国家なき時代に築かれたアイデンティティ:スロベニアの出版史と「精神のインフラ」
16世紀の宗教改革に端を発し、出版と言語を核としたアイデンティティを形成したスロベニア。ハプスブルク帝国支配下、ユーゴスラビア王国や社会主義体制の時代を経ながら、高度な印刷技術の拠点としての地位を確立した小国の歴史は、ことばの文化の価値を物語るたしかな証左である。スロベニア文学の碩学が紐解くその歩みから、わたしたちは何を学べるだろうか。
スロベニア国立大学図書館の読書室 photograph by simonkr via Getty Images Images
近年、小規模かつ自律的な出版のあり方が注目を集め、ZINEやアートブックをめぐって独自のシーンが生まれつつある。個人出版の祭典とも言える「文学フリマ」の来場者数は急増、特に東京会場では開催のたびに過去最高を更新している。デザイン誌『アイデア』の最新号では、国内外のリソグラフスタジオやインディペンデント出版社に焦点を当てた特集が組まれた。
欧州を拠点に活動する本記事のインタビュアーは、こうした動向への関心から、スロベニアの首都リュブリャナを訪れた際、中心部近くの小さな印刷工房「ティポ・レネサンサ」(tipoRenesansa) で定期的に開催されている活版印刷のワークショップに参加した。工房を主宰するマルコ・ドルピッチ氏は、金属製の小さな活字を組み合わせる「組版」や印刷機の扱いを手ほどきしながら、スロベニアにおける出版の歴史を情感豊かに語った。
小国でありながら、古くから複数の印刷所が点在していたこと。多くの人びとが印刷産業に関わり、街の生活や人間関係がそこに強く結びついていたこと。人口あたりの出版点数が他の国と比べて非常に多いこと……そうした語りに耳を傾けていると、出版文化がスロベニアという国のかたちを支えてきたことが浮かび上がってきた。
この話に出版の未来への示唆を見いだしたWORKSIGHTは、その背景を専門的に読み解くべく、ワシントン大学のスラブ学研究者であり、スロベニア語の翻訳家でもあるマイケル・ビギンズ氏にインタビューを敢行した。プロテスタント宗教改革から現在に至るまでの歴史を通じて語られる彼のことばは、出版の本質的な価値とは何かを改めて問いかける。
interview by Anna Nakai
text by Hidehiko Ebi
マイケル・ビギンズ|Michael Biggins シアトルのワシントン大学教養学部スラブ言語・文学科客員教授。スロベニア文学研究者、翻訳家。スラブ語圏の言語・文学・出版文化を横断的に研究。代表的な翻訳書に、スロベニア文学史上最大のベストセラーかつ最多の翻訳数を誇るウラジーミル・バルトル『Alamut』のほか、ドラゴ・ヤンチャル作品群、ロイゼ・コバチッチ『Newcomers』など。スロベニア科学芸術アカデミー通信会員、リュブリャナ大学名誉評議員。2021年、スロベニア文字文化を世界に普及させるための生涯にわたる貢献を称える、スロベニア国立図書館の「プリモジュ・トゥルバル賞」を外国人で初めて受賞。
言語が国家になるとき
──今回は、スロベニア文学を英語圏に紹介してきた中心的存在であり、スロベニアの出版文化に深い造詣をもつマイケルさんに、その歴史や背景についてお話をうかがえればと思います。
わたしは出版史そのものの専門家ではありませんが、出版がスロベニアで果たしてきた役割については、概括的にお話しできると思います。
──よろしくお願いします。
現在のスロベニア共和国が国家として成立したのは、1991年に旧ユーゴスラビアからの独立を宣言して以降のことです。しかし、出版史を語るならば、16世紀のヨーロッパ宗教改革と、その時代を生きた聖職者プリモジュ・トゥルバルから語り始める必要があります。
当時のスロベニアは、ハプスブルク家が支配する複数の領邦にまたがっていた上、方言差も大きく、地域ごとに分断された状態にありました。
そんななか、1517年に北部ドイツの地でマルティン・ルターによる宗教改革が始まったわけですが、それまでキリスト教の教えはすべて難解なラテン語で独占されており、読み書きができない一般の人びとは、聖職者の説明を盲信するしかない状況に置かれていました。ルターは、特権階級が人びとの無知につけ込むという腐敗の根源を打破しようとしたわけです。
「真理は自らのことばで読み、確かめるべき」というルターの革新的な思想は、ヨーロッパ全体へと急速に広がりました。この思想に触れたスロベニア出身の聖職者トゥルバルは、聖書をスロベニア語に翻訳することを決意します。
トゥルバルは、スロベニア語話者の暮らす土地をくまなく巡り、できるだけ多くのスロベニア人が理解できるよう、さまざまな方言を掛け合わせたハイブリッド形式の言語を開発しながら翻訳を進めました。こうして生まれた新約聖書は、スロベニア語による最初の文学的成果であり、民族的統一の出発点となるものでした。
──民族的統一、ですか。
トゥルバル自身は、同胞たちの「宗教的な救済」と表現しましたが、トゥルバルはこのときから「わたしたちはひとつの民族であり、それを結びつけるのは言語である」という意識をもっていたと言えます。
プリモジュ・トゥルバル(1508-1586)。旧スロベニアの通貨である10トラール紙幣に肖像が描かれたことからも、歴史的に重要な偉人であることが窺える Public domain, via Wikimedia Commons
──スロベニアが建国されるより遥か前に、国家としてのアイデンティティが形成された、と。
国家をもたなかった人びとにとって、言語は自分たちが何者であるかを定義する拠り所でした。スロベニア国民の愛国心は、トゥルバルによる翻訳活動から始まったと言えるでしょう。
プロテスタントへと転向したトゥルバルは、体制を揺るがす政治的扇動者と見なされ、国外に追放されることになりますが、その活動は同じく聖職者のユーリ・ダルマティンに引き継がれ、1584年にドイツ・ヴィッテンベルクで出版された旧約・新約聖書は、スロベニア語という共通基盤を決定づけました。
──スロベニア語の出版物にもかかわらず、なぜドイツで印刷されたのでしょうか。
その頃のスロベニアには、十分な印刷技術をもつ基盤が存在していなかったからだと考えられます。そもそも、こうした書物は宗教改革に対抗するカトリック教会によって明確に禁じられていました。
代わりに機能していたのが資金とネットワークです。スロベニア──ここではスロベニアの土地に住む人びとという意味ですが──のなかでも、ドイツ系の貴族や、ドイツ語の教育を受けていた都市の市民層、商人が、出版に必要な資金を提供しました。トゥルバル自身、追放後も資金調達に奔走し、相手に応じてドイツ語とスロベニア語を使い分けながら支援を募りました。
──精力的な資金調達者でもあったわけですね。
そうです。そして、そうして印刷されたスロベニア語の書物は、いわば密輸のような形式でスロベニアへともち込まれました。
志をもった個人の活躍
──トゥルバル追放後、出版文化はどのように発展していったのでしょうか。
16世紀末から17世紀にかけて、カトリックの対抗宗教改革によってプロテスタンティズムはほぼ消滅し、スロベニア語の出版は長い停滞期に入ります。この暗黒時代とも言える状況下で、特定の公的基盤が整うのを待つのではなく、自らの使命として出版文化を支えようとする卓越した個人が断続的に現れました。
その象徴的な存在が、17世紀後半に現れたドイツ系貴族ヤネス・バイカルト・バルバソールです。彼はスロベニアという土地に強く魅了され、その自然、歴史、民俗に至るあらゆるものを記録しようと試みました。その集大成が、彼が調査・編集・執筆を行い、ドイツ語で出版した全4巻に及ぶ大著『The Glory of the Duchy of Carniola』です。この書物には、銅版画や地図がふんだんに収められ、地理的現象から神話、生活文化まで、驚くほど多様な要素が精緻に描かれています。
特筆すべきはその制作方法で、バルバソールはこの事業のために私財を投じ、自ら各地を巡って資料を収集し、自宅に印刷機を設置して彫版師や印刷工を雇い入れ、出版を実現しました。一説ではこの過程で破産したとも言われていますが、彼の試みが一世一代の賭けであったことは間違いありません。
リュブリャナの旧市街の石畳の路地。中世以来の都市の構造が色濃く残っている photograph by Topillo via Getty Images Images
──バルバソールの活躍は、スロベニアの出版文化の発展の起点になったのでしょうか。
いえ、スロベニア語の出版物が大陸的に広がり始めるのは18世紀後半です。たしかにバルバソールの献身は、スロベニアの文化史における巨大な記念碑となりましたが、本格的に立ち上がる転機は、啓蒙主義の広がり、そしてハプスブルク帝国のヨーゼフ2世による改革がきっかけとなりました。国家の近代化に向けて、母国語による出版が奨励されたことで、言語を基盤とした文化活動の自由が拡大しました。
この時期以降、哲学者や言語学者、歴史家たちが現れ、それぞれの分野をスロベニア語で展開し始めます。19世紀に入ると、特に1848年の「諸国民の春」を経て各民族が自らの言語文化を発展させようとする動きが強まり、出版は急速に拡大していきます。ただし、完全に大衆化されたものではなく、個々の強い意志が出版制度の不在を補っていたと言うべきでしょう。
──つまり、個人の志の集結が断続的に積み重なりながら歴史が築かれていったわけですね。
その通りです。その積み重ねこそが、小さな言語文化を維持し多様性を守り続ける力でした。
19世紀末になると、識字率の向上と教育の普及によって、スロベニアの出版や文学は大きく花開きます。次第に商業的な側面を強め、予約購読制度のようなビジネスモデルも導入されるなど、出版はより広い社会に開かれていきました。その根底に流れていたのは、常に文化を支えようとする個々の意志でした。
インタビュアーが訪ねたリュブリャナの印刷工房「ティポ・レネサンサ」の活版印刷機にフォーカスした短編映像作品。規則的に刻まれる機械音が心地よい
戦時下のビラ
──これまで19世紀末までの出版史をたどっていただきましたが、スロベニアにとって20世紀は、2度の世界大戦を経て社会主義体制のユーゴスラビアへと組み込まれていく、まさに激動の時代と言えますよね。この時代、極限状態に置かれた出版・印刷がどのような役割を果たしたのか、非常に興味があります。
おっしゃる通り、20世紀はスロベニアにとって、ある種の断絶の時代でした。第一次大戦後、スロベニアは王国の一部となりましたし、その後の第二次大戦期にはドイツ・イタリア・ハンガリーによる分割占領に加え、パルチザン支持者と反共勢力との間で凄惨な内戦が勃発し、社会に深い傷痕を残しました。
戦時下で特徴的だったのは、「文化的沈黙」(Kulturni molk)という方針です。これは、作家や芸術家、音楽家は、創作すること自体は許されているものの、占領下でそれを出版したり上演したりしてはならないというもので、その結果、高度な専門的出版はほぼ停止し、方針に抗って活動を続けた多くの知識人は、命を落とすか亡命を余儀なくされる悲劇を招いたのです。
しかし、そのような瓦礫のなかでも、「ことば」と「出版」の灯が消えることはありませんでした。
──どういうことでしょう。
戦時下は、別のかたちの出版物を生み出す契機にもなりました。パルチザンの内部では、タイプライターで打たれ粗末な紙切れに印刷されたビラ、簡易的な冊子、新聞といった独自の印刷活動が、重要な役割を担っていきました。
興味深いのは、パルチザンが単一の思想集団ではなかった点です。そこには共産主義者だけでなく、世俗的なナショナリスト、社会主義者、自由主義者、さらにはリベラルなカトリックまで、多様な立場の人びとが参加していました。詩人や芸術家も含まれており、創作は戦時下でも完全に途絶えることはなかったんです。
──混沌とした多様性を内包していた、と。
彼らの多くは、最終的にスロベニアの独立を望んでいました。その願いは結果的に実現せず、共産主義者が主導権を強めたことにより、出版や表現のあり方は一定の方向性を求められるようになっていきます。それでもなお重要なのは、むしろ極限状況のなかでこそ、書き残すことが強い意味をもち続けていたことです。
「文化的沈黙」に縛られていた時期、抵抗勢力が秘密裏に建設したパルチザン・スロベニア印刷所(上)。イドリヤ市ヴォイスコ近郊の断崖を拠点に、1943年からはパルチザン日刊紙『Partizanski dnevnik』(下)の発行を開始した top: photograph by gaspr13 via Getty Images, bottom: Public domain, via Wikimedia Commons
精神のインフラ
──第二次大戦後、社会主義体制へと移行したことで、スロベニアの出版もまた国家の管理下へと集約されていったのでしょうか。
まず、大規模出版社が3つ設立されました。これらの出版社は大量の出版物を生み出しましたが、最初の数年間はソ連型の中央集権体制のもと、その内容はイデオロギーの適合を国家に求められました。
しかし1948年、ユーゴスラビアがソ連を中心としたコミンフォルムと決裂すると状況が変わります。それ以降、徐々に独立性が高まり、年を追うごとに表現の自由も拡大していきました。
──ソ連との決別は、どのような影響をもたらしたのでしょうか。
自らの独自性を打ち出すために、革新的な社会主義イデオロギーを発展させました。その中心のひとつが「自主管理社会主義」です。
その運営方針は、ほとんどの企業が「社会的所有」という形態をとるなか、従業員全体の参加によって決定される仕組みになっていたんです。つまり、企業の方向性はトップダウンではなく、従業員全体の合意によって決まるというラディカルな発想です。
──中央集権型の計画経済から距離を取った訳ですね。
強いリーダーシップが発揮しにくくなった結果、ときに大胆で創造的な作品が出版されることもありました。もちろん、それは国家と表現者の繊細な駆け引きの上にあり、一線を越えれば出版禁止というリスクと隣り合わせですが、そうした状況が30年以上にわたって続いたと考えてよいでしょう。
その時代を象徴する作家として、ブレダ・スモルニカル(Breda Smolnikar)が挙げられます。1960年代に公的な出版社からデビューした彼女は、次作の原稿を「大胆すぎる」と出版社から拒絶されて以降、すべての作品を自ら出版する道を選びました。自費出版は、当時のユーゴスラビアでは極めて異例です。当局とのトラブルを抱えながらも、彼女は自身の拠点を守り、優れた作品を世に送り出し続けました。
──ここでも再び「個人」の存在が浮かび上がるわけですね。
これまでの話は、スロベニア出版の本質を示しています。トゥルバル、バルバソールのような個人の営み、戦時下の独自出版、そしてこの時代における制度と個人の緊張関係。これらはすべて連続しています。
スロベニアにおいて、出版とは精神のインフラであり、「われわれとは何か」という問いに対する応答でした。そしてその応答は、時代ごとに異なるかたちを取りながらも、一貫して個人の決断によって支えられてきたんです。
上:スロベニアにおける「個の抵抗」を象徴する作家、ブレダ・スモルニカル Public domain, via Wikimedia Commons 下:リュブリャナ出身、現代ヨーロッパを代表する女性作家ブリナ・スヴィト氏のインタビュー。アイデンティティや亡命をテーマにした作品で知られる。マイケル氏が、哲学者スラヴォイ・ジジェク氏、詩人トマーシュ・シャラムン氏、そして小説家ドラゴ・ヤンチャル氏と並び、国際的な舞台で活躍するスロベニア出身の「例外的な才能」として名前を挙げたのが彼女だ
アイデンティティの継承
──近年のデジタル技術の進展や生成AIの普及は、今後のスロベニアの出版のあり方にどのような影響を与えるとお考えですか。
生成AIによる創造には、身体的経験がないという点で限界がある、というのがわたしの考えです。創造は人間から生まれる必要があります。なかでも「ことば」による創造は、近代文学に限られるものではなく、ホメロスやインドの叙事詩にまで遡る、人類の根源的な営みです。
文学が最高のかたちで機能するとき、それはひとりの人間が言語を通じて、ある独自の生きた経験がもつ深淵さ、広大さ、複雑さを、他者へと伝える行為です。それは他者に与えうる、最も大きな贈り物のひとつだとわたしは思います。
もうひとつ重要なのは、社会主義期から続く文学のエコシステムです。例えば、スロベニアには創作者への補助制度があり、一定の条件を満たせば生活を支える支援を受けることができます。この制度を基盤に、世界にまだ十分に知られていない優れた文学がこれまで数多く生み出されてきました。
──なるほど。現代のスロベニア国民は、どのように本を選んでいるのでしょうか。
もちろん書店で本を購入する人も一定数いますが、多くの人は公共図書館を通じて本に触れていると思います。というのも、スロベニア語の本は他のヨーロッパ諸国に比べて高価だからです。
──なぜ高価なのでしょう。
単純に、市場がとても小さいからです。本が届く範囲は限られており、スロベニア語の読者は、約210万人の人口に、語学熱心な少数の外国人を加えた程度にすぎません。それでも文化が存続しているのは、一定数存在する熱心な読者層に支えられているからだと思います。
──では、出版や印刷、言語によって築かれてきたスロベニアのアイデンティティは、どのようにして現在にまで受け継がれてきたのでしょうか。
そうですね……答えに直結はしませんが、スロベニア出身でシアトルへと移住した、とある夫婦の話をさせてください。
彼らはマイクロソフト本社で数年間働き、アメリカでの生活も気に入っていたようですが、最初の子どもが生まれると、ほどなくしてスロベニアに戻る準備を始めました。子どもをスロベニア語の環境で育てなければいけないと考えたからです。
祖父母の近くで育ち、家族が暮らしてきた土地に愛着をもちながら成長すること。そして、やがて自分たちがこの世を去ったときには、先祖代々が眠るこの土地の教会に、子どもたちが花を供えに来てくれる──そうした繋がりのなかで生きるべきだという考えです。
こういった話は、わたしが知るスロベニア人のあいだで何度も耳にしてきました。実際に彼らの暮らす場所を訪れると、両親、祖父母、さらにその前の世代へと、何世紀にもわたって続く生活の積み重ねを見ることができます。
──スロベニア語、それからその土地の文化に対する誇りがそうさせるのでしょうか。
文化の伝達には、戦争や紛争に伴う人口移動など、常に困難が伴ってきました。それでも、英雄的とも言えるこれまでの文化の蓄積は、これからも変化しながら続いていくと思います。
スロベニアの首都リュブリャナの旧市街、「Cankarjevo nabrežje」通りにある川沿いの書店。2018年6月25日 photograph by Richard Baker / In Pictures via Getty Images Images
【WORKSIGHT SURVEY #60】
Q. 小規模でも持続する出版文化は、日本でも実現できる?
人口約210万人という小国でありながら、いまなお出版文化が社会の重要な基盤として機能しているスロベニア。本やことばを残そうとする個人の意志や熱心な読者層によって、小規模ながら独自の出版文化が維持されてきました。あなたは、人口減少や書店減少が進む日本においても、スロベニアのような「大きな市場」を前提としない出版文化は成り立つと思いますか? 皆さんのご意見をお聞かせください。
【WORKSIGHT SURVEY #58】アンケート結果
時間はいつ「線」になったのか:年表の発明と忘れられた時間観(4月28日配信)
Q. 「時間は線である」という考え方以外に、別の時間の流れを感じることはありますか?
【はい】「濃密な時間だった」などと言うが、これは過去の経験を語ることが多い。では、現在を何で表すのかを考えると、「重い・軽い」で表現することが腑に落ちる。いま・ここという感覚は、あいまいなものではなく、もっと物質的な感触をもって表れているように感じられる。
【はい】認知症の人は、まず最初に時間の感覚から失っていくらしく、うちの祖母も認知症になった時に、いまとそれ以外がすべて混在しているように見受けられました。恐らく祖母の中では部屋の中での時間の流れは止まっているのだと思います。
【はい】北西インドの言語であるパンジャーブ語を習っていた頃に、「昨日」と「明日」が同じ単語で、文法や文脈で読み取るということを教わりました。昨日と明日が同じ単語であることが新鮮でしたが、インドの文化には輪廻の思想があるので、「いまではない、いつか」はすべて円上の別の場所として同じに扱うのではないか?と考えました。その後、自分の中に直線ではない時間感覚がインストールされ、後悔するようなことがあっても、いつかそれを再びチャレンジできる瞬間が来る可能性がある、と精神的に余裕をもてるようになりました。
【いいえ】時間を取り除いた宇宙を想像できない。
次週5月19日は、「川と自治」の専門家である坂本貴啓さんへのインタビューを配信します。住民による自治と、管理しきれない「半自然」としての川は、いかにして結びつくのか。福岡県・遠賀川で住民たちが描き出した50年後の“夢物語”を補助線に、人と水辺の新たな関係性を考えます。お楽しみに。









