ヴィルコミルスキー事件は終わらない:「戦争の記憶」をめぐる、ひとつの難題
「戦争の記憶」の「継承」が謳われるとき、それぞれ「自分事化」することが重要だとされる。しかし1990年代、絶賛されたホロコーストサバイバーの自叙伝が、実は自分のものではないホロコーストの記憶を自らのものとして表現していたことが判明、“大炎上”を引き起こした事件があった。そして戦後78年を迎えた2023年。「戦争の記憶」から遠ざかりつつあるわたしたちは、この事件の延長線上に生きているのかもしれない。
2020年に製作されたドキュメンタリー映画『W.』に登場する、現在のヴィルコミルスキー。 ©Der Filmverleih
ビンヤミン・ヴィルコミルスキーなるホロコーストサバイバーによる自叙伝『Fragments: Memories of a Wartime Childhood』は、1995年に刊行されると、賛美をもって迎えられた(1997年に和訳書が出た、ここ日本でも)。だが実はその証言が虚偽だとジャーナリストが暴露、著者に対する評価は一転、轟轟たる非難のなか、あっという間にその姿は表舞台から消えていった。
それから約20年の時が経ちつつある現在、ヴィルコミルスキー事件を捉え直す議論が、すこしずつ出てきている。そもそも彼は、なぜ自らのものではない収容所体験を、自身の記憶として文章にしたためたのか──。フェイクニュースや歴史修正主義とも隣り合わせのこの危うい議論はしかし、「戦争の記憶」をもたない人間が多数を占めつつある現代のわたしたちに、簡単には解くことができない問いを突きつけてくる。他人の痛ましい記憶に対し、共感の域を超えてしまい、それはわたしの記憶なのだと言い出した人物のことを、わたしたちはどのように考えうるのだろうか。
書籍『WORKSIGHT[ワークサイト]20号 記憶と認知症 Memory/Dementia』発売直後である今回のニュースレターで取り組むのは、「記憶」をめぐるひとつの難題である。
text by Fumihisa Miyata
1990年代の「事件」の顛末
ぼくの幼年期のごく初期の思い出は、とぎれとぎれの映像と経過の瓦礫の山に似ている。それは、短刀のように鋭い輪郭をともなった固い記憶の石ころの群れで、いまでも、触れれば、こちらを傷つけずにはおかない。しばしば、混沌と散らばったままであり、時の流れに沿って並べられるものはほとんどない。それらの、ごつごつしたかたまりは、ぼくが大きくなってから、どうにかして整理し秩序づけたいと思っても、そのたびに、執拗にぼくの意思に逆らい、論理の法則からすべり落ちた。(ビンヤミン・ヴィルコミルスキー『断片』より、小西悟訳)
ビンヤミン・ヴィルコミルスキーの1995年刊行の自叙伝、『Fragments: Memories of a Wartime Childhood』の版元は、ドイツの権威ある出版社ズールカンプのユダヤ部門である。ラトビア・リガ生まれのユダヤ人だという著者の、1939年から1948年にわたる、過酷な強制収容所体験と生還後の日々を描いた本書は、日本でも『断片:幼少期の記憶から 1939-1948』(小西悟訳、大月書店、1997年)として刊行されるなど、国際的な規模で評判となった。例えばルポライターの鎌田慧も「殺されたものばかりか、生き残ったものへも大きな打撃を与えた『収容所』の残酷さ」を描き、それでも著者は「人間にたいする信頼」を回復しているとして本書を紹介していることは(『生きるための101冊』、岩波ジュニア新書、1998年)、『断片』刊行当時の受容のされ方を端的に表している。
しかしその直後、チューリッヒの週刊誌に掲載されたジャーナリストの記事により、世界に激震が走った。ヴィルコミルスキーは実は収容所に入れられた経験などもっていないスイス人であり、1941年にシングルマザーのもとに生まれたときの名前はブルーノ・グロージャン。孤児院に預けられた後、スイスのデセカーという名の夫妻のもとで養子として育てられ、収容所には旅行で行ったことがあるだけである、というのだ。ヴィルコミルスキーは反論を試みるも、自叙伝の瑕疵や矛盾が次々と指摘され、あっという間に虚言を弄する人として糾弾されるに至ったのだった。「戦争の記憶」をめぐる社会の諸相に暗い影を落とした、それがヴィルコミルスキー事件である。
映画『W.』より、かつてのヴィルコミルスキー。 ©Der Filmverleih
事件が現在まで与える「影響」
ヴィルコミルスキー事件は、近年においてもホロコーストサバイバーたちの間では決して許すことのできない事件として心に刻まれていると想像される。当時10歳以下の子どもたちだったサバイバーたちの記憶を集約していったレベッカ・クリフォード『ホロコースト最年少生存者たち:100人の物語からたどるその後の生活』(山田美明訳、芝健介監修、柏書房、2021年)においても、歴史学者である著者は『断片』に対して、「関連するそのほかの物語の信憑性まで損なわれてしまうおそれがある。捏造されたホロコーストの回想録は、まっとうな回想録まで疑わしいものにしてしまう。それにより、あらゆる回想録が疑問視されることになりかねない」と厳しく非難している。
それもそのはずである。『ホロコースト最年少生存者たち』は、従来、大人にくらべて主体的な証言者として認められてこなかった、幼きサバイバーたちを記憶の主体として確立させようとした労作であり、一方でそうした「最年少生存者たち」と同年代の人間の手による『断片』は、その偽りの内容によって、最年少サバイバーたちの主体性を足元から瓦解させかねないのだ。
その懸念は、例えば、次のような反応を呼び寄せるゆえなのだろう。時期は前後するが、ノーマン・G・フィンケルスタイン『ホロコースト産業:同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』(立木勝訳、三交社、2004年)においては、『断片』の著者ヴィルコミルスキーのみならず、イデオロギーによって歴史を悪用する「ホロコースト産業」の人間たちが『断片』のでっち上げを祝福した、とまで書かれている。ホロコーストの存在自体は否定していない彼の議論はノーム・チョムスキーらの支持も得ているが、しかしサバイバーたちにとって重大なのは、こうした議論がホロコースト否定論者たちに援用されてしまっていることである(日本でも似たような受容のされ方をしているようだ)。そうした事態の引き金を引いた存在として、『断片』とヴィルコミルスキーの名は、いまもって批判され続けているのだ。
映画『W.』より、ユダヤ人の「同志」と抱擁する当時のヴィルコミルスキー。この後に虚偽が暴露され、糾弾されることとなった。 ©Der Filmverleih
再考の余地は、どこまであるのか
ただ、時間の経過とともに、「ヴィルコミルスキー事件」を異なる角度から捉え直してみようとする動きもまた出てきている。そのうちのいくつかを紹介してみよう。
その名も「ヴィルコミルスキー事件再考」と題された論文は、生命倫理学などを研究する柴嵜雅子(大阪国際大学人間科学部教授)の手によって、2011年に執筆されたものである。柴嵜は以下のように語る。
スイスという中立国で空襲も飢えも体験せずに生活していたくせに、ナチの強制収容所を辛くも生き延びたと称するなど、ヴィルコミルスキーは卑劣な詐欺師だと批判されるかもしれない。あるいは、ヴィルコミルスキーの場合、本人も半ば本気でユダヤ人だと信じ込んでいた節もあり、そうなると詐欺師ではなく、精神異常者と見なされるかもしれない。しかし、記憶というものは、通常、人が信じているほど正確なものではない。
海外の「再考」的な議論を踏まえつつ柴嵜が論じることのひとつが、ヴィルコミルスキーことブルーノ・グロージャンの、不安定な境遇に置かれた幼少期のことである。実はデセカー夫妻に預けられる前に、ブルーノはさまざまな家をたらいまわしにされ、うちひとつの家庭においては女性から虐待を受けるというトラウマ体験をしていたらしいということは、この論文に限らず度々言及される。柴嵜論文では、デセカー夫妻のもとにブルーノが引き取られても養子縁組がまとまったのは12年後であるというエピソードも引用しながら、その不安定な境遇にこそ虚偽の記憶が宿る背景のひとつがあったのではないかという議論を展開していく。
ちなみに、ホロコーストのサバイバーの「特権的な地位」に言及し、ヴィルコミルスキーは「すでに確立した周知の犠牲者集団にもぐりこめば、孤独を癒せ」たという柴嵜の結論自体は、説得力とともに、正直危うさを兼ね備えたものであるといえる(もちろん柴嵜も、「偽の証言の存在は、ホロコーストなどなかったと言い立てる歴史修正主義者の格好の論拠になる」と付言することを忘れてはいないが)。ともあれ、ヴィルコミルスキー事件を「再考」するときの足場のひとつは、ヴィルコミルスキーことブルーノ・グロージャンの不安定な幼少期の境遇にあるようだ。
社会学者の鈴木智之(法政大学社会学部教授)は、村上春樹の小説を論じる『村上春樹と物語の条件:『ノルウェイの森』から『ねじまき鳥クロニクル』へ』(青弓社、2009年)のなかで、ヴィルコミルスキーの『断片』に触れている。なぜ、村上春樹を考えるのにヴィルコミルスキーなのか? それは『ねじまき鳥クロニクル』で「赤坂ナツメグ」が「僕」に語る「戦時の記憶」のエピソード(例えば、「新京」の動物園で関東軍の指令により虐殺された猛獣たち)が、「ナツメグ」の目にした光景ではないことなどによる(村上春樹作品において、一見物語と関係ないように見える「戦争の記憶」が、ふとした瞬間に紛れ込んでくることはよく知られている)。「この動物園のエピソードだけではない。『ナツメグ』が『僕』に語る物語は、しばしばクロノロジカルな秩序を欠き、実際に経験した事柄と、そうとは思い難い事柄を混在させている」とする鈴木は、以下のように語る。
では「ナツメグ」の語る出来事の存在論上の地位はどのようなものとして理解しうるのだろうか。いうまでもなくそれは、「歴史的な事実」として認められることを要求するものではない。しかし同時に、「現実」に対立する「作り話(フィクション)」としての地位に置かれるものでもない。なぜならば、それは「想起された出来事」であり、まぎれもなく「ナツメグ」の記憶として「僕」の前に差し出されているからである。
ただし、これを「虚偽記憶」というような中途半端な概念に引き寄せてとらえるべきでもない。「虚偽」という言葉は、「事実」との対応関係(歴史的真実性)が有意に問われるような場ではじめて意味をなす。これに対して、「ナツメグ」の語りでは、そのような「場」からの離脱こそが問われているからである。むしろ、私たちはここに、「潜在的なるもの」の記憶の生起を見なければならない。「潜在的なるものの記憶」あるいは「可能なるものの記憶」──(略)
鈴木は、アメリカに渡ったユダヤ人たちの記憶が呼び起こされる、作家ジョルジュ・ペレックの『エリス島物語』などをめぐる議論に触れながら、以下のようにペレックとヴィルコミルスキーとのあいだに「通底する側面」を描きだしていく。やや長くなるが、核心を突くテクストとして引用する。
「私」とは誰かという問いが痛切な力をもってしまうときに、「潜在的なるもの」「可能なるもの」の記憶が呼び起こされているという点で、両者は同一の構図を生きている。そして、そこには二つの前提条件が共有されているように見える。一つは、過去から現在にいたる出来事の成り行きのなかで了解されるべき「私という存在」が、どこか決定的な地点で「偶発的な」(他でもありえた)ものとして受け取られているということ。つまりは、偶発的な出来事の推移のなかに必然の感覚を生みだす物語化の作用が失効しているということ。そして、この第一の条件をさらに補強する形で、自己の物語の起源が空白のままに残され、そこに「災厄の気配」が感受されていること。
ペレックもヴィルコミルスキーも、「私」という存在の起源を、実際には経験することのなかった「災厄」の記憶によって充填しようとする(中略)。どちらの場合も、想起されるべき災厄の記憶は、「現実のもの」と「想像上のもの」とを分離しようとする力を超えようとする。その(潜在的なる、可能なる)起源を語りうるということが、彼らの存在を支える要件だったように思われるのである。
このような議論をさらに検証可能にするであろうドキュメンタリー映画が、近年つくられた。1957年生まれのスイス人監督Roland Collaが、現在、孤独な生活をおくるヴィルコミルスキーを撮影、さまざまな立場の証言者に取材しながら「事件」を検証した『W. What remains of the lie』(2020年)である。残念ながら日本においては劇場公開も配信もされておらず、現時点ではトレイラーや公式サイト、およびそこで入手可能なプレスキットに含まれている場面写真や字幕テキストなどから内容の一端を推し量ることしかできないのだが、やはりここでも「『私』とは誰かという問いが痛切な力をもってしま」った人生を歩むヴィルコミルスキーが、「『私』という存在の起源を、実際には経験することのなかった『災厄』の記憶において充填しようとする」様子が描かれているのではないかと思われる。一刻も早く、鑑賞可能な状況が整備されることを期待したい。
(上)『W.』の予告編(英語字幕)。 (下)劇中ではイラストやアニメーションも用いられているようだ。 ©Der Filmverleih
「自由に書いていいのですよ」
最後に、すこしだけ日本社会の状況に引き寄せて、本稿を終えたい。社会学者の福間良明はかねてより、「戦争の記憶」をめぐる「継承という断絶」に言及してきた。間もなく戦後80年を迎えようというわたしたちは、戦争を体験した存命者たちに多くを語ってもらおうという「継承」を重視しがちである。もちろん、その体験の記憶を分有していくことには大きな意義があり、福間もその点に関して異議はないようだ。その上で、集大成的一冊である『戦後日本、記憶の力学:「継承という断絶」と無難さの政治学』(作品社、2020年)に書かれた以下の一節が、福間の主張のひとつの要約となっている。
しかし、「継承」の営みや欲望のなかで、いかなる「忘却」が生み出されてきたのかについては、意外に見落とされてきたように思われる。いま「記憶」されているものを「継承」することも、もちろん重要だろう。だが、それがさまざまな忘却を経た「上澄み」のようなものであるとすれば、どうなのだろうか。そこでは「継承」自体が「忘却」の再生産を促すことになる。だとすれば、問われるべきは、「いかなる論点が見失われていったのか」「それを生み出した社会的なメカニズムは何なのか」ということであろう。
例えば福間が指摘するのは、世代をまたいだ「継承」の重視によって「調和」が前景化するなかで、「記憶の脱歴史化」をも起こるような事態である(年配世代の言説や死者たちの遺書などへの批判的検証が抑制されていく、など)。わたしたちがここまで展開してきた議論に引きつければ、こんなふうにもいえるだろう。ヴィルコミルスキーのような他者の記憶の扱い方を糾弾するわたしたちもまた、思わぬかたちで(しかも外見としてはきちんと「継承」することを目指しながら)忘却を重ねてきているのだ、と。
何か、一筋の光明のようなものは存在しないのだろうか。思い出されるのは、長崎の原爆の被爆者として、文学作品を書き続けた林京子(1930-2017)に関する、1958年長崎生まれの作家・青来有一のことばである。2023年2月、神奈川近代文学館で行われた講演とシンポジウムが、『すばる』2023年7月号(集英社)に再録されている。
青来は長崎原爆資料館長まで務めた人物であるが、しかし同時に、戦後生まれの人間として原爆の記憶を描く「偽の語り部」として、試行錯誤を重ねてきたという。2005年の夏、長崎原爆資料館で行われた「林京子全集」発刊記念イベントで、初めて林に会った青来は、にわかに不安に襲われたという。「林京子に『いや、これはちがう、原爆はこんなもんじゃない』といわれたらどうしたものか。『8月9日の語り部』に『偽の語り部』が化けの皮を剥がされるような、そんな不安に急に襲われた」。
しかし、スピーチの最後に林が告げた言葉は、「青来さん、自由に書いていいのですよ、小説は自由です」というものだった。「『8月9日の語り部』は『偽の語り部』をおおらかに受け入れてくれて、ちょっと拍子抜けしたといった感じでした」と、青来は語っている。
もちろんこの「自由」の語は、逆に最後まで原爆にこだわって書き続けた林の口から発せられたものであり、それに対して真摯な応答を試みた青来に向けられたものであって、無責任な「自由」に、ましてや歴史修正主義に対して向けられたものではないことは、何度でも確認されなければならないだろう。
しかし、それでもほんのすこしだけ、既存の「記憶」をめぐる枠組みを揺らしてくれることばであることもまた事実だ。それは、「戦争の記憶」をもたないわたしたち──小さな、無数のヴィルコミルスキーとして生きていくかもしれない未来のわたしたちに対して、わずかな光明となる「自由」なのかもしれない。わたしたちには常に「見知らぬ姉」がいると語ったのはヴァルター・ベンヤミンだが、そうした「見知らぬ姉」を、誰に求められるでもなく感知してしまう危うい感性が必要とするのは、すこしばかりの、そして絶えず倫理的にも問われ続ける「自由」なのだろう。
クラリネットを演奏する「ブルーノ・ヴィルコミルスキー」(と、映画『W.』では表記されている) ©Der Filmverleih
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わたしたちは他者と記憶を共有している。だからこそ集団のなかで大きな物語を描くことができ、他者から自分であることを認められ、自らの生活を営むことができている。認知症をもつ人を抱えた高齢化社会、国家や地域社会の衰退による集合的記憶の喪失など、「記憶の共有」をめぐる社会問題が浮上しつつあるいま、オランダとフランスでオルタナティブな社会実践を試みる、認知症や精神疾患のケアの現場等を本誌編集長が取材。約90頁にわたる取材旅行の省察と見聞録のほか、ルネサンス期の情報爆発と記憶術を研究する桑木野幸司氏、レバノン内戦の都市の記憶とその傷跡をテーマに音楽作品を制作したベイルートの音楽家・建築史家メイサ・ジャラッド氏へのインタビュー、記憶をめぐるブックガイドを収録。記憶と認知症を手がかりに、来るべき社会のための態度や今日的な問いについて思索する。
■書籍詳細
書名:『WORKSIGHT[ワークサイト]20号 記憶と認知症 Memory/Dementia』
編集:WORKSIGHT編集部
ISBN:978-4-7615-0926-2
アートディレクション:藤田裕美
発行日:2023年8月25日(金)
発行:コクヨ
発売:学芸出版社
判型:A5変型/128頁
定価:1800円+税
次週9月5日は、サウス・ロンドンのジャズシーンを盛り上げている2つのプロジェクト「Total Refreshment Centre」と「Church of Sound」のファウンダー、レックス・ブロンデル氏のインタビューをお届けします。約10年にわたり才能溢れるミュージシャンを次々と輩出し、音楽好きなオーディエンスが集う場を育んできたブロンデル氏。この秋、 築地本願寺を皮切りに国内3都市5会場で開催される「Temple of Sound」を前に、コミュニティの設計思想をじっくりうかがいます。お楽しみに。