The Backroomsの謎:「ちょっと不穏な部屋」が巨大コンテンツになるまで
「不穏な画像」として2018年に投稿された1枚の画像が、2022年には人気ドラマ「セヴェランス」のネタ元となるほどまでに広まりました。ファンが主体となってコンテンツを加筆・編集し世界観が拡張していく集団創作ホラー「The Backrooms」とは何なのでしょう? 所有者も登場するキャラもない摩訶不思議なIP/コンテンツの来歴を振り返ります。
Photo by 4chan
Text by Sayu Hayashida
Edited by Kei Wakabayashi
ドラマ『セヴェランス』とベル研究所の不気味
2022年、アメリカで話題となったApple TV+のドラマシリーズ『セヴェランス』。作曲賞シリーズ部門(オリジナルドラマスコア)およびメインタイトルデザイン賞の2部門でエミー賞を受賞するなど、各所から高い評価を受けている作品だ。
同作は、神経デバイスによって仕事とプライベートの記憶を分ける手術「セヴェランス(分離)」を巡り、雇用主であるルーモン産業とその従業員たちが繰り広げるディストピアスリラーだ。
組織と従業員の対立はわかりやすく描かれているわけではなく、むしろ序盤では穏やかな互恵関係が描かれる。管理職のミルチックは手術後の社員をメロンバーで明るく歓迎し、不安に苛まれる社員を「わたしたちは家族だ」と励ます。そのため、従業員は組織を善だと信じて疑わず、命令系統を尊重し、日々労働力を捧げる。その裏に、人格の分割統治によって利益を搾取し、すべてを監視下におこうとするルーモンの思惑があるとも知らずに。
オフィスワークの裏で渦巻く陰謀によって、個人の自律や尊厳が知らぬ間に侵食されていく謂れのない不気味さ。それを視覚的に増幅させるのが、オフィスシーンの撮影場所である「ベル研究所」だ。
ベル研究所は、アメリカの電話電信会社「AT&T」の研究開発部門として1962年に設立された研究施設だ。鉄、コンクリート、ガラスなどの工業材料をありのままに活用し、合理性・機能性を表現したモダニズム建築であるだけでなく、戦後アメリカの企業精神を反映し、近未来的な印象を備えているのが特徴だ。
当時の巨大企業は、経営戦略において基礎研究を重視していた。政策や産業に支配されず、科学者が独立性を保ち実験・実践できる場こそが、将来の市場獲得のために欠かせないと考えたからだ。研究所には、従来のイメージを払拭してその思想を投影し、新時代の象徴的なランドマークとなることが求められたのである。
そこで、工場のような外観が一般的だった研究所を、大学や国立研究所のようなアカデミックな施設としてデザイン。また、それまで研究部門は生産部門の近くに設置されることが多かったが、研究の独立性を保つため物理的に切り離され、郊外の広大な敷地に建てられた。1000人超の科学者を擁する巨大施設は、のちに"産業版ベルサイユ宮殿"と呼ばれたほどだ。
立地・部門ともに、他と徹底的に"セヴェランス"されたベル研究所は、それゆえに大企業の圧倒的な権威や強靭な体制を誇示するものでもあった。結果的に、当初の目論見であるビジネスの成功に繋がらなかったという皮肉な顛末も含め、セヴェランスというドラマにとって絶好のロケ地だったといえる。
この完璧なルーモンのオフィス風景が公開されたのは、ドラマ配信前の2021年12月にまで遡る。監督のベン・スティラーは「ルーモンへようこそ」ということばとともに、終わらない悪夢のような白い廊下をツイートしたのだ。
当時、この謎めいたツイートに対してある界隈が反応を見せた。それが「The Backrooms」と呼ばれる人気ホラーコンテンツのファンダムである。彼らは「ベン・スティラーがThe Backroomsに迷い込んだ」と興奮し、この動画を共有し合った。
実際、彼らの直感は的を射ていた。ベン・スティラーは、2022年2月24日に公開されたWebメディア「Inverse」のインタビューにて、本作に影響を与えたもののひとつに The Backroomsを挙げたのである。
ネットの集団創作から発生した裏世界
The Backroomsは、「クリーピーパスタ」と呼ばれる、ネット上でコピー・アンド・ペーストされながら拡散する恐い説話や画像、都市伝説の一種だ。現実世界である 「The Frontrooms」の対となる裏世界を指し、一度入り込んでしまうと二度と戻ってこられないという設定となっている。
始まりは2018年4月、世界最大級の匿名掲示板「4chan」の「cursed images」(呪われた画像)スレッドに投稿された1枚の画像だった。
不安定な画角でおさめられた、古びた空きオフィスのような空間。誰がどのような目的で撮ったのか、はたまた作成したのかわからないこの画像は2019年5月、「disquieting images」(不穏な画像)スレッドにて再投稿された。
その際、別のユーザーがある短いストーリーを付け加えた。
「あなたが注意を怠り、おかしな場所で現実世界から外れ落ちると、古い湿ったカーペットの悪臭、黄色一色の狂気、蛍光灯の大きなハム音が無限に続くバックグラウンドノイズ、約6億平方マイルのランダムに区分けされた空き部屋にただ閉じ込められる"The Backrooms"に行き着きます。
もし、近くで何かが徘徊している音が聞こえるのであれば、それもまたあなたが発する音に気づいているでしょう。あなたに神のご加護を」
この画像とストーリーは一部のユーザーを魅了し、The Backroomsは徐々に拡散され始めた。
同月の2019年5月にはSNSでミームが投稿され始め、なかには4400以上のいいねを集めたツイートも。このような二次創作的作品の影響もあり、The Backroomsはクリーピーパスタやオカルト好きの間で注目を集めていく。
2019年6月にはWikiサイトのホスティングサービス「Fandom」にてThe Backroomsのファンページがオープン。これによって、ファンが主体となってコンテンツを加筆・編集し、世界観が拡張・深化していく「集団創作ホラー」の性質を強めていった。
インターネット上の集団創作ホラーの元祖は、2008年ごろから広まった「SCP財団」だ。これは「SCPオブジェクト」と呼ばれる異質な存在を確保・収容・保護する組織という設定のもと、参加者がオリジナルのオブジェクトを創作し、コミュニティで共有するというもの。The Backroomsは、フォーマット的にも、SCPの系譜を継ぐものといえるだろう。
2019年7月には、ゲーム開発会社のPie On A Plate ProductionsがSteamにて『THE BACKROOMS GAME』をリリースし、ゲーム分野での先駆けに。現在は『Inside the Backrooms』(MrFatcat)、『Escape the Backrooms』(Fancy Games)、『Backrooms of Reality』(Reflective Surfaces)など多数のゲームが開発されている。
リミナル・スペースというトレンド
また、同時期にThe Backroomsから派生した事象として、リミナル・スペースのトレンドにも言及しておきたい。なぜなら、The Backroomsの創作プロセスは、このリミナル・スペースの画像にもっともらしい設定をつけ、階層を増やしていくことが基本となるからだ。
リミナル・スペースは、廃墟といった危険な場所でもなく、幽霊や殺人鬼が写り込んでいるわけでもないのに、観る人をどこか不安にさせる空間を指す。その多くは人工的かつ公的な空間で、オフィス、学校、ホテル、ショッピングモール、地下鉄、あるいは廊下や階段であることが多い。まさに前述のベル研究所や黄色い部屋のような場所である。
リミナル・スペースの最大の特徴は、人間のためにつくられた公的な空間に、人間の気配が一切ないということだ。つまり、文脈として人間の存在が期待される空間に、人間が不在であるという強烈な違和感が、観るものに不気味さ・不穏さといった恐怖を覚えさせるのである。
リミナル・スペースもまた多くの人びとを魅了し、2019年8月にはアメリカの掲示板型ソーシャルニュースサイト「Reddit」にて専用のスレッドが開設された。ここには現在54万人のユーザーが参加しており、スレッドへのリンクが貼られているTwitterアカウント「Liminal Spaces」は約130万フォロワーを擁するまでに成長している。
「ファウンド・フッテージ」から爆発的ブームに
The Backroomsが都市伝説界隈のみならず広く知られるようになったのはTikTokがきっかけだ。2020年3月、The Backroomsのコンセプトを紹介した動画がバイラルとなり、一般層にも徐々に浸透。この動画は2022年12月現在、200万回以上再生されている。
そして2022年、The Backroomsは爆発的なブームを迎える。火付け役は弱冠17歳のVFXアーティスト、ケイン・パーソンズだ。
彼は2015年よりYouTubeチャンネル「Kane Pixels」にて定期的に自主制作映像を投稿。2021年には『進撃の巨人』の名シーンをリアルに再現したアニメーションシリーズで話題となった。
同シリーズで多くのファンを獲得した彼は、The Backroomsをベースとした新シリーズに着手。2022年1月7日、第1弾である『The Backrooms (Found Footage)』を公開した。
原作およびアニメが存在する『進撃の巨人』とは異なり、The Backroomsは1枚の画像から始まった世界観のみのコンテンツ。ケインは映像編集だけでなく脚本・音楽も手がけ、独自の解釈をもとに作品をつくり込んでいった。
ジャンルはタイトル通り「ファウンド・フッテージ」(撮影者が行方不明になったため、埋もれていた映像資料という設定のフィクション作品。映画『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』や『パラノーマル・アクティビティ』などで知られる手法)だ。The Backroomsへと外れ落ちたアマチュア・カメラマンのビデオテープから、ある研究所の関与が示唆されていくなど、陰謀めいたストーリーも魅力のひとつとなっている。
この動画は瞬く間にバイラルとなり、2022年12月時点で4300万回再生、シリーズ全体では1億2000万回以上の再生数を記録。この功績から、ケインはその年の優秀な配信動画クリエイターに贈られる「The Streamy Awards」にてCreator Honorを受賞した。
このように、The Backroomsは緩やかなIPとして多くのファンやクリエイターが集う場となり、ショートストーリー、ゲーム、映画、小説、考察ブログなど、メディアミックス的な広がりを見せながら一大ブームとなっている。
日本では2022年2月ごろからニュースメディアが取り上げ始め、YouTubeにて解説動画が増加。続いてゲーム実況動画が盛んに投稿されるようになり、キヨ。、兄者弟者、ポッキー、花江夏樹などの人気実況者がプレイ。いまや小学生にも知られるほどになっている。
人気ゲーム実況者もこぞってThe Backroomsに挑戦。初心者向けの解説動画もためになる。
Netflix、スマートシティ、メタバースにも通底する開発手法
The Backroomsにはいまなお、参加者が"探索する"というかたちでさまざまな設定が付け加えられている。
常に不特定多数のファンが並行して創作を進め、それを取りまとめる公式運営者がいない同コンテンツにおいて、最も重要な要件として機能しているのが階層構造だ。
The Backroomsではほとんど無限に「レベル」と呼ばれる階層が存在している。前述の黄色い部屋である「Level 0: "The Lobby"」を起点とし、The Main Nineと呼ばれる著名な9階層があるほか、アメリカ版のページでは現在1100を超えるレベルのデータが記載されている。
レベルは、作成者が任意のリミナルスペースの画像をもとに設定を考え、データベースに追加した時点で発生する仕組みだ。設定にはレベルの番号、名前、概要、生存難易度、入り口・出口となる別のレベルなどの情報を含める。執筆の際はコミュニティルールを厳守し、「それぞれのレベルは可能な限り、そのレベル内で完結するように執筆しなければならない」ことになっている。
この階層構造とルールによって、作成者はそれぞれが一定の独立性を保ち、疎結合の状態を維持できるようになっている。つまり、新しいレベルの発生によってコンテンツ全体に影響が出たり、複数のレベル間の整合性をとるために作業が中断されたりといった事態が発生しにくい構造なのだ。
このような拡張性および相互運用性の高いアーキテクチャは近年、わたしたちのリアルな世界でも重要な手法として扱われている。それが「マイクロサービス」と呼ばれるモダンな開発アプローチだ。
マイクロサービスは、従来のモノリシックなアプリケーション開発とは異なり、目的別に個別の小さなサービスを開発し、それらをAPIなどで連携して動かす手法だ。大手IT企業ではAmazon、Netflix、Uber、LINEなどがサービスに採用しており、なかでもNetflixはマイクロサービスのパイオニアとして知られている。
マイクロサービスの登場によりチームは開発の並列化、つまり、それぞれの小さいサービスを迅速かつ頻繁に開発・デプロイすることができるようになった。この拡張性・柔軟性によってUXの最適化を図ることで、企業理念に沿ったサービスを提供し、ビジネスの成功確度を上げているのだ。
このようなメリットをもつマイクロサービスは昨今、スマートシティを実現するための都市OSにも使われている。EUが官民連携プロジェクトで開発・実証した基盤ソフトウェア「FIWARE」は、障害対応や機能拡張に備え、既存部分への影響を最小限に抑えるべくマイクロサービスアーキテクチャを採用。FIWAREは現在、世界250都市以上に取り入れられ、横断的なデータ流通やサービス連携を支えている。
The Backroomsは、SCP財団が生み出した既存のフォーマットを踏襲しながらも、それが物体ではなく空間として拡張しているという点、しかもリアルなスマートシティの開発アプローチと類似する手法で実行されている点で、非常に興味深いコンテンツであり現象だ。
また、そのような特性を背景に、メタバース的なシェアワールドとして存在しているという点でも、都市伝説の枠を超えて注目に値する。
Netflixにおける「マイクロサービス」の利用法を解説する動画。「カオスを我が物にする」のタイトルが付けられている。
次週1月17日は、2022年12月に『K-GRAPHIC INDEX 韓国グラフィックカルチャーの現在』を刊行した後藤哲也さんのインタビューをお届けします。韓国ドラマやK-POPを支えるグラフィックデザインはいかにして生み出されているのか?お楽しみに。