Kゾンビは右側通行しない:『今、私たちの学校は...』から見える韓国社会の裏側【カン・ドック特別寄稿】
近年映画・ドラマ界を席巻する「韓国ゾンビ」は、どのような点においてこれまでのゾンビ映画とは一線を画しているのか。韓国の気鋭の映画評論家カン・ドックが、大ヒット学園ゾンビドラマ『今、私たちの学校は...』から読み解く韓国社会。キーワードは「均質性」だ。
コロナ下、無人化したソウルの高校。2020年(Chung Sung-Jun/Getty Images)
2016年『新感染 ファイナル・エクスプレス』で世界的な注目を浴び、以後『キングダム』『今、私たちの学校は…』など、ゾンビ映画/ドラマに新たな視点を投げこんだ「Kゾンビ」。それは、旧来のゾンビものとはどこが異なり、何を新たに語りかけているのでしょうか。韓国の気鋭の映画評論家カン・ドックによる書き下ろし論考を『WORKSIGHT 18号 われらゾンビ We Zombies』から転載してお届けします。
(先週のニュースレターでの次回予告より、内容を変更してお届けしております。ご了承ください。)
Kゾンビは右側通行しない
Text by Kang Deok-gu
Translation by Tetsuya Goto
Netflixの『今、私たちの学校は…』は、あまり興味深い作品とは捉えられていないかもしれない。しかし、韓国人なら当然興味をもたざるを得ない場面が登場する。ゾンビになった生徒たちが学校をめちゃくちゃにし始める。この作品で一番重要な場面は、廊下でゾンビたちが生存者を攻撃する場面だ。この場面で(当然)学生たちとゾンビたちは右側通行をしない。ゾンビは人間を噛みちぎろうとし、人間は逃げようとする。右側通行の目的は簡単だ。動線が重なって起きる事故を未然に防ぐためだ。このような通行規則が破られたということは事故が起きたということだ。Kゾンビというジャンルと他のゾンビものとが異なる意味をもつのはこの点においてだ。集団的な動きを妨げる変化が起きる。『今、私たちの学校は…』の舞台は学校だ。韓国における公立学校は、均質な集団としての「韓国人」をつくり出す場所だ。ここでゾンビは、韓国人集団がもっている均質性を試す尺度になる。
韓国人は右側通行する(日本人は左側だ)。
韓国人が右側通行できなくなったとき、何が起きるのだろうか。
高校を舞台に、ゾンビから生き延びようとする学生たちを描いたドラマ『今、私たちの学校は…』。「右側通行ができなくなった」学生たちの迫真の姿、秩序を失った廊下の様相をメイキング映像で。
ロメロ・ゾンビとの分岐点
Kゾンビ映画がどのように韓国人の同質性と均質性を破壊するのかを語る前に、ゾンビ映画の政治学を検討する必要がある。これまでゾンビ映画は、ゾンビの生体的特徴を「生きている死体」として規定してきた。ジャック・ターナーの『私はゾンビと歩いた!』(I Walked with a Zombie)におけるゾンビは、極めてシャーマニスティックだ。ゾンビたちはヴードゥー教的伝統のなかにいる。ターナーのゾンビで重要なのは目だ。その目は催眠術にかかった目だ。この映画におけるゾンビは死体のようにほとんど動かない。
ゾンビたちが本格的に歩き回るようになったのは、ジョージ・ロメロの映画『ゾンビ』(Dawn of the Dead)からだ。両手を振り回しながら、ゆっくりと、ぼんやりとした目で動き回るロメロ映画のゾンビは現代化したゾンビだ。ターナーのゾンビとは異なり、ロメロのゾンビの動き方は現代的だ。彼らはショッピングセンターに侵入し、階段を上り、アスファルトの道路を歩く。ゾンビたちは一糸乱れず動く。まるで集合的に精神を操られた有機体のように同期したリズムに基づいて動く。登場人物のひとりが前にいるゾンビを撃つと、今度は後ろのゾンビが手を伸ばす。ゾンビは人間よりも均質な集団として描かれる。
『ゾンビ』の登場人物たちは、放送局のプロデューサーやSWAT隊員だ。彼・彼女らはお互いを知らない。そして、さらに重要なのは彼・彼女らの人種的・性的な多様性だ。ロメロの映画では、ゾンビという外敵を前に、白人女性、黒人男性、白人男性などが連帯する姿が描かれる。これは、前述のKゾンビとはまったく異なる方向性を指している。言うまでもなく、Kゾンビものとロメロの映画は、共に、共同体と集団の内と外を分ける境界を試す社会実験だ。しかし、韓国の集団がもっている均質性が、両者を分ける分岐点となっている。
1978年公開のロメロの映画『ゾンビ』でショッピングモールに溢れるゾンビたちは、数こそ多いものの、皆一様のスピードで歩いているのが特徴だ。
均質性の修羅
米国映画には常に部外者が登場する。馬に乗ったカウボーイが村にやってくるところから話は始まる。部外者は村で除け者にされてきたアウトサイダーと出会い、代替的な共同体を生み出す。反面、Kゾンビものには常に強固な内集団がある。均質で単一の集団意識が存在しない場合には、同等の均質性をもった空間がつくられなければならない。
ヨン・サンホの『新感染 ファイナル・エクスプレス』は客室車両という閉鎖空間に人びとを押し込む。乗客はKTXに乗って釜山に逃げようとする。おそらく『新感染 ファイナル・エクスプレス』の卓越さは、韓国人の内面を一直線の車内通路をもって表現したところにある。お互いをまったく知らないさまざまな人物が連帯するさまを描き出す『ゾンビ』とは異なり、『新感染 ファイナル・エクスプレス』は韓国人といえばまず思い浮かべる類型的なキャラクターが、互いに向かって叫き合う姿を見せてくれる。
こうしたKゾンビものの特徴を「均質性の修羅」と呼んでもいい。列車の車両のような狭い閉鎖空間は『今、私たちの学校は…』でも頻繁に現れる。『今、私たちの学校は…』はさまざまな視聴覚装置を活用する。インターネットで生配信をするユーチューバーが登場し、ゾンビが出没する場所に入り込み、遠くの視聴者の関心を引こうとする。テレビには戒厳令を発令する軍人の姿が映し出される。しかし何よりもこのドラマの核心をなす光景は、狭くて長い廊下を横切るゾンビの群れだ。人びとを熱狂させるのは、学校の校舎という限定された空間を巧みに利用しながら、ゾンビの群れから逃げる学生たちの姿だ。
『今、私たちの学校は…』は、KTXと同じ狭い閉鎖空間であると同時に極めて官僚的なイデオロギー装置でもある「学校」を舞台とする。ここでは学校は単なる舞台ではない。Kゾンビものは、そこにある「韓国」の均質性と閉鎖性を巧みに利用する。とりわけ今日のゾンビ映画が、新自由主義を揶揄する一形式と見なされていればなおさら、Kゾンビものが利用するこの均質性は、躍動的に見える韓国社会の裏側にあるものを類推させずにはおかない。
上から:Kゾンビ映画を世界に知らしめた2016年の傑作『新感染 ファイナル・エクスプレス』のトレーラー/『新感染』を題材にした防災の解説動画。「韓国人の内面」を表現した「一直線の車内通路」の様子がよくわかる/2022年の『今、私たちの学校は…』は、学校の均質性と閉鎖性を巧みに利用する
近年、韓国社会を分析する外からの視線が注目されている。小倉紀蔵の『韓国は一個の哲学である』や、グレゴリー・ヘンダーソンの『朝鮮の政治社会:朝鮮現代史を比較政治学的に初解明《渦巻型構造の分析》』は、韓国社会がもっている躍動性が、「中央」志向的な風土から始まったと説明しているが、第三者的な視点から著されたこうした本は、少しばかり実証的な根拠が不足している。ダイナミックコリアの底流に流れる均質な「漂流」をよりよく描いたのは、むしろエドワード・ワグナー、ジェームズ・B・パレ、マルチナ・ドイヒラーといった韓国学者たちだ。
彼らによると、韓国は千年以上にわたって同質的な支配エリート層を温存した貴族国家である。韓国社会の儒教への転換は高麗時代に行われたが、韓国社会固有の祭礼や風習は、支配エリート層の同質性を担保するための装置だったと分析する。ドイヒラーは、父系集団を再生産する親族イデオロギーを、韓国社会における最も重要なイデオロギーと規定した。父系集団を維持し再生産する、すなわち均質性を維持しようとする運動が長い間、韓国社会を掌握してきたのだ。
もちろん、民族主義の立場を取る韓国の歴史学者たちは、韓国社会をもっとダイナミックなものと捉えようとした。朝鮮に資本主義の種が内在していたという「内在的発展論」はそのひとつだ。これは後期朝鮮社会で「身分上昇」を成し遂げた自営農が存在したと主張する。あるいは、朝鮮の派閥制度が民主主義以前の民主主義制度だったという意見もある。こうした主張に一理あるにしても、ジェームズ・B・パレの学派からすると、二義的な主張に過ぎない。というのも、韓国社会のエリート支配は、1500年もの間、変わらずに維持されてきたからだ。そして、このことが韓国社会全体の躍動性を逆説的に説明することにもなる。グレゴリー・ヘンダーソンが観察した韓国社会は、中央に向かって猛烈に突進する。中世封建制国家は、そもそもがエリートによって統治されるが、それでも各地域は「自治」を求める。逆に、韓国では、支配エリートになる道はただひとつ、「中央」に承認されることしかない。そして承認された支配エリート層は、その均質性に順応しなければならなかった。解放後の韓国の躍動性が支配エリート層の一存によって生まれたのも同じ構図だ。韓国映画は、この均質性を破壊するか、それとも均質性に服従するか、しかない。
無人となったアニャン市の高校での、新型コロナウィルスの消毒作業。2020年(SeongJoon Cho/Bloomberg via Getty Images)
Kコンテンツには世界観がない
韓国の均質性はさまざまな分野とメディアを横切って、ひとつのパターンとして繰り返し立ち現れる。ジャンルがあるにもかかわらず、ジャンルを運用する世界観がない。それがKコンテンツの特徴だ。『今、私たちの学校は…』は、チュ・ドングンの同名のネイバーウェブトゥーンを原作としている。少なからぬKコンテンツが、多様なジャンル的様式を借用したウェブトゥーンやウェブ小説を原作とする。しかし、韓国でいう「ジャンル」は一般的な意味での「ジャンル」ではない。ジャンルをひとつの世界と呼ぶことができるなら、ウェブ小説やウェブトゥーンに世界観はほとんど存在しない。それはむしろ規則と慣習によってつくられた世界なのだ。
ウェブトゥーンとウェブ小説の元祖ともいえる「量販所」(量産型ファンタジー小説の略語)は、世界観をつくることに消極的だった。トールキンの世界観や『ロードス島戦記』のファンタジー的世界観、そして広く認知されている武侠の世界観を借用するだけだった。『白いオオカミたち』(原題「하얀늑대들」)は、主人公の設定は金庸の中国の武侠小説『鹿鼎記』に、キャラクターたちの設定は古典ゲームの構成に大きな影響を受けている。『仰神の降臨』(앙신의강림)は『DUNE』に、『月夜幻談』(월야환담환월야)はアーバンファンタジーに、量販所的要素を掛け合わせた作品だ。そこには独自の世界観と呼べるものがまったくない。「領地もの」(領地を治め拡大していくファンタジー小説をいう。日本のライトノベルでは「内政系」と呼ばれている。『三国志』の影響が濃い)や「イゴケン」(「이계로간고등학생이깽판을친다=異界に行った高校生がめちゃくちゃになる」を略した単語)、「幻侠誌」(ファンタジーと武侠誌の合成語)も同様、量販所は世界観がないことをその特徴とする。
『今、私たちの学校は…』も、精巧な世界観をつくり上げはしない。そこは、ゾンビが現れた、ただの「韓国の学校」に過ぎない。Kコンテンツでは、借用されたジャンルの様式は、ナラティブを動かすためだけに使われる。そして、それは人物を動かすための均質な空間をつくり出す。借用された世界観からもち込まれた要素は、葛藤を引き起こすことはなく、単にジャンルを表す記号としてだけ用いられる。Kコンテンツでは、借用された世界観のさまざまな要素が自律性をもつことはない。Kコンテンツにおけるジャンルとは、人物が戦い、怒るための修羅の線路にすぎない。そして、ジャンル的様式はひとつの終着点に向かって集束する。
Kゾンビの美しさ
韓国社会の均質性は、後期資本主義を描き出す形式としてのゾンビものとホラー映画のジャンルに固有の変化を引き起こす。ロメロやジョン・カーペンターの映画が後期資本主義についての批評であるなら、それは彼らが「不可視性」を扱っているからだ。後期資本主義では、資本の増殖は「資本」の運用に依存する。物を生産し販売して収益を得るのではなく、不可視の指標に則って資本は増殖する。ロメロの隠れた傑作『マーティン/呪われた吸血少年』(1978)で吸血鬼マーティンは、村に入って女性たちの血を吸う。彼は村を徘徊する不可視の存在とも言える。カーペンターの映画はもう少し大胆だ。ダリオ・アルジェントの映画が殺人をこの上なく美しい行為として描いたのとは対照的に、カーペンターは恐怖を魅惑の対象としては扱わない。カーペンターの傑作『ジョン・カーペンターの要塞警察』(ゾンビ映画と呼んでもいいだろう)は、どんな映画的な美も存在しない、乾燥したホラーだ。第13管区の警察署に集まった警察官、犯罪者、職員たちはみな、外にいるゾンビに対抗すべく連帯する。この映画に登場するゾンビの特徴は死体が消えるところにある。ゾンビを殺害しても証拠は残らない。この不可視性こそが、カーペンター映画の核心をなすテーマなのだ。
ゾンビ映画の巨匠ジョージ・A・ロメロの『マーティン/呪われた吸血少年』(上)と、ホラーの名匠ジョン・カーペンターの『ジョン・カーペンターの要塞警察』(下)は、ともに「不可視性」をモチーフとした知られざる傑作。それぞれ2023年に入って4Kリマスター版が登場し再評価の気運が高まる。『マーティン』は2月にDVDボックス発売、『要塞警察』は1月から3月にかけてアメリカ・カナダの約30の劇場で再上映中。
こうした不可視性は、Kゾンビではそこまであからさまではない。Kゾンビものにおけるゾンビの役割は、均質な内集団を攻撃する他者であることに焦点が当てられているためだ。にもかかわらず、Kゾンビものも(ロメロやカーペンターとは別のやり方で)不可視性を核心とする。ゾンビものがもたらす根源的な恐怖は、食物連鎖から抜け出した存在が食物連鎖のなかに編入される点にある。血まみれの顔で人間の足を食いちぎるゾンビは観客に嫌悪感を与える。Kゾンビものは、この食物連鎖を、均質な集団の内部のものへと変えてしまう。韓国人集団は生存のためにお互いを疑い、策略をめぐらせる。彼らはゾンビと敵対しながら、同時にお互いがお互いにとってオオカミとなる野生状態に置かれる。ゾンビが登場せずともすでに食物連鎖は始まっている。人間の仮面をかぶったオオカミは人間のなかに混じっている。集団の均質性は、食物連鎖の進行とともに野生状態へと向かい、世界は崩壊し始める。
そのとき、Kゾンビと韓国人はみな、右側通行を諦める。彼らは阿鼻叫喚のなかへと突き進み、お互いを噛みちぎっては殺し合う。わたしはその光景こそが、2020年代のKゾンビの美しさだと考える。韓国人が個人になるためには、腕の一本くらいは噛まれなければならないということだ。
誰もいなくなった高校。2020年、ソウル(Chung Sung-Jun/Getty Images)
カン・ドック|강덕구 1992年生まれ。韓国芸術総合学校で映像理論を専攻した後、映画評論家として活動。社会・文化・芸術に関して分野横断的な執筆活動を行っている。著書に『밀레니얼의 마음: 2010년대, 그리고 MZ의 탄생』(ミレニアルの心:2010年代、そしてMZの誕生)がある。
次週2月14日は、「フォーキャストの罪と罰【ベント先生のメガプロマネ講座#2】」を配信予定です。大規模投資を伴い、多様なリスクを内包する政府や企業の巨大プロジェクトにおいて、偏った予測や誤ったリスク評価を行う「予測士」(forecaster)たち。彼らの責任を問い、悪しき習慣を正す必要性について述べた、「巨大プロジェクトとリスク」の世界的権威ベント・フリュービア先生の論文を邦訳してお届けします。お楽しみに。
【WORKSIGHTのイベント情報】
Mari Tanimoto《ゾンビのようなもの1》2022 ceramic H24×W16.2×D1.2cm(Photo:Kaori Nishida)
『WORKSIGHT 18号 われらゾンビ We Zombies』刊行記念エキシビション&トーク
『WORKSIGHT 18号』の刊行を記念して、2/8(水)〜2/12(日)の5日間、渋谷のギャラリー(PLACE) by methodにて、特集「われらゾンビ」を取り上げたエキシビション&トークを開催いたします!
2/8(水)〜2/12(日)・入場無料
エキシビション「ゾンビ宣言──高度資本主義の時代における非人間の状態」
「わたしたちの宣言は未来の可能性としての 〈zombii〉を提示する」──2008年に発表された伝説の論文「ゾンビ宣言」と、現代美術家・谷本真理がこの論文に寄せて制作したアートピースから考える、ゾンビの本質と可能性。プリント版『WORKSIGHT』の特集「われらゾンビ」を立体化したユニークなエキシビションを東京渋谷で緊急開催!
【エキシビション概要】
■出品作家:
谷本真理(アートワーク)
サラ・ジュリエット・ラウロ/カレン・エンブリー(テキスト)
遠藤徹(翻訳)
■展示デザイン:
藤田裕美
■制作:
髙橋義明
■協力:
FINCH ARTS
■会場:
(PLACE) by method
東京都渋谷区東1-3-1 カミニート14号
■会期:
2023年2月8日(水)〜2月12日(日)
■開館時間:
12:00〜19:00
■入場料:
無料
■主催:
WORKSIGHT/method
Mari Tanimoto《Imaginary friend》2020 ceramic H60.0× W45.5× D15.5cm(Photo:Takeru Kuroda)
2/11(土)開催・チケット発売中
刊行記念トーク「メディアはゾンビを語れるか」
コクヨのオウンドメディア「WORKSIGHT」がなぜ「ゾンビ」を? 至極ごもっともな質問に、編集長の山下正太郎、コンテンツディレクターの若林恵、そして本号編集を手がけた宮田文久がお答えするトークイベント。ロメロから『今、私たちの学校は...』をはじめとする韓国ゾンビの台頭まで、特集「われらゾンビ We Zombies」収録の記事を題材に、ゾンビと雑誌づくりを考えます。
【トークイベント概要】
■日時:
2023年2月11日(土)16:00〜18:00
■会場:
(PLACE) by method
東京都渋谷区東1-3-1 カミニート14号
*オンライン配信は行いません
■入場料:
1,500円(税込)
■出演者:
宮田文久 + 若林恵 + 山下正太郎(WORKSIGHT編集長)
■主催:
WORKSIGHT/method
2/18(土)開催・チケット販売中
トークセッション「入門:ゾンビと現代社会〜ゾンビを知ることは私たち自身を知ること〜」
昨年末に話題の書『ゾンビと資本主義』を刊行、特集「われらゾンビ」特集にも寄稿いただいた遠藤徹さんをお招きしたトークを京都で開催!なぜゾンビに注目するのか、ゾンビから何が見えてくるのか。ゾンビを考えることで世の中が見えてくる。ゾンビで学ぶ現代社会・入門編、開講です!
【トークセッション概要】
■日時:
2023年2月18日(土)14:00~16:00頃(開場13:30)
■会場:
恵文社一乗寺店コテージ(会場参加+オンライン配信)
京都市左京区一乗寺払殿町10
■出演:
遠藤徹・宮田文久・若林恵
■主催:
WORKSIGHT/学芸出版社