戦争の終わりに泣く人:藤井光 個展《終戦の日 / WAR IS OVER》に寄せて【畑中章宏・寄稿】
終戦から79年を迎える2024年の4月から6月にかけて大分の戦争遺構で展示された映像作家/現代美術家・藤井光の新作《終戦の日/WAR IS OVER》。「玉音放送」の様子の再演を試みた映像作品は何を語りかけたのか? 民俗学者の畑中章宏が読み解いた。
text by Akihiro Hatanaka
photographs by Emi Nagata
大分県の戦争遺構を舞台に
大分県佐伯市、豊後水道に向かって東に突き出す鶴見半島の北岸、太平洋戦争中の爆発事故を伝える戦争遺構「丹賀砲台園地」で、美術家・映像作家である藤井光の新作映像作品《終戦の日 / WAR IS OVER》が今年の4月から6月にかけて展示された。
太平洋戦争中、軍事都市だった佐伯市には、当時の遺構がいまも数多く残されている。「丹賀砲台園地」もそのひとつで、1942年に起こった爆発事故の“負の遺産”だ。
豊予海峡は、大分県の関崎と愛媛県の佐田岬のあいだに位置する海峡で、海峡防備のため1920年から要塞築城の工事が始まり、1926年に要塞司令部が設置された。そして1931年、除籍となった巡洋戦艦「伊吹」の後部砲塔(45口径30センチ加農(カノン)砲2門を装備)が、ここ丹賀で砲台に転用されたのだった。
1941年12月に太平洋戦争が始まると、豊予要塞重砲兵連隊が編成・配備される。しかし、翌1942年1月11日、配備後初の実弾射撃訓練を実施したところ「腔発」(砲弾が砲身内で爆発する事故)を起こし使用不能となった。この事故で連隊長以下16名が死亡し、28名が負傷。丹賀砲台は敵艦に向かって砲弾を発射することなくその役目を終えたのである──。
丹賀砲台の跡地へは、現在、急勾配の電動式のトロッコに乗って訪ねることになる。トロッコを降りると、砲台が設置されていた時代のさまざま設備が保存され、部屋によってはドラマチックな照明に照らし出されている。かつて砲塔が設えられていた最上部は、現在ドームで覆われており、螺旋階段を上っていくと、海峡がまぶしい広場から鶴御崎と大島のあいだにある元の間海峡を眺めることができる。
なお、この砲台跡は近年、ダークツーリズム的廃墟の風光が「映(ば)える」ことから、インスタグラマーやコスプレーヤーの訪問も少なくなく、また、現代美術の展示も行われてきたという。
「玉音放送」に感情を揺さぶられた人びと
藤井光の《終戦の日 / WAR IS OVER》は、丹賀砲台のかつての地下弾薬庫を会場にしている。暗い会場には3つのスクリーンが据えられ、その両面に時間差で、20人の「泣く人」の姿が映し出される。この「泣く人」は佐伯市民が演じているが、明らかな“日本人”ばかりではない。映像の長さは12分ほどで、それが間断なくループ再生されるが、その最初のシーンは、多くの“日本人”の脳裏に刻み込まれている、1945年8月15日に起きたとされる光景だ。
その日は、正午に「重大放送」があることが国営放送によって繰り返し伝えられ、多くの“日本人”が、ラジオの前に集まり“その時”を待った。そして、いわゆる「玉音放送」がラジオから流れ出す。その音声は雑音混じりで聞きとりにくいものだったと言われるが、多くの“日本人”は、この放送によって敗戦を知らされたのである。
太平洋戦争研究会『写真が語る銃後の暮らし』(ちくま新書)に掲載された「終戦の日」のイメージ
この放送を受けて、東京の皇居前広場には自然発生的に人びとが集まり、皇居に向かってひれ伏し、たたずみ、土下座して、泣いたとされる。
藤井の《終戦の日 / WAR IS OVER》は、間違いなく太平洋戦争研究会の著書『写真が語る銃後の暮らし』(ちくま新書)に掲載された写真を再現している。つまり佐伯の人びとは、藤井によって、79年前に現出した光景を再演しているのだ。
かつて地下弾薬庫だったひんやりとした空間に設えられた3面のスクリーンの両面に映し出された映像のなか、先の写真が写した人びとを擬えた姿勢で、ある人は激しく、ある人は叫びながら、ある人は静かに、ある人は表情をあまり変えず、泣き続ける。
泣く人びとは老若男女で、なかには“日本人”とは異なるように見える “民族”や“人種”らしき人びともいる。つまり、終戦の日の“日本人”の感情だけにとどまらず、現在も世界の各地で待ち望まれている「終戦の日」をどこかで想定して、この再演は図られたようなのだ。
“日本人”にかぎらない出演者
藤井はこの作品制作のリサーチのため、佐伯の市街地近くにある「佐伯市平和祈念館やわらぎ」の展示で、終戦の日の前日、8月14日に佐伯市では米軍による爆撃があったことを知り、その空襲について語る生存者のビデオ証言を目のあたりにした。
米軍の爆撃により親族を失った空襲体験者の証言は被害の実態を生々しく語る。その内容は、現代の戦争を記録したSNS上で流れてくる残酷な映像と何一つ変わらない。いま・ここで起きているかのように痛ましい記憶を涙しながら語るその姿は、心の傷が戦争それ自体よりも長く疼くことを伝えている。(藤井光《終戦の日 / WAR IS OVER》制作ノート①)
藤井は後日、この証言映像を借り受け、《終戦の日 / WAR IS OVER》の撮影ワークショップのなかで出演者たちと観ることになった。
藤井は作品制作にあたり、出演者の生い立ちや過去、職業は聞かないというルールを課していたという。しかし、『ジャパンタイムズ』に掲載された本作のレビューで、記者のJennifer Pastoreは、出演者のなかにベトナム戦争で戦った家族をもつアメリカ人男性、同じ紛争で祖父を亡くしたベトナム人女性などがいたことを明かしている。また、ある初老の男性は、原爆投下後の長崎で撮影された弟の死体を背負った少年の写真を念頭に、「体中の全神経を使って、自分の感情をその少年に移し替えることを試みた」と語っている。
藤井はFacebookに投稿した制作ノートで、民俗学者の柳田國男が開戦前夜の1940年に、「人間が泣く」ということの歴史について考察していたことにふれている。
昔の人は、生きた人ばかりか、この世にいない亡くなった人にまで、「泣く声を聴かせる」ことの必要性を認めていたという。ところが、日本が言葉による表現を重んじる近代社会へと推移するなかで、泣くことを人間の不幸の証とし、忌み嫌い、聴くまいと抑止するようになっていったそうだ。柳田は述べている。「人生はこれによって静かになったといえるが、同時にまた何となく寂しくもなった」。(藤井光《終戦の日 / WAR IS OVER》制作ノート(3))
筆者は以前に「民俗学とアート:〈死者〉〈妖怪〉、そして〈感情〉」という文章で藤井の作品にふれたことがある。水戸芸術館現代美術ギャラリーでのグループ展「3.11とアーティスト:10年目の想像」(2021年2月20日~5月9日)で展示された藤井の作品《あかい線に分けられたクラス》を取り上げ、レイシズムやナショナリズムに結びつく差別的感情について論じたが、《あかい線に分けられたクラス》でも、差別を再演するなかで「汚らわしい」とされた子どもたちが激しく感情を揺さぶられる姿が強く印象づけられた。
「泣くこと」はあらゆる感情のベースになっている。人は、怒りに打ち震えて泣くこともあれば、悔恨や後ろめたさの感情が溢れて泣くこともある。「笑いながら泣く人」だっているのだ。
悲しみのプロパガンダ
ところで、終戦の日に皇居前広場で撮られたはずの写真が、じつは8月15日の玉音放送の後に撮影されたものではなく、事前に撮られた演出写真 、つまりは“やらせ”だったという可能性も取り沙汰されている。終戦の日の前日、8月14日に写真を撮られたという証言もある。皇居前を通り掛かったところ、腕章をしたカメラマンに土下座をするよう頼まれたというその証言は、自分のほかにも20人ほどが協力していたと語る。
葬式の折などにも、上手に泣く泣き女というのを頼んで、泣いてもらったという話がある。或いは一升泣き二升泣きなどと称して、御礼の分量に応じて泣き方にも等級があったということを、今でも事実のように語る人がいるが、そういう風習の存在を、私などは全く見聞したことはない。ただ野辺送りの日には公々然と泣いても構わぬというのみか、それが普通になっている例は、今でも多くの地方にあって、土地によっては弔問客、血筋の繋がりも無く、また情愛も無い人までが、一応は声を立てて泣いて拝んでから、身内の者に挨拶するという作法も、ついこの頃までは行われておった。(柳田國男「涕泣史談」)
藤井も《終戦の日 / WAR IS OVER》を制作するにあたり、おそらくこの一節を意識したのではないだろうか。泣くことは「悲しみ」の直接的な表現ではなく、「悲しみ」のプロパンガンダにもなりうるのである。
終戦の日の写真では、人びとはみな皇居を向いていた。であるなら、藤井の作品に登場する出演者たちもまた皇居=天皇を見ているのだろう。しかし、そこは、何かしらの巨大な空虚であるように思えなくもない。「泣く人」の前にあるものを想像してみることこそ、今年の終戦の日、最も必要とされていることのように思えるのだ。
藤井光《終戦の日/WAR IS OVER》
会期:2024年4月13日〜6月16日
会場:丹賀砲台園地地下弾薬庫
住所:大分県佐伯市鶴見大字丹賀浦577
公式サイト:https://oita-cultural-expo.com/event.html#anchor-saiki
畑中章宏|Akihiro Hatanaka|民俗学者、編集者。1962年大阪生まれ。近畿大学法学部卒業。著書に『廃仏毀釈:寺院・仏像破壊の真実』(ちくま新書)、『今を生きる思想 宮本常一:歴史は庶民がつくる』(講談社現代新書)、『100分de名著:宮本常一「忘れられた日本人」』(NHK出版)ほか。9月中旬に『傍流の巨人 渋沢敬三』(現代書館)の刊行を予定。
次週8月20日は、今年6月に刊行された『社会学をはじめる:複雑さを生きる技法』が話題を呼んでいる環境社会学者・宮内泰介さんのインタビューをお届けします。社会を知るということは、いったいどういうことなのか? 社会の複雑さと向き合う技術としての「社会学」について話を伺います。
【新刊案内】
photograph by Hironori Kim
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古来より神話、芸術、科学など多くのシーンで重要視され、学者や芸術家のみならず、市井の人びとにも愛されてきた鳥。長い歴史のなかで鳥は何を象徴し、現代を生きるわたしたちがその学問に触れることは何を意味するのか。民俗学、美術史、環境史などのアカデミックな視点や、音楽家、獣医、登山家、調香師、ゲームクリエイターなどの多種多様な立場から、自然との共生や、鳥を通じて再発見される人間社会の姿をとらえる。
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スティーブン・ギル 鳥の恩寵
◉巻頭言・さえずり機械
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◉野鳥雑記のこと
柳田國男と鳥の民俗学
語り手=島村恭則
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見る:ステファニー・ベイルキー(全米オーデュボン協会)
聴く:コスモ・シェルドレイク(ミュージシャン)
触る:海老沢和荘(横浜小鳥の病院)
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鳥専門の不動産屋「BIRD ESTATE」の歩み
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世界のYouTubeチャンネルが伝えるドラマ
◉始原の鳥
世界の始まりと鳥の象徴学
監修・解説=西野嘉章
◉はばたく本棚
鳥から世界を知る60冊
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環境史家ドリー・ヨルゲンセンの問い
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編集:WORKSIGHT編集部(ヨコク研究所+黒鳥社)
ISBN:978-4-7615-0931-6
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発行日:2024年8月9日(金)
発行:コクヨ株式会社
発売:株式会社学芸出版社
判型:A5変型/128頁
定価:1800円+税