「植物との共生」を考えるブックガイド:WORKSIGHTプリント版最新号『植物倫理』から
植物には、わたしたちのこれからの生き方、考え方を示す上での貴重なヒントが溢れている。 「ベジタル(植物的)な未来」を思い描くための必読書 81冊を一挙紹介します!
Photo by Marcos del Mazo/LightRocket via Getty Images
いよいよ今週10月14日(金)刊行の、プリント版『WORKSIGHT[ワークサイト]17号 植物倫理 Plants/Ethics』。植物と人間との関係を手がかりに、植物と向き合い共存する「ベジタル(植物的)な未来」を考察する、ユニークな内容の1冊となっています。
本日のニュースレターでは、その特集から「ベジタルな未来を読みとくブックガイド」を山下編集長によるエッセイととともにお届けします。WORKSIGHTが選ぶ必読の81冊を、本誌未掲載の紹介コメントとセットでご紹介。気になる1冊がきっと見つかること請け合いです。
WORKSIGHT[ワークサイト]17号「植物倫理 Plants/Ethics」
編集:WORKSIGHT編集部(ヨコク研究所+黒鳥社)
アートディレクション:藤田裕美
発売日:2022年10月14日(金)
発行:コクヨ
発売:学芸出版社
判型:A5変型/128頁
定価:1800円+税
コミュニティの庭
text by Shotaro Yamashita
本誌での活動を知る人から「これまで訪問したなかでどの都市が一番好きか」という質問をよく受ける。歳も重ねて態度も大きくなりかつてはあった人見知りも失ってしまったが、生来の不愛想は一向に治らない。特段こちらから機敏に話を振らないことから、相手は少しでも空白を埋めたいあまり先ほどの質問に至るのである。「あぁまたか」と敗北感に駆られていることを悟られまいと、知見を買われて仕事をしている身としては、せめて挽回にと少しは気の利いた答えを出そうとする。定番の回答は「ベルリン」である。
知名度の割に日本人が喜ぶ観光要素も少ないこの街を初めて訪れたのは 6、7 年前だったように思う。けたたましい羽音を鳴らし眼前を飛び回るベルリン名物のハチを除いては欧州らしいからりとした爽やかな夏を満喫できる7月頃だったろうか。取材を終えて通りを歩いていると、それは突如目の前に現れた。それはこの街のクラバーやワーカホリックなスタートアップご用達のカフェインの効いたマテ茶ベースのドリンクよりも時差ぼけを覚まさせたのだった。
合板の切れっぱしでつくった看板、無造作にカットされたプラスチック製タンクやズダ袋でつくられたプランターになみなみと土が盛られ、野菜や花などが所せましと育てられていた。明らかにひとりの視点からつくられるデザインされた場所ではなく、多様な人たちが関わりながら細やかな調整の上で成り立っている複雑な空間。移民が多く住みかつては猥雑な雰囲気のあったクロイツベルク地区にあって小洒落たカフェやブティックが少しずつ並び始めたモーリッツプラッツでいかにもヒップなコワーキングを見た後だっただけに、余計に新鮮に感じたのかもしれない。このときばかりは、辟易していたハチについても花粉の媒介者としての畏敬の念をもたざるを得なかった。
そこは、Prinzessinnengärtenと呼ばれるコミュニティ農園だった。半世紀以上にわたって産業廃棄物が積まれ荒れ地となっていた場所を市民がNomadisch Grünという団体をつくり自主的なパイロットプロジェクトとして再開発し、2009 年夏にオープンしたものだ。公式ウェブサイトにはこの場所の創設意図がこう解説されている。
「Prinzessinnengärtenは、都市の新しい学びの場です。地元の人びとが集まり、有機食品生産、生物多様性、気候保護について実験し、発見することができる場所です。このスペースは、気候変動に適応し、健康的な食事、持続可能な生活、未来志向の都市型ライフスタイルについて学ぶのに役立ちます。Nomadisch Grünは、このプロジェクトを通じて、近隣の生物的、社会的、文化的多様性を高め、都市における新しい共同生活のあり方を開拓することを目的としています」
モーリツプラッツにある移動式庭園Prinzessinnengärten。プリンツェン通りとオラニエン通りの間にある元荒地が、熱心な住民によって都市農業のためのキッチンガーデンに生まれ変わった。パン屋の木箱やテトラパック、米袋をリサイクルした容器で栽培されており、ガーデンは常に移動可能だ。(Photo by Ulli Winkler/ullstein bild via Getty Images)
ベルリンはもともと市民のスクワット(不法占拠)に寛容な街だ。東西ドイツを隔てた壁が崩壊した後、旧東側の安い土地を求めて気鋭のアーティストやミュージシャンたちが移住してきた。多くは勝手に空き家をスクワットし、住居にアトリエにはたまたクラブに使い倒していったのだった(聞くところによると、現在でも市民のスクワットは公的な役割をきちんと果たしているのならば行政が追認するという仕組みもあるとのこと)。続いて圧倒的な生活コストの低さ、英語が通じる国際都市としての性格と時代をつくる新しい雰囲気を感じ取ったテック人材が流れこんでくることで今日のスタートアップ都市ベルリンが完成した。
つまり、この街の面白さは人のもつ衝動がその純度を保ったまま街に発露されるところにある。そしてPrinzessinnengärtenをはじめ、マリファナの香りがただよい想像を絶する規模の青空カラオケが展開されるマウアーパークや、市民運動によってかつての憩いの場を取り戻した川沿いのホルツマルクトなど、なぜか惹かれる場には豊かな植物と密接な関わりがあることに気づいた。この街の精神的支柱であるクラブ「ベルクハイン」がドイツ語で山と小さな森を組み合わせた造語であるのはただの偶然ではないかもしれないとも思えてくる。2000年代以降、高給取りが集まり顕著にジェントリフィケーションが起こったこの街で人びとはあえて庭を求めたのだ。
ドイツの哲学者マルティン・ハイデガーは、近代が生み出した技術の性質を「ゲシュテル」(総駆り立て体制)と説明した。技術は人が望む・望まないにかかわらず、エネルギーや資源、そして人までも延々と駆り立てていく性質をもつというのだ。植物にも似たようなものを感じないだろうか。わたしたちは植物を前にしたとき、いてもたってもいられなくなる。 葉を触り、花の香を嗅ぎ、水のひとつもやりたい衝動に駆られる。しかし技術との違いは、植物自身が生きようとする方向性に支えたくなるということだ。人間は無尽蔵に搾取されるのではなく、その成長を感じ喜びを得ることでポジティブなエネルギーを発露することができる。
Prinzessinnengärtenの広場には、いかにも手づくりなカフェとともにリンゴ箱が乱暴に詰まれた本棚があり、近所の人たちが読み終えた土まみれの本たちが放り込まれていた。 残念ながらドイツ語ばかりで詳しい内容はわからなかったが、小説などに混ざって植物の図鑑や生育方法に関する指南書も散見された。植物は何も語らない。ゆえに、人はそれについて書き、読み、語りたくなるのかもしれない。古今東西、植物に関する本はあまたあるが、いまほど人が植物を語りたがっている時代は、もしかしたら過去にもなかったかもしれない。植物の魅力にとりつかれたら最後、対話は止められないし、読書も止められない。そして、それをシェアせずにはいられなくなるのだ。
【WORKSIGHTがつくる「ベジタルな本棚」】
私たちと植物のこれからを考えるために。81冊を7つのテーマから一挙紹介します。
selection by WORKSIGHT
text by Jin Furuya
(Photo by Ian Forsyth/Getty Images)
「庭と園芸」
庭師クレマン曰く「なるべく合わせて、できるだけ逆らわない」。庭や園芸行為は、不思議とケアの文脈と符合する。植物との対話が〈他者との共在感覚〉と重なり合う理由は、庭師や園芸愛好家がよく知っている。
1.『動いている庭』 ジル・クレマン(山内朋樹・訳/みすず書房)
「荒れ地とは、極限的な生の場所である」。様式、構造より生命の多様性を守ると決意した庭師による、自邸の実験と観察を通じた庭づくりの思索と記録。わたしたちは、こんなにも生命に囲まれていたのかと気づかせてくれる。
2. 『庭仕事の真髄:老い・病・トラウマ・孤独を癒す庭』 スー・スチュアート・スミス(和田佐規子・訳/築地書館)
人はなぜ、土に触れると癒やされるのか? 命がめぐる庭における、植物との関わり、そして人間の精神とのつながりを、戦争、貧困地区、刑務所、病院での実例をもとに描写する。孤独と不安が蔓延する現代に起きている庭ブームを冷静に見つめる視座を獲得できる一冊。
3. 『庭仕事の愉しみ』 ヘルマン・ヘッセ(フォルカー・ミヒェルス・編、岡田朝雄・訳/草思社文庫)
後半生、執筆以外の時間の多くを自分の庭で過ごしたヘッセ。芽吹く生命に思いを馳せ、特別なことはせず、この整然とした循環を受け入れ愉しむ。「園芸には創造のよろこびと、創造者の思い上がりといったようなものがある」
4. 『庭師 小川治兵衛とその時代』 鈴木博之(東京大学出版会)
日本庭園史の巨匠・七代 小川治兵衞。日本の近代化のなかで生み出された琵琶湖疎水や、山縣有朋をはじめ明治から昭和前期の政治家・企業家たちが愛した彼の庭──近代日本が生み出した風景について考える。
5. 『園芸家 12カ月〈新装版〉』 カレル・チャペック(小松太郎・訳/中公文庫)
「われわれ園芸家は未来に生きているのだ」。草花をこよなく愛したチェコの作家チャペックが描く、園芸愛好家としての幸福なるエッセイ。愉快なイラストと、ユーモア溢れる巧みな心理描写で、読み手の心まで耕してくれる。
6. 『ボタニカル・ライフ:植物生活』 いとうせいこう(新潮文庫)
「落ちてきたアロエ」から目次が始まる。庭も時間もない都会暮らしならではの、植物とのベランダ生活をまとめた一冊だ。時間を内包し、発芽や開花の神秘に満ちた植物との生活は、新たな感覚を私たちにもたらしてくれる。
(Photo by Zakir Hossain Chowdhury/Anadolu Agency via Getty Images)
「風土を考える」
人の暮らしと周囲の環境は、本来はひと連なりのものとしてあったはずだが、そうした感覚が失われて久しい。わたしたちはいかに、風土に対する感覚を取り戻すことができるのか。暮らしとそれを包み込む風景への新しいまなざし。
7. 『風土自治:内発的まちづくりとは何か』 中村良夫(藤原書店)
日本に市民自治の文化はなかったのか? 本書では、西欧の「普遍自治」とは対照的な、アソビや戯れによって成り立つ文化自治──日本の「風土自治」が提案される。国民的文化運動としてのまちづくり、その原論にして実践の書。
8. 『イタリアのテリトーリオ戦略:甦る都市と農村の交流』 木村純子、陣内秀信・編著(白桃書房)
木の日本、石のイタリア。両国には豊かな自然と伝統がある。地域の文化、歴史、環境、農産物と、都市や農村の結びつきを生む「テリトーリオ」概念を軸に、経済効率に捉われないロジックが示される新文明論。
9. 『風景の経験:景観の美について』 ジェイ・アプルトン(菅野弘久・訳/法政大学出版局)
方法論に重きを置く当時の地理学に、問題意識を抱いていた地理学者アプルトン。自然との交歓のなかで得た原体験や、動物行動学からの着想を手がかりに、わたしたちが風景のどこに美しさを見いだすのかを分析する。
10. 『日本の風景・西欧の景観:そして造景の時代』 オギュスタン・ベルク(篠田勝英・訳/講談社現代新書)
和辻哲郎『風土』を継承し、「風土学」を提唱する人文地理学者ベルクの試論。主体と客体の分断を超えた共生のあり方としての「造景」というコンセプトは、植物や土中、微生物など人間以外の他者への関わり方として参照できる。
11. 『風景学:風景と景観をめぐる歴史と現在』 中川理(古山正雄・監修/共立出版)
「われわれが風景を評価するのと同時に、風景がわれわれを捉えている」。「美しい」とよく形容される風景。しかしそれは単に視覚的・物理的なテーマでなく、人びとの暮らしにおける共同性を見いだしうるものなのだと再認識させてくれる。
12. 『磯崎新と藤森照信の「にわ」建築談義』 磯崎新、藤森照信(六耀社)
神事から海まで、対話から見えてくる「建築」の外部空間をめぐる世界観。都市・建築の視点から、斎庭(ゆにわ)、無何有郷(ユートピア)、庭園(ガーデン)、公園など、多彩な「にわ」について縦横無尽に語り尽くす。
13.『解読 ジェフリー・バワの建築:スリランカの「アニミズム・モダン」』 岩本弘光(彰国社)
島の風土と文化、美学を収斂させた清廉なバワ建築を、その空間に魅せられた日本の建築家が解説する。図面と写真、テキストを通じて、彼の代表作や、地域性を抱えた独特なモダニズムへの到達プロセスを辿る。
14.『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い:歩くこと、見つけること、育てること』 石川初(LIXIL出版)
コンクリート片による石積みから、庭、農耕、地形まで、フィールドワークで経験した環境要素を、さまざまなスケールで描写する。「ランドスケープ」が、造園の訳語というレヴェルを超えた、生活や風景をかたちづくる行為であることを示唆する。
15.『世界の調律:サウンドスケープとはなにか〈新装版〉』 R. マリー・シェーファー(鳥越けい子ほか・訳/平凡社ライブラリー)
本書は、都市化による現代の「音風景」を描き、わたしたちが自然の音や街の喧騒を「聞かなくなった」ことに警鐘を鳴らす。近年アーバンデザイン分野でも関心が高いサウンドスケープについて、その歴史から未来の可能性までを見つめる。
(Photo by COLLART Hervé/Sygma via Getty Images)
「植物と人類のゆくえ」
「人工」と「自然」はもはや対義語ではない。都市も自然の一部だと捉える価値観は、急速に普及している。クルミをクルマに割らせて食べるカラスのありようを、わたしたちはどう考えるべきか。人新世時代におけるエコロジーのあり方を考える。
16. 『反穀物の人類史:国家誕生のディープヒストリー』 ジェームズ・C・スコット(立木勝・訳/みすず書房)
家畜・農耕・定住の観点から国家形成の歴史に迫る本書。豊かな採集生活を謳歌した「野蛮人」は、いかに古代国家に家畜化されたか。権力者による穀物収奪と奴隷存在の必要により生まれた国家、その脆弱性について論じる。
17. 『人類史のなかの定住革命』 西田正規(講談社学術文庫)
不快なものには近寄らない、危険であれば逃げてゆくという遊動生活を、人類は約1万年前に放棄する。さまざまな地域で定住はなぜ起きたのか。生態人類学の立場から人類史の「革命」の動機とプロセスを緻密に分析する。
18. 『ノヴァセン:「超知能」が地球を更新する』 ジェームズ・ラヴロック(藤原朝子・監訳/松島倫明・訳/NHK 出版)
人類より1万倍速く思考や計算が可能──そんな超知能と共存する時代「ノヴァセン」とは、アントロポセン(人新世)後の地質年代として著者が名付けたものだ。超知能と人類、地球と生命の未来を、大胆に構想する。
19. 『地球に降り立つ:新気候体制を生き抜くための政治』 ブルーノ・ラトゥール(川村久美子・訳/新評論)
経済成長と気候変動対策は両立しえないが、依然として多くの人が、経済のグローバル化の夢のなかにいる。本書では、地球規模の政治体系のもとで、人類を近代の呪縛から解き放ち「地球に降り立たせる」ことが必要だと主張する。
20. 『遊牧の人類史:構造とその起源』 松原正毅(岩波書店)
人類の歴史において遊牧文化は、どこか傍流として位置づけられてきた。遊牧民の生活様式そのものを凝視する著者の研究は、遊牧の起源と、その生態の隠れた体系性を明らかにし、人類史的な意味を考察する。
21. 『ボルネオ:森と人の関係誌』 佐久間香子(春風社)
ボルネオ島・サラワク州のロングハウスに暮らす森の民。彼らは植民地としての被支配を経て、周囲の勢力との関係のなかで、出稼ぎ、先住民運動など戦略を変え生き抜いてきた。フィールドワークと史料に基づいて描く、森と人の百年間。
22. 『自然なきエコロジー:来たるべき環境哲学に向けて』 ティモシー・モートン(篠原雅武・訳/以文社)
従来のエコロジー思想における「自然」の概念についての問題性を指摘しつつ、取り上げられるのはブライアン・イーノらの現代音楽。人間と自然を対立的に考えるのではなく、「とりまくもの/アンビエンス」として思考する。
23. 『三つのエコロジー』 フェリックス・ガタリ(杉村昌昭・訳/平凡社ライブラリー)
人間自身がつくり出した、人間と人間を取り巻くあらゆる環境との関係の変化こそが、人間の未来を規定する。著者は、環境、社会、精神を統べる新たなエコロジー思想が必要だと提案する。
24. 『「倫理の問題」とは何か:メタ倫理学から考える』 佐藤岳詩(光文社新書)
倫理の問題を解決する手前で、倫理の問題それ自体に、どう向き合えばいいのだろうか? 倫理学者である著者が、現代西洋倫理学のさまざまな立場を通じて、メタ的視点から「倫理」について考えていく。
25. 『フンボルトの冒険:自然という「生命の網」の発明』 アンドレア・ウルフ(鍛原多惠子・訳/NHK出版)
フンボルトは、植生や山肌の細部を読みとると同時に、自然と人間のあらゆる現象の連鎖を鋭く見抜いた。科学を起点として、政治、経済、歴史等あらゆる分野を俯瞰し、「地球はひとつの生命である」と唱える。
1980年代、エチオピア南部Suala Valleyにて。(Photo by Gideon Mendel/Corbis via Getty Images)
「植物をめぐる社会システム」
わたしたちが考える「あるべき自然」の姿は、時代の変化とともにつくり上げられてきたものにすぎない。政治・経済・社会システムのなかで植物はいかに人間に翻弄され、また人間がいかに植物に翻弄されてきたかをトレースし直す。
26. 『稲の大東亜共栄圏:帝国日本の「緑の革命」』 藤原辰史(吉川弘文館)
近代帝国主義のなかで稲の品種改良を行い、植民地での増産を推進した日本。本書は、北海道や東北、朝鮮、満州などでの当時の言説や史料から、コメの新品種による植民地支配の実態と展開を解明する。
27. 『ナチス・ドイツの有機農業:「自然との共生」が生んだ「民族の絶滅」』 藤原辰史(柏書房)
人間中心から生物圏平等主義へ転換を目指した生命共産国家は、なぜホロコーストに行き着いてしまったのか? ナチス農本主義とシュタイナー農法の生命観を、日本を含む同時代史のなかで捉え、エコロジーがもつ危険性をナチ農政から読みとる。
28. 『ナチスと自然保護:景観美・アウトバーン・森林と狩猟』 フランク・ユケッター(和田佐規子・訳/築地書館)
19世紀ドイツでは自然保護の理念がもたらされ、郷土を守る運動となった。ヨーロッパの環境政策をリードするドイツ自然保護思想・運動──ヒトラーにも近接するそのルーツを辿り、第三帝国の自然保護の実像を描く。
29. 『食農倫理学の長い旅:「食べる」のどこに倫理はあるのか』 ポール・B・トンプソン(太田和彦・訳/勁草書房)
皆が食べ続けることができる食べ方とはどのようなものか? 農業におけるバイオテクノロジーや食に関する倫理学・哲学的な考察を続ける著者が、生産効率性に重きを置く市場原理主義的なフードシステムのあり方を問う。
30. 『バナナと日本人:フィリピン農園と食卓のあいだ』 鶴見良行(岩波新書)
スーパーや八百屋の店頭で見かけないことがないバナナは、輸入量の多い果物だ。主要産地であるフィリピンと日本をつなぐ歪な構造、多国籍企業の暗躍、農園労働者の貧苦などを指摘する。ひと皮むけば見えてくる、甘くない現実。
31. 『世界からバナナがなくなるまえに:食糧危機に立ち向かう科学者たち』 ロブ・ダン(高橋洋・訳/青土社)
バナナ、米、小麦、砂糖などの主食作物を効率的に収穫するには画一化の体制がとられるが、それは同時に病原菌や虫の被害で全滅するリスクを高める。アグリビジネスがもたらす危機と、果敢に立ち向かう科学者たちを追う。
32. 『チョコレートの真実』 キャロル・オフ(北村陽子・訳/英治出版)
「私の国には学校へ向かいながらチョコレートをかじる子供がいて、ここには学校にも行けず、生きるために働かなければならない子供がいる」。世界中で愛されるチョコの原料カカオ。その生産現場での苦い真実を明らかにする。
33. 『コーヒーが廻り世界史が廻る:近代市民社会の黒い血液』 臼井隆一郎(中公新書)
時代や地域によって変わる、コーヒーのさまざまな役割が語られる。コーヒーは、市民に自由・平等・博愛を謳う革命の機運をもたらす一助になり、先進国と第三世界の非対称的な関係を形成する一因にもなったのだ。
34. 『マツタケ:不確定な時代を生きる術』 アナ・チン(赤嶺淳・訳/みすず書房)
日本に輸入されるマツタケのサプライチェーンを分析し、松、マツタケ、菌根菌、農家の絡まり合いを描く。マツタケは単なる豪勢な商品ではない。マツタケを取り巻く生態系の絡まり合いこそが、共存のヒントになりうる。
35. 『猿と女とサイボーグ:自然の再発明〈新装版〉』 ダナ・ハラウェイ(高橋さきの・訳/青土社)
文理融合型のフェミニズム理論を推進するハラウェイによる、科学史再考。霊長類学研究における従前のジェンダー規範への批判のほか、「サイボーグ」という語を用いつつ、道具や機械との複合体のなかで生きることが論じられる。
36. 『月と農業:中南米農民の有機農法と暮らしの技術』 ハイロ・レストレポ・リベラ(近藤恵美・訳/農山漁村文化協会)
農畜産、加工、食品、健康、そして人の生死と月齢との関わりとは? 本書は、月に導かれ豊かに生きる中南米農民の伝統的農法と暮らし方、有機農業に関する知恵を、素朴な絵とともに紹介している。
37. 『多文明共存時代の農業』 高谷好一(農山漁村文化協会)
本書は、資本主義経済システム下における、日本農業の本来と将来を説いている。ふたつの農業―食べるための農業と売るための農業―を総覧し、ユーラシアの24の単位によって文明を維持、発展させるモデル・多文明主義を構想する。
38. 『「自然」という幻想:多自然ガーデニングによる新しい自然保護』 エマ・マリス(岸由二、小宮繁・訳/草思社)
原始の森を想像し「手つかずの自然」を崇拝する思想は、19世紀のアメリカで始まった。その幻想を相対化する本書は、自然を多面的なものと捉え、多様な現実的目標設定の下で自然をつくり出す「多自然ガーデニング」を提案する。
39. 『バイオパンク:DIY 科学者たちの DNAハック!』マーカス・ウォールセン(矢野真千子・訳/NHK出版)
大学や企業といった組織に属さないアウトサイダー科学者たちがくり広げる、生命科学の最前線レポート。オープンソースとDIYのムーブメントが、わたしたちの生命のソフトウェアをハッキングする。
40. 『食育菜園 エディブル・スクールヤード:マーティン・ルーサー・キング Jr. 中学校の挑戦』 センター・フォー・エコリテラシー(ゼノビア・バーロほか・編/ペブル・スタジオ・訳/家の光協会)
「持続可能な生き方のための菜園教育は、エコロジーを理解する知性と、自然界と結びつく情感的な絆の両方を育みます」。食育菜園という場で実践される、持続可能な社会・組織・学校づくりの例を紹介する。
41. 『欲望の植物誌:人をあやつる4つの植物〈新装版〉』 マイケル・ポーラン(西田佐知子・訳/八坂書房)
リンゴと甘さ、チューリップと美、マリファナと陶酔、ジャガイモと管理──植物と人間の欲望のせめぎ合いを、植物自身はどう見ているのか? 斬新な切り口で自然史・文化史を捉え、植物と人間の未来を問う。
42.『ウォールデン 森の生活』 ヘンリー・D・ソロー(今泉吉晴・訳/小学館文庫)
森で孤独に思索するソローは、自然との交際も描く。「迷子になってはじめて、(略)我々の置かれた位置や、我々と世界との関係の無限のひろがりを認識するようにもなる」。森に他の人間はいないが、太陽だってひとりなのだ。
43. 『バーナード・ルドフスキー:生活技術のデザイナー』 アンドレア・ボッコ(多木陽介・編/鹿島出版会)
世界中の無名の風土、建築や街路、衣服や食などを考察する文明批評家バーナード・ルドフスキー。『建築家なしの建築』『人間のための街路』などの著作をはじめ、彼の生涯と、未発表図版を含む全プロジェクトを知る評伝。
(Photo by DeAgostini/Getty Images)
「植物的知性」
人間の日常のスケールでは、植物から知性を感知することはとてつもなく困難だ。圧倒的な他者である「植物」の知性を理解するために、わたしたちはこれまでの思考のフレーム=哲学を、大きくアップデートする必要がある。
44. 『植物の生の哲学:混合の形而上学』 エマヌエーレ・コッチャ(嶋崎正樹・訳/勁草書房)
光合成により酸素をつくり出し、あらゆる生物が住まう環境を整える植物。本書は、動物学的である西洋哲学の伝統を刷新し、世界と溶け合う=混合としての新しい存在論を追究している。
45. 『植物は「知性」をもっている:20の感覚で思考する生命システム』 ステファノ・マンクーゾ、アレッサンドラ・ヴィオラ(久保耕司・訳/NHK出版)
脳がないと知性がないのか? オジギソウの触覚や、トマトの嗅覚を知ればイメージは変わる。植物は人間以上の感覚をもち、植物内・間・外でコミュニケーションをとって共生しているのだ。植物独自の社会を、科学的に分析する一冊。
46. 『植物と叡智の守り人:ネイティブアメリカンの植物学者が語る科学・癒し・伝承』 ロビン・ウォール・キマラー(三木直子・訳/築地書館)
森のなかで暮らす植物学者であり、北アメリカ先住民である著者。過去数千年にわたっての、北アメリカにおける人間と自然の関係性、環境哲学を、レシプロシティ(相互性、互恵性)を軸として語る。
47. 『樹木たちの知られざる生活:森林管理官が聴いた森の声』 ペーター・ヴォールレーベン(長谷川圭・訳/早川書房)
樹木たちは動かないように思えるが、長い時間をかけて移動する。樹木たちは学習をし、音に反応し、数をかぞえる。長年ドイツで森林管理をしてきた著者が、豊かな経験で得た知恵と知識を伝えてくれる。
48. 『植物の神秘生活:緑の賢者たちの新しい博物誌』 ピーター・トムプキンズほか(新井昭廣・訳/工作舎)
神秘生活というタイトルから想像されるように、不思議な空気感の話が盛りだくさん。「喋るサボテン」「ウソを見抜くドラセナ」など、植物に関する異常な現象を、その実験とともに紹介している。
49. 『森は考える:人間的なるものを超えた人類学』 エドゥアルド・コーン(奥野克巳ほか・監訳、近藤祉秋ほか・共訳/亜紀書房)
「人間とは何か?」が人類学の問いだった時代から、人間性の外から人間について思考する時代へ。本書は、人間だけが思考するという見方を覆し、非人間を主体として「森は考える」という見方を試みようと呼びかける。
50. 『生物から見た世界』 ユクスキュル、クリサート(日高敏隆、羽田節子・訳/岩波文庫)
「イヌが歩く場合は、イヌが足を動かすのだが、ウニが歩く場合には足がウニを動かすのである」。昆虫や動物など、生物たちがもつそれぞれ独自の環境世界。その驚くべき眺めを解明する、生物学のパイオニアによる古典的名著。
51. 『精神と自然:生きた世界の認識論』 グレゴリー・ベイトソン(佐藤良明・訳/岩波文庫)
発生も進化も、学習や病理をも包括する「マインド」の科学。その探究者であったベイトソンが説く、エコロジカルな認識論。この世の生き物すべてを、片やアメーバへ、片や統合失調症患者へ結びつけるパターンとは?
52. 『そもそも植物とは何か』 フロランス・ビュルガ(田中裕子・訳/河出書房新社)
植物に倫理的権利は必要か? その問いに対し、ヴィーガンを実践しながら哲学人類学や動物の権利論を研究する著者が、フッサールやメルロ=ポンティの現象学など西洋哲学を用いて考察する。
53. 『木々は歌う:植物・微生物・人の関係性で解く森の生態学』 D・G・ハスケル(屋代通子・訳/築地書館)
「聴診器を大地の肌にあて、その下で渦巻く音を聞くことでもある」。詩人でもあり生物学者でもあるハスケル。失われつつある自然界の、複雑で創造的な生命のネットワークを、緻密で科学的な観察で描き出す。
54. 『森林の思考・砂漠の思考』 鈴木秀夫(NHK出版)
人間の思考方法の相違の根源を、森林型と砂漠型という風土の条件で大別し、論証を試みた比較文化論。森林型は視点が地上の一角にあって「下から」上を見る姿勢であり、砂漠型は「上から」下を見る鳥の目をもつのだという。
55. 『バイオフィリア:人間と生物の絆』 エドワード・O・ウィルソン(狩野秀之・訳/ちくま学芸文庫)
バイオフィリア──それは生命を志向する人間の内的・身体的傾向である。自発的に他の生物に関心を向けるなど、自然淘汰と適応の過程に組み込まれた人間の生得的な本能が、自然を愛する理由にもなっていると著者は語る。
56.『家は生態系:あなたは20万種の生き物と暮らしている』 ロブ・ダン(今西康子・訳/白揚社)
群集生態学の手法で家の生き物を調べると、20万種を超す多種多様な生き物が、複雑な生態系をつくり上げていた。わたしたちの健康や暮らしに影響を及ぼす、屋内生物。その関係性を洞察する。
57. 『花の知恵』 モーリス・メーテルリンク(高尾歩・訳/工作舎)
『青い鳥』の作家・メーテルリンクによる、身辺の植物を観察したエッセイ。カエデのプロペラ、ミモザの戦慄き、セキショウモの悲劇、セージの愛の罠、ランの複雑な仕掛け……挿絵も豊富な博物誌。
58. 『聖ヒルデガルトの医学と自然学〈新装版〉』 ヒルデガルト・フォン・ビンゲン(井村宏次・監訳/聖ヒルデガルト研究会・訳/ビイング・ネット・プレス)
全512項目におよぶ事物ー植物230、元素14、樹木63、石と宝石26、魚36、鳥72、動物45、爬虫類18、金属8ーの薬効と毒性、ならびに利用法が記されている。ホリスティック(全的)医学の原点を振り返る。
59. 『世界のふしぎな木の実図鑑』 小林智洋、山東智紀・著/山田英春・写真(創元社)
翼があったり、バネ装置があったり……木の実の形態は、じつに多様だ。本書は、果実や種子のうち乾燥して保管できるものを広く木の実と捉え、驚くべき機能美・造形美をもつ木の実、約300種を紹介する。
60. 『木をかこう』 ブルーノ・ムナーリ(須賀敦子・訳/至光社)
ムナーリはデザイナーとしての活動のほか、子どものための絵本や遊具を制作するなど、造形教育にも深く関わってきた。彼によるいくつかの原則をもとに展開される、木の描き方を説く一冊。
(Photo by: Daniele Orsi/REDA&CO/Universal Images Group via Getty Images)
「土に還る」
1グラムの土には、数億〜数千の微生物がいるといわれる。土中の微生物たちの見えない循環によって自然界は豊かなネットワークとなる。環境変化による災害が頻発する現代、土のなかの〈見えざる力〉に目を向け、新たな想像力の糧とする。
61. 『分解の哲学:腐敗と発酵をめぐる思考』 藤原辰史(青土社)
わたしたちが生きる世界は新品と廃棄物、生産と商品、生と死のあわいにある豊かさに満ち溢れている。農業史、食と農の思想を専門とする著者による、食を思考するための新たな哲学書。
62. 『人類堆肥化計画』 東千茅(創元社)
禁欲や清貧といったイメージがまとわりつく里山を、自身の実践をもとに、人間を含む貪欲な多種たちの賑やかな吹き溜まりとして捉え直す。取り上げるのは、人間と異種たちとの結節点である堆肥。ラディカルに(共)生を問い直すヒントが詰まった本だ。
63. 『土・牛・微生物:文明の衰退を食い止める土の話』 デイビッド・モントゴメリー(片岡夏実・訳/築地書館)
アフリカやアメリカで行われている不耕起栽培や輪作・混作をはじめ、先進的な取り組みを世界各地で取材。持続可能な農業社会を描くための、足元に広がる土と微生物への向き合い方が考察されている。
64. 『土中環境:忘れられた共生のまなざし、蘇る古の技』 高田宏臣(建築資料研究社)
自然環境の豊かさを考えるため、焦点を当てるのは土中環境。現代の土砂災害、水害、森林の荒廃に、構造力学の発想でなく自然作用へ配慮した造作でアプローチし、自然界を健康にしていく視点と技術を養う一冊だ。
65. 『大地の五億年:せめぎあう土と生き物たち』 藤井一至(ヤマケイ新書)
土は植物や昆虫の躍進を支えるとともに、相互に影響し合い、さらに恐竜の消長や人類の繁栄に場所を貸してきた。土に残された多くの謎を掘り起こし、土と生き物の歩みを追った5億年のドキュメンタリー。
66. 『絡まり合う生命:人間を超えた人類学』 奥野克巳(亜紀書房)
「この世界は人間だけのものではない」。人間の生存や健康を、人間社会に閉じたものとして捉えるのではなく、動植物や微生物との相互の絡まり合いへと拡張する。マルチスピーシーズ人類学の幕開けへの準備を促す。
(Photo by © Historical Picture Archive/CORBIS/Corbis via Getty Images)
「植物と文化」
先人が植物に〈機能〉だけでなく民俗的/文化的な〈意味〉を見いだしてきたのは、植物が環境と人間をつなぐメディアだからだ。植物は「環境全体」を映し出し共同体における「世界観」と「文化」をかたちづくる。
67. 『まよけの民俗誌』 斎藤たま(論創社)
人びとは赤い唐辛子、臭いニンニク、棘のあるヒイラギなどを家の周りに取りつけて、まものの侵入を防いできた。いまに伝わる各地のまよけの風習を、丹念に拾い集めた貴重な記録。
68. 『緑の資本論』 中沢新一(ちくま学芸文庫)
唯一神信仰によって利子を厳禁するイスラーム的貨幣論、資本主義と親和的なキリスト教的貨幣論。両者の非対称性こそが世界を理解する鍵だとし、『資本論』を一神教的に再構築することで、既存の価値の問い直しを図る。
69. 『南方熊楠:地球志向の比較学』 鶴見和子(講談社学術文庫)
南方熊楠の世界、生涯、仕事から構成される南方研究の嚆矢。熊楠の思想を活用すべく、彼の活動を、地球全体における普遍と固有の事象を把握し比較するという「比較学」として見立て、網羅的に分析している。
70. 『世界樹木神話』 ジャック・ブロス(藤井史郎、善本孝、藤田尊潮・訳/八坂書房)
宇宙樹・聖樹・神木──樹木をめぐる神話・伝説を、世界各地に訪ね歩く。筆者はアカデミー・フランセーズから表彰歴もある著述家にして、出家して僧侶にもなった人物(他に『植物の魔術』などの邦訳あり)。広範な知識のもと、樹木崇拝の謎に迫っていく。
71. 『草木虫魚の人類学:アニミズムの世界』 岩田慶治(講談社学術文庫)
現代文明において、草木虫魚教(アニミズム)は回復できるのか。東南アジアの山河大地で著者が出会う竹、石、稲、鳥、花、水などと交わす、自由な対話。自然と人間とを包括する共生の思想のゆくえを展望する。
72. 『自然学の提唱』 今西錦司(講談社学術文庫)
「ぼくの自然学というのは、今の学問のシステムにおさまらんところから生じてくる」。著者の求める自然学は、近代科学における細分化された学問では、決してない。全体自然を理解しようとする自然観の学問であることを提唱する。
73. 『土偶を読む:130年間解かれなかった縄文神話の謎』 竹倉史人(晶文社)
全国各地で2万点近く発見されている、縄文時代につくられた素焼きの土偶。独立研究者である著者が、ハート形土偶や遮光器土偶など名だたる土偶の語られざる側面を捉え、縄文人たちの精神史を明らかにしようとする。
74. 『フローラ逍遙』 澁澤龍彥(平凡社ライブラリー)
1987年に発売された渋澤の生前最後のエッセイ集。水仙、コスモス、薔薇など、著者が愛する美しい東西の代表的な花の絵75点(25種)が、豊富なエピソードとともに、オールカラーで収録された目にも愉しい一冊。
75. 『牧野植物図鑑の謎』 俵浩三(平凡社新書)
あくまで在野を貫いた稀代の植物学者・牧野富太郎は、植物図鑑の開拓者だった。その図鑑製作をめぐる競争相手との葛藤や、牧野のユニークな人間性を伝える、植物図鑑黎明期の裏面史。
76. 『宇宙樹』 竹村真一(慶應義塾大学出版会)
本書は、人間と植物が共進化するため、新たな文明の尺度を提起する。植物は環境と人間をつなぐ媒介者だいう。わたしたちはエコというキーワードを建前に、植樹や園芸のなかに自然との共生感覚を期待しているのかもしれない。
77. 『日本人と植物』 前川文夫(岩波新書)
わたしたちの祖先は、四季の草木をどう見ていただろうか。日本の植物の語源と民俗を扱う本書では、ソバの語源と日本への導入、ヌルデ(ウルシの仲間)を使った奥多摩のオッカド棒という風習など、10のテーマが取り上げられている。
78. 『雑草の文化誌』 ニーナ・エドワーズ(内田智穂子・訳/原書房)
駆除に手こずるゆえに厄介者とされる雑草だが、環境や種類によっては有用なことが多くある。歴史を振り返れば薬や食材として利用され、生態系のなかで大切な役割も担ってきた。雑草についてさまざまな視点から切り込むカラー図版、約100点。
79. 『ソローニュの森』 田村尚子(医学書院)
本書の舞台は、思想家フェリックス・ガタリが終生関わったことで知られるラ・ボルド精神病院だ。写真家・田村尚子の手によって、当院に流れる緩やかな時間と曖昧な日常がすくい出される。刮目すべき写真集。
80. 『シャボテン幻想』 龍膽寺雄(ちくま学芸文庫)
「人間ははじめから心に荒涼たる砂漠を抱いて生まれ、シャボテンは荒涼たる砂漠の環境に生みつけられて育ったので、どちらも荒涼は性に合った生き物なのだ」。小説執筆の傍らシャボテン栽培に打ち込んだ著者による、愛と皮肉の詰まった語り。
81. 『沼地のある森を抜けて』 梨木香歩(新潮文庫)
先祖伝来のぬか床が、うめくのだ──ぬか床に由来する奇妙な出来事に導かれ、主人公は故郷の島、森の沼地へと進み入る。そこで出会うのは、寄生植物が繁茂し、生命みなぎる森。すべての命に仕込まれた可能性やつながりを伝える長編小説。
『WORKSIGHT[ワークサイト]17号 植物倫理 Plants/Ethics』は10月14日(金)に全国書店で発売となります。目次・内容紹介など、書籍の詳細は10月7日配信の特別ニュースレターをご覧ください。(各種ECサイトでも予約受付中です)
次回10月18日は、文筆家・佐久間裕美子さんによる特別エッセイをお届けします。この夏、国立ハンセン病資料館で一般公開されていた展覧会を訪れ、佐久間さんが療養者たちの自助の道具を見て感じたこと、考えたことを綴ります。お楽しみに。