2023年9月29日、ネバダ州ラスベガスでグランドオープンした「Sphere」のライトアップの様子。Photo by Ethan Miller/Getty Images
text by Shotaro Yamashita(WORKSIGHT)
“虚構”の2023年を経て
空港から自国のアプリで白タクを呼ぶ。乗り付けるのは、外国資本のレンタル着物店で、いかにもチープな着物とスニーカーで街を闊歩する。店先にはスタジオジブリのキャラクターとなぜか酒樽が置かれ、赤富士をバックに記念撮影に勤しむ。疲れた身体を休めるのは外国人のオーナーがプロデュースするきらびやかな桃山文化と静謐な禅がマッシュアップされた民泊だ。一連の行動はデジタルアプリによってシームレスに管理され、SNSで発信されるおびただしいビジュアルによってオリエンタルな日本のイメージが強化されていく。物理的には同じ都市空間にいたとしても、彼ら/彼女らはわたしとまったく異なるパラレルなデジタルワールドに存在していた。東京から故郷・京都へ十数年ぶりに居を移し、マルチバースということばを感じずにはいられないこうした日々を過ごしている。
イメージを演じる観光地、ChatGPT をはじめとする生成AI、イスラエル・ハマスによるフェイクニュース戦争、推し文化、イマーシブなエンターテインメント空間など、2023年は「虚構」を強く感じさせる実におぼつかない1年であった。第三者的な視点からリアリティを求めることではなく、自らにとって意味のあるものだと感じられるポスト・トゥルース的な価値観が社会の骨の髄まで染みわたっている。かつてはリアリティを求めないことに幾ばくかの逡巡はあったが、フェイクにフェイクを重ねることで、自分だけの高みへと昇りつめていくことに何のためらいもない時代が到来している(NHK 紅白歌合戦におけるYOASOBIのステージは正にそのハイライトのひとつだった)。
虚像をめぐって信仰が孤独を助長するのか、孤独が信仰へと向かわせるのか、おそらくその両方が社会的に進んでいる様は、信仰のあるべき姿を教会が規定する時代から、信仰が個人化されていく中世の宗教改革の時代への変化にも似ているのかもしれない。西洋、日本とも中世においては、王政などの絶対的権力を元にした中央集権の統治だった時代から、権力機構が地方に分かれていき、封建制と固定化された身分制が特徴となっていく。土地を治める封建領主は、農民や領民に対して保護と安全を提供し、代わりに忠誠と労働を要求した。中世化するマルチバース時代においては、わたしはとある領土からやってきたデジタル農奴たちと日々会っているということになる。
世界の中世化、そして資本主義社会と虚構の関係について、早くから指摘していたのは、小説家で記号論者であるウンベルト・エーコだ。1973年に新聞などに掲載されたコラムをまとめた『Il costume di casa』(英訳版:1986年『Faith in Fakes』/1986年『Travels in Hyperreality』に改題)では、蝋人形館、ディズニーワールド、スーパーマン、ホログラフィー、映画、スポーツ、ジーンズなど主にアメリカ文化においてなぜ本物に似せた「ハイパーリアリティ」が立ち現れるのか、多様なテーマについて論じている。
教養あるヨーロッパ人やヨーロッパかぶれのアメリカ人は、アメリカはガラスとスチールの摩天楼と抽象表現主義の故郷だと思っている。しかし、アメリカは1938年から存在する超人的なコミックヒーロー、スーパーマンの故郷でもある。スーパーマンは時折、一人きりで思い出に浸りたいという欲求に駆られ、巨大な鋼鉄の扉に守られた岩の中心部に「孤独の要塞」がある、立ち入ることのできない山脈へと飛び立つ。 スーパーマンはここに、自分自身の完全な忠実コピーであり、電子技術の奇跡であるロボットを保管し、ユビキタスに対する許しがたい欲求を満たすために、時折世界に送り出す。彼らは、歯車とビープ音だけの機械人間ではなく、皮膚、声、動き、意思決定能力を備えた人間の完璧な「コピー」なのだ。スーパーマンにとって要塞は記憶の博物館である──彼の冒険的な人生で起こったことはすべて、ここに完璧なコピーで記録されるか、オリジナルの小型化された形で保存される。こうして彼は、惑星クリプトンの破壊から生き延びた都市カンドールを、大叔母のビクトリア朝応接室でおなじみのガラスの鐘の下に保管している。ここには、縮小されたカンドールの建物、高速道路、男性、女性がある。スーパーマンが過去の思い出の品々を大切に保存しているのは、ドイツのバロック文明で頻繁に見られる驚異の部屋(ヴンダーカンマー)を思い起こさせる。
エーコは1960~70年代のアメリカを旅するなかで、本物と等価なものとして偽物で埋め尽くされた、数多くの「孤独の要塞」を目にすることとなる。今日の消費社会の状況とはいささか異なるものの、マルチバース化された個々の満たされない欲求は、無限の虚像をつくり上げ、自身の信仰に篭るメカニズムとして十分に理解されうるものだろう。
わたしたちは、アメリカの広告に浸透している2つの典型的なスローガンによって、このスローガンを特定することができる。ひとつは、コカ・コーラ社で広く使われているが、日常会話でも誇張表現として頻繁に使われる「本物」(The Real Thing)であり、もうひとつは、印刷物やテレビで見聞きする「もっと」(more)──「余分な」(extra)という意味で──である。アナウンサーは、例えば「番組は続きます」とは言わず、"まだまだ続きます "と言う。アメリカでは「コーヒーをもう一杯」とは言わず、「コーヒーをもっと」と頼む。タバコAはタバコBより長いとは言わず、「もっと」あるのだと言うのだ。(中略)アメリカ人の想像力が本物を求め、それを達成するためには絶対的な偽物を作り出さなければならない。ゲームとイリュージョンの境界が曖昧になり、美術館が見世物小屋に汚染され、虚偽が「満ち足りた」ホラー・ヴァキュイ(空間畏怖)の状況で楽しまれる。
(上)東急新宿歌舞伎町タワー。オフィス、ホテル、レストラン、映画館、ライブハウス、フードホールなどが入った商業ビル。エンターテインメントフードホールを標榜する「新宿カブキhall~歌舞伎横丁」は、祭りをテーマにK-POPのMVが流れるなか、日本各地の食が楽しめる。(下)ラスベガスに誕生したイマーシブ空間「Sphere」。直径111メートルの球形で、外壁は4K、内部は16Kの世界最大かつ世界最高画質のLEDスクリーンが設置されている。また、どの席でもまったく遜色ないクオリティのサウンドが体験できるHOLOPLOTが採用されている。U2がこけら落とし公演を行った
新たな植民地主義への批判
西側諸国の求心力が低下するなか、BRICsが台頭し、2024年はアメリカ大統領選、台湾総統選など国際情勢に大きな影響を及ぼすイベントが数多く控えている。いままで以上に分権的な社会、つまり各々の社会や個人の信仰が力をもつ時代に、何をもって世界は救われていくのだろうか。
WORKSIGHTでは、イーロン・マスクの自伝の書評のなかで、新たな優性思想を掲げる「テスクリアル(TESCREAL)」を否定的な事例として紹介した。テスクリアルとはトランスヒューマニズム、エクストロピアニズム、シンギュラリタリアニズム、宇宙主義、合理主義、効果的利他主義、長期主義という、シリコンバレーのテクノロジストを中心に同時に語られることの多いイデオロギーの頭文字を取ったことばだ。気候変動、核戦争、隕石の衝突などによって人類がその存在を脅かされる「実存的リスク(Existential Risk)」を避けることを目指す。過熱する民間による宇宙開発はこうした思想の表れである。彼らにとってみれば、今日明日の災害で失われる命は取るに足らない些細なことであり、自分が救うべき対象にはならない。今日の諸問題の加害者である大富豪を世界を救うヒーローへと転換するロジックとして、テクノユートピア主義や選民思想に駆られた人たちが、生成AIなどの虚構をめぐる破壊的テクノロジーの手綱を握っている。
テスクリアル主義者たちの時空を超えた外部を生み出し、そこに活路を見いだす思想は新しい植民地主義とも言えるだろう。もっと現代社会と正面から向き合う方法はないのだろうか。昨年、手に取ったテジュ・コール『オープン・シティ』(新潮クレスト・ブックス)は、楽観的とは言え、わたしたちに手近なヒントを与えてくれる。本書は著者自身の人生が重ねられるかたちで、ニューヨークで暮らすナイジェリア系ドイツ人移民で精神科医のジュリアスの人生を描いている。ジュリアスは街のあちこちをさまよい歩き、さまざまな人びとを観察し、彼らとの交流を通じて、人種、アイデンティティ、歴史、文化的帰属といったテーマについて内省し続ける。顔見知り程度のアパートの隣人、電車に乗り合せた人、マラソンランナー、バーで出会った人、ハイチ人の靴磨き職人、窓から見える鳥たちなど、登場するのは、基本的に自分にとって何の利害関係もない、しかし社会を構成する他者である。都市に埋め込まれた重層的な物語は、パリンプセスト(上書きされた羊皮紙の写本)にたとえられ、誰しもが何かと関連し合い、大きな因果のなかで生活している現代のわたしたちに少しばかりの安心と誰かと話したくなる衝動を与えてくれるのだ。
ちなみに、著者であるテジュ・コールは、2012年に「The White-Savior Industrial Complex(白人救世主産業複合体)」という概念を提示しており、高みから世界を救おうとする白人たちが現代社会における巨大な構造体となっていることを批判している。元来、有色人種の危機を白人が救うといった映画をはじめとした表象から、白人セレブによるアフリカなどへの支援活動に至るまで、「White Savior(白人の救世主)」ということばで批判的に言及されることがあった。一方、我こそが世界を救うものだと信じ込む心理は「Messiah Complex(もしくはSavior Complex:救世主コンプレックス)」と呼ばれており、おそらくテジュ・コールはこれらをかけ合わせながら、「ゴールドマンサックスから(中略)TEDに至る」ような、アメリカで急成長している白人救世主産業複合体を批判したと思われる。実際に彼がこの発言をするに至った文脈、並びにその内容はもう少し入り組んではいるのだが、いずれにせよテスクリアルをはじめとする現在のテック思想の支持者たちをも含めて批判的に検討しうる、そうした意味をいまもなおもち続けている。
現代人よ、遊戯せよ
明るい話題をもうひとつ。昨年、最も希望を感じさせてくれたのは、デヴィッド・グレーバーとしては遺作となった考古学者デヴィッド・ウェングロウとの共著『万物の黎明:人類史を根本からくつがえす』(光文社)であった。本書は最新の考古学、人類学などの知見を総動員して人類に対するこれまでの通説を覆す。つまりそれはホッブズが提示した人間は元来、野蛮かつ利己的な存在であること、またルソーが言う無垢な平等主義的原初状態から社会が構成されることで不平等へと転落したといったという類いのものだ。18世紀以降、こうした言説が強く支持されてきたことで、内的・外的な統制を高め、現実を上手くやりくりするしかないという考えの権力者に都合良く利用されてきたのである。本書が指し示すのは、人類は元から動物的でも利己的でもなく、実にヒューマニティにあふれ、協力的で、階層のない豊かな社会を構成してきたのだということである。しかもそれは遊び心に満ちた柔軟な試行錯誤のもとで生まれてきたという遊戯史観が提示される。加えて、社会変化の要因としての技術決定論や(ほとんどが男性だと想定される)特定の人物がイノベーションを実現するというイノベーター神話も退ける。
わたしたちが朝食をとるたびに、何十もの新石器時代の発明の恩恵を受けていることだってありうる。酵母とわたしたちが呼んでいる微生物をくわえることでパンを膨らませることを最初に考えたのはだれだったのだろう? それはわからない。だが、それが女性であること、現在のヨーロッパ諸国に移住しようとしても「白人」とはみなされない可能性が高いことは、ほぼまちがいない。彼女の功績が、いまだに何十億もの人びとの生活を豊かにしつづけていることもまちがいない。そのような発見が、やはり何世紀にもわたって蓄積された知識と実験にもとづいていたということもわかっている──農耕の基本的原理がだれかが体系的に応用するずっと前から知られていたことを想起してみよう──し、そのような実験の結果は、しばしば儀礼やゲーム、あるいは遊戯の形態を通して(あるいは、それ以上に、儀礼やゲーム、遊戯のはざまで)保存され、伝えられてきたのである。
翻って、現代人がいかに不自由な社会をつくり、その試行錯誤を止めてしまっているのかを痛烈に突きつける。それでもなお、デジタルテクノロジーが現代人にとって社会形態を変える起爆剤足りえるのだとするならば、その可能性の中心は、決して虚像に逃げ込むのではなく、わたしたちの社会を遊戯的にシミュレーションし続けることにあるのではないか。わたしが京都で出会っている観光客は、ひょっとするとデジタル農奴などではなく、知的な生活創造者なのかもしれないのだ。
WORKSIGHTでは、これまで、植物、ゾンビ、ノート、記憶、詩、など、自分とは異なる存在=他者性とどう折り合いをつけていくかについて、折に触れて論じてきた。虚構へのあくなき探求、テスクリアル主義者たちの時空を超えた優性思想など、わたしたちの社会は「外側」をつくり出すことで、未来への解を得ようとしてる。しかし、自律協働社会を目指す本誌が希求するものは、常に「内側」からでありたいのだ。
次回1月16日はダグラス・ラシュコフの特別インタビューをお送りします。昨年初来日を果たしたアメリカの鬼才テック・シンカー、ダグラス・ラシュコフ。12月5日に行われたトークセッション前に、WORKSIGHTコンテンツ・ディレクター若林恵が行ったインタビューを特別配信。お楽しみに。
【第3期 外部編集員募集のお知らせ】
WORKSIGHTでは2024年度の外部編集員を募集しています。当メディアのビジョンである「自律協働社会」を考える上で、重要な指針となりうるテーマやキーワードについて、ニュースレターなどさまざまなコンテンツを通じて一緒に探求していきませんか。ご応募お待ちしております。
募集人数:若干名
活動内容:企画立案、取材、記事執筆、オンライン編集会議(毎週月曜夜)への参加など
活動期間
第3期 外部編集員:2024年4月〜2025年3月(予定)
通年の活動ではなく、スポットでの参加も可
募集締切:定員になり次第締め切ります。
応募方法:下記よりご応募ください。
【イベントのご案内】
トークイベント「詩人チン・ウニョンに聞く『セウォル号事件の悲しみは詩で癒せるか?』」
『WORKSIGHT[ワークサイト]21号 詩のことば Words of Poetry』の関連イベントとして、韓国現代詩シーンの第一人者チン・ウニョンさんをゲストに迎えるトークイベントを1月18日(木)に開催いたします。
本イベントでは、多くの韓国語書籍の翻訳を手がける翻訳家の吉川凪さんとWORKSIGHTシニア・エディターの宮田文久をモデレーターに、韓国のチン・ウニョンさんにオンラインでお話を伺います。
前半では『WORKSIGHT 21号』に掲載したチン・ウニョンさんのインタビュー記事を紐解きながら、詩と社会の関係性や「文学カウンセリング」についてお話を聞き、後半では参加者のみなさんとのQ&Aセッションを実施する予定です。韓国のベストセラー詩人にお話を伺える特別な機会。奮ってのご参加をお待ちしています。
【イベント概要】
■日時:
2024年1月18日(木)19:00〜20:30
■会場:
オンラインのみ
■出演:
チン・ウニョン(詩人)
吉川凪(翻訳家)
宮田文久(編集者/WORKSIGHTシニア・エディター)
■チケット(税込価格):
①オンライン参加チケット:1,650円
②オンライン参加+書籍付チケット:3,830円