京都と中国を結ぶ、本の「縁」:国をまたぐ出版社「青艸堂」の挑戦
京都に拠点を構えながら、発行部数の約9割を中国で販売する出版社「青艸堂」。最初に出版した書籍は初版5000部が初日に完売し、中国と日本の双方で大きな反響を呼んだ。中国向けパブリッシャーという未踏の道を歩む代表・夏楠に、国をまたいで活動する独自の出版スタイルについて語ってもらった。
日本の出版市場において、紙の本は年々縮小傾向にある。その一方で日本各地のアートブックフェアなどの盛況ぶりを見るに、数々の独立系出版社をはじめとするパブリッシャーが制作するユニークな書籍への関心は高まっているように感じる。なかでも異色の存在として注目したいのが京都の青艸堂だ。日本に数多ある出版社のなかでも、中国人が設立し、中国大陸をメインマーケットとするアート系出版社は他にはないだろう。
青艸堂代表の夏楠(シャ・ナン)は中国で雑誌編集者としてキャリアを積み、39歳のときに単身で京都に移り住み、自らの出版社を設立。最初の出版物、写真家の秋山亮二による『你好小朋友:中国の子供達』(1983年)の復刻版は、中国で大きな反響を呼び、日本の書店でも好評を得ている。昨年からギャラリー空間も構え、読者と積極的に交流する彼女は、なぜ京都で出版社を始めたのか?また青艸堂が目指す未来などについて話を聞いた。
interview and text by WORKSIGHT
photographs by Kunihiro Fukumori
夏楠|Xia Nan 1977年中国湖北省出身。武漢の華中理工大学卒業。2002年から広州の『新週刊』の編集記者。2005年にモダンメディア社のカルチャー誌『生活』の創刊に携わり、2016年10月まで同誌の編集部に在籍。編集ディレクター、アソシエイトパブリッシャーなどを務める。2016年に台湾の写真家・馮君藍の1000部限定の特装版写真集『微塵聖像』を制作プロデュース。写真のキュレーターとしての仕事も開始。2017年1月に京都に移住。2018年6月に出版社「青艸堂」を設立。京都と上海を行き来しつつ日中をつなぐ出版やイベントを行う。
人生の午後を求めて
──まず、日本に初めて来たのはいつですか?
夏楠 2012年、越後妻有の「大地の芸術祭」の取材で日本に来たのが最初です。東京などの大都市ではなく、日本の最もベーシックな部分に触れることができたのがすごく良かったですね。足元に根付く土地に対する深い認識と責任感をもつ芸術祭のディレクター、北川フラムさんのような人物は心から尊敬しますし、山村の人びとの熱意と活力、アーティストたちが地元の人びとに寄せる思いも感じられ、そこには自然の美しさとともに、心地よい文化的空間が形成されていました。さまざまな要因から里山文化の衰退は避けられないなかで、北川フラムさんが語ったことばがとても印象に残っています。「本当に大切なことは、アート作品を通じて人びとがこの土地についてもっと知ること。この土地はアート作品を介して、少しずつ人びとの視界になかに現れていく。それこそが芸術の本質」という内容です。
──作品を通してその土地を知る。それは出版を通して日本の文化を中国に伝えるというあなたの姿勢にも通じますね。その後、2回目の来日はお茶の取材で訪れた京都でしたが、京都にはどのような印象をもちましたか?
夏楠 京都取材ではまず宇治の茶農家を訪れ、日本茶の栽培、製茶の技術などに触れ、日本の茶道についても学び、中国の茶文化との深い関係を感じました。表千家の不審菴では、特別な瞬間も体験しました。それまで降っていた雨が突然止み、陽光が雲間から差し込み庭の木々や踏み石に降り注いだのです。わたしたちは畳の上でその光の斑点を静かに見つめていました。その瞬間、何かがわたしの心に深く刻まれたような気がします。
──唐の建築がそのまま残る奈良や宋の文化の片鱗が随所に感じられる京都は、中国の人びとにとっても特別な場所ですね。
夏楠 取材を終えて帰国する前日に、仕事とは関係なく奈良に行き、法隆寺、唐招提寺、東大寺を訪れました。特に鑑真和尚がつくった唐招提寺の存在は中国人にとってとても大きいものです。千年以上もの時を経ていまも悠然とそこに建ち続け、訪れる人びとを正しく導く力を依然としてもっていると感じました。
──その時の経験が日本に来るきっかけになったのですか?
夏楠 その頃は日本に住むなんてまったく思っていませんでしたが、新潟の農村での芸術祭、京都茶の取材と奈良への旅が、わたしの心のなかに種を蒔いたのだと思います。2017年の初めに京都に引っ越す前、わたしは広州で7年、上海で7年、ずっと雑誌の編集者として働いていました。最も長く携わったのは『生活 LIFEMAGAZINE』というカルチャー誌で、創刊から退職までの11年間その編集部にいました。毎日何十通ものメールをやり取りし、写真を選んだり校正をしたり深夜1時や2時まで残業をして、夜中にタクシーで高速道路を駆け抜け車窓に流れる夜景を見る生活に、わたしはすっかり疲れ果てていました。
──それで2016年に辞表を提出したと。
夏楠 その年、わたしは39歳で、ユングの素晴らしいことばに出会いました。「人生には午前と午後がある」。つまり人生は二度あるということです。最初は他人のために生き、二度目は自分のために生きる。その第二の人生は40歳から始まると読みました。それでわたしはまずいまの環境から離れ、どこか別の場所に行こうと考えました。もし心が何かを求めているのであれば、好きな場所に行ってゼロから始めればいい。むしろゼロから成長するべきではないかと思ったのです。その3カ月後、わたしは京都に引っ越しました。中国の友人たちはみんな驚いていました。
京都移住のきっかけとなった『生活 LIFEMAGAZINE』本誌(左上・右上)と、別冊の大地の芸術祭、京都茶の特集号(左下・右下)
”幻の写真集”の復刻
──京都での暮らしは気に入っていますか?
夏楠 京都は静かで、常に自分の心の内に戻ることができる場所。わたしにとっては故郷のような存在になりました。ここにいて悪いことは何ひとつありません。
──オフィスでもプライベートでもMUJIを愛用していますね。
夏楠 小学生のとき、わたしの家には東芝のカラーテレビがあって、よく友達が放課後うちに来て一緒にアニメを見ていました。当時(80年代)は、中国の一般家庭にはまだ白黒テレビしかなかったので、日本の電化製品の品質にとても感銘を受けました。日本のプロダクトのクオリティの高さには昔もいまも感心しています。2000年代になって仕事に就いてから、同僚が香港からもってきてくれた無印良品のボールペン(0.38mm 黒)を愛用するようになったのをきっかけに、MUJIの文房具だけでなく、家具や衣類なども購入するようになりました。MUJI愛用歴はすでに22年になります。
──日本に住み始めて最初は何をしていたのですか?
夏楠 京都に引っ越して出版社を設立するまでの1年半ほどの間は、定まった仕事はしていませんでした。日本語を学びながら、展覧会に行ったり、書店に足を運んだり、寺院を訪れることも多かったです。それは過去の経験を整理して、何か新しいものが心のなかに宿るのを待っているような時間でした。一見何もしていないようで、実は新しい自分を構築していたのだと思います。
──そして出版を設立しようと思い立ったんですね。
夏楠 中国でずっと雑誌を通してさまざまな文化を伝えてきたので、これからは京都を拠点に出版を通して日本の素晴らしい文化を中国に伝えたい、自分なりにふたつの国の文化をつなげたいと思いました。幸いにもわたしには素晴らしい日本人編集者の友人がいました。前述の大地の芸術祭や京都茶の取材にも一緒に携わってくれたサウザー美帆さんです。彼女は日本での編集者としてのキャリアも長く、また中国語も堪能で、一緒に出版社を立ち上げることに賛同してくれました。日本の作家や書店とのやり取り、版権の交渉などはすべて彼女に任せています。
写真上:ギャラリー空間として展覧会も開催している青艸堂の「Seisodo Studio」。入り口に貼られているのは「你好小朋友」展(2023年)のポスター 写真下:青艸堂のスローガン
──写真家・秋山亮二氏の『你好小朋友:中国の子供達』(1983年)の復刻版が青艸堂の最初の出版物になりますが、この本を最初の一冊に選んだ経緯は?
夏楠 80年代初頭の中国を撮影したこの写真集は、2015年頃から中国のSNSで”幻の写真集”と話題となっていました。手に入ったとしても1冊10万円くらいの高値がついていたので、中国では復刻版への期待が高まっていたんです。実はわたしがまだ上海の『生活』編集部にいたときに、一度秋山さんの取材をさせていただいたことがありました。復刻版を出したいという中国の出版社からのオファーは他にもいくつかあったようなんですが、秋山さんの娘さんと美帆さんが旧知の仲であったとか、いろいろなご縁から2019年に青艸堂で復刻版を出版できることになりました。
──この写真集は初版5000部が発売日に売り切れるヒット作になりました。
夏楠 発売後に、写真集に載っている当時の子どもたちを探すプロジェクトが中国のメディアで立ち上がり、実際に10人が探し出され、大人になった彼らと秋山さんが再会する様子が、中国ではもちろん日本のNHKでもドキュメンタリーとなって紹介されました。この写真集はその後、未発表作を紹介するかたちで計4冊のシリーズ作品となりました。この本で出版社をスタートすることができて、本当に幸運だったと思います。
中国だけでなく日本でも話題となった秋山亮二の『你好小朋友:中国の子供達』復刻版
──『你好小朋友:中国の子供達』は中国でも売れていますが、日本でもシリーズ2冊目はshashasha(写真集専門オンラインブックショップ)の2020年売り上げ1位になりました。売れた1番の理由は何だと思いますか?
夏楠 秋山さんはサクラカラーという当時のフィルムで撮影したカラー写真によって、中国の70年代、80年代生まれの人びとの子ども時代の懐かしい記憶を生き生きと留めました。これらの世代の人びとは改革開放以前の、「明日は今日よりきっと良くなる」と希望に満ちていた時代の中国で成長しました。誰もが子ども時代を懐かしく思いますが、それが希望と興奮に満ちた時代であったなら、なおさら光り輝いて心のなかに残っていると思います。被写体となっている中国人のみならず、多くの人びとがこれらの写真に心を打たれる理由は、作品自体の素晴らしさももちろんありますが、きっと純粋な子ども時代に対する人類共通の思いがあるからでしょう。世界を見渡しても、写真集に写るこの世代は、デジタル機器に煩わされることのない子ども時代を過ごした最後の世代ではないかと思います。
手で触れられることの価値
──その後、土門拳、木村伊兵衛という日本写真界の大御所の作品も手がけていますね。
夏楠 土門拳は2012年に初めて日本に来た際、神保町で偶然手に入れた写真集で出会いました。『古寺巡礼』の仏像や寺院の写真に強く惹かれ、京都に住むようになってから一つひとつの寺院を訪れ、そのたびに土門拳の作品を見返していました。だから出版社を設立したときから、土門拳の古寺や仏像に関する作品集をつくることは頭のなかにありました。その後、土門拳記念館などの協力を経て、青艸堂オリジナル編集による『土門拳 仏像巡礼』と『土門拳 日本古寺』を完成させることができて、たくさんの中国の読者からも良い反応をいただいています。
──木村伊兵衛の『中国の旅』は1974年の死後2カ月後に発売された遺作の復刻版ですね。
夏楠 『中国の旅』は1963年から1973年にかけて、つまり文化大革命の時期に撮影した写真集で、複雑な環境のなかでも尊厳を保ちながら静かに日常を生きる中国人の姿を写し出しています。わたしの母は文化大革命の影響を大きく受けた世代で、母から当時の話を聞くと、いつも恐ろしい気持ちになったものですが、この写真集はそんなわたしの印象を少し変えました。国家が紆余曲折を経るなかでも、人びとが清く生きようとする内なる活力は常にあって、それはどこの国であっても普通に生きる人びとに共通するものです。この写真集に郷愁のようなものを感じるのは、そういったことが根本にあるからだと思います。
──出版物を写真集などのビジュアル本とする理由は?
夏楠 わたし自身、写真が好きだということもありますが、読者に本そのものを大事にとっておいてもらいたいという気持ちがあります。いまは小説でもドキュメンタリーでも大体のものがオンラインで読めますが、いい写真集や画集は、紙の書物としての価値があり、もっていたいという気持ちを喚起します。だから本をつくる際は、紙のセレクトや装丁などにもじっくり時間をかけて取り組んでいます。紙を使った作品を作家と一緒につくっていくという感覚です。今後は写真以外の、絵画集などにも取り組んでいきたいと思っています。
「Seisodo Studio」内、道路に面した展示室。この奥に通路庭があり、その先の母屋にもふたつの展示空間がある
──青艸堂は日本の出版社ですが中国をメインマーケットとし、上海でデザイン、印刷製本を行い、刷り部数の90%は中国で販売しているのも特徴的です。そのようなスタイルで中国で本を売るパブリッシャーはいままでいなかったと思いますが、そのことの利点、また逆に苦労するのはどんな部分ですか?
夏楠 わたしたちには参考とする出版社がなかったので、すべて一歩一歩経験を積み重ねながら進んできました。もともとわたしが素晴らしいと感じる日本の文化を中国に届けたいという思いもありましたし、中国はマーケットが大きいという利点もありますが、日本の出版社の本を中国市場で販売するには、中国の外国語図書に関する厳格な管理規定に従って、とても煩雑な輸入手続きを行わなければなりません。出版物に関して中国には大きな壁があり、それを乗り越えようとすると、おそらく多くの人が途中で挫折してしまうのではないかと思います。でも、他に誰もやっていないからこそいまの仕事は挑戦的で、やりがいも感じています。この数年間の日本での生活と仕事で、わたしの忍耐力はとても鍛えられました。
日・中をつなぐ「縁」
──2020年春から2022年夏まではコロナで上海に行ったきり日本に帰って来られないなかで出版を続けていたんですよね。
夏楠 そうですね。2カ月で京都に戻るつもりが2年以上帰ってこられなくて……。でも、青艸堂は、わたしが京都にいて、編集者の美帆さんは東京在住、デザイナーは上海にいて、当時販売促進などの仕事をしてくれていたスタッフは成都に住んでいて、もともとオンラインでのやり取りでほとんどの仕事を進めていたので、出版を続けていくのに大きな問題はありませんでした。上海のロックダウンで印刷所に行けなかったときは、家でできる仕事を進めていましたが、いま思えば、あの過酷なロックダウンを乗り切ったことも、自分を精神的に鍛えてくれたと思います。
──日本の作家、中国の作家、どちらも出版していますが、出版する本はいつもどのように決めていますか?
夏楠 基本的には自分たちがその時々でつくりたいものをつくっています。出版したいと思っても、さまざまな理由ですぐに実現できないこともあります。いずれにしてもアーティストと共に本をつくることは楽しいですね。作家がどのような形式で表現しようとも、アート作品が人びとに与える精神的な力には一貫性があって、本を開いているときは静寂のなかで生命の喜びを感じ取ることもできます。
──中国と日本の関係をテーマとしているところもありますか?『你好小朋友』や『中国の旅』は日本の写真家が撮った中国です。もともと仏教は中国から日本に伝来したもので、写真集のなかには唐や宋の時代の影響を受けた仏像や建築なども出てきます。
夏楠 そういう視点もありますが、「縁」というものも大事だと思っています。わたしがいま京都に住んでいるのも、出版社を始めたのも、すべていろいろなご縁があって実現したことです。現在、青艸堂のスタジオでは中国の彫刻家、蔣晟(ジャン・シェン)の仏像作品を展示していますが、彼は『仏像巡礼』を見て、ぜひ青艸堂で作品集をつくりたいと連絡をくれたんです。
──蒋晟は紫檀、漆、瑠璃、大理石、ガラス、石などさまざまな素材を使って仏像をつくるアーティストですね。昨年、青艸堂から作品集『蔣晟 為仏造像』が発売されました。
夏楠 彼の作品自体も唯一無二の存在感がありますが、仏像をつくり始めてからすべての作品を同じ写真家が撮影していて、その写真のクオリティも高かったので、これなら作品集をつくれると思いました。また、土門拳からのつながりにも何か縁を感じました。
写真上:作品集『蔣晟 為仏造像』(青艸堂)。写真家・許曉東が10年間にわたって撮影した、蔣晟の仏像作品44点が掲載されている
写真下:青艸堂「Seisodo Studio」で現在開催されている、蒋晟の日本での初個展「蔣晟個展 為佛造像 こころをかたちにする」。会期は2024年12月22日まで
自然な変化を受け入れたい
──昨年からは出版だけでなく自社のスタジオを所有し、そこをギャラリー空間として展覧会も開催していますね。
夏楠 上海のロックダウンを経験して以降、日本にしっかり拠点をもっていたいと以前より強く思うようになって、オフィスとしてスタジオを構えることにしました。ただ日常の仕事はほとんどがオンラインで行われるので、この空間が少しもったいないと感じて、毎年数カ月(主に9月~12月)だけ、わたしたちの出版物をベースとした展示活動を行うことにしたんです。ほとんどのことがオンラインで行われる現在、手で触れられるからこそ価値のある紙の本をつくる出版社にとって、作家や読者とオフラインで交流できる場は絶対に必要ですし、こうした場で得られる読者からの生で聞く感想や意見も、出版社にとっては非常に貴重だと思っています。
──そこからまた新しいご縁が生まれることがあるかもしれませんね。
夏楠 メディアや評論、業界の流れや流行などとは少し離れた位置で、自分で直接見たものや耳にしたことから生まれる独自の肌感覚を常に大切にしたいですね。京都を拠点とする中国人パブリッシャーの自分にしかできないこともあると思っています。
──今後、自社本の作家の展覧会以外の企画展などを行う予定はありますか?
夏楠 それは今後の展開を見ながら決めていくつもりです。もしかすると、まず展示を行い、その後に出版物をつくる、そういうこともあるかもしれません。また、ここは中国の作家を日本の方々に紹介するための場所としても最適だと思うので、この場を使って出版以外のいろいろなことにも挑戦していきたいと思っています。
──スタジオは京都の町家をモダンに改築したとても美しい空間ですね。
夏楠 日本の建築家やデザイナーは非常にレベルが高いですよね。わたしたちのスタジオは、小城拓也さんという若い建築家によってつくられたものですが、中国から友人が訪れるたびに、その細部へのこだわりに驚き、誰が設計したのか必ず聞かれます。日本の建築における視覚的な調和は、世界中で共有し学ぶ価値があると思っています。
──最近の中国の若い人は日本の何に関心をもっていると思いますか?
夏楠 日本庭園の造園や茶室の設計、また花道、茶道、香道、古美術、伝統工芸など、わたしが知っている中国の若者のなかには、こうした分野に非常に強い情熱を注いでいる人がかなりの割合でいます。例えば顏真卿展や正倉院展を見るためだけに、彼らは日本に飛んでくることもあります。
──では最後に、今の日本のカルチャーシーンをどう見ていますか?
夏楠 日本の文化は保守的な側面も強くあるように感じますが、それもまた日本特有の価値観によるものだと思っています。グローバル化、ソーシャルメディア化、スマート化が進むなかで、日本文化も自然に変化しているように見えます。わたし自身はそれがどんなかたちに変わってほしいなどと期待しているわけではなく、どんなかたちでもそれが自然に変わっていくものであれば、すべてを受け入れたいと思っています。
写真上:「Seisodo Studio」入り口 写真下:土門拳の作品集『土門拳 日本古寺』(青艸堂)を読む夏楠さん
次週12月3日は、インドネシアの農村で設立された、村の母親たちによるモバイルバンキング「マザーバンク」のインタビューをお届け。金利ゼロでの貸出や農作物の栽培、さらにはバンド活動まで行うマザーバンクの活動について、相互扶助組織を長年調査対象としてきた文化人類学者・平野美佐さんとともに訊ねます。お楽しみに。
【新刊案内】
photograph by Leo Arimoto
書籍『WORKSIGHT[ワークサイト]25号 アジアのほう Towards Asia』
わたしたちはずっと西に憧れ、西を目指してきた。しかし時代は変わり、カルチャーの新しい潮流はアジアから生まれつつある──。今号では、人気バンド「幾何学模様」のメンバーであり、音楽レーベル「Guruguru Brain」を運営するGo Kurosawaをゲストエディターとして迎え、〈アジアがアジアを見る〉新たな時代の手がかりを探る。
◉新しいアジアのサイケデリクス
選=Go Kurosawa
◉巻頭言 ひとつに収束しない物語
文=山下正太郎(WORKSIGHT編集長)
◉アジアのほう
対談 TaiTan(Dos Monos)× Go Kurosawa(Guruguru Brain)
◉イースタンユースの夜明け
Eastern Margins/bié Records/Yellow Fang/Orange Cliff Records/Yao Jui-Chung
◉北京のインディ番長、阿佐ヶ谷に現る
mogumogu から広がるオルタナティブ・コミュニティ
◉Dirt-Roots
サッカーでつながるコレクティブ
◉アジアンデザイナーたちの独立系エディトリアルズ
◉テラヤマ・ヨコオ・YMO
中国で愛される日本のアングラ/サブカル
◉百年の彷徨
アジアを旅した者による本の年代記
◉ロスト・イン・リアリティ
MOTEのアジアンクラブ漂流記2018/2024
書名:『WORKSIGHT[ワークサイト]25号 アジアのほう Towards Asia』
編集:WORKSIGHT編集部(ヨコク研究所+黒鳥社)
ISBN:978-4-7615-0932-3
アートディレクション:藤田裕美(FUJITA LLC.)
発行日:2024年11月13日(水)
発行:コクヨ株式会社
発売:株式会社学芸出版社
判型:A5変型/128頁
定価:1800円+税
出版関係の者ですが、まったく知らない世界で興味深かったです。