感情の共有地、もしくは「みんなのきもち」:記憶の時代と編集されるアイデンティティ【武邑光裕・寄稿|WORKSIGHT ARCHIVES#16】
テクノロジーの発展により、わたしたちの記憶はデジタル・アーカイブへと移行した。いま人間が担うのは、アーカイブを検索し、記録され得なかった感情を呼び起こすことだ。「記憶の時代」の新たなアイデンティティとは?メディア美学者・武邑光裕による特別寄稿。プリント版『WORKSIGHT[ワークサイト]29号 アーカイブする? Archive?』より転載。
2024年9月28日、東京・渋谷のSpotify O-EASTで開催された音楽イベント「u-ha」にて、「みんなのきもち」のDJプレイ中に撮影された会場の様子 photograph by Hidehiko Ebi
Text by Mitsuhiro Takemura
中央集権的構造が
分散自律的構造へとドロップアウトしていく
フィンランドのメディア理論家であり、デンマークのオーフス大学のデジタル美学の教授であるユッシ・パリッカ(Jussi Ville Tuomas Parikka)は、2010年の著書『昆虫メディア:動物と技術の考古学』(Insect Media: An Archaeology of Animals and Technology)において、群れ・巣・分散型知能といった昆虫や無脊椎動物の社会組織形態が、現代のメディア技術とネットワーク社会を構築するためにいかに応用されてきたかを分析し、生物学と技術の相互接続性に関する画期的な視座を提供した。
パリッカは昆虫や無脊椎動物の生命形態が、分散型・脱人間的・脱中央集権的なインターネット・モデルとして読み解けることを示し、これを「無脊椎動物的インターネット」と呼んだ。それは、中央集権的で階層的な脊椎動物組織形態との対比である。これは無脊椎動物の生命体、つまり中央の骨格や階層を持たない生物の比喩を通じて、インターネットやより広義のメディア基盤が、中央集権的構造から分散自律的構造へとドロップアウトしていく様を想起させる。「無脊椎動物的インターネット」は単なる詩的比喩ではなく、メディアシステムの脱人間的かつ脱階層的な側面を浮き彫りにしたのである。
タコは「無脊椎動物的インターネット」の
最も明白な生物学的アナロジーである
インターネットを「脳」や「神経系」といった人間中心的で中央集権的な比喩と考える代わりに、パリッカは無脊椎動物を通じて思考するよう促す。無脊椎動物の比喩は、メディアが単なる人間的コミュニケーションではなく、生物学的・生態学的・脱人間的論理と絡み合っていることを想起させる。触手に知性が分散するタコは、「無脊椎動物的インターネット」の最も明白な生物学的アナロジーである。映画『007 スペクター』に登場する犯罪組織「スペクター」のシンボルがタコ(頭足類)であること、ハッカー組織やインターネットの原理を説明する際に、タコがシンボル化されてきた経緯に留意されたい。
無脊椎動物的システムが局所的・周辺的な反応に依存するように、オンライン上の次世代のアーカイブもボトムアップで分散化された貢献から生まれる。本稿の主要なテーマである次世代アーカイブのありようを、「脊椎動物的」(硬直的・中央集権的・キュレーション型)対「無脊椎動物的」(流動的・創発的・参加型)と捉えることで、記憶の時代の二重の生態系が見えてくるのだ。
YouTubeチャンネル「Real Science」によるタコの生態の紹介動画。タコは、5億個もある神経細胞のほとんどが脳ではなく腕に集中しているため、腕で知覚し腕で考えることのできる分散化された知性を持つ
歴史家ではなく
アーカイブ管理者・プロンプト編集者・DJ
わたしたちは記憶の時代に生きている。過去数十年間で、人間の記憶はデジタル・ストレージ、クラウド・アーカイブ、アルゴリズム・システムへと移行した。インターネット・ソーシャルメディア・AIは、記憶を生物学的機能から地球規模のインフラへと変貌させた。データ・ストレージはもはや補助的な存在ではなく、日常生活の基盤そのものとなっている。Googleの検索インデックスからYouTubeの無限の動画貯蔵庫まで、わたしたちは完全記憶システムを担う記憶の外部化された補綴物に囲まれて生活しているのだ。わたしたちはもはや記憶せず、検索する。そう、記憶は内面的行為から、インターフェース機能へと変容したのだ。
近代社会は、かつて「歴史」という壮大で直線的な出来事の叙述を重視した。今や重視されるのはアーカイブである。それは、アクセスされ、再活性化され、リミックス可能な保存された情報の断片の集合体である。博物館、図書館、デジタル・レポジトリは、保存から参加型へと移行している。現代の文化的主体は歴史家ではなく、アーカイブ管理者・プロンプト編集者・DJとなるだろう。わたしたちは過去の物語を記述することから、記憶の流れを編集することへと移行しているのだ。
「記憶の時代」は、歴史の直線的時間軸を時間性のモザイク、つまり生きている記憶のネットワークで置き換える。記憶が外部装置化されるにつれ、人間主体そのものが分散化する。それらは、分散意識と集合的記憶となり、人間・機械・ネットワークに分散した集合的認知となっている。記憶は個人の所有物ではなく社会的領域となっている。
わたしたちはフランスの哲学者ベルナール・スティグレール(Bernard Stiegler, 1952〜2020)が、「第三の記憶」と呼んだ段階へ突入している。それは、経験の技術的保存が、我々の思考内容と方法を形作る段階だ。この意味で、記憶の時代は同時に補綴的分散意識の時代でもある。それは、人間のアイデンティティが外部記憶システムと共進化する時代なのだ。
情報インフラが事実を保存する一方で、人びとはますます感情を保存するためにそれらを利用する。感情的次元、感情の共有財産としての記憶である。YouTube、SoundCloud、Instagramのようなプラットフォームは感情のアーカイブとして機能し、単なる出来事だけでなく、特定の時間に生きていた感覚やその場の雰囲気を記録する。
わたしたちは記憶の時代に生きているが、過去の静的な記録者としてではない。わたしたちは記憶の実演者として生き、想起するものを絶えず編集し、再構成していく。この意味で、記憶は生産と消費の両方を置き換え、人間という意味の核心的媒体となった。課題は、記憶を生き生きと多様化させることだ。単に保存するだけでなく、共有し、活性化し、再解釈することで、記憶が創造的かつ倫理的な行為となるように努めることである。
YouTube開設20周年を記念して、2005年から2025年までの各年を代表するYouTube投稿を振り返った動画。アーカイブされたこれらの映像から、どのような感情が呼び起こされるだろうか
脳は決して自らを完全に説明できない
オーストリア学派の経済学者として知られるフリードリヒ・A・ハイエク(Friedrich August von Hayek, 1899〜1992)の著作である『感覚秩序』(The Sensory Order, 1952)は、心が世界をいかに知覚し組織化するかに関する卓越した哲学的・原初的サイバネティックな探求である。ニューラル・ネットワークやインターネット以前に書かれたにもかかわらず、それらメディア・システムの実体をハイエクは見事に予見していた。
ハイエクは、知覚は分類であり、反映ではないと主張した。脳は世界を無批判に映すのではなく、過去の経験から学んだ自身の内部器官に従って感覚入力を分類する。これは分散化された知識と自律性である。心はニューロンの分散型ネットワークであり、各ニューロンが局所的に情報を処理するため、全体を「知る」単一の司令塔は存在しないのだ。さらにハイエクは、主観性と創発に関して、意味は、無数の神経分類の関係性から創発し、生データから直接与えられるものではないと述べた。そして最後に、等価な複雑性を持つシステムを完全に記述するシステムは存在しないため、脳は決して自らを完全に説明できないとした。
社会主義に批判的であったハイエク。動画内では、現代社会が個人の知覚ではなく、分散された知識の利用に基づいているということを社会主義が見落としていると、その問題点を論じている
秩序は命令からではなく
局所的なエージェント間の調整から生まれる
ハイエクの分散認識論は、ネットワーク科学とインターネットの分散型アーキテクチャを予見していた。ハイエクの原理である分散型ニューロンは、インターネットの対応物でいえば、自律ノード(サーバー、ピア、ルーター)であり、知覚信号の分類はパケット交換とルーティング・プロトコルとなる。中央制御装置の不在は、エンドツーエンド原則とピアツーピア論理であり、ハイエクの中心思想である創発的秩序は、インターネットの集合知とアルゴリズム的調整に対応する。要するにハイエクの『感覚秩序』は、今日のインターネットを定義する分散システム哲学の先駆けであり、秩序は命令からではなく、局所的なエージェント間の調整から生まれるという重要な観点を提起していたのである。
この点で、ドイツの美術史家で独自のアーカイブを私有していたアビ・ヴァールブルク(Aby Moritz Warburg, 1866〜1929)の未完に終わった連想記憶の視覚的アトラスも、インターネットやデジタル・アーカイブの生成モデルに影響を与え、アーカイブが感情と思考の星座として活性化される方法を模範的に示していた。
2021年8月21日から10月31日まで、ドイツ・ハンブルクの展示施設「ダイヒトーアハレン・ハンブルク」で開催されたアビ・ヴァールブルクの展覧会の様子。黒い布を張ったパネルに写真や図版を貼り付けた「視覚的アトラス(ムネモシュネ・アトラス)」が数多く展示されている
人間が保存するのは顕著性であり
顕著性は情動的である
記憶の時代において、事実の記録はわたしたちよりもAI/外部記憶のほうが優位だろう。だからこそ、人間が最も価値を置くのは感情的・情動的な記憶、つまり気分、雰囲気、集団的共鳴である。これはハイエクの思想と共鳴し、もし知覚が分類であるならば、感情はメタ秩序として機能し、さもなければ無限の刺激をわたしたちにとって意味ある情動へと組織化する。外部アーカイブはデータを保存するが、人間が保存するのは顕著性であり、そして顕著性は情動的である。
ハイエクは知覚を多くの神経階層に分散したものと見なした。現実を支配する単一の「中央脳」は存在しない。同様に社会においても記憶は分散している。プレイリスト、DJセット、ミーム、フェスティバルなどの記録は、感情の共有分類器として機能する。いわば社会的ニューラルネットワークである。これが、分散型分類という感情の共有地となる。
重要なのは、いかなるシステムも、同等の複雑性で別のシステムを完全に表現することはできないとハイエクが言っていることだ。したがってAI/外部記憶が人間の記憶に「なる」ことは不可能であり、擬態化やシミュレートすることしかできない。それが欠くのは感情的基盤であり、データに意味を与える身体化された分類体系なのだ。
平坦なアーカイブを、生きている記憶へと前進させるために、ハイエクの『感覚秩序』は、後にインターネットやデジタル社会の概念形成に影響を与えてきた。同時に、AIにおけるニューラルネットワークと分散型認識論の両方を予見していたため、現代においても新たな共鳴を得ている。
ハイエクは、心は中央指令処理装置ではなく、自己組織化する分散型分類システムであると主張した。彼は「知覚=世界の受動的な鏡」という概念を否定した。代わりに、知覚は経験と共に適応し再分類する分散型神経接続から生じる。このビジョンは、知識が単一のアルゴリズムではなく、多数の単純な単位の相互作用から生まれるという現代のコネクショニズム(ニューラルネットワークの基盤)や無脊椎メディア概念と通底していることを示している。
上:イワン・パブロフによる条件性唾液反射の研究結果を示した図 下:1961年に西ドイツで開催された「グラーエ展示会」で完成した、人間の脳がどのように働くのかを示す高さ約4.3メートルの作動模型 photograph by Bettmann/Getty Images
ハイエクの感覚原理の反映としての
ウィキペディア、ブロックチェーンetc.
ハイエクは、周辺は中心よりも多くのことを知っていると確信した。神経系において、末梢の接続が情報を処理・選別し、「中心」は結果としてのみ現れる。これは彼が経済学に応用したカタラクシー(自発的交換)や自発秩序や自己組織化の論理と同じである。経済においては、分散型市場は中央計画を凌駕する。なぜなら有効な知識は個人間に分散し、創発するからである。知覚に関しては、単一のニューロンが現実を「知る」ことはなく、分類は分散した関係性から生じる。ハイエクは「真実は強制されるものではなく、創発的に現れる」と述べた。それが、彼の認識論的立場である。
初期のインターネット(ARPANET、パケット交換)は、耐障害性を高めるため明示的に分散型に設計されていた。これは「周辺部が中心部よりもシステムを保護する」というハイエクの思想を反映していた。これは前述したパリッカの無脊椎動物的インターネットとも通底する。
現代の創発的知識としては、ウィキペディア、P2Pファイル共有、オープンソースソフトウェア、ブロックチェーン台帳などに及び、これらはすべてハイエクの感覚原理を反映している。意味と秩序は分散した主体間の調整から創発し、トップダウン設計から生まれるのではない。中央集権への抵抗において、インターネットを巡り繰り返される文化的闘争(オープン vs 囲い込み型、分散型 vs プラットフォーム独占)は、中央指令と分散型秩序の間のハイエクの緊張関係を映し出している。
1984年、西ドイツ・フライブルクで行われたハイエクへのインタビュー映像。動画内でハイエクは、ビットコインの登場を予測しているような構想を語る
記憶の時代におけるインターネットは
感情の共有地として機能する
社会における重要性として、ハイエクの認識論はインターネットの政治哲学となった。自由で分散化されたネットワークという夢は、彼の経済思想と同じ論理に立脚している。単独の知性(国家や企業も同様)が全体を掌握することは不可能であり、知識は周辺から流れ出なければならない。
記憶の時代におけるインターネットは、主に感情の共有地として機能する。なぜなら、それこそが人間独自の価値であり、AIが再現できないものをもたらす場だからだ。しかしそれは、感情の暴走を抑止する継続性と、信頼を保証する精選されたアーカイブによって支えられなければならない。
音楽に例えてみよう。楽譜(アーカイブ)は数世紀にわたる連続性を保存する。演奏(感情の共有地)は現代に命を吹き込むが、単独では不十分であり、文化記憶には双方が不可欠だ。記憶の時代は、中央集権型アーカイブと分散自律型アーカイブとの二者択一ではない。精選されたアーカイブと生きた感情の共有地とが並行して機能するインターネットを設計する必要がある。前者は起こったことを、後者はそれがどう感じられたかを保存する。両者が揃って初めて人類の真の記憶生態系が形成されるのだ。
ヨハン・ゼバスティアン・バッハの『平均律クラヴィーア曲集』の一部を記した、署名入り自筆楽譜 photograph by ullstein bild/ullstein bild via Getty Images
アイデンティティは編集行為となった
すでに感情の共有地として、課題や問題を抱えもちながら、YouTubeには2024年半ば時点で、約148億本の動画が投稿されている。ユーザーは毎日72万時間以上の動画コンテンツをアップロードしており、これは1時間あたり約3万時間に相当する。YouTubeに1日でアップロードされたすべてのコンテンツを視聴する場合、連続視聴で82年以上かかる。他方、Instagramには500億件を超える写真と動画が投稿されている。
YouTube上で共有された感情的アーカイブのひとつとして重要な役割を担っているのが、世界各地で無数にアップロードされているDJプレイ動画の圧倒的な視聴トレンドである。コロナ禍で世界のクラブシーンが停滞し、オーディエンス不在のDJプレイ動画が配信されたのを契機に、ポストコロナ環境でのクラブや巨大EDMフェスティバルの内容が感情の伝染をネット上で実現してきた。そのなかで、本稿が参照した感情アーカイブの端緒となるクリエイターの出現について触れておこう。
「みんなのきもち」(Minna-no-kimochi)は、東京を拠点とするDJユニット/コレクティブとされ、「環境的なトランス体験」と「ポスト・クラブ/ポスト・トランス」の感性を重視している。商業的なクラブに限定されず、アンビエント、実験音楽、脱構築されたクラブ・ミュージックをルーツに持ち、ユニットは2021年頃に結成された。初期活動はアンダーグラウンド・レイヴ、アンビエント/実験的サウンド、トランス脱構築の融合と見られる。
2023年12月、東京でのBoiler Roomセット動画がYouTubeで公開されると、数日で50万再生を実現し、現在は290万再生を超え、世界的な認知度を獲得している。「みんなのきもち」は商業的な意味でのDJユニットではない。彼らは自らをレイヴ/スピリチュアル/アンビエント/体験型コレクティブと位置付け、アンダーグラウンドとグローバルな電子音楽文化を橋渡ししている。サイトスペシフィックなイベントに注力し、トランスやアンビエント音楽がダンスフロアの快楽を超えた感情的/精神的な知覚をいかに運べるかを探求している。
国際的なEDMフェスティバルやBoiler Roomへの進出は、彼らが純粋なアンダーグラウンドの枠を超え、新たな波のトランス/ポスト・クラブ文化の代表的なユニットとして認知されつつあることを示している。彼らは懐古的なトランス復興主義を単なる感傷的リサイクルとして明確に否定している。彼らの名称が「きもち」(感情)を強調していることで、情動・雰囲気・感情的な分散体験を意図的に目指しているように思える。
現代社会は新しい記憶の時代に入っている。かつて記憶は人間の脳に制約されていた。忘却は自然であり、むしろ必要だった。今や外部アーカイブとAIが永続的な痕跡の世界を創出するなか、プライバシーを含む個人のアイデンティティは編集行為となった。よって記憶の時代のプライバシーとは、何を保持し、何を表出し、何を抑制するかを選別する表現行為へと変容しているのである。
2023年12月に東京で開催されたBoiler Roomでの「みんなのきもち」のDJプレイ動画。2026年8月6日時点で、366万回再生を記録している
現代に生きることは
記憶との関係を編集することである
人間が「自らを記憶する」ことは、私的な回想ではなく、感情的な共有地を追認することである。ソーシャルメディア、共同プレイリスト、ミーム文化、DJセット動画は、事実の記録よりも感情や気分、雰囲気が力強く循環する共有された感情的アーカイブを生み出す。この意味で、現代の人間自身による記憶行為は、DJミックスのように機能し、選択的で、リズミカルで、感情に調律され、リアルタイムで共有されるのだ。
記憶はもはや内的でも制度的でもなく、デバイス、サーバー、AIモデルに分散し外部化している。AIはアーカイブを受動的な保存から能動的で再結合的な記憶へと変容させる。それは、単なる想起ではなく生成的な記憶である。情報過多の世界において、人間は事実だけでなく感情、共鳴、気分によって方向づけられる。これが感情的な創発性であり、この時代に生きることは、記憶との関係を編集することであり、単に想起や忘却ではなく、編集的アイデンティティを有することなのである。
当然、未曾有のリスクにも囲まれている。監視的記憶は、創造性を守るインフラが同時に追跡・評価・制御を行う。アルゴリズムによるフィルタリングが記憶と感情の多様性を減らし、経験を均質化、平坦化する恐れもある。忘れられる権利は、記憶文化において自由のための行為となる。
文字や印刷機の発明が「記憶」の意味を再定義したように、今やデジタル+AI記憶がそれを実行しており、初めて記憶そのものが媒体となる時代へ突入している。編集可能、リミックス可能、共有可能であり、解放と統制の緊張関係にある。これは単なる保存の問題ではなく、膨大な外部的・感情的・アルゴリズム的アーカイブと交わりながら、アイデンティティ・創造性・文化がどのように体験されるかに関わる。これは技術的変化を超えた、人類学的転換なのである。
集合的感情をナビゲートしつつ、自らの生きた経験の完全性を保つために、人間は記憶の編集者でありDJとなる必要がある。「みんなのきもち」のDJプレイでは、タコの触手のような4本の手が、DJミキサーを自在に操り、分散的な感覚知覚を自己組織化する。中央集権型旧世界からの分散自律ドロップアウトを経て、わたしたちは、タコのような触手を持つ無脊椎動物に近づいていくのだ。
2025年11月10日発行、プリント版『WORKSIGHT[ワークサイト]29号 アーカイブする? Archive?』より転載。
武邑光裕|Mitsuhiro Takemura メディア美学者。日本大学芸術学部、京都造形芸大学、東京大学大学院、札幌市立大学で教授職を歴任。1980年代よりメディア論を講じ、VRからインターネットの黎明期、現代のソーシャルメディアからAIにいたるまで、デジタル社会環境を研究。著書『記憶のゆくたて:デジタル・アーカイヴの文化経済』(東京大学出版会)で、第19回電気通信普及財団テレコム社会科学賞を受賞。2017年、Center for the Study of Digital Life(NYC)フェローに就任。著書に『プライバシー・パラドックス:データ監視社会と「わたし」の再発明』(黒鳥社)、『Outlying:僻遠の文化史』(rn press)ほか。
【WORKSIGHT SURVEY #79】
Q:記憶の編集が必要な場は増えていると感じる?
記憶のアーカイブ化が進むなか、わたしたちは記憶を単に想起するだけでなく編集する必要があると、記事内では述べられていました。みなさんは、実生活のなかで記憶の編集が必要な場が増えていると感じますか?それはどういった場面ですか?
【WORKSIGHT SURVEY #76】アンケート結果
みんなのお金をひとりが総取り?:琉球で受け継ぐ贈与の循環「模合」 【WORKSIGHT ARCHIVES#15】(7月23日配信)
Q:「贈与」で成り立つお金のやりとりは、身の回りのコミュニティの維持に役立つと思う?
【はい】コミュニティを維持するという事そのものが何らかの贈与の関係だから、お金のやり取りもあり得るし役立つと思う。
【はい】私の母親も、昭和の終わる頃まで、知人(女性)たちと、「無尽」と称して、同様の集まりを催していた。この仕組みは、コミュニティの維持と、「将来の時間を先取りした、母親という女性たちの投資(へそくり)」となっていて、ある種の「自立」にもなっていたのではないかと思う。
【はい】私自身は馴染みはないですが、強固なコミュニティの形成には役立つ仕組みだと思います。法的な社会が始まる前の相互扶助的良き関係性を感じます。
『WORKSIGHT[ワークサイト]29号 アーカイブする? Archive?』
photograph by Hironori Kim
Cover Illustration by Ryu Okubo
データがあふれる時代に、わたしたちは何を未来に伝えるべきなのか。今号では、謎多き個人アーカイブ「Archive of Modern Conflict」や「コクヨの生活社史」プロジェクトの営みをはじめ、企業アーカイブの現在地、“人と知が出会う風景”としての図書館設計、さらには円城塔、ティム・インゴルド、今日マチ子らが語る「アーカイブの哲学」など、「なぜ残すのか」という問いを起点に記録と記憶の関係を見つめ直す。
【目次】
◉アーカイブ・オブ・モダン・コンフリクト
矛盾と混沌の実験室
◉巻頭言 記憶のマネジメント
文=山下正太郎(WORKSIGHT編集長)
◉社員の人生は社史になるか
岸政彦と語る、コクヨ「生活社史」という試み
◉企業アーカイブの現在地
仕事は流れ、そしてとどまる
ヤマハ/川島織物セルコン/ポーラ文化研究所
◉21世紀の図書館のかたち
スノヘッタ・人と知が出会う風景
◉アーカイブの哲学
円城塔/ティム・インゴルド/今日マチ子/小原一真/藤井保文
◉独占か共有か、それが問題だ
情報学者・山田奨治と考えるデジタルアーカイブ
◉ブックリスト
アーカイブのアーカイブ
◉記憶の時代と感情の共有地
文=武邑光裕
【書籍情報】
書名:『WORKSIGHT[ワークサイト]29号 アーカイブする? Archive?』
編集:WORKSIGHT編集部(ヨコク研究所+黒鳥社)
ISBN:978-4-7615-0937-8
アートディレクション:藤田裕美(FUJITA LLC)
発行日:2025年11月10日(月)
発行:コクヨ株式会社
発売:株式会社学芸出版社
判型:A5変型/128頁
定価:1800円+税








