ビヨンセのカントリーと、無名歌手のフィーバーのあいだ:米大統領選前に考える、新たな階級性とポピュラー音楽
2023年夏、無名のカントリー歌手オリバー・アンソニーの「リッチ・メン・ノース・オブ・リッチモンド」が全米チャート1位を獲得。トランプ支持者の代弁者と見られた後、本人が否定する一幕も話題に。一方、ビヨンセは真正面からカントリーに取り組んだニューアルバムを発表。2024年11月に米大統領選を控え、ポピュラー音楽に何が起きているのか。アメリカ音楽史を研究する大和田俊之氏へのインタビューから考える。
2023年8月19日、ノース・カロライナ州で開催されたコンサート会場にて。一躍著名人となって注目を浴びているオリバー・アンソニーの姿。この直後の25日、彼は共和党支持ではないことを表明し、さらに論争の的となっていった Photo by Mike Caudill for Billboard/Billboard via Getty Images
魂を売りながら、一日中働いて
残業しても、クソみたいな賃金で
だから俺はここに坐って、人生を棒に振るんだ
体を家に引きずり込んで、悩みを酒に溶かすんだ
(オリバー・アンソニー「リッチ・メン・ノース・オブ・リッチモンド」より、編集部訳)
ほぼ誰にも知られていなかった歌い手オリバー・アンソニーが、こう歌いだすカントリーソング「リッチ・メン・ノース・オブ・リッチモンド」。MVが2023年8月に配信され全米を賑わせてから、早くも1年近く経とうとしている。当初保守層から圧倒的な支持を得たために楽曲が論争の的となり、アーティスト自身が保守ではなく中道の立場だと発言してさらなる議論を呼んだこともまた、記憶に新しい。
実は今回の記事をつくるにあたって、WORKSIGHT編集部は当初、“労働歌”という枠組みでこうした現代社会の流れを捉えられないかと考えていた。2020年には韓国でイ・イギョンがひたすら帰りたい会社員の心情を歌う「定時退勤」がリリースされ話題を呼び、同年末からは、19世紀ニュージーランドの船乗りが歌っていた「ウェラーマン」がTikTokでバズを生み出していった。もしかしたらこうした潮流のなかでオリバー・アンソニーも捉えうるのではないか、カントリーということならビヨンセが2024年3月に発表したニューアルバム『カウボーイ・カーター』も何かしら関係しているのではないか……。
そんな整理されぬ問いを、アメリカ音楽史の専門家・大和田俊之氏にメールで投げかけたところ、そもそも労働歌という枠組みが適しているかわからない、“階級とポピュラー音楽”ということなら何か話せるかもしれない、と返事が届いた。そして、ここで編集部が語ろうとしている「労働者」とは誰なのか、とも──。2024年11月への大統領選まで半年を切るなか、手がかりを求め、大和田氏のもとを訪ねた。
interview and text by Keigo Kuramochi and Fumihisa Miyata
(先週のニュースレターでの次回予告より、内容を変更してお届けしております。ご了承ください。)
大和田俊之|Toshiyuki Ohwada 1970年生まれ。慶應義塾大学法学部教授。専門はアメリカ文学、ポピュラー音楽研究。著書に『アメリカ音楽史:ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで』(第33回サントリー学芸賞(芸術・文学部門))、『アメリカ音楽の新しい地図』(ミュージック・ペンクラブ音楽賞)、共著に『村上春樹の100曲』、『文化系のためのヒップホップ入門』シリーズがある。
アイデンティティ・ポリティクスと階級
──方向性も定まらない取材の依頼メールで、困惑させてしまったようで恐れ入ります。
いえいえ、わたしも最近SNSから離れがちということもあり、TikTokで船乗りの歌がバズったことも、韓国の歌の件も、何も知らなかったものですから……。オリバー・アンソニーに関してはわたしも少し追いかけていたのですが、とはいえじゃあビヨンセの『カウボーイ・カーター』も含めて“労働歌”として認識していたか、といわれれば決してそうではありませんでした。
──労働歌という枠組みにはうまく収まらないのでしょうか。
そもそも狭義のワークソングというのは、働きながら歌うものですよね。例えば奴隷制廃止以前の黒人奴隷が過酷な労働環境において綿を摘んだり、あるいは大陸横断鉄道の建設に従事した移民労働者たちが線路を敷設したりするなか、コールアンドレスポンスしながら歌ったものは労働歌であるわけです。もう少し広く、20世紀を中心に労働者たちを連帯させんとした「インターナショナル」などの革命歌もまた、その一種と捉えることもできるでしょう。
ただ、今回お声がけいただいたトピックを労働歌というフレームで考えられるかといわれれば、正直わからないのです。そこで、“階級とポピュラー音楽”というフレームならお答えできるかもしれないとお返事したのですね。そして、そこには「労働者とは誰か?」という問題も含まれている、とも。
──階級ですか。
2016年の米大統領選でドナルド・トランプが当選したあたりから、階級というものをきちんと見直そう、という論調が生まれています。特に公民権運動以降、リベラルの側が傾注してきたのは、人種やジェンダーといったアイデンティティ・ポリティクスでした。BLM(ブラック・ライブズ・マター)も含めて、そうした運動には大きな意義があるわけですが、白人男性の労働者がそこから零れ落ちてしまうという問題もまた生まれてきた……ということが、よく語られるようになっているわけです。
──アイデンティティ・ポリティクスが進むなかで、階級という問題もまた前景化してきた、と。
近年論じられる機会の多いインターセクショナリティという概念もまた、ジェンダー、人種、階級といった複数の変数の掛け合わせとして理解することが可能だと思います。そしてこうした問題群が、誰が「労働者」として表象されるのかという点において、アメリカ音楽と密接に絡んでくるんです。
あらかじめ付け加えておきたいのですが、ここでいう階級とは、20世紀に多く語られてきた政治的な階級、つまりは労働者たちの左派的な連帯を謳う古典的な概念とはまた異なる、新たな階級性だといっていいように思います。もちろんそれは、オリバー・アンソニーが一時的に保守層から支持されたように、また別種の政治性は帯びるわけではありますが、それは連帯というより、孤独な労働者たちの叫びのようでもある。従来の階級という概念とは似て非なるものとして捉えたほうが、状況を的確に把握できるように考えています。
──なるほど。だとするとなおさら、オリバー・アンソニーのフィーバーは気になります。
そのことを語るには、カントリーとはそもそもどのように発生してきた音楽なのかを、すこし振り返る必要がありますね。2023年は、オリバー・アンソニー以外にも、モーガン・ウォーレンの「ラスト・ナイト」をはじめ、カントリーの楽曲が多数、全米チャートを制した年で、これほどまでの規模は1975年以来だともいわれています。いまアメリカ音楽を、そしてアメリカ社会を考える上で、カントリーは外せないんです。
2023年8月9日にアップされた、オリバー・アンソニー「リッチ・メン・ノース・オブ・リッチモンド」のMV。2024年6月時点で1.4億回の再生を記録している。タイトルはリッチモンドの北=ワシントンD.C.の政治家たちを暗に非難するものとなっている
カントリーとフォークの分裂
──現在にまで連なるカントリーの歴史は、どのようにたどればよいでしょうか。
カントリーミュージックのルーツは、イギリスやスコットランドからアメリカに移住してきた人びとが、アパラチア山脈周辺で歌い継いできた民謡です。場合によってはイギリス本国でよりも古いかたちのままで民謡が保存されている可能性さえあり、19世紀半ばから末にかけて、民謡愛好家たちから“発見”され、注目を集めていきます。
しかし、それらはカントリーとは呼ばれていませんでした。基本的には、民衆(folk)による民謡(folk songs)として認識されていたんです。先ほどの「労働者とは誰か?」という問いに立ち戻りつついうと、ジャンル名こそヒルビリー、オールドタイムミュージック、あるいはマウンテンミュージックといったさまざまな名称で流通してはいましたが、まとめて見れば産業化しつつある社会において牧歌的な生活を送る人びと=民衆(folk)のことが表象されていた、あるいはそのような表象がなされている音楽だと見なされていた、と考えることができます。
──カントリーというジャンルの誕生前夜のことですね。
カントリーミュージックというジャンルの名称が統一されたのは、第二次世界大戦後のことです。その要因は一概にはいえないのですが、主たるもののひとつとして挙げられるのは、フォークミュージックの左傾化ですね。社会が産業化すればするほど、共産党を中心に、フォークの政治性は色濃くなっていった。マルクス主義において語られるような、機械化する社会における人間の疎外が歌われるとでもいえば、イメージしていただきやすいでしょうか。
いずれにせよ、フォークという音楽が左翼的な響きをもつにつれ、それを嫌った人たちが田舎で牧歌的な日々を送る人たちを、カントリーミュージックとして表象していくようになります。整理すれば、まず理想的な労働者=民衆とは地方で牧歌的に農作業に従事する農民であるとする考え方があり、その後に都市の工場労働者こそ代理表象すべき存在であるという考え方が出てきて、それがフォークとカントリーというジャンルの分岐へとつながっていった、ということです。フォークもカントリーも、もともとは同じような音楽を指していたにもかかわらず、政治的に真逆なものに分裂していったわけですね。
──なるほど。カントリーはルーツをたどれば古く、しかしジャンルとしては新しいのですね。そしてそこで積極的に代理表象される田舎の労働者たちがいる、と。
いまのようなカントリーミュージック=保守、というイメージもまた、この時期以降に形成されたものです。もちろんルーツをたどれば、例えばマウンテンミュージックには白人だけでなく多くの黒人も携わっていたことなどは明らかになっているわけですが、そうした混淆性は省みられず、保守的な白人男性を中心にした音楽というイメージが形づくられていったといえるでしょう。
だからこそ、近年のカントリーの動向もまた、興味深いんですね。2011年に行われた調査によれば、カントリーのファン層は比較的収入が安定しており、少なからず高等教育を受けており、しかも女性が半数を超えるという数字でした。従来のカントリーとはその姿が変わりつつあり、カントリー界自身もまた変化しようとしてきています。そして、ビヨンセやテイラー・スウィフトといった女性のトップアーティストたちもまた、こうした流れと関係しているのです。
1940年代後半から50年代前半にかけて“赤狩り”を主導した、共和党のジョセフ・マッカーシー上院議員。フォークミュージックも、共産主義と結びつけ糾弾した Photo by VCG Wilson/Bettmann Archive
カントリーとテイラー・スウィフトのリベラル化
──近年のカントリー界の動きについて、もう少し教えてください。
2016年にビヨンセは、アフリカ系アメリカ人女性の歴史にフォーカスしたアルバム『レモネード』を発表するなかで、「ダディ・レッスンズ」という楽曲で早くもカントリーに取り組んでいました。そして同じ年のカントリーミュージック協会賞授賞式では、黒人歌手として、白人女性三人組のディクシー・チックス(後のチックス)と異例のパフォーマンスを行っています。
実はカントリーミュージック協会は近年、こうした多様なエスニシティのアーティストに光を当ています。2023年にはトレイシー・チャップマンの「ファスト・カー」に、アフリカ系アーティストに対しては初となる最優秀楽曲賞を授与するなど、いわばダイバーシティをめぐって大胆な変化を遂げてきたのです。
──なるほど、大きな変化の潮流があるわけですね。
カントリーを出自とするテイラー・スウィフトの歩みもまた、こうしたカントリーのリベラル化と軌を一にしています。2016年、ヒラリー・クリントンとドナルド・トランプが一騎打ちした大統領選の際に、投票を促すツイートをしたことも話題になりましたね。そのとき投票先は明らかにされませんでしたが、2020年の選挙時にはバイデン支持を表明しています。2020年は世界がコロナ禍に突入した年でもありましたが、そこでテイラーが発表したアルバム、その名も『フォークロア』(!)で多くの楽曲を共同制作したのが、リベラルなロック・バンド、ザ・ナショナルのアーロン・デスナーだったことも印象的です。
そうそう、やや余談といいますかゴシップめきますが、わたしはテイラーのパートナーの変遷を追いかけるのが好きでして……(笑)。
──そうなんですか?(笑)
階級ということにかこつけて学校に喩えれば、彼女はスクールカーストにおける上位、イケてる女子グループのリーダーのようなイメージをまといながらも、教室の隅っこにいる暗い文化系男子、例えばジェイク・ギレンホールなどと付き合ってきました。それがいまのパートナーは、NFL選手のトラヴィス・ケルシーなんですね。
結局体育系なのか……という野暮なツッコミは置いておきましょう(笑)。ここで触れておきたいのは、そうしたゴシップさえも政争の具となる状況についてです。そのトラヴィスが出場したスーパー・ボウルのハーフタイム・ショーで、自身の日本公演から一目散に駆けつけたテイラーがパフォーマンスし、熱いキスを交わす様が放映されるに至って、「これは民主党がアピールするための“つくられたカップル”なのだ」とトランプ支持者たちが難じたのを記憶している方も多いはずです。これは単なるゴシップというよりは、カントリーを出自にもつトップアーティストと、ジャンルを取り巻く政治的な状況の変化を、象徴的に表している出来事だといっていいでしょう。
──ビヨンセの新譜もまた、そうした流れのなかに位置づけられるわけでしょうか。
そうした側面は非常に大きいです。先ほど述べた、2016年のカントリーミュージック協会授賞式でのパフォーマンス時、実は会場の雰囲気は全面的に歓迎しているわけではなかった、ということが『カウボーイ・カーター』におけるカントリーのさらなる探究へとつながっています。また2018年に、黒人ラッパーのリル・ナズ・Xによるカントリー調の楽曲「オールド・タウン・ロード」がヒットするもカントリーチャートから外され、カントリーシンガーのビリー・レイ・サイラスをフィーチャリングしたリミックス版をリリースして爆発的なヒットを生んだ、ということもありました。こうした動きもまた、ビヨンセを後押ししたことでしょう。
もちろん『カウボーイ・カーター』には、ビヨンセ特有の作品制作への意識といいますか、『レモネード』から『ルネッサンス』(2022年)を経て今作に至る、「アルバムとはコンセプチュアルであるべき」といったこだわりの賜物という側面もまたあるわけですが、基本的にはここまで述べてきたようなカントリーの変容に根差したものとして高く評価できると思います。
上:2024年6月2日、ツアー先のフランス・リヨンでステージに立つテイラー・スウィフト Photo by John Shearer/TAS24/Getty Images for TAS Rights Management 下:ビヨンセのニューアルバム『カウボーイ・カーター』より、『テキサス・ホールデム』のオフィシャル・ビジュアライザー
ビヨンセと階級、そして〈偽装〉の系譜
──あえて論争的にうかがいたいのですが、WORKSIGHTでは以前、ビヨンセが参加した富裕層のコロニーのような「white party」に、批判的に言及したことがありました。階級の観点からは、昨今のビヨンセをどう捉えていいものか悩みます。
なるほど……なかなか確かなことは即答できませんが、人種とジェンダーの問題が前景化すればするほど階級の問題が捨て置かれてしまう、ということは、ビヨンセも含めたカントリーの近年の動きにもまた、当てはめることはできると思います。実際に、多様性へと舵をきったカントリー界のなかでは、バックラッシュのようにして、ジェイソン・オルディーンの「トライ・ザット・イン・ア・スモール・タウン」がリリースされ、ヒットしました。これは、BLMを白人が住む「スモール・タウンでやってみろ」と歌い、もし来たらリンチ行為に及ぶとほのめかすような危うい楽曲です。白人男性の労働者たちの姿が、ここでも浮かび上がるわけですね。
その意味において、ビヨンセの『カウボーイ・カーター』が、白人男性労働者たちの胸に響くかどうかは、心もとないところはあります。「俺たちには関係ない、何か上のほうで行われていることだな」と思われてしまう可能性は、決して低くないでしょう。そしてそうした心性をもつ人たちが、オリバー・アンソニーの「リッチ・メン・ノース・オブ・リッチモンド」を熱心に聴いた、という言い方もまたできるかもしれません。
──オリバーのほうが刺さる、と。
まあ、そのオリバーもまた、一気に保守層に支持された後、2023年8月25日にアップした映像において、自分は中道だと表明したわけです。しかも、自身の曲が共和党予備選挙の候補者討論会で使われたことに対して、むしろあそこに並んでいた候補者たちのことを歌っている曲なのに滑稽だ、と。
一方で、オリバーが本当に中道なのかはよくわからないところがあるんですね。メディアへの露出は非常に限られているわけですが、出演したのが、世界屈指の人気ポッドキャストであるジョー・ローガンの番組なんですよ。もうひとつが、ジョーダン・ピーターソンのポッドキャスト。共に人選が絶妙といいますか、保守層、アンチ・リベラルの思考をもつ人たちに抜群に響くコンテンツに顔を出しているわけです。
──ジェフリー・エプスタインの性犯罪が行われた「どこかの島の未成年」より「炭鉱労働者」を気にかけろ、という対比的な歌詞のフレーズも、共和党支持者っぽいですもんね。
そもそも楽曲のMVがひとりで撮ったものとはとても思えず、私は背後に切れ者のブレーンがいるのではないかと、半ば確信しているのですが……(笑)。オリバー・アンソニーは工場労働者だったわけですが、あの緑に囲まれたMVではなんともいえない田舎観が演出されていますよね。
実は『ローリング・ストーン』誌の2023年ベスト100で1位に選ばれたほどに大ヒットした、エスラボン・アルマドというメキシコの地方のバンドと、ペソ・プルマというシンガーによる「Ella Baila Sola」という楽曲があります。なぜここまでヒットしたのか、わたしもまだ判然としないのですが、いずれにせよリージョナル・ミュージックに対する時代の熱はたしかに存在していて、オリバー・アンソニーはそうした時代の気分をうまくつかんでいるところがある。
──興味深いです。大和田さんはかつてご著作の『アメリカ音楽史』を、ミンストレル・ショウの〈偽装〉を語ることから始めていらっしゃいましたが、今日まで続く〈偽装〉の系譜があるようにも感じます。
それこそ労働者と連帯したフォーク歌手のピート・シーガーも、中退こそすれハーバード大学の学生というエリートだったわけですし、テイラー・スウィフトもビヨンセも、あるいは実態とは別にギャングのイメージをまとうような多くのラッパーも含めて、ミュージシャンにおける〈偽装〉、あるいはある種の戦略は、日常茶飯事なのかもしれません。
11月に行われる大統領選に向けても、そうしたさまざまな動きのなかで、音楽が聞こえてくるはずです。2020年の8月、トランプ支持者たちが集った共和党全国大会は、民主党の全国大会にビリー・アイリッシュやチックスが出演したのに比べて、ほとんどミュージシャンが登場しませんでした。今回の大統領選に向けてはどうなるのか、注視したいですね。
オリバー・アンソニー、2023年8月26日 Photo by Samuel Corum/Getty Images
次週6月18日のニュースレターは、配信100回目を記念して、コクヨ ヨコク研究所所長・WORKSIGHT編集長の山下正太郎への、振り返りインタビューを掲載します。「抵抗としてのオウンドメディア」を掲げてのリブート以降、何が見えてきたのかを語ります。お楽しみに。
【新刊案内】
photo by Hironori Kim
書籍『WORKSIGHT[ワークサイト]23号 料理と場所 Plates & Places』
どんなにグローバリゼーションが進もうと、料理は「その時/その場所」でしか味わえない。どんなに世界が情報化されようと、「食べること」はバーチャル化できない。料理を味わうという体験は、いつだってローカルでフィジカルだ。歴史化されぬまま日々更新されていく「その時/その場所」の営みを、23の断章から掘り起こす。WORKSIGHT史上、最もお腹がすく特集。
◉エッセイ
#1「サフラジストの台所」山下正太郎
#2「縁側にて」関口涼子
#3「バーガー進化論」ジェイ・リー/ブルックス・ヘッドリー
#4「ハイジのスープ」イスクラ
#5「素晴らしき早餐」門司紀子
#6「トリパス公園の誘惑」岩間香純
#7「パレスチナ、大地の味」サミ・タミミ
#8「砂漠のワイルドスタイル」鷹鳥屋明
#9「ふたりの脱北者」周永河
#10「マニプールの豚」佐々木美佳
#11「ディストピアの味わい」The Water Museum
#12「塀の中の懲りないレシピ」シューリ・ング
#13「慎んで祖業を墜すことなかれ」矢代真也
#14「アジアンサイケ空想」Ardneks
#15「アメイジング・オリエンタル」Go Kurosawa
#16「旅のルーティン」合田真
#17「タコスと経営」溝渕由樹
#18「摩天楼ジャパレス戦記」佐久間裕美子
#19「石炭を舐める」吉田勝信
#20「パーシャとナレシュカ」小原一真
#21「エベレストのジャガイモ」古川不可知
#22「火光三昧の現場へ」野平宗弘
#23「収容所とただのピザ」今日マチ子
◉ブックガイド
料理本で旅する 未知の世界へと誘う33 冊のクックブック
◉表紙イラスト
今日マチ子
書名:『WORKSIGHT[ワークサイト]23号 料理と場所 Plates & Places』
編集:WORKSIGHT編集部(ヨコク研究所+黒鳥社)
ISBN:978-4-7615-0930-9
アートディレクション:藤田裕美
発行日:2024年5月15日(水)
発行:コクヨ
発売:学芸出版社
判型:A5変型/128頁
定価:1800円+税