ころがる先は、ポストスポーツ:ボウリングとアメリカ社会
ホワイトハウスの地下にボウリング場がある? トランプが父ブッシュを非難したときにも、ボウリング場に言及した? 編集部が“ボウリングとアメリカ社会”の関係が気になったのは、こんな政治ゴシップじみた関心からだ。しかし識者に尋ねつつ見えてきたのは、もっと別の核心──民衆のあいだに根づいてきたボウリングの姿だった。その深層は、私たちがまだ見たことのない、未知のスポーツのありようさえ想像させる。
1966年5月25日、デンヴァー・カントリー・クラブ女子ボウリングリーグでプレーを楽しむ女性たち Photo by Bill Johnson/The Denver Post via Getty Images
いま世を賑わせ、騒がせもしているスポーツの姿が、スポーツの本来的な可能性なのか? 2022年の五輪やサッカーW杯を眺めながら、編集部員が確たる答えもないままに思案していたのは、そんな問いだった。中央集権的なシステムのもとにスポーツビジネスが花開き、人びとはそのシステムのなかで提供されるアスリートの姿に熱狂する──こうした風景こそがスポーツの未来の、中心となるものなのか? 本当に?
モヤモヤを抱えながらリサーチするうちに引っかかったのが、レジャースポーツとしてのボウリングとアメリカの関係性だった。ホワイトハウス地下のボウリング場から、『ボウリング・フォー・コロンバイン』まで……ここには、大文字の政治と人びとの日常をつなぐミッシングリンクとしてのスポーツが存在しているのではないか。
結果的にいえば、深読みのし過ぎだったようだ。しかし、その探究の道筋こそが面白かったのも事実であり、研究者の知見を借りることで見えてきたボウリングの“現実”もまた、とても興味深いものだった。かつてアメリカ社会のあちこちで、人びとは独自のボウリングリーグを組織し、見知らぬ人とも交流しながらプレーをエンジョイしていたというのだ。
interview and text by Fumihisa Miyata
大統領府につながるボウリングレーン?
アメリカの大統領とボウリングの関係を探ると、興味深いトピックがザクザクと出てくる。
例えば、1947年にハリー・トルーマンがホワイトハウス地下につくらせたというボウリング場。その後、リチャード・ニクソンが別のレーンを新たにつくったようだ。ボウリング場のかわりにバスケットボールのコートを設置するアイデアを出したバラク・オバマは、2008年ペンシルベニア州アルトゥーナのボウリング場で37という驚異的に低いスコアしか出せず、ブルーカラーにアピールできなかったというのもまた印象的なエピソード。結局はいまも、ホワイトハウス地下にボウリング場はある。
1947年7月、ホワイトハウス地下に建設した直後のボウリング場で、退役軍人病院からやってきた下半身不随のチャンピオン3人を表彰したトルーマン大統領。3人は、復員軍人援護局が開催したトーナメントの上位だった。 Photo by Bettmann/Getty Images
あるいは、こんなトピックも耳目を引くものだろう。
2021年1月にホワイトハウスを去る際、公文書を大量にもち出して隠匿したとして、2022年8月にドナルド・トランプはFBIから家宅捜索を受けた。その後、トランプは当てこすりのように、ジョージ・H・W・ブッシュ(父ブッシュ)も公文書をもち出していたと言及。(中華レストランとつながっているという)ボウリング場に隠していたと、支持者の集会で主張したのだった。
これに対し、ジョージ・W・ブッシュ(子ブッシュ)はツイッターで反論。父のボウリング愛をしのびつつ、トランプによる悪態を軽くいなしてみせた。メディアの報道においても、大統領図書館のスタッフが一時的に公文書を別の場所に保管(し、その後適切な処理を)することは歴代大統領においてもよくあった出来事としてフェイクニュースと判断、トランプによる難癖を一蹴したのだった。機密文書問題自体は同年11月以降、2023年1月現在に至るまで、ジョー・バイテン大統領の私的オフィスや自宅からさまざまな機密文書が見つかってきていることで再燃しているのだが、ともあれこんなところにも、ボウリングが顔を出す。
子ブッシュ「とても困惑している。父は中華料理が好きだったし、7-10スプリットだって楽しんでいた。おい、君はいったいどうしちゃったんだ?」(「セブンテン・スプリット」とは別名スネークアイとも呼ばれ、スペアをとるのが最も難しいとされるスプリットのこと)
1984年、ウィスコンシン州ミルウォーキーのボウリング場で第一投をリリースしようとするも、レーンで転んだ父ブッシュ。怪我はなかったようだ Photo by Bettmann/Getty Images
そもそもアメリカ社会とボウリングといえば、マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』のことを思い出す人も多いことだろう。1999年のコロンバイン高校銃乱射事件の直前、犯人が楽しんでいたのはボウリングだった──。現在、国際ボウリング殿堂博物館が位置するのが銃社会の中心・テキサス州だということも合わせると、なんだか妙なニュアンスを帯びて見えてくる。果たして、アメリカ社会におけるボウリングとは何なのだろうか。ひょっとしてボウリングは、アメリカのトップとボトムを結びつけ、政情の裏側を詳らかにするミッシングリンクなのではないだろうか。
……などと、筆者は考えていた。結論からいえば、やや勇み足だった。アメリカのスポーツ・食・映画といった人びとの日常を形成するトピックに通暁し、『スポーツ国家アメリカ』の著者でもある鈴木透・慶応義塾大学法学部教授に話を聞きにいくと、首をかしげながらこう語ったのだった。
「アメリカの現在の政治的な動向とボウリングに強く相関関係があるとか、シンクロしているというようなことは、あまりないんじゃないでしょうか。ホワイトハウス地下にボウリング場があるというのも、日本の企業の重役室に、息抜き用のパターゴルフ一式があるようなことだと思うんですよね」
ただ、鈴木教授は、こうも言葉を付け加えた。
「しかし、かつてのアメリカ社会で、ボウリングが特殊な位置を占めていたことは事実です。そもそもアメリカにおいては、野球にしろバスケットボールにしろ、スポーツというものが地域社会の公共財になっていて、住民の人為的な集団統合や、デモクラシーの促進に深く関係している。スポーツ/共同体/デモクラシーが連関するアメリカの“公共財としてのスポーツ”のなかで、ボウリングは他にない側面をもち合わせていたんです」
ボールが、思わぬほうに転がり始めた。
見知らぬ地域住民に出会うリーグ
『スポーツ国家アメリカ』を改めてひもとくと、ボウリングはこのように紹介されている。
地元チームを地域住民がこぞって応援するという構図をもう一歩進めて、普通の市民同士が観客としてではなく選手としてスポーツに参加し、共同体内部の人間関係を強化しようとするユニークな試みも行われた。誰でも参加しやすいようにするためには、当然競技の難易度を下げる必要がある。これに最も向いていた競技の一つは、ボウリングだった。
ボウリングは長らくイギリスで屋外の競技として行われていたが、19世紀のアメリカにはすでに屋内ボウリング場が登場していた。ピンをリセットする機械が戦後完全自動化されると、ボウリング人気は一気に高まり、1950年代から70年代にかけて、アメリカ各地でボウリングリーグが組織された。市民が地元のボウリングリーグに登録すると、試合の場所と日時が通知される。当日そこには見ず知らずの会員が集められ、団体リーグ戦を行う。試合が終われば初対面で一緒に戦った人たちと打ち上げをする、という具合だ。特定のチーム同士の勝敗を競うのもさることながら、ボウリングを楽しみながら友達を増やす場を提供していたのがボウリングリーグだった。最盛期には、アメリカの男性の8%、女性の5%がボウリングリーグに入っていた
1950年代から70年代にかけて、アメリカ社会の隅々に、住民たちが自主的に組織したボウリングリーグが存在していた。人びとは試合となれば集まり、“同じ地域に住む、しかし見知らぬ隣人”とチームを組み、対決する。「どうも、はじめまして」「どこにお住まいなんですか」「お上手ですね。どれ、私も!」といった会話が、そこでは繰り広げられていたことだろう。
1958年12月、「ABCボウリング場」で開催されたボウリングリーグの休憩時間、談笑してリフレッシュしている女性たち Photo by Denver Post via Getty Images
インタビューの場で鈴木教授は、ボウリングがもつ、他のスポーツにはない特性を以下のように解説してくれた。
「ボウリングが画期的だったと思うのは、『観戦するスポーツ』から『自分でやるスポーツ』へ踏み出している点です。スポーツを公共財として活用するという従来のアイデアは、基本的に、スポーツを観戦し、応援するということによって一体感を生みだすという発想でした。しかしボウリングでは、住民自らがスポーツをする。しかも競技の難易度を下げることで、老若男女が参加できるようにして、人間関係を広げていくというコンセプトを組み込んでいった。スポーツが、社交の次元に入っていったのですね。それはボウリングが、年齢・性別や、運動が得意かどうかに関係なく、何人でも一緒にプレーできる間口の広い競技だったからこそなんです。女性であれば20人に1人、男性であればほぼ10人に1人という割合で人びとが日常的にプレーしたスポーツというのは、歴史的にも、ほとんど類を見ないのではないでしょうか。競技の多様化のなかで、見ず知らずの人間同士が友人になれるシステムとして、ボウリングというスポーツは発展した。やはりこれは、画期的なことだったと思うのです」
1965年1月。デンヴァー・カントリー・クラブのウィークリー・ボウリングリーグでレギュラーだった、サミュエル・B・チャイルズとデイヴィス・W・ムーア Photo by Bill Johnson/The Denver Post via Getty Images
『孤独なボウリング』のリアリティ
アメリカの政治状況とボウリングが、ある種の疑似関係として結びついて見えてしまったというのも、それだけボウリングがアメリカ社会の隅々に根づき、原風景のようなものになっていたということの証左でもあるかもしれない。「コロンバインの件にしても、それだけ生活の一部にボウリングが入り込んでいるということなのではないでしょうか」と鈴木教授は言う。「特別な機会にやるものではなく、むしろボウリングが日常的なものだからこそ、たまたま銃撃事件の前にプレーされることで結びついてしまった、ということなのだと思います」
『ボウリング・フォー・コロンバイン』のほかに、私たちがアメリカとボウリングというときに思い出すトピックに、一冊の書籍があるだろう。2000年、アメリカの政治学者ロバート・D・パットナムが『孤独なボウリング・米国コミュニティの崩壊と再生(Bowling alone: The Collapse and Revival of American Community)』を著し、「社会関係資本」の減退を論じたということ自体は人口に膾炙している。が、なぜ事例として挙げられたのがボウリングだったのかという点の理解に関しては、ここまで触れてきたようなアメリカ社会におけるボウリングのリアリティを踏まえなければ、なかなか真に迫ったものにならないだろう。ボウリングは、地域社会の人びとをシャッフルし、そこから新たな紐帯を築いていく、デモクラティックなスポーツだったのだ。
パットナムが例に挙げたように、80年代以降、“ボウリング離れ”が進んでいった。ただ現代の私たちの社会を見渡すと、ボウリングが秘めていた価値はむしろいま見つめ直すべきものかもしれないと、(留保も交えつつ)鈴木教授は言う。
「見知らぬ人びとがつながるスポーツとはいえ、例えば1970年代のボウリングリーグというものが、どれだけ人種面・階級面で横断的なものだったかというのは、私もボウリングの専門家ではないので、よくわかっていません。人種差別を禁止する公民権法が成立したのが1964年ですから、1970年代の段階では、まだ白人なら白人同士のあいだでの集団統合のツールだった、という可能性はあるでしょう。しかし、もしそうだったなら、ボウリングは未完成であり、そのポテンシャルは完全に開花していないともいえる。未来において、より横断的にボウリングが秘めていた可能性をすくいあげ、再構築していく余地はあるのではないでしょうか」
1985年10月、ラウヴァーズ・ヴィレッジ・クラブのボウリングリーグでプレーする面々 Photo by Lyn Alweis/The Denver Post via Getty Images
そして、ポストスポーツへ
それはもしかしたら、ボウリングの発展形かもしれないし、あるいはボウリングではないかたちをとったものかもしれない。鈴木教授がボウリングの系譜にあるものとして近年気になるのは、フライング・ディスク(フリスビー)だという。
「数年前渡米したときに、試合を見たことがあるんです。ディスクをパスしてつないでいって、相手側のゴールまで運ぶことを競う。けっこう走らなきゃいけないんだけれど、コンタクト(身体接触)は少ないので、ボウリング的な難易度の低さというか、年齢や性別を問わず楽しめるスポーツなんじゃないかと感じました。いずれにせよボウリングというものは、いまの私たちの社交や人との付き合い方というものを考えさせてくれるスポーツであると同時に、次世代型競技を展望する際のベースになるものでもあるわけです」
もちろんこうした次世代型スポーツにも、プロ化を含めた集権的なシステムの構築や、商業的な拡がりというものはありえるだろう。と同時に、近所の公園で人びとが勝手にディスクを投げ合って遊ぶような野趣も、私たちの社会のなかでは常に隣り合うものとして存在する。YouTuberに私たちが夢中になるように、そこらで自由に行われているスポーツの配信に人びとが魅了されるということもまた、ありうるかもしれない。
ボールもディスクも、ふと気を抜けば、思ってもみない、あさってのほうへと飛んでいく。それは決して、悪いことではない。
2018年1月、ワシントンDC。芝生がひろがるナショナル・モールで、フライング・ディスクに興じる人びと。後ろにはアメリカ合衆国議会議事堂が見える Photo by Jonathan Newton/The Washington Post via Getty Images
鈴木 透|Toru Suzuki 1964年、東京都生まれ。慶應義塾大学法学部教授。専攻は、アメリカ文化研究、現代アメリカ論。著書に『スポーツ国家アメリカ:民主主義と巨大ビジネスのはざまで』『食の実験場アメリカ:ファーストフード帝国のゆくえ』『性と暴力のアメリカ:理念先行国家の矛盾と苦悶』『実験国家アメリカの履歴書:社会・文化・歴史にみる統合と多元化の軌跡』『現代アメリカを観る:映画が描く超大国の鼓動』などがある。
【近日発売・新刊のご案内】
書籍『WORKSIGHT [ワークサイト] 18号 われらゾンビ We Zombies』
ゾンビは、その発祥から資本主義と深く関わってきた。カリブ海のプランテーションから、消費資本主義、グローバル資本主義、金融資本主義と、資本主義が進化するに連れてゾンビも進化する。そのとき、ゾンビは、単なる比喩を超えて、わたしたちそのものの姿となる。ゾンビ映画の巨匠ジョージ・A・ロメロから、『新感染 ファイナル・エクスプレス』『今、私たちの学校は...』などの世界を席巻する「韓国ゾンビ」まで。ゾンビを知ることは、わたしたち自身を知ることなのかもしれない。
■書籍詳細
書名:『WORKSIGHT[ワークサイト]18号 われらゾンビ We Zombies』
編集:WORKSIGHT編集部
ISBN:978-4-7615-0923-1
アートディレクション:藤田裕美
発売日:2023年1月31日(火)
発行:コクヨ
発売:学芸出版社
判型:A5変型/128頁
定価:1800円+税
次週1月31日は、いよいよ発売となる書籍『WORKSIGHT [ワークサイト] 18号 われらゾンビ We Zombies』より、編集長・山下正太郎の巻頭言「ゾンビのすゝめ」をお届けします。「ゾンビになって早17年目になる」という衝撃の書き出しが意味するものは? お楽しみに。