なぜいま「ゲーム」なのか:山下正太郎×若林恵 特別対談
1月31日に刊行されたプリント版最新号『WORKSIGHT[ワークサイト]22号 ゲームは世界 A–Z World is a Game』。A〜Zの関連ワードを切り口に、多様に拡張しつつ進化/深化するゲームから現代社会を捉える特集となっている。今回は、同特集の立脚点ともいえるWORKSIGHT編集長・山下正太郎とコンテンツディレクター・若林恵の対談を本誌より転載してお届けする。
2023年のF1ラスベガス・グランプリの1コマ。コース脇の「The Sphere」がレースを見下ろす。仮想世界と現実世界が融合していく。Photo by Jeff Speer/Icon Sportswire via Getty Images
ゲームはもはやエンターテインメントの枠にとどまらず、映像、音声、文字といったメディアがコンヴァージ(融解)され、それを扱うシステムとなりつつあるのではないか──その仮説をめぐり、WORKSIGHT編集長・山下正太郎とコンテンツディレクター・若林恵が対談。WORKSIGHTがいま”ゲーム”に関心を寄せ、特集号をつくる理由とは。最新号に掲載された1万字におよぶテキストを特別公開する。
(左)山下正太郎|Shotaro Yamashita 本誌編集長/コクヨ ヨコク研究所・ワークスタイル研究所 所長。2011 年『WORKSIGHT』創刊。同年、未来の働き方を考える研究機関「WORKSIGHT LAB.」(現ワークスタイル研究所)を立ち上げる。2019年より、京都工芸繊維大学 特任准教授を兼任。2022年、未来社会のオルタナティブを研究/実践するリサーチ&デザインラボ「ヨコク研究所」を設立。
(右)若林恵|Kei Wakabayashi 黒鳥社/WORKSIGHTコンテンツディレクター。平凡社『月刊太陽』編集部を経て2000年にフリー編集者として独立。以後、雑誌、書籍、展覧会の図録などの編集を多数手がける。音楽ジャーナリストとしても活動。2012年に『WIRED』日本版編集長就任、2017年退任。2018年、黒鳥社設立。著書『さよなら未来』(岩波書店・2018年4月刊行)、責任編集『NEXT GENERATION GOVERNMENT 次世代ガバメント:小さくて大きい政府のつくり方〈特装版〉』(黒鳥社・2021年5月)、宇野重規氏との共著に『実験の民主主義:トクヴィルの思想からデジタル、ファンダムへ』(中公新書・2023年10月)。 photo by Kaori Nishida
Convergence
21世紀はゲームによって統合される
dialogue by Shotaro Yamashita & Kei Wakabayashi
21世紀はゲームの時代だと人は言う。しかし、それはいったい何を意味しているのか? 映像、音声、テキストを統合するシステムとしてのゲーム/メタバースは、世界をどう変えるのか。本誌編集長・山下正太郎とコンテンツディレクター・若林恵が考えた。
Unityでプレゼンする
若林 ここでは、まず最初になぜコクヨのオウンドメディアであるところの『WORKSIGHT』がゲームの特集をやるのかというところから話さないとですね。
山下 そもそもの発端は、公開編集会議というものをやったときの出来事でしたよね。美術系の大学院に通っている学生さんが、課題を提出する際のプレゼン資料を、ゲームエンジンの「Unity」でつくったという話をされていて、そのことに衝撃を受けたのが大きなきっかけだったと思います。
若林 そうでした。あれはびっくりしましたよね。「もう、すでにそんなことになってるのか」と。
山下 わたしの記憶では、その方が語っていたのは、たしかコミュニティデザインの課題にUnityを使ったということだったと思うのですが、人をどのように動かして場を編成するのかを考えるようなプロジェクトであれば、ことばやPowerPointを用いて説明するよりも、実際にUnityでつくった空間に入ってもらって、そこで何が起きるのかを体験してもらうほうがはるかに話は早いでしょうから、合理的ではありますよね。
若林 もちろん、そうした3D空間を用いたデモンストレーションといったものは、いわゆるメタバースの不動産業界などへのアダプテーションといった領域では、この間盛んに語られてきたことではあるので、そのこと自体に驚いたというわけでもないですよね。個人的には、メタバースがリアル空間の代替物になっているということよりも、Unityがパワポに取って代わっている、という点に、むしろ大きな驚きがあったという感じです。
山下 面白いですよね。パワポは言ってみれば説得のツールですよね。極端に言ってしまえば、相手を服従させるツールです。ところが、それが「体験型」の「デモンストレーション」に置き換わっていけば、当然ビジネスにおけるコミュニケーションのありようも変わっていきます。
若林 わたしたちは、いわゆるパワポ文化というものを、ごくごく当たり前のものとして受け入れていますが、あれはわたしの認識ですと、アメリカにおける「ピッチ」という文化を洗練させたもので、端的にいうと、あるアイデアをもっている人間が、資金提供者に対して短時間で効率的に、そのアイデアを理解してもらうためのツールとして広まったように見えます。
山下 スタートアップやイノベーションといったことばの広まりと同時に、パワポカルチャーも広まったと。「TED」というアイデアプレゼン番組も、言われてみれば、その頃ですよね。
若林 それこそ日本では伊藤穰一さんが番組のナビゲーターをやられていたのが象徴的です。もっとも、ここではそれがいいとか悪いとか言いたいわけではなく、パワポのようなツールひとつを取っても、それが広まりみんなに使われていくなかで、気づかないところで大きな変化につながっているということを指摘したいわけです。
山下 ただ便利になったという以上の含意がそこにはある、と。
21世紀はゲームの時代
若林 わたし自身は、これまでの人生のなかで、英語でいうところのビデオゲームというものにはほとんど触ったことがなく、あくまでもエンタメ産業の一部門という認識でずっと過ごしてきたので、その「含意」の部分に気を留めたこともありませんでした。ただ、その認識を改めるきっかけになった出来事がありまして、それは「Everything」などのゲームで知られる天才デジタルクリエイターのデヴィッド・オライリーに、あるイベントでインタビューしたことでした。彼はそこで、「19世紀は小説の時代、20世紀は映画の時代、21世紀はゲームの時代だと思う」と語ったんですね。
山下 この特集のなかでは、「Worldbuilding:みんなが『世界』をつくり、群島をなす」でも同じことを世界的アートキュレーターのハンス・ウルリッヒ・オブリストが語っていますね。これはもともとはオライリーのことばなんですね。
若林 どちらがオリジナルなのかはわたしも特定できていないのですが、オブリストがキュレーションした企画展「WORLDBUILDING」にはオライリーも参加していまして、強い関係性があるように見えますので、共有された認識には違いないと思います。ちなみにこの展覧会に寄せてオブリストは、「21世紀における『春の祭典』がどんなものになるかを想像してみると、それはゲームかもしれない」と語っています。
山下 19世紀を小説の時代、20世紀は映画の時代だと定義したとき、そこで語られているのは必ずしも、その時代の美的感性を小説や映画といったメディアが規定した、といったことのみにとどまらないわけですよね。小説というものが一般化した背景には、印刷術の普及、新聞というメディアの勃興、さらには郵便システムや輸送システムの発達といった社会・経済・技術的な状況の変化があるわけですし、そうしたものが小説というメディアの誕生に寄与し、さらに、小説という様式そのものが読者に与えていったインパクトが、今度は社会・経済・技術的な状況の変化をさらに加速させたり、変化させたりするわけですから、19世紀が小説の時代だと語るとき、その小説には、社会を規定している経済的、技術的、政治的、心理的なシステムが、象徴的に集約されている、という意味になるわけですよね。
若林 20世紀が映画の世紀であるといったとき、そこで含意されているのは、例えばレニ・リーフェンシュタールが撮影したナチスの党大会やベルリンオリンピックといったものも当然念頭に置かれているでしょうから、映画を筆頭とした映像メディアがその後の政治のあり方や戦争のあり方をどう規定したかが、やはり「20世紀は映画の時代」ということばには含まれていると考えるべきですよね。
ちなみに、政治学者の宇野重規さんは、19世紀の思想家アレクシ・ド・トクヴィルが、小説というものがいかに以後の民主主義や個人主義のあり方に影響を与えるかを論じていると指摘しています。つまり「小説」は、そこでは単なる新たな娯楽ではなく、社会のあり方そのものを集約した何かと捉えられているんですね。
山下 となると、「21世紀はゲームの時代」と言ったときに、その含意は、どこにあるのかを特定しなくてはならない、ということになりますね。
若林 数字を見るとゲーム産業はすでに「映画と音楽」もしくは「映画とスポーツ」を足した経済規模よりも大きくなっていますので、すでにして世界におけるメディアコンテンツの巨大な柱になっているわけですが、これがどういった変化を社会的にもたらしている、またもたらしていくのかを考えようとすると、どうにも雲をつかむような話になっちゃうんですよね。
ハンス・ウルリッヒ・オブリストがキュレーターを務めた「Worldbuilding: Gaming and Art in the Digital Age(想像の世界をつくりだす:デジタル時代のゲームとアート)」展の様子
補助線としてのメタバース
山下 冒頭の、Unityを用いたプレゼンという話は、ゲーム制作のツールの話ですから、ゲームの話というよりは、それにまつわる技術の話だったりします。ただ、小説との類比でいえば、小説の発展が印刷術の「民主化」とセットだったという話と同じことですから、その話を見落とすわけにもいきません。それはおそらく、通信やGPUの進化が、いわばゲームとともに進化してきたようなこととも関わってきそうで、特集内「GPU:ゲームから始まった戦争」にあるように、生成AIや自動運転といった技術革新がGPUの進化によってもたらされたとするなら、その進化のドライバーとなってきた「ゲーム」は、文字通り新しい世界をつくり出す駆動力になってきたと言えますが、それはゲームそのものの話ではなく、やはりゲームを支えるインフラの話です。
若林 そうなんですよね。とはいえ、それはそれでゲームと関係がない話かというと大ありですので、あくまでもコンテンツに限定して論じようとしても、WORKSIGHT的には、あまり意味がない気もしてしまいます。
山下 ゲーム批評をしたいわけでも、ゲーム産業を概観したいわけでもないですからね。ちなみに、ゲームをめぐるアカデミアの議論では、ゲームをその機能性において見るのか、あるいはその物語性において見るのかで論争があったようですが、ここまでの話を踏まえるなら、これはその双方がある種のフィードバックループとなっていて相補的な関係にあると考えるべきもののような気がしますし、実際、現在の議論はそうなっているようです。
若林 めちゃくちゃ雑に言ってしまうと、ゲームがこれまでのコンテンツと異なるのは、やはり「双方向性」なのだと思います。そもそも双方向性を原理としてもっているゲームが、双方向性をもったインターネットというインフラに接続されたことで、これまでのコンテンツ空間とはまったく異なる新しい空間になっているということが、おそらくゲームに注目すべき理由だと思うのですが、それは別の言い方をするなら、インターネットのポテンシャルが最大限に発揮されているのが、ゲームだということなのかもしれません。
山下 インターネットとゲームを同じレイヤーで考えようということですね。
若林 今回の特集で広げたかった大風呂敷に関わってくる中心的な概念があるとすれば、ありきたりなのですが、ひとつは「メタバース」でしょうし、もうひとつは「クリエイターエコノミー」なのかなと思ったりします。
山下 「メタバース」や「クリエイターエコノミー/Web3」といった概念は、すっかり生成 AIのトレンドに飲みこまれて跡形もない感じではありますが。
若林 メタバースをめぐるバズがもたらした功績があるとすれば、それは社会全体にゲームというものの重大性に目を向けさせたことだったように感じます。というのも、メタバースに関する議論における重要な指摘は、「メタバース、メタバースって騒ぐけど、そんなものとっくにMinecraftやFortniteやRobloxのなかで始まってるじゃん」というものだったからです。おそらくほとんどの評論家も、メタバースの実現に一番近い存在は、Epic GamesやRobloxといったゲームプラットフォームであることは認めていたと思いますし、「メタバース」という概念を提出したSF作家のニール・スティーブンソンも、メタバースはテレビ産業の延長ではなくゲーム産業の延長に生まれると語っています。
山下 ここでも、その「メタバース」というものをどう定義するかが難しいところですよね。ただ単に仮想の3次元空間があれば、それを「メタバース」と呼べるのかどうか。
若林 メタバースに関する議論で一番的を射ているとわたしが感じるのは、マシュー・ボールの『ザ・メタバース:世界を創り変えしもの』という本ですが、ボールは本書のなかで、メタバースというものを「モバイルインターネットの後継」だと考えることを推奨しています。このことばの意味を、わたしもいまだにイメージできていないのですが、重要なのは、メタバースは「インターネット」と同じレイヤーにある概念だということでして、その意味では、単なるコンテンツプラットフォームや、ひとつのコンテンツを指すよりも、はるかに巨大な概念なんですね。
山下 PCを通じたインターネットは基本ブラウザを通じて出入りする世界でしたよね。それがモバイル化したことでインターネットはいわば多種多様のアプリが漂う世界になったと言えそうですが、「モバイルインターネットの後継」というのは、その先にある世界ということですよね。たしかに全然イメージできません(笑)。
若林 いずれにせよ「モバイルインターネットの次に来るもの」が満たすべき要件として確実に言えることは、わたしたちが現状行っている、あるいはこれからするであろうオンラインの活動のすべてが、そのなかで行われる、ということなのだろうと思います。
山下 人とコミュニケートしたり、買い物をしたり、ゲームをしたり、映画やニュースやスポーツを観たりといったことから、銀行や役所でなんらかの手続きをしたりといったことまで、ありとあらゆる活動が行われる空間ということですね。そして、それらを統合するフレームとしてゲームを想定するとメタバースになる、と。
(上)Minecraftの祭典「MINECON」の様子。開発者のスピーチやアップデート情報のほか、Minecraftに登場する「モブ」の人気投票も行われる。(中)Travis ScottがFortniteとコラボ。ゲーム内でライブイベント「Astronomical」を開催し、世界中から1230万人のファンが参加した。(下)Roblox版「ポピープレイタイム」をゲーム実況するYouTuber・ちろぴの。2023年版「小学生に人気のYouTuber」ランキング2位に輝いた男女2人組YouTuberだ
デジタル経済の新ステージ
若林 わたしたちは、これまでリアル空間でやっていたさまざまな社会的活動や取引を代替したり効率化したりしうるものとしてデジタルテクノロジーをイメージしてきたように思います。例えば、洋服を買うという行為をデジタル化することは、これまではリアルの洋服をスマホを通じて買うことを意味していたわけです。
山下 たしかに。
若林 その観点からすると「デジタル空間内でしか着られないデジタルの服を買う」という行為は、非常にバカげた、ありえないことのように思えますし自分もそう思っていたのですが、ゲームのなかでは、ゲーム内で自分が操作しているキャラクターに服を買い与えることは日常的に行われているわけです。
山下 特集内「Luxury Brands:ファッションDXとゲームコラボ」でも言及していますが、メタバースがバズった際にラグジュアリー・ブランドがこぞってFortniteやRobloxに参入し、かなりの売り上げを記録したのはわかりやすい例ですよね。つまり、ゲームのなかでは、リアルに存在していないものを売り買いするといった習慣がとっくに育まれているということですよね。
若林 わたしたちがこれまで「デジタル経済」と言っていたものって、ある意味ほとんどがこれまであった商品やサービスをめぐるコミュニケーションやディストリビューションのやり方をデジタルテクノロジーで変えることにとどまっていたわけですが、ゲーム内における「スキン」の売れ行きを見ると、デジタル空間内の仮想的な商品やサービスが、もはやリアルと同等のアセットとなり得てしまうわけですね。
山下 そこには、もはやリアルとバーチャルの区別はない、と。特集内「Obituary:葬儀・FF14・共同体」でも取り上げていますが、実際バーチャル空間内でお葬式が行われたりもするわけですしね。
若林 おそらく次回のサッカーワールドカップあたりでは、視聴者に向けてオンラインでバーチャルなビールを販売して飛ぶように売れる、といった状況がつくれちゃうような気がするんです。
山下 なるほど。そうなると、スポーツ観戦とゲームは完全に融合してしまいますね。
若林 随分前のことになりますが、ある知人が、Minecraft好きの息子さんが「将来はMinecraftのなかで建築をデザインする仕事に就きたい」と言っていると教えてくれたことがあります。「現実空間で建築デザインをやる仕事なんてもう古い」と、その息子さんは言っていたそうなんです。当時自分は「そんな仕事あんの?」と疑ったのですが、巻頭の「Architects :マイクラのなかの建築家、というお仕事」の記事にある通り、それがとっくに仕事になっているんですね。
山下 ほんとにびっくりしますよね。そうやってデジタル空間内に、いわば純デジタルの新たな経済圏や商業文化が生まれているというのは、たしかにこれまでわたしたちが「デジタル経済」と呼んでいたものとはステージが異なっている気がしますし、モバイルインターネットの後継としてのメタバースというものも、その新しい経済圏のインフラとして考えると少しは像を結んできそうに思えます。そして、その新しい経済圏を成り立たしめ、そのなかにおける文化・経済的な新しい行動習慣を生み出すドライバーが、ここでもゲームだというのは、たしかにその通りですね。
(上)GucciがRobloxにオープンした常設の公式ワールド「GUCCI TOWN」。(中)BalenciagaはFortniteとコラボレーション。ゲーム用のデジタルファッションを制作し、そのアイテムをリアルでも販売した。(下)「ファイナルファンタジーXIV」のなかで行われた、同ゲームのプレイヤー・Ferne LeʼRoyを追悼するパレード
クリエイターエコノミーのモデルとして
山下 先ほど「クリエイターエコノミー」ということばが出ましたけれども、こうした新しい経済圏をイメージする上で、ゲームというものが、これまでのような大企業主導のものではなく、インディペンデントなクリエイターによってドライブされているのも興味深い点ですよね。
以前『ファンダムエコノミー入門』という本をつくった際に、ファンダムという空間において、人は消費者であり同時に生産者でもあるといった議論をしたと思いますが、ゲームをめぐるエコシステムを見ると、そうした原理がダイナミックに経済活動として作動しているのがわかります。特集内「Digital Community:遊ぶはつくる。企業はコミュニティ」で言及したようなRobloxにおけるプレイヤーとメーカーの境界線の融解、ゲーム制作者のためにさまざまなツールをつくる「アセットクリエイター」の存在、さらにはゲーム実況の影響力の増大等々を見るにつけ、そこにデジタル経済のひとつの現実的なモデルが確実に出来上がってきていますよね。
若林 以前対話した際に、山下さんはクリエイターエコノミー/ファンダムエコノミーを、いわば「メイカームーブメント」なんだと語っていて、それが個人的には強く印象に残っています。まさに、ゲームづくりの空間において、多種多様なツールが生み出され、独立した個人なりグループなりがそこまで資金をかけずにゲームをつくり流通させることができるようになっていった過程は、まさに「メイカームーブメント」のひとつのモデルなんだと改めて感じます。
「メイカームーブメント」の旗振り役のひとりだったクリス・アンダーソンは「インディペンデントなメイカー」の精神を、1980年代初頭にワシントンD.C.で生まれたDCパンクから学んだと語っていまして、そのムーブメントを支えたのは、4トラックのMTRといった録音機器のみならず、ライブのチラシを配布するためのXeroxのコピー機の普及だったと言っています。
山下 つまり、インディがインディとして活動するためには、一見重要には見えないけれど不可欠なツールがあるということですね。
若林 そうしたツールは、パンクの時代であれば多様な機器メーカーが提供していたわけですが、ゲームで面白いのは、それらをサードパーティのインディクリエイター、インディ企業らが参加してつくり上げているところで、クリエイターエコノミーという観点から見ると、そのエコシステムの豊かさ、複雑さは特筆すべきものだと感じます。もっとも、そうしたエコシステムは一日ではできないものですし、ゲーム産業内の人からすれば、何をいまさらと感じる話だとは思いますが。
山下 その一方で、それこそ特集内「itch.io:プラットフォームは『拠り所』になれるか」にもあるように、ゲームエンジンや販売チャンネルによるプラットフォームの寡占化が進むことで、そうした自律分散的な運動が損なわれるという懸念もありますよね。
若林 そこは、ずっと議論が堂々巡りしたままになっている、デジタル社会をめぐる難しい問いですよね。ただ、先に挙げたマシュー・ボールは、結局のところデジタル社会においては「集中化」と「分散化」はクルマの両輪だと語っていまして、どちらも不可欠なものだと言うんですね。それがどの辺のバランスで落ち着くのかを、わたしたちはずっと探っている過程にあるということですが、これは現実的な見方だろうと思います。どっちが善でどっちが悪といった話にしてしまうことにこそ問題があるのかもしれません。
itch.ioで配信されている人気ゲーム「Shotgun King: The Final Checkmate」。itch.ioは巨大プラットフォーム「Steam」の独占に抗い、「クリエイターファースト」を貫く良心的なインディゲームマーケットとして知られる
ゲームを見れば、世界がわかる
山下 ここまでざっと思いつくままに話してきましたけれど、やっぱり肝心のゲームの話になりませんね(笑)。
若林 今号の特集の仮説は、「ゲームがこれからのわたしたちの世界を規定することになるだろう」というものなのです。映像、音声、文字といったメディアが複合化してコンヴァージ(融解)し統合されていけば、それを扱うシステムとして、ゲームを成り立たしめているシステムが必然的に求められることになるだろうということが、その仮説の根底にはあるのですが、といって、「ゲームが未来社会のインフラになる」というような言い方をするのも、なんだかしっくりこないんですね。
山下 ですね。タイトルを「ゲームは世界」としたのも「ゲームが世界をつくっていく」という意味であるよりは、「ゲームというフレームを通して見ると、いま起きていることがよりよくわかる(かも)」といった意味に近いかもしれません。
若林 そうなんですよね。ゲームにまつわるさまざまな事象を念頭に置きながら、いま社会のなかで起きつつある現象を見ると、そのほうがはっきりと像を結ぶという感覚は個人的にもありますし、実際、今回の特集でそうしたように、ゲームに関わりそうなキーワードを、ある意味ランダムにAからZに当てはめて情報をコラム的に並べていくと、ビジネスから文化、国際政治にいたるまであらゆる領域にリーチできるわけで、その意味で、ゲームは汎用性ある窓=フレームなんですね。
山下 ゲームを通して見れば、世界はより正確に見える、と。21世紀はゲームの時代、というのはそのことを指しているのかもしれませんね。
(上)2023年9月にラスベガスにオープンした没入型巨大ベニュー「The Sphere」におけるU2のステージ。Photo by Kevin Mazur/Getty Images for Live Nation(中)2023年9月に北京で開催された貿易見本市「CIFTIS」で披露されたシューティングゲームの会場。Photo by VCG/VCG via Getty Images(下)2023年12月27日に開館した北京都市図書館内のイマーシブ空間。Photo by Wang Zicheng/The Beijing News/VCG via Getty Images
Photo by Hironori Kim
書籍『WORKSIGHT[ワークサイト]22号 ゲームは世界 A–Z World is a Game』
「21世紀はゲームの時代だ」──。世界に名だたるアートキュレーター、ハンス・ウルリッヒ・オブリストが語ったことばはいま、現実のものとなりつつある。ゲームは、かつての小説や映画がそうであったように、社会を規定する経済的、政治的、心理的、そして技術的なシステムが象徴的に統合されたシステムとなりつつあるのだ。それはつまり「ゲームを通して見れば、世界がわかる」ということでもある。その仮説をもとにWORKSIGHTは今回、ゲームに関連するキーワードをAからZに当てはめ、計26本の企画を展開。ビジネスから文化、国際政治にいたるまで、あらゆる領域にリーチするゲームのいまに迫り、同時に、現代におけるゲームを多面的に浮かび上がらせている。ゲームというフレームから現代社会を見つめる最新号。
【目次】
Architects マイクラのなかの建築家、というお仕事
The Backrooms 巨大コンテンツとなった「不穏な部屋」
Convergence 21世紀はゲームによって統合される
Digital Community 遊ぶはつくる。企業はコミュニティ
Eco-System 5万人の町がゲーム開発の聖地に
Field Research ゲームさんぽ:ゲームという模擬社会を歩く
GPU ゲームから始まった戦争
University of Hertfordshire ゲーム教育の最高峰で「リアルタイムスキル」を学ぶ
itch.io プラットフォームは「拠り所」になれるか
Japanese Indie 講談社と集英社とインディゲームのあかるい未来
Karate Combat その格闘技はもはやゲームです
Luxury Brands ファッションDXとゲームコラボ
MechBird あるオルタナティブコントローラーの冒険
Non Player Character 能なしのミームが「妖精」になるとき
Obituary 葬儀・FF14・共同体
Play The Game 遊びとゲームの本棚
QAnon 代替現実ゲームと陰謀論の交差点
Random Access Movie 映画×ゲーム=名前のない物語
Serious Games 社会課題と向き合う11のゲーム
Tomo Kihara AIのまちがいがヒトにもたらすもの
Unity/Unreal Engine ゲームエンジンとアセット職人たち
Virtual Photography ゲームのなかで写真を撮る、というお仕事
Worldbuilding みんなが「世界」をつくり、群島をなす
X イーロンのゲーム実況とSNSの未来図
YouTuber ストリーマーたちの大統領選
⌘Z
【書籍詳細】
書名:『WORKSIGHT[ワークサイト]22号 ゲームは世界 A–Z World is a Game』
編集:WORKSIGHT編集部(ヨコク研究所+黒鳥社)
ISBN:978-4-7615-0929-3
アートディレクション:藤田裕美
発行日:2024年1月31日(水)
発行:コクヨ
発売:学芸出版社
判型:A5変型/128頁
定価:1800円+税