「おもしろいやん」の連鎖から生まれる公共性:バス停起点のフリーマガジンから見る地域メディアのリアル
創刊からまもなく14年目を迎える京都の地域密着メディア『ハンケイ500m』。毎号、あるバス停を起点に半径500mをくまなく歩き、地域の人びとや店などを紹介するフリーマガジンだ。京都というまちの特徴を反映し、情報の生産者と消費者の境界線を融解させながらメディアを持続させていくそのあり方について、創刊より編集長を務める円城新子さんにインタビューした。
京都市交通局が運行する、京都市営地下鉄の駅で配布されている『ハンケイ500m』
『ハンケイ500m』は、毎号京都にあるバス停をひとつ選び、そこから半径500mの円内をくまなく歩き、“まちの人”を発見して特集するフリーマガジンだ。誌面に登場するのは一般市民や地元企業で、読者もほとんどが地元民という地域密着型。創刊からまもなく14年目を迎え、2024年3月発売の最新号は78号目となる。KBS京都ラジオの番組「サウンド版ハンケイ500m」とも連動しているほか、大手企業や官公庁などとのコラボレーションも増えているという。
同誌を読んでいると、京都という地域に根ざしたネットワークがそこに可視化されているように感じる。そして今回、創刊から同誌編集長を務める円城新子さん、同誌に信頼を寄せる地元企業、配布に協力する京都市交通局といった関係者たちへのインタビューから見えてきたのは、フリーマガジンというメディアのなかで、情報の流通だけではなく人や行為そのものが行き来し、網の目を形成している様子だ。しかもそのあり方は京都という土地の固有性とも結びついている。
情報をとりまく状況が大きく変化するいまこそ、情報を扱うメディアの価値やそのあり方について、地域メディアの取り組みやビジネスモデルから考えてみたい。
text by Hanpen
edited by Shinya Yashiro(SYYS LLC)
photographs by Naohiro Kurashina
メディアの生産者は誰か
情報をとりまく状況は混迷を極めている。災害時にはデマや誤情報が拡散され、特に能登半島地震や台湾東部沖地震では、近年問題視されている「インプレゾンビ」(インプレッションを稼ぐ目的で大量の投稿を行うなど、スパム行為を行うアカウント)の投稿が救助情報のやりとりを妨害するという出来事が起きた。また、世界的な選挙イヤーである今年は、インターネット上のフェイクニュースなどによる「情報戦」が世界各地で警戒されている。
とはいえ、情報が社会を不安定化させるという出来事はいまに始まったことではない。1999年発行の『メディア都市・京都の誕生:近世ジャーナリズムと諷刺漫画』(雄山閣出版)のなかで、著者の今西一は「ともするば商業ジャーナリズムのメディアにふりまわされている時代にこそ、この民衆がメディアの生産者であった時代をふりかえることが大切である」と述べ、“情報革命の時代”である21世紀の到来を控え、明治前期の京都に目を向けた。
1875(明治8)年に新聞紙条例・讒謗律が公布され、政府による強力な言論統制が進められた当時、人びとはさまざまな結社を結成し、機関紙誌を発行するようになった。京都では“粋とユーモア”を共有していれば誰もが参加できた結社「ノンキ連」が、1879(明治12)年創刊の滑稽雑誌『我楽多珍報』を支えた。このような結社活動と新しいメディアを通じて言論的な「公共性」が開花し、新聞・雑誌の時代が生まれたと同時に、こうしたメディアが「〈地域〉を発信基地」としており「民衆がメディアの〈消費者〉ではなく、〈生産者〉であった」ことに、今西は言及している。
冒頭で紹介した通り、『ハンケイ500m』は地域からコンテンツを発信し、地域に根付いているメディアだ。取材では毎号、ひとつのバス停を起点に半径500m以内にあるものを紹介。和菓子屋にパン屋、蕎麦屋に寿司屋、そして自転車屋にいたるまで、さまざまな事業を営む人びとに生い立ちから話を聞き、独自の価値観やその背後にある歴史を発見していく。そうした取材を経て制作された雑誌は3万部がすぐに在庫切れしてしまうほど、地域の人びとに愛されてきた。
(上)フリーマガジン『ハンケイ500m』。一番左の最新号(vol.78)は市バスのバス停「上七軒」を特集。ロードバイク専門店「コセキ サイクリングセンター」、蕎麦屋「すさかべ庵」、カフェ「風とCOFFEE 喫茶カゼコ」、中華料理屋「糸仙」、染工房「染一平」を訪れている。(下)京都市交通局「令和4年度京都市交通事業白書」によると、同局が運営する市バスの停留所は714カ所におよぶ。路線が市内にきめ細かに張り巡らされた市バスは、京都を訪れる観光客だけでなく、市民の生活、産業、経済、文化などを支えてきた
バス停とそのまわりに住む“人”
毎号特集で取り上げられるのは、京都のまちで営みを続ける、いわば“普通の人たち”である。このような“人をフィーチャーする”というあり方はどのようにして生まれたのか。
創刊時より編集長を務める円城さんは、もともと関西にある出版社で企画営業・編集に携わっていた。その後、自分でフリーマガジンを発行するために起業。構想を練るなかで「足で稼いだ情報が掲載されている雑誌が世の中に見当たらない」と考え、『ハンケイ500m』が誕生するにいたった。雑誌名に含まれる“500m”は「自分が歩けると思った範囲」。起点となるバス停を選び、その周辺を歩き、「ピンときた」人に取材を実施する。
最新号で取り上げたロードバイク専門店「コセキ サイクリングセンター」は、1924年創業の老舗自転車屋。3代目を務める現店主は、子どもの頃に2代目の父からサイクリングの楽しさを教わり、その後はロードバイクのスピード感に惹かれ、クラブチームを結成するほどのめり込んだ。そのような背景もあり、老舗の自転車屋をロードバイク専門店へシフトチェンジ。お客さんが遠のく不安はなかったのかと円城さんが尋ねると、「苦しくなったら(自分の)給料を減らせばいい」と返ってきたという。現在、店には愛好家が集まり、彼らの自転車ライフをサポートするのが喜びで、経営について心配したことはないそうだ。
市バス「岩倉大鷺町」を特集したvol.71では、寿司屋「すし芳」を訪れた。海老天ぷらが2尾のった上等な天丼とうどんのセットを、880円という破格で提供している同店。その理由を尋ねると、返ってきたことばが「うち、持ち家やねん。家賃いらんから」。ただ、話を聞いていくと、長らく通ってくれている常連客をがっかりさせたくないという思いで、値段をほとんど変更することなく60年営業してきたのだという。
取材は驚きの連続だが、そのようなまちに生きる人びとのビビッドな考えに出会えることに、創刊から13年経ったいまも円城さんは大きな喜びを感じているのだという。
円城新子(えんじょう しんこ)|『ハンケイ500m』編集長、株式会社ユニオン・エー代表。京都市左京区生まれ。立命館大学を卒業後に出版社に務め、その後ユニオン・エーを起業し、『ハンケイ500m』を創刊する。現在は、KBS京都ラジオで『サウンド版ハンケイ500m』のパーソナリティも務める(写真提供:ユニオン・エー)
「エモくつながる」関係の構築
特集のあとは地域の企業が登場するページが続くが、最終的にはクライアントページが媒体にそぐうコンテンツとして成立するかが重要になるため、ときには出稿を希望する企業からの依頼を断ることも。しかし、そのような一貫した姿勢を貫き、雑誌のアイデンティティを打ち出してきたおかげか、多くの場合『ハンケイ500m』の価値観に合うような依頼がくるのだという。初期から出稿しているある自動車ディーラーの担当者は、まるで『ハンケイ500m』の編集部の一員かのように、こう語る。
「例えば、車のディーラーが車の広告を載せるのは普通じゃないですか。でもそれだと読み飛ばされてしまう可能性がある。それに、普通であればなかなかスポットライトが当たらないような人にもスポットライトを当てるという、『ハンケイ500m』の強みが活かされない。だから、一緒に社内のおもしろい人を紹介する連載をつくったこともあります。地域の企業にどんな人がいて、地域とどのように関わっているか、読者のみなさんにも見てほしいんです」
この担当者は、『ハンケイ500m』を「自分たちの広報担当」だと考え、さまざまな分野で協力してくれるという。なんなら編集部員よりも厳しい目でコンテンツを判断することも。そのように、忖度なしでともにコンテンツをつくり上げ、それを発信することが、企業のメリットにもなると信じていると話している。
また、オーダーメイドインソールを製造している靴屋「フットクリエイト」の櫻井寿美さん・一男さん夫妻は、『ハンケイ500m』だから出稿していると話す。これはバス停から半径500mを“歩く”という本誌との相性だけを背景としているのではない。
「ハンケイさんは、我々の仕事が外からどういう風に見えているのかを教えてくれはりました。自分たちは思いをもって仕事をやっているし、それを知ってほしいとも思うけど、どう伝えればいいのかわからなかった。ハンケイさんはユーザー目線で伝えてくれるので、それを見て来られるお客さんは、普通の広告を出していたときに来ていたお客さんとは違う。わたしたちがどういう靴屋かわかった上で来店してくれます。靴はいいから、まずは足を見てほしいって(笑)」
地域の人びとに対し、地域の企業が自分たちの取り組みをプレゼンテーションする方法を、メディアと一緒に考え、ともにつくり上げる。最近の読者アンケートでは、そのようにして完成した企業ページが「好きなページ」に挙がることもあるそうだ。
また、スポンサーの存在についても、円城さんは次のように話す。
「先にやりたいことがあって、それにはお金が要るという順番ですよね。つくり手がやりたいからやるのが大事。これはクライアントワークのページに限らず、掲載するコンテンツ全体に関して編集部の若いスタッフに意識してもらっていることなんです。自主制作映画と同じで、『自分がやりたい特集は、スポンサーを見つけてきたらやれるよ』と伝えています」
こうした媒体としての姿勢を踏まえると、地域の人や企業のページをめくるうちに、突如として現れる前衛的なミュージシャン・山本精一さんの連載ページにも合点がいく。聞けば、どうしてもこのページをつくりたかった編集部はスポンサー探しに奔走。その結果、扇子の老舗「宮脇賣扇庵」のオーナーが山本さんの大ファンだと判明し、スポンサーになることを快諾してくれたのだそうだ。記事を見せると毎回喜んでくれるそうで、クライアントとは「エモくつながってる」という。
副編集長の呉玲奈さんは、『ハンケイ500m』にこうした人びとが集まってくる理由として、「円城のまちに対する“おもしろがり方”によるところが大きい。すごく私見が入っているし、人気のお店ばかり取り上げるわけでもないけれど、それが共感を生んでいる」と分析する。実際に今回の取材では、円城さんや関係者の方々から「おもしろい」ということばが連発されることが印象的だった。『ハンケイ500m』のまわりには、同誌が長年にわたり築き上げ、共有してきた京都に関する価値観に共感する人びとが集まっているのだ。
(上)企業ページについて説明する円城さん。他の紙媒体では通常、広告掲載費が発生している記事広告ページは、読者に読み飛ばされてしまうことも多い。「お金をもらって制作しているページなのに」と違和感を覚えた円城さんは『ハンケイ500m』で、“コンテンツ制作費”という名目のもと挑戦を始めた。(下)山本精一さんが登場したライブのポスター。このイベントは『ハンケイ500m』が主催したものだ
始まりは「おもしろいやん」
『ハンケイ500m』の設置場所は公式ウェブサイトから確認できるほか、京都市営地下鉄の烏丸線・東西線全駅の改札口付近のラックにも設置されており、地域の人びとに届けるための重要なポイントとなっている。今回、現在は京都市の別部署の職員だが、以前は京都市交通局に勤め、『ハンケイ500m』のやりとりを担当していたという人物にも話を聞くことができた。
「市民の方に色々な路線のバスを利用してもらうため、京都市交通局でもさまざまな媒体をもっていますが、市営の交通事業を担う京都市交通局のつくるもの、平たく言えば“役所のつくっているもの”は誰にも批判されない無難なものになりがちという弱みがあります。そのようなものも必要ではあるのですが、ハンケイさんは自分たちの手が届かないところにも届けてくれて、自分たちにはできない強みがあると感じていました。大事にせなあかん媒体だなと」
いまでも心に残っているのはカレー屋「ムジャラ」の記事だ。スパイスカレーへのこだわりをギターのエフェクターの比喩で表現しているのを読み、自身はギター経験があるため理解できるものの、最初は「読者のなかでどれだけの人がこの話をわかるのだろう」と思ったという。だが、「斜め上だけど真面目な気質が伝わるからおもしろいし、こういう表現のほうが響く人もいるはずだ」と考えるようになった。
ここでも飛び出した「おもしろい」ということば。その感覚は個人的なものであることは間違いないが、円城さんは「自分たちが取り上げる“おもしろさ”にはある種の普遍性があり、わたしたちの好きなものを、みんなもいいと思うからこそ共感を得るのだろう」と話す。
誰にも批判されない無難なものだと“みんな”に届かない。一方で、個の感覚を起点にするからこそ“みんな”にたどり着く。このふたつの要素は“みんな”というものを扱う“公共性”について考える上でも示唆的だ。普遍性を備えた個の感覚が共感を生み、読者の地域に対する理解や自分とは違う感覚への気づきへと連鎖しているのだとすれば、そこにはある種の公共性が宿るのかもしれない。円城さんは最近になり「自分たちが続けてきたことがいまの時代とマッチしてきた」と感じるという。
「ここ3年くらいで強く思っているのは、みんなが幸せになるためには、多様な価値観があったほうが絶対にいいということ。わたしにはできないことを、イヤイヤでも脅されているわけでもなく、好きでやってはる人があまりにも多すぎる。それは、違う価値観をもっていらっしゃるからなんですよね。自分と違う価値観を、わたしはおもしろいと思う。そして、そのような価値観に出会う嬉しさとラッキーをみんなに伝えたい。もし『自分は人と全然違う』と思ってる人がいたら、『あなたの話を聞いてめちゃめちゃ幸せになる人がいるで!』と言いたいんです」
昨今あらゆる場所で取り上げられる“多様性の尊重”という概念を、円城さんは「おもしろい」ということばに集約する。その感覚は、地域の人からハンケイへ、ハンケイから読者やクライアントへと連鎖しているのだろう。
そのような結びつきを表すにあたって、バス停という切り口は実に秀逸なもののように思えてくる。京都市内の道路網は南北・東西に規則正しく直行していることから「碁盤の目」と称されることも多いが、バス停はそのようなまちの特徴を表すと同時に、その目のなかには多様な人びとや企業が存在し、彼らがフラットにつながっていることを示している。
「フリーマガジンの構想を練っていたときには、バス停ではないものを起点とするアイデアもありました。でも、最初にバス停起点でつくるということを思いついたとき、いろんなことが頭のなかでつながったのは事実です。コンビニチェーンの店舗や信用金庫の支店だと数が少なくてすぐ終わってしまうけれど、バス停は何百カ所もある。あと、例えば『祇園』『四条河原町・烏丸』など、エリアの名前を切り口に雑誌をつくることはよくありますが、それをバス停にすることで、先入観なくその場所の本当のところを捉えられると思いました」
結果としてバス停であったことが、ハンケイ500mの“公共性”を担保し、その信頼性を底から支えているようにも思える。
(上)地下鉄の駅に置かれた『ハンケイ500m』。配布日当日に「品切れ」になることもあるという。(下)『ハンケイ500m』の誌面。円城さんの「おもしろい」のセンサーが働く場所を訪れ、記事にする
筋が通れば人が集まる
さらに興味深いのは、“人をフィーチャーする”というあり方や「おもしろい」への一貫性が、かえって多元的な仕事の広がりにつながっていることだ。
『ハンケイ500m』のスピンオフである情報誌『おっちゃんとおばちゃん』は仕事について考えるフリーマガジンだ。給料・待遇だけではなく、年齢を重ねても仕事を「おもしろい」と感じたいという視点をもつ若者と、若者と出会いたい企業の接点づくりを目指して2015年に創刊された。2020年にはウェブサイトでの発信を強化し、業種×勤務地で検索するいわゆる大手就活サイトとは異なる価値観で、足元を大切にしながら働くことを考えてきた。
他にも、ラジオとの連動、大手企業や官公庁とのコラボレーション案件も増加。最近では若いスタッフの提案で、新しいスタイルの就活イベントも行った。
そのような仕事の広がりについて円城さんは、自分たちの足で取材をしてつながりが増えたことで、できることや情報のストックが増え、企画の幅が広がったからだと説明する。機能性や課題解決よりも、人そのものをフィーチャーする“人起点”の発想をつづけてきたことで、まわりの人びとから「あんた、これもできるんちゃう?」と尋ねられるなど、自然と広がりが発生していったのだ。
「自分たちが何屋かわからなくなりますよね(笑)。でも、ハンケイのビジネスモデルは、この雑誌を儲からせることじゃないんやなって、いまごろになってわかってきました。ただ実直におもしろくなるようにだけ考える。この雑誌だけで利益は増えないけれど、ハンケイを出している会社に仕事を頼みたいという話はどんどん増えています。スピーディーに極端な右肩上がりを目指すようなやり方だったら、そうはなっていなかったかもしれないですね」
クライアントが『ハンケイ500m』のラジオに出演するかと思えば、クライアント主催のスポーツ大会に編集部のスタッフが出場することも。また、連載を担当するスタッフの家族全員が、クライアントであるお店の商品のお世話になっているということもある。その行為に仕事と生活の境界線を引くことは難しく、雑誌を核にして人びとが行き交い、それぞれの仕事でそれぞれを支え合っている。
いま、地域のメディアの生産者になるということは、つまるところ、そのような行為の“目”のなかに飛び込むことであり、そこでは生産のプロセスと消費のプロセスが溶け合っていくことになるのかもしれない。
小説家・安岡章太郎は随想集『でこぼこの名月』(世界文化社)のなかで、京都についてこのように指摘している。
京都の町が落ち着いているのは、日本には珍しく減価償却を終わって遺産で食べている都市だからであろう。(中略)何でもない喫茶店や食いもの屋に入っても、建物や土地の償却をとっくの昔にすませているせいで、客の尻をセキ立てるようなことがないのは、他の大都市にはない特色だ。
そして、これを引用するかたちで、冒頭で紹介した『メディア都市・京都の誕生』で著者の今西は、京都を「ぜいたくさを肯定している町」と表現する。この「ぜいたくさ」の肯定とは、「おもしろい」を求める『ハンケイ500m』のまわりの人たちにも通じるものがあるかもしれない。円城さんによれば同誌のあり方は、京都には小商いが多いことも関係しているかもしれないという。
「小さい売上でもいいから、一般的な価値観とは違うものを求めてずっとやってる人が多いと思うんですよ。何百年も上場しないで同じ商いを続ける会社がごろごろあるじゃないですか。経済的にスタンダードな考え方とされるものが、いい意味で欠落している部分がある。そういう世の中の常識とは違う考え方が根付いているところがあるのが京都なんですよね」
一見して非合理的にも思えるそのあり方は、地域の人びとがつながる価値や、「おもしろい」という個人の感覚がもつ価値を肯定してくれるように思える。
円城さんは「人にこだわる雑誌だからこそ、もし変なことしたらみんなすぐ離れていくと思います」と話し、一度でも関わった人たちからは“見られている”ことを意識しているという。その意味では、関係者が『ハンケイ500m』を自分たちの媒体だと思っているのはあながち誇張とも言えない。人をフィーチャーする雑誌は、まちの人たち自身がつくるメディアでもあるのだ。
(上)『ハンケイ500m』からスピンオフした『おっちゃんとおばちゃん』。日本タウン誌・フリーペーパー大賞2015では新創刊部門優秀賞を受賞した。(下)『ハンケイ500m』は地域のカフェなどでも配布している。設置場所は京都市内で広がり続けている
次週4月30日のニュースレターは、5月15日刊行の『WORKSIGHT[ワークサイト]23号 料理と場所 Plates & Places』の情報をいち早くお届け。ラジカルなまでにローカルで、多元的で、分散的な「食」の世界を、料理×場所という切り口で探究する最新刊。お楽しみに!