台所から始まった革命:女性参政権運動を推し進めた「サフラジスト」たちのレシピ
「母親の選挙ケーキ」に「反逆者のスープ」──19世紀、女性の権利を求める戦いに挑んだサフラジストは、自身の声を社会に届けるためのメディアとして料理本を編み上げた。伝統的な女性の役割を戦略的に活用しながら、社会的偏見やステレオタイプに対抗した彼女たちの活動の軌跡を、そのレシピとともに振り返る。
1911年のロンドン、サフラジストたちの行進。Photo by © Hulton-Deutsch Collection/CORBIS/Corbis via Getty Images
来る5月15日に刊行されるプリント版『WORKSIGHT[ワークサイト]23号 料理と場所 Plates & Places』。〈料理×場所〉を切り口とした23のエッセイと、国や時空を超えて料理の世界を旅する33冊のブックリストからなる最新号だ。
今回は本誌の冒頭を飾る、WORKSIGHT編集長・山下正太郎によるエッセイ「サフラジストの台所」を、発売に先駆けて特別公開する。
女性の参政権の獲得を目指し、19世紀後半から20世紀初頭にかけてロビー活動やデモなど多岐にわたる運動を展開した「サフラジスト」。彼女たちの革命は台所から始まり、そこで生み出される料理本は変革のためのメディアとして活用された。1886年にアメリカで出版されたサフラジスト初のレシピブック『The Woman Suffrage Cook Book』など、実際に掲載されている料理を引き合いに、女性の社会進出に大きな影響をもたらしたサフラジストの活動を振り返る。
サフラジストの台所
料理|キャロライン・ケーキ/疑り深い夫に捧げるパイ
場所|台所(イギリス・アメリカ)
text by Shotaro Yamashita(WORKSIGHT)
photographs by Kaori Nishida
1912年イギリスで刊行、2020年復刻された『The Women’s Suffrage Cookery Book』(Aubrey Dowson・著、British Library Board)
キッチンは沈黙と暗闇に包まれた舞台のように、その日の始まりと終わりを告げる場である。しかし、歴史において、この静けさは一種の革命のうねりに他ならなかった。これは兵士も銃もない、異例の革命であった。キッチンは、社会的な変革を生み出すための地下活動の中心地となり、レシピはその革命の暗号となった。鍋とフライパンがマニフェストの隣に置かれ、サフラジストたちは自分たちの居場所から未来を編み直したのだ。
サフラジストとは、19世紀後半に始まる英米を中心に展開された女性の政治参加を求めた活動家たちに与えられた名称である。アメリカでは、1920年の憲法修正第19条の批准によって白人女性に、イギリスでは1928年に21歳以上の女性に投票権が付与されるまで、約50年その活動が続けられた。とりわけ自分の二人の娘、クリスタベルとシルビアと共に女性社会政治同盟(WSPU)を設立したエメリン・パンクハーストによる、デモ、投石、ハンガーストライキ、はては爆弾テロの攻撃的なアクティビズムはよく知られるところだ。イギリスでは、デイリーメール紙が彼女たち過激派を嘲笑するために、矮小化されたものを指す接尾語「-ette」をつけ、「サフラジェット」と呼んだ。
嘲笑的な世論や腰の重い政府にしびれを切らしたサフラジェットとは異なり、活動当初のサフラジストたちは、自らの権利を求める戦いのなかで、伝統的な女性の役割をむしろ戦略的に利用した。彼女たちは料理のレシピを変革のためのしたたかなメディアと捉えたのだ。サフラジストの起源はイギリスだが、最初のレシピブックは1886年にアメリカ・ボストンで出版された。その記念すべき1冊『The Woman Suffrage Cook Book』には、たった1文で終わってしまうオートミールのつくり方から、数時間は必要な手間のかかるクリスマスデザートまで、当時の家庭でつくられていた一般的なレシピが幅広く掲載されている。そのなかに「Mother’s Election Cake」(母親の選挙ケーキ)や「Rebel Soup」(反逆者のスープ)といった活動にちなんだものも見受けられる。そしてレシピ以外にも石鹸のつくり方やカビ掃除の仕方といった、主婦が日常的に行っていた家事に関するものも掲載された。
レシピの提供者の多くは、教師、演説家、医師、牧師、作家など、サフラジストやその活動を支持する有力者たちだ。これらの本は、当時、南北戦争後の戦争犠牲者や教会関連の資金集めのために出版されたチャリティ・レシピブックの流れをくむものであった。
なかでもアリス・バンカー・ストックハムが提供したレシピは、サフラジストたちの別の側面を見せる。アメリカで5人目の女性医師としての地位を確立した彼女は、性的抑圧と当時の社会的規範に挑戦する存在だった。反コルセットを掲げ、男女の自慰を健康的な行為として公に支持したストックハムが提案する「キャロライン・ケーキ」は、性的な欲望を抑えることを目的とした質素なグラハム・クラッカーとは正反対の方向性を示す。キャロラインという名前自体が、より柔らかい植物性の骨を使用し、女性たちに自由な動きを提供するコルセットのブランド名から取られていることは、レシピが単においしいケーキをつくるためだけでなく、女性の身体と性に対する新たな解釈を模索する試みであることを示唆している。
キャロライン・ケーキ
スイートミルク半カップ、リッチクリーム半カップ、砂糖1カップ、卵1個、グラハム粉2カップ、ベーキングパウダー小さじ1杯。2つの型で焼く。焼きあがったら鋭利なナイフで割り、コーンスターチかゼラチンでとろみをつけたラズベリーかイチゴのジュースを詰める。フィリングに炊いたカスタードを使うと、料理人がフレンチパイと呼ぶものができる。
(『The Woman Suffrage Cook Book』より)
レシピブックがフェミニズムを担うという考えに対して、疑念を抱かれるかもしれない。しかし、サフラジストたちにとって、これらのレシピブックは、料理指南書以上のものだった。伝統的に女性らしいとされる技術と知識を、能力と実用性の証しとして社会に示す手段であり、さらには彼女たちに対する社会的偏見とステレオタイプに対抗する戦略でもあった。彼女たちは、子育てや夫への食事提供そっちのけで政治活動に勤しむ「キッチン嫌い」の女性たちという、メディアや世論によって描かれたサフラジストの負のイメージに堂々と反論したのだった。おいしい料理と社会参加は決して対立しないと。
南北戦争の終結とともに、新たな政治体制のもとで、そして産業革命が社会の構造を変革するなかで、女性たちは自らの社会的役割を再定義し、自身の声を社会に届けるための新しい方法を模索した。当時、女性は自らの財産、教育、子ども、仕事、さらには自己の身体に関する決定権さえもてない状況にあった。レシピブックを通して、サフラジストたちはこのような抑圧から解放されることを求め、家庭という私的な空間から、政治的な影響力をもつべく公共の領域へと踏み出したのだった。
アメリカでは、『The Woman Suffrage Cook Book』が出た1886年から、女性に選挙権が認められた1920年までの間に少なくとも6冊のレシピブックが出版された。合衆国政府を擬人化したアンクル・サムが男女を天秤にかけているイラストが表紙に描かれた『The Suffrage Cook Book』(1915年)では、参政権運動に対する表現はより直接的で力強くなっている。「Hymen Bread」(処女膜パン)、「Parliament Gingerbread With apologies to the English Suffragists」(国会議事堂ジンジャーブレッド、英国サフラジストへの謝罪とともに)といったユニークなタイトルのレシピが含まれており、「Pie for a Suffragist’s Doubting Husband」(サフラジストの疑り深い夫に捧げるパイ)のような風刺的なレシピもある(文中の「上流階級(upper crusts)」は、上っ面とのダブルミーニングか)。
サフラジストの疑り深い夫に捧げるパイ
1クォートの牛乳 人間の優しさ
8つの理由:
戦争
白人の奴隷制度
児童労働
800万人の働く女性
悪路
有毒な水
不純な食品
パイの皮については、機転を利かせ、ベルベットの手袋をはめ、皮肉は言わずに、特に上流階級と混ぜる。上流階級は乱暴に扱うとすぐに酸っぱくなるので、細心の注意を払って扱わなければならない。
(『The Suffrage Cook Book』より)
(上)『The Suffragette Cookbook』(Kate Williams著、Hodder Studio)。2022年に刊行されたもの(オリジナルは1915年にアメリカで刊行)
サフラジストたちの運動は、しばしばその革新性と進歩性で賞賛されるが、その物語からは見過ごされた面も存在する。多くのサフラジストは、白人であり、教育を受け、経済的にも恵まれ、特権的な立場にあった。彼女たちが作成したレシピブックには、中流階級やそれ以上の階層でしか手に入らない特定の道具が登場することが多い。第一次世界大戦中の食料不足が小麦や乳製品の使用を制限したとき、彼女たちは黒人文化に根ざした南部の食材を用いたレシピを掲載したが、その背後にいる黒人女性たちへの配慮や、彼女たちが参政権を得ることへの言及はなかった。彼女たちが選挙権を実質的に手に入れるまでには、さらに40年かかった。
これまで、サフラジェットたちの燃えるようなアクティビズムが、しばしば女性参政権運動の象徴として語られてきた。その一方で、静かに、しかし着実に、レシピブックを編み上げたサフラジストたちの存在もまた、同じくらい重要な役割を担っていた。エメリン・パンクハーストが掲げた「ことばよりも行動を」というモットーは、彼女たち全員に共通する精神だったのだ。
100年以上の時が流れたが、男女平等のための戦いはまだ終わりを迎えていない。しかし、キッチンから始まったこの革命は、レシピというメディアを通して見過ごされがちな日常のなかに潜む力をわたしたちに思い出させ、未来への道を照らし続けている。
1910年頃、運動を共にしていた同志たちが逮捕・収監されたことに対する抗議。Photo by Hulton Archive/Getty Images
次週5月7日のニュースレターは、採集者・デザイナー・プリンターとして活躍する𠮷田勝信へのインタビューをお届けします。海や山での採集物からインクをつくり、現代社会に実装することを目的としたプロジェクト「Foraged Colors」。その活動の全貌に、WORKSIGHTコンテンツディレクターの若林恵が迫ります。お楽しみに!
【新刊案内】
書籍『WORKSIGHT[ワークサイト]23号 料理と場所 Plates & Places』
どんなにグローバリゼーションが進もうと、料理は「その時/その場所」でしか味わえない。どんなに世界が情報化されようと、「食べること」はバーチャル化できない。料理を味わうという体験は、いつだってローカルでフィジカルだ。歴史化されぬまま日々更新されていく「その時/その場所」の営みを、23の断章から掘り起こす。WORKSIGHT史上、最もお腹がすく特集。
◉エッセイ
#1「サフラジストの台所」山下正太郎
#2「縁側にて」関口涼子
#3「バーガー進化論」ジェイ・リー/ブルックス・ヘッドリー
#4「ハイジのスープ」イスクラ
#5「素晴らしき早餐」門司紀子
#6「トリパス公園の誘惑」岩間香純
#7「パレスチナ、大地の味」サミ・タミミ
#8「砂漠のワイルドスタイル」鷹鳥屋明
#9「ふたりの脱北者」周永河
#10「マニプールの豚」佐々木美佳
#11「ディストピアの味わい」The Water Museum
#12「塀の中の懲りないレシピ」シューリ・ング
#13「慎んで祖業を墜すことなかれ」矢代真也
#14「アジアンサイケ空想」Ardneks
#15「アメイジング・オリエンタル」Go Kurosawa
#16「旅のルーティン」合田真
#17「タコスと経営」溝渕由樹
#18「摩天楼ジャパレス戦記」佐久間裕美子
#19「石炭を舐める」吉田勝信
#20「パーシャとナレシュカ」小原一真
#21「エベレストのジャガイモ」古川不可知
#22「火光三昧の現場へ」野平宗弘
#23「収容所とただのピザ」今日マチ子
◉ブックガイド
料理本で旅する 未知の世界へと誘う33 冊のクックブック
◉表紙イラスト
今日マチ子
書名:『WORKSIGHT[ワークサイト]23号 料理と場所 Plates & Places』
編集:WORKSIGHT編集部(ヨコク研究所+黒鳥社)
ISBN:978-4-7615-0930-9
アートディレクション:藤田裕美
発行日:2024年5月15日(水)
発行:コクヨ
発売:学芸出版社
判型:A5変型/128頁
定価:1800円+税
【編集部からのお知らせ】
Photo by Hironori Kim
本のプロはWORKSIGHTをこう読む:全国の書店から届いた推薦コメントを紹介!
2022年7月のリニューアル以降、「自律協働社会のゆくえ」を考えるメディアとしてさまざまなテーマを取り上げてきたWORKSIGHT。年4回のペースで発行してきたプリント版『WORKSIGHT』は最新号で7冊目を迎えました。
このたび、プリント版を取り扱う書店からのメッセージが到着。”本のプロフェッショナル”である書店員は、WORKSIGHTをどう見ているのか。『WORKSIGHT』の取扱書店リストも同時掲載。最新号のご購入前にぜひご覧ください。
◉メッセージを寄せてくださった書店員の皆様
黒田義隆さん(ON READING)
安樂聡美さん(九大伊都 蔦屋書店)
山下貴史さん(京都大学生活協同組合 ショップルネ)
韓千帆さん(恵文社一乗寺店)
小村美遥さん(SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS本店)
井手ゆみこさん(ジュンク堂書店 池袋本店/人文書担当)
堀部篤史さん(誠光社)
岡田基生さん(代官山 蔦屋書店/人文コンシェルジュ)
篠田宏昭さん(増田書店)
奈良匠さん(まわりみち文庫)
神谷康宏さん(有隣堂 事業開発部 店舗開発課/誠品生活日本橋)