風景にとけこむ資料室:LGSA by EIOSとストリートアートの「横断」
ストリートアートの歴史がビルの一室にアーカイブされ、ほかの分野と接続し、また世界に放たれる。そんな資料室/ギャラリーが渋谷に生まれた。運営の中心は、エアロゾル・ライティング(一般的にはグラフィティと呼ばれる)を現代美術の領域において斬新なかたちで展開し、ストリートアートの歴史をひもとく研究を続けてきた美術家・大山エンリコイサムのスタジオ。来室者とともに変化を遂げていく空間がそこにある。
渋谷・桜丘町の街並みをすこし歩き、再開発が進む駅前から離れて静かな住宅街に入る。坂道を下っていった先にある小さいオフィスビル、その階段を今度は上がっていった一室に、美術家として活動する大山エンリコイサムが中心となって2025年10月に開室した「LGSA by EIOS」(ラグサ バイ エイオス)はある。Library and Gallery of Street Art by Enrico Isamu Oyama Studioの別称が示すように、合同会社大山エンリコイサムスタジオが運営する資料室/ギャラリーだ。
「ストリートアートとエアロゾル・ライティング、および隣接する文化領域について、社会理解の浸透と向上を目的とする」とうたう同室は、木・金・土・日の13時から18時まで開室しているあいだはスタッフが常駐。入室に予約は不要、現地で利用登録すれば資料を手に取ることができ、また複写の依頼も可能だ。ときに展覧会やイベントも開催され、多様な来室者が出入りする場になりつつある。そもそもなぜこんなスペースを開いたのか、何を期待しているのか。大山に話を聞くと、まるであちこちから聞こえてくるエアロゾルスプレーの噴射音のように、そもそもが横断的であるストリートの息吹が聞こえてきた。
photographs by Hironori Kim
interview and text by Fumihisa Miyata
未知の来室者と、資料の活用
──ストリートアートの一領域であるエアロゾル・ライティングを再解釈した活動を続けてこられた大山さんが、新たにスペースを開いたと聞いて、「どういう場所なんだろう?」と興味深く思っておりました。LGSA by EIOSを開室して半年が経とうとしていますが、実際に運営を始めてみていかがですか。
さまざまな方が足を運んでくださっています。来室したすべての方を把握できてはいませんが、体感としては8~9割が、わたしと個人的なつながりがない方々です。もちろん知り合いもありがたいですが、そもそもLGSA by EIOSは広く社会にストリートアートの可能性を伝えたいと考えて開室したので、そうした視点からいえば感触はよいですね。ただ、空間の造作もディティールのやり残しがありますし、まだまだ模索しながら運営しています。
──そうなんですね。来室者に関しては、大山さんとしても意外なほどにいろんな方がやってきているということなんでしょうか。
はい。いつもの散歩ルートだけど、ビル入口のLGSA by EIOSというサインを見つけて入ってくれた、ご自身でも渋谷の路上を撮影し続けている地元の方もいれば、オンライン記事を見て東京に行くときは寄ろうと思っていたとおっしゃる地方の方もいました。学生も多いです。あとは雑誌のコレクターの方、映像や出版・メディア関連のお仕事をされている方など、老若男女問わずですね。
──大山さんが集めてこられた資料がずらりと並んでいますが、予約も要らずふらりと訪れることができるという点でも、かなり開かれた場所ですよね。
わたしの頭のなかを見せる場所ではないんです。そもそも開室にいたった経緯として、ストリートアートの研究の必要から古い資料を集めていたのですが、あるとき「これは自分以外の人にとっても有益なリソースではないか」と感じるようになりました。
わたしはストリートアートに影響を受けつつも、ストリートではなく現代美術のフィールドで、自分なりのフィルターを通してその影響を再解釈し、表現の活動をしています。並行して、日本では知られていなかったストリートアートの歴史を研究して発信することを20年ほど続けてきました。そこで積み上がったものは多くありますが、わたしだけでは研究の広がりにリミットがあり、多くの方が参加できるインフラを作れば、さらに新しい風景が開けるのではと思ったのです。ですから自分の視点やテイストを公開する場ではなく、多くの方がここの資料を活用することでストリートアートの研究や言説が活性化していく、そういう場になってほしい。
(写真上)LGSA by EIOSの全景。手前の空間はギャラリーとして展示が可能になっている。写真家・鈴木理策が写真編集を担当した猪熊弦一郎『ニューヨークの壁』を鈴木本人から寄贈されるなど、開室後も大山の視点を超えたさまざまな経路から資料が集まっている。同書は、1950年代後半から60年代にかけてニューヨークの壁を撮影した写真集であり、1960年代末に同地で始まり70~80年代に黄金期を迎えていくエアロゾル・ライティングの“前史”を写しているといえる ©︎LGSA by EIOS, Photo ©︎Shu Nakagawa
(写真下)大山エンリコイサム|Enrico Isamu Oyama 美術家。ストリートアートの一領域であるエアロゾル・ライティングのヴィジュアルを再解釈したモティーフ「クイックターン・ストラクチャー」を起点にメディアを横断する表現を展開。イタリア人の父と日本人の母のもと、1983年に東京で生まれ、同地に育つ。2007年に慶應義塾大学卒業、2009年に東京藝術大学大学院修了。2011~12年にアジアン・カルチュラル・カウンシルの招聘でニューヨークに滞在以降、ブルックリンにスタジオを構えて制作。2020年には東京にもスタジオを開設し、現在は二都市で制作を行なう。2025年にストリートアートの資料室「LGSA by EIOS」を渋谷に開室
路上のアート、その評価
──ご自身でも1970~80年代に活躍したストリートアートの先駆者たちの聞き取りなどを進めてこられましたね。本記事の聞き手が以前LGSAにうかがった際も、批評を執筆しているような人にも来てもらいたいとおっしゃっていました。一方で、個人的な背景以外にも、こうしたアーカイブ設立に連なる、より広い文脈があるのでしょうか。
グローバルな視点から見るとき、ストリートアートにはすでに50年以上の歴史があります。まず1960年代末のニューヨークを黎明期として、70年代から80年代にかけて最初の黄金期を迎えます。70年代にエアロゾルスプレーで路上の壁面に名前を吹きつけていた当事者たちは、その行為を「ライティング」と呼び、他方で行政やメディアは、いま知られているようにグラフィティ(落書き)と呼んでいました。わたしがエアロゾル・ライティングという呼称を用いるのは、こうした文脈に基づいています。
80年代には、ジャン=ミシェル・バスキアやキース・ヘリング、ラメルジーやフューチュラ2000といったアーティストが活躍しました。ただ80年代後半には沈静化し、ドラッグやエイズ感染症で亡くなったり、ニューヨークからヨーロッパに拠点を移したり、グラフィックデザイナーに転身したりと、散り散りになった面があった。その一部は、90年代の日本の裏原宿のムーブメントに合流しました。
──なるほど。ストリートからいったん分離していった、と。
2000年代に入ると、バンクシーやJRといったストリートの表現者たちが、現代美術の領域からも注目されるようになりました。ストリートアートということばが広まったのはそれ以降です。そして2010年代から2020年代にかけ、美術館の学芸員や研究者たちが、きちんと資料を集めてストリートアートの歴史研究の基盤を固めていく動きが起きます。これがグローバル水準でのストリートアートの現在地です。
個人的に影響を受け、LGSA by EIOSの構想にも作用したのが、2014年にニューヨーク市立博物館で開催された「City as Canvas」展と、その続編で2025年開催の「Above Ground」展です。両展を企画した学芸員のショーン・コルコランのインタビューをLGSA by EIOSのウェブサイトに掲載していますが、地域密着型の美術館が、ニューヨークという都市の風物詩としてストリートアートの研究と紹介に注力していく仕事がここ10年ほどのあいだに進展している。わたしがLGSA by EIOSを開室するにあたり抱いたイメージのひとつは、こうしたグローバルな動向と同期できる東京の拠点にするということです。わたし個人の文脈とグローバルな状況が、いまなら交差することができるのではないかと思ったのです。
開室から2026年4月5日まで約5カ月にわたり、初回の企画展「The New Beginning——2000年代の渋谷におけるライブペインティング」を開催した。2000年代の渋谷のクラブシーンから野外音楽フェスまで、当時のライブペインティングの様子を映像で紹介
室内であることの意味
──とはいえ、ストリートアートの歴史を室内に引き込むことには、さまざまな意見がありそうです。どうお考えになりますか。
エアロゾル・ライティングの文化がニューヨークで最初に始まった頃、それをきちんと論じた最初の人物はフランスの社会学者ジャン・ボードリヤールで、1975年のテクストで「empty sign からっぽの記号」と評しています。学生運動や政治・社会運動によくあるマニフェストの落書きではなく、都市に氾濫する記号の落書きとしてストリートアートを捉えていく。しかしそれは「名前=からっぽの記号」であり、既成のコード化された記号への抵抗になっていると分析するんですね。それまでの階級闘争のナラティブとは異なり、資本主義のメカニズムそのものから生まれ、からっぽであることによって内部からエラーを誘発すると。
──なるほど、面白いですね。
ボードリヤールは、ライターが自らの名前に吹き込んでいる「アルターエゴ」を捉えそこなってもいるのですが、それは置いておきましょう。重要なのは、ボードリヤールが観察した記号の氾濫は、空間の横断性をその特徴としたという点です。氾濫、つまり溢れ出すということは、単一の空間からはみ出るという運動、その持続こそが大切です。わたしからすると「ストリートになければ本物ではない」という原理主義的な議論は、美術館にあるものだけが本物の芸術だという主張と構造は同じです。それはひとつの価値観であり、同意する部分もありますが、その主張の意義は70年代と現在では異なります。わたしがライティングという文化の核心に見いだしているのは、特定の空間やメディアに本質を置くのではなく、さまざまな媒体や空間に関わりながら移動していくこと、横断の運動をやめないことです。わたしの表現も、LGSA by EIOSも、この考えのもとに展開しています。
資料室の一角には、書や墨をめぐるコーナーも。為近磨巨登『墨のすべて』(木耳社、2010年)には、書の研究書にもかかわらず「エアロゾル」ということばも登場。墨からエアロゾルスプレーまで、粒子という点で横断的に捉える視座が、大山さんにとって刺激的な一冊だという
積極的に混線させる
──ギャラリーとしての機能に関しては、間もなく次の展示が開催されるようですね。
5月中旬から、1970年代のストリートアートの先駆者であるCOCO144というアーティストの展示を予定しています。本人にもニューヨークから来日してもらいます。エピソード0というか、ストリートアートの歴史の1行目に登場するような人物で、近年再評価が進んでいます。おそらくアジアで最初の彼の展示になりますね。1週間ほどの滞在のあいだにLGSA by EIOSでもトークをしますし、いくつかの美術大学とも連携して彼に話してもらう企画を進めています。先ほどお話しした、ストリートアートに関する研究のグローバルな流れに同期するようなかたちで、海外から関係者が来日する際の東京の拠点として機能したいと思っています。
──それは楽しみです。先日は哲学者・千葉雅也さんと大山さんのトークイベントが開催され、4月25日にはメディア研究者・飯田豊さんと社会学者・南後由和さんの対話の場が設けられるとのこと。LGSAの横断性自体も今後更新されていくのでしょうね。
展示やトークもわたしたちだけでなく、外部の方をゲストに迎えて企画できたらよいですね。LGSA by EIOSは小さいスペースで、だからこそできることがあり、また限界もあります。企業や行政、大学、美術館やギャラリーなど、さまざまな組織・機関とも連携し、例えばわたしたちが協力するかたちで、外部の大きなスペースで展示をするといった試みも探っていきたいです。
ストリートアートが文化のランドスケープに自然に編み込まれて認知されていくような状態になればと願っています。例えば書の専門家にストリートアートの展示を企画してもらい、建築の学生さんがふと訪れて、そこからまた別の文脈につながっていくようなイメージですね。文脈が混線して、風景にとけこんでいく。そのような資料室/ギャラリーにできればと感じています。
ストリートアートについて単著のかたちでまとめられた最初の本だと大山さんが話す、1978年に刊行されたAndrea Nelli『Graffiti A New York』。イタリアの大学院生だった著者がニューヨークをリサーチした際、現地でアテンド役を務めた若き日のCOCO144の写真が掲載されている
LGSA by EIOS ラグサ バイ エイオス
〒150-0031 東京都渋谷区桜丘町11-6 DAGビル401号
(JR渋谷駅新南改札徒歩5分、東急東横線代官山駅徒歩13分)
HP: lgsa.eios.co.jp Instagram: @lgsa_by_eios X: @lgsa_by_eios
【WORKSIGHT SURVEY #55】
Q. ストリートアートを研究したり学ぶ施設はもっとあっていいと思う?
LGSA by EIOSは、ストリート・アートの歴史やグローバルな最新の動向など、横断的に学ぶことができる資料室/ギャラリーですが、ストリート・アートを研究したり学ぶ施設はもっとあっていいと思いますか?どのようなことを知りたいですか。ご意見をお聞かせください。
【WORKSIGHT SURVEY #54】アンケート結果
会社は誰のものか:働くことと「所有」をめぐるいくつかの答え(4月7日配信)
Q:会社のオーナーシップを持って働きたい?
【はい】今の金のためだけに働く会社では全く持ちたいとは思わないが、自分の妄想を実現するための企業内起業を実現できるような会社であれば、会社全体の方向性に影響を与えるためにオーナーシップを持ってみたいと思う。
【はい】自分が創業経験あり、個人事業主でもあり、会社員でもある。会社員は楽な一方で、適時に最適解が実行出来ない、しないというケースが多い。
【はい】自己決定権がある時間の過ごし方の方が、働く時間の充実度が増すから。
【はい】I believe that having ownership in the company can significantly increase motivation and engagement among employees. It creates a sense of belonging and responsibility, driving individuals to contribute more to the success of the organization.
次週4月21日は、韓国最大級のブッククラブ「TREVARI」(トレバリ)CEOのユン・スヨンさんへのインタビューを配信。TREVARIは6,000人以上の会員を抱えるメンバーシップ制のブッククラブ。今年3月にクラブミュージックと読書会を組み合わせたイベント「Reading City」を開催し話題となった。他にも映画イベントやワークアウト、試飲会など、さまざまなイベントをほぼ毎日開催しているという。読書会はいかにして新たな文化と事業になりうるのか。お楽しみに。









