「家」を解体する住宅:ソ連の社会主義住宅に見る"メディア"としての建築
共働き世帯数が増加し、家事・育児など家庭の機能を家庭のみで担うことが限界を迎えつつある現代に、わたしたちはどのように「家」を再考するべきだろうか。もしかするとそのヒントは、ソ連の社会主義住宅にあるのかもしれない。
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2023年10月に刊行された本田晃子氏の著書『革命と住宅』(ゲンロン)は、これまであまり情報発信されてこなかったソ連社会主義時代の建築を詳細に伝える書籍だ。労働者たちのリアルな共同住宅と、国家の理想を投影したアンビルド建築の二部からなり、特に共同住宅のパートでは、家族の解体を促進すると同時に、そのような体制を構築・浸透させるメディアとして住宅建築が活用されたことに触れている。
ソ連の住宅施策は理想に向けて突き進んだが、結果的には成功しなかった。しかし、そのなかで生まれた住宅と生活様式は、共働き世帯が増え、少子化も進む現代日本において「家」の機能を再考するための重要なヒントを与えてくれる。また、社会を動かすポテンシャルを秘めた“理念としての建築”についても考えさせてくれる。
今回は社会主義住宅の概要や当時の世情を中心に、本田氏が関心を寄せているというロシア・コスミズムの建築計画についても尋ねた。ぜひ、未知なるソ連建築の世界を垣間見てほしい。
interview by WORKSIGHT
text & edited by Sayu Hayashida
本田晃子|Akiko Honda 1979年岡山県岡山市生まれ。1998年、早稲田大学教育学部へ入学。2002年、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学表象文化論分野へ進学。2011年、同博士課程において博士号取得。日本学術振興会特別研究員、北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター非常勤研究員、日露青年交流センター若手研究者等フェローシップなどを経て、現在は岡山大学文学部社会文化科学研究科准教授。著書に『天体建築論:レオニドフとソ連邦の紙上建築時代』『都市を上映せよ:ソ連映画が築いたスターリニズムの建築空間』(いずれも東京大学出版会)など。
“密告天国”となった共同住宅
——本田さんはどのようにしてロシア建築というテーマに出合ったのでしょうか。
学部生時代に、カジミール・マレーヴィチなどのロシア・アヴァンギャルドの絵画に興味がありました。ただ、マレーヴィチやその弟子であったエル・リシツキー、あるいは「第三インターナショナル記念塔」をつくったウラジミール・タトリンにしても、まずは絵画から始まるのですが、1917年のロシア革命あたりを境に平面で現実を再現することをやめ、最終的には建築にいきつくんです。
──独自の抽象主義で知られた画家マレーヴィチ、グラフィック・デザインに核心をもたらしたリシツキー、ロシア構成主義の創始者とされるタトリンら、ロシア・アヴァンギャルドの面々がそろって絵画から建築へと移行していった、と。
はい。現実の後追いではなく、新しい現実をつくりにいく──革命前後のロシア・アヴァンギャルドのアーティストたちにはそのような強い思想がありました。彼らの動きを追うように、わたしもロシア・アヴァンギャルドの絵画から建築へと興味をもつようになり、マレーヴィチのアルヒテクトン(空想建築の一種)など建てることを前提としていないペーパー・アーキテクチャー(紙の上のみの非現実的な建築物)から入っていきましたね。
──面白いですね。アンビルド建築から住宅へと関心が広がっていったのですね。
ロシア・アヴァンギャルド建築には日本の建築界も注目しており、わりと早めに国内でも紹介されていたのですが、それ以外の部分、つまり住宅のことはあまり伝えられていませんでした。そこで、社会主義住宅にもスポットをあてた本を書こうと考え、『革命と住宅』を執筆しました。
(上)マレーヴィチが主張した絵画様式「スプレマチズム」を立体化し進化させたアルヒテクトンシリーズの作品。ポンピドゥーセンター国立近代美術館所蔵。Photo by Fine Art Images/Heritage Images via Getty Images(下)ウラジーミル・タトリン「第三インターナショナル記念塔」。「タトリンの塔」の通称で知られる。十月革命後のロシアの人びとのユートピア的願望を象徴した建築だ
ロシアでは革命後、「家」を根本的に廃絶しなければいけないという言説が力をもちました。通常、個人は社会に直接所属するのではなく、家族という中間項を介しますよね。それを取っ払って、例えば生まれてきた子どもを家庭ではなく集団で育てるということを考えていました。
社会におけるイデオロギーと、実際に家庭内で働いているイデオロギーは矛盾していることがあるじゃないですか。例えば、社会では「アルコールは健康を損なうので飲みすぎてはダメですよ」と言われていても、家庭内では父親が常に飲んだくれているという状況もある。そうして結局は家族を支配するイデオロギーのほうが勝ってしまう。1920年代のソ連では「自分の家族さえよければいい」という個人主義的な見方を警戒する人が多く、そのような考え方を取っ払うことで、一元化された共同体が出現するだろうと考えられていました。
——それが実際にかたちとなり、社会主義的な住宅が生み出されていくのですね。
はじまりはコムナリナヤ・クヴァルチーラ、通称「コムナルカ」と呼ばれる住宅でした。ブルジョワのマンションを接収し、大きな部屋はベニア板や家具で区切り、各部屋に1家族ずつ住まわせるというもの。キッチンなどはだいたい1戸に1つだったので共同で使っていました。
当時は厳しい住宅難で、まずは家のない労働者に住宅を与えなければ彼らが路上で命を落としかねない状況でした。ボリシェヴィキ政権は新しい生活様式を達成したのだと主張していましたが、実際にはそのような背景から、コムナルカに人びとを無理やり詰め込まざるを得なかったのです。
それゆえに住民間のカルチャーギャップが生まれることも。社会主義に共感する人もいたでしょうけれども、「住むところがないのでとりあえずコムナルカに入った」という人が大半。ついこの間まで農民だった人もいれば、知識人階級出身の人もいて、バックグラウンドがまったく違う人びとに部屋が強制的に割り当てられるものですから、最終的には密告天国のようになっていったんです。
——“密告天国”ですか?
1920年代末からスターリンの独裁体制が強化されていくのですが、彼のライバルになりそうな古参の党の幹部、革命前に専門教育を身につけた知識人や軍人などを警戒の対象とし、1930年代に入るとそのような人びとを一網打尽にする大粛清が行われました。粛清の波は一般の市民にも及び、社会的に、反革命的な人びとをあぶり出す魔女狩りのような状態がつくり出されていったんです。
ベニア板や家具で区切っただけのコムナルカは隣人の生活が筒抜けです。唯一プライバシーを保てる場所といえばトイレくらいで、トイレに便座が付いていないこともあり住人は「マイ便座」を持っていたのだとか。そのような居住空間で、自分とまったく違うライフスタイルをもつ人に対して不安や恐怖が募り「悪いことをしている人に違いない」と思い込んで密告する人、あるいは、自分より良い部屋に住んでいる人について悪事をでっち上げて、その部屋に移り住むことを目的に密告する人もいました。あとは人口密度が高かったので、人を減らすために些細な出来事をきっかけにカジュアルに密告する人もいたようです。このような状態は、1950年代にフルシチョフが指導者となり、新たな集合住宅が大量に建設されるまで解決されませんでした。
現存するコムナルカの様子。その構造から、いまはユースホステルとして使われているコムナルカも多いという
公共に開かれた家庭の機能
──1920年代、コムナルカの他に特徴的な住宅建築はあったのでしょうか?
コムナルカの後、1920年代に実験的につくられたのが「ドム・コムーナ」と呼ばれる集合住宅でした。食堂や保育施設を設け、家事・育児に関わることは公共サービス化し、みんなで一緒に子どもを育てたりごはんを食べたりすることを通して、段階的に家族と共同体の間の壁を解体していくための住宅です。理念上は母子家庭や母親がフルタイムで働いている家庭でも無理なく生活できるように設計されていました。つまり、親が日中働きに出て、帰宅後に食事をとって、一休みしてから子どもを迎えに行くというライフスタイルが成り立つようにできていたのです。家庭だけではまかないきれない部分を公共サービスに任せながら暮らすのは、現代の日本でも受け入れられそうなスタイルですよね。
──そのような世界観は、特に育児真っ只中の共働き世帯には非常に羨ましいものかと思います。
そういうタイプの住宅は、母子家庭に限らずあらゆる住人にとって暮らしやすい環境だったと思います。また、家庭の機能だとされたものを家庭内に閉じ込めず、近隣に開いていけるドム・コムーナ的な住宅や暮らしは、まったく古いものではないと思っています。家族中心主義がある程度行きつくところまで行きつき、家族が解体されつつある現代社会でこそ、住宅の機能をいかに公共に開けるかが重要になってくるのではないでしょうか。
ただ、ソ連はそれを早くやりすぎてしまったといいますか、核家族化という過程を経ずにいきなり家族が解体された後の住宅を目指したので、失敗してしまったのかなと。
ドム・コムーナの解説動画。共同スペースなどの屋内も紹介しつつ、住人である建築史家へのインタビューを行っている
——結局はうまくいかなかったものの、建築がある種の理念として社会をドライブさせていたということですよね。いままさに、理念としての建築がもう一度立ち上がってくる時代なのではないかという予感がするんです。例えばメタバースでの自由度の高い建築、あるいは現実世界でも、建築家の山梨知彦さんもおっしゃっていましたが、昔は素材に限度があったためそこに理念を当てはめるしかなかったものが、いまは素材の開発などが容易になったため理念先行で建築を考えることができると。
まさに住宅においても理念が重要視される時期が訪れていると思いますね。例えば一昔前は郊外の庭付き一戸建てが人生におけるひとつのゴールだったわけですが、高齢者になってみるとそのような住宅は不便な面も大いにあり、空き家が増えているという現状があります。一方で若者の貧困化が進み、居住費の支出が重い負担になっているという現状もあります。そのような状況を調整するような理念をもった建築──それは単に安く住宅を供給するという話ではなく、コミュニティの再組織化なども含めた理念を反映する建築、あるいは建築家が必要な時代なのではないかと考えています。
——多様な人びとのコミュニティでは共通の概念をつくりづらいという問題も発生しそうですが、その点に関してはどうでしょうか。
「こういうタイプの人向け」と区切らない、多角的かつ多目的な共同住宅をつくることは決して不可能ではないと思います。建築家の山本理顕さんが取り組まれているのはまさにそういうことだと思いますし、他にも色々な取り組みが出てくるといいですよね。
山本理顕氏は、住宅の所有権をシェアし、さらに地域社会への貢献にも取り組む土地資源協会を2012年に設立。家族で住むことを前提とせず、周辺環境との関係を重視し、住民同士が助け合って自治が構築される「地域社会圏主義」を提唱している
──そういう意味では、ロシアの建築史は現代で再評価されているのでしょうか。
それは難しいところですね。ロシア・アヴァンギャルドは作品自体が面白いのでわりと注目されていましたし、社会主義でなければ実現できなかった大規模な都市計画なども興味深いのですが、そもそもあまり情報発信されておらず国内で完結しがちなんです。フルシチョフ時代になると住宅はすべて決まったフォーマットをもつ団地となり、商店や映画館もすべて規格化されていったため個々の建築物はオリジナリティが薄く、ソ連の建築について「つまらない」「見るに値しない」というイメージをもっている人も一定数いるような気がします。
——なるほど。ちなみに当時の社会主義的住宅は、いまのロシアではどのように扱われているのでしょうか。
コムナルカは、いまの標準的なロシア人からするとすでに過去の住居なので、特にソ連を知らない若者たちにはエキゾティックなものとして受容されているようです。コムナルカを舞台にしたテレビドラマもありますね。エキセントリックなアーティストや見知らぬ外国人など、バックグラウンドがまったく異なる人びとが集まり、ドラマが生まれやすい場所なので。ただ実情としては、自力で住宅を購入したり普通のアパートに入ったりすることが難しい低所得者層のセーフティネット的なものとして機能しています。そこにもう少し公的な支援があると住宅福祉として機能すると思うのですが、現状はそうはなっていないようです。
モスクワやサンクトペテルブルクなどにいまも残っているコムナルカと違って、ドム・コムーナはそもそも数が少ないのですが、現存のものは普通の集合住宅として活用されていることが多いと思います。一方、スターリン時代に建てられたエリート労働者向けのラグジュアリーな集合住宅「スターリンカ」(スターリンの家)については、モスクワの中心部に建てられていることもあり評価も不動産価値も高いですね。みんなが「あそこに住みたい」と思うような憧れの住宅という扱いです。
コムナルカが舞台の探偵ドラマ『ПРЕМЬЕРА ДЕТЕКТИВА!』。妻と離婚し、コムナルカに引っ越した警部補のパシャ・ラエフスキー。隣人であるストリッパーのリカと刑務所から出てきたばかりのビクターとは相入れない状態が続いていたが、ある犯罪組織の殺害事件をめぐって絆を深めることになる
ロシア・コスミズムが目指した“死の克服”
——本田さんはいま、どういうテーマで研究を進められているのでしょうか。引き続き住宅を中心に考えられていますか?
いまはロシアに行きづらい状況ということもあり、フルシチョフ時代のペーパー・アーキテクチャーを中心に研究できればと考えています。団地などが規格化されていった時代ではあるのですが、その規格をある程度利用しながら、空想的でオリジナリティのある面白い作品が生まれていたんです。また、ロシアの最北端のノリリスクという町で、人工的なコロニーのような構想のもと極地開発が進んでいたのですが、これにも興味がありますね。極北の僻地に集合住宅や商店が入った巨大なピラミッド型の複合施設がドーンと現れる、ビジュアル的にもインパクトのある建築が計画されていて……これも結局、実現されずに終わるんですけれども。
——面白そうですね。いま、イーロン・マスクらがやろうとしていることとあまり変わらない感じもします。
非常にSF的な世界観ですよね。極地にあるので、生活圏内で完全に自足しないといけないんですよ。だからひとつの世界を丸ごと新しく創造するような面白みがある。当時はちょうど宇宙開発が進んでいた時期でもあるので、それこそ外と遮断された宇宙船みたいな感じで開発が進められました。そういったコスミズム(宇宙主義)との関係も、実はずっと取り組みたかったことのひとつです。
北極圏に位置するノリリスク。1年のうち240日以上は気温が氷点下であり、最低気温は-56℃にも達するという過酷な気象状況をもつ町だ
──ロシア・コスミズムとはどのようなものなのでしょうか。
ロシア・コスミズムは、19世紀にロシアのルミャンツェフ図書館で司書として働いていたニコライ・フョードロフの思想から始まっています。彼の思想の核にあるのは死の克服です。人間は死ぬと重量のなすがままに地面に倒れてしまいますよね。だから、死を克服するには重力をコントロールする必要があり、そうして宇宙を開拓・植民するんだという発想なんです。そのなかで、重力に逆らって建つ建築はある種の死の克服のシンボルとなる。フョードロフはそのような意味で、さまざまな文化・芸術のなかでも建築に特権的な意味を与えていました
わたしが2014年に出版した『天体建築論』はイワン・レオニドフというソ連の建築家についての本なのですが、レオニドフの建築には重力の存在を無視した構造や、あるいは本当に宇宙船のようなデザインの建築もあり、ソ連ではフョードロフの思想は有害な夢想として禁じられていたものの、フョードロフ的なコスミズムとの連続性が感じられます。後年になっても、例えば1972年に製作されたアンドレイ・タルコフスキーの映画『惑星ソラリス』のなかでは、宇宙飛行士である主人公の死んだ妻が、宇宙船が無重力状態になったのとほとんど同時に彼の前に姿を現すというシーンがあって、死者の復活と無重力の関係がほのめかされており、やはりフョードロフからの影響を勘繰りたくなります。
──ロシア・コスミズムは社会主義住宅にも関連するところがあるのでしょうか。
直接つながるとこはないように思いますが、住宅開発と宇宙開発はほぼ同時期に進んでいたので、両者をつなぐ何かがもう少しあるような気がするんですよね。実際、バイコヌール宇宙基地(1955年にソ連が建設したロケット発射場。ユーリー・ガガーリンをのせたボストーク1号が発射された)には基地で働く人びとのための住宅として団地が建っています。2021年に公開された映画『GAGARINE/ガガーリン』はまさに団地と宇宙船をダイレクトに結びつけている作品なのですが、フランスで製作されたものなので、そういった作品がロシアから出てくると面白いのになと思いながら、期待していますね。
(上)1972年製作のタルコフスキーの映画『惑星ソラリス』。未知の惑星「ソラリス」の軌道上に浮かぶ宇宙ステーションでの極限状態を描いている。(下)フランス映画『GAGARINE/ガガーリン』予告編。フランスのパリ郊外に実在するガガーリン公営住宅が舞台の青春映画だ
次週12月26日は、もう一度読みたい2023年のおすすめ記事をピックアップしてお届けします。自律協働社会のヒントを探って時代や領域をまたぎ、今年62本の記事を配信してきたWORKSIGHT。そのなかから、2023年の人気記事TOP10や、12名の編集部員が選ぶいちおし記事をご紹介します。お楽しみに。