ナヴィ語は生きている:ファンダムはなぜ「言語」を学ぶのか【上篇】
『アバター』のナヴィ語、『スタートレック』のクリンゴン語など、映画や小説のために創作された言語を学ぶファンコミュニティ。架空の言語を学び、習得するのみならず、日々その言語を拡張することに邁進するファンダムは「ことば」とわたしたちの関係に、新たな光を投げかけます。ことばとは? コミュニティとは?「アバター」ファンダムのナヴィ語研究者と言語創作のプロにお話を訊いてみました。
©20TH CENTURY FOX / Alamy Stock Photo
世界に言語はいくつあるだろうか。日本語、英語、中国語、フランス語、スペイン語、ドイツ語…… 諸説あるが7,000とも8,000とも言われている。これだけでも驚くほどの数だが、私たちが現実世界で使うこれら「自然言語」の他にも言語は存在する。人によって開発された「人工言語」だ。
そのなかには映画や小説のためにつくられた創作言語があり、作品を通して見たり聞いたりしている人も多いだろう。現実には存在しない民族や生物が話す「現実には存在しないことば」は、私たちを瞬時に幻想的な世界へ連れ出してくれる。
しかし創作言語を作品として鑑賞するだけにとどまらず、外国語と同じように学んでいる人たちがいる。作品と作品に登場する言語に魅せられたファンが、情熱の赴くままに言語を分析し、集い、学び、コミュニケーションをとるとき、作品世界から飛び出した創作言語は「ファン言語」となる。
ファン言語という不思議で深い世界を、ファン言語と深く関わるふたりの案内人とともに探索していく。
interviewed by Yasuhiro Tanaka / Kaho Torishima
text by Yasuhiro Tanaka / Kaho Torishima
クリスティン・シュレイヤー|Christine Schreyer
ブリティッシュ・コロンビア大学准教授。言語人類学を専門とし、ファン言語や絶滅危惧言語など言語コミュニティの調査、カナダやパプアニューギニアの言語の再生などに携わる。プロの言語クリエイターでもあり、『マン・オブ・スティール』のクリプトン語や『パワーレンジャー』のエルター語など数多くのファン言語を創作している。
マーク・ミラー|Mark Miller
ナヴィ語コミュニティ〈Learn Na’vi〉の管理人。立ち上げから関わり、2010年以降は管理人を務めている。普段はネットワーク設計者として大企業向けのシステム設計や構築を行っている。
「ナヴィ語」を学ぶコミュニティ
世界には、『アバター』のナヴィ語や『スタートレック』のクリンゴン語のように、映画作品のためにつくられた架空の言語を学ぶ人びとがいる。そして、作品のファンによって学ばれる創作言語を「ファン言語」と呼ぶ。現実世界の実用的な言語ではない、仮想世界の言語を学ぶ「ファン言語」コミュニティではいったい何が行われているのだろうか。
そのひとつである〈Learn Na’vi〉は、ジェームズ・キャメロンが監督した映画『アバター』(2009年)のなかで使用される「ナヴィ語」について学習や議論を行うコミュニティだ。世界中から4,000人が集う規模を誇るが、それは映画に登場する美しい衛星「パンドラ」や、そこに生きるナヴィ族、彼らが話すナヴィ語に魅了されたファンたちの、インターネット上における分析や議論から始まった。〈Learn Na’vi〉がナヴィ語を学ぶ場として確立されるきっかけになったのは、言語の創作者である言語学者のポール・フロマー(Paul Frommer)博士との交流だったという。
「フロマー博士はナヴィ語の仕組みや文法、発音などを教えてくれました。その教えを記録し始めたことで、〈Learn Na’vi〉はナヴィ語について調べたり、学んだことを共有したりできる場となりました」
そう語るのは〈Learn Na’vi〉の管理人であるマーク・ミラー氏だ。
「さらにDiscordというコミュニケーションプラットフォームの登場によってコミュニティは飛躍しました。文字だけではなく、音声を聞くことや互いに話すことが可能になったので、セミナーやゲームを実施するなど、言語学習の側面が爆発的に成長したのです」
活動はオンラインに留まらない。パンデミック前までは毎年開催されていた「アバター・ミート」というミートアップでは、世界中のメンバーが一堂に会していたという。『アバター』を観たり、フロリダのディズニー・アニマルキングダムで『パンドラ:ザ・ワールド・オブ・アバター』を体験したり、プロデューサーと意見交換をしたりと、仲間とともに映画との結びつきを感じられるイベントのようだ。そこには映画制作会社のサポートもあるという。「ファン・コミュニティの重要性を理解し、〈Learn Na’vi〉や他のコミュニティをサポートしてくれるのです」とミラー氏は話す。
〈Learn Na’vi〉は、オンラインやオフラインの学び合いの機会と、映画の制作サイドとの関わり合いによって発展したコミュニティのようだ。
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現実世界での孤立と架空のことば
そもそも言語はひとりでも学べるはずだが、ファン言語を学ぶ人たちはなぜコミュニティをつくるのだろうか。ミラー氏は、答えは簡単だと言う。
「言語とは、人と人がコミュニケーションを取るための道具です。もちろん自分の力でもマスターできますし、ナヴィ語も例外ではありません。でもひとりでは誰かに『伝える』ことができないので面白くないですし、刺激にもなりません。多くの人と学ぶことで初めて、人から人へ考えを伝えるという言語の特性が成り立つのだと思います」
ナヴィ語を研究する言語学者のクリスティン・シュレイヤー氏も同じことを語る。
「ひとりのための言語というのもあるかもしれませんが、一般的には言語は誰かと共有したいと思うものです。だからファン言語に関してはコミュニティが発達したのだと思います。多くの人が独自に学び始め、それを他の人たちと共有したい、話してみたいと思うようになったのです」
ファン言語とコミュニティは切っても切れない関係というよりもさらに強く、互いになくてはならない関係なのだ。また、コミュニティで言語を学ぶことによって自分の居場所を見つける人たちもいる。
「ナヴィ語のコミュニティに参加している人の多くは、現実世界で孤立を感じていることがわかっています。仕事ではギークやオタクとみなされたり、ゲイやクィアなどのアイデンティティをもつ人が多いのです。彼らは言語を学ぶ自分と似たような人たちの集団を見つけて参加することで、言語のつながりだけでなく、自分らしさを共有する仲間も見つけたのです」
ナヴィ語の創作者であるフロマー博士が頻繁に言うことばに「学習とは真の友人をつくる場所である」というものがあるそうだ。それは〈Learn Na’vi〉において体現されているとミラー氏は話す。
「ここには、英語、ドイツ語、フランス語、中国語、日本語など17の言語を母国語とする参加者が集まっています。非常に包括的なコミュニティで、宗教も年齢も関係なく誰もが歓迎され、ありのままの自分を受け入れてもらえるのです」
これほど多様な人が集まるコミュニティをどのように運営しているのだろうか。
「私は管理者で、ハードウェアやサーバーなどを管理し、プラットフォームを稼働させています。他にも、コミュニティを見守り、メンバーをサポートするための共同管理者やモデレーターがいます。『自分がされて嫌なことは他人にもしない』など常識的なルールはありますが、厳格なルールはほとんどありません。異なる意見をもつ人は別のコミュニティをつくって移動していくこともありますが、それはそれでいいと思っています」
好きな作品の言語を共に学ぶという共通の信念がメンバーの行動指針をゆるやかに規定しており、それが開放的なコミュニティを可能にしているのかもしれない。
映画『スタートレック』に登場するヴァルカン星人の言語(上)と、クリンゴン星人の言語(中)。言語は、それぞれの宇宙人の世界観を表す重要な要素なのだ。クリンゴン語専門家と、クリンゴン戦士に扮したふたりのコスプレイヤー(下)。(上から Design Pics Inc, M.J. Daviduik, dpa picture alliance archive/ Alamy Stock Photo)
能力と経験を贈り合う
オープンで寛容なコミュニティとして多くの人の拠り所となっている〈Learn Na’vi〉では、さまざまな職業のメンバーが自分のスキルを活かして活動に貢献している。たとえばナヴィ語の辞書や文法書があるが、それは創作者であるフロマー博士のブログをもとに言語学に精通したメンバーがつくり上げたものだ。しかもそれらは英語だけでなく、ハンガリー語やイタリア語、ドイツ語でも展開されている。さらに現在は、人工知能の運用を得意とするメンバーが学習プロセスに新たな技術を導入するプロジェクトが進行中だとミラー氏は教えてくれた。
「みんなさまざまなバックグラウンドをもっていますが、映画を愛し、その世界で使われているとされる言語の発展に貢献したいという共通の意思をもっているのです」
また、学び合うコミュニティのなかにも「教える」立場の人がいるようだ。メンバーからどのように選ばれているのだろうか。そこには「名誉ある制度」があるのだという。
「Discord上で定期的にオーディオクラスを開講していますが、その講師はメンバー内から選出されます。資格があるわけではなく、長年コミュニティに参加してナヴィ語を人に教えられるレベルまで習得した人が『先生になりたい』と意思表示をし、さらに古くからナヴィ語に関わってきたメンバーによる話し合いや審査によって認められれば、その人は新たに先生やインストラクターになることができるのです」
言語や映画を通して共通の世界観で結びついた仲間や場所への愛着が、能力や経験の贈与の連鎖とコミュニティの発展を加速しているようだ。
みんなで「ことば」を成長させる
コミュニティは言語を学んだり、学ぶためのツールを開発したりするだけにとどまらない。〈Learn Na’vi〉では、メンバーがナヴィ語そのものの構築にも関わっているのだ。それを可能にしているのは、元々の創作者であるフロマー博士自身がナヴィ語構築の入り口をオープンにしていることにあるようだ。
「博士は『語彙拡張プロジェクト』という掲示板を立ち上げ、私たちが新しいことばを提案できるようにしました。学習の過程で『この概念を表すことばがない』と感じたらそのことばをつくっていこう、と博士は考えたのです」
フロマー博士の要望により、匿名で新しい単語や語彙、あるいは文法構造などを提案できる機能がつくられたという。そこで集まった提案を博士が「いいアイデアだ」「少し調整しよう」あるいは「これは必要ない」と判断し、採用されたものは博士のブログに公式に登録されるのだ。
「世界中の人の意見を取り入れた言語がインターネット上でリアルタイムでできあがっていくのです。これほど多くの人からインプットを得て、これほど共同作業で構築された言語は、いまだかつてなかったと思います」
このようなプロセスを経て、『アバター』公開当時は250語ほどだったナヴィ語の語彙は、今では数千語にまで増えている。
「言語が成長していくのを見るのは、本当に魅力的です。言語ができてから10年しか経っていないとは思えないほど熟成されているのです。なぜなら、世界中の多くの人びとが、自分たちの経験や世界観をこの言語に反映させることができたからです」
さらに、自分たちがつくったことばが映画にも採用されるかもしれない、という期待感もメンバーの情熱を高めている。
「2022年12月に公開予定の『アバター』の続編『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』で、〈Learn Na’vi〉から生まれたことばが使われることは間違いないでしょう。ナヴィ語をただ学ぶだけでなく、作品に貢献できることも私たちを魅了し、興味をもってコミュニティに参加し続ける理由になっていると思います」
アバターのナヴィ族のコスプレでComiconに参加するファンたち / Alamy Stock Photo
エスペラント語の挑戦
ナヴィ語のように、創作者が権威を手放すことで1世紀も前からオープンに成長してきた言語がある。エスペラント語だ。1897年にオーストリアの眼科医であるラザーロ・ルドヴィゴ・ザメンホフによって世界平和を促進するための言語として創作されたエスペラント語。ロマンス語をベースに非常にシンプルな文章構造をもつ言語として開発されて大きな支持を集め、話者は世界各地に100万人にも広がったと推定されている。
「彼はエスペラント語を『人びとのための言語だ』と考えていました。『世界の調和を促進するためのものだから、誰もがそれを調整することができる』と、創作者としての権利を手放しました。そのためエスペラント語は人びとによって常に新しいことばが生み出され、新しい意味について議論される言語になったのです」
自分が好きな言語の創作に関わり、コミュニティ全体で成長させていくプロセスを見られることは、話を聞くだけでもエキサイティングなことだ。しかしこのような理想的な活動は、すべてのファン言語において実現できているわけではなさそうだ。シュレイヤー氏はそれを「ファン言語の分かれ道」と呼ぶ。
「ファン言語にはまず言語をつくった人がいて、その人が言語の専門家や権威と見なされます。ナヴィ語のようにファンがことばの開発に参加することに寛容な言語もありますが、クリエイターが権威であり、他の誰も新しいことばづくりに参加できない言語もあるのです」
映画『スタートレック』に登場するクリンゴン語においては、マーク・オークランドが言語を創作できる唯一の人物だと見なされている。原作者とオリジナル・メディアと結びついた「正典(canon)」が存在し、それ以外のファンがつくることばは公式なものとして扱われないのだ。
新しい言語の発展の仕方は、創作者がどれだけ権威を握り、どれだけ開放していくかによって大きく異なってくるようだ。
新しくつくられる言語・消えゆく言語
さて、ここまでファン言語やエスペラント語など、人の手で創作された言語について述べてきた。しかし世界には、新しく生まれる言語があれば、消えゆく言語もある──話し手の民族が減っていったり、別の言語に吸収されたりして失われた「絶滅言語」、あるいはその危機に瀕している「絶滅危惧言語」だ。
〈Learn Na’vi〉のように、話し手が誰もいないところからスタートし、世界中の人がゼロから学んでいくファン言語コミュニティは、言語の存続や復活を実現するためのモデルになるだろうか。シュレイヤー氏は、絶滅危惧言語コミュニティがファン言語コミュニティから学べる要素はふたつあると言う。ひとつは「情報の記録」だ。
「パプアニューギニアには約860の言語がありますが、その多くは先住民の小さなコミュニティのみで話されているため、絶滅の危機に瀕しています。私はそのなかのひとつ『カラ語』という言語を研究しています。初めて調査に行ったとき、彼らは文字表記のシステムをもっていなかったので、カラ語の音をローマ字正書法による書き方で理解するサポートをしました。そうすることで学校で教えることが可能になるからです」
もし誰もファン言語を話さなくなったとしても、映画や本、あるいはウェブサイトは永遠に存在し続ける。しかし、絶滅の危機に瀕している言語は、誰かがそれを記録し、書き留め、資料をつくらない限り、いずれは「存在しない」ことになるのだ。すでに誰も話さなくなってから長い時間が経ち「眠っている言語」と呼ばれるものも、材料や道具があれば、まだ目覚めさせることができる可能性がある。眠れる言語のなかには12語の単語リストしか情報がないこともあるそうだが、そのようなケースでは、ファンが映画を観てファン言語を分析し記録を重ねたように、できる限り多くの情報を拾い集め知識として積み上げていくしかないのだ。
しかし言語の発展のためには、情報を記録するだけではなく、そこにアクセスして学ばれることが必要である。ファン言語は情報をウェブサイトで一般公開しているので、誰もが言語にアクセスすることができる。しかし絶滅危惧言語では必ずしも実践されていない。ここにはある課題があるとシュレイヤー氏は指摘する。「少数民族の言語や絶滅危惧言語では神聖な知識が含まれている可能性があり、一般に公開したくないと考えられることもあリます。そのため、バランスには気をつけなければならないのです」。
さらにシュレイヤー氏がファン言語コミュニティから学べるもうひとつの要素としてあげるのは、「言語に対する情熱」だ。
「言語を習得するのは大変なことですが、ファンコミュニティでは誰もが学習への強い情熱をもっています。しかし絶滅危惧言語において、その言語を取り戻そうという熱意がみんなにあるかというと、そうではありません。もしみんながファン言語のファンの人たちのようになれたなら、絶滅危惧言語もファン言語のように発展していくでしょう」
情熱に突き動かされ発展するファン言語コミュニティとその学びのあり方には、自然言語の運命を変えるヒントがある──。言語とコミュニティの絶えざる歩みはこれからも続いていく。
LANDMARK MEDIA / Alamy Stock Photo
次週9月20日は「ファンダムはなぜ『言語』を学ぶのか【下篇】」をお届けします。ファン言語を学ぶときファンの人たちに何が起きているのか──言語と世界の複雑な関係に迫ります。