世界はふたたび中世になる:WORKSIGHT最新号『新しい中世』巻頭言【特別ニュースレター】
社会的合意が崩れ、不確実な情報に翻弄される我々は、もうすでに「新しい中世」を生きているのかもしれない。WORKSIGHT編集長・山下正太郎が、中世というレンズで現代を読み解いていく。
ヒエロニムス・ボス(1450-1516)《快楽の園》1500年頃
Photograph by VCG Wilson/Corbis via Getty Images
6月28日に刊行されるプリント版最新号『WORKSIGHT[ワークサイト]30号 新しい中世 The New Middle Ages』は、「中世」のレンズを通して、現代の再解釈を試みる特集です。帝国、教会、荘園、騎士団、ギルド、修道院……。中世は複雑怪奇な権威のネットワークの時代だった。単に「5〜15世紀のあいだ」といった時代区分を超え、中世ということばが喚起するのは断片化した世界の姿だ。社会的合意が崩れ、不確実な情報に翻弄される我々は、もうすでに「新しい中世」を生きている。
今回は、WORKSIGHT編集長・山下正太郎による巻頭言を、本誌から転載してお届けします。
text by Shotaro Yamashita
制度を溶かす“声”
大国の国家元首が、数時間に及ぶポッドキャストのなかで、自らのことばを紡ぎ続けている。そこには官僚が推敲を重ねた政策文書の痕跡も、プロンプターが指示する整然とした演説の影もない。脱線し、笑い、ときにことばを詰まらせ、怒りに声を震わせる。その断片が切り出され、字幕による文脈が付与され、ソーシャルメディアの循環系を通じて社会の隅々にまで浸透していく。ここで人びとを動かしているのは、論理の整合性や緻密なエビデンスではない。声の熱量、表情の微かな揺れ、沈黙が孕む間、そして語り手の身体から滲み出る確信である。
近代という時代が信頼を寄せてきたのは、文字の力だった。憲法、法典、契約書、統計。書かれたことばは、個人の身体的な熱やその場の感情から切り離されることで、誰もが等しく参照可能な公共的基盤を形成してきた。文字は声に比べて抽象的であるがゆえに、個人の恣意を排した法、科学的な客観性、官僚制の規律、そして理性的な議論に基づく民主主義を基礎づけてきたのである。
いま、その堅牢だったはずの秩序が、足元から変容を遂げようとしている。動画、音声、ライブ配信、そして即時的なリアクション。人びとはもはや、長大な記述を論理的に追う労を望まない。むしろ、誰かが語る姿に直接触れ、その感情の昂ぶりに共鳴することに真実を見いだしている。ここで決定的なのは、語られる内容の正否以上に、誰がどのような身体性を伴って語っているかという、実存の提示にほかならない。文字によって安定化されてきた理性的な近代という表皮の下から、声、顔、身振り、情動的な帰属によって編まれる、動的な中世の相貌がふたたび現れている。
爆縮する世界とクラウド農奴
この構造転換の深層を、マーシャル・マクルーハンは電子メディアによる世界の「爆縮」(implosion)ということばで予見していた。かつて印刷機は情報を細分化し、人間を孤独な読者へと分離させることで、視覚優位の合理的な社会を構築した。対して電子メディアは、空間と時間の隔たりを無効化し、遠くの出来事を瞬時にわたしたちの知覚系へと直接介入させる。世界は広がるのではなく、むしろひとつの点へと収縮し、あらゆる出来事が即時の身体的反応を求める環境へと変貌した。この爆縮がもたらしたのは、彼が「地球村」(global village)と呼んだ、親密さと相互監視が分かちがたく絡み合う部族的共同体への回帰だった。
アルゴリズムという非可視の誘導者が、わたしたちを独自の言語や禁忌、儀礼、そしてカリスマが支配するデジタル・トライブへと導く。かつての中世人が特定の教区やギルドという閉ざされた共同体のなかで世界を理解していたように、現代のわたしたちもまた、タイムラインという名の小さな領邦に属し、内輪の物語を真実として生きている。
このトライブ化は、構造的な新たな封建制の現れでもある。経済学者ヤニス・バルファキスは、これを「テクノ封建制」(technofeudalism)と呼んだ。封建制という比喩がどこまで厳密かについては議論の余地が残るが、その診断が捉えた光景は鮮烈である。巨大プラットフォームという私有地で、規約やアルゴリズムを操る領主の裁量が人びとの行動を編成する。民主的統制を欠くインフラ権力のもとで、わたしたちは自由な市民ではなく、クリックとスクロールを通じて絶え間なくデータを供出するクラウド農奴へと変貌しつつあるのだ。
新しい電子的口承性
中世化という視座は、野蛮な過去への退行を意味しない。中世とはむしろ、王権と教会という上位権威の網の目のなかで、修道院、ギルド、自治都市といった自律的な共同体が同時に息づく、複層的で動的な時代だった。70年代に政治学者ヘドリー・ブルが構想し、同じく政治学者の田中明彦が冷戦後の世界に見いだしたのも、この複雑な権威の重層性である。彼らが論じたのは主に国家、国際機関、多国籍企業、越境的市民社会といった制度的アクターの再編であり、グローバル化のなかで国家が単独で世界を統治する能力を喪失していく過程だった。
その洞察は、メディアと知の領域にも拡張されうる。中世ヨーロッパにおいてひとりの人間が、王の臣下であり、教会の信徒であり、都市の住民であったように、現代のわたしたちもまた、国家、企業、オンライン共同体、国際機関といった複数の権威の網の目のなかに生きている。この中世化が示唆しているのは、近代的な単純な国家間関係では捉えきれない、より複雑で動的な秩序の到来である。そこでは、自身も中世研究者であったウンベルト・エーコが示してきたように、真実は客観的に発見されるものではなく、権威ある語りの連鎖を通じて媒介され、共同体の物語として安定化されるものへと変質していく。
知の様式もまた、この変動と無縁ではない。哲学者ピエール・レヴィは、サイバースペースが人類の知を固定的な専門知から解放し、ネットワーク上の参加者がリアルタイムに生成する「集合的知性」(collective intelligence)へと移行させると説いた。文字以前の社会で知が身体や儀礼に宿っていたように、デジタル化された現代において、知はふたたび生きた集合体のなかへと還っていく。しかし、この知の回帰は、レヴィが夢想したような輝かしい民主主義の拡張だけをもたらしたわけではない。知が感情の場へと戻ることは、集合的知性をしばしば集団的熱狂へと反転させる。知の分散は真実の独占を崩したが、同時に社会が共有すべき事実という土台そのものを掘り崩してしまった。現在進行しているのは文字の消滅ではなく、文字によって組織されてきた近代的理性の失権である。知はふたたび声、顔、物語へと回帰しているが、それはAIやアルゴリズムによって増幅された、新しい電子的口承性の誕生にほかならない。
自治の実験へ
中世化という潮流には、不可避の負の側面がある。帰属は安心を与えるが、同時に異端者への苛烈な排斥を誘発する。情動は人をつなぐが、理性を介さない集団的な断罪を加速させる。声の熱量が文字の手続きや慎重な論証を凌駕するとき、社会は検証よりも信仰によって、制度よりもカリスマによって動き始める。しかし、デジタルメディアが解き放ったこれらの力を、もはや文字の規律のもとへ引き戻すことはできない。問われているのは中世化を止められるかではなく、その主体となるのが誰か、ということなのである。
近代の文字社会が、効率と普遍性の追求の過程で切り捨ててきた身体、ケア、土地の記憶、そして固有の場所に根ざした共同体の感覚が、いまや切実な必要性をもって息づき始めている。抽象的な制度は人を守るが、同時に人を文脈から剥奪された原子的な個人へと解体した。普遍的な言語は差異をつないだが、それぞれの土地に根ざした固有の知を周縁へと追いやった。思い起こせば、歴史上の中世もまた、修道院による知の継承、ギルドによる職能の自治、自治都市の独立、コモンズによる共同管理といった、自分たちの生を自分たちの手で組織するための具体的な装置を人びとが育んできた時代だった。
だからこそ、わたしたちはいま、創造的な中世化の可能性を見極めなければならない。それは過去への郷愁ではなく、中世が試みた自治の実験を、デジタル環境という新しい条件のもとで再演する企てである。近代的な枠組みに依存するのではなく、自律的なギルド、地域のコモンズ、相互扶助のネットワーク、そして学びとケアを共有する共同体を、自分たち自身の手で編み直すこと。文字による理性的防壁をもちながら、同時に声や物語を通じて、世界との実感を伴う生々しい関係を結び直すことである。プラットフォームのアルゴリズムに編成される隷属的な封建制へと沈むのか、あるいは自治の精神を再発明するのか。その分岐点は、いまわたしたちの眼前に開かれている。
世界はふたたび中世になる。近代が抑え込んできた複数の原初的な力が、デジタルテクノロジーという新しい器を得て、社会の表層へと再浮上しているのである。声、儀礼、信仰、物語。これらはクラウドの上で、まったく新しい相貌を帯びてわたしたちを揺さぶっている。
中世とは、未来がもはや近代の延長線上には描けなくなったこの時代に、それでもなお別の社会を構想するための切実な視座なのである。
ヒエロニムス・ボス《快楽の園》三連祭壇画の閉じられた翼板部分、1500年頃
Photograph by Universal History Archive/Universal Images Group via Getty Images
【新刊案内】
書籍『WORKSIGHT[ワークサイト]30号 新しい中世 The New Middle Ages』
Photographs by Hironori Kim
Cover Illustration by Natsujikei Miyazaki
帝国、教会、荘園、騎士団、ギルド、修道院……。中世とは、複雑怪奇な権威のネットワークが幾重にも絡み合った時代だった。アルゴリズムに導かれ、プラットフォームのなかで群れ、炎上によって見知らぬ誰かを裁くいま、わたしたちはすでに「新しい中世」を生きているのかもしれない。かつて中世の再来を予言したウンベルト・エーコ、 心理占星術研究家・鏡リュウジや現代魔女・円香、中世ゲーム研究、政治学者が読み解く「中世という過渡期」を経た、現在の地政学「それ以降の世界」まで。中世のレンズを通して現代を再解釈する。
書名:『WORKSIGHT[ワークサイト]30号 新しい中世 The New Middle Ages』
編集:WORKSIGHT編集部(コクヨ ヨコク研究所+黒鳥社)
ISBN:978-4-7615-0938-5
アートディレクション:藤田裕美(FUJITA LLC)
発行日:2026年7月2日(木)
発行:コクヨ株式会社
発売:株式会社学芸出版社
判型:A5変型/128頁定価:1800円+税
【イベント案内】
WORKSIGHTプリント版バックナンバーフェア
Photograph by Hironori Kim
WORKSIGHTではプリント版30号の発売を記念して、都内を中心に一部の書店でバックナンバーフェアを開催いたします。
各店で開催されるフェアでは、最新号を中心に、2022年7月のリニューアル以降に刊行したプリント版や関連書籍が並びます。ゾンビ、記憶、詩、ゲーム、料理、鳥類……最新号の「新しい中世」まで、多様なテーマが枝葉のように広がるラインナップをお楽しみください。フェア実施店舗では最新号とバックナンバーをお買い求めの方にオリジナルノベルティを進呈いたします。ぜひ足をお運びください。
※オリジナルノベルティは数量限定、進呈には条件がございます。フェア実施店舗をご確認の上、ご来店ください。
※バックナンバーフェア対象店舗では、フェア開催日から『WORKSIGHT[ワークサイト]30号 新しい中世 The New Middle Ages』を先行販売いたします。





