ヴィナハウスが響く「移民」社会の夜明け:上野のベトナム人向けクラブの風景から
街を歩けばさまざまな言語が耳に入ってくるように、多くの外国人労働者が働き、「移民」国家への道を歩む日本社会。なかでも近年、急増するベトナム人を対象にしたクラブが各地に誕生し、そこではヴィナハウス(Vina House)なる音楽が夜な夜な鳴り響いているという。いま、ベトナム人向けクラブでは何が起きているのか。在留ベトナム人たちにとって聖地的存在であるBTC CLUB UENOを訪ねた。
面積331,700平方キロ、人口約1億人。面積と人口は日本とほぼ同規模のベトナムから、日本にやってくる労働者が急増している。2022年末の統計では日本に在留するベトナム人は48万人を越え、約76万人の中国に次いで2番目となった。日本の在留外国人はこの10年間で1.5倍ほど増加しているが、ベトナム人は約9.3倍。そのほとんどは労働力として来日し、約46万人のベトナム人労働者のうち、39.6%が技能実習生となっている(2022年10月時点)。
人びとが集うところには、文化が脈打つ。ナイトカルチャーもまたその一端であり、ベトナム人向けクラブでフロアを沸かせるヴィナハウスは、変化してゆく社会のテーマ音楽のひとつなのかもしれない。なぜなら、ベトナムに格段興味のない人でも、SNSに触れているならば、実はヴィナハウスをすでに耳にしている可能性があるからだ。
photographs by Shunta Ishigami
text by Miho Matsuda
アフターコロナの上野にて
東京・上野のベトナム人向けクラブ「BTC CLUB UENO」がオープンしたのは、2021年10月末。コロナ禍以前に点在していたベトナム人のためのカラオケバーやクラブが次々と閉店し、ナイトレジャーの場がごく僅かになってしまった時期だった。オープン当初から店長を務める吉田親人氏によると、その頃は、九州や東北地方など遠方から訪れる人も多かったという。
「日本にいるベトナムの方は、工業地帯や水産業が盛んな地域で働いていることが多いので、オープンしてしばらくは、愛知や福岡、鹿児島、沖縄からもお客様がいらっしゃいました。地方在住の方にとってBTCは憧れのスポットだったと伺っています。現在、常連のお客様は首都圏にお住まいの方が多く、男女比は6:4ほど。年齢層は20代前半がほとんどです。お客様の9割がベトナムで、残り1割は、タイや中国、韓国の方。今年に入ってから日本の方もいらっしゃるようになりました。ベトナムに駐在経験があったりアジアのカルチャーが好きだったりする人が、現地の雰囲気を求めていらっしゃいます」
店内はゴールドと赤を基調とし、壁から天井まで至るところにディスプレイが設置されている。極彩色のCG映像、照明、レーザーと、とにかくデコラティブだ。日本のバブル期とも異なる独特なデザインの内装は、ベトナムのデザイナーが手掛けた。
「内装はベトナム式です。天井にまでディスプレイが設置されているので、毎月の電気代はかなり高額になってしまいます(笑)。CG映像もベトナムで制作したもので、動物や自然、幾何学的なグラフィックに加え、急に戦闘機が登場することもあり、なかなか日本では見ないようなテイストになっています。とにかくベトナムの雰囲気をそのままこちらにもってきたので、日本の方は、六本木や渋谷のクラブに遊びにいく感覚ではなく、ベトナム旅行に行くつもりで遊びにきてくれると楽しめるんじゃないかと思います」
BTC CLUB UENOのイベントの告知は、ベトナム人のユーザー数が圧倒的に多いFacebookとTikTokが中心だ。年に数回、ベトナムの人気DJが来日するが、通常のレジデントDJやスタッフはすべて日本人。昨年、愛知県で特定技能の在留資格をもつベトナム人がDJ活動で報酬を得ていたとして入国管理法違反に問われた事件があったが、BTC CLUB UENOでは、就労に問題がない日本人が働いていることも特徴だという。
「例外的に、常連のお客様だけ店が許可した場合にのみ、DJブースを触ってもいいというルールにしています。また、ステージでパフォーマンスするダンサーも日本人ですが、盛り上がるとお客様がステージに上がることもあります。レギュラーのDJは日本人2人。音楽は、4つ打ちにベトナムの歌謡曲を載せたヴィナハウスです。ベトナム人のお客様は、ここをベトナムだと思っているので、(ベトナムで流行している)ヴィナハウスではないヒップホップやEDMでは苦情が来てしまうんです」
BTC CLUB UENO店長の吉田親人氏。宮城県気仙沼市から演歌歌手を目指し上京。シンガーソングライターとして20年間活動した後、コロナ禍をきっかけに、自身の音楽活動を休止。オープンからBTC CLUB UENOの店長を務める。
壁や天井などあらゆるところにディスプレイが設置され、極彩色のトランシーな映像が店内を彩る。ベトナムの人気TikTokerの来店など、イベントも不定期開催。
TikTokで世界に広がるヴィナハウス
日本では馴染みのない音楽ジャンル、ヴィナハウスだが、そこまでベトナム人が愛してやまない理由とは何だろうか。
まず、ベトナムの音楽シーンを俯瞰してみよう。ベトナムのポップスは、1858年〜1945年のフランス占領下時代に、フランスのポップスをベトナム語の歌詞に翻訳した曲が大衆的な人気となったようだ。現在のV-POPはバラードを中心に、K-POP、C-POP、J-POPからも影響を受けながら成長を続け、Hoàng Thuỳ Linh 「See Tình」のように世界的にヒットするポップスも生み出している。また、ロックは1960年代、ベトナム戦争時にアメリカ兵がサイゴン(現ホーチミン)にもち込み、現在、ベトナム音楽マーケットの10%を占める人気ジャンルになっている。
一方で、ダンスミュージックは90年代後半、欧米からもたらされたという。ヒップホップシーンは、1997年、アメリカ在住のベトナム人ラッパー、Khanh NhỏとThai Viet Gがリリースしたベトナム語のラップ曲「Vietnamese Gang」がインターネット経由でベトナムの若者にリーチし、現在のヒップホップシーンの源流となった。現在は、現地のトレンドを取り込みローカライズしながら、「Rap Việt」「King of Rap」などのリアリティ番組で若年層に支持されている。
テクノ、ハウス、EDMは、90年代後半から2000年代にかけて、欧米から流入した。その4つ打ちのビートに、ベトナムや中国の歌謡曲をミックスして発展したのが、ヴィナハウスである。最初のヴィナハウスのヒット曲として知られているのはDJ Thái Hoàng と DJ Nam Tàoによる「999 Đóa Hồng(999 roses)」だ。そして2004年、DJ Hoàng AnhがハイネケンDJコンテストで優勝し、アジア各国のDJコンテストに出場。これは、ベトナム特有のダンスミュージック、ヴィナハウスが世界に認知されるひとつのきっかけになった。その後、ベトナム国内で発展を遂げ、クラブだけでなく、結婚式やパーティでもプレイされる国民的人気の音楽ジャンルになった。
BTC CLUB UENOのレジデントDJのひとり、DJ水月氏は、コロナ以前からハウスやトラップのDJとして活動していた。
「ヴィナハウスを始めたのは、数年前、友人から巣鴨のクラブでプレイしないかと誘われたことがきっかけです。ベトナムの方が多く集まるクラブだったのですが、日本のクラブで人気の曲ではまったく盛り上がらず、色々と試しているうちに、ベトナムの方はヴィナハウス一択なんだと気が付きました。そこから、ヴィナハウスをプレイするようになったのですが、しばらくDJ活動を中断しているあいだに巣鴨の店が閉店に。縁あって現在はBTC CLUB UENOのレジデントを務めています。ベトナムは南北の距離が約1,650キロと縦に長く、ハノイを中心とする北と、ホーチミンを中心とする南とでは、大きなカルチャーの違いがありますが、在留ベトナム人は北側の人が多いのでしょう。ここで盛り上がるのはほぼ北の曲です。中華圏のローカルなダンスミュージックに慢揺(マンヤオ)というジャンルがあるのですが、それに近い印象がありますね。中国のハードテクノのプロデューサーがヴィナハウスを手掛けていたり、中国のクラブでも人気だったりするので、中華圏からの影響も大きいのではないかと思います」
DJ水月氏によると、日本で専門的にヴィナハウスをプレイする日本人DJは、ごく少数だという。
「日本人DJがヴィナハウスをかけるときに最も難しいのは、歌詞の切れ目と歌のつなぎ方です。僕もベトナム語を勉強していますが、ベトナムの方にとって違和感のあるつなぎでは盛り上がりませんし、季節感や、恋愛や人生などつなぐ曲同士の関係も重要です。僕はベトナムで育ったわけではないので、肌感覚で理解できない分、勉強が必要になります」
2022年のV-POPの大ヒット、Hoàng Thuỳ Linh「See Tình」。ベトナムの伝統的な旋律とK-POP的なアイドルポップスが融合。Billboard Việt Namのほか、韓国のYouTubeミュージックチャートでも上位を記録。
最初のヴィナハウスと言われる「999 Đóa Hồng(999 roses)」
BTC CLUB UENOのレジデント、DJ水月氏。ヴィナハウスのみならず中央アジアのアイドルやアジアのヒップホップにも詳しく、アジア音楽研究家としてJ-WAVE「SONAR MUSIC」にもたびたび出演。
知らず知らずに、耳にする
日本のDJにとってはハードな知見や技術が必要とされるヴィナハウスだが、ここ1年ほどの間に、国内のヴィナハウスのクラブは急増している。BTC CLUB UENOの2号店、BTC CLUB WARABIや、千葉、浅草、川崎、横浜、茨城、九州などベトナム人が多い地方にも続々とオープン。さらにベトナム人向けのカラオケも、同じようにギラギラの内装で現地を思わせると人気が高まっている。
ひっそりと各地に増えるベトナム人向けクラブ。とはいえ日本人の入店を歓迎する店舗は、BTC CLUB UENO以外は見当たらないという。ヴィナハウスはほとんどの場合、ベトナム人コミュニティ内の人びとにとっての、大切な憩いの場で流れている音楽なのだ。
と同時に、実はその音楽は、フロアの外でも鳴っている。TikTokだ。ヴィナハウスのシンプルなビートとキャッチーなメロディはTikTokとの親和性がとても高く、Hoàng Read「The Magic Bomb」やPháo「2 Phút Hơn (Kaiz Remix) 」などは、世界中に大量の「踊ってみた」を生み出している。もしかしたらヴィナハウスとは意識せずとも、どこかで耳にしたことがあるかもしれない。TikTokからヴィナハウスに出会い、BTC CLUB UENOでヴィナハウスを体感し、そこから在留ベトナム人との交流が生まれる可能性もゼロではないはずだ。
ヴィナハウスやベトナムのダンスミュージックシーンは、TikTokが契機となり、日本でも音楽の1ジャンルとして定着、またはJ-POPと合流して新たなカルチャーを生み出すのだろうか。現在、最もフロアを沸かせるヴィナハウスは、Chu Thúy Quỳnhの曲をフィーチャーした「Xem Như Anh Chẳng May (Orinn Remix) 」だ。まずはこの曲に、身体を預けてみるのはどうだろう。そこで踏まれるステップは、今夜も賑わっているだろうベトナム人向けクラブの色鮮やかなフロアの揺れと、密かにつながっているかもしれない。
ヴィナハウスを代表するDJのひとり、Hoàng Readによる「The Magic Bomb」は2021年のTikTokを席巻。中国の大人気アイドルグループ、硬糖少女303も「马甲线」としてカバーした。
ヴィナハウスDJ、Pháoの「Hai Phút Hơn」のリミックスバージョン、「2 Phút Hơn (KAIZ Remix)」もTikTokでバズった曲のひとつ。日本のアニメ「ダーリン・イン・ザ・フランキス」のキャラ、ゼロツーが踊るMAD動画が人気となり「ゼロツーダンス」と名付けられた。
原曲はベトナムの歌姫、Chu Thúy Quỳnhの切ない失恋のバラード。それをヴィナハウスにした「Xem Như Anh Chẳng May (Orinn Remix)」は、BTC CLUB UENOで毎回大合唱が起こるほどのアンセム的な存在になっている。
BTC CLUB UENO
https://www.facebook.com/beatjapan.global
東京都文京区湯島3-35-9
※店内は撮影禁止。周囲のお客様への十分な配慮をお願いいたします。
次週7月4日は、イベントシリーズ「会社の社会史」より第2シーズン第2回「会社と宗教 カリスマ経営者とその霊性」の模様をレポート。カリスマ経営者たちが確立し、世に広まったことにより、会社を構成する一人ひとりが求められることの多い「修養」。そこに見え隠れする宗教的なメンタリティを考察します。お楽しみに。