都市に土を置くという戦略──「拡張生態系」がひらく人間の実存【「場」の編集術#05】
「自然を守る」という発想を超えて、人の手によって生態系そのものを拡張する実験が、麻布台ヒルズの緑地で行われている。その根底にあるのは、「多様性」ということばが、わたしたちがまだ捉えきれない力を秘めているという確信だ。次世代が、自分たちの存在を負荷ではなく肯定的に捉えられるかどうか──その分岐点が、いま都市の土の上で試されている。
麻布台ヒルズ・レジデンスB棟の一角にある、拡張生態系の実験場「Green Pool」
2023年11月、東京の新たな象徴として誕生した複合施設「麻布台ヒルズ」。その洗練された街並みの一角に、従来の都市緑地の常識を覆す実験場がある。株式会社SynecOが展開する拡張生態系緑地(通称Green Pool)だ。
この緑地では、2025年に待望の理論書が刊行され話題を呼んだ「拡張生態系」、およびその実装プロトコルである「シネコカルチャー」(Synecoculture)の実証実験が日常的に行われている。従来、生態系は人間の介入によって損なわれるものと語られてきたが、拡張生態系はその前提を問い直す試みとして、いま世界各国で議論を広げつつあるという。
都市空間の新たなあり方を模索する、WORKSIGHT編集長・山下正太郎による連載シリーズ「『場』の編集術」。第5弾となる今回は、拡張生態系の理論と実践の双方に深く関わってきたリサーチャー、吉川新之佑氏を訪ねた。Green Poolでの活動について話を聞くうちに、わたしたちが考える「多様性」の意味は根底から書き換わり、さらには「人間が存在することで、地球はより豊かになれる」という、次世代の未来像を肯定するナラティブが立ち上がった。これからの都市と自然の関係を捉え直す上で避けて通れない「拡張生態系」。その思想の深淵に迫る。
interview by Shotaro Yamashita, Alex Suo, Hidehiko Ebi
text by Shotaro Yamashita
photographs by Kaori Nishida
吉川新之佑|Shinnosuke Yoshikawa 一般社団法人シネコカルチャー研究員。株式会社SynecOデザイナー。京都大学社会的共通資本研究部門連携研究員。慶應義塾大学環境情報学部卒、同大学政策・メディア研究科エクスデザインプログラム修士課程修了。拡張生態系を専門に、都市部における生態系の構築手法や、社会-生態学的要因に基づく価値推定の数理モデル等を研究。ICU・SFC合同講義での講師登壇など、研究知見の社会還元にも尽力。SynecOではデザイナーとして拡張生態系の空間設計・運用・可視化の支援を実施。
生態系はネットワークである
気候変動や資源枯渇が加速するなか、一部の科学者たちの間では、2045年までに多くの生態系が機能不全に陥るという議論が続いている。わたしたちが依拠する自然という基盤そのものが損なわれるこのシナリオへの対策としては、これまでは単なる保護や脱成長による抑制、あるいはかつての自然に戻す再野生化といった選択肢が中心だった。
しかし、ソニーコンピュータサイエンス研究所(ソニーCSL)の舩橋真俊氏らが提唱するのは、そうした路線を超え、能動的な介入によって、目的に応じて自然状態以上に生態系機能を高めようとするパラダイム「拡張生態系」(Augmented Ecosystem)という思想だ。この概念は、人間活動を環境破壊の元凶としてではなく、むしろ生物多様性を増進させるための機能として再定義する。その理論の骨格を成すのは、自然に対する認識の抜本的な転換である。
舩橋氏と共に研究と実践を担う吉川新之佑氏は、生態系をピラミッドではなく、SNSのようなネットワーク構造として捉え直すべきだと語る。「生態系というと、よく階層的なピラミッドで表現されますが、ある側面ではピラミッドというよりネットワーク化している構造に近いです」。人気アカウントの周囲にクラスターが集まり、フォロワーの少ない存在も全体機能に確実に寄与しているSNSのように、個別の種を単体ではなく、それらが結びつく関係性の総体として評価するのである。この視点は、都市のオフィスビルや公園さえも生態系の欠かせないノード(節点)として包含する。ここでは「自然=野生/人間=人工」という二分法が解体され、都市空間もまた、生態系という巨大なネットワークの一部として等価に扱われる。
拡張生態系において、人間はもはや環境を損なう侵入者ではない。従来の保全的な自然観では、森林がこれ以上変化しない極相という安定状態がひとつの理想としてあるが、拡張生態系の考え方に則ると、人間があえてこの安定を揺さぶることで、自然状態よりも高い多様性を引き出すことが選択できる。なぜ、揺さぶる必要があるのか。吉川氏はこう説明する。「人間の直感とは違って、生態系は手つかずの状態ではなく、ある程度イベントが起きて撹乱されることで、初めて多様性が高まり、生態系の機能が最大化されるのです。それは、本来自然のなかで撹乱を担うべきだった大型動物などが著しく失われてしまっていることにも起因します」
自然生態系(左)と拡張生態系(右)のイメージ図。植物、微生物、昆虫や鳥類など、生物間の相互作用ネットワークを科学的に分析し、生物種のビッグデータと現地での観測データを活用することで、一般的な自然緑地を超える多様な機能を備えた生態系へと拡張していく試みだ image courtesy of Sony Computer Science Laboratories, inc.
撹乱のマネジメント
このネットワーク理論は、土という物理的なメディアを通じて、抽象から具体的実践へと翻訳される。それが、拡張生態系の理論を食料生産に適用した「シネコカルチャー」(協生農法)である。名称だけを聞くと、牧歌的でスピリチュアルな自然との共存を想像するかもしれない。しかし吉川氏はそれを否定する。
「キョウセイ農法の『キョウ』は、共生(Symbiosis)ではなく協力(Cooperation)の『協』です」。ここでいう協力とは、生命が調和のなかに安住することではない。むしろ、食うか食われるかの捕食・被食関係や、限られた資源をめぐる競合といった摩擦そのものを、生態系を駆動させるエネルギーとして積極的に活用する発想なのである。
シネコカルチャーの最大の特徴は、近代農業の枠組みでは扱うことが難しかった混生・密生の状態をあえてつくり出すことにある。野菜、果樹、ハーブ、さらには在来の野草までもが同じ空間に高密度で配置されるが、そこには緻密な戦略がある。ここで用いられるのが、ネットワーク理論に基づく「中心性指標」だ。この指標は、ある植物が全体のつながりのなかでどれほど重要な役割を果たしているかを測っている。この考え方を用いれば、特定の土地にどんな植物を導入すればシステム全体の機能をより効果的に高められるかを客観的に推定できる。
拡張生態系緑地には、ブロックごとにまったく異なる植物・野菜が植えられている。写真に写る品種だけでもアブラナ、カリフラワー、ケール、キャベツなどと、多様な植物が密生していることがわかる
自然界の豊かな生態系では、一部の優占種が大きな影響力をもち、無数の希少種を含めた生態系全体を支えている。これは「べき乗則」と呼ばれる性質だが、拡張生態系はこうした自然界のパターンを設計のヒントにすることで、再現性のある運用を担保している。
「ひとつの個体に対して最適な生理条件を整えるのではなく、競合するような条件をつくる」。特定の作物がよく育つように周囲を過保護に調整する考え方を捨て、あえて過酷な競合状態を含めてつくり出すことで、植物の生存戦略としての相互作用を強化し、システム全体のレジリエンスを引き出すのである。この競合の設計が機能し始めると、結果的に共生的な作用も引き出され、農薬、肥料、耕起といった外部投入は不要になる。害虫の発生は捕食者の存在によって抑え込まれ、肥料は微生物多様性と窒素固定によって賄われる。不耕起を続けることで、多様な根が自律的に土壌を水や空気を含みやすい団粒構造へと変えていく。
2017年に報告された日本国内の実証実験では、合計約3000㎡の畑面積で多種多様な作物・植物が混生する状態が実現し、従来の農業では得られない多様性の拡大が確認された。さらに、その生物多様性の記録にはIUCN絶滅危惧種も含まれていながら、一定の収量も確保できたというデータが報告されている。これは従来の農業常識を覆すパラダイムシフトだ。
しかし、これは神の領域への侵犯ではないだろうか。吉川氏は、収穫という行為を「意図的な撹乱のマネジメント」と定義することで、この倫理的懸念に応える。「収穫してスペースを空け、そこに新たな種を入れる。そうした操作を短いスパンで繰り返していきます」。人間が撹乱の運用者として振る舞うことで、自然が極相に達するまでの長い歳月を待つことなく、目的の機能に応じた生態系を維持し続けている。
新たな植物や野菜を植え付ける際には、吉川氏が「種ミックス」と呼ぶ、複数品種を組み合わせた種子を用いる。すでに定植された苗の間隙に、適切な密度で播種していく
都市と生態系のフロンティア
拡張生態系はいよいよ文明の最前線である都市へとインストールされる。その象徴的な舞台が、東京の巨大開発の只中に現れた「Green Pool」だ。麻布台ヒルズの洗練された街並みの一角に、一見すると無造作に、しかし緻密な設計のもとに置かれたこの緑地には、従来の都市緑地の概念を根底から覆す違和感が埋め込まれている。吉川氏は、ここを単なる景観としての緑ではなく、植物や微生物、さらには飛来する昆虫類・鳥類までを含めた三次元的な多孔質空間として捉えている。
名称としての「Green Pool」には、遺伝資源のたまり場である「Gene Pool」、環境勾配の多様性を内包する「Geological Pool」、そして生命力が横溢するメタファーとしての「Green Pool」という三重の意味が重ねられている。特筆すべきは、その徹底した内部循環の思想だ。ここでは剪定枝や落ち葉を外にもち出さず、内部で処理することで土を自律的に合成していく。外部資源に依存しない生態系の島を都市に浮かべる試みである。
このアプローチは、オフィス空間や働き方の質をも変えうる。従来の緑地が里山の再現といった文化的なイメージを暗黙のうちに参照してきたのに対し、拡張生態系は微生物多様性と人間の免疫機能の関係性までも設計対象とする。土壌の微生物が空気中に漂い、環境調整サービスとして機能するという知見に基づけば、都市に土を置くことは、そのまま都市の公衆衛生を再構築することに直結する。
地球史的に見れば、高層ビルが立ち並ぶ都市環境はかつて存在しなかった特異な場所である。進化生態学的な観点では、過酷な熱帯夜や照り返しといった環境変動によって、種の適応進化が促されることを示した研究などがあり、都市は生態系の進化を促す加速装置とも捉えられる。拡張生態系が当たり前になった未来の都市では、都市計画やインフラ自体が生態系サービスを組み込んだ設計へとシフトしていくのかもしれない。そこでは、企業や行政の役割も、管理から、生命の動的なプロセスを観察し設計することへと塗り替えられていく。資本主義の象徴である大都市を、生態系のフロンティアへと変貌させる可能性がここにある。
拡張生態系のなかで育った作物は、えぐみや苦味が少ない。麻布台ヒルズのGreen Poolに植えられた作物も、他と同様にすべて生で食べることができる
統合ではなくモジュール
拡張生態系は、自然を相手にするということばがもつ情緒性や神秘性を、注意深く剥ぎ取っていく。そこに立ち現れるのは、データとアルゴリズムによって生態系をハックしようとする、科学的視点をベースにした管理手法だ。拡張生態系が従来の環境保護と一線を画すのは、それが精神論ではないという点にある。吉川氏は、このプロジェクトを「科学的なエビデンスに基づいた社会システムの再設計」と定義する。人間の直感や経験は、そこではより高次なデータ処理の一部として相対化されている。
個人の造園であれば、何が育つかを試すことは単なる好奇心かもしれない。しかし、拡張生態系におけるそれは、高度なポートフォリオ戦略としての意味をもつ。「全部を1カ所に集めず、少しずつ分けて入れてみる。そうすることで、どの種が主導して育つのかをリアルな環境でシミュレーションするのです」。複雑系としての生態系に対し、事前に完璧な設計図を描くことは不可能に近い。だからこそ、多様な種を同時多発的に投入し、その場所の気流や日照、土壌の状態に対する回答を生態系側から情報として引き出す。この試行錯誤のプロセスそのものが、環境を読み解くためのリアルタイム・シミュレーションとして機能している。
拡張生態系の実装を支えるのは、巨大で硬直したシステムではない。むしろ、必要な機能を必要なときに呼び出す、いわばAPIのような技術構成である。吉川氏らのチームは、プロジェクトのフェーズや地域の文脈に応じて、ドローン画像解析による植生構造の可視化、ネットワーク理論による相互作用パターンの抽出、マニュアル化されたシネコカルチャーのプロトコルなど、多様な技術モジュールを使い分ける。
「場所によって必要とされるモジュールは異なります。最初から統合されたシステムを押し付けるのではなく、必要な部品(モジュール)を接続していくのです」。この柔軟なアプローチは、システムの全体像を固定する近代的な統合への懐疑から生まれている。科学者やデザイナー、農家、地域住民といった多様な主体が関わるプロセスにおいても、このモジュール性は有効に機能する。専門知識の有無にかかわらず、それぞれが自らの立場から生態系というネットワークに参加できるのだ。
技術は統制のための装置ではなく、接続を可能にするプラグインとして機能する。そうした仕組みが、新たなコミュニティの姿をかたちづくっていく。
誤解しやすいのは、従来の家庭菜園などで語られてきた相性の良い植物同士を植えるコンパニオンプランツとの違いである。例えば「トマトとバジルは相性が良い」といった組み合わせの知見は広く知られているが、それは生態系ネットワークの部分集合に過ぎない。吉川氏は、蓄積された膨大な生物種・土壌データをマイニングし、将来的に「生成AIが参照可能な『拡張生態系』の基盤データ、学習用OS」へと昇華させる展望を描いている。
科学としての冷徹さと、複雑さへの謙虚さ。そのふたつが両立した設計思想は、環境問題を道徳からエンジニアリングの領域へと引きずり出す。
取材日にも、緑地には鳥や昆虫の姿が観察された
ガバナンスという隘路
テクノロジーによって制御可能になった生態系は、次に経済という避けては通れない社会装置との衝突、あるいは融合のフェーズへと向かう。拡張生態系が突きつけるのは、単なる環境貢献の美談ではない。それは、既存の資本主義が定義してきた生産性という概念への批評でもある。
自然資本への投資ということばが飛び交う昨今だが、その実態はいまだ解像度が低い。多くの企業がカーボンクレジットの購入といった表面的な対応に留まるなか、吉川氏は、自然に投資することがいかに具体的なリターンを生むのかという問いに、具体的な数字で語る。「アフリカにおけるシネコカルチャー実践データでは、ROI(投資利益率)が2.4倍〜5.5倍という高いパフォーマンスを示す農園がいくつも出ています」
拡張生態系の経済的合理性を証明するデータは、グローバルサウスの現場から届いている。ブルキナファソやカメルーンなど、アフリカで進められている小規模農家支援の取り組みだ。アフリカにおけるシネコカルチャー研究教育拠点「CARFS」や、カメルーン北部のシネコカルチャーの実証実験を支援する「UNEP-CTCN」によるプロジェクトを通じて、2015年以降さまざまな実践が積み重ねられてきた。なかには、わずか3年で砂漠化寸前の土地が緑化され、500平米から一人当たり国民総所得の約20倍もの収益を上げた農園まで存在する。
ここで注目すべきは、彼らが単一作物の収量(バイオマス量)の最大化を優先せず、多様な有用種を通した生態系全体の構築を優先し、実践した点だ。近代農業が単一作物の大量生産による規模の経済を追求するのに対し、拡張生態系は多種多様な産物が生む「価値密度」に賭ける。ここでは農業者の役割も、機械的に農薬を撒く作業者から、市場の需要と生態系の供給をマッチングさせる価値のマネージャーへと変わる。多様な生態系から生まれる産物は、その安定的な生産性やクオリティの高さゆえに市場では高値で取り引きされる。これは、食料生産と環境再生がトレードオフではないことを示すネイチャーポジティブ経済の萌芽と言えるのかもしれない。
入り口から奥へと進むにつれて、背丈の高い植物の姿も目立ってくる。4〜6月、9〜10月は緑が豊かになり、緑地全体がいっそう活気を帯びるという
一方、日本のような先進国の企業活動においては、別の構造的課題が浮き彫りになる。多くの企業がESG予算を確保していながら、そのプールされた資金をどこに投じれば真のインパクトを生み出せるのか、その解像度の低さに苦慮している。さらに、現実の社会を動かすプレイヤーたちが縦割りで動いていることも障壁となる。全体最適を狙うはずの拡張生態系の思想が、組織の細分化された評価軸によって部分最適の領域に押し込められてしまうのだ。
吉川氏が冷静に見つめているのは、テクノロジーや資金だけでは解決できないガバナンスの重要性だ。「経済的な障壁を取り除いても、なお残り続けるのはガバナンスの問題です」。マーケットからの距離、制度的な不備、あるいは現場での運用における人間的な摩擦。これらは、いくら数理モデルを精緻化しても最後には残る泥臭い現実である。
研究としての貢献は、単に緑を増やすことではない。人的資源に何割投資すべきかといった要素を定量化し、従来の大雑把な金融支援の解像度を高めることにある。拡張生態系は、環境思想という皮を脱ぎ捨て、複雑な変数を制御し、投資の精度を高めるための制度設計そのものへと拡張しようとしている。資本主義の再設計は、土の上からではなく、こうしたガバナンスの微細な調整から始まっているのである。
Green Poolが隣接する通路から視線をやると、通路自体が低い位置にあるため、地面とほぼ同じ高さで緑地を観察することができる。立ったままでは見過ごしてしまう小さな芽や昆虫の動き、葉の重なりや土の質感が、視点を下げることで見えてくることも
生態系と人間の実存
経済と制度設計のハードルを越えた拡張生態系は、いまや人間の内面や文化の領域へと歩みを進めている。それは単に緑を増やすという物理的な営みを超え、わたしたちの心身の健康、次世代の知性、そして物語のあり方までも再定義する文化的な転換装置として機能し始めている。
拡張生態系の射程は、土の上からわたしたちの身体のなかにまで及ぶ。拡張生態系とヘルスケアの領域における研究成果では、環境の多様性がさまざまなパスウェイを介して人間の生体へとフィードバックされる具体的な関係性を提示している。我々の代謝機能や腸内環境と密接に関わっていることがわかっている。これは、代謝のダイアローグ(対話)とも言えよう。
主張を裏付けるのが、2025年に発表された学術論文だ。リハビリテーションとシネコカルチャーの実践や産物摂取を含む統合的なプログラムによって、高齢の参加者の認知機能や炎症性指標に有意な改善をもたらしたというデータは、拡張された生態系と、その競合環境下で植物が生き抜いていくために生成する二次代謝産物(ファイトケミカル)が、人間というシステムの機能をブーストさせている可能性を示唆している。ここでは、豊かさとは、単なる消費の多寡ではなく、生命ネットワークとの情報交換として定義し直される。
価値観の転換は、教育現場でも始まっている。鳥取県米子市の翔英学園では、拡張生態系の実践が中学1年生を対象にした1年間の技術家庭カリキュラムに組み込まれた。吉川氏は、次世代のベースラインが変わることを期待している。「20〜30年後の若い世代が初めて触れる理科で、現在の主流である生理最適なアプローチに加え、シネコカルチャーのような拡張生態系の話も加われば、自然はもはや守るべき対象ではなく、協創のパートナーへと変質していくはずです」
議論の終着点は、ネットワークにおける人間の位置づけという実存的な問いだ。吉川氏は、拡張生態系の核心を突く定義を提示する。それは、生態系に関与する要素のなかに、ホモ・サピエンスという存在そのものを位置づけるという視点だ。人間を外部の破壊者として疎外するのではなく、生態系の相互作用を理性的に促進する一要素として位置づけるのである。
この視点は、環境崩壊のニュースに触れ、自身を地球の害獣と感じがちな未来世代に対する強力な肯定となる。「このやり方なら、人間の存在もシステムのなかで肯定的に捉えられる」「生きていてもいいんだ」。そう思えるナラティブを提供することこそが、本研究が社会に果たす重要な役割なのかもしれない。
拡張生態系に完成はない。常に揺らぎ、変化し続ける動的なネットワークに対し、理性的な距離を保ちながら撹乱の一員として身を投じ続けること。都市に土を置くという戦略は、資本主義の再設計であると同時に、人間が再び生命のネットワークに合流するための具体的な招待状なのである。
【4月9日(木)開催】
生態系は都市に実装できるか:麻布台ヒルズの都市農園で「拡張生態系」を学ぼう!
本記事でインタビューに登場した吉川新之佑氏をナビゲーターに、麻布台ヒルズ内に設置された拡張生態系緑地「Green Pool」を実際に巡る見学イベントを開催します。
・都市における生態系はどのように設計されているのか
・撹乱はなぜ多様性を生む?
・「協生農法」の実践
・拡張生態系に基づく都市緑化の可能性
・都市開発と生態系のデザインはどのように接続されうるか
etc.
普段は一般に開放されていない拡張生態系の実験場に足を踏み入れ、吉川氏の解説を聞きながら、都市部における⽣態系の構築について学ぶ貴重な機会です。ぜひご参加ください。
日時:2026年4月9日(木)13:30〜15:00
*終了時刻は延長する場合がございます
集合場所:麻布台ヒルズ 中央広場
*後日、お申し込みいただいたみなさまに、集合場所/見学場所の詳細をお伝えいたします
参加費:無料
定員:10名
主催:株式会社SynecO/WORKSIGHT/株式会社黒鳥社
協力:森ビル株式会社
注意事項:
・本イベントでは農園内を歩いて見学を行います。土や凹凸のある地面を歩くため、ヒールや革靴等でのご参加はお控えいただき、歩きやすいスニーカー等でお越しください。
・雨天時の開催可否については、当日午前中に実施の可否を判断し、Peatixメールにてご案内いたします。
【WORKSIGHT SURVEY #49】
Q. 生物多様性を考えるとき、「脱成長」はなお主軸であるべき?
近年、生物多様性をめぐる議論は、人間活動を抑え、自然への負荷を減らす「脱成長」の考え方がしばしば中心に置かれてきました。一方、吉川氏は、人間やテクノロジーの関わり方次第で、生態系の機能そのものを高められる「拡張生態系」の可能性について語っています。あなたは、これからの生物多様性へのアプローチにおいて、「脱成長」はなお主軸であるべきだと思いますか? それとも、別の可能性に開くべきだと思いますか? みなさんのご意見をぜひお聞かせください。
【WORKSIGHT SURVEY #48】アンケート結果
知能は社会のなかにある:ソ連時代に描かれたもうひとつのAI思想(3月10日配信)
Q:AIに意思決定を任せてもよい?
【はい】専門分野(法律やITなど)に特化したAIアバターや、多数の分野を統合したオーケストレーションAIであれば、意志決定を任せるべきだと思う。重要なのは、自分発信の問いやAIとの対話や結果をどうチューニングしていくかだと思う。
【いいえ】意思決定の責任は人間が負うべきだから。
【いいえ】人間が意思決定すら手放したら、ロボットなどの人工知能が搭載された存在との有用性競争に巻き込まれ、その存在の意義を喪失しかねないと思うから。
次週3月24日は、生態人類学者の安岡宏和氏へのインタビューを配信。近年、「狩猟採集から農耕へ」という先史時代の生活の変遷をめぐり、人類学者デヴィッド・グレーバーらが疑義を呈したことで議論が広がっています。そうしたなか、世の中に流布する壮大なグランドセオリーとどう向き合うべきなのか。フィールドワークを通じてミクロな変容を丹念に拾い上げてきた安岡氏のことばから考えます。お楽しみに。
















