ファンタジーは味わえる:「龍の肉」が与えた衝撃
最先端テクノロジーを駆使する気鋭のクリエイティブ集団が発表した、新しい食肉の姿「龍肉」。DNAを人工的に合成することで幻の生物の肉を再現した、一見遊び半分に思えるこの異色の試みは、果たして何を目的としていて、わたしたちに何を訴えかけているのか。バイオアートや代替肉とも言い難く、既存の枠に収まらない謎のプロジェクトの実態に迫る。
とある日、SNS上に怪しげな画像とともに、「龍の肉」なる食品を試食するアルバイトの募集情報が投稿され、瞬く間に人びとをざわつかせた。バイト代はその額29万円。その投稿をしたのは、これまでデジタル技術を駆使してアート作品を世に放ってきた、クリエイティブ・コレクティブ「LOM BABY」だ。
LOM BABYは、テクノロジーとアートを融合させ、これまでにない斬新なプロジェクトを数多く手がけてきた。2024年8月には国立新美術館で龍肉を初披露し、今年4月には龍肉が大阪・関西万博に登場予定というニュースも飛び込んできた。
「龍の肉」とは一体何なのか。それはなぜ「龍」で、「肉」なのか。そして、どのようにつくり出されているのか。疑問ばかりが頭に浮かびながらも、どこか目が離せない本プロジェクト。その真相を探るべく取材を申し込むと、ちょうどラボで龍肉を生成する日があるとの返答が。2025年3月某日、編集部は東京・渋谷にあるラボを訪れ、龍肉の生成において重役を担ったLOM BABYの浪岡拓也氏と、バイオチーム最高科学責任者の田所直樹氏に話を伺った。
interview by Ryota Akiyama, Hidehiko Ebi
text by Hidehiko Ebi
photographs by Hana Yamamoto
龍か、綾波レイか
──とある日にSNSを見ていると、あまりに強烈なインパクトを放つ「龍の肉」の画像がタイムラインに流れ込んできました。今日は、この龍肉の背景について詳しくお聞きしたいと思います。まずはこの異色のプロジェクトを手がけたクリエイティブ集団「LOM BABY」について教えてください。
浪岡 LOM BABYは、わたしと青木寛和が共同代表を務めるTranseeds株式会社が主宰するアートプロジェクトです。アーティストやエンジニア、科学者など、約30名のメンバーで活動しています。これまでは、デジタル技術・ブロックチェーン技術を活用したアート作品を中心に制作してきました。
──従来の活動と打って変わって、突如「龍の肉」という謎プロジェクトを発表されたように見受けられます。これは一体何なのか、説明していただけますか。
浪岡 LOM BABYは「生命の誕生」をテーマにアート制作に取り組んでいて、これまではデジタル上で完結する作品がほとんどでしたが、次は架空の存在を現実世界に生み出してみたいと思い立ったんです。何かいい対象はないか考えたとき、真っ先に浮かんだのが、龍と「綾波レイ」でした。
──アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイですか?
浪岡 はい。DNA情報をデザインする技術を駆使すれば、誰もが知っている存在を誕生させることができるんじゃないかと。
──アニメや漫画のキャラクターのDNAも生成できるということでしょうか。
浪岡 そうなんです。生き物なりキャラクターなり、特定の対象を構成するDNAを徹底的に調べ上げて、オープンソースのデータ共有プラットフォームから複数の動物のDNA情報を集めて合成すれば、この世にまだ存在していない人工生命を生み出すことができます。
──もう少し詳しく教えてください。
浪岡 もしも綾波レイのDNAを創造するとしたら、まず人間のDNA情報を基礎として保存します。次に、幻想的な青い髪色を実現するために、青い羽をもつ鳥のDNAから髪色に関わる配列を抽出し、それを人間の遺伝子に融合させていくのです。
──その結果、髪の色が青くなるわけですね。
手前左から、Transeeds共同代表・青木寛和さん、浪岡拓也さん。奥左から、バイオチーム最高科学責任者・田所直樹さん、監修・川又龍人さん
試食会もアートになる
──架空の生き物やキャラクターなど、いくつか候補が挙がったなか、最終的に龍を選んだ決め手は何だったのでしょうか。
浪岡 老若男女、誰もが知っている存在にしたかったんです。当初はただの思いつきでしたが、ユニコーンや宇宙人、さらにはアニメや漫画のキャラクターとも比較してみた結果、龍が最もしっくりきました。
──ちなみに、なぜ「肉」にしたのでしょうか。
浪岡 極論すれば、DNA単体で展示してもよかったんです。ただ、自分たちがやっているプロジェクトを一番わかりやすく“体験”してもらうには、肉がちょうどよかったんです。
──SNSで告知されていた龍肉の試食バイト(試食で使用する素材はすべて人体に安全であり、食品衛生基準を満たしたもののみを提供)は、その謝礼が29万円ということで大きな注目を集めていましたが、この仕掛けも体験のうちのひとつなのでしょうか。
浪岡 バイト募集そのものもアート活動の一環ですね。2024年の象徴的な出来事として、「Oxford Word of the Year」に「brain rot」(脳腐れ)というワードが選ばれましたが、SNS上に膨大なコンテンツが流れ込み、それを浴び続けることでbrain rotを引き起こしてしまうような状況のなか、わたしたちは体験をより重視すべきだと考えています。バイト募集のほかにも「龍肉試食会」を開催予定ですが、ただ鑑賞するだけでなく、実際に体験・参加してもらうことで、作品をより楽しむことができるのではないかと思っています。
──完成した龍肉は、国立新美術館に展示されていましたね。
浪岡 知人の紹介をきっかけに国立新美術館での個展開催が決まり、龍肉の初公開の場となりました。博覧会には、食肉工場をイメージした20m級の装置を設置して、赤く照らされたチューブのなかを龍肉が移動していくように展示しました。実は、龍肉と一緒に別の作品もいくつか展示したのですが、そのうちのひとつは、とある超有名なゲームのキャラクターをモチーフにしています。ただ、権利上の問題で公式に名前を出すことができなかったので、「電気ネズミ」という名前で展示しました(笑)。
上:生成された龍肉は、保存性を高めるために赤色の保存液に浸して保管されている。写真は外部からの埃や微生物の混入を防ぐ「クリーンベンチ」内に置かれた龍肉/下:国立新美術館で開催した博覧会の様子を記録したショートビデオ
龍肉ってどんな味?
──バイオチームの田所さんと川又さんは、「龍の肉」がきっかけでLOM BABYと仕事をするようになったと伺いました。このプロジェクトの最初の印象を聞かせてください。
田所 初めて龍肉の話を聞いたときから、現代科学の1歩先を行くアイデアだと感じ、ぜひ協力したいと思いました。
──現代科学の1歩先、というのはどういうことでしょうか。
田所 遺伝子研究の多くは、学者たちが「トマトの甘み成分を増加させる」といった既存の動植物の特性を改良することに焦点を当てています。しかし、先ほど浪岡さんがお話しされたように、DNA合成技術の応用範囲は極めて広く、空想上の生物を創造することは十分に可能です。
──バイオチームは、龍肉をつくるにあたって、どんなプロセスを担当されたのでしょうか。
田所 DNA合成で生み出した龍のDNAを植物由来の万能細胞に吹き込むと、まるで命を宿したかのように細胞が活発に成長し、幻想的で生命感あふれる組織へと変貌していきます。
──生成された龍肉は、一体どんな味がするのでしょうか?
浪岡 そこは秘密です(笑)。ただ、美味しさを追求して開発しているわけではないということはお伝えしておきます。
東京・渋谷「FabCafe MTRL」内に備えられた、バイオテクノロジーの実験や研究が可能なラボの室内。ラボは田所さんをはじめ、研究団体や在野研究者など複数名でシェアしており、室内にはさまざまな研究道具が置かれている
バイオはもっと楽しめる
──TranseedsのWEBサイトでは、龍肉を最新バイオアートとして紹介していますが、お話を聞いていると「龍の肉」というプロジェクト自体、既存のバイオ産業へのアンチテーゼのように感じてきました。
浪岡 たしかに龍肉はバイオテクノロジーを活用したアート作品ですが、最初からバイオアートとして龍肉をつくろうとは考えていませんでした。バイオアートというカテゴリーに収めると、アート界隈には認識されるかもしれませんが、認知されるまでの入り口を狭めてしまうという懸念がありました。社会のあらゆる人に龍肉を知ってもらうほうが、総合芸術として面白いと思っています。
──バイオアートに特別なこだわりがあるわけではない、ということでしょうか。
浪岡 そうですね。実際のところ、龍肉に興味をもってくださる方の多くは、アートとしての面白さではなく、その突拍子のなさや話題性に惹かれていると思うんです。
田所 バイオ産業は、企業や研究機関が独自の技術やデータを秘匿する傾向があり、ブラックボックス化しているという指摘も多くあります。他方、LOM BABYには、そういった業界の敷居の高さに対抗するかのように、アートとして龍肉を提示することで、みんなでバイオテクノロジーを楽しもうとする姿勢を感じています。
──具体的に、龍肉の参照元となったアーティストや作品があれば教えてください。
浪岡 SF作家・柞刈湯葉さんの作品『まず牛を球とします。』では、培養肉が社会に与える影響や現代の倫理観が鋭く描かれており、この本を読んだことがプロジェクトを始めるひとつのきっかけになりました。また、イギリスの現代美術家ダミアン・ハーストの代表作「ホルマリン漬け」シリーズのような、死の超越を試みる作品や、NY発のアート集団「MSCHF」をはじめとするポスト・インターネット派の作品にも大きな影響を受けています。
LOM BABYが生成した龍のDNA。普段はラボ内の冷蔵庫に保管されている
DNAの潜在的価値
──龍肉は、いわば人工的にデザインされた生命ですが、生命を創造することについて社会がどう受け止めるかについて、倫理的な視点をどこまで意識していますか?
浪岡 バイオテクノロジーを使用する以上、倫理的な側面を常に意識しています。龍肉に関しては、動物実験は一切行わず、すべて植物性タンパク質を使用しています。しかし、もし今後、龍そのものを人工的につくり出す技術が登場した場合、それをペットとして迎え入れることが倫理的に許されるのか。はたまた、植物性タンパク質でつくられたペットであれば、それは倫理的に許容されるのか。こうした点には、深い議論が必要だと考えています。社会情勢の変化によって、倫理は時折変わりうるものなので、あらゆる事態を想定しながら実験を進めています。
──倫理の問題がある一方、最近では「培養肉」や「代替肉」の研究が進んでいます。龍肉は、そういった技術の延長線上にあるのでしょうか?
浪岡 龍肉は、従来の食肉を代替するためのものではありません。あくまで新しい人工生命体であり、バイオテクノロジーを駆使したエンターテインメントとして捉えています。従来の肉とはまったく異なる手法で肉を生成しているので、これを代替肉と呼ぶべきかどうかについては一概に言うことはできません。
──2025年4月から始まる「EXPO2025 大阪・関西万博」「Japan Expo Paris in Osaka 2025」には、龍肉だけでなく新しいプロジェクトも展示されると聞いています。
浪岡 LOM BABYが現在見据えているビジョン、それから今後の展望については、この万博の展示を通じてすべて表現する予定です。例えば、龍の次なる架空の生物「人工宇宙人」のDNAフィギュアや、再生医療技術を駆使して自己修復を行う“回復する”スニーカーなど、さまざまな新プロジェクトを展示予定です。このふたつの技術を組み合わせれば、生命体に限りなく近いフィギュアを生み出せると確信しています。
──最後に、今後の活動について聞かせてください。冒頭で綾波レイのお話がありましたが、キャラクターや龍以外の架空の生物のDNAを生成する予定はありますか?
浪岡 具体的な企業名はまだお伝えできませんが、IPを保有している企業からのオファーもあり、コラボレーションを進めています。今後はゲーム上のモンスターの肉をつくったり、ファッションブランドと一緒に龍の皮でカバンをつくったりと、新しい発想の商品開発にも取り組んでいきたいです。
──今後の展開も楽しみです。
浪岡 近年、ゲノム解析が個人にも手が届く時代になり、DNAの扱いはますます身近になりつつあります。自ずとDNAに対する人権問題や命の所存について、さまざまな議論が活発化していくと考えています。LOM BABYはそんな新しい時代において、これからもDNAの潜在的価値を引き出すような活動を続けていきたいと思っています。
次週4月15日は、バラバラな個人をつなぎうる年齢縁の可能性について考察します。沖縄をはじめとする南西諸島各地では、現在でも干支観念とそれに基づく年齢の数え方が生活に溶け込んでおり、「合同生年祝い」なる行事も開催されているのだとか。民俗学に軸足を置く編集部員がフィールドワークのなかで見つめた、干支縁の今日的なポテンシャルとは。お楽しみに。
【研究員募集のお知らせ】
WORKSIGHTの発行母体であり、未来社会のオルタナティブを研究する機関であるコクヨ株式会社ヨコク研究所と、その傘下にある新しい働き方・働く場を探求するワークスタイル研究所で、リサーチャーを募集します。社会や働き方の未来を共に描き、変革を促す仕事です。奮ってご応募ください。
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