わたしたちにはクマが見えない:写真家・宮崎学が山に仕掛ける「目」に写るもの
近年日本各地で深刻化していると言われるクマ被害。この状況をずっと前から予見していた人物がいる。写真家・宮崎学さんは、クマの知られざる姿を写真に写しながら、20年以上前からクマの増加を警告し続けてきた。最近では自作のセンサーカメラで頭数を把握する試みを始めたという。クマをいかに認識し、クマとどのように向き合うべきなのか。レンズを通してクマと向き合ってきた宮崎さんに話を聞いた。
環境省によると、2025年度のクマによる人身被害者数は238人、死亡者は13人と統計開始以来最多となった。増加するクマ被害に、わたしたちは恐怖を抱き、翻弄されるばかりだ。ニュースのなかで、クマはいつも「人やペットを襲う、凶暴化した獣」として登場する。
その報道を、長野県の山中で冷静に見つめる人物がいる。写真家・宮崎学さんは独学で野生動物の生態を学び、自作の赤外線センサー付き無人撮影装置を開発。誰も写したことのない、森のなかの動物たちを50年以上も撮り続け、土門拳賞をはじめ日本写真協会賞など数々の賞を受賞してきた(動物写真での土門拳賞受賞は、当時前例がなかった)。夜に声だけが響くフクロウ、日本中のワシ・タカの巣、動物の亡骸、そして人間の隣で生きるクマたち──宮崎さんのカメラが写した「人間が見えていないもの」を手がかりに、わたしたちはクマとどう関わればいいのか、紐解いていく。
interview by Sayo Kubota, Sho Kobayashi, Hidehiko Ebi
text by Sayo Kubota
photographs by Yuri Manabe
宮崎学|Manabu Miyazaki 写真家。1949年長野県生まれ。精密機械会社の勤務を経て、独学で写真家として独立。「自然界の報道写真家」としてほ乳類や猛禽類の動物写真を撮り続けている。自作の赤外線の特殊センサーや小型ストロボなどを組み込んだ無人の自動撮影装置を開発し、撮影困難な野生動物の生態を写真に収めてきた。1978年『ふくろう』で第1回絵本にっぽん大賞、1982年『鷲と鷹』で日本写真協会新人賞、1990年『フクロウ』で第9回土門拳賞、1995年『死』で日本写真協会年度賞、『アニマル黙示録』で講談社出版文化賞を受賞。他、写真集、著書多数。現在、全日本写真連盟の会報誌『フォトアサヒ』にて「22世紀 森の事件簿」を連載中。
巨大な怪物か、黒いシェパードか
──宮崎さんは長年にわたり、夜の山に分け入り、無人撮影装置で人間の目が届かない生態を記録し続けてこられたと思います。クマがカメラにかじりついている写真で印象的な『クマのすむ山』や、人里の近くで暮らすクマの生態をとらえた『となりのツキノワグマ』など、写真集もたくさん出版されていますが、宮崎さんから見て、クマはどんな動物ですか。
端的に言って謎の動物ですよ。何を考えているかわからない。クマは人間に対しても自然環境に対しても適応力が飛び抜けて高い。タヌキやキツネと比べても賢く、考えて行動するから単純じゃない。諏訪大社に名残りがあるように、信仰の対象にもなってきました。
一方で人間側はクマを経済的にも必要としてきました。毛皮、肉、内臓、胆嚢、油は高価なものとして取り引きされてきた。いまは状況が変わり、クマは社会的なイシューとして扱われがちです。行政も、保護団体も、研究者も、メディアも、みんなが語りたがっているように見えます。でも当のクマは、誰の思惑にも収まらない。その謎の動物の一端を写真で見えるようにする、というのがわたしのやってきたことです。
宮崎さんが撮影した動物たち
photographs by Manabu Miyazaki
──ずっとクマを見つめてこられた立場から、近年のクマ被害増加のニュースを、どのようにとらえていますか。
当時は誰も信じませんでしたが、わたしは20年以上前からクマはタヌキ並みに増えていると発信してきましたよ。圧倒的にクマの個体が増えたことは間違いないと思います。襲うようになったというよりも、単純に個体数が森のなかで飽和状態になっている。
なぜ増えたかというと、百年単位の変化です。明治時代まで毛皮はお金になった。クマを一頭獲れば、皮は売れる、肉はごちそうになる、胆嚢は薬として高い値段で売れる。だから猟師はクマを獲り続けた。ところが化繊が普及して毛皮の需要が消えた。苦労して獲ってもお金にならなくなったんです。
──数が増えて、人間との遭遇率が上がってしまったわけですね。
かつて人間が木材を燃料としていた時代、クマと人間にははげ山という緩衝地帯がありました。当時と比べると、いまは人びとが活用する山林面積は減った。放置される山が増え、緩衝地帯を失って、クマは軒下まで来るようになりました。
人間のほうも昔は山奥にむやみに立ち入らなかった。江戸時代までは神様の領域である山の深いところに立ち入るのは猟師だけだったし、猟師は山を知っていたからクマとの距離が保てた。ところが現在は、人間たちが気にせずに山に入っていく。そこでばったり出くわすから事故になる。
イノシシがかじった筍、けものみちが4本交わる交差点、宮崎さんはわたしたちには見えないものを指さしながら早足で山を歩く
──黒い猫をクマと見間違えたニュースもありましたね。人間側も突然のクマとの遭遇に慣れていません。自治体の頭数把握の取り組みなどでは対策が難しいのでしょうか。
映像では動物は大きく見えるし、クマは「巨大な怪物」というイメージだけが先行していますね。山で出会えば、150キロのクマは黒いシェパードくらい。「こんなもんか」という印象もあります。
自治体などで行っている頭数把握は、基本的には目撃情報に頼っているでしょう。市民や猟師からの「見た」という報告を積み上げて推計する。でもそれは「見た人がいた場所」の記録であって、「クマがいる場所」の記録じゃない。監視カメラを設置する場合もけものみちには置かれないから、クマも他の動物もカメラの前を通らない。山の奥に何頭いようが、誰も見ていなければゼロと同じ扱いになるんです。そういう「見た人頼み」の把握では限界があると考えています。
長野県では昨年まで、クマを捕獲して麻酔銃を撃って印を付けて放す、いわゆる「お仕置き放獣」を実施していました。クマの耳にタグを付けることで、一度捕獲されたクマが可視化されていますが、それも一部です。怖い思いをしたクマは、もう人里に近寄らないであろうという保護施策ですが、タグの付いたクマは人里近くの山で何度も見ますし、写真にも収めています。また、クマの保護・駆除には自治体の予算もついているからひとつの経済圏になっています。山の実情とは切り離された場所でクマ問題への言説や対応が決められていくことも、状況を見えにくくしている一因だと思います。
クマの「道の駅」
──現在宮崎さんは、写真家として、動物の生態を作品として発表するだけでなく、センサーカメラを使ったクマの個体数把握システムを制作しているとSNSで拝見しました。具体的にはどのようなことをされているのですか。
クマの体長を写す「クマクール」、クマの股を写す「マタミール」、クマの鼻紋を写す「ビーモン」という3つの自動撮影機材を組み合わせたクマ識別システムを現在作成しています。クマの全身と股を写せば、オスかメスか、子どもを産んだことがあるかどうかまでわかるんです。また、クマの鼻紋(鼻の模様)は人間の指紋と同じで、一頭一頭全部違うので、個体を特定することができます。
この3つが撮影できると、いま山にクマが何頭いて、どういう社会構成なのかわかる構成図がつくれるわけです。クマクールとマタミールは完成しましたが、いまはビーモンの機材を開発中です。クマは力が強いので、レンズに近づいたときに機材を壊されないように強度をもたせるのが難しい。
──かなり大掛かりなシステムですね。この装置は森の至るところに設置するのでしょうか。
「道の駅方式」とわたしは呼んでいるんですが、人間の旅人が道の駅に自然と立ち寄るように、クマが自発的に来たくなる場所をつくろうと思っています。
クマが自発的に来れば、今日はどこの道の駅に何頭来て、どの個体だったか、というデータが積み上がっていく。カメラは高価なものは要らない。中古で5000円くらいのものを手直しして、何十台も仕掛ける物量作戦です。この装置は「撮影するためのセンサーカメラ」だけではなく、クマを呼び寄せ、特定の構図で撮影をするための、舞台装置なんです。
AIが出てくるまで、ずっと待ってたんですよ。鼻紋の識別は人の目でやるには限界がある。でも生成AIが登場して、ようやくこれが現実的になった。マイナンバーカードだって顔認証でしょう。クマだって同じことができる。技術が追いつくのを待っていました。
車が入れる山道からすぐ近くにあるというセンサーカメラを見るために、急斜面の狭い足場を進む。見通しの悪い山中では、宮崎さんの相棒である柴犬のゲンが先頭に立ち、周囲の動物の気配を確認する
クマの隣を生きる
──クマがどこにどのくらいいるかわかると、わたしたちの行動はどう変わるのでしょうか。
正確に頭数を把握して、駆除や保護のコントロールをすることも考えられますし、それ以前にわたしたち人間が、クマに気づく、クマに気をつけることができるようになることが、共存のひとつの方法だと思います。
暗闇に潜んでいるクマは、人間の目には見えません。突然遭遇すると対応しようがない。縄文時代からわたしたち人間とクマは隣り合って暮らしていましたが、当時は犬を介してその接近を察知していました。縄文の集落には十数頭の犬がいたと言われていますので、人間は犬の吠え方で、近くに何がいるか理解できたんです。
クマ同士は人間の耳では聞き取れない超音波や匂いで仲間と会話しています。びっくりすると冷や汗を霧のようにふわっと吹き出して獣臭を出します。「怖いやつがいるぞ」と伝え合っているんです。うちの犬は300メートル先のクマの存在に気づくことができるので、一緒に山に入ったときは、クマに不用意に近づかないでいられます。
誰がどこにいるかわかれば、気をつけられる。それだけのことなんですが、人間だけではそれができない。少なくとも近くの「道の駅」付近に、どんなクマがどのくらいの数いるのかがわかれば、近づかないでいられるようになると思います。
生態がわかれば「絵コンテ」が見える
──宮崎さんは長年写真家として活動されてきましたが、野生動物を写真作品として撮ることと、いま取り組まれているような観測をするために撮ることは、違う位置づけの活動なのでしょうか。
同じです。昔から「いまこれが必要なんだ」と思うものを撮影していて、作品をつくることと観察することに差はありません。写真作品というと綺麗な写真が評価されるし、汚いものは見せないのが一般的。わたしは17歳くらいから、それはまずいんじゃないかと思っていました。死をモチーフにした写真集もそうだけど、誰も写していないものを写したかった。だから観察して、そこで見えてきたものを作品にする。
ニホンカモシカが絶滅すると言われたときも、山にはたくさんいるのを知っていたし、ワシやタカだって絶滅すると言われていたけど、そう簡単に滅びないだろうと思った。それで、15年かかりましたが、北海道から沖縄まで、日本に生息する全16種類のワシ、タカの巣を見つけて写真を撮りました。
学者や保護団体でも見に行かないところに行って、見えないものを視覚化してやろうと思ってきただけ。たしかに綺麗な写真は生活費にもなるし、自分が本当にやりたいことを隠すフェイントにもなる。でも活動自体は同じだし、ずっと変わっていないんです。
──写真作品も、クマミールも、見えないものを可視化するひとつの方法ということですね。
動物の生態がわかれば、どのカメラでどんなふうに撮るべきか、「絵コンテ」のようにわかるようになります。ワシやタカのことばを理解しているから、ワシやタカの生々しい瞬間を写せるんです。クマを理解しているから、クマミールが設計できる。動物の生態を五臓六腑で感じながら、何を写す必要があるのか理解していく。
ただね、写真を読めない人が多い。先日、Facebookに上げたヒメネズミの写真、実はヒメネズミのヒゲが動いているんですよ。ジャンプして着地する瞬間に、ヒゲが全部着地点に向いている。地面の高さをキャッチしながら走っている。写真を読める人にはそういうことが全部見える。でも「かわいい」で終わる人には何も見えていない。
上:雨予報を受け、雨の夜に疾走するネズミを撮影するためのカメラと舞台を準備する
中:制作拠点には、壁や机いっぱいに道具や制作途中の機材が並んでいた。センサーカメラの部材だけではなく、雨や湿気から機材を守る枠や、大きな音を出して動物をカメラのほうに振り向かせる機械などもある
下:暗闇のなかで見えないクマに威嚇され、鼻汁を飛ばされた恐怖体験を語る宮崎さん
木登りは写真の技術
──ある生態や行動を撮影するために、頭のなかに「絵コンテ」があると伺いましたが、宮崎さんの写真は夜の山で、センサーカメラで撮影されたとは思えないくらい鮮明で、ピントもしっかり合っています。どのような工夫があるのでしょうか。
カメラやセンサー、ストロボなどの機材はすべて自分で改造してつくっています。撮りたいものを撮るのに100万円以上する望遠レンズなんか要らない。カメラはピンホールにすぎない。それよりも数を置かないといけないから4500円の中古レンズで十分です。例えば鳥を画面いっぱいに撮るのに、500ミリのレンズなら10メートルの距離で撮れます。ただ、50ミリのレンズでも、1メートルの距離まで近づけば撮れます。被写体との距離を、「どうやって9メートル分近づけられるか」を研究するのが写真家の仕事です。
高価なレンズで誰でも同じ写真が撮れる時代は、みんなそっちに飛びつく。でもそれでは、みんな同じ写真しか撮れない。生態を知って、近づく方法を考え、場を設計する。そこに技術がある。木登りができれば、タカの巣の上から写真を撮ることができる。下から撮っているみんなとはアングルが全然違う。木登りは他人が撮れないものを撮るための技術のひとつなんです。わたしは写真学校には行かなかったんです。行く必要はなかった。木登りは写真学校で教えてくれないでしょう。
高速道路高架下は動物たちの足跡でいっぱいだった。ナトリウムが含まれる凍結防止剤が撒かれる道路付近では、イノシシや鹿などが塩を舐めにやって来る。人間の見ていないところで動物たちは人間の隣で適応しながら暮らしているという
進行形で動物と関わる
──宮崎さんの撮影手法は、狩りの手法にも似ているように感じます。
そうですね。同じことだと思っています。動物の生態を理解して捕捉し、仕留めるという本質は変わらない。猟師も写真家もやっていることは同じです。違うのはその後なんです。狩りは仕留めた瞬間に命が断ち切られる。その動物との関係はそこで終わる。でもわたしは動物が生きている進行形の姿を見たい。本当に仕留めてしまったらもう見えなくなってしまう。だから撮影するんです。アウトプットが「断ち切り」か「進行形」か、そこだけが違う。
──お話を伺っていると、「見えない世界のほうが、圧倒的に多い」ということをわかっているからこそ、解き明かしたい、観察したい、視覚化したい、という原動力につながっているように感じます。
そうかもしれません。大きいテーマじゃなくても、小さい実験は常にいろいろやっています。クマの剥製を置いて、どの動物が食べにくるか見てみたり、信楽焼の狸を山に置いて、クマがどう反応するか見てみたり。
信楽焼の狸から50メートル以上離れたところにいた母グマは、存在に気づいたとたんにウワッっと騒いで、子ぐまと一緒に逃げていった。今度別のクマが来たら、ゆっくりゆっくり近づいて、匂いをずっと嗅いでいる。クマによっても反応が全然違う。そういう映像がどんどん溜まっていく。まだ誰も見ていないものが、山のなかにはたくさんある。
──いまいちばん撮りたいものは何ですか。
ネズミです。ネズミは生態系の底辺にいる。海で言えばイワシと同じ。フクロウがどれだけネズミを食べたかで、翌春の卵の数が変わる。秋にたくさん食べたフクロウは4個産む、食べられなかったやつは1個しか産まない。10年かけて観察して初めてわかったことです。
ネズミを見れば、フクロウが見えて、生態系全体が見えてくる。最近もハンタウイルスの話があったけど、エコロジー的に動物を見てると、人も見えるし、社会も見えるわけだね。
【WORKSIGHT SURVEY #68】
Q. クマなどの人間の側で暮らす野生動物の生態を、もっと知りたいと思いますか?
宮崎さんは野生動物の生態を観察・理解することで、それを写すこと、適切に対策することができると語っていました。皆さんは、クマなどの人間の側で暮らす野生動物の生態を、もっと知りたいと思いますか?どのようなことを知りたいですか。ご意見をお聞かせください。
【WORKSIGHT SURVEY #66】アンケート結果
素直になれば見えてくる:「早来学園」とチームラボの学校づくり【「場」の編集術 #06】(6月9日配信)
Q. 安全が確保されていれば、学校は地域住民に開かれているほうがよい?
【はい】小中学校だけでなく、高校や大学も地域に開かれているべきだと思う。学びの場は開放的であるべき。でも本当にセキュリティ確保という点が現実的にはとても難しい。その地域の特性や地域住民の考え方にもよると思う。
【はい】いろいろな「縁」がなくなっていく社会において、地域の住民が交流できる場はたくさんあった方がいいし、「学びの場」という意味でも、地域住民の交流から学べることもたくさんあるだろうから。地域住民が教える授業、などもあってら面白いと思います。ただ、仕組みではなく、「理念」としてどこまで何を開放・共用・専用とするのか?の設計は難しいと思います。
【はい】画一化されたカリキュラムの外にある出会いや発見が起きる、とまでは言い切る必要はないが、交流せずともさまざまな大人の存在感に触れて育つことは学びの観点でとても大きな価値を持つと思うから。地域視点でも、これから縮小していく社会の中で、限られた社会資本を可能なかぎりオープンにすること、コモンズとすることでより豊かな社会を目指せると思う。
【はい】うちは特に過疎地域にあるため子どもがかなり少なく、高齢者にとって子どもがいるという状態が生活の中に少ない。そうなると、例えば選挙の時など子どもがいることをイメージしづらく、高齢者にばかり喜ばれる政策を打ち出しがちだったり、子どもについてあまり真剣に考えてもらえない。もちろん子どもにとっても多世代と交流することはいろんな体験や学びが得られる。また登下校時に「我が子、我が孫」と思ってもらえれば見守りも強化されたり安全面でも効果があるかと思う。
次週6月23日は、現在開催中の「FIFAワールドカップ2026」にあわせて、WORKSIGHT編集部によるサッカー談義を配信。FIFAとUEFAの権力争いや中東資本の影響力拡大などの地政学的側面から、移民問題とナショナリズム、ゲームプラットフォームの融合まで。ピッチの外で巻き起こるさまざまなトピックを縦横無尽に語り合った記録をお送りします。お楽しみに。
【新刊案内】
『WORKSIGHT[ワークサイト]30号 新しい中世 The New Middle Ages』
photographs by Hironori Kim
cover Illustration by Natsujikei Miyazaki
帝国、教会、荘園、騎士団、ギルド、修道院……。中世とは、複雑怪奇な権威のネットワークが幾重にも絡み合った時代だった。アルゴリズムに導かれ、プラットフォームの中で群れ、炎上によって見知らぬ誰かを裁くいま、わたしたちはすでに「新しい中世」を生きているのかもしれない。かつて中世の再来を予言したウンベルト・エーコ、 心理占星術研究家・鏡リュウジや現代魔女・円香、中世ゲーム研究、政治学者が読み解く「中世という過渡期」を経た、現在の地政学「それ以降の世界」まで。中世のレンズを通して現代を再解釈する。
【目次】
◉ギャラリー
現代は中世である
◉巻頭言
世界はふたたび中世になる
文=山下正太郎(本誌編集長)
◉ウンベルト・エーコと新しい中世
文=武邑光裕
◉対談
鏡リュウジ(心理占星術研究家)+畑中章宏(民俗学者)
スターゲイザーたちの「合理的」な世界
◉わたしは魔女である
円香が語る「現代魔女」という行き方
◉中世の騎士、東京に集う
ドキュメント「戦え、騎士のように」/証言「騎士たちの理由」/インタビュー「中世剣術のリアリティを、現代で共有したい」
◉ゲームはなぜ中世を必要とするのか
中世ゲーム研究の第一人者、かく語りき
◉コンテンツガイド
中世の回廊
◉「新しい中世」以降の世界
政治学者・田中明彦の予言から読む現代の地政学
【書籍情報】
書名:『WORKSIGHT[ワークサイト]30号 新しい中世 The New Middle Ages』
編集:WORKSIGHT編集部(コクヨ ヨコク研究所+黒鳥社)
ISBN:978-4-7615-0938-5
アートディレクション:藤田裕美(FUJITA LLC)
発行日:2026年7月2日(木)
発行:コクヨ株式会社
発売:株式会社学芸出版社
判型:A5変型/128頁定価:1800円+税















