人はサッカーに何を見るのか:認識のフレームワークを紐解くナショナリズム研究の最前線
「日本代表を応援したい」という気持ちはどこから来るのか。スポーツ社会学者・笹生心太さんは、サッカー報道の分析を通じて、「日本人らしさ」の言説が生まれ、再生産され、変化するプロセスを明らかにしてきた。日常にあふれる「平凡なナショナリズム」がわたしたちのサッカーの見方を変えてきたのだという。ナショナリズム研究の最前線について聞いた。
2026年6月20日、メキシコのモンテレイで開催されたグループFのチュニジア戦終了後にスタジアムに残された青いゴミ袋「Japan Pride」。日本サポーターのスタンドでのゴミ拾いも、ネイションの認識を形づくる日本人らしい振る舞い
photograph by Carl Recine/Getty Images
ワールドカップが始まると、たくさんの人びとが日本代表を応援する。勝てば喜び、負ければ落ち込み、選手が怪我をすれば心を痛める。赤の他人であるにもかかわらず。なぜわたしたちは、日本代表チームや、同じ国籍をもつ選手のことをこれほど気にかけてしまうのか。
著書『サッカー報道とナショナリズム:「日本人らしい」プレーとは何か』のなかで、1980年代以降のサッカー報道から「日本人らしさ」をめぐる言説の誕生と広がりを明らかにしてきたスポーツ社会学者の笹生心太さんは、こうしたスポーツの国際試合での熱狂的応援に見られる「日本への強い愛着」を下支えするのは、より日常的な実践である「平凡なナショナリズム」(Banal Nationalism)なのだと言う。ナショナリズムの概念はどのようにして生まれ、わたしたちの意識のなかで実体をもつのか。笹生さんに話を聞いた。
interview by Sayo Kubota, Junnosuke Suzuki
text by Sayo Kubota
笹生心太|Shinta Sasao スポーツ社会学者。1981年生まれ。明治大学商学部専任准教授、東京女子体育大学・一橋大学非常勤講師。著書に『「復興五輪」とはなんだったのか:被災地から問い直す』(大修館書店)、『ボウリングの社会学:〈スポーツ〉と〈レジャー〉の狭間で』、共編著に『ホストタウン・アーカイブ:スポーツまちづくりとメガイベントの記録』(ともに青弓社)、共著に『スポーツ社会学事典』(丸善出版)、『スポーツまちづくりの教科書』(青弓社)など。2026年6月に『サッカー報道とナショナリズム :「日本人らしい」プレーとは何か』を刊行。
わたしたちはなぜ、久保建英選手の怪我を心配するのか
──まずはじめに、笹生さんが「スポーツ」をテーマにナショナリズムを研究することになったきっかけはなんだったのでしょうか。
わたしは単純に昔からサッカーが好きでして、ワールドカップの予選を見に行くなど、かなり盲目的に日本代表を応援していました。一方で、熱狂的に赤の他人を応援してしまうという「この感情が何なのか」というのは気にかかっていて、研究できないかなとずっと考えていました。親族でも何でもないのに、久保建英選手の怪我を日本中で心配してしまうという現象は、考えてみると不思議ですよね。
社会学はわたしたち人間が、他人同士一緒に暮らしていく上で「共有している規範」について考える学問です。ただ、サッカーの愛国感情というと、スポーツにおける排外主義などにフォーカスされがちで、自分の興味は「この感情は何なのか」であり、必ずしもその良し悪しを問うようなイデオロギー的な側面に興味があるわけではない。そんなときに、より日常生活に溶け込んだ言説や事象を対象とした「平凡なナショナリズム」研究の潮流と出会って、今回の研究が始まりました。
決着しなかったネイションの起源
──ナショナリズム研究にも種類があるのですね。
はい。まずは学問的な歴史からお話ししましょう。ナショナリズムは、もともとは政治学で扱われていたテーマで、第二次世界大戦中のファシズムや、戦後の民族独立運動などに焦点が当てられてきました。そこで最初に議論になったのは、「ネイションはいつ、どこで発生したのか」ということでした。
この議論には大きく分けると3つの立場があって、古代から続くという原初主義、近代国家形成によって初めてネイションが生まれたという近代主義、そしてその折衷案に近いですが、近代の現象ではあるものの古代から続いてきた記憶などが重要であるとするエスノシンボリズムに分かれます。ただ、物質のように容易に起源を実証できるものでもないので、その論争には決着がつかなかったんです。
そのなかで、従来のナショナリズム研究の分析視点そのものが問い直されるような研究が増えてきました。研究の潮流を大きく動かしたのが、1983年にベネディクト・アンダーソンが『想像の共同体』という著作のなかで提示した「ネイションとはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体である」という定義でした。アンダーソンが言ったのは、ネイションは実体をもつ物質的な何かによって成り立っているのではなく、「わたしたちは同じ仲間だ」というイマジネーション、つまり想像によって成立しているということでした。
ここから世界を認識する方法としてのナショナリズム論、つまり「我々はどういうものから想像力を養うのか」という方向に研究が広がっていきました。
『想像の共同体』の原著と日本語版のカバー画像に使われているのは、ベネディクト・アンダーソン曰く「植民地時代のインドネシアのだまし写真」だという。「国民はイメージとして心のなかに想像されたものである」ということばを表すような不思議な写真
photograph by Hidehiko Ebi
──「世界の認識方法」の研究とは、具体的にどのようなものなのでしょうか。
まず、研究の視点が変わったことで、研究の対象が変わってきました。従来のナショナリズム研究が対象としてきたのは、ネイションを創造しようとする政治家や知識人の思想や運動、あるいは戦時中に国民が熱狂的に国旗を振るような、顕在化したナショナリズムの行動でした。しかし近年ではより潜在的な、日常レベルのナショナリズムに着目する研究が増えています。
そこに大きな貢献をしたのがマイケル・ビリッグによる「平凡なナショナリズム」(Banal Nationalism)という概念です。ビリッグが注目したのは、戦争や選挙のような非日常的な場面ではなく、日常生活のなかに埋め込まれた無数の小さな実践でした。例えば祝日に郵便局や公共施設に国旗が掲げられること、天気予報が毎日映し出す日本地図の切り取り方、英語圏の新聞が使う、自国を表す「We」という主語。こういった何気ない日常の繰り返しを通じて、「自分がこのネイションに所属している」という感覚は、意識されることなく静かに浸透していきます。このような実践に光を当てたのが「平凡なナショナリズム」研究であり、次第に社会学者がこういった研究の一部を担うようになったという歴史があります。
──サッカーワールドカップでのサポーターの熱狂的な応援や言動は、日常の言説の積み重ねの結果、ということでしょうか。
はい。「日本人が頑張っていることは自分にとって嬉しいことだ」という認識のフレームワークは、日常生活のなかで少しずつ作られます。自分はこれをサングラスのようなものだと考えています。サングラスをかけることで、ものの見え方が変わりますよね。研究によって、ナショナリズムサングラスがつくられるプロセスや、サングラスを通して物事の見え方がどう変わるのかを解き明かしたいと思ってきました。
1994年のオランダのドキュメンタリー番組『In mijn vaders huis』で、ナショナリズムについて語る、『想像の共同体』の著者ベネディクト・アンダーソン。彼自身、中国生まれ・複数国育ち・アイルランド国籍というルーツをもち、その「帰属の曖昧さ」がナショナリズム研究への関心の出発点になっているという
『サッカーマガジン』から抽出した、650個の「日本人らしさ」
──実際にどのように研究を進めていったのでしょうか。
研究手法としては、概念がつくられるプロセスを「実証する」ことを強く意識しました。これまで「平凡なナショナリズム」の研究では、国旗や国民食を取り上げることは多くありましたが、不思議とスポーツを題材とした研究はあまり行われていませんでした。また、食をテーマにしている研究も、わたしに言わせると正直あまり実証的ではないと感じていました。
例えば「お茶を飲んで日本人だなと感じる」というのは、間違ってはいないでしょうが、日本人全員が感じることなのか、というのは、1億人にアンケートを取らないと実証が不可能ですよね。つまり、サッカー日本代表に愛着をもっている日本人の言説をざっくりと観察しても実証することは難しいんです。
このような曖昧な動向観察から抜け出したいと考えているなかでたどり着いたのが、「報道を全部見る」というアプローチです。そこで1980年代以降のサッカー専門誌『サッカーマガジン』と新聞における報道に範囲を限定して、「日本人らしい」というキーワードを使ったステレオタイプの言説をすべて洗い出すことにしました。「日本人らしい」ということばは、記者だけでなく選手や一般人へのインタビュー記事にも登場しています。
──範囲を限定しても、結構な作業だったのではないでしょうか。
そうですね。『サッカーマガジン』は259号から1497号まで、図書館に通って1冊1冊読み込みました。コピーは著作権の問題で難しいので、該当箇所を全部手で打ち込んでいきました。視力が落ちましたよ。結果的に「日本人らしさ」の言説として、650箇所程度を抽出しましたね。つまみ食いではなく、対象の範囲を全部やることに意味がある。これだけやると「全部見た」と言えるわけです。
『サッカー報道とナショナリズム:「日本人らしい」プレーとは何か』に登場する、新聞におけるサッカー記事での「日本人らしさ」言説をカウントしたグラフ。06年のオシム日本代表監督就任から言説の出現回数が増加する
オシム監督が1年で変えたもの
──抽出された「日本人らしい」言説はどのようにつくられ、変遷していったのでしょうか。
1980年代は、日本人のプレーを語る言説自体が安定していませんでした。ある記事では「日本人は技術がある」と言っているのに、別の記事では「技術がない」と言っていたり。足の速さについても同様で、一貫したステレオタイプが形成されていなかった。
それが1992年にハンス・オフト監督が日本代表監督に就任してダイナスティカップとアジアカップに優勝したとき、「日本の良さは組織力だ」という言説が一気に定着します。これは「戦術を遂行できる力」としての組織力で、「ゾーンプレス」や「フラットスリー」といった特定の守備戦術を全員で徹底できるという意味でした。それから約10年、この「戦術としての組織力」が日本人らしさの中心にあり続けます。
大きな転換点は2006年、イビチャ・オシム監督の就任です。ここで「日本サッカーの日本化」が提唱されます。オシム監督は「日本人らしいサッカーとは何なのか」を問い直し、日本人の特徴として「運動量」「スピード」「団結力」の3つを挙げました。これは「戦術を守る組織力」とはかなり違う。体と気持ちの話になっているわけです。すると不思議なことに、『サッカーマガジン』の報道がほぼ一斉にこの語彙に切り替わりました。「日本はスピードと運動量と団結力があるが、今大会はそれが出せなかった」などの論評が出てきて、その後岡田武史監督、アルベルト・ザッケローニ監督と変わっても同じ語彙が使われ続けた。今回の分析期間の終点とした2014年までです。オシム監督の在籍期間は1年ほどであったのにかかわらず、です。
──それは、オシム監督の言説をきっかけに、曖昧な概念であった「日本らしさ」が共通認識としての実体をもったということですよね。どうやって認識は定着したのでしょうか。
言説が固定化したきっかけとして、「公式」の採用が大きかったと思います。日本サッカー協会が、オシム監督の考え方を採用したんです。協会という「公式」な組織が言い始めると、記者も使いやすくなりますし、何より監督や代表選出の選定方針にも反映されます。
2018年のワールドカップでは、ヴァイド・ハリルホジッチ監督が直前で解任されましたが、彼はインテンシティ(プレーの強さや激しさ)を重視していました。この後に就任したのが「団結力」を重視する西野朗監督と森保一監督。同じように「団結力」を強調する監督にアサインを続けた結果、「団結力で勝てる」という成功体験ができていきました。
上:オシム監督は2006年7月のサッカー日本代表監督就任会見で「最初にやらなければならないのは、代表を日本化させること。本来もっている力を引き出すことだ。初心に戻り、日本らしいサッカーをしようということ」と語った
photograph by Etsuo Hara/Getty Images
下:2022年6月2日、札幌ドームで行われた国際親善試合・日本対パラグアイ戦で、前月に亡くなったオシム監督を偲び、試合前にメッセージを掲げるサポーターたち。オシム監督は日本サッカーに重要な影響を与えた存在として、いまも日本人に記憶される
photograph by Masashi Hara/Getty Images
日本代表選手なら納豆を食べなくてはならないのか
──分析期間は2014年で終わっていますが、2026年現在のサッカー報道の「日本人らしさ」をめぐる言説には何か変化がありますか。
2014年以降はわたしも厳密にすべての報道を見ているわけではないという前置きはしますが、実は「日本人らしいプレー」に関する言説は大きく減ったと感じています。日本サッカー協会はまだ「Japan's Way」ということばを使っていますが、「プレーをステレオタイプ化する報道」はあまり見られなくなり、代わりに個人の選手にフォーカスする報道が多くなっていますね。海外で活躍する選手が増えたことも大きいと思いますが、選手個人のストーリーをよく目にしますよ。一方でプレーというよりチームとしての団結力という言説は、日本人の美徳のようなかたちで残っていて、今回のワールドカップでも多く見られます。
──近年では、鈴木彩艶選手のように、海外にルーツをもつ選手も増えてきましたが、そうした状況もナショナリズムの認識を変化させているのでしょうか。
それについては日本の研究ではないのですが「帰化選手や二重国籍の選手が人びとに受け入れられるためには何が必要か」という研究が近年増えています。そこで明らかになってきたことは、「市民的資格」つまり国籍をもっているだけでは足りなくて、受け手がさらに「道徳的な資格」も求めてしまうということです。
道徳的資格とは何かというと、そのネイションらしい振る舞いのことです。WBC日本代表のラーズ・ヌートバー選手が納豆を食べて日本語を喋るとみんな「いいね」ってなりますよね。ラグビー日本代表のリーチ・マイケル選手は流暢な日本語で話すことでラグビーファンに深く受け入れられてきました。
わたしが最近実施した若年層の意識調査でも似たような傾向が見えています。若い人たちは「肌の色は全然気にしない」と言うんですが、話を掘り下げていくと「でも日本語を喋ってほしいし、日本人らしく振る舞ってほしい」とも言う。人種に偏見がないように見えて、内面の「らしさ」への期待は残っているんですよね。今回のワールドカップでは、まさしく「団結力がある」(=チームへの貢献)というのが道徳的資格と認識されてる可能性が高いです。
──少し窮屈な感じもします。
そうですね。ナショナリズムのサングラス(認識のフレーム)をかけると、見えなくなるものもありますし、選択肢が減ることもあると思います。今回のワールドカップでは、インドネシアが、オランダにルーツをもつ帰化した選手を多く代表に選出し、予選で躍進していますよね。日本はまだそういう強化方針を気にせず応援できる環境にはないと思います。これは極端な例ですが。
2026年ワールドカップで、スタジアムで船を漕ぐ姿で話題になったノルウェーサポーターの応援「Viking Row」。特徴的な「ノルウェーらしい」振る舞い
スコアで選手を認識する
──これまでのご研究は『サッカーマガジン』や新聞など、紙媒体の分析でしたが、いまのメディア環境はその当時から大きく変わっています。YouTube、TikTok、ネット配信、選手自身による解説など、語り手もプラットフォームも急速に多様化しています。研究者として、この変化をどう見ていますか。
そうですね、研究の方法はもちろんアップデートが必要だと思っています。わたしがこれまでやってきた報道の言説分析の方法では、正直対応しきれなくなってきています。デジタル上のコンテンツは範囲そのものが無限に広がっていて、「範囲を決めて全部見る」という実証が難しい。ワールドカップ公式TikTokerの配信、影山優佳さんのようなインフルエンサーが語るコンテンツ、The Players' Tribuneのような選手個人が主語の物語など、媒体の変化だけではなく語り手も変わってきた。これらは量的にも質的にも、従来の報道分析の枠には収まりません。
わたしは今後は研究の軸足を「言説を発信する側」から「受け取る側」に移していこうと考えています。今回の研究を発表するなかで、実際受け手はどうなのか?という質問を多く受けたというのもあります。若者へのインタビューや意識調査に力を入れていきたいのも、その理由からです。いまやろうと思ってるのは、まだ日本では研究が不十分な、「帰化選手や二重国籍の選手について若者がどう思っているか」という調査です。定点調査で経年変化を見ていくことを計画しています。
──言説以外にも今回の大会ではスタジアムの大型スクリーンにスタッツが表示されるなど、データもわたしたちの認識に影響を与えそうですね。
そう思います。スコアが高いから良い選手というわけでもないとはわかっていますが、指標もまた一種の言説で、認識のフレームを与えてくれるものです。正直我々はデータを見ているのか、サッカーを見ているのかわからなくなってきましたね。今後「スタメン全員が発表された瞬間に勝敗が80パーセントの確率で決まる」といったことは当然あり得ると思いますし、スポーツの見方を大きく変えていくと思います。いちサッカーファンとしては、スポーツ観戦の面白さのひとつは予測不可能性だと思っているので、少し複雑です。
上:ボストン・スタジアムで試合中に巨大スクリーンに写される「ポゼッション率」(ボール支配率)。2026年ワールドカップでは、スタジアムの巨大スクリーンが効果的に使われた。どちらのチームが優位にゲームを進めているのかが、一目でわかる
photograph by Ian MacNicol/Getty Images
下:スクリーンに映し出されるオフサイドの判定。つま先が原因でコロンビアの先制ゴールが無効となった様子が、ゲームのように映し出される
photograph by Craig Williamson/SNS Group via Getty Images
賭けるのは、日本じゃなくてもいい
──データに関連して、今回のワールドカップでは、史上最大規模のスポーツベッティングが行われると言われています。世界中で500億ドル以上の賭け金が投じられるという予測もある。ベッティングはナショナリズムにどんな影響を与えるのでしょうか。
かなり変わると思います。ベッティングが広がると、見る理由が「日本だから」ではなくなる。自分が賭けたチームを応援するわけだから、対象はどの国のどの試合でもいい。観戦のフレームという意味では、ベッティングはナショナリズムを相対化していく可能性をもっています。ベッティングによってナショナリズムの認識のフレームで見えていなかったものが見えるようになり、また何かが見えなくなるのは、興味深いですね。
──わたしたちはサッカーを見ているようで、実際は何を見ているのでしょうか。
そうですね。ナショナリズム、選手個人のストーリーへの感情移入、データやベッティングの勝敗。どれもサッカーを見るときのフレームワークだと言えます。試合やプレー自体をどう捉えるかのサングラスであったり、スパイスであったり。
ただ、最近の調査で感じていることですが、興味深いことに、若年層はサッカーの商業化に肯定的な傾向があるように思います。「チケットが高額化していくことは仕方ない」と思っていて、インフルエンサーにも肯定的です。これまでの「スポーツ文化」というような概念自体が古くなっていくのかもしれません。そのなかで、概念がつくられるプロセスを一歩引いて分析することで、何が見えなくなっているかを認識することは、価値があることだと思っています。
【WORKSIGHT SURVEY #72】
Q. 日本人スポーツ選手は「日本人らしさ」を体現していると思いますか?
インタビューのなかでは、サッカーやラグビー・野球・バレーボールなど、スポーツの種類を問わず、日本代表選手には、「日本人らしい」プレーや振る舞いが求められるということが語られてました。日本人スポーツ選手は「日本人らしさ」を体現していると思いますか?なぜそう感じますか。ぜひご意見をお聞かせください。
【WORKSIGHT SURVEY #71】アンケート結果
スキー場という「インフラ」をいかに守るか:「索道コンサルタント」がつなぐ「修理のネットワーク」(7月30日配信)
Q. サードパーティ製品の安全性や性能を信頼していますか?
【はい】程度の差こそあれ、無条件に信頼をしてはいけないのは純正品もサードパーティ製品も同様、と考えます。いきすぎたブランド信仰により技術がブラックボックス化したり寡占化されて困るのはユーザなので、ユーザは安全性や信頼性を見極める目を養う努力をすべきだと思っています。それにより価格競争や技術革新が進む面もあるし、技術の裾野が広がることは良いことだと思います
【はい】自分がものづくりをする立場であり、弦楽器を作ったり、農業機械をメンテしたりもする。そういう中で、自分で部品を作ることもあるし、品質確保できる代替品を活用することも大いにある。逆に、メーカー純正だからと言って信頼できるわけでないことも、自動車メーカーにいた立場から実体験を持っている
【いいえ】輸入車ディーラーの部品調達担当をしているが、様々な部品を見てきた経験から諸手をあげて信用は出来ないから
【いいえ】あまり良い思いをしたことがない。純正品の値段が高すぎる場合にやむを得ず選択する。サードパーティー製品の品質を確認する方法があれば知りたい。
次週7月14日は、イタリアの現代アーティスト、レベッカ・モッチャさんへのインタビューを配信。モッチャさんはこれまで、孤独や郷愁など、人間の感情と空間の関わりをテーマに各国でリサーチを行い、作品を発表してきました。近代に生まれた孤独という感情に、わたしたちはどう向き合うべきなのか。お楽しみに。
【新刊案内】
『WORKSIGHT[ワークサイト]30号 新しい中世 The New Middle Ages』
photographs by Hironori Kim
cover Illustration by Natsujikei Miyazaki
帝国、教会、荘園、騎士団、ギルド、修道院……。中世とは、複雑怪奇な権威のネットワークが幾重にも絡み合った時代だった。アルゴリズムに導かれ、プラットフォームの中で群れ、炎上によって見知らぬ誰かを裁くいま、わたしたちはすでに「新しい中世」を生きているのかもしれない。かつて中世の再来を予言したウンベルト・エーコ、 心理占星術研究家・鏡リュウジや現代魔女・円香、中世ゲーム研究、政治学者が読み解く「中世という過渡期」を経た、現在の地政学「それ以降の世界」まで。中世のレンズを通して現代を再解釈する。
【目次】
◉ギャラリー
現代は中世である
◉巻頭言
世界はふたたび中世になる
文=山下正太郎(本誌編集長)
◉ウンベルト・エーコと新しい中世
文=武邑光裕
◉対談
鏡リュウジ(心理占星術研究家)+畑中章宏(民俗学者)
スターゲイザーたちの「合理的」な世界
◉わたしは魔女である
円香が語る「現代魔女」という行き方
◉中世の騎士、東京に集う
ドキュメント「戦え、騎士のように」/証言「騎士たちの理由」/インタビュー「中世剣術のリアリティを、現代で共有したい」
◉ゲームはなぜ中世を必要とするのか
中世ゲーム研究の第一人者、かく語りき
◉コンテンツガイド
中世の回廊
◉「新しい中世」以降の世界
政治学者・田中明彦の予言から読む現代の地政学
【書籍情報】
書名:『WORKSIGHT[ワークサイト]30号 新しい中世 The New Middle Ages』
編集:WORKSIGHT編集部(コクヨ ヨコク研究所+黒鳥社)
ISBN:978-4-7615-0938-5
アートディレクション:藤田裕美(FUJITA LLC)
発行日:2026年7月2日(木)
発行:コクヨ株式会社
発売:株式会社学芸出版社
判型:A5変型/128頁定価:1800円+税











