さえずり機械:パウル・クレーの予言【WORKSIGHT最新号『鳥類学』巻頭言】
自由に飛び交う鳥の姿に魅了された画家パウル・クレーは、幾多の作品で象徴的に鳥を描いてきた。なかでもひときわ異彩を放つドローイング『さえずり機械』には、テクノロジーへの希望と不安が入り混じる20世紀の時代性が映し出されている。クレーの描いた鳥たちの存在は、ソーシャルメディアが広く普及した現代に何を告げるのか。WORKSIGHT編集長・山下正太郎が読み解く。
Die Zwitscher-Machine(Twittering Machine/さえずり機械)、パウル・クレー、1922年
8月6日に刊行されるプリント版最新号『WORKSIGHT[ワークサイト]24号 鳥類学 Ornithology』。長い歴史のなかで鳥は何を象徴し、現代を生きるわたしたちに何を告げるのか。時空を超えて遍在する鳥の世界を浮かび上がらせる「鳥類学」を軸に、民俗学、美術史、環境史などのアカデミックな視点から、また、音楽家、獣医、登山家、調香師、ゲームクリエイターなどの多様な立場から、自然との共生や、鳥というフィルターを介して再発見される人間社会や都市の姿をとらえました。今回は、WORKSIGHT編集長・山下正太郎による巻頭言を、本誌から転載してお届けします。
text by Shotaro Yamashita(WORKSIGHT)
巻頭言
さえずり機械
朝露に濡れた木々の間を飛び交う鳥たち。その姿は、まるで自由そのものだ。彼らの羽ばたきは空気を切り裂き、聞いたことのない音楽を奏でる。鳥たちは、人間の目には見えない風の道を知っている。彼らの歌は太陽の光や草花のざわめきと共鳴し、大自然の一部となる。その姿は、無限の自由と解放の象徴である。
人間と鳥の関係は古く深い。わたしたちは鳥に憧れ、その自由を夢見てきた。鳥は神話や伝説においても重要な役割を果たし、心に深く刻まれている。イカロスのように、空への憧れが人間の限界を超えさせることもあれば、不死鳥のように再生と希望を象徴することもある。時には八咫烏のように吉報を伝えることも、不吉な予兆を伝える存在となることもある。
抽象表現主義やシュルレアリスムなどの後続の芸術運動はじめ、近現代のデザインシーンに大きな影響を与えた画家のパウル・クレー(1879〜1940)もまた、生涯にわたって鳥に魅了されたひとりだ。彼にとって鳥は、自由、精神性、創造性の象徴として作品に頻繁に登場する存在であった。『黄色い鳥のいる風景』では、クレー独自の色彩理論や抽象的表現の探求によって、作品にはリズムと調和が生まれ、鮮やかな黄色い鳥を強調することで、希望や幸福、活力を象徴している。
また、クレーは子どもの純粋な視点や無邪気さを重視しており、鳥はその象徴として、遊び心や喜びを表現する手段となっていた。亡くなる前年に難病の強皮症を患いながら、不自由な手で描いたシンプルな天使の絵の連作のなかの『天使というよりむしろ鳥』では、見えない世界へといざなうメタファーとして鳥を無垢な天使に見立てている。
このように、クレーの作品における鳥は、単なるモチーフ以上のポジティブな意味をもち、彼の内面世界や精神的探求を反映する重要な対象となっている。
テクノロジーの夜明け
しかし、『さえずり機械』(独Die Zwitscher-Maschine/英Twittering Machine)というドローイングに向き合うとき、わたしたちは一種の不安と奇妙な心地に包まれる。羽毛をむしり取られ、痩せこけた骨のような4羽の小鳥たちがクランク状の止まり木に縛り付けられている。そしてその止まり木はハンドルによって動かされ、回されるたびに、鳥たちはまるで操り人形のように上下に揺れ動き、激しく首を振り回しながら、釣り針のような舌を突き出してけたたましく鳴く。その姿は、まるで五線譜に並んだ音符が狂気に駆られて踊り出したかのようだ。
背景には、不均一に塗られた不穏な青色が広がり、その上にはくすんだピンクや灰色の染みが点在している。異様な背景に囲まれ、まるで何かに追い詰められている鳥たちの様子は、見る者に不安と不穏さを感じさせる。
この作品が制作された1922年、パウル・クレーを取り巻く社会情勢を考えると、わたしたちはこの絵の背後にある意味に気づくかもしれない。1910年代から1920年代にかけてのドイツは、革命による帝政の崩壊、ハイパーインフレ、労働者のストライキ、そしてヴェルサイユ条約による莫大な戦争賠償金など、政治的・経済的な混乱の渦中にあった。1919年にドイツ労働者党として結成されたナチスの台頭は、こうした絶望と混乱からの反動であった。そして、同時に浮上してきた希望の光、それがテクノロジーだった。
テクノロジーは、未来への希望と恐怖を象徴するものであり、クレーの作品にもその影響が如実に表れている。『さえずり機械』の鳥たちは、機械に囚われた存在として、人間の心の奥底に潜む不安と希望の両方を映し出しているのかもしれない。その奇妙な動きと音、異様な背景が、ひとつの時代の終焉と新たな時代の始まりを告げる象徴として、わたしたちに強烈な印象を与える。
不安と希望のさえずり
1919年に設立されたバウハウスは、その創設からしてテクノロジーと密接に結びついていた。第一次世界大戦後の社会的・経済的混乱のなかで、ヴァルター・グロピウスは技術と芸術を統合する革新的な教育機関を創立し、工業技術の可能性を芸術に取り入れることを目指したのだった。バウハウスは機械時代の美学を積極的に採用し、機械生産の効率性と合理性を重視したシンプルで機能的なデザインを追求した。クレーは、親友であるカンディンスキーに誘われるかたちで、1921年にバウハウスの教授として招聘された。
『さえずり機械』を制作したのは、まさにその直後だった。この態度が同時代の芸術家たちのテクノロジーに対する意識といかに異なっていたか。バウハウスに先行して、テクノロジーの美学を探求したイタリアの未来派において、作曲家であり楽器開発も手掛けたルイジ・ルッソロが1913年に発表したマニフェスト『騒音芸術』(伊L’Arte dei rumori/英The Art of Noises)を見れば、未来派にとっては、いかに自然が無音で構成され、退屈なものだと考えていたか理解できる。
金属パイプのなかの水や空気やガスの音、明らかに獣のような息遣いをするエンジンの轟音やネズミの鳴き声、ピストンの上昇と下降、機械ノコギリのけたたましさ、レールの上を走るトロッコの大きなジャンプ音、鞭の音、旗のはためく音などを聞き分け、感性の楽しみを変えてみよう。デパートの引き戸、群衆の喧騒、鉄道駅、製鉄所、紡績工場、印刷所、発電所、地下鉄のさまざまな轟音をオーケストラのように想像するのも楽しいだろう。そして忘れてはならないのが、近代戦争の新しい騒音である。
『さえずり機械』は、バウハウスの理想とクレーの内なる葛藤がないまぜになった作品である。テクノロジーに対する希望と不安が交錯する時代にあって、クレーは機械の冷たさと人間の感情の温かさ、そのふたつの相反する要素を描き出そうとした。奏でられる時代の不協和音を、クランクでつながれた針金の鳥たちが奏でる五線譜として描くことで、テクノロジーに隷属させられ、自律性を失いながらも抗おうとする自然や人類がその存在を訴えてくる。彼は、ドローイングについて「自由に動き回る散歩に出た活動的な線」と表現し、自らの意志でもなく、さりとて他律でもない、さながら小鳥のさえずりに何かのメッセージを読み解くかのように、時代のうごめきを画面に収めたのだった。
ツイッターの牢獄
いまやわたしたちは、ソーシャルメディアという絶え間ないさえずりを手に入れた。クレーの作品名そのままのタイトルを冠した政治学者リチャード・シーモアが書いた『The Twittering Machine』は、現代のデジタル社会がどれほどディストピア的な状況に陥っているかを鋭く描き出している。シーモアは、ソーシャルメディアが道徳性をもたず、わたしたちの注意を独占し、わたしたちの弱点を食い物にしていると主張する。そしてその最大の罪は「回想能力の窃盗」であり、わたしたちの生活がデジタル化されるにつれて、常に書き続け、記録され続けるというファシズム的な傾向を助長する可能性を警告している。クレーもまた、テクノロジーに駆動された戦争を賛美する未来派がファシズムに取り込まれていったことを、きっと横目に見ていたことだろう。
『さえずり機械』に描かれた鳥たちの存在は、日常のなかに潜む恐怖と美しさという両面の意味を再発見する手助けをしてくれる。おそらくクレーは、単にテクノロジーに対する警鐘を鳴らすためだけにこの作品を描いたのではない。彼のペンが散歩をするかのように動くとき、それは世界のさえずりに耳を澄ますことから始まった。そのことを忘れてはならないのだ。
山下正太郎|Shotaro Yamashita 本誌編集長/コクヨ ヨコク研究所・ワークスタイル研究所 所長。2011 年『WORKSIGHT』創刊。同年、未来の働き方を考える研究機関「WORKSIGHT LAB.」(現ワークスタイル研究所)を立ち上げる。2019年より、京都工芸繊維大学 特任准教授を兼任。2022年、未来社会のオルタナティブを研究/実践するリサーチ&デザインラボ「ヨコク研究所」を設立。
次週8月13日のニュースレターは、民俗学者・畑中章宏さんによる特別寄稿をお届けします。大分県佐伯市で開催された、現代美術家・映像作家の藤井光さんによる新作映像作品の展覧会「終戦の日 / WAR IS OVER」を見て感じたこと、考えたことを綴ります。お楽しみに。
【新刊案内】
Photograph by Hironori Kim
書籍『WORKSIGHT[ワークサイト]24号 鳥類学 Ornithology』
古来より神話、芸術、科学など多くのシーンで重要視され、学者や芸術家のみならず、市井の人びとにも愛されてきた鳥。長い歴史のなかで鳥は何を象徴し、現代を生きるわたしたちがその学問に触れることは何を意味するのか。民俗学、美術史、環境史などのアカデミックな視点や、音楽家、獣医、登山家、調香師、ゲームクリエイターなどの多種多様な立場から、自然との共生や、鳥を通じて再発見される人間社会の姿をとらえる。
◉The Pillar
スティーブン・ギル 鳥の恩寵
◉巻頭言・さえずり機械
文=山下正太郎(WORKSIGHT編集長)
◉野鳥雑記のこと
柳田國男と鳥の民俗学
語り手=島村恭則
◉五感の鳥類学
見る:ステファニー・ベイルキー(全米オーデュボン協会)
聴く:コスモ・シェルドレイク(ミュージシャン)
触る:海老沢和荘(横浜小鳥の病院)
嗅ぐ:浅田美希(「インコ香水」調香師)
味わう:服部文祥(サバイバル登山家)
◉都会と巣箱
鳥専門の不動産屋「BIRD ESTATE」の歩み
◉この営巣配信がすごい!
世界のYouTubeチャンネルが伝えるドラマ
◉始原の鳥
世界の始まりと鳥の象徴学
監修・解説=西野嘉章
◉はばたく本棚
鳥から世界を知る60冊
◉旅行鳩よ、ふたたび
環境史家ドリー・ヨルゲンセンの問い
◉水・鳥・人
中村勇吾の群体論
書名:『WORKSIGHT[ワークサイト]24号 鳥類学 Ornithology』
編集:WORKSIGHT編集部(ヨコク研究所+黒鳥社)
ISBN:978-4-7615-0931-6
アートディレクション:藤田裕美(FUJITA LLC.)
発行日:2024年8月9日(金)
発行:コクヨ株式会社
発売:株式会社学芸出版社
判型:A5変型/128頁
定価:1800円+税