「文化コモンズ」「架空言語」が教えてくれたこと【編集部の声 #2】
各界を代表する識者との対話から、何を学び、何を感じたのか。「著作権」「ファン言語」について取り上げたニュースレターの取材後記を、編集・執筆担当者が綴ります。
WORKSIGHT編集部が感じたこと、記事に込めた想い、入りきらなかった情報などを自由に書き綴る【編集部の声】。第2回では、8~9月にかけて配信したニュースレター「いぶりがっこからストリートダンスまで:文化を守り広めるために『著作権』ができること」「ファンダムはなぜ『言語』を学ぶのか」の編集・執筆担当者による取材後記をお届けします。本編と併せて、ぜひご一読を。
photograph by Naohiro Kurashina
「守破離」から見いだす著作権の未来像|浅野翔
【担当記事】いぶりがっこからストリートダンスまで:文化を守り広めるために「著作権」ができること
自律協働社会において、あらゆる活動が個人の創造性から生まれるのであれば、個々の著作権や先人へのリスペクトはどのように取り扱われるのだろうか──。
編集部が自律協働社会を思索するなかでたどりついた「著作権」というキーワード。パクリや文化の盗用が問題視される昨今、著作権は著作者の権利を「守る」ための制度として広く認知されている。しかし、今回取材でお話を聞かせていただいた山田奨治先生は、ご著書の『著作権は文化を発展させるのか:人権と文化コモンズ』で、ユーザーであれば誰でも文化を享受することのできる、「文化を活用する」のための仕組みとして著作権制度を捉え直す提案をしている。
山田先生が籍を置く国際日本文化研究センターは、日本文化に関する国際的な専門研究機関だ。京都駅の西に位置する閑静な住宅街のなかにある研究所は、中庭を囲む回廊型の施設で、ステンドグラスの埋め込まれた円筒型の図書室もある、羨ましいような環境だ。
記録メディアの誕生以後の文化の歴史を専門とする山田先生は、著名な詩歌から一部を取り入れた新たに作歌する本歌取りといった日本文化の事例や、山田先生自身も習っていたという弓道の師匠が、謝礼を取らないかわりに「習ったことを誰かに教えることで返してください」と話していたことなどを皮切りに、「著作物のフェアユース」のオルタナティブな可能性を語ってくださった。
欧米的な「権利」に縛られることのない、鷹揚で寛容な文化交流・文化流通の事例は、日本文化のなかに数多く見ることができる。武道家の出稽古のように互いに切磋琢磨する仕組みには、受け入れ先のおおらかさと同時に先人たちや他の流派への尊敬、いまでいうところの「リスペクト」を見て取ることができる。それは、YouTubeを介してジャンルの異なる格闘家や武道家たちが活発に交流していることなどをも想起させる(そうしたムーブメントの火付け役となった総合格闘家である矢地祐介選手のYouTubeチャンネルの「達人シリーズ」は、ぜひ見ていただきたい。なかでも異なる流派の格闘家や武道家がスパーリングを行う「達人トーナメント」は必見!)。
ブルース・リーがカンフーを発展させて開発した武術として知られるジークンドーの達人と合気道の達人が、互いの技術を伝え合い、新しい身体操作を学び合い、武術哲学を分かち合う姿は、「著作権」というものに縛られてしまった文化にはない、風通しのよさがある。
型の踏襲に始まって、そこから新たな道を模索する「守破離」の精神のように、自律協働社会における著作権は、個人や組織の権利を守るためのものとしてだけでなく、むしろ新たな文化的つながりや継承を生み出し、創造を促進するプラットフォームへと発展していくことが望ましいのかもしれない。
浅野翔|Kakeru Asano
デザインリサーチャー/ありまつ中心家守会社 共同代表/WORKSIGHT編集員
photographs by Jin Furuya / Kaho Torishima
写真上:取材にお伺いした国際日本文化研究センターのエントランス。建築家・内井昭蔵さんが手掛けた本研究所は、ヨーロッパの教会を思わせる落ち着いた佇まい。写真中:初夏の青々とした匂いを漂わせる中庭を取材スタッフとともに歩く山田先生(右から二人目)。写真下:インタビュー担当の古谷も加えての記念撮影。
LANDMARK MEDIA / Alamy Stock Photo / Alamy Stock Photo
ことばが「らしさ」を形づくる|田中康寛
幸せとは? よい人間関係とは? 自分の存在意義とは? 最近、自分と異なる生き方を歩む人びとに触れて悶々と考えていたときに遭遇したのが、ファン言語を学びあうコミュニティ〈Learn Na'vi〉だった。詳しく調べてみると、そのメンバーはコミュニティ活動を通して、自分らしさや幸せを取り戻しているのだという。
まさに私が直面していた問いに光明が差す予感とともに、その人たちが「仮想のことば」を学ぶに至った背景を知りたいという欲求から、〈Learn Na'vi〉の管理人であるマーク・ミラー氏とファン言語コミュニティの研究者であるクリスティン・シュレイヤー氏それぞれにお話を伺った。
ミラー氏は、ファン言語コミュニティ〈Learn Na'vi〉の歴史・現状・展望を中心に、人種など現実世界の壁を壊すファン言語の役割を語ってくれたが、何より印象的だったのは、出会って数分で感じられるほどのミラー氏のコミュニティに対する愛だ。
環境問題など自分の価値観を共有できる世界中の仲間とナヴィ語を学び、共創しあう活動を語る表情や声は情熱と感謝に満ちており、〈Learn Na'vi〉がメンバーに居場所や幸せを提供していることを如実に物語っていた。ここは単なるファンの集う場に留まらず、彼らが現実のしがらみから解放され世界との新たな関係を結い直す場として機能しているのだ。
また、シュレイヤー氏のお話では、人と文化・世界観の相互影響がことばを介して発展するとする視点が興味深かった。例えば、ナヴィ語やエスペラント語を学ぶことでそれぞれの言語に投影された世界観(環境保護や世界平和)を身体に馴染ませ、アイデンティティを強化する。
逆に、人びとのジェンダーに関する意識変化が言語に反映され、その言語が醸し出す世界観がアップデートされることもあるという。規模はだいぶ小さいが、仲良しグループ専用のことばを創作したり、憧れの人のことばを真似てその人の考え方を取りこもうとしたりする試みもその一端かもしれない。
おふたりの話をお聞きして、ことばというものが、自分を取り巻く世界との関係を媒介しながら、「自己」の輪郭が形づくっていることを再認識した。ことばが人の価値観や関係性を形づくるのだとすれば、ことばは人物像や社会像を理解する上で、重要な手がかりとなる。
ひとりで物思いに耽るときに扱うことばは自分らしさを表現するだろうし、対峙する人と掛け合うことばからはその関係性の「らしさ」が浮かび上がってくる。家族や友人、同僚など関係性ごとに使い分けている、ことばの差異に注目するのも面白そうだ。
さらに今後は、現実世界と仮想のアニメ世界のあわいに存在する、日本語というものの特異なあり方にも、想いを馳せてみたい。
田中康寛|Yasuhiro Tanaka
コクヨ株式会社 ヨコク研究所/ワークスタイル研究所研究員/WORKSIGHT編集員
和やかな雰囲気のなかで行われたオンライン取材。写真上はマーク・ミラー氏、写真下は言語人類学者のクリスティン・シュレイヤー氏。取材担当は執筆を務めたWORKSIGHT編集部の田中・鳥嶋。
快く取材を受けてくださった国際日本文化研究センターの山田奨治先生、〈Learn Na’vi〉管理人のマーク・ミラーさん、言語人類学者のクリスティン・シュレイヤーさんに心からお礼申し上げます。ありがとうございました。 まだお読みでない方はぜひご一読ください。