兼業山伏たち、深淵を覗く:オープンでボーダレスな現代修験道の世界
近年、日本の山岳信仰「修験道」が国内外で話題だ。修行者の多くが世俗での仕事も行う兼業山伏であり、海外からの観光客向けの短期修行体験も盛況。手軽に修行に参加でき、その様子はネットやSNSで広く拡散されている。現代修験道の開放的な入り口、そして自然のなかでの厳しい修行は、現代人に何をもたらすのだろうか。修行者と研究者両方の視点をもつ、ドイツ人山伏との対話からひも解く。
コジチ・ヨシコ氏、三徳山(みとくさん)への登拝道中にある子守神社の前にて photograph by Hirotaka Fujiwara
「山伏」と聞けば、白い装束に身を包み、人里離れた山奥で滝に打たれたり、断食や瞑想を行ったり、ホラ貝を吹いたりしている姿が目に浮かぶだろう。彼らが実践している「修験道」とは、7世紀の呪術師である役行者(えんのぎょうじゃ)が開祖とされる日本独自の山岳信仰だ。日本古来の自然崇拝に仏教や中国の道教などのさまざまな要素が習合したこの宗教は、実に1000年以上の歴史をもつ。
近年、座禅や森林浴などと並び、山伏修行が観光アクティビティのひとつとして国内外で人気となっている。サラリーマン山伏や女性山伏、外国人山伏などの存在がメディアで注目を集めるほか、海外でも「修験道スタディーズ」として、日本の山岳信仰に対する新たな学術的アプローチが盛んに行われている。
明治初期に廃止令が出され、一度は廃れてしまった修験道。戦後における日本国内外での「再発見」を経て、現代修験道はいま、グローバル化の波に乗ってさらなるリバイバルを迎えている。ドイツ出身の山伏であり修験道研究者であるコジチ・ヨシコ氏に、体感的には9割が実社会での労働と掛けもちしているという現代山伏のライフスタイルをはじめ、山伏とメディアの関係、海外における修験道スタディーズの変遷などについて尋ねた。そこから浮かび上がってくる現代修験道のリアリティ、そして「Japanese Spirituality」の様相とは。
interview by Makoto Okajima and Fumihisa Miyata
text by Makoto Okajima
コジチ・ヨシコ|Josko Kozic ドイツ・フランクフルト生まれ、日本在住8年目の修験道研究者であり山伏。アジアやヨーロッパ諸国などの10カ国語以上を話すマルチリンガル。現在はハイデルベルク大学神学部宗教学科博士課程に在籍しつつ、日本の宗教の専門家として、ドイツのジャーナリストや政治家が来日した際のツアーガイドなどを行っている。 photograph by Hirotaka Fujiwara
多言語の世界から山伏へ
──はじめに、ヨシコさんのバックグラウンドについて教えてください。10カ国語以上を話し、並々ならぬ言語への関心をもたれているそうですね。
わたしはもともと、ドイツ語、クロアチア語、ロマ語の3言語で育ちました。父がクロアチア出身で、母は国籍はドイツ人ですが人種としてはロマ族です。ロマ族は北インド起源の移動型民族で、長らく「ジプシー」と呼ばれて差別や迫害を受けてきましたが、最近では彼らが自称している「ロマ」(ロマ族のことばで「人間」の意味)という名称が一般的です。ロマ語はもともとインドから生まれた言語なので、現代のヒンディー語やウルドゥー語、サンスクリット語にも近いです。固有の文字はなく、代々口伝で受け継がれる言語なんですよ。
その後、幼稚園に入ったくらいからドイツ語を話すようになり、いまでは書くのも話すのもドイツ語が一番得意ですね。ほかにも親戚にタイ人やアフガニスタン出身の叔母がいて、小さい頃からさまざまな文化に触れていました。そのなかで仏教に興味をもつようになり、タイ語やヒンディー語、クメール語、日本語などを学ぶようになりました。最近は仏教の歴史とも関わりの深いシルクロードの文化にはまっていて、カザフスタンやキルギスタン、ウイグルなどのチュルク語族の言語を勉強しています。
──修験道との出会いも、そうしたアジアの言語や仏教への関心の延長線上にあったのでしょうか?
14歳くらいのときに、日本語を勉強し始めました。もともと日本の映画に出てくる幽霊やおばけ、儀式、お寺などに興味があり、大学でも日本学を専攻することにしました。その後、ドイツで日本人のパートナーができたのですが、そのときわたしはまだ日本に行ったことがなくて。相手の両親がとてもいい人たちで、日本への航空券をプレゼントしてくれて、初めて日本に行きました。その翌年からワーキングホリデーで日本に住み始め、今年で在住8年目です。
修験道と出会ったのは、京都に住んでいた頃ですね。当時、修験道ゆかりのお寺である聖護院のすぐ近くに住んでいて、よく山伏のお姿を拝見していました。最初は、単純に見た目がかっこいいなと思っていたのですが、彼らが唱えているお経をよくよく聞いてみると、ロマ語やサンスクリット語と似たような響きをしていて。自分のルーツに近い言語を遠く離れた日本で耳にして、強く縁を感じました。それで自分もいつか山伏をやりたいと思って修行の道に踏み出し、いまに至ります。
修験道の開祖とされる役行者。本名は「役小角」(えんのおづの)。7〜8世紀に実在したとされているものの、生没年などは不詳。伝説によれば、役行者は不思議な力で空や野山を駆け巡り、鬼神を操ったという。写真は京都市にある醍醐寺境内で撮影した役小角像 photograph by Josko Kozic
現代山伏の9割がパートタイム
──ヨシコさんが修行をされているのはどこの山ですか? またどのくらいの期間や頻度で修行をしているのでしょうか?
わたしは主に、鳥取県の三徳山三佛寺という場所で修行させていただいています。一口に修験道といっても、日本各地にいろいろな宗派があるんですよ。山に入ることを「入峰」(にゅうぶ)と言いますが、修験道には山に入ると自動的に修行者になる、という考え方があります。入山料を払うと、「六根清浄」(ろっこんしょうじょう:六根、すなわち眼・耳・鼻・舌・身・意を浄化させるといった意味)という、修験道において大切なことばが書かれた白いタスキをもらって山に入ります。
他にも鳥取の摩尼寺や、兵庫県多可郡多可町の金蔵寺などでもいいご縁があって、修行に参加させていただいています。いまは年に2回ほど、期間としては3〜5日間くらいですね。わたしの周りの山伏の方でも、修行は年に2回程度の人が多いかな。体感的な数字ではありますが、9割くらいの方は、普段はサラリーマンだったり教師だったりという感じです。
──なんと、ほとんどの山伏の方が専業ではなく兼業なんですね。
現代修験道を語る上で、それはすごく大事なポイントです。ドイツ語や英語で山伏が紹介されるときに、よく「山のお坊さん」のように訳されることがあって、知り合いからも「日本でお坊さんをやってるの?」なんて聞かれることもありますが、いやいやいや、全く真逆です。もうね、煩悩まみれの人間ですよ。
修験道は「半聖半俗」(はんそうはんぞく)といって、普段は世俗で生活して、自分の気が向いたときに修行に出ればいいことになっています。お寺に住み込んで修行するお坊さんなどと違って、限定された空間・時間のなかで定期的に修行することが許されているのです。他にも、例えばもともと京都のお寺で修行をして、その後東京に転勤になったとしても、東京にある同じ宗派のお寺で修行するということも可能です。現代生活にマッチしていて、すごくいいなと思います。
──山伏の修行では、具体的にどのようなことを行うのでしょうか?
基本的な趣旨は、自分の身を極限状態に置いて、苦しみに耐えながら精神統一を行うというものです。具体的な修行内容として、一番有名なのは滝行でしょうか。日本のテレビ番組では、罰ゲームとして滝行が行われることもありますよね。他にも「掛け念仏」といって、山を歩きながら大声で念仏を唱え続ける修行もあります。息ができなくなるくらいまで、ひたすら叫びながら歩くので、夏だと汗もダラダラと垂れてきて本当に耐え難いですよ。あとは場所によってですが「捨身」(しゃしん)というのがあって、これは上半身だけを結びつけた紐を、後ろで2〜3人にもってもらいながら、バンジージャンプのように岩場から身を乗り出すというものです。高所恐怖症の人には辛いと思います。
なぜこのような苦行をするかというと、修験道において山に入ることは死ぬことであり、山から出ると新しく生まれ変わる、というような考えがあるからです。それをイメージ的に表すために、こうした苦行や恐怖体験があります。わたしはもともと山に登ることも好きだし、体力もあるほうなので大丈夫かなと思っていたのですが、実際に修行をしてみると、決して甘く見てはいけないということにすぐに気づきました(笑)。
鳥取県の三徳山にて、「六根清浄」と書かれた白いタスキをかけて入峰するヨシコさん。背景に映るのは、三徳山三佛寺の奥の院である「投入堂」(なげいれどう)。修験道の開祖である役行者が、法力でお堂を手のひらに載るほどに小さくし、断崖絶壁にある岩窟に投げ入れたという伝説からその名が付いた。国宝にも指定されている。 photograph courtesy of Josko Kozic
山で出会う人間や動物
──どれもなかなか辛そうですが、ヨシコさんが好きな修行はありますか?
一番好きなのは滝行ですかね。鳥取のとある山中にお寺があるのですが、数年前にそこを無人寺だろうと勘違いして、勝手に滝行をしてしまったことがありました。吹雪のなかで5分くらい滝行をしたのですが、とんでもなく凍えてしまって。すると無人だと思っていたお寺から若いお坊さんが現れて、堂内へ招き入れてくれたんです。暖炉で温まるように言ってくれたそのお坊さんは、その後、とても大切な友人になってくれました。また山伏としても大先輩であり、山伏たちが腰につける「引敷」(ひっしき)という熊の毛皮でつくられた腰巻きをわたしにくださいました。そういう意味でも一番思い入れのある修行ですね。
──ほかにも、これまでに山のなかで印象的な出来事や出会いはありましたか?
人間だけでなく、動物とも非常に印象的な出会いがありますね。鳥取県の摩尼寺で、あるとき一人修行をしたことがありました。摩尼寺の奥の院には、帝釈天という古代インドでは一番偉い神様が祀られていて、そこまで到達できたらいいなと思って出かけました。そこのお寺のお坊さんに、道中で熊が出るからと熊鈴を渡されたんですよ。夕方に差し掛かると、だんだん道も暗くなってきて。ふと、すぐ近くに熊がいることに気がつきました。正面から対峙したわけではありませんが、表情も鳴き声も怒っている感じで。内心では、やばい、どうしよう、と思いましたが、パニックを起こすことなくそのまま進み、奥の院の神様にお参りをして、無事に下山することができました。
山伏が修行を行うのは自然のなかであり、何の条件も社会的構造も存在しない場所に自分の身を置くことになります。もちろん動物たちも存在するわけで、そこにわたしという人間が勝手に入ってきた。「お邪魔してごめんね、許してね」といった人間としての言い訳、コミュニケーションが通用しない世界ですね。
写真上:鳥取県青谷町の不動滝で滝行を行うヨシコさん。「水力が強いときは、本当に押しつぶされそうなくらい痛いです」とのこと。photograph by Hirotaka Fujiwara 写真下:「護摩(ごま)行」という火を使った修行では、燃え上がる炎の前でお経を唱えて煩悩を焼き尽くすという。古代インドの儀礼「ホーマ」にルーツがある。写真は兵庫県多可町の金蔵寺での様子 photograph by Shota Tadano
戦後に「再発見」された修験道
──ここまでは修行者としてのお話でしたが、修験道研究者の視点からもお聞きしたいと思います。現在、ヨシコさんが取り組んでいる研究について教えてください。
研究テーマは、ざっくり言うと「修験道の再発見と、 日本における文化形成の社会経済的な要素の分析」という感じです。現代の修験道はかなり開放的で、多くの場合は国籍・性別・年齢などを問わず誰にでも門戸が開かれています(一部では女人禁制の場所もありますが)。多くのお寺や山伏個人が、ウェブサイトやSNSを使ってアピールしたり、修行に興味のある人を募集したり、修行体験を手配したりします。わたしは、それらを通して修験道が国内外でどのようにブランド化されているのか、デジタル・エスノグラフィー的な手法を用いて分析したり、現地でのフィールドワークやインタビューを行ったりしながら研究しています。
例えば、修験道にまつわるメディアやウェブサイトの分析では、どういうお寺や個人が、何をどうやって、どういうスタイルや言語で、どういうSNSを使って発信しているのか、その理由は何か、何かしらの収入目的があるのか、などを見ていきます。そうした経済活動の裏には、例えば政府からの支援が得られないとか、代々受け継いできたお寺だから途絶えさせてはならないというプレッシャーがあるとか。リアルな人間模様が見えてきて、非常に人間味にあふれた研究となっています。
──研究テーマにもある修験道の「再発見」とは、どのような意味でしょうか?
修験道は、山を聖域と見なす日本古来の山岳信仰に、神道や仏教、中国の道教や儒教、ヒンドゥー教などが習合してできたものです。しかし明治維新後、神道を日本の正式な宗教として掲げようとする動きにより、さまざまな宗教の要素が混ざった修験道は容認されませんでした。明治5年には修験道廃止令が出され、多くの山伏が廃業したり、修験道ゆかりの仏像が破壊されたりしました。
──当時の仏教の受難については日本でもよく語られますが、修験道も同様の状況にあったのですね。
一時は危機的な状況に陥った修験道ですが、1970〜80年代以降、修験道の歴史ある場所を再発見したり、お坊さんたちがそういった場所を再開拓していったりという運動が高まっていきました。さらに90年代以降は、修験道を日本の文化遺産として盛り上げていこうとする政治的な動きや、修行体験などを通しての外国人観光客の呼び込みなどが相まって、国内外で修験道が注目を集めていきます。特にここ10年くらいでは、欧米圏のアカデミック分野でも「修験道スタディーズ」は大変なブームになっていますし、海外で修験道の修行を行う団体などもあります。
インバウンドの観点からですと、例えば修験道発祥の地とされる和歌山県葛城山の観光局では、数年前から修験道のPRに力を入れています。観光地の誘致促進のため、旅行会社向けに山伏がツアーガイドをするファムトリップも行われていて、わたしも昨年、自分の研究のために2回ほど参加しました。それぞれの聖地の立て看板にはQRコードが付いていて、多言語で解説が読める。パンフレットも日本語と英語で作成されていて、オンラインでもダウンロードできたりと、ここ数年でまた一段と盛り上がってきていますね。
──修験道は海外からも積極的に「再発見」されているのですね。修験道スタディーズは、具体的にはいつ頃から存在するのでしょうか?
もっと歴史を遡れば、すでに16〜17世紀頃、キリスト教を布教させようと来日していた宣教師が記したもののなかに「山伏」(Yammabox / Jamabuxi)というキーワードが出てきています。その時代から、修験道は外国人から見ても大変興味を引かれるものだったのかもしれません。
──その頃から海外では注目され始めていたのですね。
その後、19〜20世紀になると修験道研究が徐々に増えていきます。欧米圏での現代修験道の研究としては、英国の日本学者カーメン・ブラッカーによる『The catalpa bow』(邦題『あずさ弓:日本におけるシャーマン的行為』上・下、秋山さと子訳、岩波書店)が先駆的な取り組みであり、ブラッカーは本格的な研究者としてはパイオニア的な存在です。彼女は1960〜70年代に日本で修行や聞き取り調査、文献調査を行いました。現地住民の方々に行ったインタビューでは、修験道ということばを「聞いたことがない」「知らない」という回答が多かったといいます。明治の修験道廃止以降、「修験道」という名称自体は存在感が薄れてしまっていたんですね。一方で、さらに詳しく話を聞いていくと、日本の人たちはただ「修験道」ということばを知らないだけで、そこにある真髄や精神性については理解していた、とブラッカーは分析しています。
その後、90年代に入るとオカルト系、スピリチュアル、失われた世代などと結びつけられて、修験道が海外のマスメディアでも多く取り上げられるようになっていきました。2000年代以降の修験道スタディーズは、歴史学や宗教学的な視点だけでなく、サステナビリティや自然保護、観光学的なアプローチ、メディアとの関連性、女人禁制をとりまくジェンダーの問題など、さまざまな今日的なテーマと結びついていて、非常に豊かなバリエーションがあります。
近年、世界各国で外国人山伏を特集したテレビ番組が制作されており、ヨシコさんもこれまでに何度かドイツのテレビ放送局の取材に応じてきた。「そうした番組も重要な研究対象です。その国で山伏がどのように紹介されているのか、番組の視聴者は誰なのか、番組に対して視聴者がどんなコメントをしているのかを分析しています」とヨシコさん。photographs by Hirotaka Fujiwara
言語化しないことによる共感
──ヨシコさん自身、もともとは「見た目がかっこいい」というところから山伏になり、一方で研究としては社会経済的なシステムなど、現実的で生々しい部分にも目を向けていらっしゃるのがとても興味深いです。
修行に力を注ぎつつも、研究者としては一歩下がって分析する必要があるので、修行と研究の両立はたまに難しいと感じますね。でも研究をする上では、あんまり物事を深刻に、真面目に考えすぎないほうがいいかなと思っています。修験道はもちろん、キリスト教やイスラム教なども、長い歴史と伝統がありつつも人間がつくったものであるということをある程度意識しておくこと。それらの宗教を形づくる概念、あるいはそれらに対するわたし自身の先入観をいったんオフにして、その場その時、修行に身を任せることに集中します。そうして出てくる感情や反応に耳を傾けることで、研究にとってもいいフィードバックがあるなと思っています。
──そうしたヨシコさんの姿勢も踏まえた上で、あえてお伺いしたいのですが。「Japanese Spirituality」を説明するとしたら、それはどのようなものだと思いますか?
そうですね。日本のそういったスピリチュアリティや精神性というのは、ことばで表現するものではなく、ただただその場でしーんとなって、静粛な気持ちにならざるを得なくなる状況のようなものではないかと感じています。キリスト教やイスラム教などのように戒律やルールをことばで表したり、修験道とは何か、神様とは何かについてのきりのない説明をしたりするよりは、荘厳な山の前に立って、または川を見て、その場でその空間を体験する。そういったアプローチのほうが日本のスピリチュアリティに近いんじゃないかな。「Japanese Spirituality」の定義や真髄をことばで言い表そうとすると、それこそ日本人論や固定観念にとらわれてしまいそうで。自分が日本出身ではないから、余計にそう思うのかもしれません。
そのことを感じたきっかけとして、母が日本に会いにきてくれたときに、一緒に寺社仏閣を訪ねたことがありました。うちの母はカトリック教徒なのですが、自分の息子が自分のよく知らない神様の前で手を合わせるのを見て、「この場所でそういう気持ちになるの、わたしもわからないでもないわ」と言って一緒に手を合わせてくれたんです。母が日本の神社でイエス様のことを思い出したかどうかはわかりませんが、母もきっと自然のなかで何かしらの存在を感じたり、そうせざるを得ないような気持ちになったりしたんじゃないかと思うんです。
──そこには宗教・宗派を超えたある種の共感のようなものがある、と。日本のスピリチュアリティをあえて言語化しないことで、外側との回路を繋げる。そうした可能性を、ヨシコさんは修験道を通して見つめていらっしゃるのかもしれませんね。
あとこれはただの笑い話なのですが、あるときインスタグラムに滝行をしている写真をアップしたら、突然父が「ugetamo..」とコメント欄に書いてきたんです。これは山形の羽黒山伏が使う「うけたもう」ということばで。わたし自身は羽黒の山伏にはそれほど詳しくないのですが、羽黒の山伏は修行中、基本的にことばをつつしみ、唯一発することを許されていることばが「うけたもう」(受け賜る、すべてを受け入れる、というような意味合い)だそうです。おそらく父はメディアか何かでこのことばを知ったのだと思いますが、よく知ってるなってめちゃくちゃ驚いて。単に息子を応援する気持ちなのか、あるいは滝行の写真を見て「Japanese Spirituality」らしきものを感じ取ったのかはわかりませんが……(笑)。
──そこにも、お父さんなりの宗教を超えた共感があったのかもしれませんね(笑)。現代修験道の入り口は非常に開放的で、かつ自然のなかでは厳しい修行が行われ、そうした修行体験がネット上にイメージとして現れ、山伏のネットワークをさらに拡大していく……。お父さんの「うけたもう」というコメントもまた、こうしたメカニズムの一部であると思うと、なかなか奥が深いですね。
ありがとうございます! そうした反応自体がすごく貴重な資料になるので、覚えておきますね。多くの山伏の先輩方に教えられたのは、結局のところ一番厳しい修行というのは、われわれ人間の日常生活だということです。本当にそうなんですよ。山へ修行に入ると、逆にぜいたくかなって思ったりもします。その期間は働かなくていいし、スマホを見なくてもいいし、メッセージを返さなくていいし。もちろん修行で苦しかったり、自分が食べたいものを我慢したりはありますけど。近年、もう今日世界が終わってしまってもおかしくないような世の中ですが、そうしたなかで自然に身を任せてみるのはいいですよ。とりあえず明日までは生き残ろうって思いながらね。
鳥取県の修験道ゆかりの古刹にて、大先輩の山伏に修行前の挨拶を行う photograph by Hirotaka Fujiwara
次週9月3日は、今夏発売された『C-GRAPHIC INDEX:新世代中華圏グラフィックデザイナーの現在』の著者、後藤哲也さんのインタビューをお届けします。中華圏で活躍する新世代のグラフィックデザイナーが掲載された本書から見えてくるものとは。お楽しみに。
【新刊案内】
photograph by Hironori Kim
書籍『WORKSIGHT[ワークサイト]24号 鳥類学 Ornithology』
古来より神話、芸術、科学など多くのシーンで重要視され、学者や芸術家のみならず、市井の人びとにも愛されてきた鳥。長い歴史のなかで鳥は何を象徴し、現代を生きるわたしたちがその学問に触れることは何を意味するのか。民俗学、美術史、環境史などのアカデミックな視点や、音楽家、獣医、登山家、調香師、ゲームクリエイターなどの多種多様な立場から、自然との共生や、鳥を通じて再発見される人間社会の姿をとらえる。
◉The Pillar
スティーブン・ギル 鳥の恩寵
◉巻頭言・さえずり機械
文=山下正太郎(WORKSIGHT編集長)
◉野鳥雑記のこと
柳田國男と鳥の民俗学
語り手=島村恭則
◉五感の鳥類学
見る:ステファニー・ベイルキー(全米オーデュボン協会)
聴く:コスモ・シェルドレイク(ミュージシャン)
触る:海老沢和荘(横浜小鳥の病院)
嗅ぐ:浅田美希(「インコ香水」調香師)
味わう:服部文祥(サバイバル登山家)
◉都会と巣箱
鳥専門の不動産屋「BIRD ESTATE」の歩み
◉この営巣配信がすごい!
世界のYouTubeチャンネルが伝えるドラマ
◉始原の鳥
世界の始まりと鳥の象徴学
監修・解説=西野嘉章
◉はばたく本棚
鳥から世界を知る60冊
◉旅行鳩よ、ふたたび
環境史家ドリー・ヨルゲンセンの問い
◉水・鳥・人
中村勇吾の群体論
書名:『WORKSIGHT[ワークサイト]24号 鳥類学 Ornithology』
編集:WORKSIGHT編集部(ヨコク研究所+黒鳥社)
ISBN:978-4-7615-0931-6
アートディレクション:藤田裕美(FUJITA LLC.)
発行日:2024年8月9日(金)
発行:コクヨ株式会社
発売:株式会社学芸出版社
判型:A5変型/128頁
定価:1800円+税