街に溶けていくデザイン──ポップアップスペースnakayaが紡ぐ街の未来【「場」の編集術 #01】
再編されるこれからの都市における空間の在り方を問うシリーズ企画「『場』の編集術」第1弾。東京・渋谷区本町で自らが運営するポップアップスペースを通じて、新しいネイバーフッドをつくるデザイナー・永井健太さんに聞いた。
渋谷区本町にあるポップアップスペースnakaya
これからの都市空間は、どのように形づくられるべきだろうか。パンデミック、観光客の往来、少子高齢化、気候変動への対応、そして災害対策──これら現代都市が抱える課題の数々は、わたしたちの生活様式や価値観の再考を求め、新たな視点を生むきっかけとなっている。この連載では、持続可能で包摂的な都市の在り方を模索し、それを実現する可能性を探求する。
第1回となる今回は、東京・渋谷区本町の小さなポップアップスペースに焦点を当てる。地元商店街の一角に突如現れたこの場所は、人びとが集い、語り合い、ときに新たな価値を創出する空間だ。その設計を手がけたのはデザイナー・永井健太さん。彼はこれを「1/1スケールの実験の場」と呼ぶが、それは単なる建築デザインの試行錯誤にとどまらない。商業施設やデザイン事務所という枠を越え、地域の人びとと協働し、街全体の未来を見据えた挑戦である。
「消費されるだけの空間ではなく、そこにいる人が育つ場をつくりたかった」と語る永井さん。そのことばの背景には、自らが生まれ育った地域が変わり、失われていく体験がある。そしてまた、従来の建築デザインがもつ限界への問いかけでもある。永井さんが提案する新しい建築の在り方とは何か。地域と共に歩むその活動が示す未来を、さらに深く掘り下げていく。
interview by Shotaro Yamashita, Hidehiko Ebi
text by Shotaro Yamashita
photographs by Kaori Nishida
永井健太 |Kenta Nagai 1984年 東京都生まれ。デザイン事務所 negu inc. 、ポップアップスペースnakayaの代表。身体性や人間の感覚といった普遍的な価値観と、その時代や文化といった背景を大切にし、シンプルに構成することで、永く愛される空間をつくりだすことを目指している。WORKSIGHTで取材した鳥専門の不動産屋「BIRD ESTATE」が販売する巣箱のデザイナーでもある。
https://www.negustudio.com
「見えない境界」と向き合う
幡ヶ谷駅を降りると、低い軒の店舗が連なる商店街が広がる。1階は八百屋や雑貨店、立ち飲み屋といった店舗、2階は住宅。そこに漂う生活の匂いが、日常の輪郭をくっきりと描き出す。商店街を抜けると、道は緩やかに曲がりくねり、木造住宅が密集する市街地が姿を現す。その入り組んだ路地に迷い込むと、地図も役に立たないような感覚に陥るが、不思議なことに自然とひとつの五叉路にたどり着く。そして、その一角に静かに佇むのが、目的地の nakaya だ。昭和の面影を残す小口タイルに覆われた建物は、看板に「中屋刃物店」と掲げられながらも、別の新しい役割を静かに待っているようだ。
出迎えてくれたのは、デザイナーでneguを主宰する永井健太さんとneguの所員・天本景介さん。ふたりの朗らかな笑顔に導かれ、建物のなかへ足を踏み入れると、その空間が物語る背景の深さに圧倒される。
建物は、3つの小さな空間に分けられている。各階15㎡にも満たないが、1階はポップアップスペース、2階と3階はneguのオフィスで、所員の休憩所となっている屋上へと続く構造だ。急な階段を上り、案内された屋上からは、新宿の高層ビル群や初台のオペラシティが遠くに見え、眼下には低層住宅が広がる。「この地域には、目に見えない境界がたくさんあります」と永井さんは語る。「地図上では初台に近いですが、地元民にとってここは本町。そのほんの数メートルの違いが街の雰囲気を変えるんです。地元では隣接するエリアを少し冗談交じりに『本町の人たち』『初台の人たち』と呼んだりしますね(笑)」。
永井さんが育ったこの商店街、不動通商店街は駅からのアクセスが悪く、いまはシャッターが目立つ。「このエリアには、お年寄りや子ども、ビジネスパーソンもいます。いろんな年代の人が交差するこの街に、再び活気を取り戻せたらと考えています。若い人たちを迎え入れる視点が欠けている商店街には変化が必要ですが、その背景に空き家問題が絡み合って、なかなか進まないんです。修繕費や家賃収入の分配をめぐる議論が続き、その結果、放置される。こうしてデッドスペースになるわけです」。
nakayaのある建物もまた、そうした文脈のなかにあった。地元とのつながり、地域の活性化を願う大家との対話を経て、永井さんはこの場所を借り受けた。しかし、こうしたプロジェクトの成立には時間と労力が必要だ。建築を再設計するだけではない。街の文脈を読み解き、それを背負う覚悟が求められる。迷路のような街に埋め込まれた nakaya は、単なる建物ではない。そこには、見えない境界を丁寧に越えながら、人と街を結び直す試みが宿っている。nakayaに刻まれた昭和からの記憶と、そこに生まれる新しい機能。その両者が絡み合う姿は、過去と未来が交差する都市の縮図のようでもある。そして、それは一見些細なプロジェクトのようでいて、複雑に絡み合う問題の一部を解きほぐすための重要な一歩でもある。
写真上:1階のポップアップスペース。数名入れば満員となる限られたスペースだ 写真下:屋上からの風景。高層ビル群のすぐ裏側には住宅街が続いている
「趣味」という可能性を連鎖させる
nakayaの1階は、飲食や展示、販売など多目的に使われるポップアップスペースだ。その活用例は多彩で、アパレルの新製品発表や、趣味でワインを振る舞う個人の週末限定バーなど、どれも「地域に根差しながら新しい価値を生み出す」というテーマに基づいている。この柔軟さが、街のリズムに新しい拍を与えているのだ。
例えば、この日出店していたのは、フランスで修業を積んだ和菓子職人の井口いすゞさん。彼女は北海道余市町の実家が営んできた和菓子屋を継ぐ一方、nakayaのポップアップスペースを拠点に、自身の名前を冠したどら焼きを販売している。「実家とは別の場で実験的に挑戦できるのがありがたい」と話す彼女の表情には、希望と意欲が宿る。
このスペースの特徴のひとつは、飲食店の営業許可を取得していることだ。週替わりで異なる飲食イベントをしたり店舗が入ったりと、ここでの調理に限り誰でも飲食を提供できる。永井さんは、「飲食店の営業許可をもつポップアップスペースは珍しい。空間が空っぽの状態で許可をもち、誰もが食を提供できる場というのは案外少ない」と語る。その意図は明確だ。「一杯のコーヒーや軽食をきっかけに、人が自然と会話を始める。そんな何気ない交流をデザインしたかったんです」と永井さんは言う。
とはいえ、当初は営業日が不定期で、人が来ないという課題もあった。そこで、所員の天本さんがスペースの運営を担当し、企画と営業日の調整を丁寧に行うことで「ここに行けば何かがある」という信頼感を育ててきた。
このポップアップスペースには、利用者としてふたつのタイプが存在するという。ひとつは、すでにプロとして活動しているが、独自の屋号をもたない「半プロ」の人びと。もうひとつは、趣味を中心に人をもてなすことを楽しむ「アマチュア」の層だ。「驚くほど多くの人が、趣味として他者をもてなす場に関心をもっています」と永井さんは語る。その一例が、自身の母親だ。
「母はコーヒー好きで、週に2日ほどこのスペースでコーヒーを淹れています。認知症予防にもなると思ったんです。地域との交流にも興味があるようだったので、背中を押しました」。彼女がスペースに立つことで、場の見え方が変わり、他の出店希望者が増えたという。この変化こそ、場がもつ「可能性の連鎖」を物語っている。
永井さんが大切にしているのは、このスペースが「挑戦しやすい」環境であることだ。「利用料は『1日いくら』ではなく、売り上げの一定割合をシェアする仕組みにしています。売り上げがなければ負担はなく、誰でも気軽に挑戦できる。計画書や数字に縛られず、お互いに面白いと感じたことを実行するのが基本です」と語る。
この柔軟な運営方法が、商業、文化、福祉を融合させ、地域住民を巻き込みながら、新たな可能性を引き出す土壌をつくっている。一見すると小さなスペースだが、そこには街の新たな拍動を生み出すエネルギーが詰まっているのだ。
写真上:ポップアップスペース入り口。近隣の小学生や周辺の民泊に滞在する外国人がふらっと訪れることも多いという 写真下:この日のポップアップでは、たまたま出店者の親戚が近くまで来たとのことで立ち寄っていた
「力のない場所」で何ができるか
「ここは、わたしたち自身の実験の場でもあるんです」と永井さんは語る。この場所は単なるプロジェクトの拠点ではなく、所員たち自身が飲食業やイベント運営に携わることで、ユーザー視点を磨き、デザイナーとしての自分たちの感性を鍛える場にもなっている。事務所スペースに所狭しと並ぶ石材や木材のサンプルは、建材としてだけでなく、ときには1階のスペースでコーディネートなどの備品として利用されることもある。「空間デザインはクライアントワークが中心だからこそ、制約が多い。でもここでは、わたしたちが追求したい空間の可能性を自由に試すことができる。そして、それが地域にとって意味をもつのかどうかを確かめる場所でもあるんです」。
「地域に根差す」という思想は、デザインや施工のアプローチにも深く浸透している。永井さんたちは「土地の記憶」を残すことを重視し、建物の改修には元々そこにあった素材のみを使って再構成する方針をとった。ラワン材、モルタルコンクリート、真鍮といったシンプルな素材が選ばれ、それらを使って地元の職人たちによって丹念に施工された。素材ひとつひとつが、新しい生命を吹き込まれ、時間の流れとともに街と調和しているようだ。
また、このスペースは単にプロジェクトを発信する場としてだけでなく、新しいクライアントとの接点を生む場としても機能している。「仕事の関係者をここに招いて会食をすることがあります。珍しい場所なので喜ばれるし、地域の飲食店からケータリングを頼んだり、所員がバーテンダーとしてドリンクを提供したりするんです。同じお金を使うなら、地域と事務所の両方を知ってもらえる場として活用するほうがずっと意味があるんですよ」。
幼少期にメキシコに住んでいたデザイナーがタコスを振る舞うポップアップイベントの様子。同年代を中心に普段の本町とは違った人が多く集まった photographs courtesy of nakaya
永井さんには現代の空間デザイン業界に対するある種の批判的視点もある。「いまの空間デザインは、消費的な側面が強いと思います。次々と新しい商業施設がメディアで取り上げられ、目を引くデザインばかりが求められる。非常勤講師として教育機関で空間デザインを教えていますが、そこで語られる『空間が人を幸せにする』という理想と、実際の業務のギャップにわたし自身、忸怩たる思いをもっていました」。
だからこそ、永井さんは「力のない場所」での挑戦に価値を見いだしているという。「青山や原宿なら事務所を構えるだけで注目されるかもしれませんが、それは土地のブランド力を借りているだけです。この渋谷区本町のようなエリアで、新しい価値をどう生み出せるか。それがわたしたちの挑戦です」。永井さんのことばからは、ブランドや地位に頼らず、場所そのものと真剣に向き合い、そこでしか得られない価値を追求する強い意志が感じられる。
nakayaのような小さなスペースは、華やかさや圧倒的なスケールで勝負する「力のある場所」とは対極に位置している。しかし、それがもつ可能性は無限大だ。地域の声を拾い上げ、目立たない場所から静かに波紋を広げるこの試みは、いまの時代に必要な「力のない場所」がもつ意味を問いかけている。制約が可能性を育み、小さな場所が大きな変化をもたらす。そんな静かな革命が、ここ渋谷区本町の一角から始まろうとしている。
写真上:永井健太さん。ポップアップスペースの上階に構える事務所にて 写真下:事務所の壁には元の刃物店だったときの土壁が残っており、何十年というここでの営みを伝える
街に「溶けゆくデザイン」
永井さんの目標は、このエリア全体を「生態系」として再構築することだ。空き家を利用した商業施設やシェアオフィス、住民が自然と集まれるイベントスペースなど、街にちりばめられた要素が連動し、複合的な街づくりを実現する。それは単なる施設整備にとどまらず、地域全体をひとつの共鳴し合うシステムとして捉えるビジョンに基づいている。
しかし、この挑戦は容易ではない。現在のポップアップスペースの運営を通じて見えてきた課題も多い。「狭い空間なので、来訪者が多くなると居場所を見つけられないのと、そうしたときに次に行く場所がないことが最大のネックでした」と永井さんは言う。このエリアにはナチュラルワインの店や知る人ぞ知るレストランも点在しているが、それらが地域全体の連動する流れに十分に組み込まれているとは言い難い。「ポップアップスペースが、みんなにとって『家のひとつ』のような存在になれば良いと思っています」と永井さんは語る。商店街や地域の特性を生かし、街全体を人びとが自然に楽しめる仕組みをつくることが、彼の理想の街づくりだ。永井さんはその理想に向けて、日々試行錯誤を続けている。街を「地域全体がつながり合い、新しい価値を生む場」へと変える挑戦はまだ道半ばだが、その小さな変化の波紋は確実に広がりつつある。
2024年のお正月に行われた、書き初め&餅つき大会の様子。子どもからお年寄りまで、多様な地域住民が集った photographs courtesy of nakaya
「街のすき間に、必要な機能を少しずつ足していきたいんです。そして、不要になれば取り除く。まるで料理のトッピングのように、街に溶かし込む感覚で。そうすることで、この街には働く人も親子も高齢者も若者も、すべてが溶け込むように存在できる。昼間は働きながら街を移動し、仕事と生活が自然に交わる風景を目指しています」と語る。
彼が描く未来は、従来の空間デザインやオフィス設計の枠を超え、街そのものが生きたキャンバスになることを目指している。「わたしたちがオフィスを設計するとき、『公園のような場所を』『カフェのような場所を』と言いますが、この辺りにはすでに公園もカフェもたくさんあります。だから、それらを再現するのではなく、商店街を移動しながら会議をしたり、工作室に寄る途中でお茶を飲んだりと、街そのものを働く場にしたい。それが理想です」。目指す街は、働く場、住む場、遊ぶ場、そして観光地としての顔をもつ多層的で複合的な空間だ。
最後に、会社名「negu」の由来を尋ねてみた。「古語の『ねぐ』(願う)から取りました。日本らしい響きをもちながら、海外でも通じるようにと考えたんです。説明するのは照れくさいんですけど」と控えめに笑う姿からは、静かだが揺るぎない芯の強さを感じた。その強さは、この街で進行中のすべてのプロジェクトにも脈々と息づいているようだった。
街の空間はただの背景ではなく、そこに息づく人びとや活動とともに変化し続ける。永井さんの「溶けゆくデザイン」という考え方は、街がもつ無限の可能性を再認識させる。そしてそのデザインが生む未来の街は、特定の誰かのためではなく、すべての人に開かれた新しい風景を描き出すだろう。
昔の記憶を残すテイクアウトカウンター
次週2月11日は、アメリカのこども向けの書籍の専門出版社「Scholastic」の活動に迫るコラムを、WORKSIGHTプリント版最新号「こどもたち」(2月中旬刊行予定)より特別転載。さらに、プリント版には掲載されていない「Scholastic」クリエイティブディレクターのインタビューも掲載予定。アメリカのコミック/グラフィックノベルの世界に迫ります。お楽しみに。
【新刊案内】
photograph by Hironori Kim
書籍『会社と社会の読書会』
わたしたちはいつから「社会に出る」ことを「会社に入る」ことだと思うようになったのか。現代日本人の生活にあまりにも行き渡り、出世や勤勉さ、はたまた欲望まで日々の考え方にも大きな影響を与えている「会社」とはいったい何なのか──。『学問のすゝめ』から『ブルシット・ジョブ』、自己啓発から不倫まで、合計246冊の本を読み解きながら、民俗学者の畑中章宏、WORKSIGHT編集部の山下正太郎、工藤沙希、若林恵が「日本の会社」の謎に分けいる、寄り道だらけの対話集。
◉目次
はじめに 会社を問う・社会をひらく 山下正太郎
第1回 会社がわからない
第2回 ふたつの「勤勉」
第3回 家と会社と女と男
第4回 立身出世したいか
第5回 何のための修養
第6回 サラリーマンの欲望
第7回 会社は誰がために
コラム 会社の補助線
・遅刻してはいけない
・虹・市・起業
・速水融の「勤勉革命」
・「失敗」や「挫折」を語れ
・女性とアトツギ
・経団連と自己啓発
・トーテムとしての「暖簾」
・社宅住まいの切なさ
・三菱一号館から始まる
・「事務」はどこへ行くのか
ブックリスト 本書で取り上げた本 246冊
◉書籍情報
著者:畑中章宏、若林恵、山下正太郎、工藤沙希
編集:コクヨ野外学習センター、WORKSIGHT
ISBN:978-4-910801-01-8
造本・デザイン:藤田裕美(FUJITA LLC.)
イラスト:OJIYU
発行日:2025年1月18日
発行:黒鳥社
判型:A5判/224頁
定価:1800円+税