知能は社会のなかにある:ソ連時代に描かれたもうひとつのAI思想
知能とは何か。それはどこに存在するのか。旧ソ連の研究者たちは、それを脳内の計算能力ではなく、社会を組織し協調させる能力として理解していたという。サイバネティクスと結びつきながら発展した当時のAI研究は、知能を個人の内部ではなく社会的な営みとして捉える視点を提示していた。忘れられた歴史から見えてきた、AI時代の社会を考えるための重要な手がかりとは。
ロシア構成主義を代表する芸術家エル・リシツキーによる1922年の作品『About Two Squares』 photograph by Fine Art Images/Heritage Images/Getty Images
人工知能をめぐる議論の多くが「機械は人間の知能を超えるか」という二元論に終始するなか、冷戦期の旧ソビエト連邦(以下、ソ連)では、西洋社会とは異なる、独自のAIの系譜が育まれていた。当時の数学者や経済学者、エンジニアたちは、サイバネティクスやアルゴリズム研究を通じて、「脳=機械」という還元主義を相対化しながら、知能とは何かという問題に向き合っていたのである。
人間の思考を模倣する装置ではなく、経済や都市、社会そのものを調整・管理するための統治技術として構想されていた「ソ連AI」。科学技術史家・社会学者のオレーシャ・キルチクは、この忘れられた歴史をたどりながら、現代のアルゴリズム統治やデジタル主権のあり方を鋭く問い直している。
わたしたちが目指すべきAIのかたちとは何なのか。そんな喫緊の課題について、歴史の深層から浮かび上がったもうひとつの人工知能の系譜を通じて考えてみたい。
interview by Anna Nakai
text by Hidehiko Ebi
オレーシャ・キルチク|Olessia Kirtchik 科学技術史家・社会学者。フランス国立科学研究センター(CNRS)研究員。ロシア・ノヴォシビルスク出身。ソ連および東欧圏におけるサイバネティクス、人工知能研究、経済計画理論の歴史を専門とする。近年は、ソ連AI研究における人間中心主義や自己組織化モデルに注目し、現代の生成AIやアルゴリズム統治をめぐる議論との歴史的連続性を問い直す研究を行っている。
https://cis.cnrs.fr/en/olessia_kirtchik/
知能は「脳」ではなく「社会」のなかに
──近年、キルチクさんはソ連時代におけるAIを対象とした研究をされていると伺いました。まずは、どのようにしてそのテーマに出合ったのか、研究のきっかけについて教えてください。
もともとは、ソ連の経済学史やペレストロイカ以降の改革の試みを研究していました。ソ連崩壊はわたしの幼少期の出来事なので、どうしてあんなことが起こってしまったのだろうと考えていたんです。そうしたなかで、第二次世界大戦後のソ連の資料を追っていると、経済を数理で扱う研究者たちが、同時にサイバネティクスやアルゴリズムなど、現代のAIにつながる領域にも深く関わっていたことに気づいたのがきっかけでした。
なかでも印象的だったのが、ソ連における機械学習研究の先駆的存在、エマニュイル・ブラヴェルマン(Emmanuil Braverman)です。彼は、パーセプトロン(データの特徴をもとに対象を分類する、初期の機械学習アルゴリズム)に基礎を置く学習モデルの研究と同時に、ソ連経済の「制御」のモデルを考案していました。衝撃的だったのは、機械学習と経済サイバネティクスは、使われている理論や方法が驚くほど共通していたことでした。
──どういうことでしょう。
つまり、経済をどのように調整するかを考えることが、そのまま「知能とは何か」を考える作業にもなっていたんです。
──「知能」は個人の能力ではなく、社会や組織がうまく機能するための調整能力として捉えられていた、ということですか?
そうです。ソ連には自由市場が存在しなかったことで、経済の協調や組織化が極めて重要な課題として現れていました。そのため、当時の数学者、エンジニア、そしてAI研究者たちにとって、経済や社会をどのように調整するかという問題は中心的な関心事だったんです。
この問題の重要性は、1960〜70年代にウクライナのサイバネティクスを牽引していたヴィクトル・グルシュコフ(Victor Glushkov)が提唱した「OGAS」と呼ばれる計画にも現れています。この計画は、ソ連経済の管理と調整を促すための国家規模のコンピュータ・ネットワークの構築を目指したもので、計算機を大規模な組織的目的に利用しようとした試みでした。
──興味深いです。改めて「ソ連時代におけるAI」について、具体的に何を指しているのか教えてください。
前提として、ソ連で狭義の「AI」を名乗る研究が制度として立ち上がるのは遅く、初めてAI研究所が設立されたのは1970年代以降の話です。
今日、わたしたちが人工知能と呼ぶ研究の多くは、当時においてはサイバネティクスの学問領域の一部として位置づけられていました。多くの分野と同様、サイバネティクス研究はモスクワを中心に、ウクライナのキーウにも重要な学派が存在していました。そのほか、当時のレニングラードやノヴォシビルスクなどに研究の拠点がありました。
それから、ソ連での研究は、冷戦期でも完全に閉じていたわけではありません。共同研究や成果の翻訳などを通じて、西側諸国をはじめ他国と驚くほど密接な学術交流が行われていました。テーマも幅広く、機械翻訳やチェスプログラム「KAISSA」のようなゲームのモデリング、医療への応用などが同じ地平で扱われていました。当時のサイバネティクス研究は、単一の分野ではなく、多数の学問領域が相互に結びついたものだったと言えます。
上:1960年代、グルシュコフら科学者によって構想された「OGAS」の革新性と、さまざまな制約によって挫折し、終焉を迎えるまでの歴史的経緯を解説した動画『Why Didn’t the Soviets Automate Their Economy?: Cybernetics in the USSR』(ソ連はなぜ経済を自動化しなかったのか?) 下:1982年に建設された、キーウ国立タラス・シェフチェンコ大学サイバネティクス学部・社会学部棟。サイバネティクス研究の重要都市のひとつだったキーウでは、国家規模の情報ネットワーク「OGAS」構想など、アルゴリズムによって社会を管理・調整する研究が進められた。外壁を覆う巨大な浮き彫り彫刻が特徴的な、ソ連後期モダニズムを象徴する建築でもある photograph by Той, що греблі рвав / Wikimedia Commons (CC BY-SA 4.0)
心は計算にあらず
──ソ連AIについて、もう少し詳しく聞かせてください。キルチクさんは2023年の論文で取り上げられていらっしゃいますが、現代のわたしたちが考えるAIとはどのような違いがあると言えるのでしょうか。
それは、当時の西側諸国に広く共有されていた考え方と、ソ連の数学者やエンジニアたちの立場を比較すると理解しやすいと思います。
両者は、数学的手法やアルゴリズムといった技術的手段においては、ほぼ同様のものを用いていました。しかし同時に、知能そのものについては、まったく異なるビジョンをもっていたんです。とりわけ重要なのは、脳と機械(もしくは「心とコンピュータ」と言い換えることもできるでしょう)を同一視するという、西側で支配的だったアナロジーに対して、ソ連の研究者たちは一定の距離をとっていた点です。
この発想がどのように形成されたのかをたどれば、デカルトやホッブズにまで遡る、西洋哲学の長い思想史の問題に行き着きますが、ここで重要なのは、心を「計算」として捉える見方が、20世紀の西洋の科学とエンジニアリングにおいて支配的な考え方になったという点です。
これに対し、ソ連の哲学者や、知能研究に携わっていた数学者・エンジニアたちは、人間の知能には本質的に計算へ還元できない側面があると批判しました。知能とははるかに複雑なものであり、機械の計算と同一視することはできないと考えていたからです。
──なるほど。
もし、「心とは計算にほかならない」というアナロジーを受け入れてしまえば、人間の精神そのものが機械であることと同義になります。コンピュータや人工知能は、人間よりもはるかに速く、かつ正確に計算を行うわけですから、機械のほうが人間より優れているという結論へと容易に導かれてしまう。そうなれば、人間の知能そのものの価値が相対化されてしまいます。わたしは、この考え方には大きな危険が潜んでいると思っています。
この発想は、労働の組織や分業のあり方にも深く関わっています。近年、計算能力やアルゴリズム、学習モデルはごく少数の巨大企業に集まり、多くの人はその知能を使うユーザーとして位置づけられつつあります。知能を単なる計算として捉えるならば、この構図はますます強化されていくでしょう。だからこそ、わたしたちは「知能」とは何かを、改めて問い直す必要があるのではないでしょうか。
エル・リシツキー『The Proun Room』(『ケストナー・ポートフォリオ I』より)。1923年 photograph by Fine Art Images/Heritage Images/Getty Images
世代を超えて思考が連なる
──西洋とソ連との間にある、AIをめぐる根本的な価値観の違いは、資本主義と社会主義の対立から生まれたものと考えていいのでしょうか。
興味深いことに、当時の研究者の多くは、計算やサイバネティクスを体制固有の技術だとは考えていませんでした。社会主義か資本主義かに関係なく、複雑な社会をどう協調させるかは共通の課題だ、という感覚があったんです。その延長で「ポスト工業社会論」や「収斂理論」のように、新しい情報技術や計算技術が社会の協調のあり方そのものを変え、資本主義でも社会主義でもない、新たな可能性を開くのではないかという議論も広がりました。当時こうした研究に携わっていた人びとの視点は、現在よりもむしろ政治色が薄く、テクノクラティックなものだったと思います。
──興味深いですね。当時の人びとは、「機械」に対してどのように向き合っていたのでしょうか。
ソ連の研究者たちにとって、機械やAIはあくまで「道具」でした。人間が思考し、その思考を補助するためにコンピュータやAIを用いる。言い換えれば「人間中心的」な考え方です。この立場には、大きくふたつの思想的背景があります。ひとつはヘーゲル的伝統やドイツ・ロマン主義の系譜で、これらは19世紀以降、ロシア哲学に強い影響を与えてきました。もうひとつは、もちろん、マルクス主義です。
戦後ソ連の科学と哲学において大きな影響力をもった心理学者、レフ・ヴィゴツキー(Lev Vygotsky)は、1920年代の時点で、学習や社会的相互作用、さらには道具の使用を社会的活動として捉える「活動理論」を提示していました。これは、教育や知能、学習をめぐる問題を理解する上で、西側の実証主義的、あるいは行動主義的なアプローチとは大きく異なる視点でした。
この立場において、学習や思考は社会的な営みとして理解されます。わたしたちの思考や言語、そしてアイデアを共有する方法は、個人の活動の産物ではなく、ましてやひとつの脳内で行われる計算の結果でもありません。それらは、人類が世代を超えて形成してきた、社会活動の集合的成果なのです。このような知能観は、今日の生成AIを考える上でも重要な示唆を与えてくれるものです。
一部では、今後、世界中で同一の大規模言語モデルが使用されるようになったとき、文化的な均質化が進むのではないかという懸念が生まれています。この懸念は、知能や思考が個人の内部ではなく社会的・文化的実践のなかで形成されるという視点から、改めて検討される必要があるとわたしは考えます。
良き統治という未完の課題
──現代の生成AIをめぐる議論では、AIに多様な知識を学習させること、また、人間の思考モデルにいかに寄せるかという点で、技術の進歩が図られています。ソ連では、どのような基準でAIの価値を追い求めたのでしょうか。
ソ連AI研究の中心人物であるドミトリー・ポスペロフ(Dmitry Pospelov)は、AIは必ずしも、理想的にモデル化された推論のように、完全に論理的である必要はないと考えました。むしろ、実在するこの世界の状況のなかで、人間の思考が実際にどのように機能するのかを模倣すべきである、と。つまり、大体の正確さを保ちつつも、逆説的であったり、不条理なことさえある、そのような人間の思考を模倣すべきだと考えたんです。このような視点に立てば、世界を理解し行動するために、すべてを完全に計算する必要はありません。多くの場合、すべてを完全に計算するのは不可能ですし、そうでなくてもコストがかかりすぎるでしょう。
わたしたちの意思決定は、社会に蓄積された意味の体系を通じて成立しています。ポスペロフの課題は、こうしたモデルを、いかに機械へと翻訳できるかという点にありました。後期の研究では、人文学や文学研究の知見まで参照しながら、状況を記述し判断するための枠組み(Theory of Situational Management)を探っています。
──AI研究は、ソ連のなかでも特に盛り上がっていた研究分野なのでしょうか。
狭義のAI研究に従事していた科学者やエンジニアのコミュニティ自体は、それほど大規模ではありませんでした。モスクワやノヴォシビルスクなど、いくつかの研究拠点に限られており、人数も決して多くはなかったと考えられます。数学者・計算機科学者のウラジーミル・ヴァプニク(Vladimir Vapnik)をはじめ、ソ連崩壊の最中に米国へ移住した後、国際的に有名になった人もいます。正確な数を示すことは難しいですが、当時の認識でも、アメリカをはじめ主要国のほうがAIを研究している人の数ははるかに多かったとされています。
他方、経済計画や組織運営、制御といった問題への関心の高さから、「経済サイバネティクス」や産業自動化プログラムに関わる専門家は数万人規模にのぼっていました。つまり、狭義のAI研究よりもはるかに広い領域として、アルゴリズム的制御や自動化の研究が存在していたんです。
この背景には、後期ソ連社会が非常にテクノクラティックな体制へと変化し、エンジニア的思考が社会全体を強く支配していたという事情があります。新しい計算技術やデジタルネットワークは、政府運営を合理化し、慢性的な経済問題を解決する手段として大きな期待を集めていました。1980年代半ばにゴルバチョフによるペレストロイカが始まるまで、こうした合理化への期待は議論の中心にありました。
──ペレストロイカが掲げられた後の動きについて教えてください。
高度な知的制御システムによって社会や経済を組織しようとする試みが続くなか、1980年代に入ると、むしろ市場こそが自発的に社会を調整するのではないかという考えが広がっていきました。
──計画経済さえ廃止されれば、創造力が自然に解放されるだろうという期待感があったんですね。
そうですね。ただ、ソ連崩壊後の社会の混乱は、市場もまた制度と統治なしには成り立たないことを突きつけ、結局は「社会はいかに統治されるべきか」「良き統治のかたちとは」という問いを改めて浮上させました。それは自発的秩序によって実現されるのか、それとも設計された制御によって可能になるのか──この問題は、人工知能の議論とも深く結びついています。結局のところ、社会における意思決定は、いったい誰が担うべきなのかという問いに行き着くのです。
上:世界的人気を誇るゲーム『テトリス』はソ連から生まれた。1984年、科学者のアレクセイ・パジトノフがコンピュータ「Electronika 60」で制作したのが物語の始まりだ。「『テトリス』の誕生は、当時広く存在していたアルゴリズム的アプローチの派生のひとつと見ることができる」とキルチク氏は語る 下:ウクライナの映画監督セルゲイ・ロズニツァによる2015年のドキュメンタリー映画『新生ロシア1991』の予告編。1991年の「ソ連8月クーデター」の記録映像を再構成した一作
人間を超える知能は必要か
──現在、AIのような知的機械が重要な意思決定を担うようになりつつあります。
AIは意思決定を最適化する技術である以上、最終的な「責任」は誰に帰属するのかという問いを避けることはできません。
今日、EUのAI規制(EU AI Act)でも、AIはあくまで人間の意思決定を「支援する道具」であり、裁判官や医師といった最終判断者は人間であるとされています。しかし現実には、AIが「客観的で人間より優れている」というイメージが広がるほど、人間は次第に機械の判断を信用し、判断そのものを委ねていきます。たとえ機械が意思決定主体として明示的に提示されていない場合でも、実際には機械が人間の意思決定に大きな影響を与えることがあります。
わたしたちはいま、その移行期にあり、今後はますます自動制御の世界へと進んでいくはずです。経済における重要な意思決定だけでなく、将来的には軍事やその他あらゆる領域においても、判断が機械に委ねられていく可能性があります。
責任の所在が不透明なシステムのなかで次第に希薄化するなか、もしシステムが誤った判断を下した場合、その責任は誰が負うのか。この問題は当然、法律や制度設計の大きな課題となります。ただし、より深刻なのは、人びとが自らの行為主体性を失っていく可能性です。
ここで、ソ連的な批判がもう一度効いてきます。「決定権は誰にあるのか」。この問いをわたしたちは常に意識しておく必要があります。
エル・リシツキー『Study for a poster』(ポスターのための習作)。1920年 photograph by Fine Art Images/Heritage Images/Getty Images
──大きな問題ですね。わたしたち自身の生活にも生成AIが浸透し始め、翻訳や画像生成などに利用していると、ある時点で「どこまで任せてよいのか」「どこから自分のコントロールを失うのか」という境界に直面するケースは、すでに社会のあらゆる場所で見られます。
わたしたちはいま、再びより重商主義的な世界へと入りつつあります。各国が技術的主権と独立性を確保しようとしており、AIはその主要な競争領域となっています。ここで重要なのは、イデオロギーや文化だけでなく、インフラが決定的な役割を果たすという点です。思想は物理的な制約との対話のなかで、考えられるべきものです。
──中国の巨大AI企業「SenseTime」のジェフ・シー氏への取材では、「AIは新しい世代の電力、新しい世代の石炭、新しい世代の石油だ」という発言がありました。今後、わたしたちはどのようなAIを目指すべきなのでしょうか。
OpenAIやDeepMindが長年追求してきたビジョンは、より巨大なモデル、より多くのデータへとわたしたちを駆り立てています。ですが、そもそもわたしたちは、本当に「超知能」を求めているのでしょうか。言い換えれば、本当に必要なのは、人間を超える知能なのでしょうか。
むしろ、多くの場面では、特定の課題に絞った小規模で説明可能なモデルのほうが実用的で、持続可能かもしれません。これは結局、わたしたちが知的機械に何を求めるのかというビジョンの問題であり、これからの公共・政治のなかで議論の中心になっていくはずです。
──最後に、ソ連AIはわたしたちの社会におけるオルタナティブ・ビジョンとして語ることができるのでしょうか。
科学技術の歴史は「勝者」の歴史として語られ、支配的になった理論や技術だけが記録されますが、その背後には数多くのアイデアが存在し、その多くは歴史のなかで忘れられてきました。
こうした過去の経験は、現在や未来において別の可能性を考えるための資源となり得ます。それに、ソ連の経験が特段優れていたというわけではなく、世界のさまざまな場所で、同じような可能性が見つかるかもしれません。
今日、生成AIやディープラーニングが決定的な潮流に見えていたとしても、それが唯一の道であるとは限りません。新しいアイデアとは、過去に周縁化された発想を、再び問い直すことから生まれるものです。
【インタビューで言及された8名の重要人物】
エマニュイル・ブラヴェルマン|Emmanuil Braverman(1931〜1977)
数学者・機械学習研究者。1960年代のソ連におけるパターン認識・自動分類研究の先駆者。パーセプトロンや分類アルゴリズムなど「教師あり学習」の研究を進める一方で、経済システムの制御や最適化の問題にも取り組む。
レフ・ヴィゴツキー|Lev Vygotsky(1896〜1934)
心理学者・教育思想家。文化心理学や「活動理論」の源流を形成。思考や学習は個人の脳内の過程ではなく、言語や道具を介した社会的相互作用のなかで形成されると主張。
ウラジーミル・ヴァプニク|Vladimir Vapnik(1936〜)
数学者・計算機科学者。1990年頃に米国へ移住。統計的学習理論(Statistical Learning Theory)やSupport Vector Machine(SVM)の開発で知られる。近年は「教師あり学習」や「特権的情報」を用いた学習(Learning Using Privileged Information)など、人間の教育プロセスに近い学習モデルの研究でも注目されている。
ミハイル・ツェトリン|Mikhail Tsetlin(1924〜1966)
数学者・サイバネティクス研究者。「オートマトンの集合ゲーム」(collective games of automata)という独自のモデルを提案。多数のオートマトン(単純なルールに従って動く自動機械)が相互作用することで集団的な意思決定や学習が生まれるという考え方は、1960年代に提唱されたにもかかわらず、分散型AIや強化学習の初期理論として近年再評価されている。
ヴィクトル・ヴァルシャフスキー|Victor Varshavsky(1933〜2005)
サイバネティクス研究者。ミハイル・ツェトリンの弟子。分散型オートマトンや自己組織化システムの研究を発展させ、ソ連サイバネティクスの理論を後世へとつなぐ役割を果たした。ソ連崩壊後、日本に移住し会津大学および金沢大学内のベンチャー企業で研究を続ける。その後、イスラエルに移住。
ドミトリー・ポスペロフ|Dmitry Pospelov(1932〜2019)
人工知能研究者・知識工学者。キルチク氏の論文「The Soviet scientific programme on AI: if a machine cannot ‘think’, can it ‘control’?」にて中心的に取り上げている人物。ヴァルシャフスキーとの共著作『Puppets Without Strings』(糸のない操り人形)では、技術システムの進化や自律的ビジョンを明快に示した。
ヴィクトル・グルシュコフ|Victor Glushkov(1923〜1982)
ウクライナのサイバネティクス研究者。キルチク氏おすすめの動画『Amazon Created The Socialist Dream』(アマゾンは社会主義の夢を創造した)では、チリのアジェンデ政権によるサイバーシン計画とともに、グルシュコフが構想した国家規模の情報ネットワーク「OGAS」が紹介されている。
オーレ=クリストファー・グランモ|Ole-Christoffer Granmo(1974〜)
ノルウェーのコンピュータ科学者。アグデル大学教授。ツェトリンの理論を発展させた機械学習モデル「Tsetlin Machine」の提唱者。ニューラルネットワークとは異なる、論理規則に基づく軽量・説明可能なAIを目指す研究を継続している。
*これらの人物の一部にも言及のある専門書に、日本語で読める主要なものとしては、スラーヴァ・ゲローヴィチ著、大黒岳彦訳『ニュースピークからサイバースピークへ:ソ連における科学・政治・言語』(名古屋大学出版会、2023年)がある。
【WORKSIGHT SURVEY #48】
Q. AIに意思決定を任せてもよい?
近年、AIは医療や金融など、社会の重要な意思決定をサポートする技術として導入されつつあります。他方、人間がAIの判断を過度に信頼し、知らず知らずのうちに決定を委ねていくのではないかという懸念も指摘されています。社会の意思決定がアルゴリズムによって強く影響されるようになったとき、最終的な判断は誰が担うべきなのでしょうか。あなたは、AIに意思決定を任せてよいと思いますか? それとも、最終的な判断は必ず人間が担うべきだと思いますか? みなさんのご意見をお聞かせください。
【WORKSIGHT SURVEY #46】アンケート結果
アニメエキシビションの新たなモデルへ:「攻殻機動隊展」の見えざる挑戦(3月3日配信)
Q:アニメやIPをめぐるエキシビションの展示形式やビジネスモデルには、まだまだ発展の余地がある?
【はい】ARグラスでの誘導はとても新鮮な体験でしたし、便利だなと感じました。一方で、大量にある展示物のなかで、自分が好きなシリーズとそうでないシリーズや、好きなシーンとそうでないシーンがあったので、例えば展示に入る前にユーザーインタビューをAIで行い、その結果から、ユーザー毎に異なるオススメルートや展示箇所をピックアップしてもらえると嬉しいとも思いました。ただ、好きなものだけ見てもつまらないので、軸は変えずに、これも見ておくと良いかも、という提案が入っていると、セレンディピティ的な体験になるかなとも思いました。
【はい】デジタルお化け屋敷のようなものができないかと思う。例えば『ダンダダン』を素材に、ターボババアが急に出てきて追いかけられるとか普通に怖いと思うし、同じフォーマットで他の作品にも展開できそう。
次週3月17日は、これからの都市における空間の在り方を問うシリーズ企画「『場』の編集術」第5弾を配信。麻布台ヒルズを舞台に、人間の手によって生態系を拡張しようとする試み「拡張生態系」の実証実験に取り組む、シネコカルチャーの研究員・吉川新之祐さんに話を聞きました。お楽しみに。






