自分で使うために、管理する:変化する「川と自治」の担い手
山間から海へ滔々と流れ、わたしたちの生活を支える河川。古くから人びとはなんとか川を治めて利用しようとし、ときに溢れる濁流を前に茫然と天を仰いできた。日本社会が近代化するなか管理のロジックは強化されてきたが、そこには常に、一元的な管理からはみ出し、むしろ別次元から管理を後押しする地域住民たちの力が見え隠れする。「川と自治」の専門家とともに、せせらぎと人びとの息遣いに耳を澄ませてみよう。
本記事のインタビュイーである河川工学の専門家・坂本貴啓さんの以前の赴任地・石川県白山市を流れる手取川。極寒の2月に踏査した際の風景
WORKSIGHT編集部が「川と自治」に関心を抱いたのは、近年報道が増えている通称「勝手橋」が気になったことに端を発している。全国には管理者が不明ながら地域住民の生活に欠かせない橋──その多くは過去に住民が交通の便を図って架けたもの──が点在している。しかし河川法では河川を管理する自治体の認可なしには橋を架け替えられず、老朽化で修復の必要があっても手が出せない。
「川と自治」という問題系は、わたしたちが暮らす社会の姿を映し出す。世界に目を転じれば、2025年9月よりナイル川上流でエチオピアが運用を始めた巨大ダムをめぐって、下流に位置するエジプトやスーダンが水流への深刻な影響があると非難し、エチオピアはその指摘は当たらないとして、議論は平行線をたどっている。川の上流と下流それぞれに暮らす人びとは、離れているにもかかわらず連なっている。身近でありながら、多くの問いと可能性をその流れに湛える川。課題を含みながらも、「川と人」をめぐる関係性に惚れこんでいるという研究者・坂本貴啓さんに、じっくりと話を聞いた。
photographs courtesy of Takaaki Sakamoto
interview and text by Fumihisa Miyata
坂本貴啓|Takaaki Sakamoto 1987年、福岡県生まれ。金沢大学人間社会研究域地域創造学系講師。博士(工学)。2017年3月 筑波大学大学院博士後期課程システム情報工学研究科構造エネルギー工学専攻修了。その後、国立研究開発法人土木研究所水環境研究グループ自然共生研究センター専門研究員、東京大学地域未来社会連携研究機構特任助教などを経て、2023年10月より現職。「自治的河川管理」を主題として、全国の河川市民団体に関する研究や川を活かしたまちづくりの調査研究活動を行っている。
住民の“夢物語“から
──「川と自治」というテーマでリサーチをしていたところ、坂本さんのご研究や活動に強く興味をひかれました。最初に、ご自身のバックグラウンドについてお話しいただけますか。
福岡県北九州市に育ち、小さい頃から魚などの水生生物が好きだったので川はそれなりに身近な存在だったのですが、近くを流れる遠賀川(おんががわ)で行われている活動に関心を寄せるようになりました。わたしが高校2年生だった2004年に、福岡県直方市に「遠賀川水辺館」という国土交通省関連の地域防災施設がオープンし、そこに足を運ぶようになったんですね。というのもこの地域では、1996年に住民による「直方川づくり交流会」が発足し、1998年には住民発案の、50年後に向けた川づくり計画「遠賀川夢プラン」を作成し、行政への提案を重ねていたのです。
住民による、まさにたくさんの“夢物語“が詰め込まれた計画だったのですが、夢であるがゆえにだんだんと現実として、かたちになっていったという好例でした。水辺館はその一環で建てられたもの。わたしは、放課後に遊びに行っては、運営に携わるNPOや市民団体の方々に可愛がっていただき、文字通り育てていただいたという感じなんですね。そこから市民主体の川づくりというテーマに、だんだんと関心を寄せていきました。わたしが大学に入って専門としたのは工学ですが、「夢プラン」には、工学的な堅さだけではない、いわば柔らかな設計の想像力に感動させられたんです。例えば水辺館以外にも、水際まで子どもたちが近づくことができる河川改修が実現したのですが、これがまたゆるやかな変化を生み出していったんですよ。
──どんな変化だったのでしょうか。水辺館や周囲の水辺の空間設計は、土木学会デザイン賞2009最優秀賞を獲得しているとのことですが。
従来は、河川敷があって、さらにコンクリートによる護岸があって……という、よく見る川の風景で、地域の人たちの暮らしから川が遠かったともいえる。わたしが高校生から大学生の頃に行われた河川改修では、緩やかな傾斜の護岸に変わったんです。安全性を保ちつつ人びとが川の近くまでアプローチできるようになって、こんなにも風景が変化するんだと、大きな衝撃を受けたんですよね。しかも新たな河川敷は、住民の方々がマルシェを開催したり、キャンプを楽しんだりと、さまざまな活用がなされるようになりました。川にはこうした可能性があるんだと、目を開かされた出来事だったのです。
河川改修によって緩やかな傾斜が設けられた遠賀川の河川敷。写真左に見えるのが、地域住民が開催しているマルシェ
治水・利水・環境
──先ほど川づくりのお話がありましたが、「川と自治」というご研究テーマにどう絡むのか解説いただけますか。
河川の研究と一言でいっても、ハードとソフトの両面があります。土木の観点からの計画設計や技術開発、管理の効率化や災害時の耐力分析などがハードの側面だとすれば、わたしが専門にしているのはどちらかといえばソフトの面であり、それが「川と人」、あるいは「自治的河川管理」というテーマなんです。川をめぐって計画をつくるにしても、地域における合意形成のあり方も考えなければなりませんし、人びとがどのように川周辺の空間を活用しているのかを分析する必要があります。
近年でいえば、全国的に人口が減少するなかで、管理が追いつかずに草がぼうぼうに生えてしまっているような河川も増えてきている。その管理の実態がどうなっているのか──決して広くはない日本の国土でも4000水系を超える河川があるなかで、国や自治体による管理だけでなく、そこに市民主体の管理がどの程度貢献しているのかというのは、わたしの研究軸のひとつです。かつて「人的・時間的労務量に着目した河川市民団体の定量的分析」という博士論文のために、全国の一級水系、109水系を2年半ほどかけて回って調査しました。以前ミツカン水の文化センターの機関誌『水の文化』に連載し、いまもウェブで読める文章は、そのプロセスの途中から報告したような内容ですね。
──国・自治体/市民というお話がありましたが、つまり一級河川であれば国、二級河川や準用河川であれば地方自治体による管理が河川法で定められていて、その上で市民による自治という問題が設定されるわけですよね。そもそもこうした枠組みは、どのように歴史的に構築されてきたものなのでしょうか。
現行の河川法は、治水・利水・環境という3つの目的が大きな柱となっているのですが、これは日本の近代化以降の歴史において、段階を追って現状に至っているということができます。まず河川法が最初に制定されたのは、1896(明治29)年のことです。水害大国の日本としては、とにかく川を治めないと近代国家としての発展は見込めなかった。お雇い外国人を多数招聘して、治水に励んだのがこの時期です。戦後の1964(昭和39)年に法改正があり、高度経済成長期のなかで利水という要素が加わります。しかし全国的にコンクリートでガチガチに固められた川ばかりになってしまい、1997(平成9)年の法改正で「河川環境の整備と保全」が目的に加えられたわけなんです。
このときの法改正でもう一点重要なのが、河川整備計画制度が地域と連携し、その意向を反映するものへと見直されたことです。法改正以前、1980年代から環境問題に取り組む市民運動が活発化していましたが、そうした主体としての市民が川に本格的に関わるようになる。住民参加のプロセスにおいて川づくりをせよという方向が示されたのは画期的なことで、官民連携しての議論ができるようになりましたし、わたしが実際に遠賀川で体験したことも、こうした歴史の先に起きた出来事でした。
──なるほど。「川と自治」が問題となる全体がよくわかりました。
2013(平成25)年に公布された「水防法及び河川法の一部を改正する法律」では、「河川協力団体制度」が創設されました。「河川の維持、河川環境の保全などの河川の管理につながる活動を自発的に行っている民間団体等」を法律上位置づけたもので、後に触れることになるであろう河川での市民活動の一部は、こうした制度に基づいています。河川協力団体に指定されると、河川法第99条に基づいて、河川管理者が協力団体に事業を委託することも可能になります。
国・自治体・市民の関わり合いに加えて、そもそも川という存在自体が、ある種のバッファゾーンなんですよね。河川堤防のことを「半自然構造物」と表現することがありますが、川自体もまた、「半自然構造物」だといってしまってもよいかもしれません。圧倒的な自然の営力は予測不能なところがあり、人間の思い通りにはいかない。手を加えていくインフラであるとともに、管理しようと思っても管理しきれないものでもある。その曖昧さ、常に未知の部分を含み込む底知れぬ面白さが、高校時代以来、わたしをとらえているのだろうと思います。
雪どけの季節の手取川
技術を用いた合意形成
──全国的にさまざまな事例を調査されていらっしゃいますが、市民によってどのような自治的活動がなされているのでしょうか。
代表的な例でいえば、除草です。まず河川管理の観点からいえば、なぜ除草するかというと、堤防の点検という側面が大きいんですね。穴が空いていないか、モグラが穴を掘っていないかなどということをチェックするには伸びている草は邪魔ですから、国土交通省が管理する一級河川なら通常は年に2回、二級河川であれば年1回程度行われています。堤防管理の面で最も理想的な植生はシバですが、年3、4回の草刈りが必要です。放っておいてしまえばチガヤやススキといった草本、外来種などが繁茂し、最終的には樹木が生えてきてしまう。樹木が根を張ることは構造上好ましくありませんから、河川管理者が除草をしているわけです。
もちろん、全国的に人手不足ですから、河川管理者が除草を徹底できるとも限らない。予算などの制限もある。そうした状況のなかで、管理者ではなく、市民活動として草刈りを行っている団体も存在するわけですね。
──草を刈る背景自体が存在するのですね。
とはいえ、堤防そのものの草を市民が刈るのは、レアケースだと思います。より多い例として挙げられるのは、河川敷の草刈りを住民が行っているケースですね。というのも、河川管理者は基本的に、治水安全上必要ない場合、河川敷の草は刈らないんです。そうした管理者の手が届かない場所を、市民が自主的に整備しているという場合は多い。例えば、子どもたちを遊ばせる場として河川敷を利用するために、人びとが自ら除草するということがあるんですね。自分たちで刈ることの裏には、その場所を利用したいという動機が存在するんです。
河川区域に隣接する空き地のような空間の除草を行うこともありますし、農道の畔(あぜ)と川の堤防が地続きになっていれば、土砂が溜まるなどして取水が滞ることのないように当番制で草刈りを行う、ローカルな自治管理がなされている場合もある。このように、さまざまな草刈りの空間や動機が、実際には存在します。
──取水ということでいえば、川をめぐっては、上流と下流それぞれに住む者同士の社会的な関係性は常に問われますよね。上流で河川を汚してしまうと下流に甚大な影響を与えてしまうわけですし、そこには常に一種の緊張と協働の関係が存在しているように思えます。
日本国内でも昔からさまざまなかたちで「水争い」が行われてきました。例えば福岡県南部を流れる矢部川は江戸時代、左岸と右岸で統治する藩が異なり、取水をめぐっては堰をつくるなどしてお互いに牽制し合っていました。しかし最終的には、下流にかけて両岸で水が行き渡るように「廻水路」(かいすいろ)というものをうまく設けました。相手の藩の堰の上流に堰を設けて取水し、相手の堰を迂回して川に落水させ、さらに下流の自領の堰で取水する……こうした廻水路が、上流から下流にかけて、両藩互い違いに設けられている。一見、水争いの図式に見えますが、結果的にうまく水を分かち合った例だといえます。
現在でも、農業用水などを正確に分配するための「円筒分水」という、技術を用いた究極の合意形成ともいえるような仕組みが全国各地に残っています。丸い構造物が設けられていて、円の中心から湧き上がる水を、取り決めた一定の割合で分配していく。このように、住民たちが川や水をめぐってうまく合意を形成してきた歴史が存在するんですね。
(上)石川県七尾市を流れる池崎川にて。地域の河川維持管理行事「川刈り」に坂本さんたちが参加し、マコモを刈っている様子 (下)音無井路十二号分水(大分県竹田市) Public domain, via Wikimedia Commons
慣習と管理のあいだで
──なるほど。除草の場合は特に問題にならないだろうと思いますが、例えば「勝手橋」のことなどを考えると、河川管理者の許可をともなわない河川敷地占用を禁じる河川法とバッティングしてしまうような活動も想定できますよね。
勝手橋を修復したり新たに設置したりするとなれば、占用許可を取らなければなりません。基本的には、流水の支障になるような構造物を恒久的に置くことはできないんです。勝手橋の橋げたは流水の阻害になる可能性がありますから、現行法の河川管理の観点からはやはり認められない。勝手橋という名前から想像されるように、個人の利益を優先するような公共性の低い構造物は認められる可能性は低いといえます。ただ、占用の期限を設けるとか、洪水時には撤去することを前提とした申請の仕組みも存在します。
一方で、そもそも川と自治の観点でいえば、近現代的な河川管理のロジックだけですべてが通るのか、という問いも当然存在します。勝手橋に関しては管理者がわからないケースが多いとのことですが、地元の住民がしっかり責任をもってきたものであったり、共同で管理できてきたりしたものもあるとすれば、そうした地域のインフラや慣習をすべて河川管理の論理で切り捨てるのかどうか、ある程度の基準をクリアできるならば残していくという道もありえるのか。川と自治をめぐる問題を広く眺め渡すときに、ここには考えるべき余地がいろいろとあるかもしれません。
──単なる管理のロジックだけで通らないところに「自治的河川管理」は存在する、と。
例えば長崎県東彼杵郡東彼杵町を流れる二級河川である串川では、昔多くの鮎が遡上していたのを復活させたいという地元の人びとの思いから、遡上を補助する「傾斜板」というものが設置されるようになりました。日曜大工的な手づくりの装置なのですが、これも洪水時には撤去するという条件において許可を得て実験をおこなっています。
また、同じく東彼杵町を流域とする彼杵川(そのぎがわ)では、うなぎを捕獲する際の地域独特の漁法として、石積みによる「うなぎ塚」というものが存在します。地元の人たちが、川のなかに何カ所もサークル状に石を積み、そのなかにうなぎが入っていく。こうした川の利用は慣習的に許されているわけですが、同時に住民たちは川の状況に目を光らせているし、草刈りにも精を出しているわけです。うなぎ塚を見ていると、川の利用と管理はやはり一体なのだな、「自治的河川管理」とはこういうことなんだと、心から実感しますね。
──各地の川を訪れるたびに、いろんな発見があるのだろうと想像します。
一度行ったことのある川でも、改めて足を運ぶと何かしら、以前来たときとは異なる発見があります。わたしの指導教員だった師匠からも、かつてわたしが全国の一級河川109水系を回る際、「一度見ただけで見たつもりになってはいけないよ」と言われましたが、本当にその通りだと思います。いまは学生たちとのゼミ合宿を通じて、またすこしずつ、109水系を回っているところです。
(上)長崎県東彼杵郡東彼杵町を流れる彼杵川に点在する「うなぎ塚」 (下)石を積んで「うなぎ塚」を築く地域住民たち
【WORKSIGHT SURVEY #62】
Q. 川の管理は、近隣住民も関わるべき? 行政に任せるべき?
川は、治水や利水のために行政が管理するインフラであると同時に、近隣住民が散歩をしたり、ときには草刈りや清掃を担ったりする身近な公共空間でもあります。行政だけが川の維持管理を担い続けることは難しくなりつつあるなか、あなたは、川の管理に近隣住民はもっと関わるべきだと思いますか? それとも、行政に任せるべきだと思いますか? ぜひ皆さんのご意見をお聞かせください。
【WORKSIGHT SURVEY #60】アンケート結果
国家なき時代に築かれたアイデンティティ:スロベニアの出版史と「精神のインフラ」(5月12日配信)
Q. 小規模でも持続する出版文化は、日本でも実現できる?
【はい】本によって、例えば金原ひとみや村田沙耶香や『偉国日記』などによって、10年前の自分から明らかにジェンダー的倫理観がアップデートされているように思う。思想や倫理観が変化していく余地がある限り、出版文化は無くならないと思う。
【はい】ヨーロッパの「小さな言語」と比べると日本語はまったく小規模ではないので、どんなにニッチな内容でも成立しやすいのが日本語の出版文化だと思う。そういった前提はありつつ、書きたい人、残したい人、読みたい人がいる限り、どんなに小規模でも成立すると思う。
【はい】日本にも、多くはないが一定数の本好き、本を楽しむ人達が存在するから。
次週5月26日は、東京・六本木「21_21 DESIGN SIGHT」にて開催中の企画展「スープはいのち」について、ディレクションを手がける遠山夏未さんへのインタビューを配信。武蔵野美術大学で空間演出デザインを学び、イッセイミヤケを経て遠山さんが辿り着いた「デザインの最小単位」としてのスープとは。お楽しみに。









