牛のウェルフェアがもたらす幸福な酪農:フィンランドの搾乳ロボット牛舎「4dBarn」に学ぶこと
牛のウェルフェアを尊重することが持続可能な酪農のカギとなる。フィンランドの酪農牛舎スタートアップが、「4万頭の乳牛の殺処分」が問題化する日本の酪農に投げかける問い。ロンドン在住のジャーナリスト・山下めぐみによる現地レポート。
動物愛護の意識が高いヨーロッパでは「アニマルウェルフェア」(動物福祉)という言葉をよく耳にする。酪農の分野でも、よりエシカルな飼育方法の義務化が進んでいる。一方、日本では昨年末から生乳が余り、「乳牛減らし」に国が助成金を出す事態である。IT導入と大型化が進むなか、乳牛のウェルフェアの尊重なくして酪農の未来は見えてこない。「世界で一番幸せな国」フィンランドの搾乳ロボット牛舎を取材し、考えてみた。
Text & Photographs by Megumi Yamashita
北欧のシリコンバレー、オウル
フィンランドのオウルは、首都ヘルシンキから北に約600キロ。秋口からオーロラが観察できるほど緯度が高い位置にある。1990年代にはオウル大学を中心にIT系企業が集まり、〈ノキア〉によって大躍進した。iPhoneの登場でノキアが失速した後は、オウル市運営の支援機関「ビジネスオウル」が国内外の企業を誘致。スタートアップ支援にも力を入れ、現在では「北欧のシリコンバレー」と言われるほど盛り返している。
そんなロケーションにあるのが、ITを駆使した「搾乳ロボット牛舎」に特化したサービスを提供する「4dBarn」だ。創設者は、酪農業界では「牛舎建築士」としてよく知られた存在のヨーニ・ピトカランタさん。実家が酪農家で11歳の頃から牛舎のデザインをしていたという根っからの「牛好き」だ。15歳のときに実家の牛舎を設計して以来、「人も牛も幸せな牛舎」を目指してこの道一筋に歩んできた。これまで設計した牛舎は北欧を中心にして世界各地で700件にも上る。
搾乳ロボットは1990年代に開発され、フィンランドでは2000年あたりから普及が始まった。とはいえ、高価な搾乳ロボットを導入しても、牛舎のレイアウトが良くないとうまく機能しない。またシステムを使いこなせていないケースも多く、継続的なコーチングが必要であることをヨーニさんは痛感する。それをふまえ、彼は獣医師や酪農管理の専門家、栄養士らと組み、2017年に搾乳ロボット牛舎に特化した〈4dBarn〉を立ち上げた。「牛に教わる、牛の視点の、牛のための牛舎」によって、人と牛、双方のクオリティ・オブ・ライフを向上させることがその目的だ。
〈4dBarn〉のWEBサイト。日本語にも対応
ITを使った「スマート化」で労働時間が短縮
そんなわけで、百聞は一見にしかず。実際に〈4dBarn〉が手がけた酪農家の取材をアレンジしてもらった。場所はオウルから南東170キロのところ、シーリンヤルビにある「ムルトマーキ・ファーム」である。〈4dBarn〉のスタッフで獣医師のビルピ・ケラクルさんが飛ばす車で現地に向かう。森と湖の国フィンランド。針葉樹の森と湖が延々と続き、所々に建物が現れる。国土面積は日本と大差ないが、70%が山岳地の日本と違ってここは大半が平地。それでいて人口はわずか550万人という人口密度の低さである。
「ムルトマーキ・ファーム」は、ヤンネとポーラ・コッコネン夫妻が運営する酪農場で、2009年にヤンネさんがお父さんから引き継いだものだ。元は彼の祖父が始めたもので、ヤンネさんは子どもの頃から酪農作業を手伝いながら育った。ポーラさんも同じく実家が酪農家で、ふたりとも酪農家の大変さを知り尽くしている。
「私たちの親の代では牛の数は8頭から10頭でした。それでも朝は4時に起き、毎日決まった時間に2回搾乳し、夜遅くまで働いていたものです。休みもなく、バカンスに行くこともできませんでした」
ふたりは口をそろえる。その体験から、牛にとっても人にとってもクオリティ・オブ・ライフが向上するメソッドを積極的に取り入れ、投資を行ってきた。〈4dBarn〉の導入によって、現在では子ども2人を育てながら、会社勤めとほぼ変わらない生活だという。
「現在、搾乳牛は262頭いますが、牛たちは『スマート首輪』でモニタリングされ、多くの作業が自動化されているので、作業は親の代よりずっと楽になっています。牛舎で作業をするのは朝7時から16時。夜にちょっとチェックするぐらいで経営できます。シフト制で働いているスタッフは2人で、彼女たちも17時には帰宅します。何か問題があればスマホやタブレットに通知が届きます。自分の子どもには手伝いはさせたくないですね。牛も人もなるべく自由が一番です」
ムルトマーキ・ファームと〈4dBarn〉の出会いは、ヤンネさんの父がヨーニさんに牛舎の設計を依頼したのが始まりだった。その時は搾乳ロボット2台を導入し、以来、徐々に乳牛数を拡大してきた。2017年に再び〈4dBarn〉を設立後のヨーニさんに牛舎の改築を依頼。現在、4台の搾乳ロボットが262頭の牛を管理し、そのほかに産休中の乾乳牛が30頭と子牛が飼育されている。
〈4dBarn〉の特徴は、牛舎を建てたら終わりではなく、牛のケア、システムの使い方からマネジメントまで、事細かなコーチングを提供するところにある。コロナ禍で、オンラインのウェビナーやEコースも豊富になった。例えば、「スタッフ間の定期的なコミュニケーション」といった基本的なアドバイスもする。取材に伺った際も牛舎内のオフィスではミーティングの真っ最中だった。コーヒーと搾りたてのミルク、手づくりのケーキをつまみながら、ヤンネさんとポーラさん、スタッフの女性がモニターを見ながら話し合っている。スマート首輪から送られてくるデータを元に各牛の健康状態や搾乳量をチェックし、その日やるべきことを決めていく。また、すべてをIT任せにはせず、スタッフが気づいたことの伝達も重要だ。
牛も人も幸せになれる牛舎とは?
では、具体的に牛舎のなかはどのようになっているのか?つなぎ服と長靴を借りて、いよいよ牛舎に入った。酪農家を訪ねること自体初体験の私、まずは牛の大きさと迫力に圧倒される。牛舎内は文字通り活気に溢れている。餌を食べる牛、寝そべって休む牛、歩く牛、など、いたって自由な空気感だ。
牛舎の両側一面は網戸になっており、天窓から光が差し込み、極めて屋外に近い開放的な環境である。冬は氷点下30度にもなるというが、牛は基本的に寒い方が調子が良く、暑さのほうが問題になる。そのため換気はとても重要で、大きなファンがいくつも設置されている。
牛舎内を歩いていると、牛たちがどんどん寄ってくる。「モ~」と挨拶に来る感じで、それに応えて、ヤンネさんとポーラさんは顔をなでなでしていく。首輪には、牛の名前も書かれている。
「この娘はJ. Loで、お母さんはあそこにいるマドンナで…」とポーラさんが牛たちを紹介してくれる。年齢もさまざまで、なかには10歳というご年配もいる。先輩牛のほうが穏やかで、ルーティンも決まっているので世話がしやすいという。
この牛舎のように牛が中を自由に歩き回れる放し飼い式は、「フリーストール」と言われる。これに対して、牛をスタンチョン(首かせ)やチェーンなどで行動制限するつなぎ飼い式が「タイストール」だ。フィンランドをはじめ北欧諸国では「つなぎ飼い」は牛のウェルフェアのために禁じる方向に進んでいる。一方、日本ではタイストールがまだ7割を占め、フリーストールは3割、放牧が3%というのが現状だ(2019年、農林水産省)。
ゲームチェンジャーは「搾乳ロボット」
搾乳の方法についても説明しておきたい。「パイプライン方式」は、搾乳器を各牛のところにもって行って乳を搾る方式で、主に小規模のつなぎ飼いの牛舎で採用されている。「ミルキングパーラー方式」は複数の牛をパーラーに集めて順番に搾乳していく方式で、中ー大規模のフリーストール牛舎ではこの方式が主流だ。いずれも人が搾乳器を牛に取り付ける必要がある。
対してこの牛舎で行われている「ロボット搾乳」はAIを使った全自動の搾乳方式である。乳頭のブラシ洗浄から吸引管を取り付けて搾乳するまで、すべてが自動で行われる。牛が自分の意思で好きなときに搾乳に行けるよう24時間稼働しており、決まった時間に搾乳する必要はない。
「基本的に牛の好きにさせ、なるべく人が介入しないことが牛にとっての幸せであり、搾乳量も上がります。好きなときに食べて、寝て、搾乳にも自分の意思で行きます。だから、特定の時間に一斉に搾らなくていいのです。1日、平均3回、ロボットが全自動で搾乳しているわけですが、そのためにレイアウトにさまざまな工夫があります」。
実際の搾乳の様子を見せてもらった。搾乳ロボットはオランダのLELY社のものである。牛が自分でゲートを押して搾乳ロボットのところにやって来る。ここでスマート首輪がスキャンされ、その牛に必要な餌のペレットが自動販売機のように出てくる。それを食べている間に、下のほうでは搾乳器がテキパキと稼働し、ミルクが搾られるという仕組みだ。ここで与えられるのは濃厚飼料で、いわばデザートのようなおいしいご馳走だ。牛たちはこれに釣られて定期的にやってくるのである。
とはいえ、自ら搾乳に行かない牛も時々いる。こういう人手が必要な牛は「フェッチカウ」と呼ばれている。〈4dBarn〉の牛舎ではその数が非常に少ないそうだが、こうしたフェッチカウを怖がらせず、安全に搾乳に向かわせるように、ゲートなどがデザインされている。生乳は冷蔵タンクに貯蔵され、1日に2回、協同組合Valio が経営する工場に出荷される。こちらの生乳はすべてチーズの原料になるそうだ。
通常の餌は、発酵させた牧草、大麦、菜種などにビタミンやミネラルを配合したものだ。こちらもロボットが定期的に補充したり、広がった餌を寄せる作業をしたりしている。糞の掃除などもロボットが手がける。床はコンクリート製だが、ロボットが集めた牛の糞尿を発酵させた堆肥がその上に敷かれている。牛にとって快適なだけでなく、低コストなのもプラス要素だ。なんせ、材料の牛糞はどんどん排泄される。環境負荷を減らすためにも、糞尿の有効利用は有意義だ。
牛舎内には車のセルフ洗車のように近づくと回転するブラシもあり、牛たちは代わるがわるに毛繕いにやってくる。まさに痒いところに手が届くサービスだ。蹄の手入れは自動というわけにはいかないので、こちらは作業がしやすい場所が設けられている。
ムルトマーキ・ファームを営むヤンネとポーラ・コッコネン夫妻、そして獣医師のビルピ・ゲラクルさん(右端)
牛もスタッフもリラックスした様子が印象的
牛がおいしい濃厚飼料を食べている間に、搾乳ロボットがテキパキと全自動で搾乳
スマート首輪や搾乳ロボットから随時アップデートされるデータをモニターでチェック
発酵させた牧草、大麦、菜種などにビタミンやミネラルを配合した飼料は、いい香りがする
セルフ洗車ならず、セルフ毛繕い。近づくとブラシが回転し、ブラッシングをしてくれる
飼料を寄せたり、床を掃除したり、搾乳以外でも各作業をロボットが担当する
牛のウェルフェアを第一に考える
労働の大部分をロボットが担ってくれるが、人工授精や出産の介助、蹄の世話、病気の牛の治療など、人の手が必要な作業もたくさんある。フィンランドでは抗生剤を予防的に投与することが禁じられているが、乳腺炎などを発症した場合は抗生剤を注射する。抗生剤治療中の牛の隔離やミルクの検査も入念に行われている。
もう一つの大きな作業がツノを切り取る「除角」である。人と牛双方の安全のために行われるものだ。ツノには血管や神経が走っているため、牛にとって辛い工程である。子牛の段階で行われるものだが、フィンランドでは鎮静剤と局所麻酔、施術後の鎮痛剤の投与は義務化されている。牛の痛みを最小限にすることで除角後の回復も早く、また担当する作業員のストレスも軽減できる。
「無意味に投薬することはもちろんしません。ただ、自然が一番、というような考えから麻酔や鎮痛剤を与えないのは、動物が無駄に苦しむことになり、何もいいことはありません。きちんとコントロールすれば、薬は牛にも人にも安全なものです」
獣医師のビルピさんは熱心にそう説く。
調べてみると、日本では除角の際に麻酔などが投薬されているのは、乳牛ではわずか14%になっている(2014年 乳牛用の飼養実態アンケート調査報告書より)。この傾向は人間の出産にも共通するのではないか。フィンランドでは無痛分娩の割合が約90%、日本でその10分の1以下の8.6%だ(2020年、厚生労働省)。
また、ヨーロッパでは、日本ではまだ主流である乳牛のつなぎ飼いが禁止の方向にあるほか、放牧の義務化も進んでいる。スウェーデンでは春から秋に120日間24時間放牧が義務化。スイスでは夏60日、冬30日の放牧が義務付けられ、2週間連続して外に出さないと違法になる。
こちらのファームでも牛たちは週に2日は外の牧草地に放たれる。冬は雪に覆われて牧草はないが、雪の上を歩かせることは、蹄のメンテナンスにいいそうだ。牛にもそれぞれ性格や個性があるので、外に出たがらない牛もいるという。すべて基本的に「牛の好きにさせる」ことがストレス減になり、それが生産性にもつながる。
世界の潮流に逆行する日本の酪農
〈4dBarn〉の牛舎は、現在日本を含む9カ国で120の酪農家が導入している。北海道からフィンランドに視察に来た酪農場主は、働く人たちのハッピーな様子が印象的で導入を決めたという。日本からの問い合わせは多く、現在〈4dBarn〉のWebサイトには日本語版もある。新築ではなく既存の牛舎の改築ならコスト減にもなる。とはいえ、日本でロボット牛舎がなかなか普及しないのは、設備投資にお金がかかるからだろう。フィンランドでは組合などから融資が受けられるほか、公的援助も多い。EUは酪農家の所得の40~60%が補助金だが、日本は10~30%という差も大きい。
そんななかでも、日本では2014年のバター不足を受け、生乳増産のための設備投資に国が補助金を提供。酪農家の大型化を奨励した。搾乳ロボットを導入した大型ファームも建ち、生乳増産も進んだ。ところが今度はコロナ禍で牛乳の需要が減って、生乳が生産過剰に。廃棄を余儀なくされる事態に陥っている。餌代や光熱費の高騰も重なり、酪農家の9割が経営難と言われている。これを受けて国が行った政策は、乳牛の「殺処分」に一頭あたり15万円の助成金を交付するというものだ。これでは酪農関係者も牛も報われず、家畜も人もウェルフェアは棚上げである。
こうした政策の一方、「最低輸入義務」として日本の乳製品の4割は引き続き輸入品だという。牛の飼料はトウモロコシが中心で、ほぼ輸入に頼っているのも根深い問題だ。フィンランドのこちらのファームでは飼料のほとんどが半径20キロ以内で調達されている。酪農大国ニュージーランドではほぼ牧草だけで牛を飼育しているという。日本の酪農はこのままでは持続可能とは言い難い。
牛舎の視察を終えた後、牛舎に隣接するヤンネさんとポーラさんの自宅でランチを共にした。ムーミンのイラストのついたイッタラの食器やマリメッコのカーテン、半世紀以上愛されているフィンランドが誇る定番デザインだ。ヤンネさんのお母さん手づくりのランチはサーモンとミートボールをメインに、茹でたポテトやサラダ、デザートも数種類ある。朝の4時起きで働いていた時代に比べ、生活がぐっと豊かになったことが伝わってくる。
その豊かさはITやロボットによる効率化だけでなく、牛のウェルフェアの尊重なくして得られなかっただろう。アニマルウェルフェアを向上すると、家畜の自主性や能力を引き出し、ケガや病気を減らし、結果的に生産量も品質も上がることがリサーチでも裏付けられている。
ここ数年、世界の幸せランキングで1位になっているフィンランドだが、「幸せがデフォルト」な国では決してない。歴史的に見れば長い間ロシア、ソ連、スウェーデンの支配下に置かれ、冬は寒く日照時間が短い。アルコールや薬物依存者、鬱病を患っている人も多い。そもそも内向的で口数が少ないという国民性だ。そんななかにあって、この国はホリスティックなアプローチで地道に幸せ度を上げてきた。
例えば、家族や関係者が集まって対話をすることで、精神疾患の再発を防ぐ「オープン・ダイアローグ」もそのひとつだ。1980年代にオウルからも近いトルニオにある病院で始まったこの療法は、世界各地に拡がり、大きな効果を上げている。
隣国ロシアと再び緊迫した関係にあるフィンランドが、いかに幸せ度をキープしていくのか、気になるところである。
ムーミンのマグや皿はイッタラの製品。70年前にデザインされたものが大切に継承されている
出産前後の牛たちにはVIC(Very important Cows)エリアがあてがわれ、ここでしばらくゆったりと過ごす
山下めぐみ|Megumi Yamashita ロンドンをベースに、建築やデザイン、都市開発などを中心に取材執筆するジャーナリスト。在英期間はほぼ30年。これまで学んできたことを伝え、交流の場となるプラットフォーム Architabi (アーキタビ)を主宰する。
次週3月14日は、「『ガサガサ』したら、何かが変わる?:YouTuberは環境を保全できるか【前編】」をお届け。琵琶湖周辺に棲む生物の生態系を探り、自身のYouTubeチャンネル「マーシーの獲ったり狩ったり」で特定外来生物の駆除の様子などを発信しているマーシーさんの活動に迫ります。お楽しみに。
牛の扱いもなんですね。
日本って人権感覚が乏しいけど、そこは動物にも同じなんだなと。。。多面的にみると余計に排外的なところが浮かび上がります。。。