"箱"ではなく文化のOS:「木」と「学芸員」で多世代交流を生む「東京おもちゃ美術館」の制度設計【「場」の編集術 #07】
新宿区・四谷にある体験型ミュージアム「東京おもちゃ美術館」。この場所の運営を担っているのは有給スタッフではなく、主にシニアの方々で構成された「おもちゃ学芸員」だ。さらに館内は、床面からひとつひとつのおもちゃに至るまで、すべてが木でつくられている。「学芸員」「木育」を基軸に、全国へ広がり続ける多世代交流の遊び場は、いかにして生まれ、維持されてきたのか。
新宿区・四谷の「東京おもちゃ美術館」。1936年竣工の旧四谷第四小学校の教室に足を踏み入れると、まず木の香りに包まれる。収蔵品はガラスケースのなかではなく、来館者の手のなかにある。そしてこの場を回しているのは、有給スタッフではない。平均年齢62歳、全国で2500人が登録する「おもちゃ学芸員」たちだ。彼らをボランティアと呼ぶ者は、この館にひとりもいない。ここはあらかじめ完成された展示空間でもなく、使い方が決まった遊具がある公園でもない。彼らおもちゃ学芸員の手によって、運営のなかで発明され続ける場である。
WORKSIGHT編集長・山下正太郎による連載「『場』の編集術」第7弾では、全国各地でおもちゃ美術館を運営する、特定非営利活動法人芸術と遊び創造協会理事長・多田千尋氏にインタビューを実施。廃校に宿り、補助金に頼らず、来館者を担い手へと変え続けるこのミュージアムは、どのように生まれたのか。「遊び」を通して生まれる「学びの場」とは。
interview by Shotaro Yamashita, Junnosuke Suzuki
text by Shotaro Yamashita
photographs by Kaori Nishida
「おもちゃ美術館」とは関わりたくなかった
多田千尋氏のキャリアは、この世界からの逃走に始まる。父・多田信作氏は美術教育の研究者で、全国の小学校の図工教師や保育者を指導する立場にあった。1957年に芸術教育研究所を設立し、1984年に「人間が初めて出会うアートは、おもちゃだ」という信念のもと、東京・中野区に付属施設の「おもちゃ美術館」を開いた人物である。しかし息子の千尋氏は「まったく関わりたくありませんでした」と振り返る。大学卒業を控えた頭にあったのは、商社や銀行への就職だった。
ところが多田家には変わった家訓があった。「卒業後すぐに就職するのではなく、まずは海外へ行きなさい。行き先は自分で決めること。」ひねくれ者を自認する千尋氏が選んだのは、当時「最も不思議な国」だったソ連だった。交換留学でモスクワに2年。そこで彼は多くの芸術家と、ロシア国立玩具博物館に出会ってしまう。国家が玩具の博物館をもち、子どもの芸術教育を制度として抱える光景は、父の仕事を外側から照らし返した。
「父の仕事にはまったく興味がなかったのに、『案外、くだらない仕事ではないのかもしれない』と思い始めたんです。遠ざかるために行ったはずなのに、父親に近づいていってしまった」
帰国後は業界紙の記者になった。1日3、4件の取材をこなし、1年で作成した記事数は約1000本。「まるで編集者養成学校に通っているような内容を、給料をもらいながら経験できた」。現場に足を運んで、人の話を聞いて、かたちにして、名を与えるこの作法は、後の場づくりの原型となる。26歳の終わりに父の芸術教育研究所へ入り、二人三脚を始める。当時の研究所は客が30人も入れば満員の小さな施設だった。
だが6年後、父は急逝する。カリスマを慕って集まっていた職員たちは、潮が引くように去った。「沈没する船から逃げていくみたいに人がいなくなるんですよ。あの頃は人生で一番つらかった。去る人は去るんだと痛感しました」
多田千尋|Chihiro Tada 東京都生まれ。特定非営利活動法人芸術と遊び創造協会理事長。高齢者アクティビティ開発センター代表。2025年3月、29年間務めた「おもちゃ美術館」2代目館長を退任。館長在任中は「おもちゃ美術館」直営館3館、姉妹館10館を数える全国ネットワークを構築した。現在は理事長に専念し、NPO法人のさらなる発展のために邁進する
新宿に一番足りないものは木だと思った
父の急逝から踏ん張り続けて10年目のある日、四谷の住民十数人が研究所を訪ねてきた。「1936年竣工の地元の小学校が廃校になる。校舎が取り壊されると、跡地はタワーマンションになるかもしれない。おもちゃ美術館に、入ってもらえないか」
少子化で毎年数百校規模の廃校が生まれ、解体か「負動産」化に至るのが典型的な日本において、四谷が特異だったのは、住民が先に動いたことだ。元PTAや卒業生らが校舎の保存を求め、活用プランを自ら描き、担い手まで自ら探しに来た。行政が仕様書を書き、事業者を入札で選ぶ指定管理者制度の標準風景とは真逆で、場の主導権は最初から市民の側にあり、行政は後で認可した。多田氏はこの誘いを受け、12の教室をおもちゃ美術館へと改修する。
ただし、招かれた先に待っていたのは厚遇ではなかった。
「最初は新宿区から何かしら支援があるものだと思っていたんですよ。でも『補助金はありません』と言われて(笑)。代わりに賃貸契約です。12教室ですから、年間家賃はうん百万円にもなります」
この厳しい状況こそが、場の性格を決定づけた。「補助金や指定管理料に頼る経営ではだめだ、自立しなければいけない、と。そこでふたつ考えました」。ひとつは、ボランタリーに関わる仲間を増やすこと。それが「おもちゃ学芸員」養成講座になった。もうひとつは、新宿にないもので勝負すること。「新宿に一番足りないものは木だと思いました。決めたコンセプトが『木の香りがぷんぷんするミュージアム』でした」
ここには競合の分析があった。無料だが少子化と財政難で痩せていく児童館という公共と、ショッピングモールの有料プレイグラウンドという賑やかだが消費でしかない商業。そのどちらでもない第三の選択肢を、廃校と木でつくる。それがこの館のポジションである。
1936年に竣工され、2007年に廃校となった旧四谷第四小学校につくられた「東京おもちゃ美術館」。小学校の面影が残る外観
効果は予想を超えた。木に囲まれると赤ちゃんが泣かない。普通の子育て支援施設では30分で帰り支度を始める父親が、2時間3時間と滞在する。木のある風景は「映える」。子育て支援センターと比べてシャッターを押す率が4.8倍というデータまで出た。元理科室の「赤ちゃん木育ひろば」には0〜2歳児だけで年間3万人以上が訪れ、その数だけの母親がSNSに写真を上げていく。「これなら、広告費かけなくていいよねって。だからうちの美術館、広告費ゼロなんです」
いまや「木育」の全国的な推進者として知られる多田氏だが、本人はこう明かす。
「オープンから2年ほど経った頃に林野庁の方々が来られて、『木育という国の事業を知っていますか』と。わたしは『食育なら知っていますけど、木育は初めて聞きました』と答えました(笑)。だから木育は完全に後付けなんです。いまでは偉そうに話していますけど、実際には開館後に出会った考え方なんですよ」
思想が場をつくったのではない。家賃という切迫が発明を生み、実践が先に走り、政策と理論が後から思想を発見した。
上:0〜2歳児と保護者のみが入室できる「赤ちゃん木育ひろば」(1階)。国内10地域もの無垢杉材が使われた床面は、季節を問わず冷たくなりにくく床暖房いらずの温かさだ
下:館内では世界各国の木製おもちゃの展示も。例えばヨーロッパは知育玩具の発祥地でもあるため、パズルのような思考力を育てるおもちゃが多いが、アジアのおもちゃには宗教的な背景をもつものが多く存在する
「ボランティア」ではなく「おもちゃ学芸員」
東京おもちゃ美術館の運営を担うのは有給スタッフではない、「学芸員」だ。しかしここにはいわゆるボランティアはいない。
「わたしは『ボランティアを集めよう』という発想で取り組んでいません。おもちゃ美術館は、ひとつの学校だと思っているんです。『自分を成長させるための学校に入学しませんか』という感覚ですね。うちでは『ボランティア』ということばは誰ひとり使いません。『おもちゃ学芸員』と呼びます」
体験型の子ども博物館は欧米で先行し、世界には数百の館があるが、その多くは有給のエデュケーターが運営を支える。来館者を養成講座経由で運営者に転化させ、学芸員という専門職の名を贈るこの方式は、世界的に見ても異形である。2023年には国際賞「Children in Museums Award」を受賞し、公立美術・博物館の学芸員からも一目置かれる存在になった。
入り口の敷居は意図して低い。全国の館の年間来館者は約110万人。その半数を占める大人が館内で学芸員と接し、帰り際に養成講座の案内を見て「あのおじさんやおばさんたちは、学芸員だったんだ」と初めて知る。子育てが一段落した人の「何か新しいことを始めたい」という思いの受け皿になる。多田氏は「資格取得者を増やそうというよりも、いい出会いをつくることを意識しています」と言い、その働きを「縁結び」と呼ぶ。東京では400人が登録し、赤いエプロンを着けた学芸員が1日平均20人ほど館に立つ。
上:おもちゃ学芸員は赤いエプロンを着けて、子どもがおもちゃで遊ぶのを手助けする。館内に毎日20名ほど学芸員が常在する
下:かつての家庭科室を改修してつくられた3階の「おもちゃこうぼう」では、小学4年生以上が対象で電動糸のこぎりを使った工作体験が可能。工作の企画・指導もおもちゃ学芸員や「おもちゃコンサルタント」と呼ばれる資格取得者が行う
担い手をつなぎとめる仕掛けは3つある。
ひとつ目は、ステータスの設計である。学芸員は同伴者4人まで「顔パス」で入館できる。孫や友人を連れて、自分の職場のように館を案内できるということだ。大学の博物館実習では、70代の学芸員が学生の指導役を務める。「『わたしでいいんですか』と照れながらも、本当に嬉しそうなんです」と多田は言う。10年、15年と活動を続けた人への永年表彰は、ホテルの宴会場で開かれ、その人の干支の郷土玩具が贈られる。賞状一枚で済ませないところに、職員たちが「どうすれば学芸員の皆さんのステータスが高まるか」ばかり考えているという館の姿勢が表れている。
2つ目は、学びの保障である。母体の芸術と遊び創造協会は60年にわたり保育者研修「夏の芸術教育学校」を続けており、夏だけで約150講座、全国から数千人の保育者が集まる。その空席が、学芸員には無料で開放される。「学校に入学してもらっている以上、学びの機会を保障することが大切だ」。館で遊びを伝授する人が、同時に遊びを学び続ける人でもあるという循環が、ここで担保されている。
最後に、旅である。学芸員たちはスタディツアーや海外視察にも共に出かける。「1泊2日でも、何度も一緒に食事をするでしょう。3回、6回と食卓を囲めば、もう親戚みたいなものなんですよ」。同じ釜の飯が、講座では生まれない紐帯をつくる。
こうして地位と学びと旅を与えられた学芸員たちは、やがて館の側が何も言わずとも、あやとりの会、ベーゴマの会、紙芝居の会といったサークルを自主的に立ち上げていく。「高校の部活みたいな感じだと思います」。制度が先にあり、自治が後から芽吹く。その順序まで含めて、これは設計なのである。
それを象徴する出来事がある。妻に袖を引かれて渋々学芸員になった男性が、やがて妻以上にのめり込み、多田氏と人生を語り合う仲になった。彼が亡くなったとき、棺の上には学芸員の赤いエプロンが掛けられていた。
「うちのスタッフみんなボロボロ涙を流していました。そこまで気持ちが通じ合っている。だから決してボランティアさんなんて、言えないんですよ」
継承の物語としても示唆的だ。カリスマの死とともに人が去る組織の脆さを知る二代目は、ひとりの求心力ではなく、数百人に分散した誇りと紐帯で場が回る仕組みを築いた。属人の磁力から、制度の磁場へ。それ自体が、二代目ならではの継承のかたちだった。
40年続く「おもちゃコンサルタント」養成講座の修了生7000人が報酬なしに各地で館を語るアンバサダーになっている事実も含め、担い手の制度がそのまま広報と経営の生態系になっている。
子どもの専門家は、高齢者にも注力しなければいけない
父・信作氏は、おもちゃをアートと呼んだ。だからこの館は「博物館」ではなく「美術館」を名乗る。ただ、子・千尋氏の定義は違う。
「わたしは父ほどおもちゃそのものに思い入れがあるわけではないかもしれません。おもちゃは生活道具だと思っています。人と人とを結びつける、接着剤のような存在ですね。おもちゃそのものが大好きな人は、おもちゃ美術館はつくらずにコレクターになります。わたしが興味をもっているのは、おもちゃの向こう側にいる人間なんです」
館の名は父の思想を保存し、運営は子の思想で動く。では、おもちゃが結びつける「人」とは誰か。多田氏の視野を子どもの外へ広げたのは、社会福祉学者・一番ヶ瀬康子氏の「これからの子どもの専門家は、高齢者のことにも注力しなければいけない」という一言だった。日本の公共施設は年齢で人を仕分けてきた。児童館は18歳未満、老人福祉センターは高齢者のための施設で、所管も予算も別々である。この縦割りを、多田氏は30代で越境する。半信半疑で老人ホームに通い始めると、発見が続いた。
「保育園の階段の高さと老人ホームの階段の高さは同じなんですよね。保育士さんと介護福祉士さんの話し方、ことばをかけるスピード感までよく似ている。子どもと高齢者がいるのは決して別々の世界ではないんだと思うようになりました」
上:靴を脱いで入室する「おもちゃのもり」(2階)では、子どもが部屋中を駆け回り遊具で遊んでいた。素足でも安全に、足の裏から木と触れ合える設計になっている
下:学芸員と子どもが触れ合う様子。館内では海外からの親子連れも多数見られた。子ども、保護者、高齢者、さらには国籍までを越え、おもちゃがつくり出す笑顔が空間全体に広がる
決定的だったのは、30代の頃に行った米オレゴン州ポートランドの視察である。どの老人ホームにも「アクティビティディレクター」という、高齢者の生きがいづくりを専門に支える職がいた。介護福祉士も看護師もいる日本に、その職はない。「これは絶対に日本にも必要だ」。帰国後、日本で初めてその資格認定制度を立ち上げた。
この経験が、彼の思想の核心「心の栄養」論を結晶させる。人間には、食べ物という体の栄養と、遊びという心の栄養が必要だ。老人ホームで天井をぼんやり見つめて横たわる高齢者を見たとき、多田氏は「心が餓死しかけている」と感じたという。「おもちゃ美術館は心の栄養補給をしに来る場所。おもちゃ学芸員は、遊びの『管理栄養士』のような存在と言ってもいいかもしれません」
その裏には、遊びの社会的な地位への憤りがある。「『遊んでばかりいるんじゃない』など、遊びということばは、叱るときの表現として使われることが多い。『おもちゃ』も壊れ物、まやかし物の代名詞に使われる。こうした表現はおもちゃに失礼だと思っています(笑)」。労働の対義語に置かれてきた遊びを、生の栄養素として取り戻すこと。ミュージアムはそのための装置である。
いま、その思想は数字に表れている。学芸員の平均年齢は62歳。全国の登録者約2500人の9割が女性で、5年10年と活動を続けても要介護状態になる人が目立って少ない。「『多田くんがやっているのは介護予防事業なのかもしれないね』と言われて、とてもしっくりきたんです」。例えば長野県・木曽郡の木曽おもちゃ美術館では、館内に置いてある酒樽や醤油樽ひとつで高齢者の会話が生まれる。「高齢者が自然と話したくなるデザインを、完全に意図してつくっています」と多田氏は言う。児童館でも老人福祉センターでもない場所で、シニアが赤ちゃんの親とことばを交わし、孫世代に伝承遊びを教える。年齢で人を仕分ける行政の設計を、この場は「遊び」という共通の栄養素で溶かしているのだ。
木のおもちゃから始まり、木の棺桶で終わる
おもちゃ美術館は現在、全国に広がりつつある。だが多田氏たちは、館を売り込んだことがない。営業の中心にあるのは「ウッドスタート事業」という試みだ。「ウッドスタート」とは、東京おもちゃ美術館とそれを運営する芸術と遊び創造協会が、自治体の首長と連携協定を結び展開している「木育」のプランのこと。赤ちゃんの誕生祝いにファーストトイとして、地域材でつくられた木製おもちゃを贈る。学校の机や椅子をできるだけ地域の木でつくる。公共施設の内装に木を使う。そして地域の木で棺桶をつくるなど、すべての世代の人びとが、その土地の木のぬくもりを感じながら豊かな暮らしを送ることを目指す取り組みである。
芸術と遊び創造協会による木育情報のポータルサイト「木育ラボ」の木育推進事業紹介動画。
棺桶の話は冗談ではない。秩父市は本当に山桜や杉で棺桶をつくり、市役所のロビーに展示した。「おもちゃから始まることを『ウッドスタート』、棺桶で終わることを『ウッドエンド』と呼んでいます。ゆりかごから墓場まで、人生を通して木とともに暮らす文化を地域につくる」。宣言自治体は67にも及ぶ。
「そのことを本気で提案していくと、10自治体にひとつくらいの割合で、『そこまでやるなら、おもちゃ美術館もつくりたい』という首長さんが必ず現れるんです」
この提案が刺さる背景には、ふたつの構造問題がある。
ひとつは山。人工林が伐期を迎える一方で林業の担い手は減り続け、「多くの自治体では、山が資産ではなく不良債権になってしまっている」。もうひとつは廃校。赤ちゃんが年間3万人以上やって来る旧校舎を見た首長は、自分の町の空き校舎を思い浮かべて帰っていく。宮城県・気仙沼市からは市長と副市長がわざわざ上京し、「まだ震災復興は終わっていない。人が訪れる地域にするために、こういう拠点が必要なんだ」と訴えたという。
館を建てると決めた自治体に対して、協会が担うのは総合監修である。形式は公設民営だが、基本構想に8カ月をかけ、民俗調査をするようなフィールドワークで土地の文化と歴史を掘り起こし、4人のオフィシャルデザイナーが地域との相性で選ばれ担当する。
競争入札もプロポーザルも経験がなく、すべて随意契約。「おもちゃ美術館をつくれるのは、おもちゃ美術館しかない」という理由で選ばれ続けるからこそ、思想を薄めずに移植できる。もっとも、自治体が整備費を負担する以上、箱モノ行政への視線と無縁ではいられない。その規律として効いているのは、四谷で叩き込まれた自律経営の作法だ。運営主体も器も地域ごとにバラバラで、木材店の株式会社が担う町もあれば、社会福祉法人が担う館もある。標準化によって増えるフランチャイズに対し、この場は翻訳によって増える。移植されているのは箱ではなく、木と暮らす文化のOSであり、館はその一部で咲く花にすぎない。
空間は徹底して「ジャパンで勝負する」。休日のレジャーも、おもちゃ売り場も、外食も、いまや海外発のテーマパークやチェーン店が席巻し、「気づけば、子どもたちはアメリカを中心とした文化のなかで育っている」と多田氏は言う。その悔しさから、あやとりやコマ、投扇興といった伝承遊びを研究し、全国の建具職人の技を空間に注ぎ込む。色は黄色ではなく山吹色、赤ではなく朱。「日本人が日本文化に囲まれて『異空間だ』と感じること自体、すでに海外の文化に慣れ切ってしまっている証拠なのかもしれません」
上:「木の砂場」の2万個もの木玉は北海道産の広葉樹でつくられている。産地まで日本にこだわる徹底ぶりだ
下:朱を基調とした「おもちゃのまち あか」(3階)では、コマや各地の郷土玩具、組み木細工を遊びながら体験できる小屋が並ぶ。部屋内に設置された茶室では、月に1回お茶会のイベントが行われている
人が最後まで学び続ける学校
2026年8月に16館目が開館し、あと5年ほどで全国25館になる計画が動いている。だが数を追う口ぶりのなかに、数が目的化することへの警戒が同居する。多田氏が語る未来は、施設の数ではなかった。
「その先にあるのは、おもちゃ美術館を学校にしていくことです。昔は『老人大学』ということばがありましたが、その名前ではワクワクしませんよね。シニアの方が生きがいを見つけられる学校。遊びが溢れ、人のつながりが生まれ、生きがいを育める学校。その実習の場として、おもちゃ学芸員の活動がある。言ってみれば、インターンのようなものです」
来館者だった人が講座を受けて、学芸員として実習し、誰かに心の栄養を届ける側にまわる。届けることで、本人の心もまた満たされていく。「人が初めて出会うアート」を掲げた父の館は、息子の代で「人が最後まで学び続ける学校」へとつくり直されつつある。
人口減少の時代、全国の自治体は公共施設の統廃合と複合化を迫られている。箱は減らさざるを得ない。ならば問われるのは、残った箱のなかで誰が担い手になるのかだ。サービスを提供する側とされる側を固定してきた配役を、この館は組み替えてきた。規律と時間割の象徴だった校舎が、遊びの学校に生まれ変わる。四谷の旧校舎が18年かけて証明してきたのは、入学も卒業も自分たちで決め続けられる、という自律の技術である。
【WORKSIGHT SURVEY #80】
Q:おもちゃはやっぱり木製に限る?
イエスかノーでお答えの上、皆さんの木製おもちゃをめぐる体験や思い出などもお聞かせください。
【WORKSIGHT SURVEY #79】アンケート結果
賭博と戦争:遠い戦火・遠のく記憶と関わる術(8月10日配信)
Q:戦争の記憶は、遠いものだと感じますか?
【はい】81年戦争していない日本に暮らしているから
【はい】祖父は前の大戦で被弾し、父は日本統治下にあった台湾から戻り、日本の港に着いた途端、資産を没収されたという。幼い頃からそんな話を聞いていても、やはり「どこか遠い世界、時間の出来事」のような感じがしていた。敗戦後、多くの日本人が、戦争の加害・被害の記憶をフィルターしてきたことは否めない。そして、現在の戦争に関しても、実際の「人体が損傷を受け、四散した結果」のような映像がマスメディアに現れることはない。この清潔な国では、「戦争の実質」についてフィルターすることが習い性になりすぎているのではないか?
【いいえ】戦争に限らず、災害や凶悪事件など、インターネットで追悼コンテンツなどに触れる機会が増えたように感じます。それによって時空間を超えた情報の重力のようなものが生まれている気がします。ロシアにもウクライナにも知人はいませんが、ドローン側の視点からロシア人の感情も想起するような感じです。もちろん当事者の記憶はないですが、繰り返し追体験をすることにより、年々忘れられない凄惨な記憶が増えているような感じがあります。
【いいえ】子どもの頃は、白黒フィルムの焼け野原の映像もリンゴの唄も古くさく、自分とのつながりを感じられなかった。でも後から「自分が物心ついた30年ほど前まで、この国は戦争をやっていたのだ」と考えたとき、その近さに驚いた。今から30年前といえば'90~2000年代であり、自分にとっては「ついこの前」である。近い。また、戦争の記憶からずれるかもしれないが、経済安全保障が叫ばれ冤罪が起こってしまうほどの状況下、さらにはアメリカが軍事行動を起こす直前に不自然な株価の動きが発生する昨今、戦火は遍在しているように思える。
次週8月18日は、スイス・チューリッヒで人気を博している黙読の読書会「サイレント・リーディング・レイヴ」を取り上げます。長年ヨーロッパで暮らすWORKSIGHT編集部員が実際にイベントに参加、現場を体験しつつ、共同主催者たちに話を聞きました。都市の内部で”沈黙”をつくり、共有する、文化的な実践の意義に迫ります。お楽しみに。
【新刊案内】
photograph by Hironori Kim
WORKSIGHTプリント版・30号『新しい中世 The New Middle Ages』
作家で記号論学者のウンベルト・エーコは、1970年代に現代社会が「新しい中世」へ向かうと書き残した。今号では、メディア美学者・武邑光裕が読み解くエーコの予言と、16のキーワードを起点に「新しい中世」をたどる。心理占星術研究家・鏡リュウジと民俗学者・畑中章宏が語る星読みの民俗学、知られざる現代魔女の世界、「中世バトルスポーツ」に集う甲冑の騎士たち。さらに中世ゲーム研究から国際政治学者・田中明彦が読む現代の地政学まで。中世というレンズを通して、いまという時代を読み解く。
書名:『WORKSIGHT[ワークサイト]30号 新しい中世 The New Middle Ages』
編集:WORKSIGHT編集部(コクヨ ヨコク研究所+黒鳥社)
ISBN:978-4-7615-0938-5
アートディレクション:藤田裕美(FUJITA LLC)
発行日:2026年7月2日(木)
発行:コクヨ株式会社
発売:株式会社学芸出版社
判型:A5変型/128頁
定価:1800円+税
















