「もち寄り」でできているフェスの話:「中の人」視点で考える、ポストビジネスの祝祭
真夏の強い日差しを浴びながら、今年もフェスヘッズたちはステージからステージへと駆け回る。そんな参加者視点を少し変えて、主催側から見えるフェスの景色をお届けしたい。世界最大級の「グラストンベリー・フェスティバル」から、日本国内のローカルフェスの試みまで、運営する“中の人“目線でフェスを考察する。少しずつ見えてくるのは、興行・ビジネスの側面を踏まえつつ新たな姿を模索する人びとの姿だ。
ゲイであることをカミングアウトしているオリー・アレクサンダー率いる「Years & Years」。演奏中、晴れた空にレインボーの演出が映えた、グラストンベリー・フェスティバルのメインステージ。 Photograph by Shintaro Kuzuhara
腕を高く上げステージを囲む数えきれないほどのオーディエンス。その全員の視線の先には強い照明に照らされたアーティスト。朝から晩までステージ間を行ったり来たりして、雨風はレインウェアでしのぎ、フェス飯で腹を満たす。圧倒的な非日常空間で多くの人を魅了する「フェス」が、世界中で開催されている(世界にはさまざまなフェスティバルがあるが、今回は音楽フェスの話だ)。
一般的には、巨大で、派手で、リッチなステージのイメージが先行するが、フェスのポリシーはさまざま。ビジネス目的のものもあれば、純粋な情熱こそすべてというものもあり、音楽が最大の魅力のものもあれば、体験全体がウリのものもある。
筆者は、ライター・編集者でありつつも、国内のフェスの企画や運営に関わっており、今回の記事は、フェスの「中の人」として筆を執った。世界最大規模のフェス「グラストンベリー・フェスティバル」で見てきたもの、本業を別にもちながらもフェスを開催する主催者に聞いた話などを交えながら、文化として成熟してきたからこそのフェスの多様な裾野にフォーカスしてみたい。
text by Shintaro Kuzuhara
cooperation with ONE MUSIC CAMP/SHAKE ONGAKUKAI/ARAFUDO MUSIC
巨大ビジネス化した地平で
世界にはさまざまなフェスがあり、そのあり方も多岐にわたるが、よく知られているものから挙げてみよう。例えば、日本のビジネス界隈ではテックカンファレンスとして認識している人も多い「SXSW」。正式名称は「SXSW Conference & Festivals」で、音楽フェスと両輪で開催されている。アメリカ・テキサス州オースティンでは公園、バー、レストラン、レコード屋などあらゆる場所がSXSWに合わせてライブ会場となる。オフィシャル・アンオフィシャルなものを含めて、10日間にわたり街中がお祭り騒ぎ。新しい才能をいち早く見つけようと、世界中からレーベル関係者が集まっているようだ。
ライブ配信のプラットフォームや技術が確立されてきたことで、身近に感じられる海外のフェスも増えてきた。カリフォルニア州の砂漠地帯で開催されている「コーチェラ・フェスティバル」は、ここ数年YouTube配信に力を入れており、2022年には宇多田ヒカルが出演したことで、音楽好き以外にも話題が広がったのは記憶に新しい。
日本でもロック音楽ファンにとって夏という季節が特別になってから四半世紀が経つ。「4大ロックフェス」と言われている、いまなお続く大型フェスはそれぞれ2000年前後に初回を開催している。「フジロック・フェスティバル」は1997年、「ライジングサンロックフェスティバル」は1999年。「サマーソニック」「ロック・イン・ジャパン・フェスティバル」は2000年だ。
参加者にとっては圧倒的な非日常を体験する場だが、その開催・運営を日常的な仕事としている人もいる。フェスは「興行」というビジネスの形式に則っている。コンテンツを提供し、それを見に来る観客から料金をもらう。より大きな会場で、より長い期間開催すれば、その分集客数は増える。コーチェラは2012年から金・土・日の3日間開催を、2週間連続、つまり6日間開催している。日本でもロック・イン・ジャパン・フェスティバルが2014年より土日を2週間で4日開催または祝日を加えて5日間開催を続けている。コロナ禍というブレーキはあったものの、そのあり方に大きな変更はない。人気のアーティストを複数呼び、参加者を増やし、収益を上げる。集客が増えればスポンサーもつきやすく、さらに収益が上がる。フェスがすっかり巨大ビジネスになっているということは、疑いようのない事実だ。
牧場主が始めたグラストンベリー
フェスという仕組みを成り立たせるためには、当たり前だがさまざまな関係者の力が必要だ。アーティストがライブをするには、ステージを立て、音響機材を揃え、エンジニアが音を調整しなければならない。人びとが集まれば、食事を提供する事業者やトイレが必要だし、そのためには上下水道や電気、ガスを手配しなければならない。人びとを楽しませるマーケットやアルコールの提供もあるし、会場の安全を守る警備も必要。人びとを会場まで運ぶ交通手段も、寝泊まりする宿泊施設も欠かせない。加えて、事前の準備には、アーティストのブッキングやチケッティング、広報なども必要だ。さらに参加者も重要な役割を果たす。チケットの購入自体がフェスを支え、参加者の盛り上がり次第でアーティストのステージングも変わる。空間は人が入ることで命を吹き込まれる。さまざまな立場の人が、自分の能力や役割を「もち寄る」ことでできるのがフェスだ。
その様子は時に「期間限定の街」のようだと表現される。その街の規模が桁違いに大きいのが、1970年からイギリスで開催されている、世界最大級のフェス「グラストンベリー・フェスティバル」だ。近年はスタッフ・出演者を含め約20万人以上が参加して、思い思いに過ごす。開催中は、BBCがライブをテレビで放映し、 ガーディアン紙が場内の様子を報じる。イギリスでは誰もがその存在を知っている国民的行事なのだろう。
いまではすっかり超大規模フェスだが、同規模の他のフェスと比較して、ビジネス的な都合から距離を置く姿勢を感じる。主催者であるマイケル・イービスのwikipediaの職業欄は「Farmer・businessman」となっていて、実際に会場になっている牧場のオーナーなのだ。彼の牧場に1500人を集めて開催した素朴なイベントがこのフェスのスタートで、いまでもその牧場と周辺の牧場を借り上げて開催されている。普段は農場として機能しているので、数年に一度の「休耕年」が設けられてその年のフェス開催は見送られる。また、予算配分も独特で、例えば出演者のギャラは低く押さえ(出演者はもちろん適正なギャラを払ってもらいたいだろうが、主催者としてはグラストンベリー・フェスティバルへの出演実績と露出で十分バランスするでしょう?ということらしい)、毎年数億円規模で慈善団体への寄付などにまわしているという。
グラストンベリー・フェスティバルの会場を撮影した写真(上)。向こうの丘まですべてフェス会場だ。その中を歩いていると見かける看板(下)。会場は実際の街のようにブロックに分かれている。 Photographs by Shintaro Kuzuhara
グラストンベリー・フェスティバルがどのくらい巨大で複雑なのか、筆者が2019年に訪れた際に見てきたものや印象を書き連ねてみる。公式のステージが80ありタイムテーブルのページはどれだけスクロールしても終わらない。出演アーティストは1000を超えるだろう。主要なステージには参加者がもち込んだ旗が何本もはためき、夜になると発煙筒が焚かれる。夜にならないとオープンしないナイトエリアもあって、朝まで踊り明かせる。さらに、フードベンダーがもち込んだサウンドシステムも無数にあり、あらゆる場所で音が鳴る。1日中映画を流したりディベートが繰り広げられたりしているテントもあるし、サーカスや演劇などが催されている場所もある。
会場内の出店も多様だ。フードベンダーが提供するフェス飯は、世界各国の郷土料理やガッツリした肉系もあれば、ビーガン料理もある。大手メーカーのビールもあるし、マイクロブリュワリーのクラフトビールやシードルもある。フードベンダー以外にも、帽子屋、ポストカード店、パーティーグッズを揃えた雑貨屋、古着屋、床屋、キャンプ用品店が並ぶ。果ては巨大な生協の店舗まであり、サラダやフルーツなどのナマモノから、トイレットペーパーや石鹸などの日用品まで揃う。近年ではペットボトル削減のために、給水スポットが何箇所もあり、マイボトルに水を汲むことができる。
本祭は金・土・日の3日間なのだが、ゲートオープンは水曜日。キャンプサイトのほとんどは水曜日に埋まる。だだっ広い草原にあっという間にカラフルなテントが立ち並ぶ光景は圧巻だ。主要ステージ以外のエリアはすでにオープンしているので、音楽も、ご飯も、お酒も、十分に楽しめる。金曜日に本祭が始まってしまえば、時間はあっという間に過ぎる。最終日もオールナイトで遊び明かして、最後には丘の上からみんなで朝日を見届ける。ちなみに、パーティーはゲートが開く前から始まっている。火曜日以前からスタッフのためのパーティーが開催されているからだ。
あまりに巨大になったグラストンベリーでは、もちろんチケットは売られており各店舗で営利活動も行われている。ただ、経済合理性に従って利益を増やしていこうとするよりも、どちらかといえばそれぞれがやりたいことの実現を大切にして、それぞれのできることをもち寄っている場なのではないかと思われる。そうでなければ、こんなに膨大な要素が組み合わさっている「街」のありようを説明できないと、現場に立った人間として感じるのだ。誰かがトップダウンで管理しているというよりも、それぞれが有機的につながり、自律的に運営されているのではないだろうか。
プロとアマでもち寄るフェスが目指す“別の姿”
繰り返すように、世界にはさまざまなフェスがある。イベント業を生業とする事業者が開催するフェスは、基本的には資本主義のルールに従う。できるなら規模はより大きく、露出はより多く、という方向性に向かっていくだろう。その一方でグラストンベリー・フェスティバルを牧場主が始めたように、興行の「素人」がフェスを主催することもできる。
もちろん音響エンジニアやステージ施工業者、運営など、プロフェッショナルも関わるが、大事な意思決定をビジネス視点だけで判断しなくて良い、というのはそのフェスのアイデンティティを形成する上で非常に大事な点だと考える。プロもアマも、それぞれのできることをもち寄ることで、ビジネスから距離をおいたどこかに、それぞれがたどり着く。文化の進歩が多様な方向に向かうために必要なことだ。
このようなフェスを生業としていない主催者が開催しているフェスをピックアップし、それぞれの主催者から話を聞いた。
ステージで汗をかいても、プールでリフレッシュして、また違う場所に遊びに行く。音楽だけじゃないさまざまな楽しみがあるのがONE MUSIC CAMPだ。これまでの代表的な出演者は、くるり/サニーデイ・サービス/bonobos/カネコアヤノ/折坂悠太など。 photographs by Hiroshi Maeda
兵庫県三田市で開催されている「ONE MUSIC CAMP」は、「みんなであそぶフェス」をコンセプトにしている。2010年から開催し、今年で14年目。キャンプの他にプールやアスレチック、BBQができたりと「あそぶ」に特化した体験ができる会場を探し、自然豊かなアスレチックフィールドに落ち着いたそう。
主催者は男女4人の混合チーム。それぞれアパレルやインターネット関係の仕事、デザイン関係など別々の仕事についている。4人とも音楽やフェスが大好きでフェスでしか味わえない一体感や高揚感、思わぬ音楽との出会いを自分たちの手でつくり出してみたいという思いから開催を決めた。ここ数年は、ONE MUSIC CAMPの会場ではキャパシティの限界が見えてきたこと、さらに新しいことを始めたいと思い始めたことから、同じ三田市で会場を探し、有馬富士公園にて新たに「ARIFUJI WEEKENDERS」という規模を大きくしたフェスもスタートした。
仕事で「純粋にやってみたいこと」をやれることはあまりない。どうしても制約があるし、顧客のニーズに合わせなければならない。フェス好きがフェスをつくるならやりたいことの純度を高めたまま、実現が可能なはずだ。
さらに自分たちがやりたいことをやり続けた結果、最近では行政と一緒に地域振興や活性化について考えるようにまでなったそう。自分たちの好奇心から、徐々にさまざまなステークホルダの目的も飲み込み、さまざまなゴールを目指す組織へと変化しているということだろう。
札幌郊外にある「札幌芸術の森」を開催地とする「しゃけ音楽会」。開催時期の6月中旬は、本州では梅雨の真っ只中だが、札幌は1年のなかでも特に気持ちのいい時期。芝生や木々の緑が美しい。これまでの代表的な出演者は、THA BLUE HERB/蓮沼執太フィル/七尾旅人/サニーデイ・サービス/ZAZEN BOYSなど。 photographs by minaco.
「ローカルの仲間で、ローカルの仲間たちのためにフェスを開催する。それは札幌のカルチャーシーンにいる先輩たちが脈々と続けてきたこと。それをわたしたちの代でも受け継いでいきたい。そのときに大事にしたいのは、楽しいのはもちろん、まだ札幌にないような『新しいもの』をもってくること」だと話してくれたのは、北海道札幌市で開催してきた「しゃけ音楽会」や「OTO TO TABI」の主催チームのひとり、みなみしょうこさん。夫婦ふたりでカフェを営みつつ、展示や音楽ライブの開催、ZINEや雑貨の販売、日本と台湾をつなぐ音楽レーベルのレコードやグッズ販売も手掛ける。
開催場所である「札幌芸術の森」は、札幌の郊外にある芸術文化の複合施設。常設の野外ステージがあるほか、美術館、アートホール、アトリエなどさまざまな施設があり、しゃけ音楽会は野外で、OTO TO TABIは屋内で開催されている。2011年からスタートしたOTO TO TABIはコロナ禍で小休止しており、その代わりに2022年からスタートしたのが「しゃけ音楽会」だ。開催時期や場所を変え、時代に適応しながら柔軟にフェスの開催を続けている。
文化の中心地は、どうしたって首都圏に集中しがちだ。東名阪、そして福岡や仙台。しかしそれぞれの地域で、面白いもの・新しいものを見つけ出し、発信してきた人は必ずいる。例えば札幌には「プレシャスホール」という老舗のクラブがある。とにかく音が良いことで知られていて、めったに海外アーティストの公演がない札幌であっても、プレシャスホールには海外のDJが来る。今年のしゃけ音楽会には台湾のアーティスト、札幌を拠点に活動を続けている全国区のアーティスト、さまざまなフェスの常連アーティストなどがバランスよくブッキングされていた。決して「チケットを売るため」のブッキングではなく、新しい世界への入り口を丁寧にデザインしていると感じる。
みなみさんは、あくまでも「自分と自分の周りの人たちのため」に開催していると言うが、結果的に誰かの世界をぐっと押し広げている。長く続けることで仲間の輪が広がり、協力したいという人は増えているそう。参加するスタッフも「自分でもイベントをしてみたくなった」「コロナ禍で進学しても友達ができずにいたが、一緒にライブに行ける仲間ができた」などのポジティブな影響を受けているようだ。
ARAFUDO MUSICの恒例である、集合写真(上)。出演者含め参加者全員が1枚の写真に収まる。この「距離の近さ」は、他のフェスではなかなか味わえない。これまでの代表的な出演者は蔡忠浩(毎年出演)、奇妙礼太郎(2017年を除き、毎年出演)など。 photographs by yumi ikenaga
福島県の土湯温泉で開催されている「ARAFUDO MUSIC」は、もともとは東日本大震災のあとの2014年に、観光客が激減した温泉街にお客さんを呼びたいという「復興」を目的としてスタートした。主催者はフェスを生業にする人でもなく、福島の人でもない。震災後、福島に赴任することになり、さまざまな出会いのなかで、自らが責任者としてフェスを立ち上げることになった。東京勤務になったいまも温泉街の若旦那たちと一緒に継続的なフェスのかたちを模索している。
このフェスがユニークなのは、旅館の宴会場が会場になっていること。畳に座布団を並べて、出演者も参加者も浴衣で楽しむ。140畳という限られた空間で、200名でライブを楽しむ。温泉に入り、ライブを見て、酔っ払ったら部屋に戻って布団に入る。とても贅沢な時間を過ごせる。
宿泊が前提のフェスをやる場合、多くはキャンプインのフェスになる。しかし「ARAFUDO MUSIC」は、「復興を掲げるのであれば、イベントとして収益を出すことよりも、地元の人たちが潤うようにしたい」という意志をもって、旅館を会場にしたそうだ。
初開催から10年たったいまは、復興というよりも、もっと単純に「福島っていいところでしょ」と、自慢したい気持ちに変わってきているという。この思いは、旅館で開催するというかたちでうまくオーディエンスへと波及していくようになっている。「フェス飯」というのは、たくさんの来場者にスピーディーに提供しなければならない手前、どうしても大雑把な料理になりがちだ。しかし旅館が会場であれば、料理は丁寧につくられる。ARAFUDO MUSICのタイムテーブルには18:00〜19:30に「夕食タイム」が設けられている。その時間はライブがなく、客も出演者も全員が、福島の食材がふんだんに使われた旅館の夕食に舌鼓をうつ。出店しているラインナップも、主催者が福島で出会った地酒、クラフトビール、野菜が並ぶ。
「地方創生」の文脈下では、さまざまな補助金があるが、それには一切手を付けないのもこのフェスのこだわり。もらえるかもらえないかわからない補助金に頼っていては、本質的に継続的なスキームはつくれない。下手に規模を大きくするのではなく、続けられる規模を見定め、仕組みを探し続けている。震災直後はさまざまなチャリティイベントが立ち上がったが、いまなお続いているものはほとんどない。継続していること自体にも、敬意を払いたい。
フェスは自分で始めうるもの
さらにこれまでとはまったく別の方向に向かうフェスもある。例えば、新型コロナウイルスによるパンデミックの真っ最中だった2020年に開催された「Refraction Festival」は、音楽、デジタルアート、インスタレーション、パフォーマンスなどさまざまなアートを横断したオンラインフェスとして開催されて、50万人もの人が参加した。その後、RefractionはDAOへと発展し、いまではアーティスト、ミュージシャン、クリエイターが作品を発表し、ファンとつながるための新しいプラットフォームを構築している。
超巨大化してもなお自律的な多様性を保とうとしているグラストンベリー。プロとアマが協力し合い、小さく、さまざまな方向性を目指す日本のローカルフェス。ひとつ共通しているのは、さまざまな人が関わり、機能や役割をもち寄ってフェスができているということだ。どんな人が、何をもち寄るかによって、そのフェスが進む方向は変わり、可能性も広がっていく。
何かひとつの理想を目指す画一的な価値観から、多様でカラフルな価値観へ。フェス文化が定着してきたからこそ、そのさまざまなフェスの試み、それらのあり方には、わたしたちの未来へのヒントが見え隠れしているように思う。
きっと今月も来月も、あなたが住む場所の近くどこかでフェスが行われている。ぜひ、チケットを買って行ってみてほしい。もしかすると、人生が変わるようなミラクルが待っているかもしれない。これからの人生のヒントになるかもしれない。自分の「できること」の活かし方がわかるかもしれない。実際にフェスをやってみたくなるかもしれない。
グラストンベリー・フェスティバルが終わった月曜日の朝。テントを片付け、日常へと帰っていく人々。Photograph by Shintaro Kuzuhara
次週8月1日は、ゲームなどの世界でにわかに隆盛しつつある「バーチャルフォトグラフィー」にフォーカスします。ゲームのプレイ画面やソーシャルVRの空間などにおいて、斬新なビジュアルを提示し、シェアとともに拡散されていく新たな写真のあり方。黎明期のいま、進みつつある議論や国内外の実践例を取り上げながら、バーチャルフォトグラフィーの明日を読み解きます。お楽しみに。