共有される沈黙のグルーヴ:チューリッヒの「サイレント・リーディング・レイヴ」を訪ねて
スイス・チューリッヒで、多くの人びとが集いつつも黙って手元の本を読むレイヴが人気を博しているという。静かな読書のレイヴ? いったい、そこでは何が起きているのだろう。WORKSIGHT編集部員が実際に現地で参加し、その体験をもとに後日、イベント主催者たちに話を聞いた。すると、都市の内部で市民たちがつくり出す沈黙のアソシエーションの意義が、静寂のなかからそっと浮かび上がってきた。
スイス・チューリッヒで開催される「サイレント・リーディング・レイヴ」、使われていないプールの水を抜いて開かれた回 photograph courtesy of silent reading rave association
text by Anna Nakai
interview by Anna Nakai, Fumihisa Miyata and Junnosuke Suzuki
ひしめく、静かな人びと
2026年4月最後の週末、スイスの最大都市チューリッヒを訪れた。毎週のように開催されているという「サイレント・リーディング・レイヴ(silent reading rave)」に参加するために、中央駅近く、複合文化施設内のカフェ・バーであるグライス(GLEIS)に向かう。
以前からWORKSIGHTでは、テクノ・ミュージックのなかで読書をする韓国での試みなどを紹介してきた。ヨーロッパに住んで久しい筆者も前々から、集団で読書をすることが何か特別な意味をもつのではないか、そのような場の創設に関わる人たちはどのような問題意識をもっているのだろうか、といったことに関心があり、このイベントに参加したいと思ったのだ。
当日は、4月のヨーロッパにしては暖かく、20度を超える晴天の日。線路に面したテラスの出入り口は大きく開け放たれている。他の施設へとつながる階段を含めたスペースいっぱいに人が集まっている様子が目に入ってくる。ぱっと見ただけでも50人は下らない。それほどの人数がひしめいていながら、雑談のような声はほぼ聞こえてこない。
正午開始のイベントにわたしが到着したときには、かなり広々としたカフェなのに席はほとんどいっぱいだった。カウンターで注文した冷たいレモネードを手にして、一脚だけ椅子の空いていたテーブルに近づくと、すでに読書を始めている人たちが空席を示してくれた。促された席に座り、カバンのなかからもってきた本を取り出して、周囲に波長を合わせるようにページを開いて読み始めてみた。線路沿いのため、数分に一度はチューリッヒ中央駅を発着する電車の音が聞こえてくる。その音が妙に気になってしまうくらい会場が静かなことに、再び驚きを覚えた。
「最近では常時100人ほどの人が参加しています。定期的に参加していて、顔見知りのグループになっているようなこともあります。あの日もテラスを含めて、100人くらいが集まっていましたね」と、共同主催者のひとりであるリンダ・フルーザが、後日説明してくれた。このサイレント・リーディング・レイヴのコンセプトである「一緒に、ひとりで読む(reads together alone/gemeinsam einsam lesen)」という言葉どおり、会場であるカフェに集まって、各自がもってきた本を読むというそれだけのイベントだ。紙の本を持参している人がほとんどだが、電子書籍でも構わない。好きなときに来て、気が向いたタイミングで帰ってよい。入場料も事前の予約も必要ない。会場までふらっと足を運べば、飲み物をオーダーする必要さえない。わたしがメールで事前登録について問い合わせをしたときも、「いつでも来てください」という返事が届いただけ。
年齢層でいえば20代、30代が中心のようにも見える。でも、小学生くらいの子どもとその親のような人もいる。読書中、ページから目をあげてふと辺りを見回してみるが、誰もスマートフォンをいじっていない。せいぜい、トイレに行ったり、飲み物を追加で注文したりする程度で、予定されていた2時間があっという間に過ぎていった。
入り口付近で主催者が次回の案内とTシャツやキャップなどのグッズの紹介をして、退出の声掛けが始まる。同じテーブルに座っていたふたり組も、本の話を二言三言交わしているうちに、いつの間にか会場を立ち去っている。ようやく、ざわざわと立ち上がる音や、近くの席に座っている人との雑談の声が聞こえてくる。その瞬間、都市のなかで静寂を感じることが、本当はいかに難しいことであるのかを思い出した。
隣の席にいた参加者に話しかけてみた。彼は電子リーダーで熱心に何かを読んでいたのだが、何度かお互い集中力が途切れるタイミングが重なったようで、視線が合うことがあったのだ。曰く、サイレント・リーディング・レイヴに参加するのはこれが2回目の学生。今日は大学の研究関連の理論書をもってきて読んでいたのだという。周りの人も何かを読んでいると思うと、安心して読めるんだよね、と口にしながら笑う。たしかに、そうかもしれない。研究者としてヨーロッパに15年以上滞在しているわたしの経験からしても、いま時、カフェでひとりで読書をしているなんていう人はどちらかといえば珍しい部類だ。友達や同僚と食事したりおしゃべりしたりしているのがほとんど。少なくとも都市部のカフェでは、本を開くよりもラップトップやタブレットで作業をしている人、あるいはスマホを操作している人のほうが目立つくらいだ。
「あなたは何を読んでいたの?」そう、青年に尋ねられる。自分がもってきた本は長年の積読本だった。興味があって買ったはずなのに、二、三度、開いては数ページで断念した小説。それが、レイヴの空間に身を置くと、予想以上に読み進めることができた。自分の周囲の100人近くが読書に集中しているという事実に圧倒されつつ、まるで試験会場でそうするかのように、しかしそれよりははるかにリラックスした気持ちで、テクストに向き合うことが可能になる。
上:2026年4月に本稿筆者が訪れた「サイレント・リーディング・レイヴ」の集いにて。右奥には階段に座り込んでいる人びとも見える。会場となるカフェ・バー「グライス(GLEIS)」が入居する「ツォルハウス(Zollhaus)」はチューリッヒ中央駅近く、住居関連の組合が運営する住宅+商業関連の複合文化施設で、劇場やレストラン、ゲストハウスなども併設。 下:レイヴの場所を告げるバナー。会場となるグライスの入り口では、in my reading eraと書かれたキャップなどのグッズも販売している photographs by Anna Nakai
「レイヴ」で「沈黙」をつくりだす
サイレント・リーディング・レイヴを最初に企画したファビアン・ヴァインガルトナーは、とあるインタビューのなかでこう述べていた。「一般的なレイヴは騒々しいものですが、わたしたちのイベントはそうではありません。でも、まったく同じなのは、大勢の人が集まって、ひとりでもグループでも参加できて、自分の世界に没頭しながら、それを他の人と共有できるという点です。そして、限られた短い時間だけ、ということも」
なぜ、あえて「レイヴ」だったのか。今回、WORKSIGHTが改めて行ったインタビューで、ヴァインガルトナーにもう一度その含意を尋ねてみた。
「まず単純に、”パーティー(party)”という言葉よりも”レイヴ(rave)”のほうが響きが好きだったんです。わたしも若い頃、森や野原で開かれていたレイヴによく足を運びました。年を重ねたのでもう行くことはないですけれど……(笑)。
“r”eadingと”r”aveで頭韻も踏めそうでしたし、このことばを使ったのはマーケティング的な判断もありましたが、『レイヴが実際に何であるのか』を自問してみたら、むしろこの表現がぴったりだと気づいたんです。まずレイヴは始まりと終わりがはっきりしています。それから、場所を変えながら行われている。わたしたちも定期開催の場所がいまでこそありますが、それでもいろいろと場所を工夫しながらやっている。そのことが、自分たちの活動のアイデンティティの一部にもなっている気がします」
共同主催者のフルーザも、「知らない人たちと2時間をともに過ごしてから、それぞれが別の場所に帰っていくこと。それがわたしにとってレイヴとしての要素が強い点だと思います」と重ねて言う。
この小規模活動をヴァインガルトナーが始めたのは、2019年のことだったという。学生時代に課題に追われ、自分のための読書をする時間が取れなかった、そんな状況を変えたいと思った。英文学と歴史学を専攻する彼は、たまたまアメリカのサンフランシスコ発祥の「サイレント・ブック・クラブ」の試みを知り、自分でもやってみようと考えるようになった。「あるとき、眠れなかった日の夜にそのアイディアを思いついたら、どうしても実行したくなって。翌朝にはFacebookのイベントページをつくって、友人たちを招待していました」。もっとも、当時の心境は不安のほうが大きかったと彼は振り返る。「誰も来なかったらどうしようと、ものすごく不安でした。それに、変なやつだと思われるんじゃないか、とも。当時は、黙って本を読むためだけに集まるなんて、結構型破りなことでしたから」。最初は数人の友人たちとテーブルを囲んで本を読むだけの時間だった。
「レイヴ」というと、わたしたちは普通音楽を多人数で楽しむものをイメージするが、チューリッヒでのイベントで共有されているのは、音楽ではなく「沈黙」のほうだ。「そう、沈黙、静けさです。沈黙は自分たちでつくり出すものなんです」とフルーザは明確に主張する。このイベントの特別な空気感は、まさに沈黙によってつくられているのだと。
ヴァインガルトナーも、沈黙のなかでの読書はまるで瞑想のようで、「何十人ものひとが同じ場所で、ただ瞑想をしながら2時間過ごしているのだと考えると、それ自体がとても素晴らしいことなんじゃないかと思うんです」と続ける。参加者からも実際に、読書の後に気持ちが落ち着いたという声はよく寄せられるらしい。
「最近、日本を訪れる機会がありました。日本の都市は巨大なのに、静かにもなれることにとても驚きました。チューリッヒを含む欧州の大都市では、みんなが大きな声で話をしていて、それが気になることもあります。ヨーロッパではやはり、都市のなかで静けさを体験できることは貴重なんだと思います」
参加人数の多い場所で、沈黙を保つための工夫も怠らない。サイレント・リーディング・レイヴの活動をサポートするメンバーたちを通じて、おしゃべりの始まったテーブルに行って「静かにしてね」と促したり、イベントに気づかずに普通のカフェのように利用しようと入ってきた人に説明をするようにしたり、といったことは常に行っているようだ。ヴァインガルトナーが付け加える。
「でも、静かな空間だと、大きな声を出すだけで緊張が走るので、ほとんどの場合は、わたしたちがコントロールしなくても、場はおのずと静かになっていくんです。屋外で実施するときも、子どもや周りの人はわたしたちを観察しているので、静かに本を読んでいるんですと伝えれば、なんとなくそれを尊重してくれます」
上:屋外で行われるサイレント・リーディング・レイヴの様子。公園でのこうしたイベントは、特に許可を取って行っているものではないが、市民との距離感を大切にしているという。 下:インタビューに答えてくれた、サイレント・リーディング・レイヴ・アソシエーションの共同主催者、リンダ・フルーザ(左)とファビアン・ヴァインガルトナー(右)。 photographs courtesy of silent reading rave association
公園のベンチのように
サイレント・リーディング・レイヴの拡がりを語る上で、パンデミック期間は外せない。小規模で実施していたとはいえ対面イベントは開催できなくなり、オンラインに切り替えて活動を続けた。「むしろオンラインの時期に、参加者が一気に増えたんです。40人くらいが参加してくれるようになって、かなり驚きました」とヴァインガルトナーは振り返る。「あれは、人びとの読書との向き合い方が決定的に変わった期間でした。わたしもまさに変化を経験したひとりで、読書を再び楽しいと思うようになりました」、そうフルーザも頷く。
他方で、オンラインから対面の世界へ戻るタイミングで、思わぬ苦労もあったとヴァインガルトナーは言う。「対面だと、10人くらいしかまた集まらなくなってしまいました。オンラインの盛況ぶりと、対面の参加人数の少なさとのギャップが生じる時期があったんです。みんな、まだ外に出るのを怖がっていたのかもしれませんが、奇妙な移行期が存在しました」。その移行期にハイブリッド開催などの工夫も凝らしてみた結果、次第にオンライン参加者は減っていき、対面参加者がいまの規模にまで増えるまではあっという間だった。さらに、参加者の増加を受けて、主催者たちがボランティアで行っているこの企画を続ける上で、もっと効率的に、負担の少ない運営を行うためのアソシエーションを立ち上げることにもつながった。
2026年現在、月に2、3回のペースでチューリッヒでのレイヴを開催する傍ら、それ以外にも活動を展開し、今年は年間50近くのイベントがバーゼル、ザンクト・ガレン、ヴィンタートゥールといったスイス各地の都市で開催される予定だ。イベントと同名のアソシエーションは現在およそ20名から成り、アクティブに企画や運営に携わっている。 参加者からの募金をもとにしたメンバーシップ制度も取り入れるかたちで運営の補助的な人員を確保するほか、活動における支出などはグッズの販売によって賄っている。
サイレント・リーディング・レイヴには、このようなアソシエーションとしての側面もある。イベントの参加費は基本的に無料で、事前登録も要らないのは先に述べたとおりだ。「読書スペースにお金を取るのは、なんだかおかしいと思ったんです」とヴァインガルトナーはその意図を語る。「結局のところ、読書は無料で、誰にでも開かれているべきものです。公園のベンチでだって、無料で本は読める。だったら、なぜわたしたちのサービスが有料であるべきなのかと考えました」
そしてそれは、アクセシビリティの問題ともつながっている。「できるだけ多くの人々が参加しやすい環境を整えることは、わたしたちにとって非常に重要です。人種差別、LGBTQ+への偏見、セクシズム、エイブリズム、エイジズム、その他のあらゆる形態の差別を含め、わたしたちの団体のイベントでは一切許容されません」という彼らのウェブサイトの宣言通り、メンバーシップの有無や参加費を払えるか否かで区別を設けないという姿勢が貫かれている。書店やブックフェアと共催することもあるが、商業性を追求しない姿勢などは、韓国のテクノ読書会の事例とも異なる点だろう。
独仏共同の公共放送ARTEによる欧州の読書トレンドを取り上げた特集番組。チューリッヒのサイレント・リーディング・レイヴの紹介も。
アソシエーションの、密かな系譜
だから、こうした営みが特にスイス特有のものだとは思わない──そう主催者たちは口を揃える。サイレント・リーディングは世界中で行われていることで、自分たちは国際的な潮流の一部にすぎない、のだと。実際、チューリッヒのイベントに通っていた参加者が、ブリュッセルに移り住み、そこで同じような催しを自ら始めた例もあるのだという。ただ、調べてみると、チューリッヒの読書文化史が本人たちも意識しないままにサイレント・リーディング・レイヴに流れ込んでいる可能性はありそうだ。
チューリッヒに市立図書館(Stadtbibliothek Zürich)が誕生したのは1629年のこと。この市立図書館は、一般市民からの寄付で充実したコレクションを形成していったという特徴をもつ。創設から1年後には1500点程度だった蔵書が、およそ50年後の1683年には、6612点になっていたことを示す研究もある。そして、この「贈与」自体が、自発的な行為というよりも社会的な義務として理解されるべきだというのが専門筋の議論だ。そこからは、匿名の善意というよりも、公共の場へ参画することで市民としての都市への帰属を表明することを重んじた環境が見えてくる。当時はまだ流通も限定的で高価だった自分の財産である書物を寄贈することで、知が共同体のものであるという可視化にもつながった。
市立図書館では、施設に蔵書を受け入れるために「図書館協会」(Bibliotheksgesellschaft)が設立され、すべてのチューリッヒ市民にその資格の門戸が開かれた。一定額の支払いによってメンバーシップを得ることができた。時代がくだり、18世紀の初頭には公共の施設となり、メンバーシップをもたない人も含め(とはいえ、男性市民中心に)、書籍の貸し出しが可能となった。
ヨーロッパ全体でも黙読の普及と読書習慣の変化が18世紀以降に加速したと言われることがあるが、チューリッヒにおける読書文化も、言語を共有するドイツ語圏の動向におおむね呼応し、19世紀には数々の「読書協会」(Lesegesellschaft)が相次いで生まれていた。例えば、1834年に設立された「博物館協会」(Die Museumsgesellschaft)は、読書文化の受け皿としての側面をもっていた。協会会員は当時こそ男性に限られていたものの、後に女性にも門戸を開放し、現在でも図書館やその閲覧室、そして文学センターの運営を継続している。
また、1882年には、チューリッヒのホッティンゲン地区を中心に、(スポーツ・クラブの会員の精神的修養のための)「ホッティンゲン読書サークル」(Lesezirkel Hottingen)が設立され、「文学と芸術の夕べ」の名のもとに、市民の読書・文学への意識の向上に大きな影響を与え、会員数が急速に増加したとされる。この読書サークルは、トーマス・マンやシュテファン・ツヴァイクといった作家らを招待し、チューリッヒを「世界文学」のひとつの舞台に押し上げる、その一端を担うこととなった。
このようなチューリッヒの読書文化の歴史を概観すると、「サイレント・リーディング・レイヴ」が突然誕生したわけではないことが徐々に理解されてくる。アソシエーションが設立され、しかしメンバーシップのみを資格とせず、無料で、自由に市民が参加できる読書の場の形成という意味では、チューリッヒという都市は長い歴史を有しているといえるのかもしれない。もっとも、これは訪問者であるわたしが勝手に見いだした「系譜」であり、ヴァインガルトナー自身は「ホッティンゲン読書サークルのことさえ知らなかったし、そんなふうに自分たちの歴史を考えてみたことはありませんでした(笑)」と率直に答えてくれた。それでもなお、個別の都市や地域ごとに異なる文脈があり、それぞれの場所でそうしたコンテクストを掘り下げながら新たな試みに挑んでいくための手がかりがある、ともいえそうだ。
19世紀の読書協会には、教養の普及だけでなく政治的な意識を育む役割もあったが、現代のレイヴは「包摂」の原則に基づいて、一定の時間をともに過ごすことのできる、安心感を与えるコミュニティづくりに貢献している。せわしない都市の生活のなかで読書のための時間と場所を確保するというのは、今日ではすでに何らかの表明として機能しているにちがいない。「2時間、沈黙のなかにいることは、いまやほとんどラディカルな行為です」との言は、彼らのウェブサイトにも紹介されている。
上:1845年、教会(ヴァッサーキルヒェ(Wasserkirche))のなかに設置された、チューリッヒの「市立図書館」の様子を描いたフランツ・へギ(Franz Hegi)の作品。 Public domain, via Wikimedia Commons 下:ジールヴァルト(Sihlwald)地区に18世紀に建てられた「旧森林官の家」の前で開かれた、1903年のホッティンゲン読書サークルのイベントの様子。「ゲスナー記念祭」と呼ばれるイベントで、多くのチューリッヒ市民や外国人が参加したという。 Public domain, via Wikimedia Commons
できるけれども、しなくてよいこと
2時間という設定は、映画1本分、大学の講義1コマ分だと考えれば、わたしたちが日常のなかで集中できる時間の相場といったところだろうか。楽しいときの時間は往々にして早くすぎるもので、実際に参加した身としても、「あっという間だったな」という感慨と、しっかり集中していたがゆえの心地よい疲労を感じる。
もってきた本の半分あたりに栞をはさむと、読書の進捗ぶりに素直に驚く。カバンに本をしまいこんだあと、また別の場所へ向かって電車で移動するときにも、自然にまた本に手が伸びた。こころなしか、またいつもより集中して読み進めることができたように感じた。たった2時間でも、自分と読書の関係が変化したのだとしたら、面白い。
自宅のソファで本を読もうとすると、スマートフォンを手に取るし、洗濯機の音が気になるし、わたしの場合は飼っている猫が割り込んでくる。だが、100人が黙々と読書をする空間では、目の前の本を読まざるを得ない。サイレント・リーディング関係のイベントは、オンラインのBookTokや読書チャンネルのように、事前の準備や毎日、毎月何かを読まなければいけないというような焦りからは自由で、何を読もうと、誰もそれに口をはさむこともなければ、どれだけのページを読むべきかという目標も人それぞれでかまわないのである。
これに関連して、インタビューで、フルーザが語っていたことが印象に残っている。「できるけれども、しなくてよい」ことがある、という発言だ。「イベントの2時間が終わって、隣の人に話しかけたいなら話しかけてもいい、でもそうする必要まではないというか。まずはただ本を読むだけなので。参加はある意味、消極的でもいい、積極的に取り組まなくていい。だから、内向的な人にはぴったりのイベントかもしれません」。ヴァインガルトナーもことばを重ねた。「普段の性格も関係ないんですよね。2時間、その2時間だけは、内向的だろうと、外向的だろうと、傍目からは区別がつかない。みんながただ各々に本を読んでいる。それがとても心地いいんです」
いま、サイレント・リーディング・レイヴはさらなる過渡期を迎えているという。関心をもつ人も増えるなか、無償のアソシエーションの活動に、参加者から突きつけられる要求も増えているのだ。活動を続けるための賃金を設定すべきかどうか、話し合いを続けている。
文化の歴史的な歩みに連なりつつ、他方で「制度化」せずに「できるけれども、しなくていい」という余地を大切にしてきたレイヴの空間も、こうした葛藤とは無縁ではなかったというのが意外だった。読書会といえば無条件で称揚されるような空気が読書好きの間では流れがちだが、そうした文化的な営みは常にサステナビリティという現実に直面するのだ。それでも、「未来によい変化があることを期待しています」と主催者たちは明るく語っていた。あくまでも前向きに、静寂の先にあるものを見つめながら。
ある回のサイレント・リーディング・レイヴ。時にはトラムでも、人びとは読書する。 photograph courtesy of silent reading rave association
【WORKSIGHT SURVEY #81】
Q. 日本でも「サイレント・リーディング・レイヴ」のような試みは広がりそうだと思いますか
今回お話しを伺った「サイレント・リーディング・レイブ」のような、集まって本を読むイベントは世界中に広がりつつあります。日本でもサイレント・リーディングのような試みは広がりそうだと思いますか。また、参加してみたいですか。あなたのご意見をお聞かせください。
【WORKSIGHT SURVEY #80】アンケート結果
“箱”ではなく文化のOS:「木」と「学芸員」で多世代交流を生む「東京おもちゃ美術館」の制度設計【「場」の編集術 #07】(8月11日配信)
Q. おもちゃはやっぱり木製に限る?
【はい】積み木、だるま落とし…今や遠い過去となった幼い頃の一人遊びのかたわらにはいつも木製のおもちゃがあった。記憶が明確なのは木の匂いや手触りを身体が記憶しているからだと思う。
【はい】子供のおもちゃは木製にこだわりました。子育て8年目にして感じることは、木の素材は使い込むほどオリジナルなものになるということです。記事にもあった「とりあえず"映える"」というのもとてもわかります。
【いいえ】限りはしないと思います。だけど、木製の方が良いと思います。プラスチックのおもちゃは、折れたり欠けたりしたらおもちゃとしての魅力や機能が無くなってしまうことが多いけれど、木製だと、傷もまた温もりを醸し出すような気がするし、欠けたりしても、おもちゃ自体の価値は下がらない、あるいは愛着も増すように思います。父は何でも自分で造ろうとした人だったので、いろんなものを手作りしてくれました。一番印象に残っているのは、おもちゃではないのですが、川で拾ってきた流木でバットを作ってくれて、長い間そのバットで遊びました。良い思い出です
【いいえ】3歳頃の記憶があり、親が木のおもちゃをあれこれ買ってきたけど全然ワクワクしなかった。色がなくて丸っこくて重たくて抽象的で、遊びづらかった。カラフルで軽くて、具体的な遊びが示されていたほうが、経験値が少ない我らは楽しめるぞと思っていた。田舎だったのでその辺に生えている本物の樹木のザリザリした幹を触ったり、葉をちぎって力加減や繊維の方向を覚えたり、匂いを嗅いだり口に入れて吐き出したりする機会の方が多く、その方が刺激的だったのかも。記事全般には共感し、場の設計として学びになるものばかりでした。
【いいえ】2歳の息子が、私の弟のおさがりのプラレールで遊ぶ姿を見ているとそれもいいなと思う。私は木のおもちゃに馴染みがなかったが、おもちゃ美術館で義母にモクトレインや駒を買ってもらったり、昔夫が使っていた木のおもちゃを子供達にもらったりして木に馴染むようになってきた。今は木のおもちゃはインテリアにも馴染むし、子供の想像力を使う遊びもできるので今はとても良いと思っている。記事がとても良かったです。何度か福岡のおもちゃ美術館には行っていますが、改めて足を運びたいとおもいました。一方で、ここまで深い施設だと現地の空間やチラシだけで気づくことができずそれが少し勿体無い気がしました。今後近くの館だけでなく旅行先などでも積極的に訪れたいと思いました。
次週8月25日は、近年にわかに人気を集めている、タイBL(ボーイズ・ラブ)ドラマ俳優カップルのマスコットキャラクターを取り上げます。俳優を模したわけではなく「理想のファンダム」を具現化したことから始まったというそのキャラクター人気は、俳優カップルをめぐる独自のエコシステム(生態系)に立脚しつつ、ある種アンコントローラブルな”成長”を遂げています。そこにはどんな現代的な意味や可能性が見いだせるのでしょうか。お楽しみに。
【新刊案内】
『WORKSIGHT[ワークサイト]30号 新しい中世 The New Middle Ages』
photographs by Hironori Kim
cover Illustration by Natsujikei Miyazaki
帝国、教会、荘園、騎士団、ギルド、修道院……。中世とは、複雑怪奇な権威のネットワークが幾重にも絡み合った時代だった。アルゴリズムに導かれ、プラットフォームの中で群れ、炎上によって見知らぬ誰かを裁くいま、わたしたちはすでに「新しい中世」を生きているのかもしれない。かつて中世の再来を予言したウンベルト・エーコ、 心理占星術研究家・鏡リュウジや現代魔女・円香、中世ゲーム研究、政治学者が読み解く「中世という過渡期」を経た、現在の地政学「それ以降の世界」まで。中世のレンズを通して現代を再解釈する。
【目次】
◉ギャラリー
現代は中世である
◉巻頭言
世界はふたたび中世になる
文=山下正太郎(本誌編集長)
◉ウンベルト・エーコと新しい中世
文=武邑光裕
◉対談
鏡リュウジ(心理占星術研究家)+畑中章宏(民俗学者)
スターゲイザーたちの「合理的」な世界
◉わたしは魔女である
円香が語る「現代魔女」という行き方
◉中世の騎士、東京に集う
ドキュメント「戦え、騎士のように」/証言「騎士たちの理由」/インタビュー「中世剣術のリアリティを、現代で共有したい」
◉ゲームはなぜ中世を必要とするのか
中世ゲーム研究の第一人者、かく語りき
◉コンテンツガイド
中世の回廊
◉「新しい中世」以降の世界
政治学者・田中明彦の予言から読む現代の地政学
【書籍情報】
書名:『WORKSIGHT[ワークサイト]30号 新しい中世 The New Middle Ages』
編集:WORKSIGHT編集部(コクヨ ヨコク研究所+黒鳥社)
ISBN:978-4-7615-0938-5
アートディレクション:藤田裕美(FUJITA LLC)
発行日:2026年7月2日(木)
発行:コクヨ株式会社
発売:株式会社学芸出版社
判型:A5変型/128頁定価:1800円+税











