようにその施設を使い、暮らしていたのかについての記録はほとんど残っていなかったのです。いまでも建築の書籍といえば、有名な建築家や建物に関するものばかりで、建築物がどのように使用されているかに関する本は数えるほどしかありません。そして大学を卒業する頃、わたしはこんな疑問を抱くようになっていました。どうすれば「経験に基づく建築史」を書けるのだろうか。
ふたつめはフランスの哲学者、アンリ・ルフェーヴルを研究していたことです。わたしはカリフォルニアのUCLAで、数年前に亡くなった都市社会学・地理学者のエドワード・ソジャとともに彼の理論を研究していました。
スケートボードについて最初に書いたのは、ある建築史の授業がきっかけでした。LAの建築について論文を書く課題が出たのです。同じクラスの学生がほとんどカリフォルニア出身のなかで、イギリス出身のわたしにいったい何が書けるというのでしょう。スケートボードしかありません(笑)。そして、スケートボードの歴史やスケーターの空間利用について調べていくうちに、「身体による空間の生産」というルフェーヴルの発想を論文に応用できるのではないかと閃きました。スケートボードと建築史への疑問とルフェーヴルとが、そこで出合いました。ですから、博士論文と1冊目の単著『スケートボーディング、空間、都市:身体と建築』はいわば、建築における経験を記述するための「方法論的な探求」だったのです。
スケーターの「会話」を聴く
調査をするにあたり、わたしはスケートボードの完全な歴史をつくりたいと意気込んでいました。しかし、その「歴史」はどこにあるのでしょうか。スケーターたちの声はどこにあるのでしょう。
初めはインタビューの実施も検討しました。しかし、1時間以上におよぶ取材をはたして何本行えば、歴史を編むに足るでしょうか。かりに100人にインタビューしたとしても、スケートボードに関係する人びとや地域を考慮すると充分ではありません。別の懸念もありました。わたしが有名なスケーターに「あなたの身体が空間をつくり出していると思いますか?」と訊いたとしても、彼はそんな理論的なつまらない質問を理解してくれないでしょう。うまく答えを引き出せたとしても、それはわたしの考えの投影でしかないわけです。
そこでわたしは雑誌を使うことにしました。雑誌の記事やインタビューも完璧ではありませんが、より多様な声を聴くことができるからです。また意図的に話しかけることなく、スケーターたちの会話(のなかにある声)に耳を傾けられるという利点もありました。アメリカの『SkateBoarder』『Thrasher』『TransWorld SKATEboarding』はもちろんイギリスの『Skateboard!』や日本の『Lovely』、ブラジルやドイツの雑誌も参照しました。90年代にスケーターやスケートボード会社が制作していたVHSやDVDも参照しましたが、主なソースは雑誌でした。つまりわたしは、インタビューはほとんどせず、スケーターや業界関係者のすでに公開されているインタビューをたくさん読んだわけです。積極的に介在することなく、部屋にいながら会話に耳を傾ける、というアプローチが気に入っていたのです。
手前にあるのはイギリス初のスケートボード専門誌『Skateboard!』。第二次スケートボードブームの渦中である1977年8月に第1号が発売された。当初はロンドン周辺のスケートボードシーンを扱っていたが、新しいパークがオープンするにつれて、イギリス全土をカバーするようになった
『Thrasher』の外にある声
とはいえ次第に、雑誌をソースに用いることの問題点を意識するようになりました。それは雑誌のキュレーションにまつわる問題です。雑誌には必ず編集者がいて、彼らが載せるコンテンツを決めています。アメリカのスケーターにとって、70年代の『SkateBoarder』、80〜90年代の『Thrasher』は聖書でした。スケートボーディングが何であるかを決める「正典」のような位置づけだったのです。「『SkateBoarder』や『Thrasher』に書いてあることは真実であり、重要な情報に違いない」と思わせてしまうほどの権威で、特に80年代における『Thrasher』の存在感は絶大でした。世界中のスケーターから送られてきた写真を掲載するなど、引用を交えたZINEのようなスタイルでつくられ、インターネット以前に掲示板のような役割を果たしていました。すばらしい出版物だということに違いはありません。しかしそこでは語られない、別の声もあるのです。
「THRASHER MAGAZINE」公式Webサイトより、アーカイブページのスクリーンショット。1981年の創刊号をふくめ、一部誌面はオンラインで閲覧できる。© HIGH SPEED PRODUCTIONS, INC.
まず地理的な限界があります。上記のスケート雑誌は北カリフォルニアで制作されているため、日本やブラジル、ドイツ、イギリスなどのスケーターの声が取り上げられることはめったにありません(近年は幾分かましになりましたが)。また当時の『Thrasher』は非常に男性優位で、特殊な美学をもっていました。「規範的な社会なんてクソくらえ。俺たちは乱暴で、屋外でビールを飲み、ハッパを吸って、パンクを聴くんだ」というような美学です。いま振り返ってみると、当時の社会がそうであったように、スケート文化がいかに男性的であり、いかに性差別的で同性愛嫌悪的だったかがよくわかります。しかし、スケートボードは「深夜に手すりを滑って警察に逮捕される白人男性」だけのものではありません。スケーターの実像はわたしたちが考えている以上に多様です。それはいまに限ったことではなく、80年代や90年代もそうでした。
ですから、19年に書いた『スケートボーディング全史』では、この20年間にシーン内で起こった変化を反映させると同時に、70〜90年代に存在した多様な声──1冊目の本を書く際に聴き逃していた声──を取り入れました。言ってみれば、わたしは「脱スラッシャー化」したのです。『Thrasher』をつくってきた人たちには多大な敬意を抱いています。スケートボードのシーンにおける彼らの功績は計りしれない。しかし、『Thrasher』だけがスケート文化ではないのです。
二極化するイメージ、多様化するスケーター
この20年でメディア環境も大きく変わりました。近年はクィアのスケートコミュニティを紹介する『Skateism』をはじめ雑誌も多様化していますし、「Girl Is NOT a 4 Letter Word」という女性だけのスケーターグループはInstagramなどのソーシャルメディアを駆使して活動しています。彼女たちは、自分を表現するためにメジャー雑誌の編集者に連絡する必要はもはやありません。写真や動画をネット上にアップロードするだけでいいのです。現在、スケーターの主戦場はInstagramにあるといっても過言ではありません。
そのほか、個人のウェブサイトやYouTube上のビデオクリップ、ドキュメンタリー映画も膨大に存在しています。ですから『スケートボーディング全史』では、そうしたスケート文化のなかで行われているさまざまな活動に耳を傾け、文化の多様なありようを記述しました。
わたしの関心はいつも、スケートボードとは何か、そこにある価値観や文化とは何かを、スケーターやスケーターでない人たちに説明することにあります。この文化をさまざまな角度から紹介することで、スケーターが「夜中に公共物を壊して回っている攻撃的なティーンエイジャー」か「スポンサーロゴに覆われた大会に参加し満足げにしている健全なミレニアル世代」のどちらか一方ではないと伝えたいのです。実際のスケーターはその両方であり、そのあいだにあるすべてです。スケーターは白人である必要はなく、アメリカ人である必要もなく、男性や異性愛者である必要もない。スケートボードへの参加の仕方は多様であり、実際にさまざまなスケーターが世界中に存在しているのです。
(上)スケートパークに集う老若男女のスケーターたち。ボーデンいわく、中年勢は滑っている時間よりもおしゃべりが中心になることもあるそう。(中)クリスタル・パレスでスケートボードをする親子。ボーデンは「スケートパークはスポーツ施設ではなく、スケートボードを中心とするコミュニティスペース」と話す。(下)2018年にロンドンに新設されたクリスタル・パレス・スケートパーク。女子限定のスケートボード教室をはじめ、さまざまなイベントが催されている
街を批評することばなき運動
スケートボードはそれ自体に特有の記述しにくさもあります。この困難はスケーティングの本質・醍醐味がその行為のなかにあることに起因しています。雑誌の記事を読んだりソーシャルメディアで動画や写真を見たりして楽しむことも可能ですが、スケートボーディングのコアはやはり滑走にこそあるのです。ところが、ストリート・スケーティングの圧倒的多数はスケーターによる毎回の滑走によって再生されるのみで、そこで起こっていることはほとんど記録されません。スケートボーディングは読まれるためのテクストをめったに残さないのです。
そのような意味において、スケーティングは「ことばなき運動」といえます。そしてそこには、社会や都市空間に対することばなき批評、パフォーマティブ・クリティークという側面もあります。どういうことか。
80年代半ばから90年代初頭にかけて、公道に繰り出すスケーターが急増しました。ベンチや消火栓、階段やレッジ(縁石)といった街中のありふれたオブジェを使ってトリックをし始めたのです。彼らが用いるのは有名建築ではありません。日常的でなんの変哲もないオブジェです。スケーターたちは街中のありふれた物に新しい価値を提供しているわけです。
手すりを例に挙げましょう。階段であれ、駅の構内であれ、手すりは安全を促すものとして設置されています。ところがスケーターがオーリーで跳び乗るやいなや、手すりは不確定性とリスクの場に変貌する。それは都市空間に対する批評です。都市を利用できるのは誰なのかという、都市への権利をめぐる批評なのです。
またスケートボーディングは建築に対する批評にもなり得ます。スケーターは度々建築に魅了されますが、彼らがその建物の設計者を気にすることはありません。ザハ・ハディドなのか伊東豊雄なのかはどうでもいいことなのです。彼らを魅了するのは、その建物にある段差であり、コンクリートの質感だからです。その批評性は驚異的です。スケーターは建築家や建築史家とは異なる価値観から、建築を批評しているのです。
しかし、わたしのような人間が書かない限り、こうした批評の営みが文字で残ることはありません。それこそがスケートボーディングが「パフォーマティブ」である所以です。文字に残らないという意味では、ライティングよりもスピーキングに近い。とても刹那的な行為なんです。詩の朗読や音楽の演奏に近いかもしれませんね。
スケートボード発祥の地ともいわれている、ロサンゼルスのベニスビーチ・スケートパーク。(上)パーク内には、階段や手すりがあるストリート・セクションも。(下)性別や年代を問わず、ハイレベルなスケーターたちが集まるスケートパークだ
「デッキ」が問いかける創造性
スケートボードのデッキはふたつのトラックと4つの車輪が付いている木片にすぎませんが、そこには創造性が内在しています。そこで問われるのは「身の回りにあるテライン(地形)との関係においてこのボードで何ができるか?」という創造性です。間違っても「どうすれば競争相手に勝てるのか?」や「どうすればテラインを打ち負かせられるか?」という問いではありません。つまり、スケートボーディングにはペンとインクと白い紙を渡されたときに抱くのと同様の、創造的な問いが内包されているのです。
わたしは、スケートボードと他のクリエイティブな活動のあいだに選択的親和力(セレクティブ・アフィニティ)があると考えています。実際、スケーターのなかには優れたミュージシャンや映画監督、フォトグラファーがたくさんいます。それから起業家も(成功している起業家のスケーターの多くがフリースタイル出身であることはあまり語られていませんが、興味深いテーマです)。なぜスケーターに優れたアーティストが多いのか。それはスケートボードが本質的にクリエイティブな行為だからなのです。
わたし個人の経験に照らし合わせていえば、最終的にスケートボーディングの魅力は、滑走を通して街が自分のからだに返ってくるという点、自分を変えてくれる点にあります。スケートボードはわたしの実存や世界との関わり方を大きく変えました。
それはまた自分自身を常に考え直すことでもあります。わたしはいま61歳で週に2回ほど滑っているのですが、最近は前より頻繁に骨折など、からだを負傷するようになりました。滑っていてもっぱら頭に浮かぶのは、「いつまでこのからだを動かし続けられるか?」という疑問です。45年前には考えもしなかった問いです(笑)。つまり、スケートボードは自分のアクティブ性を測るための、そして自身のからだを知るための手段でもあるということです。わたしはスケートボードを通じて変わるのと同時に、スケートボードによってからだの変化を感じているのです。
※本稿は『WORKSIGHT[ワークサイト]19号 フィールドノート 声をきく・書きとめる Field Note』の転載記事です。記事の内容は発行日である2023年4月27日時点のものです。
『WORKSIGHT[ワークサイト]19号 フィールドノート 声をきく・書きとめる Field Note』は、全国書店および各ECサイトで販売中です。書籍の詳細は4月27日(木)配信の特別ニュースレターをご覧ください。
【目次】
◉巻頭言・ノートという呪術
文=山下正太郎(WORKSIGHT編集長)
◉スケーターたちのフィールドノート
プロジェクト「川」の試み
◉スケートボードの「声」をめぐる小史
文化史家イアン・ボーデンのまなざし
◉ノートなんて書けない
「聴く・記録する・伝える」を人類学者と考えた
松村圭一郎・足羽與志子・安渓遊地・大橋香奈
◉人の話を「きく」ためのプレイブック
哲学者・永井玲衣とともに
◉生かされたレシピ
「津軽あかつきの会」の営み
◉野外録音と狐の精霊
デイヴィッド・トゥープが語るフィールドレコーディング
◉それぞれのフィールドノート
未知なる声を聴く傑作ブックリスト60
◉ChatGPTという見知らぬ他者と出会うことをめぐる混乱についての覚書
文=山下正太郎
【書籍詳細】
書名:『WORKSIGHT[ワークサイト]19号 フィールドノート 声をきく・書きとめる Field Note』
編集:WORKSIGHT編集部
ISBN:978-4-7615-0925-5
アートディレクション:藤田裕美
発行日:2023年4月27日(木)
発行:コクヨ
発売:学芸出版社
判型:A5変型/128頁
定価:1800円+税