創造の「飛び地」は、どこにでもある:小島秀夫と王城夕紀が語り合う、混迷の時代のクリエイション
世界を飛び回るゲームクリエイター・小島秀夫氏がSNS上で激賞した、気鋭の作家・王城夕紀氏のSF長編小説『ノマディアが残された』。国家という国家が半ば崩壊し、世界中を「動民」が行き交う時代のSF諜報活劇だ。近未来の話でありつつ、現代のわたしたちを鋭く問う点において、両者のクリエイションは重なり合う。対話のなかで浮かび上がったのは、誰ひとり掴み切れぬビジョンを具体化する苦悩と悦びだ。
小島秀夫氏(左)と王城夕紀氏、コジマプロダクションにて photograph by Kaori Nishida(覆面作家である王城氏の顔まわりに、『ノマディアが残された』カバーに使用されたものと同じ画像を合成 photograph by Digital Vision/Getty Images)
2015年に小島秀夫氏が創立したコジマプロダクションは、ゲームの可能性を切り拓き、世界を語る新たなビジョンを示すことで、ゲーマーたちはもちろん、多くの人びとから注目を浴び続けている。2019年に発売、独特のシステムや世界観で構築された『DEATH STRANDING』が、世を大いに沸かせたことは記憶に新しい。シリーズ続編『DEATH STRANDING 2: ON THE BEACH』や、ゲームという表現形式自体を更新するとされる『OD』、ソニーとのコラボレーションであり「新世代の“アクション・エスピオナージ(諜報)・ゲーム”の完全新作」だという『PHYSINT』(フィジント)など、現在開発中の新作ゲームを心待ちにしているファンは数多い。2023年12月には、『DEATH STRANDING』実写映画化に関して製作配給会社「A24」と国際共同製作契約を締結、2024年9月には米「Variety」誌の取材に応じ、大手タレントエージェンシーWMEと契約、ハリウッドとの関係性を強化していく旨を述べるなど、ゲームのみならず映画やアニメも含めた世界規模での新たな動きも注目されている。
そんな小島氏が2024年8月25日、自身のXのアカウントで、こんなポストを投稿した。
王城夕紀著「ノマディアが残された」を読了。驚いた!これはいい!国と難民という現代的テーマを真っ向から扱い、次世代の感染症や複製技術、死者のアプリやネットワークなどのギミックをうまく使い、スケールの大きな国際諜報物として、同時にSF小説としても見事に昇華している。そして、なんとも言えない読後感と既視感がある。世界観、文体、設定、テーマ、単語の選び方、キャラクター。そこかしこに“伊藤計劃”らしさを感じる。僕は、伊藤さんとまた再会したようで、何度も胸が熱くなった。自分で言うのも変だが、伊藤さん同様、僕のMEMEの残滓も感じる。王城夕紀氏は“令和の伊藤計劃”なのかも。だから「ノマディアが残された」は、“現代の「虐殺器官」”だ。おすすめ。
映画、小説、ドラマなど、日々膨大な数の、そして古今東西の物語──自身の言うところの「MEME」(ミーム)を吸収し続けている小島氏が、その日々の最中に突然激賞したのが、王城夕紀氏による2024年8月刊行の新作『ノマディアが残された』(中央公論新社)だった。2000年代後半、『虐殺器官』『ハーモニー』(共に新版がハヤカワ文庫で刊行)といった傑作SFを次々世に送り出し、“伊藤計劃以前・以後”とさえ呼ばれるほどに一時代を築き、早くしてその生涯を閉じた稀代の作家の名を挙げながら。友人であった小島氏が、かつて自らの代表作のノベライズ『メタルギア ソリッド:ガンズ オブ ザ パトリオット』(角川文庫)を依頼したことなども併せて考えれば、通り一遍の誉めことばではないことがよくわかる。
果たしてふたりのあいだには、どのような同時代的な精神が共有されているのだろう。混迷を極める世界のなかで、何にもがき、どんな創造を達成しようとしているのか。そんな問いを抱え、靄のなかへと飛び込むようにコジマプロダクションを訪ねた。リスペクトする小島監督とは初対面にして、対談という行為すら人生初めてだという、緊張しきった王城氏と共に。
interview and text by Fumihisa Miyata
photographs by Kaori Nishida
寓意を汲みとる泉
──小島さんが手に取られた『ノマディアが残された』は、出版社からではなく、小島さんのファンである王城さんが個人名義で直接献本を送ったものだそうですね。
王城 読書家でいらっしゃる小島さんのもとには、常に大量の本が送られてきていると思うので、なぜ読んでくださったのか、ありがたいのと同時に本当に謎でして……。
小島 たしかに、突然この『ノマディアが残された』が送られてきたんですよ。同封されていた手紙には、僕がかつて手がけたSFアドベンチャーゲーム『ポリスノーツ』以来のファンでいてくださっている旨と、今回エスピオナージ(諜報)的なSFを書くことができた、といったことを書いておられました。正直、手紙の字はうまくなかったですけれど……(笑)。
王城 すみません、でも小島さんの目に留まったからよかったのかな……(笑)。
小島 普段から手紙も入れて献本くださる方は多いのですが、どうしてもすべてに目を通すことはできないんです。ただ『ノマディアが残された』は、帯に書いてあるあらすじをザッと見る限り、これはテーマとしてイケてそうだな、と直感的に思いました。
写真左:王城夕紀『ノマディアが残された』(中央公論新社) 右:小島秀夫『創作する遺伝子:僕が愛したMEME(ミーム)たち』(新潮文庫)
──外務省直轄の秘密組織「複製課(レプリカ)」のエージェントのひとり、ノスリが主人公です。シリアの難民キャンプで未知の感染症が発生、バイオテロが疑われる状況下で、キャンプを訪れていた同僚クイナが失踪。残された「ノマディア」という謎の一語を手がかりに、エージェントたちは世界を股にかけ探索。マインドアップロードなどの技術も絡むなか、ある殺戮計画が像を結び始める──というストーリーですね。
小島 そのとき読んでいた本が別にあったのですが途中で横に置いて、この『ノマディアが残された』を読み始めたら、ツルツルッと最後まで読めてしまい、そして「おおー」と感嘆したんです。テクノロジーと人の関係性や、コミュニケーションのあり方、そして何よりことばというものへの着目の仕方が、伊藤計劃的でもあり、すこし僕に近いものもあります。その意味する本当のところはネタバレにもなりますので、実際に読んで感じ取っていただくしかないのですけれども……。文系的な発想と理系的な視点のバランスも、ちょうどいいと感じました。
王城 嬉しいです、ありがとうございます。わたしが10代にゲームをたくさんプレイしていたなかでも、小島さんが手がけてこられた作品は別格感がありました。そのゲーム、その物語をつくらなければならない理由のようなものが、強烈なまでに伝わってくるのが小島さんのゲームだという気がしているんです。そのゲームの存在意義が、プレイヤーたちに届く、といえばいいでしょうか。そうした小島さんの作品の影響を強く受けてきたなかで、今回はぜひ、読んでいただきたいと思ったのでした。世界が分断され、人びとが孤立したなかで「荷物を届ける」ということをテーマのひとつにした『DEATH STRANDING』もそうですが、小島さんが手がけるSFは寓話的なところがあって、作品の内部に留まるのではなくそこからいくらでもプレイヤーが寓意を汲み出せる、泉のようなものだと感じているんです。
小島 体力面では泉どころか、枯れていますよ(笑)。中身は枯れていませんが。
小島秀夫|Hideo Kojima 1963年、東京都生まれ。ゲームクリエイター。1987年に初監督作品『メタルギア』でデビュー。シリーズ化された同作で、ステルスゲームというジャンルを確立。2001年、米「ニューズウィーク」誌の「未来を切り拓く10人」に選定される。2015年末に独立し、コジマプロダクション設立。2019年『DEATH STRANDING』を発表、2022年11月時点で全世界・全プラットフォームにおいてユーザー数1,000万人を突破した。コジマプロダクションとして「The Game Awards 2019」3部門で賞を獲得、小島秀夫個人として「2020 BAFTA Games Awards」でBAFTA最高の栄誉であるフェローシップ賞を、2022年に「芸術選奨文部科学大臣賞」を受賞。著書に『僕の体の70%は映画でできている:小島秀夫を創った映画群』(ソニー・マガジンズ)、『創作する遺伝子:僕が愛したMEME(ミーム)たち』(新潮文庫)など。
王城夕紀|Yuki Ojo 1978年、神奈川県生まれ。小説家。早稲田大学第一文学部卒業。2014年、第10回C★NOVELS大賞特別賞を受賞した『天盆』(「天の眷族」を改題・現在中公文庫)でデビュー。他の著書に『マレ・サカチのたったひとつの贈物』(同)、本の雑誌社『おすすめ文庫王国2017』でオリジナル文庫大賞に輝いた『青の数学』(新潮文庫nex)シリーズなど。参加したアンソロジーに『伊藤計劃トリビュート』(ハヤカワ文庫)、『走る?』(文春文庫)などがある。『ノマディアが残された』(中央公論新社)は、8年ぶりの新作長編となった。
現実に連なるSF
──おふたり共に、現実のリアリティと結びついたSF的なビジョンを提示されますよね。それぞれのSF観も気になります。
王城 今回の新作を旧知の編集者の方にお送りしたら、「こういう伊藤計劃さんのようなSFは、久しぶりに読みました」という感想もいただきました。
小島 まさに伊藤計劃さんは、世間一般でイメージするようなSFではないものを手がけていましたよね。目の前の現実と地続きのストーリーといいますか。一方で25世紀にどこぞの惑星でこの軍とこの軍が衝突した……というようなSFもいろいろとあるわけですが、僕にいわせればそれは場合によって、もはやSFではない気もするんですよね。ファンタジーといったほうがいいかもしれない。
王城 ファンタジーですか?
小島 スペースオペラ的なものでも、魔法ものでも、ゾンビものでも何でもいいのですが、本来的なSFであれば、「ゾンビっていったい何なの?」というようなことを、科学的に説明しなければいけないと思うんですよ。例えば僕らが子どもの頃に見た『ソイレント・グリーン』(リチャード・フライシャー監督、1973年)という映画は、人口爆発や環境破壊によって2022年の社会がどうなっているかを描き出しています。それは現在の社会構造の先にこのような世界が訪れるのだという切り口で語る、いわば知見の集積の上で未来への警鐘を鳴らす、生々しいフィクションだったんです。
王城 なるほど。
『ソイレント・グリーン 《デジタル・リマスター版》』の予告編
小島 あるいは小松左京『日本沈没』にしても、地震学の知見をきちんと調べながら書いているし、地球物理学者の竹井均さんからいろいろと教えてもらっているでしょう? つまり、きちんと科学的にフィクションをつくるんです。『ジュラシック・パーク』原作などで知られるマイケル・クライトンも、そうしたところがあります。『アンドロメダ病原体』(1969年発表)は、墜落した人工衛星に宇宙からの病原体がくっついていて……というSF小説です。人工衛星は1950年代後半から打ち上げられていったわけですが、こうした作品というのは日々見聞きするニュースなどに対して想像力を加えつつ、かつ科学的に描いていくことでリアリズムを生んでいる。ところが近年のフィクションは、ゾンビや吸血鬼といった“入れ物”、ストーリーの器としてだけ用いることが多いんですよね。例えばその感染源は科学的に突き詰めれば何なのか、我々が生きている現実とどう構造的につながり、かつフィクションとしての新しさがあるのかということが、なかなか突き詰められない。
王城 小島さんは、科学書などは読まれるんですか?
小島 いまはそれこそ体力がなくなってきたのでなかなか手が伸ばせていませんが、以前は講談社の「ブルーバックス」シリーズばかり読んでいました。昔はいろんな新聞を読んでは記事を切り抜いていましたし、論文なども読んでいましたね。自分でわからないほど難しいものは、周りのちょっと頭のいいやつに「読め」といって、内容を教えてもらうこともありました(笑)。
王城 ゲームをつくるために、論文にまで目を通していらしたんですか。
小島 だから、最近はヤバいんですよ。ちょっとしたウェブのニュースだけじゃ、なかなか創作のネタにはなりませんから(笑)。
王城 いまお話をうかがいながら、わたし自身が小説を執筆するにあたって抱いている関心のことを考えていたんです。もちろんサイエンス・フィクションとしてのSFに対する思いもあるのに加えて、スペキュレイティブ・フィクション(思索的な小説)への興味が強いような気がしました。フィクションなんだけれど、世界や人生とはいかなるものなんだろうか、という思考を深めるような寓話を書きたいのかもしれません。
──小島さんは膨大な数の物語や作品に毎日触れ合っていることがSNSでの発信からも伝わってきますが、それもまた創作に通ずる回路なのでしょうか。
小島 いや、それは純然たる趣味ですね。ただ、ひとつのものに触れたらそこから伸びる枝葉を追いかけるようにはしています。映画を1本観たら、気に入った俳優から辿っていけば異なるジャンルの映画を観ることになりますし、原作を読んで面白かったらまたそこから広がるものがある。音楽にしても、タンジェリン・ドリーム(編注:1970年代を中心に活躍してきた、ドイツの電子音楽バンド)を偶然耳にした人が、「何だこれ!」と驚いて掘っていくとプログレというジャンルに繋がる、ということがあるでしょう。連想ゲームのように世界が広がっていくそうした体験は、大事にするようにしています。
「国家」の崩れゆく時代で
──『DEATH STRANDING』は社会が崩壊した北米大陸の荒野が舞台となっていましたし、『ノマディアが残された』では世界中の国家のなかで「ガーデン」という独立自治のコミュニティが虫食いのように生まれている世界が描かれます。
王城 荒廃した世界のなかで、他のプレイヤーと非リアルタイムで協力し合うことのできるシステムが『DEATH STRANDING』では画期的でした。そのシステムのもと、人と人の繋がりが描かれていったわけですが、発売が待たれる新作『DEATH STRANDING 2: ON THE BEACH』には「我々は繋ぐべきだったのか?」というキャッチコピーがつけられていますよね。そこから遡るとシリーズ第一作の『DEATH STRANDING』の時点で、繋がることが本当に手放しで良いものとして描かれていたのか、考え込まざるを得ないところがあります。
小島 おっしゃる通り『DEATH STRANDING』は、アメリカという社会のネガを突きつけるところもあります。新大陸を侵略した人びとが自由の国アメリカをつくった、ということは逃れようのない事実ですし、そうした社会がほとんどボロボロになって崩壊しかかっているということも、現実としてある。いまやもう、アレックス・ガーランド監督による、近未来におけるアメリカ内戦を描いた『シビル・ウォー アメリカ最後の日』がリアリティをもって受け止められる社会ですから。しかもそうした分断と孤立に満ちた社会というのは、アメリカに限ったことではなく、世界中で見られるわけですよね。インターネットの影響も含めて、国家という単位がほとんど不要のものとなっているようにさえ見えますし、そうなればどのようなコミューンが生まれていくのかという話になってくる。『ノマディアが残された』における「ガーデン」はそうした時代の先にある紐帯のかたちでしょうし、『DEATH STRANDING』では、安部公房の短編「なわ」から発想したいくつもの紐縄が、ロゴから垂れているんです。
王城 『DEATH STRANDING 2: ON THE BEACH』のトレーラー映像では、その紐縄と思しきものがユラユラと揺れていたり、上方向に向かって伸びているように見えたりするのも気になっています。自分の小説で描いた”分断と孤立”はいろいろありますが、最も大きいのは、いまの世界は国家への”定住”を前提につくられている世界であるということで、だからニュースで取り上げられるのは移民や難民という”移動”する人々である、という”分断”で、この基本構造がいろんな拭い難い問題の大本のひとつなんじゃないか、ということです。そうした”移動”せざるをえない人びとを、「動民」や「ガーデン」、あるいは「ノマディア」という謎のことばで受け止めつつ書きたかったんですね。
上:『DEATH STRANDING』ローンチトレーラー 4K 下:『Death Stranding 2 On The Beach 』 – State of Play アナウンストレーラー | PS5
生者は死者と共存できるか?
──詳細は伏せますが、『DEATH STRANDING』も『ノマディアが残された』も、「死者」との関係性が大きな要素のひとつとなっています。
小島 生きている人間同士に物理的な繋がりがあるのと並行して、生者と死者のあいだにも、繋がりというものがあると思うのです。実は僕たちはいつも死者と共に生きていて、その繋がりが蓄積されて、歴史となっていく。例えば意識することなく、死んだ人が架けた橋を渡っているわけです。人の営みは、そうした死者との関係のもとにある。
王城 わかる気がします。『ノマディアが残された』の発想の元のひとつも、「死者の民主主義」ということばを目にしたことでした。例えば目の前にある壁を壊したいと思ったとき、その壁を立てた死者がどういう意図で立てたのかをまず理解しない限りは壊す/壊さないの議論をすべきではない。「生者だけでない、死者をも含めた民主主義」みたいなことばと勝手に解釈していますが。いまの世界が死者によってつくられたものだとすれば、生者が都合よく変えるなどしていいのか、といった話になります。そこで興味深いのは、小島さんが『DEATH STRANDING』で、死者を一方的に良いものだとしては描いていない、ということなんです。やはり両面がある、という描き方になっていますよね。
小島 そうですね。そもそも生きている人間は、どうしても死への恐怖を抱くものです。そして当たり前ですが、死者をあまりに優先すると、いまの人間が生きている価値がなくなってしまいます。死者を大切にしつつも、生きている人間こそが一番大切なのだという、そのあたりのバランスは常に考えなければいけない。変えることを恐れるばかりでは、新しい世界をつくることはできませんから。
王城 たしかに、死者を尊び続けることで逆に縛られてしまってもいけない、と。その上でわたしが死者のことが気になるのは、定住国家が基本とされる社会で移動せざるを得ない人びとと同じく、周縁的な存在に追いやられてしまいがちであるからなんです。どうしても排除されてしまう存在をどう描くか考えるなかで、「動民」といったことばを生み出したり、死者のことをストーリーに組み込んだりしていったのでした。
コジマプロダクションの社内に展示されている、『DEATH STRANDING』の主人公サム・ポーター・ブリッジズの精巧な像。同作にはノーマン・リーダスをはじめとして、世界的な名優が数多く出演している
そのビジョンを、誰も知らない
──それにしても、新しいビジョンに基づいて誰も見たことのないゲームを集団で開発するのは、大変ではないですか。
小島 僕の頭のなかを明確なかたちで見せることはできませんから、最初は周囲のスタッフたちにも、何も伝わらないものなんですよ。『DEATH STRANDING』だって、「配達ゲームなんて世に存在しないでしょう」という空気のなかで説得していかないといけませんし、ステルスアクションゲームだった『メタルギアソリッド』にしても、「隠れるゲームなんて……」と言われたものです。太陽光を活用する『ボクらの太陽』シリーズも、いまのようにみんなが外でゲームをするのが普通ではありませんでしたから、何を言っているんだこの人は、という状況でした。そこをとにかく手を動かしてつくってほしいと、ひたすらお願いすることから始めるしかないんです(笑)。
王城 小説は基本はひとり作業ですから、その苦労はないですね……。
小島 最初のピッチの時点から、新しい発想をどうポピュラーなテーマに引きつけるか、あるいは現在の市場に繋げるか、といったことをひたすら考えています。また集団性とは別の話ですが、実際に完成するのは数年後ということを踏まえて、その時点でテーマとゲーム性がどう響くかどうかということも考慮します。加えて、そもそもやろうとしていることがテクノロジーの観点で可能かどうか、といったことも初期の段階で実験しながら判断していますね。
──そもそも、いまの世の中にはない、未知の創造へ至る「飛び地」のような発想は、どうしたら可能になるのでしょうか。
小島 「飛び地」は、いっぱいあるじゃないですか。僕も独立したとき、つくりたいものがいっぱいありました。もちろん、そこから実際につくるとなれば話は別ですが、考えるだけでしたらなんぼでも可能です。その「飛び地」の発想を現代に紐づけなければいけないのが難しいんですよ。発想自体は、こうして喋っているいまも考えていますから。ほとんど職業病なんですよ、誰と何を喋っていても、「あ、思いついた」というようなことばっかりなんです(笑)。
王城 自分が取り組みたいものと、人から求められるもののバランスは、どうされているんですか。
小島 例えば僕たちは、新作ゲームをつくるときに、海外も含めてモニターにプレイしてもらうんです。すると、自分たちがつくろうとしているゲームとは異なる趣味の人の意見も集約されてきます。ゲームづくりというのはインタラクティブなサービス業で、料理人のようなところがあるんです。いろんな人に料理を食べてもらって、「どうでした?」「ちょっと味つけが……」といったフィードバックを繰り返す。そのなかで、どの意見をとるかが作家性なのだと思います。全員の意見は反映できませんし、そこで人の意見を呑み過ぎると、どんどん普通のゲームが出来上がっていってしまいますから、「このゲームの譲れない核心はここだ」というポイントをきちんと決めておかないといけません。とはいえ、僕のゲームづくりはやっぱりちょっと変みたいで(笑)。脚本を用意して俳優にオファーすることができないんですよ。
王城 えっ、ハリウッドを含めた豪華な俳優さんたちが演じていらっしゃいますが、最後まで脚本がない状態で収録を始めるんですか?
小島 最初と最後は決まっていて、そのあいだを繋ぐプロットもキャラクター設定もあるのですが、基本的には全体をつくりながらディティールを詰めていくんですよ。つまり、俳優さんたちに、何が何だかわからない状態で演じてもらっているというのは事実なんです(笑)。どんどんディティールを追加していくので、収録の現場でも変わっていきます。
王城 なるほど……。「どの意見をとるかが作家性」というのはすごく勇気づけられるお話です。逆に、筋も結末も見えないまま書き始めてしまう身としては、あれだけ膨大なストーリーだから全部脚本がないのはわかるとしても、企画段階で最初と最後は決まっているというお話は耳が痛いです(笑)。
小島 とはいえ、映画監督とかには多いやり方だとは思うんですけれども。
王城 実際に『OD』はクリエイティブ・パートナーのひとりとして、『ゲット・アウト』や『NOPE/ノープ』で知られる映画監督ジョーダン・ピールとパートナーシップ契約を結んだことが発表されていますし、『PHYSINT』もさまざまなクリエイターと協働していきたいという旨の発言をされていますよね。
小島 その意味では、繋がることは大事だと思っています。この対談も、僕がゲームをつくり、王城さんがプレイして、『ノマディアが残された』を書き、送ってくださり、僕が読んで発信したことで繋がったわけですし。どんな本を読んでも、たとえ海外の作家の本であっても、あるいは映画でもミュージシャンでも、その日のうちにSNSなどを通じて、つくり手本人と繋がるようになっています。お互いにDMで話をして、感触がよさそうだったらリモートで話をしてみる。さらにフィーリングとタイミングが合えば、ロスだろうとロンドンだろうと直接会う場を設けて、食事を一緒にする……。わかってきたのは、ミュージシャンも映画監督も脚本家も、小説家、漫画家、俳優さんも含めて、いろんなアーティストの人がゲームで育っているということなんです。でも、「それならゲームをつくったら?」と聞くと、「つくり方がわからない」と言われることも多い。じゃあ、みんなでやりましょうよ、というのが最近の僕のやり方なんです。ゲームでも、ゲームに近いものでも、一緒にやりませんか、って。
インタビュー終了後、小島氏直々のガイドによるスタジオツアーの様子
次週10月22日は、マイクロソフト首席研究員を務める経済学者グレン・ワイル氏のインタビューをお届け。元台湾デジタル担当大臣オードリー・タン氏との共著『Plurality: The Future of Collaborative Technology and Democracy 』(邦訳版は2024年12月刊行予定)をひも解きながら、多元的な社会に向けた新たなビジョンを伺います。お楽しみに。