どうしたらこの秩序を変えられるのか?:中国の若者が〈TERAYAMA・YOKOO・YMO〉に託した憧れ【WORKSIGHT ARCHIVES#14】
隔週で過去のプリント版『WORKSIGHT』に掲載された必読記事を配信中──。1960〜80年代に最も輝いていたカルチャー大国ニッポン。今や国内ではほとんどノスタルジーとして語られる寺山修司、横尾忠則、YMOらが、いま中国で大きな注目を集めているという。(2024年11月13日発行)
現在2026年7月9日時点のXのフォロワーが24万人に対し微博のフォロワーが81万人を超えるなど、中国で根強い人気を誇る坂本龍一。2023年に逝去した際には、中国国内の複数のメディアで特集が組まれた。photo by Frans Schellekens/Redferns
1960〜80年代に全盛を迎えた日本に対し、1990年代以降に著しい成長を遂げた中国。経済発展に潤う中国の若きクリエイターや編集者たちの間で、当時の日本の「アングラ」な文学やアート、映画、音楽が、大きな注目を集めている。寺山修司、横尾忠則、YMOといった戦後日本を代表する文化アイコンは、なぜ彼ら/彼女らを魅了するのか。上海在住歴8年、中国で自著も刊行する日本人編集者が取材した。
2024年11月13日発行、プリント版『WORKSIGHT[ワークサイト]25号 アジアのほう Towards Asia』より転載。
Text by Miho Sauser
翻訳文学というバロメーター
中国が1990年代以降、驚異的なスピードで発展を遂げたことは誰もが知るところだ。国力を誇示するかのように林立する上海の超高層ビ ル群のあるエリアは、わたしが初めて上海を訪れた1994年1月には、まだテレビ塔の脚の部分しか出来上がっておらず周囲には何もなかった。その後2005年から2012年、上海に住んでいた期間は、まさに文字通り「見る見るうちに」街の様子は変わっていき、ひとつの国が成長する過程を肌で感じながら毎日気持ちがワクワクする日々だった。しかし、それと反比例して日本経済が落ち込んでいく様子には、当然のことながら複雑な気持ちもあった。
経済の衰えはもちろん文化の衰えにも直結する。そのことを強く実感したのは、2020年にアメリカの詩人ルイーズ・グリュックがノーベル文学賞を受賞したときだ。この作家の本を読んでみようと検索したところ、なんと邦訳本が1冊も出ていなかったのである。一方、中国では受賞のニュース直後から翻訳本が書店で平積みされオンタイムで読むことができた。翌年の同賞受賞者のアブドゥルラザク・グルナによるスワヒリ文学も、2年待ってやっと初期の作品が1冊だけ邦訳されたが、中国では受賞1カ月後には上海の出版社がグルナの10作品の簡体字翻訳権を取得したことを発表し、翌年から順次リリース。2024年10月現在ですでに10作品の中国語訳が出版されている。
海外の文学がどれだけ翻訳されているかは、その国の文化度を測るひとつのバロメーターにもなる。振り返れば、1960〜80年代頃の日本は、海外文学のかなりマイナーな作品でもいち早く日本語訳を読むことができたし、映画も単館でしか上映されないマニアックな作品を数多く見ることができた。ところがいまは円安という状況も追い打ちをかけ、海外作品の版権を買うことすら困難な状況だという話も耳にする。
ひるがえって中国ではかつての日本のように翻訳文学が隆興し、ここ十数年で日本文学の中国語訳もかなりの勢いで増えている。川端康成や三島由紀夫といったクラシック文学や村上春樹や東野圭吾といった流行作家のみならず、前衛的要素の強い過去の作家の作品も多く翻訳されているのはとても喜ばしいことだ。1960〜80年当時、反権威主義的かつ反商業主義的でアヴァンギャルドな作風をもった作家やアーティストが活躍する日本のシーンは「アングラ」(アンダーグラウンドの略)と称されたが、いま、その時代を象徴する存在として、中国で注目を集めているのは寺山修司だ。
寺山修司をいまの日本の若者がどれくらい知っているかは定かではないが、1960〜70年代に、俳句、短歌、詩、演劇、文学、写真、映画など実に多くのジャンルにわたって無数の作品を遺し47歳で早逝した鬼才である。中国では2014年に『幻想図書館』が翻訳されて以降、『書を捨てよ、町へ出よう』『少女詩集』『青春歌集』『ポケットに名言を』といった作品の翻訳本が続々と出版され、かなりの人気を博している。また、寺山人気の流れから、当時の日本のアングラに興味をもつ若者も増加中だとも聞く。いったい何が彼らの琴線に触れているのだろうか。
日本文学や日本のカルチャー関連の本の中国語訳を多く出版している上海浦睿文化からは、「少女詩集」のほかに「幻想図書館」「幸福論」「ポケットに名言を」「青春歌集」「誰か故郷を想はざる」が寺山修司シリーズとして刊行。そのほかにも南海出版公司など、複数の中国出版社から寺山作品が刊行されている。
寺山から始まるアングラ沼
まず話を聞いたのは、寺山修司や澁澤龍彥などの文学シリーズの編集を担当した1991年生まれの唐詩(タン・シ)。小さい頃から日本のアニメやドラマ、映画などを見て育ったという彼女は、中国の大学を卒業後、北海道大学大学院で映像表現文化論を学び、上海に戻って〈上海浦睿文化〉に就職。そこは日本文学を多く紹介することで知られる出版社で、彼女は入社してすぐ、寺山修司の『少女詩集』を担当した。平易なことばで綴られた少女向けのこの詩集は、いまや上海のどの書店にも置いてあり、すでに6刷。当然彼女自身も寺山のファンだが、自分で編集を担当するまでは、それほど詳しく寺山のことを知っていたわけではなかったという。中国の若者がどのようにして寺山に関心をもつようになったかについて、彼女はこう語った。
「わたしが高校のときからずっといまも見ている豆瓣(ドウバン)という本や映画のレビューサイトがあります。SNSが普及する以前は多くの人がそのレビューサイトを通じて、文学や映画や音楽の情報を同じ趣味を持つ人同士で共有していたんです。2010年くらいから日本文化に関するレビューサイトで寺山修司を紹介する人が出てきて、このサイトは出版業界の人びとも頻繁にチェックしているので、それが寺山修司の中国語訳が出るきっかけになったんじゃないかと思います」
寺山修司を入り口に日本のアングラにハマっていったと語ってくれたのは、1995年生まれの蘇州出身、小飯(シャオ・ファン)だ。青山学院大学総合文化政策学部に留学し、大学院時代は世界各国の実験映画が研究テーマだったという彼女は、中学生のときに観た寺山修司の映画『田園に死す』に衝撃を受けたという。
『田園に死す』は1965年刊行の同タイトルの歌集が元になっており、1974年に寺山自身の監督・脚本によって映画化された。古い因習が残る前時代的な村落と70年代当時の新宿が交錯し、顔を白塗りにした村人たち、恐山のイタコ、奇人が集まるサーカス小屋、娼婦に犯される少年などが登場する『田園に死す』は、倒錯的な映像がドロドロとした短歌の響きとともに展開され、『少女詩集』とは趣がまったく異なる。いわば寺山の「暗黒サイド」が全開となった作品だ。いったいどういう理由で90年代生まれの中国の中学生が、そんなダークな世界に引き込まれたのだろう。
「もともと本や映画が好きでしたが、普通の物語には飽き飽きしてたんです。『田園に死す』は時間軸が複雑に入り組んでいて明確なストーリーもない。『ああ、映画って別に普通に物語らなくてもいいんだ』って知って嬉しくなりました。そこからATG作品も見るようになりました」
寺山修司本人が監督・脚本を手がけ、1974年に自身の代表的歌集を題材に映画化された「田園に死す」。中国の映画紹介サイト・豆瓣电影の紹介ページでは3万件を超える評価を獲得している。
ATGとは1960〜80年代に非商業主義的な作品を製作・配給した伝説的な映画会社〈日本アート・シアター・ギルド〉の略称。フランスのヌーヴェル・ヴァーグ、アメリカのニューシネマなど、当時の世界の映画の潮流に呼応するように、日本からも前衛的でユニークな作品が数多く発表された。『田園に死す』もATG作品で、小飯が寺山以外にATG系で好きだと挙げてくれた映画監督は、大島渚、今村昌平、篠田正浩などだった。彼女はそこから日本映画のさらなる深みへと進み、いまでは30〜50年代に活躍した成瀬巳喜男監督の作品などもよく観ているという。
彼女がそれらの作品に最初に触れた2010年頃は、まだ政府による規制もいまほど厳しくなく、3億人以上のユーザーを抱える中国の動画サイトbilibiliなどでは、アンダーグラウンド/カルト系の映画を簡単に観ることができたそうだ。そして、そうした影響から彼女は日本に留学することを決めたのだという。
「日本に来たとき、寺山とかATGとかみんなよく知ってるとばかり思ってたら誰も知らなかった(笑)。その代わり、自分はひとりで飲みに行くのが好きで、ちっちゃいスナックで隣に座ってるおじさんとかおばさんとその手の話をして盛り上がってました。中国の若い子がなんでそんなの知ってるんだ?って、よく驚かれました」
聞けば、彼女の父親は日本の音楽をよく聴いていたそうで、それがゆらゆら帝国や戸川純だったということも、彼女の趣味嗜好に幾許かの影響を与えているようにも思えるが、そんな父娘が2010年前後の蘇州にいたということに、ほのかに新鮮な驚きを覚える。
前述の唐詩は、いまはフリーランスの立場で日本の書籍の中国語訳出版の企画、編集、翻訳を行っているが、彼女が手がけてきたのは、川瀬敏郎の『花をたてる』、原田治の『ぼくの美術帖』など現代の工芸やアート関連の本のほかに、赤瀬川原平の『超芸術トマソン』などもあり、日本の60〜80年代への熱い眼差しはいまも変わってはいない。最近も、寺山修司の舞台の宣伝ポスターなどを手がけたことでも知られる挿絵画家の宇野亞喜良の本の翻訳を手がけたほか、目下翻訳に取り掛かっているのは漫画雑誌『ガロ』の伝説的編集長・長井勝一の本だという。ますます濃厚な沼にハマっている様子だ。
2018年に上海の書店で行われ、多くの若者で賑わった、寺山修司「少女詩集」の出版記念朗読会の様子。登壇者は左から翻訳者の彭永竪、中国の詩人・胡桑、編集担当者の唐詩。
横尾忠則、中国でバズる
寺山修司と同世代の「アウトサイダー系」のアーティストで中国にファンが多くいるのは言わずと知れた天才美術家・デザイナーの横尾忠則や、今年8月に亡くなったばかりのグラフィックデザイナーの田名網敬一などだ。
横尾忠則に直接会って取材をしたことがある数少ない中国人の梦梦(モンモン)は1988年生まれ。上海の大学に通っているときに、上海のメディアアートイベントに参加していた京都のアート集団ダムタイプのアテンドをするなど、早くから日本のカルチャーシーンに直接関わってきた人物だ。その後、日大芸術学部の大学院で写真技術の勉強をしているときに、坂本龍一が好きだったことからYMOを聴くようになり、細野晴臣がインド旅行を経てつくり上げたトリップミュージックの傑作『COCHIN MOON』や、写真家の細江英公が三島由紀夫を撮った写真集『薔薇刑』などを通して、それらの作品のデザインを手がけていた横尾忠則の存在を知るようになったのだという。
「横尾さんは、細野晴臣、細江英公、三島由紀夫、寺山修司といった人たちみんなとつながってるんですよね。その流れのなかで横尾さんのグラフィック作品をずっと見ていました。横尾さんの魅力は、やはり普通から逸脱しているところ。取材のときも不思議な話をいっぱいしてくれました。自分が出会った宇宙人の話や、亡くなった友人が遊びに来てそのときに描いた絵の話とか、ありのままの自分をそのまま作品として表現しているところが本当にすごいと思います」
彼女の取材は5分間のインタビュー映像として2019年4月に、フォロワー数3500万人以上をもつ中国で人気の動画サイト「一条」にアップされた。その反響は予想よりもはるかに大きく、彼女自身も横尾ファンが思いの外いっぱいいたことにびっくりしたのだという。
「わたしと同じように細野さんたちからの流れで横尾さんの作品集を手にした人も多いし、寺山修司が好きだから、グラフィックデザイン系の人はみんな横尾さんのことはよく知っています」
そういえば2023年9月から12月まで東京国立博物館表慶館で開催された横尾忠則の「寒山百得」展にも、中国人がたくさん訪れていた。昨今は東京でどんな展覧会に行っても一定数の中国人が来ているのが常だが、中国での展覧会開催の機会がいまだにないためか、神戸の横尾忠則現代美術館にわざわざ足を運ぶ人も多いと梦梦は言っていた。
上:「一条」のYouTube版「一条Yit」にアップロードされた梦梦さんによる横尾忠則へのインタビュー映像。下:2019年に湖南美术出版社より出版された横尾忠則自伝「ぼくなりの遊び方、行き方」の中国語版「海海人生」。(https://img1.doubanio.com/view/subject/l/public/s33537390.jpg より)
「あの頃の日本」を体験したかった!
中国の若者が、なぜ60〜80年代の日本のカルチャーに惹かれるのか、その理由を唐詩は以下のように語ってくれた。
「日本は一般的に空気を読む人とか、周りの様子を見て行動する人が多いですよね。でもその割に、自由に自分の個性を出せる環境がある。中国は逆に空気を読めない人が多い割に、個性を出しにくい環境です。そういう中国から見ると、特に寺山修司とか横尾忠則の作品は自由で個性丸出しで本当に刺激的なんです。中国ではあんなふうに過激に自分を丸出しにはできない。だから中国の若い人は彼らにすごく憧れる。人によって見方はさまざまだと思いますが、大きな枠で見ると、アングラやサブカルも含めた日本のあの時代のカルチャーに中国の若者が興味を寄せるのは、それがひとつの理由ではないかと思います。80年代にはニューアカとかニューサイエンスも流行って、本当にいろんな文化や思想が一度に花開いて、すごく魅力的な時代でしたよね。いろんなものが生まれてくるパワーがあって、発想のすべてが強烈だった。あの時代の人たちの勇気とか想像力とかに圧倒されます。わたしもあの時代の日本にいてリアルに体験してみたかった!」
確かにあの時代の日本は、日本人から見ても文学、映画、演劇、アート、ファッションなどすべてが世界に強い問いかけを促す勢いと個性をもち、挑発的で面白かった。が、いまの日本では、それは、二度と取り戻せない時代へのノスタルジーとして語られることがほとんどのような気がする。しかし60〜80年代の日本で生まれたカルチャーは、いまの中国ではまったく過去のものにはなっていなかった。むしろ現在進行形で存在している。
もちろん、言論や出版の自由が制限され、アングラ芝居なども生まれにくい中国にはあのような時代はまだ訪れていないし、政治的な環境から訪れる可能性も小さいだろう。けれども経済が発展すると同時に高まる文化への希求はどんな環境であれ必ず存在する。何もかもがグワっと花開いた日本の60〜80年代の熱と、経済発展で潤ういまの中国の若者の熱とが、どこかで呼び合っているのかもしれない。
亡くなる前年の1969年に撮影された三島由紀夫。壁には横尾忠則の作品「終わりの美学」が飾られている。 Photo by Bernard Krishner/Pix/Michael Ochs Archives/Getty Images
寺山好きの小飯はこんなことを語っていた。
「最初があって最後がある、そういう起承転結の物語の構造があまり好きじゃないんです。物語ってなんかすごい押しつけじゃないですか。映画館のなかで座ってただ流れてくる物語を見ながら、わたしはいつも『どうしたらこの秩序を変えられるのか?』ってずっと考えていました。中学生の頃から自分はそういう人間だったから、寺山修司とかに惹かれたんだと思います」
「どうしたらこの秩序を変えられるのか?」という問いは、まさにあの時代の日本のカルチャーに通底していた問いでもある。それがいまの中国の若者の心のなかで鳴り響いているのだとするなら、寺山修司や横尾忠則、ガロ周辺のアングラ系の本に対する需要が中国に「まだまだ全然ある」と唐詩が力強く断言するのも頷ける。そしてそれは文学やアートだけではなく、もちろん音楽についても同様だ。
サカモトからYMOへ
寺山の話をしながら耳にしたのは、最近、戸川純が大人気で、上海のライブハウスに出るとチケットが即完売してしまうらしいということだ。三上寛が深圳や北京のフェスなどに出てウケているという話も聞いた。さらには、その独特な出で立ちとノイズプレイで世界中にフォロワーがいるアバンギャルド音楽の重鎮、灰野敬二も中国のフェスにちょくちょく出ているらしい。前世紀の日本の濃厚なインディーズシーンが中国にタイムスリップしているかのような現象だ。また、中国で人気のある日本のミュージシャンといえば、梦梦も大好きだと言った坂本龍一で、彼女と同様に坂本龍一経由でYMOに触れる人も増えているらしい。
ちなみに、2023年3月、坂本龍一が亡くなった後に最初に大規模な回顧展が行われたのは日本ではなく、実は中国の成都だった。コロナのパンデミックの最中、2021年に北京で大規模な坂本龍一展が開催され、その展覧会をさらに発展させたのが、この成都での追悼展だった。亡くなったときは数多くのメディアで特集が組まれ、もしかしたら日本よりもずっとその死の衝撃は大きかったかもしれないと何人かの中国の友人は語っていた。
中国外務省・毛寧報道官による坂本龍一への追悼コメント。
知り合いの陳心橋(チェン・シンチャオ)がYMOが好きだと人づてに聞いて、コメントをもらおうとメッセージを送ったらすぐさま熱い返事が返ってきた。1990年生まれの彼は、上海の人気書店〈百新書局〉の経営責任者だ。
「もし書店をやっていなかったら、ディスクユニオンの買い付けの仕事をしたいと思っていた」と語る彼が最初に日本に興味をもったのはクルマだった。中学1年の夏休みに、父親に連れられて初めてF1レースのサーキットに観に行った際に、ホンダのロゴが入ったフロントウイングを装備したクルマに魅せられ、自分の帽子に佐藤琢磨にサインしてもらったりしたことがきっかけとなった。やがて興味はクルマからポップカルチャーへと移行し、NIGOやUndercoverの高橋盾、Visvimの中村ヒロキなどのインタビューを読み込み、ヒップホップのNujabesなどを経て、坂本龍一へとたどりついたのだという。
「書店を運営し始めたとき、本だけでなくレコードも扱いたいと思って、その時に上海の多くの若者がYMOが好きだと知りました。坂本龍一は有名でもYMOはまだマイナーだと思っていたので、予想以上に多くの人が好きだったことに驚いたんです。それで自然とYMOについて深く知るようになりました。YMOの音楽は非常に独特で不調和な部分も含めて強く印象に残り、その余韻が長く続いて3日間消えないこともあります。でも僕よりもっと好きな人がいるから、彼らにも話を聞いてみるといいよ」
そう言って彼が紹介してくれたYMOファンは、1996年生まれの耿志豪(グン・ジーハオ)だ。彼は書店〈百新書局〉のスタッフで、最初に触れた日本文化は12歳のときに読んだ村上龍の『69 sixty nine』だったという。
「僕が初めて私小説というスタイルに触れた作品でした。この本は60年代末の日本の若者たちの自由、反抗、夢を追い求める姿、また保守的な社会に対する挑戦に満ち溢れていました。ここから日本に関するすべてに興味をもつようになりました」
そう語る彼も日本留学組で、坂本龍一からYMOへと入っていった。
「坂本龍一の『千のナイフ』という曲には毛沢東の詩が使われています。初めてこの曲を聴いたとき、前衛的でありながら日本文化独特の雰囲気を持つ電子音に一瞬で惹きつけられました。この曲の収録されたアルバムはYMOの3人が初めてコラボレーションしたものだったので、その後YMOの音楽にも触れるようになり、『東風』『ライディーン』『パースペクティブ』などの実験的なサウンドは、僕が日本の音楽や現代アートをさらに探求するきっかけになりました」
2022年の坂本龍一の最後の演奏を思い出すと、いまでも声を詰まらせて泣いてしまうという彼は、寺山修司の詩も愛読している。「他に好きな日本の好きなミュージシャンは?」と問うと、中島みゆき、渡辺貞夫、村上秀一、吉田拓郎、X Japan、ザ・タイガース、喜多郎、スタークラブなどの名前が挙がった。わたしたち日本人が考えるジャンルによる分類は、彼らにはあまり関係ないようである。彼はこんなことも言っていた。
「日本のメインカルチャーとアングラにどのような違いがあったのかはよくわかりませんが、現在の僕たちの視点から見ると、当時の文化には主流とアンダーグラウンドの違いはないように思えます。日本の伝統的要素とモダンな要素の混合、それが世界に向かっていた。1960年代から80年代に起きたすべてが日本の魅力を形づくっていたと僕は思います」
1978年にリリースされた坂本龍一「THOUSAND KNIVES」のリマスター版。冒頭に毛沢東の詩「重上井岡山」の朗読が引用されている。
細野さんへのラブコール
板橋区の古い家屋を改築し〈私ギャラリーgallery WATASHI〉をオープンした阮大野(ルアン・ダーイエ)は、1993年生まれの北京育ちで日本に住んで8年。日本のマイナー文化の研究に日夜情熱を注いでいる。日本のファミコンやアニメとともに成長し、中学生の時に石田衣良の小説『池袋ウエストゲートパーク』に感銘を受け、週末に父親が家にもって帰ってくるVCDで見た北野武の『BROTHER』、蜷川幸雄の『蛇にピアス』、岩井俊二の『スワロウテイル』などの映画が深く印象に残っているという。2008年の北京オリンピック開催時、オリンピック村でとある日本人からもらったストリートファッション誌『FRUiTS』が、中学3年生の彼に日本文化へのさらなる憧れを抱かせた。そして高校時代にバイクに乗り始めると、日本のカスタムバイクやファッションに夢中になり、そこから日本のサブカルへと足を踏み入れていくこととなった。
「暴走族から地下アイド ル、ヲタ芸を踊るオタクからヤクザまで、これらすべてに強く惹きつけられました。当時〈サブカル〉ということばは中国国内ではほとんど知られていませんでしたが、いまでは多くの人にこのことばが受け入れられていることに感慨深い思いがあります」
YMOとの出会いは2012年に遡る。彼は北京の古い路地のレコード店〈33転〉で何気なく「東風」を試聴し、すっかりその音に魅了された。
「帰宅するとすぐにネットでYMOの動画を検索し、坂本龍一の周りにたくさんのシンセサイザーがあるのを見ました。そのとき、生まれて初めてシンセサイザーを見たんです。以前も見たことがあるかもしれませんが、ただの電子ピアノだと思っていました。ボタンやコード、キーボードの配置など、宇宙船に座っているようで瞬間的に心を奪われました。いまでは中国で坂本龍一を知らない人はいないから、YMOも広く知られていますが、10年前にYMOが好きだと言う人がいたら、間違いなくその人は変わった人だと思われたでしょう」
上:1979年にニューヨークで開催されたYMO「TONG PO」ライブ映像。下:中国の動画配信サイト「bilibili」に転載されたYMOの同ライブ映像(https://www.bilibili.com/video/BV1nt41177fZ/?spm_id_from=333.337.search-card.all.click より)。掲載期間に倍近くの差はあるが、上は現在約4万回再生、下が約17万回以上再生を記録していることから中国での人気の高さが伺える。
そしてYMOラブな彼らが一様に口にするのは、細野晴臣へのラブコールだ。坂本龍一と高橋幸宏がすでに故人となっているという理由もあるが、彼らはもちろんはっぴいえんども知っていて、その音楽性にも魅力を感じている。
「細野晴臣の音楽には人文学的な雰囲気のあるフォーク作品もあり、音源だけでなくエッセイ集『アンビエント・ドライヴァー』の中国語訳なども出版されていて、多くのフォロワーがいます。細野さんと一緒に音楽づくりや演奏をしたことがある友人がいて、自分もいつか会える機会があることを願っています」
そう語ってくれたのは、高円寺のレコードショップ〈Uptown Records〉でよくプレイをしているという中国人DJのEndyだ。「可能であれば細野晴臣さんを招いて、僕たちの書店でイベントを開きたい。音楽に関する展覧会、音楽と文学のクロスオーバー対談、ミニライブなど企画したいです」と、耿志豪も熱いメッセージを残してくれた。
また、YMOだけでなく当時の日本のシティポップも中国では人気で、その代表が山下達郎。YouTubeには中国人の若者による達郎コピーバンドの演奏などもアップされていて、その見事な完コピぶりにはいたく感心する。動画には「信じられる? これが日本の80年代の音楽。いまでもまったく色褪せていない!」という中国人のコメント。バブルが弾ける前の軽やかでおしゃれな日本のシティポップもまた、いまの中国の若者の肌感覚にしっくりくるのは当然なのかもしれない。経済的にも文化的にも、ここ数十年の中国はまさに日本の60〜80年代なのだから。
上:2022年12月に「北京联合出版公司」より刊行された細野晴臣のエッセイ集『アンビエント・ドライヴァー』の中国語版(https://book.douban.com/subject/36149378/ より)。下:中国の動画配信サイト「bilibili」に投稿された山下達郎のカバー動画の数々。「“山下达郎” “翻唱”」と検索してみると1000件以上もの動画がヒットした。
来るべきグローバルカルチャー
「60〜80年代の日本のカルチャーについて語るなら三日三晩かかるかもしれない。僕はいま日本で働き、その給料でギャラリースペースを開設し、自分で作品展示の企画もしています。そんななかで思うのは、現在の日本は文化の面で緩やかに自殺をしているということです。日本の政府や法律が、日本独自の魅力を消し去ってしまっています。僕は日本にいて、日本に日本文化を普及しなければならないのではないかと思うこともあります。このままでは日本も他の国と同じように、ただの観光地としての殻が残るだけになります。60〜80年代に固執し続ける必要はありませんが、その素晴らしい文化を保ちながら、新しい60〜80年代を創り出すべきなのではないかと思います」
板橋で〈私ギャラリー〉を主宰する阮大野は、そう熱く語ってくれたが、いまの日本にそんな余力があるのかどうか。むしろわたしたちは、日本の60〜80年代に生まれたアングラやサブカルを含めた輝かしいカルチャーが、もはや日本人だけのものではなくなっていることに希望をもつべきなのかもしれない。アジアという大きな視点で眺めれば、中国や韓国や東南アジアの人たちが、日本の過去から刺激を受けて新しい何かを創造してくれれば、それでいいのではないか。
オンラインネイティブの現代のアジアの若者たちが、アンディ・ウォーホルも寺山修司も、自分の国の同世代のアーティストも、すべてをフラットに受け止めているのを見ると、そこからこそ西も東もない本当の意味でのグローバルなカルチャーが生まれてくるのではないかとも期待する。
この先、アジアからどんな面白いものが生まれてくるのだろうか。お金があって元気だった時代に日本が小さな種を蒔き、新しい文化を生み出す土壌づくりに一役買っていたとするならば、この先、それを芽吹かせ、花を咲かせるのは、いま最も元気な中国や、その後に続くであろう東南アジアやインドの若者たちなのかもしれない。
そんな未来のためにも、まずは中国での横尾忠則の展覧会と細野晴臣のコンサートイベントを実現してほしいと願っている。
2024年11月13日発行、プリント版『WORKSIGHT[ワークサイト]25号 アジアのほう Towards Asia』より転載。
サウザー美帆|Miho Sauser 東京を拠点に日本と中国の書籍や雑誌の企画編集、取材執筆などを手がける。著書に日本の伝統工芸を中国に紹介する『誠実的手藝』『造物的温度』(ともに上海浦睿文化刊)、『四代田辺竹雲斎/与竹共生』(広西師範大学出版刊)など。京都の写真集出版社、青艸堂の共同設立者でもある。
【WORKSIGHT SURVEY #73】
Q:〈TERAYAMA・YOKOO・YMO〉の精神が今の日本の若者たちにも継承されていると思いますか?
60〜80年代の日本のカルチャーに惹かれ影響を受ける中国の若者のように、〈TERAYAMA・YOKOO・YMO〉の精神が今の日本の若者たちにも継承されていると思いますか?それはどういった人たちですか?ご意見をお聞かせください。
【WORKSIGHT SURVEY #70】アンケート結果
バスキアの絵がゾンビにしか見えない:ハイチ革命と死なない死者たちの闘争【WORKSIGHT ARCHIVES#13】(6月25日配信)
Q:自分をゾンビのようだと感じることはありますか?
【はい】資本主義に嫌気が差しているのにシステムの中で社畜をして妥協しているから。
『WORKSIGHT[ワークサイト]25号 アジアのほう Towards Asia』
photographs by Leo Arimoto
わたしたちはずっと西に憧れ、西を目指してきた。しかし時代は変わり、カルチャーの新しい潮流はアジアから生まれつつある──。今号では、人気バンド「幾何学模様」のメンバーであり、音楽レーベル「Guruguru Brain」を運営するGo Kurosawaをゲストエディターとして迎え、〈アジアがアジアを見る〉新たな時代の手がかりを探る。日本/アジア/欧米を股にかけて活動するGo KurosawaとTaiTan(Dos Monos)の対話から、Eastern Margins、Yellow Fangらカルチャー・フロントランナー5組へのインタビュー、さらには中国の若者の間で広がる寺山修司・横尾忠則・YMOブーム、阿佐ヶ谷を拠点に生まれたインディ音楽コミュニティ、そしてアジアン・サイケデリック、フットボールカルチャー、インディパブリッシャーまで。常に動き、変化し続けるアジアを追い、その見つめ方を考える特集だ。
【目次】
◉新しいアジアのサイケデリクス
選=Go Kurosawa
カルチャーの発信地として存在感を強めるアジア。そこで生まれる新たなアートには、従来の欧米的な価値観や美学では分類しきれない混沌=サイケデリクスが広がっている。ロッテルダムを拠点にアジアの音楽を発信するレーベル・Guruguru BrainのGo Kurosawaが紹介する新しいアジアのクリエイティブの一端。
◉巻頭言 ひとつに収束しない物語
文=山下正太郎(WORKSIGHT編集長)
近年、欧米で「Cultural Stagnation」(文化停滞)ということばを耳にする機会が増えているなか、アジアにはいま違う風が吹いている。エネルギーに満ちたアジアン・ポップカルチャーがグローバルに受容されている現代において、失われた30年を経た日本が担うべき役割とは。
◉アジアのほう
対談 TaiTan(Dos Monos)× Go Kurosawa(Guruguru Brain)
この150年ほど、日本は遠く欧米を眼差し、その文化を取り入れることで自分たちの社会を形成してきた。状況は少しずつ移り変わり、眼前のアジアに新しい文化がうごめくのを日々目撃するようになった。日本/アジア/欧米を股にかけて活動するDos MonosのTaiTanと今号のゲストエディターGo Kurosawaのふたりが、「アジアのほう」の見つめ方を考える。
◉イースタンユースの夜明け
Eastern Margins/bié Records/Yellow Fang/Orange Cliff Records/Yao Jui-Chung
かつて欧米が絶大な影響力を誇ってきたグローバルカルチャーが分散化しながら多極化しているいま、カルチャーをめぐる新しい潮流がアジアから生まれつつあるのかもしれない。アジアの変化を最前列で見ながら、まだ見ぬカルチャーのありようを切り拓いてきた5組のフロントランナーに訊いた。
◉北京のインディ番長、阿佐ヶ谷に現る
mogumogu から広がるオルタナティブ・コミュニティ
100年ほど前、川端康成らが居を構えて阿佐ヶ谷文士村を形成したエリアに、2023年オープンした中国インディ音楽のショップ/ライブハウス「阿佐ヶ谷 mogumogu」。中国、日本、さらには世界へ。アットホームな空気感のままに広がるインディでオルタナなネットワーク。
◉Dirt-Roots
サッカーでつながるコレクティブ
サッカーは世界の共通文化だが、「フットボールカルチャー」を草の根で盛り上げているローカルコミュニティは分断していた。ところが近年、クリエイターを中心としたコミュニティが国境を越えてつながり始めている。日本のフットボールカルチャーマガジン『SHUKYU Magazine』編集長・大神崇が韓国・タイ・インドネシア・中国の仲間と立ち上げた、汎アジア的蹴球文化プラットフォーム「Dirt-Roots」の魅力
◉アジアンデザイナーたちの独立系エディトリアルズ
「本」というアナログな表現形式のなかに、新たな可能性を見いだす──。アジアのグラフィックグラフィックデザインの紹介を積極的に行っている近畿大学准教授・後藤哲也が、注目すべき10組のインディパブリッシャーをセレクト。「デザイン」を超えて、出版・編集の領域へと踏み出すアジアのデザイナーたちの挑戦。
◉テラヤマ・ヨコオ・YMO
中国で愛される日本のアングラ/サブカル
カルチャー大国ニッポンが最も輝いていた 1960〜80年代の「アングラ」な文学やアート、映画、音楽が、いま中国の若きクリエイターや編集者たちの間で、大きな注目を集めている。寺山修司、横尾忠則、YMOといった戦後日本を代表する文化アイコンに、彼ら/彼女らはなぜ魅せられるのか。上海在住歴8年、中国で自著も刊行する日本人編集者・サウザー美帆が取材した。
◉百年の彷徨
アジアを旅した者による本の年代記
1世紀という時間をかけて、日本の人びとはアジアの地を訪れ、何かを理解し(たような気になり)、その知見を伝えてきた。そして日本もまた、海外からの眼差しの対象として存在する。旅行、仕事、調査に戦争......訪れる目的はさまざまだ。掴んだと思えば手からすり抜けるアジア、せめてその尻尾へとたどり着くための60冊のブックリスト。
◉ロスト・イン・リアリティ
MOTEのアジアンクラブ漂流記2018/2024
雑誌の取材を機に、アジアのクラブカルチャーに足を踏み入れた編集者・石神俊大(MOTE)は、気づけば自らもDJとなって、その深みのなかへと埋没していった。大文字の「カルチャー」とは一線を画した、ローカルで猥雑な異世界としてのクラブ。無力感とあてどなさを頼りに見つけ出した、自分たちには立ち入ることのできない未知なるリアリティ。
【書籍情報】
書名:『WORKSIGHT[ワークサイト]25号 アジアのほう Towards Asia』
編集:WORKSIGHT編集部(ヨコク研究所+黒鳥社)
ISBN:978-4-7615-0932-3
アートディレクション:藤田裕美(FUJITA LLC.)
発行日:2024年11月13日(水)
発行:コクヨ株式会社
発売:株式会社学芸出版社
判型:A5変型/128頁
定価:1800円+税











