“命のはじまり”の迎え方:妊娠・出産の自己決定をめぐる議論
“女性は子どもを産む機械”などの発言が炎上する一方で、自分らしい妊娠・出産を選んだ芸能人がSNSで叩かれる。一見矛盾したこの状況が教えてくれるのは、妊娠・出産というテーマについて議論することの難しさだ。なぜこのテーマはここまでセンシティブなものになってしまったのか? 文化人類学の識者に話を聞きながら考えた。
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妊娠・出産をめぐる話題は過去10年以上、メディアでたびたび炎上してきたテーマのひとつだ。
例えば、柳沢伯夫元厚生労働相の「(女性は)産む機械」発言、山東昭子参院議員の「子どもを4人以上産んだ女性を厚生労働省で表彰する」という提案などは、女性が自らの妊娠・出産に対して選択・決定する、いわゆる「リプロダクティブ・ライツ」と呼ばれる生殖に関する権利が侵害されているという視点から、多くの非難を浴びた。
一方で今年5月、水曜日のカンパネラの初代ボーカル・コムアイ氏がアマゾンでの出産計画を公表すると、これにも「出産をなめている」「危険行為だ」と多くの批判が相次いだ。パートナーである文化人類学者の太田光海氏の協力のもと、さまざまな情報を調べた上での選択だと明かしたものの、その安全性をめぐってニュースメディアのコメント欄にはあっという間に数百件のコメントが付いた。コムアイ氏の例に限らず、有名人の授かり婚、不妊治療、卵子凍結などでも同じような光景が繰り広げられてきた。
妊娠・出産について、女性自身の自己決定を求めてきたはずの社会のなかで、自分らしい選択をした人に対する批判も強まっているこの状況を、わたしたちはどのように捉えるべきなのか。容易に答えの出ない問題だが、そのひとつの手がかりを得るべく、書籍『妊娠と出産の人類学:リプロダクションを問い直す』の著者であり、医療人類学を専門とする文化人類学者、松岡悦子奈良女子大学名誉教授に話を訊いた。
interview & text by Miho Matsuda
edited by Sayu Hayashida
「病院が主流」になった理由
リプロダクティブ・ライツとは、すべての個人が、産む、産まない、妊娠への関心の有無、またその時期や子どもの人数について、十分な情報を得られ、生殖に関するすべてのことを自分で決めることができる権利を指す。これは、1994年にエジプト・カイロで開催された国際人口開発会議で提唱されたもので、今日では、性にまつわる自己決定権や社会的な認知を含めた「セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(SRHR)」として、WHOをはじめとする国連や国際機関によって推進されている。
世界的に女性の生殖に関する自己決定権が注目され始めた時期、日本では1997年、女性向けライフスタイル誌『CREA』(文藝春秋)が、働きながら出産・育児をする方法を模索する特集号「母に、なる。」を刊行。2002年にはエッセイストの内田也哉子とバースセラピストの志村季世恵の対話から家族について考える『親と子が育てられるとき:Quiet Garden』(岩波書店)、2003年には漫画家・桜沢エリカが自宅出産を選択した経緯を綴った『贅沢なお産』(新潮文庫)が話題になった。
病院以外の自宅または助産院というオルタナティブな選択や、病院食が充実する“セレブ病院”、あるいは海外出産など、自分らしい産み場所の選択が話題にのぼった2000年代。それから約20年が経過しているいま、“自分らしい出産”に対する風当たりの強さはどこからくるのか。日本での出産において、主な産み場所は病院、診療所、助産所、自宅の4カ所だが、病院以外の選択に非寛容的な現状について松岡教授はこのように話す。
医療の枠組みの外で産もうとする人たちは先進国では一様に増加していますし、日本でも医療の外で産む人たちは一定数存在します。本来ならば、どうして医療の外で出産する人たちがいるのかを考え、産科医療の変革につなげることが必要なのではないでしょうか。
そうならずに、産科医療が防御的になった出来事として、2004年に起きた福島県立大野病院事件があると考えられます。これは、帝王切開手術を受けた産婦が死亡し、執刀医が2006年に逮捕・起訴された事件です。
この事件が医療現場に与えた衝撃は大きく、産科がリスクのある出産に対して危機感をもつようになりました。それまで、どうにか運営していたような小さな産婦人科が産科をやめるという事例もあり、2006〜2007年頃に「お産難民(出産難民)」ということばで、産科医療の崩壊がメディアで報じられるようになりました。
分娩の取り扱いをやめる病院や個人産院の増加により、産み場所探しに苦労する妊婦たちを指す「お産難民」。医療訴訟のリスクや労働条件の厳しさから産科医を志す人材が減少したことが背景にある。厚生労働省の2004年の調査を取り上げているasahi.comの記事によると、当時、国内の医師自体は増加しているにもかかわらず、過去10年間で産婦人科医は8.4%、1058人の減少が見られたという。
そのあたりから、産科は貴重な存在だから医療を疲弊させてはならない、医療を批判してはいけないという風潮が巻き起こりました。病院以外の選択肢を選ぶことに躊躇するだけでなく、より医療に沿ったかたちで自分たちの意見をもつようになったという流れが考えられます。
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増加するプライベート出産
高度経済成長以前の日本では、自宅にお産の上手な産婆を呼び出産することが一般的だった。1899年に免許制度が確立し、第二次世界大戦後、産婆は助産婦と改称され、看護師資格の取得が前提になった。1948年に助産所は嘱託医師(当時は産婦人科医でなくでも可)を定めることが義務化され、1960年代半ばにはそれまで主流だった「自宅・その他」での出産が「病院」「診療所」の件数を下回り、それ以降、医師のいる病院または診療所で産むことが一般化した。「助産所」での出生は1970年以降、衰退傾向だ。1995年から2004年にかけて若干増加傾向に転じたものの、それ以降は再び減少している。
厚生労働省医政局看護課「助産師の就業状況と活用について」を参考に作成した、出生場所別の出生者数の推移。1950年は出生場所がほぼ「自宅・その他」であったが、現在では医療機関がほとんどだ
産科の医療崩壊が叫ばれて以降、昼間に生まれる子どもが増えました。つまり、陣痛の誘発・促進などで、医師に負担の少ないようにコントロールされた分娩が行われるようになったわけです。しかし本来、分娩は人間の生理的な行為であり、正常であれば医療が介在しなくても助産師や家族の助けがあれば可能なもの。自宅出産では女性が家族や信頼できる助産師と一緒に出産することで安全性が高まります。WHOも女性が安心できる場所での出産を勧めているのです。
2007年から施行された医療法改正により、助産所は産科を担当する嘱託医師と医療機関の両方を定めることが義務化されました。地域の病院や診療所の産科閉鎖などで嘱託医が決まらず、助産所を閉鎖するところも現れました。例えば北海道では現在、出産を取り扱える助産所があるのは札幌だけです。
また、日本助産師会のガイドラインでは、緊急時の対応が遅れてしまうため助産所から1時間以上かかる出産を引き受けるのは好ましくないとされています。北海道のような広いところでは助産師が1時間以内にたどりつけない場所も多く、そういう場所に住む人は自然に産む選択肢がないことになります。
そのような状況が背景にあるためか、医療専門職が立ち会わない「無介助分娩」は実は増加傾向にあるという。幻冬舎ゴールドライフオンラインの記事によると、1980年に0.029%まで減少していた無介助分娩は、1997年と1999年に0.031%に増加。2000年に0.023%まで減少したあと、2008年頃から漸増傾向となり2018年には0.036%まで増加。何かしらの思いのもと、医療を介在しないかたちの出産を望む人にとって、無介助分娩、さらに家族や仲間に見守られながら出産するプライベート出産はひとつの大きな選択肢となっているのかもしれない。
ただし、医師や助産師など専門家の介在しない分娩は、医師会からは危険な行為だと警告されている。1999年には自宅で水中出産を行ったカップルの新生児がレジオネラ菌に感染して死亡する事故が起きた。そのような背景からか、冒頭のコムアイ氏の例でも「緊急時の医療体制は整っているのか」といった医療に関連付けた指摘が多く見受けられた。
無介助分娩にはネガティブな印象があり、特に医療側からすると「子どもの命を危険に晒す行為だ」という批判があります。これは当然の反応だと思う一方で、一概に危険行為と批判することもできないと考えています。
例えば、助産師の市川きみえ氏がプライベート出産の体験をまとめた『私のお産:いのちのままに産む・生まれる』(幻冬舎)では、自分たちで出産についての理解を深め、あらゆる準備を整えてお産に臨んでいるケースを知ることができます。本来、妊娠・出産は生理現象なので、現在においても母子ともに健康であれば不可能なことではありません。医療機関での出産以外の選択肢がどんどん狭まっているいま、それ以外を選択するならプライベート出産という両極になっているのが現状ではないでしょうか。
プライベート出産は、医療の介入がない環境で出産することにより、満足のいく出産をしようとする出産方法の選択として知られる。しかし、分娩後に助産師が呼ばれて出生証明書の記入や費用請求などの問題に巻き込まれる例もあり、日本助産師会からもたびたび警告が出ている。Photo by Cavan Images/Getty Images
「どこで産むか」の議論の場を
自分らしい満足できる出産を追求する一方で、それがスピリチュアリティと結びついてしまう事例は『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』(集英社新書)に詳しい。本書のなかでは、女性が主体的に選択する「自然なお産」と欧米のニューエイジ運動・文化との結びつきが指摘されている。
日本では2000年代に「自然なお産」ブームが巻き起こり、ホメオパシーやマクロビオティック、胎内記憶といったキーワードを取り込みながら、ひとつのムーブメントを形成した。しかし2009年、助産師の指導により、新生児に必要なビタミンKの代わりにホメオパシーのレメディを与えたことで新生児が死亡する「山口新生児ビタミンK欠乏性出血症死亡事故」が起き、ホメオパシーのみならず「自然なお産」に対しても厳しい目が向けられた。
1930年代のドイツで、ホメオパシー薬を調合・製造する女性薬剤師。ホメオパシーは、下痢に下剤を処方するなど、病症と同様の症状を起こす薬を用いる19世紀初めの民間療法を指す。Photo by: M-Verlag Berlin/United Archives/Universal Images Group via Getty Images
妊娠を望む当事者だけでなく、家族や親族、パートナーや友人として関わる可能性を考えると、誰もが無関係とは言い切れない妊娠・出産というテーマ。しかし、リプロダクティブ・ライツが示すとおり自己決定が絡む個人的なテーマであるがゆえに、活発に議論されることが少なく、心のどこかでアンタッチャブルな話題として捉えてしまう人も少なくないだろう。
一足飛びにはいかないにせよ、わたしたちはこの状況とどのように向き合っていくべきだろうか。
リプロダクティブ・ライツは生殖に関することを自分で決める権利であり、そのために必要な情報やサービスにアクセスする権利でもあります。いまは、出産に関して自己決定するための情報が偏っていることが問題なのではないかと感じています。
それによって、なんとなく病院で産むのが正しい、それ以外は抵抗があるという空気が生まれている可能性もあるのではないでしょうか。1980年代のイギリスでは病院のあちこちに「あなたが出産できる場所は4カ所あります」と明示されており、そのための情報提供も行われていました。そこから選択するのは自分自身。だから、病院以外の選択をした人を批判しようという動きにはならなかったのです。
女性たちがリプロダクションに関する情報を知らないままに置かれているのであれば、それは自己決定とはいえないでしょう。まずは自宅や助産所を含めた情報がきちんと提供されているなど、情報へアクセスできる環境づくりを目指すべきなのではないでしょうか。
揺れる命のはじまり、妊娠・出産。現在の妊娠・出産が抱える課題について、いま議論すべきことをひとつずつ明らかにするべく、WORKSIGHTでは引き続きこのテーマを追っていきたい。
松岡悦子|Etsuko Matsuoka 奈良女子大学名誉教授。専門は文化人類学。主な著書に、日本、アジア、ヨーロッパでの長年のフィールドワークから女性が健康で満足できるお産のあり方を提唱する『妊娠と出産の人類学:リプロダクションを問い直す』(世界思想社)のほか、『出産の文化人類学:儀礼と産婆〈増補改訂版〉』(海鳴社)、『子どもを産む・家族をつくる人類学:オールターナティブへの誘い』(勉誠社)などがある。
次週12月12日は、ウルグアイに本部をおく住宅協同組合連合会「FUCVAM」の取り組みについてお届けします。労働者階級が抱える住宅問題を解決すべく50年以上活動を続け、現在750以上の住宅協同組合を束ねているFUCVAM。南米諸国やヨーロッパなど世界に広がっているこのモデルの概要や社会的意義について、同連合の会長であるエンリケ・カル氏に伺います。お楽しみに。
【イベントのご案内】
Photo by Hiroyuki Takenouchi
トークセッション「一冊の詩集が生まれるまで」
10月20日に刊行した最新刊『WORKSIGHT[ワークサイト]21号 詩のことば Words of Poetry』の関連イベントとして、出版社・ナナロク社の代表、村井光男さんをゲストにお迎えし、WORKSIGHT編集部によるトークセッションを高円寺の蟹ブックスにて開催いたします。
詩集、短歌、その他数多くの書籍を手がけるナナロク社。イベントでは、詩集の編集・制作や若手詩人の発掘など、日本の「詩」を取り巻く状況について尋ねながら、詩人と社会の関係性についてディスカッションを行います。日本において「詩」はどのように読まれているのでしょうか。また、短歌や若手詩人の詩集はどのくらいのマーケットをもっているのでしょうか。
詩集や短歌を買い求める方も多いという蟹ブックスを会場に、詩心の重要性を謳い、魅力的な本をつくり続ける村井さんと、「詩」がもつ力について考えます。ぜひお越しください。
【イベント概要】
■日時:
2023年12月6日(水)20:15〜21:45
■会場:
蟹ブックス
東京都杉並区高円寺南2-48-11-2F
※オンライン配信あり
■出演:
村井光男(ナナロク社代表)
宮田文久(WORKSIGHTシニア・エディター)
若林恵(WORKSIGHTコンテンツ・ディレクター/黒鳥社)
■チケット(税込価格):
①会場参加チケット:1,500円
②オンラインチケット:1,000円
【新刊のご案内】
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書籍『WORKSIGHT[ワークサイト]21号 詩のことば Words of Poetry』
言葉という情報伝達手段でありながら、普段わたしたちが使うそれとは異なるかたちで世界の様相を立ち上げる「詩のことば」。情報過多社会において文化さえも消費の対象とされるいま、詩を読むこと、詩を書くこと、そして詩の言葉にこそ宿るものとはいったい何なのか。韓国現代詩シーンの第一人者であり、セウォル号事件の被害者に寄り添ってきたチン・ウニョンへのインタビュー、映画監督・佐々木美佳による詩聖・タゴールが愛したベンガルでの滞在記、詩人・大崎清夏によるハンセン病療養所の詩人たちをめぐる随筆と新作詩、そして哲学者・古田徹也が語るウィトゲンシュタインの言語論と言葉の理解など、わたしたちの世界を一変させる可能性を秘めた「詩のことば」について、詩人、哲学者、民俗学者、建築家などのさまざまな視点から解き明かす。
【書籍詳細】
書名:『WORKSIGHT[ワークサイト]21号 詩のことば Words of Poetry』
編集:WORKSIGHT編集部
ISBN:978-4-7615-0928-6
アートディレクション:藤田裕美
発行日:2023年10月20日(金)
発行:コクヨ
発売:学芸出版社
判型:A5変型/128頁
定価:1800円+税