「努力」の終わり:電気で記憶・認知・身体を操作することの光と闇
リスキリングやウェルビーイング向上に勤しむ現代人は少なくないが、そうした「努力」のあり方は「電気」で一新されるかもしれない。病の克服や能力の向上は、脳や身体の生体電気を操作するだけで叶う、そんな未来がすぐそこまで迫っているからだ。もちろんその“夢”には、テクノロジーがもたらしうる危うさも垣間見える。我々人間はエレクトリックだと謳う新刊『We Are Electric』から、電気との関係性を考える。
1800年頃、「ガルヴァニック・マシーン」の使用に対する風刺画。18世紀後半、生体電気研究の端緒を開いたルイージ・ガルヴァーニの発見以降、あらゆる種類の病気は電気で治療できると信じられ、こうした機器の使用が広まったという。この風刺画では、ロンドンの裕福そうな紳士が電気によって性欲を回復させており、すぐ効果が現れて窓の外のかわいい女性を覗き見しているという様子が描かれている。Photo by SSPL/Getty Images
ある日、雷に打たれたトニー・チコリア医師は、それまで大して興味のなかったピアノ音楽を突如として渇望するようになった。全身に電気を浴びた途端、音楽のインスピレーションが溢れるようになったのだ──。オリヴァー・サックスの著作『音楽嗜好症(ミュージコフィリア)──脳神経科医と音楽に憑かれた人々』(ハヤカワ文庫NF、2014年)には、電気が人間の才能を開花させるイメージが書きつけられていた。
ロンドンを拠点とする科学技術ライター、サリー・アディが、電気と身体にまつわる科学の最前線を追った2023年2月刊の『We Are Electric: The New Science of Our Body’s Electrome』(未邦訳)には、そんな〈電気×人間〉の来し方行く末が詳述されている。タイトルの通り、そもそも電気が人間を駆動しているというビジョンのもと、その電気をコントロールすることでわたしたちの心身の悩み──精神疾患や創傷、癌などを解消しようと科学者たちが奮闘してきた、200年にわたる物語が綴られているのだ。近い将来、理想的な身体を電気が授けてくれるかもしれない、そんな淡い妄想が膨らむ内容であったと同時に、暗い可能性が心をよぎったのも事実だ。純粋で良心的な科学の観点から見れば心躍る未来も目指せるだろうが、使い方を一歩間違えれば、アイデンティティの喪失や格差拡大、全体主義などの問題が予見されるからだ。本稿では〈電気×人間〉の未来、その光と闇を見つめてみる。
text by Yasuhiro Tanaka
電気は癌を治し、目を増やす?
まずは『We Are Electric』をもとに、電気と身体にまつわる研究の最前線を見ていこう。
そもそもわたしたちのあらゆる行動、知覚、思考は、体内の電気信号によって制御されている。ただし電気といっても、バッテリーから得られる電気や電球を発光させるような電気とは異なる性質の電気である。わたしたちの体内にある電気=生体電気は、カリウムやナトリウム、カルシウムなどのイオンの移動で生まれる電界によるもので、その電気信号が脳と知覚・運動・認知をめぐるさまざまな器官の間で行き交っている。この生体電気こそが、わたしたちが考えたり話したり歩いたりする能力の基盤であり、転んだときに痛みを感じたりその傷が治ったりする所以だ。なお、これは人間特有の性質ではなく、藻類や菌類を含むあらゆる生物に共通するものである。
生体電気の研究へ多くの科学者を誘うきっかけとなったのが、解剖学者ルイージ・ガルヴァーニの18世紀後半の実験である。彼はカエルが電極に触れることで筋肉組織が痙攣することを発見し、生物を動かすのは電気の力であると証明した。その後、20世紀に入るとシナプス間を移動する神経伝達物質や、イオンが生体電気を生成する事実などが発見され、研究は加速。1950年代のDNAの発見によって生体電気の研究はいったん脇へと追いやられたものの、近年は脳深部刺激療法(Deep Brain Stimulation:DBS)の治療効果や非侵襲型の経頭蓋直流電気刺激法(transcranial Direct Current Stimulation:tDCS)の発展により、特に医学界で再び注目を集めているという。
1780年代後半、カエルの足を用いたルイージ・ガルヴァーニの実験。Photo by ullstein bild/ullstein bild via Getty Images
近年の先端的な研究事例をいくつか挙げよう。2004年、脳内で想像するだけでゲームの操作が可能となった。首から下が麻痺した患者の脳に電極を埋め込むことで、その人の意思を電気信号に高精度で変換。その信号でコンピュータゲーム「Pong」のカーソルを左右に動かせるようになり、WIRED社の記者を打ち負かしたという。また、別の実験では海馬を損傷したラットの脳に電気を流すことで記憶機能を回復させることに成功した。電気を使って内なる意思で何かを操作したり、記憶を抽出したりすることは、徐々に可能になってきているのである。
また、傷の治癒速度と生体電気の大きさの関係も興味深い。経頭蓋直流電気刺激法を用いて皮膚表面の電圧を感知し、それがもたらす電流の大きさを測定した結果、電流が強い人ほど傷の治癒も早いことが明らかとなった(なお、電流は年齢とともに減衰し、65歳以上では25歳以下の半分の強さしかないという)。2020年には電流の操作による創傷治癒システムにアメリカ国防高等研究計画局(DARPA)が1600万ドルを出資したことで、“電気の絆創膏”が開発される日も近い。さらに、ロンドン大学のヴィンセント・ウォルシュ教授は、皮膚の外側から電気を流し込む経頭蓋直流電気刺激法が統合失調症、摂食障がい、うつ病、片頭痛、てんかん、疼痛、多発性硬化症、中毒性行動、推論力の低下、自閉症など多様な病気の治療に効果的だと断言しており、電気の効用の幅に驚かされる。
日本人の死因トップである癌に対しても光明の兆しがある。癌細胞の研究をするタフツ大学のマイケル・レヴィン教授は、オタマジャクシの細胞の電圧を調整することで、健康な細胞を癌化させたり、癌化した細胞を正常な状態に戻したりすることに成功した。電気刺激であらゆる疾患を治療するエレクトロシューティカルズ(電気薬学)の市場は現在拡大中だが、多様な難病治療への展開が期待される。
さらに、再生医療の分野でも電気の活躍は目覚ましい。2011年にはカエルの内臓組織の膜電圧を調整することで、カエルの胃や尾など身体のどこにでも眼球を生成する実験が成功した。目を自在につくれるとは奇妙な実験ではあるが、失った器官やその機能を電気で取り戻せることを示した興味深い研究である。
このように、生体電気の操作は人間の心身に強く作用する。『We Are Electric』は、電気で生物をコントロールする試みに対し、概ね楽観的な態度で書かれているが、その本の結びで著者は「この先に何が起こるのか問うべき」ということばをわたしたちに残す。つまり、この素晴らしい技術が誰にどのように活用されるべきか問い続けよということだ。では、その提言通り生体電気活用の未来を考えることとしよう。
アイデンティティを揺るがせる電気の力
生体電気の操作を行えるとしたら、わたしたちは素直にそれを受け入れるのだろうか。生体電気の治療を受ける個人の葛藤について考えようとするとき、ドキュメンタリー『I Am Human』はその解像度を高めてくれる。この作品は、頭蓋骨を開き、脳に電極を埋め込む処置を受けた3人の記録である。交通事故による四肢麻痺で寝たきり状態にあるビル、パーキンソン病を患っているアン、成人してから失明したスティーブン。脳深部刺激療法などを施し、脳に電極を埋め込むことで失われた機能を回復させ、疾患によって諦めていた活動と未来への希望を取り戻す過程が描かれる。
例えば、アンの場合、パーキンソン病によって手足が震え、筋肉の硬直によって微笑むことができず、家族や仲間と一緒にいることにも精神的な苦痛を感じていた。人間らしさを取り戻したい。そのために薬や運動などあらゆることに手を尽くしたが好転せず、脳深部刺激療法を受けることを決断。アンの脳内の運動系を司る部分に電極が挿入され、それを制御するデバイスをオンにすることで身体の感覚を統制する。すると、身体の震えや硬直は消え、家族と話しながら笑みを浮かべたり、活動を休止していたアート制作に没頭したりできる。生体電気の制御によって不安が消え、幸せな時間を享受できるようになったのだ。
しかし、すべてが順調というわけではなかった。印象的だったのは、アンが感傷的な面持ちで発した「機械がわたしを動かしているようだ」という発言である。このドキュメンタリーが問うているのはまさにこの点なのだろう。タイトルが示唆するように、スイッチひとつで能力が変わる存在となったわたしはどこまでが「わたし」なのか、という疑念が患者のなかで生まれていく。行動の源泉が自分の意思から発したものなのか、機械によって発現したものなのか、その境界の曖昧さに悩むのである。つまり、電気がわたしたちにもたらす悩みのひとつは「アイデンティティ」の問題なのだ。
サイエンス・ジャーナリストのローン・フランクも著書『闇の脳科学:「完全な人間」をつくる』(赤根洋子訳、文藝春秋、2020年)のなかで、脳の操作とアイデンティティについて次のように述べている。
脳を操作することは自我そのもの──何千億という細胞のネットワークから成るピンク色の塊のどこかに存在する『私』──を操作することだ、という事実だった。脳深部刺激療法というこの注目すべきテクノロジーは、「私とは何者なのだろう」という、疑問の中の疑問を喚起しているのだ。
近い将来、そういったアイデンティティの葛藤は他人事ではなくなる。現在、脳に電気を流す行為はおもに難病の治療に使われているが、ブレイン・コンピュータ・インターフェース(BCI)の企業家たちはより野心的だ。『I Am Human』に登場するニューロテック企業KernelのCEOブライアン・ジョンソンは人間に強大な能力を与えることを目指し、「わたしたちはテクノロジーによってこうなりたいと思う状態を選べるのです」と述べている。つまり電気を操作して各自が理想的な力を手に入れられる世界をつくろうとしている。イーロン・マスクが率いるNeuralinkも同様だ。ある専門家は2029年には世界中の100万人以上の人びとが埋め込み型のBCIを装着すると予測しており、その普及は加速し続けるだろう。そのとき誰しもがアイデンティティの葛藤にぶち当たる。さらに、劣った(と思い込んでいる)能力を自らデザインする行為は、天才的な人びととの圧倒的な能力差を縮小し、能力の平等社会を窺わせる一方で、その極端な「平等」はますますアイデンティティの揺らぎを増幅させることになるはずだ。
そして、この葛藤はアイデンティティの根幹とも言える記憶や性格の操作がなされるときに最大化する。記憶を電気で制御するための研究は多い。例えば、ボストン大学では脳に電気ショックを与える電極を埋め込んだキャップを頭に被せ、経頭蓋直流電気刺激法を施すことで、高齢者の記憶能力を50〜65%向上させることに成功した。逆に、電流を操作することで記憶能力を向上させるだけでなく、低下させることもできるという。デバイスをオンにするだけで、新しい知識をより多くより速く学ぶことも、認知症を心配することなく生活することも、忘れたい過去を消し去ることすらできるかもしれない。しかし、記憶力の向上ならまだしも、記憶自体を操作することは自分の確固たる経験を歪ませることにならないだろうか。研究が発展して記憶がデータ化されれば、実際には実現できなかった理想的な記憶へ勝手に書き換えたり、映画『マイノリティ・リポート』のように記憶を売買したりできるだろう。非現実の記憶や他者の記憶を自分に宿したとき、それは「わたし」と言えるのだろうか。
また、『闇の脳科学』によると、アムステルダムのアカデミック・メディカル・センターの実験では、脳深部への電気の刺激が強くなりすぎた結果、自信の過剰な高まりとこれまでにない衝動性を感じるようになった被験者や、無口な内向的人間から陽気な外向的人間に変化した被験者が確認されている。そして同書では、次のように補足される。
「自己とは、内側にある安定した核だ」と昔から固く信じられてきたが、それは科学的事実からかけ離れた幻想である。(中略)自己とは、そのときどきの脳の状態のことなのだ。脳の特定の箇所に電流を少々流すだけで、人は別の誰かになってしまう。
電気は記憶や性格をも簡単に変えられる。自分の嫌いな面を変えられるなんて素晴らしいと思う一方で、「わたし」という存在の定義はこれまで以上に複雑化するだろう。いや、逆に生体電気をいじることは瞑想やエナジードリンクで身体を整える行為の強化版として認識されるだけかもしれない。そんなふうに一度電気との融合に慣れてしまえば、自己啓発本が繰り返し要請してくる「本当のわたし」を問うことなど無意味化されるかもしれない。
(上)『I Am Human』のトレイラー。本編は2023年8月現在、日本国内ではApple TVで視聴可能。(下)イーロン・マスク率いる、BCI開発企業Neuralink。2023年5月、アメリカ食品医薬品局(FDA)より臨床試験の承認が出た。Photo Illustration by Jonathan Raa/NurPhoto via Getty Images
資本と能力で分断される世界
ここまでは、誰もが電気との融合を享受できる前提で話を進めたが、もし一部の人だけが所有する技術となったとしたら別の問題が立ち現れる。例えば、能力格差による分断だ。現状、脳深部刺激療法など効果的かつ先端的な技術は高価であり、重病患者を除けば享受できるのは一部の富裕層だけだろう。それは富裕層だけが脳や身体を拡張して「理想的な人間」に近づき、その他の人との能力格差や資本格差の拡大を連鎖的に引き起こす危険性をはらむ。そして、その行く末がSF映画『ガタカ』で描かれたような社会であることは想像に難くない。この映画では人工授精や遺伝子操作が使われるが、いずれにせよ知的・身体的に優位に操作された「適正者」とそうでない「不適正者」に分断され、魅力的な職は「適正者」に独占される。同じ世界に生きながら、両者の生きやすさには尋常ではない格差が生まれ、「不適正者」は夢の職業に就くために必死の努力が求められる。
もっと極端に格差が拡大すればSF映画『エリジウム』のような世界も訪れうる。富裕層は破滅寸前の地球を離れ、スペースコロニーで理想的な身体と環境を享受しながら暮らす。そこに近づこうとする「不適正者」は容赦なく殺される。格差縮小やDEI(Diversity, Equity & Inclusion)が叫ばれる昨今においてこのような分断が起こらないと信じているなら、それは楽観視しすぎかもしれない。ファナティクス会長のマイケル・ルービンが主催する「white party」にはビヨンセやレオナルド・ディカプリオをはじめ世界中の富裕層が参加しているが、真っ白の服で統一したセレブリティの一体感や楽園のような環境は庶民の世界と一線を画し、もはやスペースコロニー〈エリジウム〉の世界観を彷彿させる。並外れた能力(をもっていると信じている)と経済資本をもち合わせた人びとが楽園を創造する営みはマーク・ロアやビル・ゲイツなどが思い描くユートピア都市にも通ずるが、その都市は能力的にも資本的にも富裕な白服の民だけが暮らす〈エリジウム〉となるかもしれないのだ。
そのようなユートピアに暮らすために能力強化の争いが起こることも考えられる。精子・卵子の売買において高学歴者やビジネスの成功者のものに高値がつけられ、消費者側もそれを求める現状を鑑みれば、高い能力は環境要因ではなく天賦の才と信じる人が多いのだろう。その才能を後付けで付与できる電気の力は、ユートピアへの切符を手に入れるためのカギとなり、経済資本の乏しい人びとはその獲得のため実力行使に出る可能性も否めない。格差や分断は往々にして争いの火種となるが、医療的に優れた生体電気の技術が経済的な引力に吸い寄せられすぎれば、その技術は悲しいかな、おそらくは争奪戦を招くはずだ。
(上)映画『ガタカ』予告編。(中)映画『エリジウム』予告編。(下)white partyの様子が収められた映像。錚々たるセレブリティが顔を揃えている。
国の資本と化す国民の脳
他方で「理想的な人間」の創造を、本人の希望に基づくのではなく、第三者、特に国家権力者が主導する場合はどんな未来が待っているだろうか。そこには、優生思想や全体主義の強化が予期される。そもそも「理想的な人間」をデザインする試みは、優生学を想起させるものだ。優生学と人種政策を融合させ、ユダヤ人や同性愛者などを「不適正者」とみなし組織的に殺戮したナチスを筆頭に、スタンリー・キューブリック監督作『時計じかけのオレンジ』で描かれたような模範的な国民を生成する取り組みは、為政者の関心を引き寄せ続けてきた。そのような忌々しい思想を叶える上で、生体電気の操作はうってつけの技術なのだ。実際、精神科医ロバート・ヒースが同性愛者に脳深部刺激療法を施しヘテロセクシャルに改造した実験は、1950年代の当時でも「ナチスの実験」として社会的・宗教的に大きな非難を浴びたものの、電気で優生思想を体現できることを示してしまった。
他者や社会が決めつけた「理想的な人間」に改造することなどあってはならないことだが、ナチスに限らず、国家が人体実験を通じて国民を操作・洗脳した事例は枚挙にいとまがない。例えば、アメリカでは中央情報局(CIA)主導のもと、国民に対して薬物や電気ショック療法を施し、洗脳の実験を行う「MKウルトラ計画」を極秘裏に進めてきたことは周知の事実だ(同性愛者への実験で悪名高いヒースもCIAから資金援助を受けていたとされる)。1960年代末にはこの実験は終了したようだが、脳への執着はアメリカ国防高等研究計画局(DARPA)に色濃く引き継がれている。同局は1970年代からBCIの開発に多大な援助を行っており、現在の脳と電気にまつわる研究はことごとくDARPAの支援を受けているのが実情だ。『闇の脳科学』によれば、DARPAはBCI装着者の脳活動を計測・記録・分析し、(国防の観点から)誤った脳活動があれば、装着者が実際に行動を起こす前にそれを矯正できる装置を欲しがっているという。これを兵士に適応すれば、心的障がいを未然に防ぐことも、厳しい戦闘に耐えられる屈強で冷徹な兵士をつくることもできるというわけである。国や軍の意向によっては、電気は人間を兵器に変えてしまう。
また、これが兵士だけでなく一般の国民に使われたらどうなるだろうか。国民の脳波から異常な行動が予見されれば、政府は遠隔で脳を矯正するなり当人を逮捕するなり、いかようにでも操作できる。『闇の脳科学』に記されている、2013年にチューリッヒ大学が成功させた実験はその現実味を感じさせる。経頭蓋直流電気刺激法によって頭蓋骨から弱い電流を脳に流し、右外側前頭前皮質を活性化させると、被験者たちが公平規範に従う傾向が高まり、非活性化すると利己的に行動する傾向が高まったのである。恐ろしいのは、被験者たち自身は電気刺激で操作されていることに無自覚という事実だ。これは外部から密かに思想を操作できる可能性を示唆する。このように、DARPAの望みを後押しする技術が次々と生み出されていけば、国家が秘密裏に国民を監視、操作することによる全体主義社会も非現実的ではなくなるかもしれない。
従来、全体主義は情報の操作によって促進されてきた。ナチスや北朝鮮のような国家主導のプロパガンダに始まり、現代ではSNSを中心としたメディアが人びとの思想を操っている。ドキュメンタリー『監視資本主義:デジタル社会がもたらす光と影』で説かれるように、メディア・プラットフォーム企業はその経済性を最大化するためにユーザーが一度関心をもったテーマと近いコンテンツを提示し続ける。例えば、アメリカ大統領選挙におけるケンブリッジ・アナリティカのFacebook情報操作やQアノン運動は記憶に新しいが、少数意見でもSNSで触れる機会が増加すれば、それを世界一般の情報と錯覚して信じ込んでしまう。情報の与え方次第で人びとの思想をコントロールでき、しまいには集団自殺を扇動することだって可能となるのだ。
今でさえ、メディアのていで人びとの思想操作を志す人や機関は数多くある。そして、そのような思想操作を、電気は直接的かつ容易に実現する。国家や企業の指針に反する人びとには電気で脳を矯正して忠実な人間にしてしまえばよいのだから。チューリッヒ工科大学の生命倫理学者であるマルチェロ・イエンカはその危険性を想定し、「人の心をつかむことは、広告や政治の核心である。その意味で人間の脳は新たな資産になりつつある」と言及する。
映画『監視資本主義: デジタル社会がもたらす光と影』の予告編。
「幸せ」を盾に迫りくる国家と会社
国民一人ひとりの脳活動が透明化され、国の資本として利活用する未来など実現しないと断定できるだろうか。たしかに、人間を戦闘兵器にしたり、政治的・宗教的な改宗を促したり、性的指向を転換させたりすることは明らかに道義に反しており、そう簡単に民意は許さないだろう。しかし、国家が「国民の幸せ」のために活用するとしたら、話は変わってくる。実は「幸せ」を掲げることこそが、現代社会がディストピアへ至る最も恐ろしい第一歩かもしれない。
エドガー・カバナス、エヴァ・イルーズ著『ハッピークラシー:「幸せ」願望に支配される日常』(高里ひろ訳、みすず書房、2022年)に記されているように、現代社会では幸福でポジティブな状態が重要視され、わたしたちは際限のない自己啓発や自己管理によって幸せを追求することに駆り立てられている。ポジティブな人間は生産的で社会へのエンゲージメントも高いという近年の心理学研究は、ネガティブな人間がある種の反社会的な存在であるという観念をわたしたちに植え付けているとも解釈できる。いまや「幸せ」ということばは、社会や政治の側からも個人の側からも希求される甘美なスローガンとなった。瞑想やヨガなど「幸せ」に近づこうとするニーズの高まりを鑑みると、科学者や企業家が幸福や快楽の構造を解明する試みは加速するだろう。実際、脳深部刺激療法で報酬系に寄与する脳部位に電気を流せば、快楽や幸せの感覚を体験することは可能となった。そのような技術を用いて「幸せ」を求める国民のために、国家がわたしたちの脳に近づくことは容易となるし、電気刺激を感じない方法をとれば、わたしたちは脳に為されている実態を知る由がないのである。
また、国家ではなく会社が従業員へ電気刺激を活用するケースも考えられる。会社は業績を上げるため、従業員の生産性を高めることに情熱を注ぐ。時にその情熱は恐怖政治となって、無理な目標を課した結果不正が起こる事例は後を絶たない。でももうことばや態度で脅さなくても大丈夫。従業員のやる気を高めるなら、電気の力で一撃だ。すでに何千もの会社が職場の安全という名目で、脳の電気信号を読みとって電車の運転手や工場労働者などの注意力や疲労度を計測している。未来学者のニタ・ファラハニーは近年のニューロテクノロジーのディストピア的な側面に言及して、すべてのオフィスワーカーに脳活動を常時記録する小型ウェアラブルが装着され、従業員の思考や注意力、活力のデータを上司が自由に研究できる未来を予測する。一生懸命仕事をするふりをしていても、脳の電気信号がさぼっていることを明るみに出すわけだ。リモートワークでさぼる従業員を危惧する経営者は少なくないことから、柔軟な働き方と引き換えに脳活動を提出させる会社が増えても不思議ではない。
さらに現在も多くの会社が性格診断などを雇用や人事配置に活用しているが、その延長として脳活動から性格や集中度などを計測して人を選抜することも可能だ。性格診断や面接で「適性者」を演じることなどできない。もしあなたが商品企画の職務を望んだとしても、脳活動の特性から営業職への転換を強制されるかもしれない。それが会社にとってもあなたにとっても幸せなことなのだからと説得されるわけだ。もはや思想や行動が「科学的に」支配された奴隷経営の完成である。
一方、ここ10年で4回の優勝を誇るNBAのゴールデンステート・ウォリアーズやアメリカ代表のオリンピック・スキーチームは、試合前にヘッドセットを装着してゾーン状態をつくり出している。当然脳のドーピング問題や選手への強要問題は議論の余地があるが、集中状態のコントロールとして活用されることは、少なくとも従業員の脳活動を監視や評定に用いられるよりはディストピア感は薄れる。ゲーマーの集中力を高める脳デバイスを開発しているfoc.usはこれをすでにネットで販売しており、各自が仕事に集中できる脳を手に入れられる環境は整いつつある。
本稿では、生体電気の技術をめぐる多くの懸念を考慮してきた。しかしながら、その闇深い想像を危惧して生体電気の研究が滞ることもまた望ましいことではない。難病に苦しむ人びとや障がいを抱える人びとにとっては希望の技術となるからだ。だからこそ、アイデンティティと電気の関係や、経済的・政治的な側面における電気との向き合い方は、科学界・医学界を超えて議論が重ねられるべきだろう。わたしたちが、他でもない自分自身の意思によって、痺れる未来を手に入れるために。
【近日発売・新刊のご案内】
書籍『WORKSIGHT[ワークサイト]20号 記憶と認知症 Memory/Dementia』
わたしたちは他者と記憶を共有している。だからこそ集団のなかで大きな物語を描くことができ、他者から自分であることを認められ、自らの生活を営むことができている。認知症をもつ人を抱えた高齢化社会、国家や地域社会の衰退による集合的記憶の喪失など、「記憶の共有」をめぐる社会問題が浮上しつつあるいま、オランダとフランスでオルタナティブな社会実践を試みる、認知症や精神疾患のケアの現場等を本誌編集長が取材。約90頁にわたる取材旅行の省察と見聞録のほか、ルネサンス期の情報爆発と記憶術を研究する桑木野幸司氏、レバノン内戦の都市の記憶とその傷跡をテーマに音楽作品を制作したベイルートの音楽家・建築史家メイサ・ジャラッド氏へのインタビュー、記憶をめぐるブックガイドを収録。記憶と認知症を手がかりに、来るべき社会のための態度や今日的な問いについて思索する。
■書籍詳細
書名:『WORKSIGHT[ワークサイト]20号 記憶と認知症 Memory/Dementia』
編集:WORKSIGHT編集部
ISBN:978-4-7615-0926-2
アートディレクション:藤田裕美
発行日:2023年8月25日(金)
発行:コクヨ
発売:学芸出版社
判型:A5変型/128頁
定価:1800円+税
次週8月29日は「ヴィルコミルスキー事件」をフィーチャー。1990年代に世間から絶賛された、ホロコースト生存者のビンヤミン・ヴィルコミルスキーの自叙伝『断片:幼少期の記憶から 1939-1948』。しかし、そこに綴られている記憶はヴィルコミルスキーが捏造したものだった──。戦後78年を迎えた2023年夏、「戦争の記憶」にまつわる事件を振り返ります。お楽しみに。