墓守のリアリティ──家、都市、人口移動から考える
時代や社会制度によって変化する家族観。その影響を強く受けるもののひとつに「墓」がある。檀家制度や家制度といった“縛り”の変遷、子孫に迷惑をかけるという“墓守”観の変化、家族の外へと拡張するつながりへの意識、そして少子化や人びとの地理的移動という社会構造的な要因……。変わりゆく現代の家族観と弔いのあり方について、社会学者の筒井淳也氏に尋ねた。
お盆に墓参りをする女性。Photo by Buddhika Weerasinghe/Getty Images
interview & text by Saki Kudo/Sayu Hayashida
筒井淳也|Junya Tsutsui 1970年福岡県生まれ。一橋大学社会学部卒。同大学大学院社会学研究科博士課程後期課程満期退学。博士(社会学)。現在、立命館大学産業社会学部教授。専門は家族社会学、計量社会学。著書に、『仕事と家族』(中公新書)、『結婚と家族のこれから』(光文社新書)、『社会を知るためには』(ちくまプリマー新書)、『数字のセンスをみがく』(光文社新書)など。
共同墓と匿名性
──筒井先生は家と労働の研究がご専門ですが、近年は「墓」にご関心があるとうかがっています。どのような問題意識をおもちなのでしょうか。
半世紀ぐらい前の家族といまの家族では状況が異なっていますよね。各々の人生のなかでも、例えばいまの高齢者の方にとっての若い頃の家族のかたちと、今日の若い世代にとっての家族のかたちは全然違うものです。わたし自身もそうなんです。わたしはまだ高齢者というほどの年齢ではないのですが、それでもいとこは20人ぐらいいますし、それが珍しいことではない上、わたしの義理の母に至っては10人きょうだいです。こうした親族構造のなかでは、そのなかの誰かが家を受け継いでいくというリアリティをもちやすかったのではないでしょうか。10人いれば1人ぐらいは結婚したあとも実家に住み続け、それが続いていくのだろう、という感覚です。いまはもう、きょうだいといっても1人とか2人が多いですよね。さらに転居もあります。
──そうですね。
日本の場合、地元に住み続けて家系を継ぐのは主に男性でしたが、少子化などで家族のかたちが変化するいま、若い世代の人びとは「自分の家の墓に埋葬される」というリアリティをもはやもてないと思うんです。ですから墓のかたちも当然変わっていくのだろうなと、10年ほど前にぼんやりと思っていました。
ちょうどその頃、京都の真言宗智山派 総本山智積院というお寺から講演に呼ばれました。家族の話をしてほしいという依頼だったのですが、そこにはおそらく、家族のあり方と密接なものである檀家制度が成立しなくなっている状況が背景にあったのだと思います。ずっと地元にいれば「自分の家のお寺さんはここだ」というものがありますが、一度都会に出てしまうと、転居先で新たな寺を見つけるなんてことはほとんどしませんよね。こうしたことが背景となり、お寺も経営が苦しくなっています。
──檀家制度と結びついた寺の運営も過渡期にある。
永代供養墓というものがありますね。お寺にもよりますが50万〜150万円程度で、納骨後はそのお寺が続く限り供養を行ってくれます。そのため、子孫が墓の管理や供養をする必要がないシステムです。
日本で最初に大々的に永代供養を始めたのは新潟の角田山 妙光寺です。1989年に安穏廟という永代供養墓を始め、いまも拡大し続けています。以前、こちらのご住職に「永代供養を希望される方には子どもがいる方も多い」という話をうかがいました。不思議に思われますよね。でもその理由は簡単で「子どもに迷惑をかけたくないから」。先祖の供養、つまり仏壇を置いたり、法事を主催したり、墓参りや墓の管理をしたり……そういうことを子孫にさせることは、迷惑をかけることなのではないかと感じるようになったのでしょう。
わたしはいま京都に住んでいるのですが、地元は福岡で、両親はわたしに黙って福岡で家墓を買ったんですよ。帰省したときに墓地に連れて行かれて。
──それは驚かれたでしょうね。
驚きましたね。そのときの両親の様子が、どことなく「ごめんなさい、買っちゃいました」という感じだったんですよ。わたしの両親だけでなく、いまは親が子どもに対して、先祖の墓守をさせるのは申し訳ないという意識をもち始めているようです。永代供養など、管理に手間のかからない方法を希望する傾向が見られる。少子化にともなって、そもそも墓を継ぐ条件の難しさと、子どもへの負い目というふたつの側面が出てきたことが興味深いなと。
──そういえば最近では国内外で、火葬や土葬に取って代わる新たな埋葬方法として自然葬(遺骨を墓ではなく自然に還す埋葬形式)も注目されていますね。
供養を任せる側が負い目を感じるようになった結果として、自然な変化だと思います。ただ、家墓をもたない方法であっても、散骨などの自然葬と永代供養とでは少し異なっています。
永代供養は、たとえ共同墓であっても故人の名前を残せる場合が多い。だから、一応子孫がやってきて供養はできるわけです。一方、もっと匿名性が高い埋葬方法もあります。例えば、スウェーデンにはミンネスルンド(Minneslund)という場所があります。これはいわゆる共同墓にあたるエリアなのですが、散骨は遺族・親族の立ち会いなく行われるため、どこに撒かれたかわからないようになっています。このような場所は「死者が匿名化される場」といえるでしょう。遺族・親族との明示的なつながりが切断されるという点では海洋散骨などと近いですね。
日本の永代供養はここまでの匿名化は前提としていません。子孫との縁をすっぱり切るのではなく、どこかでつながっている。しかし、なるべく迷惑にならないように……という意向の発露として永代供養が選ばれるのだと思います。家族のあり方はいま過渡期にあり、突然ぱっと新しいかたちに切り替わるものでもありませんから、現時点での一種の妥協の産物という見方もできるのかもしれません。
──供養してもらう=迷惑をかけるという考えはとても個人化された価値観に感じられます。
そうですね。ただ、他者とつながっていたくない、ということでもないと思います。先ほど申し上げたように、永代供養墓は故人の名前が刻んであるところも多いですし、海洋散骨などの場合ですら、匿名化されながらも地球や自然といった大きなつながりが意識されています。迷惑をかけたくない、でも何らかのかたちでつながっていたい。そしてそのつながりは墓参りや墓の管理など、ある種の必要性にかられるものではなく、自発的なもので、好きなときにつながってほしい。そういう望みを叶えてくれる仕組みとして選ばれているのだと思います。
(上)鎌倉 長谷寺の永代供養墓。遺骨を骨壺で2年間安置し、それ以降は複数の故人の遺骨をこの共同墓(合祀墓)に埋葬する。納骨者の戒名・俗名を石板に刻字し、墓所内に掲示することも可能。永代供養墓の形式はさまざまで、大型の棚に遺骨を安置する「納骨壇型」や、従来の墓と同じく墓石を建てて遺骨を安置する「墓石安置型」などもある。(下)スウェーデン・イースタッドのミンネスルンド。2018年撮影。photo by Jonn Leffmann, CC BY 3.0 DEED, via Wikimedia Commons
死者同士のゆるいつながり
──共同墓ではなく、家墓についてはどうお考えでしょうか。
家墓であっても、自分の先祖について認識できるのはおそらく祖父母、それ以上前だとしても2〜3代前くらいが限界なのではないでしょうか。それでも、そうした先祖とのつながりにこだわりたいという方は家墓を選ぶでしょう。
しかし家墓の管理は以前より大変です。背景には、構造的要因として「少子化」と「地理的移動」があります。
──地理的移動とはどのようなことを指していますか。
東京に居住している人はあまり地方に転出しませんし、自分の子どもが地方に移住するという意識もあまりもちません。統計上も、首都圏生まれの人は、そのまま首都圏で過ごす人が多い。なぜならそこに仕事があるからです。
それに対して特に地方、それも中核市(人口20万人以上の要件を満たした、政令で指定を受けている都市)ほど大きくない地域では、「子どもはいつか地元を出て行くだろう」という意識をどこかでもっている。つまり、「子孫が墓を守ってくれる」というリアリティをもてるのは、今日では地方ではなくむしろ首都圏などの都市部の人びとなのです。
総務省は2023年1月、住民基本台帳に基づく2022年の人口移動報告を発表。東京都は転入者が転出者を上回る「転入超過」が3万8023人となり、国内では最も転入超過数が拡大している区域。また、東京都の転入超過の中心は15歳~29歳で、ほぼ新型コロナウイルス感染症の流行前の水準に戻りつつある。日本経済新聞は「再び東京一極集中の流れが強まっている」と報じている。Photo by Louie Martinez on Unsplash
また、今日の父系文化の弱まりも、家墓のあり方や共同墓のニーズに関連しているといえるでしょう。かつて女性は嫁いだ家のお墓に入ることが一般的でした。その文化のなかでは家墓は現実味があるものでしたが、いまは違います。義理の両親は「他人」であって、「他人の家の墓に入るのは想像しがたい」という人も多い。わたしの妻は京都出身で、京都に家墓があるのですが、わたしの両親は福岡に家墓を買ったものですから、妻に「埋葬されるときはどうするか」と聞いたんです。そうしたら「京都の墓に入る」と。でも、死後にわたしと別々になるのは嫌だとも言うんです。矛盾している発言ではありますが(笑)、双系化、つまり夫方の親と妻方の親の両方との関係が重視されるようになる状況が進む今日では、かつてのような家墓のあり方に現実味がない上に、血縁としての家族ではなく配偶者との関係に重点が置かれることも多い。そうなると夫婦一緒に共同墓に入るという選択肢が生まれてくる。共同墓の受容は、男女均等が進んだ結果でもあるのです。
──共同墓という集団的な墓でも、夫婦という単位は重要視されるのでしょうか。
もちろん夫婦が前提というわけではありません。すべての人が配偶者と一緒の墓に入りたいと思っているわけではないので。一方で、妙光寺では共同墓に入る人同士で生前に顔合わせをするそうです。これまで家族単位で埋葬されるのが通例だった墓というものに、知らない人たちと埋葬されるわけですから、初めは違和感がある。そこで、集まって雑談して、赤の他人とゆるい絆をつくっているようです。
──生前から関係性をつくっているんですね。ちなみに、そもそも家族単位の墓というものはいつ頃から現れたものなんでしょうか。
日本の家墓が普及し始めたのは明治期以降で、それまでは墓どころか墓標もないというケースもありました。庶民階層には、はっきりとした「家」自体が独立して存在していなかったからです。苗字をもっていた百姓もおり、ゆるやかな親類の継続性はありましたが、たいていは家墓をつくるまでには至らず、農民たちが近場に埋葬していたといいます。村請制(村役人を通じて村ごとの連帯責任で年貢・諸役を上納させる農民支配の方法)に見られるとおり、村単位で生活を営んでいたからです。生活圏が狭く、家族が暮らす場所と働く場所が比較的近かった。封建制度下では、農民は土地に縛り付けられていましたしね。
それが劇的に変わるのは近代になってからです。1898年に明治民法で「家制度」が規定され、人びとが家族という単位に統一されていくことになりました。さらに産業化によって、人びとが雇用のある場所に転居することも当たり前になりました。土地に縛り付けられていた墓のあり方とも向き合わなければならなくなったのです。
1900年頃の製糸工場の女工たち。紡績業・製糸業は日本の産業を支え、近代化に貢献した。Photo by: Pictures from History/Universal Images Group via Getty Images
墓とテレワーク
──コロナ禍で「職住近接」(自宅と勤め先の距離が近いこと)の生活様式に変化が訪れました。墓のあり方にも影響があるのでしょうか?
あり得なくはないと思います。アフターコロナへの移行後にリモートワークを廃止する企業も出てきましたし、依然としてリモートワークでは対応できない仕事もありますが、通勤や転居の必要性が低くなると、土地と人生の結びつきがもう一度復活するのではないでしょうか。会社や学校は東京にあっても、住む場所は選ぶことができ、その好きな場所のなかに墓を位置づける、ということも考えられなくはない。
──好きな土地に葬られる自由、ですか。
実は30年ほど前から政府はリモートワークの政策を進めていました。例えば、首都圏の組織が共同で地方に「テレワークセンター」を設置し、地方の人は地元に住みながらそこに通い、仕事をすることを想定した仕組みです。首都圏への人口の一極集中を抑制する目的で、「地域・生活情報通信基盤高度化事業」の一環として構想されました。要は、近場に通勤し、そこでリモートワークをするということです。
1988年の日本のカラーテレビ電話。日本でテレワークが導入されたのは1984年、日本電信電話公社と日本電気が開設した「吉祥寺サテライトオフィス勤務実験」といわれる。優秀な女性プログラマーのライフイベントによる退職を防ぐべく導入されたが、新たなデジタル総合通信ネットワークの活用の可能性を探るためでもあった。その4年後、富士ゼロックス、内田洋行、住友信託銀行、鹿島建設、リクルートの5社が埼玉県志木市で「志木サテライトオフィス実験」を開始。1970年代後半、約35万平方メートルもの広さの土地にできた志木ニュータウンの近隣に設置された。Photo by Kurita KAKU/Gamma-Rapho via Getty Images
現代でもコロナの影響、あるいは多様な働き方を支援するために、充実した通勤手当や家賃補助を提供する企業もあります。ただその一方で、すべての従業員が地元とのつながりや結びつきを重視するとは限りません。
社会学では「アーバニズム」(都市的なライフスタイルを構成する社会的・文化的特性の総称)といわれますが、例えば都市ならではの匿名性、知らない人に囲まれて生きる気楽さ、人生の選択肢の増加などを重視する人もいます。同じ趣味をもつ人を、50人の村落では見つけられなくても、100万人の都市なら見つけられるでしょうしね。
このようなことは個人の価値観によります。地元のつながりが大事な人、都市に住み続けたい人、大学の数年間だけ都市生活を経験すればそれで十分という人。大学進学を機に上京してきたわたしの教え子にも、就職活動の際に「都市での生活はもうだいたいわかったから地元に帰ってもいいや」と言っていた人がいましたね。
あるいは会社の方針にもよるでしょう。出社してほしいところもあれば、リモートワークを推奨することでオフィスの家賃や光熱費を抑えたい会社もあるでしょうし。
──それでも、リモートワークを活用する人が徐々に増えることで、土地と結びついていた家墓のような供養の方法が再興する、なんてことがあり得るかもしれませんね。
もちろんさまざまな要素が絡んでくるとは思いますが、リモートワークによる地元密着型のライフスタイルとそれにともなう墓のあり方、という意味で可能性はあるかもしれませんね。
次週12月5日は「妊娠と出産」に関する記事をお届けします。2023年5月、水曜日のカンパネラの初代ボーカル・コムアイがアマゾンでの出産計画を公表し、SNS等で多くの非難を浴びた。妊娠・出産について女性の自己決定が尊重される一方で、自分らしいお産を選んだ人が批判される現状に、私たちはどう向き合うべきなのか。文化人類学者とともに考えます。お楽しみに。
【イベントのご案内】
Photo by Hiroyuki Takenouchi
トークセッション「一冊の詩集が生まれるまで」
10月20日に刊行した最新刊『WORKSIGHT[ワークサイト]21号 詩のことば Words of Poetry』の関連イベントとして、出版社・ナナロク社の代表、村井光男さんをゲストにお迎えし、WORKSIGHT編集部によるトークセッションを高円寺の蟹ブックスにて開催いたします。
詩集、短歌、その他数多くの書籍を手がけるナナロク社。イベントでは、詩集の編集・制作や若手詩人の発掘など、日本の「詩」を取り巻く状況について尋ねながら、詩人と社会の関係性についてディスカッションを行います。日本において「詩」はどのように読まれているのでしょうか。また、短歌や若手詩人の詩集はどのくらいのマーケットをもっているのでしょうか。
詩集や短歌を買い求める方も多いという蟹ブックスを会場に、詩心の重要性を謳い、魅力的な本をつくり続ける村井さんと、「詩」がもつ力について考えます。ぜひお越しください。
【イベント概要】
■日時:
2023年12月6日(水)20:15〜21:45
■会場:
蟹ブックス
東京都杉並区高円寺南2-48-11-2F
※オンライン配信あり
■出演:
村井光男(ナナロク社代表)
宮田文久(WORKSIGHTシニア・エディター)
若林恵(WORKSIGHTコンテンツ・ディレクター/黒鳥社)
■チケット(税込価格):
①会場参加チケット:1,500円
②オンラインチケット:1,000円
【新刊のご案内】
Photo by Hiroyuki Takenouchi
書籍『WORKSIGHT[ワークサイト]21号 詩のことば Words of Poetry』
言葉という情報伝達手段でありながら、普段わたしたちが使うそれとは異なるかたちで世界の様相を立ち上げる「詩のことば」。情報過多社会において文化さえも消費の対象とされるいま、詩を読むこと、詩を書くこと、そして詩の言葉にこそ宿るものとはいったい何なのか。韓国現代詩シーンの第一人者であり、セウォル号事件の被害者に寄り添ってきたチン・ウニョンへのインタビュー、映画監督・佐々木美佳による詩聖・タゴールが愛したベンガルでの滞在記、詩人・大崎清夏によるハンセン病療養所の詩人たちをめぐる随筆と新作詩、そして哲学者・古田徹也が語るウィトゲンシュタインの言語論と言葉の理解など、わたしたちの世界を一変させる可能性を秘めた「詩のことば」について、詩人、哲学者、民俗学者、建築家などのさまざまな視点から解き明かす。
【書籍詳細】
書名:『WORKSIGHT[ワークサイト]21号 詩のことば Words of Poetry』
編集:WORKSIGHT編集部
ISBN:978-4-7615-0928-6
アートディレクション:藤田裕美
発行日:2023年10月20日(金)
発行:コクヨ
発売:学芸出版社
判型:A5変型/128頁
定価:1800円+税