本日発売!『WORKSIGHT 18号 われらゾンビ We Zombies』より編集長による巻頭言「ゾンビのすゝめ」をお届けします
ゾンビは現代社会にも蔓延している?ゾンビとは「自己搾取」であり「人間拡張」であり「末人」であり「人間性の鏡」であり、そして「近代の遺留物」である。山下編集長が5冊の書籍をガイドにさぐる、現代社会とゾンビの接続点とは──
ついに本日1月31日、『WORKSIGHT 18号 われらゾンビ We Zombies』が全国書店で発売となりました。本日のニュースレターでは、本誌よりWORKSIGHT編集長・山下正太郎による巻頭言「ゾンビのすゝめ」を特別転載。ゾンビはわたしたちに何を語りかけるのか。いまなぜ、ゾンビから現代社会を考えるのか。書籍をお手に取る前に、ぜひご一読ください。
巻頭言・われらゾンビ
ゾンビのすゝめ
Text by Shotaro Yamashita
Photographs by Hironori Kim
ゾンビになって早17年目になる。系統としては朝夕きっちり時間を合わせて発生するところなど、韓国ドラマ『キングダム』のそれと近しい種族なのかもしれない。いっぱしのゾンビになるのも実は簡単ではない。はじめこそ戸惑いはあったものの、個性を押し殺し、耳を澄ませ、周囲の流れに身を任せて行進できるようになると案外に心地よく、五感を通じたシンクロニシティは快感だったりもする。あるTwitterの投稿は、その状態をこう語る。
日本有数のオフィス街にあまたのサラリーパーソンを送り込む品川駅のコンコースは、BBCはじめ国内外のメディアが日本社会のある種の縮図としてその光景をファインダーに収め、SNSを通じて一般市民から批判やねぎらいのことばが届けられる。コンコースを真上から見下ろすサードウェーブ系コーヒーチェーンは、東京のちょっとした趣味の悪い観光名所にもなっている。こうした日常に現れるゾンビ以外にも、映画やドラマはもちろんゾンビウォークと呼ばれるチャリティやデモを目的とした行進が世界各地で行われているのはご存じの通りだ。
(われら)ゾンビは、その出自から、すこし複雑な経路をたどっている。元はコンゴの精霊信仰の神「ンザンビ(Nzambi)」が語源であり、コンゴから連れられた奴隷たちによってハイチでヴードゥー教におけるゾンビ伝説となった。この伝説が、映画というメディアの自由な解釈によって拡散され、誰もが知る存在となった。1968年の金字塔『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』の監督ジョージ・A・ロメロがゾンビ映画を撮り始めた理由のひとつが、化粧と動きだけで安価に誰でもゾンビになれるというインクルーシビティにあったということからも、すでにこの空前のブームは約束されていたのかもしれない。いったい現代社会はゾンビに何を見いだしているのだろうか?
ゾンビに囲まれる映画監督のジョージ・A・ロメロ。 不朽の名作『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』で現代ゾンビ映画の定式を確立したロメロは、ゾンビを通してアメリカの恐怖と絶望に正面から対峙した。ゾンビ映画の見方が変わる必読の論考「死の報い:ジョージ・A・ロメロとアメリカの悪夢」(特集『われらゾンビ We Zombies』収録)の誌面より。
ゾンビとは「自己搾取」である
能力社会のホモ・サケルたちの生は、生きた屍のようである。彼らは死ぬためにはあまりにも生き生きとしており、生きるためにはあまりにも死んでいるようなのである。
韓国生まれでドイツを拠点とする哲学者ビョンチョル・ハン『疲労社会』にこんな記述がある。ハンによれば、現代にまん延している真の病とはウイルスではなく、うつ病や燃え尽き症候群といった自らを蝕む精神疾患だという。フーコーが分析した、「能力社会」が到来するまでの「規律社会」では、人びとは「~をしてはならない」という否定性によって統治され、従順な主体として振る舞うよう管理されていた。一方、新自由主義以降の「能力社会」では、「~できる」という肯定性によって際限なき自主性を求められ、最終的に自らを搾取することになるのだ。
皮肉にもパンデミックでWFA(Work From Anywhere)が浸透し、雇用主の要請にもかかわらずオフィスに戻ろうとしない労働者たちは、日々の働きぶりを自ら見えないようにし、いっそう自分は有能であると証明し続けなければならず、ゾンビへの道をまい進しようとしているようにも見えるのである。
ゾンビとは「人間拡張」である
おそらく初の邦訳であろう本誌に掲載している「ゾンビ宣言」は、身体拡張によって女性解放を訴える科学史家ダナ・ハラウェイの「サイボーグ・フェミニズム」に端を発したものだ。生きているのか死んでいるのか、どこまでがオリジナルな身体でどこからが寄生されたものなのか、そしてボーンブレイクで表現される奇抜な身体表現などゾンビというメディアが発するメッセージの数々は、わたしたちの考える人間らしさの境界を揺さぶり、最終的にはポストヒューマンへの視座を提供する。
WORKSIGHT 18号 特集『われらゾンビ We Zombies』では、サラ・ジュリエット・ラウロとカレン・エンブリーの「ゾンビ宣言」を美術家・谷本真理が本誌のために制作したオリジナル作品とともに掲載
サイバネティクスの父ノーバート・ウィーナーが書いた 『人間機械論』は、1950年代に早くも人間とテクノロジーを分けない新しい社会の在り方を時代に先駆けて提示している。ゾンビがもつ身体の拡張性、また個体ではなく群としてさまざまな周辺環境と呼応しながら生きるさまは、植物的でもあり機械的でもありサイバネティクスが示した世界を体現しているように思えるのである。
ゾンビとは「末人」である
マックス・ウェーバーは、資本主義が社会に浸透した理由を鮮やかに描いた主著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のなかで、すでに資本主義とゾンビの関係について触れているように読める。ウェーバーは資本主義の精神が浸透しきった社会の末路を「鋼鉄の檻(ゲホイゼ)」と表現しているのだ。ゲホイゼに陥るプロセスについては、経済学者・橋本努が『解読 ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』』のなかで5段階にまとめている。整理するとこうなる。
第1段階 人びとは魂の救済などを目標に自発的に実践する
第2段階 実践の過程で貨幣経済などの社会的ネットワークが形成される
第3段階 自発的な生活を続けるために、ネットワークによる生活パターンに耐える
第4段階 その過程で元々目指していた魂の救済などの目標は失われ、化石化したネットワークだけが残る
第5段階 化石化したネットワークのなかで飼いならされ、精神性を発揮できなくなる
そしてウェーバーはゲホイゼによって生まれる最後の人間像を、哲学者ニーチェが『ツァラトゥストラはかく語りき』で述べた「超人」の対極的な存在であり、多くの中流市民が陥る軽蔑すべき「末人」であるとして、その語を引用してこう表現する。
将来、この鋼鉄の〈檻〉に住むのは誰なのかを知る人はいない。そしてこの巨大な発展が終わるときには、まったく新しい預言者たちが登場するのか、それとも昔ながらの思想と理想が力強く復活するのかを知る人もいない。あるいはそのどちらでもなく、不自然きわまりない尊大さで飾った機械化された化石のようなものになってしまうのだろうか。最後の場合であれば、この文化の発展における「末人」たちにとっては、次の言葉が真理となるだろう。「精神のない専門家、魂のない享楽的な人間。この無にひとしい人は、自分が人間性のかつてない最高の段階に到達したのだと、自惚れるだろう」。
ありとあらゆるモノ・コトが新自由主義に浸食されつつあるいま、マーク・フィッシャーのかの名言「資本主義の終わりより、世界の終わりを想像するほうがたやすい」を引用せずとも、資本主義のあるべき姿を見いだす困難さを皆感じているはずだ。しかし少なくともこの見えないゲホイゼを自覚せよと、ゾンビはいつもわたしたちに語りかける貴重な存在なのだ。
ゾンビとは「人間性の鏡」である
哲学者トマス・ホッブズはかつて、人間は「自然状態」におかれると「万人の万人に対する闘争」が起こってしまい、それを解決するために国家権力として「リヴァイアサン」をつくり統治することになったと説いた。しかしゾンビ映画で強調される人間性は少し異なる。例えばゾンビ映画のパラダイム変化を告げた『28日後...』では、主人公ジムはモラルが崩壊した軍隊につかまりレイプされそうになる仲間を最後まで見捨てず、命がけで救い出す姿が描かれる。そしてこうしたヒューマニティあふれる世界はゾンビ映画だけではなく現実にも起こりうる。
災害は普段わたしたちを閉じ込めている塀の裂け目のようなもので、そこから洪水のように流れ込んでくるものは、とてつもなく破壊的、もしくは創造的だ。ヒエラルキーや公的機関はこのような状況に対処するには力不足で、危機において失敗するのはたいていこれらだ。反対に、成功するのは市民社会のほうで、人々は利他主義や相互扶助を感情的に表現するだけでなく、挑戦を受けて立ち、創造性や機知を駆使する。
レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』は、地震や災害など極限状態に置かれた際に、わたしたちが実に人間的な振る舞いができることを示してくれている。そしてむしろこうした人間性を押し込めている普段の状況こそ一種の災害ではないかとソルニットは指摘するのだ。ゾンビはインフラ、制度、文化などわたしたちの生活を維持する鎧をはぎ取り、人間を丸裸の状態にさせ、人間愛がどうあるべきかを問い続ける。
ゾンビとは「近代の遺留物」である
福沢諭吉は明治のはじめに『学問のすゝめ』で、家父長制や宗教に縛られた伝統的な社会と決別し、一人ひとりが個人として身を立てる近代社会の到来とその心構えについて高らかに宣言した。しかしそれから150年、歴史の随所で産み落とされたゾンビという存在は、ここまで見てきた通りその近代社会がまかないきれなかった遺留物であり可能性だと言えよう。その声なき“呻き声”に耳を傾けない限り、ゾンビは今日もどこか世界がひずむところで歩み続けるのである。
【参考文献】
・ビョンチョル・ハン『疲労社会』(花伝社)
・ノーバート・ウィーナー 『人間機械論:人間の人間的な利用(第2版)』(みすず書房)
・マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(日経BP)
・レベッカ・ソルニット『災害ユートピア:なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』(亜紀書房)
・福沢諭吉『学問のすゝめ』(岩波書店)
山下正太郎|Shotaro Yamashita 本誌編集長/コクヨ ヨコク研究所・ワークスタイル研究所 所長。2011 年『WORKSIGHT』創刊。同年、未来の働き方を考える研究機関「WORKSIGHT LAB.」(現ワークスタイル研究所)を立ち上げる。2019年より、京都工芸繊維大学 特任准教授を兼任。2022年、未来社会のオルタナティブを研究/実践するリサーチ&デザインラボ「ヨコク研究所」を設立。
『WORKSIGHT[ワークサイト]18号 われらゾンビ We Zombies』は、本日1月31日(火)に全国書店および各ECサイトで発売となりました。書籍の詳細は1月27日(金)配信の特別ニュースレターをご覧ください。
【目次】
◉巻頭言・ゾンビのすゝめ
文=山下正太郎(WORKSIGHT編集長)
◉ゾンビ宣言
高度資本主義の時代における非人間の状態
文=サラ・ジュリエット・ラウロ/カレン・エンブリー
翻訳=遠藤徹
◉ゾンビの学校
文=遠藤徹
◉ゾンビの世界史
◉死の報い
ジョージ・A・ロメロとアメリカの悪夢
文=ブライアン・エーレンプリース
◉新入社員、『奴隷会計』を読む
◉Kゾンビは右側通行しない
文=カン・ドック
翻訳=後藤哲也
◉韓国ゾンビになってみる
◉バスキアの絵がゾンビにしか見えない
文=若林恵
【書籍詳細】
書名:『WORKSIGHT[ワークサイト]18号 われらゾンビ We Zombies』
編集:WORKSIGHT編集部(ヨコク研究所+黒鳥社)
ISBN:978-4-7615-0923-1
アートディレクション:藤田裕美
発売日:2023年1月31日(火)
発行:コクヨ
発売:学芸出版社
判型:A5変型/128頁
定価:1800円+税
次週2月7日は、2022年に邦訳が刊行されたケイトリン・ローゼンタールの『奴隷会計:支配とマネジメント』を読んだ、大手日本企業の新入社員のインタビューを『WORKSIGHT 18号』より転載してお届けします。カリブ海のプランテーションにそのルーツを共有するゾンビと資本主義。奴隷制は過去の遺物なのか?それとも現代企業の中に巧みに温存されているのか?お楽しみに。
【WORKSIGHTのイベント情報】
『WORKSIGHT 18号 われらゾンビ We Zombies』刊行記念イベント第1弾
エキシビション
「ゾンビ宣言──高度資本主義の時代における非人間の状態」
2月8日(水)〜2月12日(日)
『WORKSIGHT 18号』の刊行を記念して、特集「われらゾンビ」を立体化したユニークなエキシビジョンを東京・渋谷のギャラリー(PLACE) by methodで開催いたします。
「わたしたちの宣言は未来の可能性としての 〈zombii〉を提示する」──2008年に発表され現在の「ゾンビ学」の基礎ともなった伝説の論文「ゾンビ宣言」と、現代美術家・谷本真理がこの論文に寄せて制作したアートピースから考える、ゾンビの本質と可能性。
ゾンビを現代社会の鏡と捉え、わたしたちの絶望と希望のありかを探す18号の特集を書籍で読むだけでなく、ぜひ本号のためのオリジナルアートワークとあわせてご覧にお越しください。
【エキシビション概要】
■出品作家:
谷本真理(アートワーク)
サラ・ジュリエット・ラウロ/カレン・エンブリー(テキスト)
■会場:
(PLACE) by method
東京都渋谷区東1-3-1 カミニート14号
■会期:2023年2月8日(水)〜2月12日(日)
■開館時間:12:00〜19:00
■主催:WORKSIGHT/method